源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第五章 薫の物語(二)

第七段 明石中宮、薫の三角関係を知る

【現代語訳】

「とてもおかしな事を聞きました。この大将殿がお亡くしになった人は、宮の二条の北の方のお妹君だったのです。異腹なのでしょう。常陸の前の介の何某の妻は、叔母とも母とも言っていますのは、どうなのでしょうか。その女君に、宮が、たいそうこっそりとお通いになられたのでした。
 大将殿がお聞きつけになったのでしょうか。急にお迎えなさろうとして、番人を増やしなどして厳重になさっているところに、宮も、とてもこっそりとお通いになりながら、お入りになることができず、見苦しいことにお馬に乗って立ったままで、お帰りになったのでした。
 女も、宮をお慕い申し上げていたのでしょうか、急に姿を消してしまいましたが、身を投げたようだと言って、乳母などの女房は泣き騒いでおりましたそうです」と申し上げる。

中宮も、

「たいへん呆れたことだ」とお思いになって、
「誰がそのようなことを言うのですか。困った情けないことですね。それほど珍しい事は、自然と噂になろうものを、大将もそのようには言わないで、世の中のはかなく無常なことや、このように宇治の宮の一族の短命であったことを、ひどく悲しんでお話しになっていたが」とおっしゃる。
「さあ、下々は確かでないことでも申すものを、と思いますが、あちらに仕えておりました下童が、つい最近、小宰相の君の実家にやって参って、確かなことのように話したそうです。このように尋常でなくて亡くなったことは誰にも聞かせまい、大げさで気味の悪い話だからといって、ひどく隠していたこととか。そういうことで、詳しくはお聞かせ申し上げなさらなかったのでしょう」と申し上げると、
「まったく、このような話は、二度と他人には話さないように、と言わせなさい。このような色恋沙汰で、お身の上を過ち、世人に軽々しく顰蹙をおかいになることになりましょう」とたいそうご心配になった。

 

《大納言は、中宮の匂宮を懸念する話から、思いがけないことを話し始めました。彼女は浮舟事件の匂宮がらみの顛末を知っていたのです。

 そしてここでは「身を投げたようだ」ということまで語られてしまいました。情報は、宇治の「下童」が小宰相の実家にやって来て話したのだと言いますが、その小宰相がまた大納言に漏らし、その大納言が今度は中宮に漏らしてしまった、ということになります。

 この間の経緯について『講座』所収「都の薫」は、「小宰相」の薫への「裏切り」と言い、「薫の中宮・女一の宮世界における地位はそのような裏切りを許す程度のものでしかない」として、「源氏を畏怖し自ら命を縮めた父柏木と同じ立場にいたということではなかろうか」と言います。なるほどいかにも近代小説的な理解ですが、しかしここでは、中宮はまず薫について、匂宮への恨みも口にせず、世の無常を悲しんで仏の道に近づき、宇治の人々の不運を悲しむという理想的な対応を感心し、翻って匂宮の行状への懸念を語り、結局薫の高い評価を言っているわけです。

 『評釈』も、「小宰相の君は、薫を思っている。それで、薫の周囲に気をつけている。…薫が宇治に女を措いていることを知ると、その女について情報をえようとする」のだとして、むしろ小宰相の好意から出たものと言います。

なるほど、大納言に漏らしたのは、いささか危うく、軽率であったのかも知れませんが、結果的にはそれが中宮の好い評価につながったのですから、作者もまたそれをよしとして語っていると考える方がよさそうです。

つまりここでは薫は大いに株を上げたのであって、柏木とはまるで違った立場に置かれているのです。こういうところを見ると、『無名草子』の薫評価は、やはりほぼそのまま作者の意図に沿ったものと考える方がいいのではないでしょうか。

中宮は、薫は措いて、匂宮のためのフォローをしなくてはならない気持ちになるのです。》

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第六段 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く

【現代語訳】

お立ちになって、

「先夜のお目当ての人に会おう。先日の渡殿も心慰めに見よう」とお思いになって、御前を渡って西の方にいらっしゃるので、御簾の内の女房は特別に緊張する。いかにもたいへん姿よくこの上ない振る舞いで、渡殿の方では左の大殿の公達などがいて何か言っている様子がするので、妻戸の前にお座りになって、
「よく参上はいたしますが、こちらの御方にはお目にかかることもめったにございませんので、いつのまにか年寄りになってしまったような気持ちでございますが、今からは、と気を取り直しまして。不似合いな振る舞いだと、若い人たちは思うでしょう」と、甥の公達の方を御覧になる。
「今からお馴染みにおなりになるとは、確かにお若返りなされるでしょう」などととりとめもないことを言う女房たちの様子も不思議と優雅で、風情のあるこちらの御方のご様子である。特に用事ということはないが、世間話などをしながら、しんみりといつもよりは長居なさった。

