【現代語訳】

 尼君は、月などの明るい夜は、琴などをお弾きになる。少将の尼君などという女房は、琵琶を弾いたりして遊ぶ。
「このようなことはなさいますか。退屈ですのに」などと言う。

「昔も、賤しかった身の上で、のんびりとそのようなことをする境遇でもなかったので、少しも風流なところもなく成長したことよ」と、このように盛りを過ぎた人が気晴らしをしているような時々につけては、思い出す。

「ほんとうに言いようのないはかない身の上であったものだ」と、自分ながら残念なので、手習いに、
「 身を投げし涙の川のはやき瀬をしがらみかけてたれかとどめし

(涙ながらに身を投げたあの川の早い流れを、堰き止めて誰がわたしを救い上げたの

でしょう)」
 思いと違って情けないので、将来も不安で、疎ましいまでに思いやられる。
 月の明るい夜毎に、老人たちは優雅に和歌を詠み、昔を思い出しながら、いろいろな話などをするが、返事のしようもないので、つくづくと物思いに沈んで、
「 われかくて憂き世の中にめぐるともたれかは知らむ月の都に

(私がこのように嫌なこの世に生きているとも誰が知ろうか、あの月が照らしている

都の人で)」
 今を最期と思い切ったときは恋しい人が多かったが、その他の人びとはそれほども思い出されず、ただ、
「母君がどんなにお嘆きになったろう。乳母が、いろいろと、何とか一人前にしようと一生懸命であったが、どんなにがっかりしたろう。どこにいるのだろう。私が、生きていようとはどうして知ろう」
 気の許せる人もいないままに、何事も隠すことなく相談し親しくしていた右近なども、時々は思い出される。

 

《文中に「手習い」とありますが、「この巻には、以下にこれを含めてこの語五例見え、巻名の出所」となっているとされます(『集成』)。なお、同書は、古書に浮舟を「手習の三の君」「手習の君」と呼ぶ例もあることを挙げています。自分の思いを直接語ることが極めて少なく、多く手習いの歌によって語られるところに、さまざまな思いを鬱屈させているこの人の姿が、浮舟の巻以上に顕著に特徴づけられていると考えられたのでしょうか。

 さて、明るい月に誘われて、尼君が琴を奏でています。お付きの女房とされる「少将の尼君」が、それに琵琶を合わせます。やや間があって、尼君が浮舟を誘いました。

しかし心得のない彼女は、そういう嗜みに無縁で育ったわが身の拙さを恥じて、黙ったままそれに応えることもなく、手元の紙を取って手すさびに歌を書きつけます。

 もともと恵まれない立場に生まれてこうした風流を身に付けるでもなく嫌なことばかりが多かった私は、生きていく値打ちもなさそうな身の上なのだから、本当に死んでしまった方がよかったのだ、まして、二人のお方に心をお寄せしてしまった私なのだから、…。

また別の月の夜は、尼君たちは歌を詠み、またしみじみとした話を交わしています。しかし彼女はその昔話に加わることはできませんし、訊ねられても聞いてもらうに足る過去を持っているような気もしません。

今夜こそ死んでしまおうと思ったあの夜(浮舟の巻第七章第六段)、最後に切なく懐かしいと思った幾人かの人たちも、今となってみれば「それほど思い出されず」、ただ本当に親身に思ってくれたわずかな人たちのことが、すまないことをしたという思いとともに、時々胸をよぎるにすぎません。

私のこの情けない気持ちを分かってくれる人は、今はもうどこにもいない、…。
 それにしても、この段、二つの場面がいずれも同じように「月の明るい夜(原文はそれぞれ、「月など明き夜」と「月の明き夜な夜な」です)」で始まるのは、何とも芸がなく思われますが、何か意図があるのでしょうか。》

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