源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 薫の物語(一)

第八段 浮舟四十九日忌の法事

【現代語訳】

 四十九日の法事などをおさせになるにつけても、

「いったいどういうことになったのか」とお思いになるので、いずれにしても罪になることではないから、たいそうこっそりとあの律師の寺でおさせになった。六十人の僧のお布施など、大がかりに仰せつけになった。母君も参列して、お布施を加えた。
 宮からは右近のもとに白銀の壺に黄金を入れて賜った。人が見咎めるほどの大げさなことはおできになれず、右近の志として催したので、事情を知らない人は、

「どうして、このように」などと言った。

殿の家来どもで気心の知れた者ばかり大勢お遣わしになった。
「不思議なことに、噂にも聞かなかった方の法事を、こんなに立派にあそばす。いったい誰であろう」と、今になって驚く人ばかりが多かったが、常陸介が来て、わきまえもなく主人顔でいるので、変だと人びとは見るのだった。少将が子を産ませて、盛大なお祝いをさせようと大騷ぎし、邸の中にない物は少なく、唐土や新羅の装飾をもしたいのだが、限界があるので、まことにお粗末な有様だったのであった。この御法事が、人目に立たないようにとお思いであったが、様子がこの上ないものであったのを見ると、

「もし生きていたらどんなにかと、わが身に比べようもないご運勢であったのだなあ」と思う。
 宮の上も、誦経をなさり、七僧への饗応の事もおさせになった。

今になって、

「このような人を持っていらっしゃったのだ」と、帝までがお耳にあそばして、並々ならず大切に思っていた人を、女二宮にご遠慮申して隠していらしたのを、気の毒なことだとお思いになった

《「いったいどういうことになったのか」は、「あるいは生きているかもしれない、とも思う」(『集成』)ということで、薫は四十九日の法要を営むことにためらいもあるのですが、しかし「いずれにしても罪になることではない」と思うことにして、「あの律師の寺でおさせになった」のでした。

「たいそうこっそりと」は、正式の夫人ではないので、ということなのでしょう。

 そう言いながら「六十人の僧」と言いますから驚きで、さらに「大がかりに(原文・おほきに)」命じて、「家来ども」を「大勢お遣わしになった」とあって、いったいどっちだったのだと思ってしまいますが、つまり、これでも薫としては「たいそうこっそりと」であるというわけで、まあ、薫としては質素にやったつもりだけれども、物語における彼の立場に相応しく立派な法要になってしまった、というところでしょうか。やはりまだどことなくお伽話めいたところが抜けきらないようではあります。

 その法要には、常陸介も来ていました。彼は娘の出産を彼の総力を挙げて盛大に祝ったばかりだったのでしたが、その目で見るこの法要があまりに立派で、自分があれほど誇らしく思っていた祝宴が、この世界に置いてみると「まことに粗末な有様」だったのだと思い知らされ、してみると、あの娘(浮舟)は「わが身に比べようもないご運勢であったのだ」と思い至ったのでした。そのくらいには立派な法要だったのです。

 そのことはとうとう帝の耳にまで届いたのですが、帝は、かわいそうに薫は女二宮の手前を憚って、これまで隠していたのかと「お気の毒にとお思いになった」のでした。

つまり、帝公認のものとなったので、薫の浮舟事件は、源氏の御曹司が正室がありながら卑しい女を相手にしたというスキャンダルとはならず、むしろ「気の毒」な出来事として、一件落着の方に向かったのでした。》

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第七段 常陸介、浮舟の死を悼む

【現代語訳】

 あちらでは、常陸介がやって来て、立ったままで

「こんな時に、こうしておいでになるとは」と腹を立てる。このところ、どこそこにいらっしゃるなどと、ありのままに知らせることもしなかったので、

「みすぼらしい有様でおいでになろう」と思い、言ってもいたが、

「京などにお迎えになった後に、名誉なことで、などと知らせよう」と思っていたうちに、このような事になったので、今は隠すことも意味がなくて、生前の有様を泣きながら話す。
 大将殿のお手紙も取り出して見せると、権門の人をありがたがって、田舎者で何事にも感心する人なので、びっくりして怖れて、繰り返し繰り返し、
「まことにめでたいご幸運を捨ててお亡くなりになった人であることだ。私も殿の家来として、参上してお仕えしていたが、近くにお召しになってお使いになることはなく、たいそう気高く思われる殿だ。子供たちのことをおっしゃってくださったのは、頼もしいことだ」などと、喜ぶのを見るにつけても、