姫宮はあちらにお渡りあそばしていたのだった。大宮が、
大将がそちらに参ったが」とお尋ねになる。お供して参った大納言の君が、
「小宰相の君に何かおっしゃろうとのことでございましょう」と申し上げると、
「真面目な方が、それでもやはり女性に思いを寄せて話をするのは、気のきかない人だったら困りますね。心の底も見透かされるでしょう。小宰相などはとても安心です」とおっしゃって、ご姉弟であるが、この君をやはり気になさって、

「女房たちも不注意に応対しないでほしい」とお思いになっている。
「どの女房よりも心をお寄せになって、局などにお立ち寄りなさるのでしょう。お話をしんみりなさって、夜が更けてお帰りになる時々もございましたが、普通のありふれた色恋沙汰ではないのでしょうか。宮をとても情けないお方と思って、お返事さえ差し上げないようでございます。恐れ多いこと」と言って笑うと、宮もにっこりあそばして、
「ひどく見苦しいご様子を、知っているのがおもしろい。何とかして、あのようなお癖を止め申したいものです。恥ずかしいね、そなたたちの手前も」とおっしゃる。

 

《中宮にしっかりと頼んでおいて、薫はおもむろに姫宮のところに向かいました。本来こちらが目当てなのですが、何とも自然に見える鷹揚な振る舞い方で、浮舟が宇治にいたころ出向いた折に、まずそこの僧たちに布施を与えるなど所用を済ませてから、やおら浮舟を訪ねたとき(浮舟の巻第三章第三段)のことを思い出します。

 「先夜のお目当ての人」は小宰相、「先日の渡殿」は女一の宮を隙見した渡殿、とされますから、二重の期待をもって行ったようです。

 薫のお越しとあって女房たちは緊張し、期待して待ち構えます。「たいへん姿よくこの上ない振る舞いで」おいでになった薫は、夕霧の子息たち(薫から見れば甥たち)に、これまた鷹揚に挨拶の言葉を掛けます。

 しかしその後が分かりません。「姫宮はあちらにお渡りあそばしていた」というのですが、「あちら」とは、諸注、明石中宮のところと言い、それならさっきまで薫がいたところです。中宮が「大将がそちらに参ったが」と訊ねたと言いますから、それまではそこにはいなかったわけで、薫が立ってから行き違いに中宮方に来たことになります。そんなことをどうしてするのか、何の説明もありませんし、手元の諸注もなぜか何も触れてくれません。

 ともあれ、そこで姫宮に付いて来た大納言が中宮に、薫の姫宮を訪ねた意図が、実はお傍の小宰相にあるようだという話をしたのでした。

 薫の目当てが小宰相だということで、あの人なら薫のお相手としても安心だと、彼女の評価がどんと上がりました。中宮は、そういうことなら、薫は今後しばしば出入りすることになろうと考えたのでしょうか、我が弟ながら(本当は違うのですが)、みっともないところは見せられないと、女房たちに注意を促します。

大納言はさらに、二人の関係は「普通のありふれた色恋沙汰ではない」と、浮ついたものではなく、ずいぶんまじめなものだと話したついでに、実は小宰相は匂宮君からも思いを寄せられているけれども、小宰相の方が宮の浮気をよく承知していて、「お返事さえ差し上げない」そうなのですよ、と「言って笑う」のでした。匂宮を袖にしているというのは、この人たちにとって痛快なことであるのでしょう。

とは言え、中宮は当の母親なのであって、その人にそういうことを言うのは、かなり危ないことではないのかと思われるのですが、中宮の大納言への信頼度がよほど高いのか、あるいはまた、そういう点では、匂宮も中宮からは独立した一人の若者として見えているのかも知れません。

女房が匂宮に厳しい対応をしてくれるのは、中宮にとってもありがたいことで、うまく行けば匂宮の行状にお灸をすえることにもなるかも知れぬ、くらいには思われたかも知れません。》