「まして、生きておいでになったら」と思うと、臥し転んで泣けてくる。
 介も今になって泣くのであった。

実際は、生きていらっしゃったならば、かえってこのような類の人をお尋ねになるようなことはなかったのだ。

「自分の過失によって亡くしたのもお気の毒だ。慰めよう」とお思いになったため、

「他人の非難は、こまごまと考えまい」とお思いなのであった。

 

《久々に常陸介の登場です。浮舟の母君である妻(中将の君)は、ここしばらく浮舟のことにかかずらって本宅を離れ、またその穢れに触れたということで、娘のお産もあったのですが、都に帰っても、ここ、三条の家に来ていました(第五段)。そこに介がやって来て、 妻が長いこと家を空けているので、そのことに腹を立てるのでした。

 母君は、浮舟の居場所を介には話していなかったようです。「このところ」は、原文が「年ごろ」で、年単位の話になっています。『集成』の年立てによれば、母君が浮舟を二条院に連れ出した(東屋の巻第二章第四段)のが去年の秋(何と、たった一年の間の出来事だったのです)ですから、それ以来まったく伝えていなかったということになりそうです。

 「みすぼらしい有様でおいでになろう」は、彼も彼なりに心配していたということでしょうか。この人は、品はありませんが、母君から見ると実はある人なのです(東屋の巻第二章第一段2節)。

 母君は、浮舟の顛末を話すことにしました。彼は義理の娘が右大将の思い人であって、その死によって息子たちの将来の世話の約束を得ていることを知って、その死の方には反応しないで、実に素直に、あるいは無邪気にと言うのでしょうか、大喜びです。

 母君は、その様子に改めて娘不憫さに泣くのですが、介はそれを見て「今になって」一緒になって泣くのでした。やはりいい人なのです。

 ここで、介が息子たちの将来が開けたことを知って喜ぶのを見て、母君が浮舟が生きていて一緒に喜べたならと嘆くのは、よく分かるとしても、「臥し転んで泣けてくる(原文・ふしまろびて泣かる)」というのは、いまさらちょっと唐突に大袈裟な、という気がして、しっくりこない気がします。

  ただ、それを『評釈』のように「ここでわが子の死をあらためて惜しんだ母の感覚は、…受領常陸の守の妻の感覚である」と見るのは多分間違いで、彼女はあの娘が生きていれば守の息子たちの出世がもっと確実だろうと思って泣いたのではなく、一族の中でのあの娘の価値がより高いものになったであろうに、と思って泣いたに違いありません。

 次の「実際は、生きていらっしゃったならば、…」の一文は、その一見差別的な言い方によって、しばしば薫の世俗性、上位者の無情さを批判したものと解されるようです(『源氏物語の世界』所収「薫大将の人間像」、『講座』所収「都の薫」―薫論(5)」など)が、しかし愛する者を失って初めて、それまで関心の向かなかったその周辺の人たちがいとおしく思われるという感覚は、十分考えられる気持ちで、ましてその死が自分のせいだと思うのであれば、その人たちのために尽力しようとするのは、その力がある人にとっては全く自然なことだという気がします。

従ってここは、「語り手の批判」(「都の薫」)ではなくて、それによってえこ贔屓が生まれることを世間の人が非難するのではないかと思いながら、「他人の非難は、こまごまと考えまい」と考えて、「恩恵と庇護」を与えようとする薫を純粋に称えている(と同時に、「薫の浮舟に対する愛の誠実」(「都の薫」)を伝えている)ところだと読みたく思います。

 ところで、初めの「常陸介がやって来て、立ったままで」は、原文が「立ちながら来て」と変な言い方です。

普通このように訳すようで、『評釈』が(『谷崎』も)そう訳して「母君は浮舟の死にあって穢れているというので、その穢れに触れないために、立ったまま」だったのだ、と言っていますが、それなら介はここにいる理由を承知しているはずなのですから、「『こんな時に、こうしておいでになるとは』と腹を立て」た、というのは変です。

あるいは、娘に子供が生まれて忙しい時に、そんな穢れなどは問題ではない、とかいうことがあるのかとも考えられますが、そうすると今度は「その穢れに触れないために、立ったまま」というのが変です。

 『集成』は「ちょっとやって来て」と訳しています。彼が妻の穢れのことを知らないでやって来たのなら、腹を立てたのも分かりますが、知らなかったというのも、変な気がします。というわけで、結局ここのところはよく分かりません。》