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第五段 薫、明石中宮に対面

【現代語訳】

 その日は過ごして、翌朝に大宮に参上なさる。いつものように、宮もいらっしゃった。丁子色に深く染めた薄物の単衣を、濃い縹色の直衣の下に召していらっしゃったのが、たいそう好い感じである。女宮のお姿が素晴らしかったのにも負けず、白く清らかで、やはり以前よりは面痩せなさっているのは、とても見栄えがする。似ていらっしゃると見るにつけても、まず恋しいのを、まことにけしからぬことと抑えるのは、何もなかった時よりもつらい。絵をとてもたくさん持たせて参上なさったが、女房を介して、あちらに差し上げなさって、ご自分もお渡りになった。
 大将も近くにお寄りになって、御八講が立派であったことや、昔の御事を少し申し上げながら、残っている絵を御覧になる折に、
「私の所にいらっしゃる皇女が、宮中を離れて、気を腐らしていらっしゃるのがお気の毒に拝されます。姫宮の御方からお便りもございませんのを、このように身分がお定まりになったので、お見捨てあそばされたように思ってすっかり心の晴れない様子ですので、こうした物を時々お見せ下さい。私がいただいて持って参りますのは、また張り合いのないものです」と申し上げなさると、
「変なこと。どうしてお見捨て申し上げなさいましょう。内裏では、近かったことで時々手紙のやりとりをなさったようですが、離れ離れにおなりになった時から、途絶えがちになったのでしょう。いずれお促し申し上げましょう。そちらからもどうして差し上げなさらないのですか」と申し上げなさる。
「あちらからはどうしてできましょうか。もともとお心に懸けていただけなかったとしても、こうして親しく伺候します縁にことよせて、お心を懸けてくださいましたら、嬉しいことでございます。ましてそのように親しくお手紙などおありであったのなら、今お見捨てになるのはつらいことでございます」と申し上げなさるのを、

「好色心があるのか」とは思いよりなさらないのだった。

 

《女一の宮を垣間見た日から一日措いて、薫はまた六条院に明石中宮を訪ねました。そこには匂宮が来ていました。彼も「一品の宮」(女一の宮・姉)のお側を慰め所としていらっしゃ」ったのでした(第一段1節)。

 その匂宮の美しさが姉一の宮に似ているのを見て、薫は「まず恋しいのを、まことにけしからぬことと抑え」るのがつらかった、と言いますが、弟を見てその姉を思う気持ち抑えるのがつらいほどに恋しく思ったというのは、「けしからぬ」以前に、少々異様な気がするのですが、どうなのでしょう。彼の心の奥に住み続けていた女性ではあるのですが、一昨日見て覚まされた思いに過ぎず、その思いの膨らみようはいかにも唐突に思われます。

 ということは、作者はここでどうしても薫にそういう気持ちを持たせたかったということなのでしょうが、その意味はとなると、それはこれからの問題です。

 匂宮は絵をたくさん持って来ていて、それを「あちら」(女一の宮)に差し上げようと女房に持たせて、自分もそちらに行ってしまいました。

残った薫は、中宮のお傍に寄って(「大将も」というのは、さっき匂宮がそうであったように、ということでしょうか)改めてご挨拶をし、匂宮が中宮のところに残して行った絵を一緒に見ながら、「姫宮」(女一の宮)からも妹二の宮に「こうしたもの」(手紙とか絵とか)をいただきたいものだと、それとなくお願いをしました。

「私がいただいて持って参りますのは…」は、それでは、いかにも自分がお願いしたということが明らかなので、中宮様からそっと姫宮様にお話しいただいて、あくまで姫宮様のご意志で御自身から直にお送りいただきたい、と言っているわけです。もちろんその方が、受け取った方からすれば、余計にありがたいでしょうから、こういう依頼は、中宮には、さりげなくよく気配りされた考えに見えます。

貴族社会の人間関係では、事柄は自然に平穏に進んで、その上で気の利いたものにならなければなりません。こうしたちょっとした配慮が、中宮から、そういう人としての評価を得させることになるでしょうし、また『無名草子』の作者を喜ばせたものだったのではないでしょうか。

もっとも、姫宮から妻に手紙をもらうことの薫の本当の目的は、それによって自分と姫宮との間に個人的接触の可能性を作るという、まったく別のよこしまな狙いがあったのですが、そんなことは中宮の思いもよらないことです。》

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第四段 薫と女二宮との夫婦仲

【現代語訳】

 翌朝、お起きになった女宮の御器量がとても美しくいらっしゃるように見えて、

「こちらよりも必ずまさっていらっしゃるというわけではない」と思いながら、

「まったく似ていらっしゃらない。驚くほど上品で、何とも言えなかったほどのご様子だ。一つには気のせいか、あんな場合だったからか」とお思いになって、
「ひどく暑いことだ。これより薄いお召し物になさい。女性は、いつもと違った物を着ているのが、その時々につけ趣があるものです」と言って、

「あちらに参上して、大弍に、薄物の単衣のお召し物を縫って差し上げよと申せ」とおっしゃる。御前の女房は、

「宮のご器量がたいそう女盛りでいらっしゃるのを、さらに引き立てようとなさる」と興あることに思っている。
 いつものように念誦をなさるご自分のお部屋にいらっしゃるなどして、昼頃にお渡りになると、お命じになっていたお召し物が、御几帳に懸けてあった。
「どうして、これをお召しにならないのか。人が大勢見る時に、透けた物を着るのは、はしたなく思われる。今は構わないでしょう」と言って、ご自身でお着せ申し上げなさる。御袴も昨日のと同じ紅色である。御髪の多さや裾などは負けないが、やはりそれぞれであるのか、とても同じようには見えない。氷を持って来させて、女房たちに割らせなさる。取って一つ差し上げなどなさる心の中でもおもしろくお思いである。
「絵に描いて恋しい人を見る人もいるではないか。ましてこの宮は、気持ちを慰めるのに似つかわしくないということのないご姉妹だ」と思うが、

「昨日このようにして、自分があの中に混じっていて、心ゆくまで拝することができたなら」と思うと、われ知らず溜息が漏れてしまう。
「一品の宮にお手紙は差し上げなさいますか」と申し上げなさると、
「内裏にいたとき、主上がそのようにおっしゃったので差し上げましたが、長いことそういたしてません」とおっしゃる。
「臣下におなりになったといって、あちらからお便りを下さらないのは、残念なことです。そのうちに大宮の御前で、お恨み申しておられます、と申し上げよう」とおっしゃる。
「どうしてお恨み申していましょう。嫌ですわ」とおっしゃるので、
「身分が低くなったからといって軽んじていらっしゃるようだと思われるので、お便りも差し上げないのです、と申し上げましょう」とおっしゃる。

 

《女一の宮を垣間見た印象は強く、翌朝、正室で妹の女二の宮を見ても、薫はその人の美しかったことが思い出されます。

 朝、顔を合わせた時、一瞬は、妻も負けないくらいに十分美しく見えたのですが、しかし見慣れてくると、やはり昨日の方のお姿の方が格段によかったように思えてきました。

 いや、待て、あれはあの場面がよかったのかも知れないと、妻に同じ場面を作ってみることにします。まず、着物をあの方のと同じ「白い薄物のお召物」(第二段)にしようと、「あちら」(三条の母・女三の宮邸)に、何と、新たに作らせるように命じます。

 その着物が、これまた何と、昼頃には届いていました。女二の宮が几帳に掛けて置いてすぐには着なかったのは、「透けた物」だったからでしょうか、薫は手づからそれを着せます。「御袴も昨日の(姫宮のもの)と同じ紅色」にします。しかしそれでも姉上のようには見えません。髪は? その豊かさ、裾の広がる感じなど変わらないのですが、やはり「とても同じようには見えない」のでした。

薫はさらにあの場面に合わせて氷を持って来させて、一かけらを差し出します。ひょっとして「いえ、持ちとうない。雫が嫌だ」(前段)とでも応えてくれるのではないか、そう思ったのでしょうか、差し出しながら薫は「心の中でもおもしろく」思った、と言いますが、いい年をして、ばかじゃないか、としか思えないのは、私だけでしょうか。

不思議なのは、こういうことを語る作者の口ぶりが、決して薫をからかって批判的に語っているのではなく、むしろ薫と同じ目線に立って、おもしろい趣向として描いているように読めることです。

 薫も(作者も)気が咎めたのか、絵に描いたのを見て慰めた人もあるのだからこういうことをしても不思議ではなかろうと弁解気味に言って、改めて妻を見るのですが、結局残念ながら姉宮には及ばないようです。

これはやはりもう少しご当人に近づくにしくはないと考えて、妻に姉宮宛の手紙を書かせて、せめてその返事に接しようと、「冗談めかして」(『集成』)妻を口説き始めました。

『評釈』が、この姉妹には「重大で決定的な違いがある」のだといって、「(姉の)女一の宮の母は、光る源氏の姫、明石の中宮でこの上なくけだかい」、しかし女二の宮にはその地が入っていない、と言い、だから当然姉宮の方が美しいので、そもそも比較にならないのだと言いたげに、これもまた大真面目に説明します。

なるほど、それは作者もそういう流れで語っているのかもしれないという気もしますが、大切なことは、薫にそう見えた、ということであって、実際にどちらが美しかったかなどいうことはあまり問題ではないでしょう。》

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第三段 小宰相の君、氷を弄ぶ

【現代語訳】

 無理して割って、それぞれの手に持っている。頭の上に置いたり、胸に当てたりなど、行儀の悪い恰好をする女もいるようだ。別の女房は、紙に包んで御前にもこのようにして差し上げたが、とてもかわいらしいお手を差し出しなさって、拭わせなさる。
「いえ、持ちとうない。雫が嫌だ」とおっしゃるお声をとてもかすかに聞くのも、この上なく嬉しい。

「まだたいへん幼くていらっしゃったころ、私も何も分からず拝見した時、何とかわいらしい姫宮か、と拝見したが、その後は、まったく姫宮のご様子をさえ聞かなかったが、どのような神仏がこのような機会をお見せになったのだ。いつものように心安からず物思いをさせようとするのであろうか」と、一方では落ち着かず、じっと見つめて佇んでいると、こちらの対の北面に住んでいた下臈の女房が、この襖障子は急ぎの用事で開けたままで下がって来たのを思い出して、

「人が見つけて騒いだら大変だ」と思ったので、あわてて入って来る。
 この直衣姿を見つけて、

「誰だろう」とびっくりして、自分の姿を見られることも構わず、簀子からずんずんやって来たので、とっさに立ち去って、

「誰とも知られまい。好色なようだ」と思ってお隠れになった。
 この女房は、
「大変なことだわ。御几帳をさえ丸見えに引き寄せていたのだわ。右の大殿の公達だろう。疎遠な方は、またここまでは来るはずがない。このことが知れたら、誰が襖障子を開けていたのかということが、きっと起こるだろう。単衣も袴も生絹のように見えた方のお姿なので、誰もお気づきになることができなかっただろう」と困りきっていた。
 あの方は、

「だんだんと道心も固まって来ていた心を一度踏み外してから、さまざまに物思いを重ねるようになってしまったことだ。その昔に出家してしまっていたら、今は深い山奥に住みついて、このような心を乱すことはないものを」などと思い続けなさるにつけても、落ち着かない。

「どうして、長年、お顔を拝見したものだと思っていたのであろう。かえって苦しいだけで、何にもならないことであるのに」と思う。

 

《当時の女房たちの酷暑の過ごし方が分かって面白いところとは言えますが、例によっての覗き見の情景で、ちょっと、いろいろな意味でまたかと思われます。

さてその女一の宮というのは、薫のかねてからのあこがれの人で、「都の薫」が挙げているように、宇治の八の宮が亡くなった後宇治を訪ねた薫が中の君を垣間見た時(四年前になります)に、その美しさに「女一の宮もこのようでいらっしゃるだろう」と思った、とあり、(椎本の巻末)、その後明石中宮の美しさに接した時も同じように思い出した(総角の巻第四章第二段)、という人です。

 薫は、ここでその女一の宮の姿を覗き見することができたのでした。幼い時の姿は見たことがあったのですが、今見ると、「どのような神仏が、…」という気さえします。彼のその憧れがどれほどのものであったかを思わせるところですが、それが同時に「心安からず物思いをさせ」られることになる、というのは、恋心の不思議さです。

ちょっと横道ですが、そもそも「恋う」は、目の前にいる人を恋うということはなく、離れていての思いを言うと思うのですが、そうだとすると、それは常に満たされない状態なのであって、つまり苦しみ以外の何ものでもないわけです。『辞典』が「『君に恋ひ』のように助詞ニを受けるのが、奈良時代の普通の語法。これは古代人が『恋』を…『異性ニ引かれる』受身のことと見ていたことを示す」と言います。「生まれる」も同様と思われますが、本来受身のものなら、どんなに苦しくても、引き受けるしかないわけです。

 さて、小宰相との話かと思って読んでいると、どうやらそうではなくて女一の宮の話になったようで、また、読者としては浮舟の話はどうなったのか、四十九日で終わりなのか、という気もしますが、しばらくは付き合うしかなさそうです。

 結局すぐに人がやって来たので、その場を離れなければならなかったのですが、見てしまったことで、改めて憧れが強まり、落ち着かない気持ちになってしまいます。

途中、女房の「右の大殿の公達だろう」というのは、「夕霧は、六条の院の主であるから、その子息はこの邸を自由にあちこちできる」(『評釈』)からのこと、また「単衣も袴も生絹」だった、というのは薫の衣服のことで、「生絹は軽くて衣擦れの音も軽い」(『集成』)ので、誰も気付かなかった、ということのようです。》

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