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第六段 浮舟の母からの返書

【現代語訳】

 そう厳重に慎まなくてもよい穢れなので、

「大して穢れに触れていません」などと言い繕って強いて招じ入れた。お返事は泣きながら書く。
「大変な悲しみにも死ぬことができません命を、情けなく存じ嘆いておりますが、このような仰せ言を拝見するためだったのでしょうか、と思います。
 長年、心細い様子を見ておりましたものの、それは一人前でない私のつたなさのせいであると思うことにしておりまして、恐れ多いお言葉を末長くご信頼申し上げておりましたが、甲斐のないことになってしまいまして、里の名の縁もまことに情けなく悲しく思われます。
 いろいろな嬉しい仰せ言に寿命も延びまして、もう暫く長生きしますならば、ずっとお頼り申し上げるであろう、と存じますにつけても、『目の前の涙(この先どうなるか分からないという悲しみの涙)』に暮れまして、おしまいまで申し上げ切れません」などと書いた。

お使いに、普通の禄では見苦しいときで、不満足な気もするにちがいないので、あの君に差し上げようと用意して持っていた立派な斑犀の帯や太刀のしゃれたものなどを、袋に入れて、車に乗る時に、
「これは故人のお志です」と言って、贈らせた。
 殿に御覧に入れると
「今さらしなくてもよいことをしたものだな」とおっしゃる。口上には、
「ご自身がお会いくださって、ひどく泣きながらいろいろなことをおっしゃって、幼い者たちのことまでおっしゃったのがまこともったいないのに、また一人前でもない身分の者にとってはかえってまことに恥ずかしく、誰にもどのような関係でなどとは知らせませんで、不出来な子供たちをも皆参上させましてご奉公させましょう、と言っておりました」と申し上げる。
「確かに見栄えのしない親戚付き合いではあるだろうが、帝にもその程度の身分の人の娘を差し上げなかったことがあろうか。それに、前世からの因縁で寵愛なさるのを、人が非難することであろうか。

臣下ともなれば、卑しい女やいったん結婚した女などをもっている例は多い。
 あの介の娘であったと人が取り沙汰しても、自分の取り扱いが、そのことで汚点とされるような形で始まったのならともかく、一人の子を亡くして悲しんでいる親の気持ちを、やはり娘の縁で面目を施すことができたと分かる程度に、配慮は必ずしてやろう」とお思いになる。

 

《いきなり「そう厳重に慎まなくてもよい穢れ」とあって、戸惑いますが、やはり「浮舟はこの家で死んだのではないから」(四段)ということのようです。母君はそのように「言い繕って」使者を引き留めて、悲しみと感謝の返事を書きます。

『評釈』が、「浮舟のあることは、母が八の宮という高貴の人とかかわって生きた証拠」であり、「母の誇り」であったので、「今やっと訪れた栄誉が、実は浮舟を失った悲しみと表裏となって出現したことに対する、いらだたしい思いに貫かれている」と言います。「いらだたしい思い」という言い方は、少し違うような気がしますが、悲喜交錯したやり切れない気持ちということでしょう。

 彼女は使者に禄として「あの君(浮舟)に差し上げようと用意して持っていた立派な斑犀の帯や太刀のしゃれたものなど」と渡しました。彼女にできる精一杯の感謝の印です。

 薫の「今さらしなくてもよいことをしたものだな」という言葉は、どういう意味でしょうか。「気を遣わせてしまったか」という気持ちとも思われますが、原文が「すずろなる」(「これという確かな根拠も原因も関係もない、とらえどころのない状態」・『辞典』)ですから、あまりいい意味ではないように思えて、迷惑な品だと言っているようにも見えます。今更浮舟の遺品をもらっても困るというようなことがあるのでしょうか。しかし、碌ですから大蔵大夫がもらうのでしょうが、…。

 あるいは、精一杯であることが明らかな「禄」を見ることで、自分が今後の厚い支援を約束したばかりに、これからずっと「見栄えのしない親戚付き合い」をしなくてはならなくなるということを改めて思って、後悔している、と、後の話に続く意味で言っているのでしょうか。それなら次に大夫の口上のあとにある方が自然な気がしますが、…。

 「親戚付き合い」というのは、手紙に「朝廷にお仕えなさるにつけても、必ず力添えしましょう」(前段)と書いたことを言うのでしょう。

 今後そういうことをすると、「当然、薫の女は、常陸の介の娘であったというふう評が立つであろう。(ということは)、…薫が常陸の介の婿だったということで、これは、薫にとってある意味で我慢のできない風評であろう」(『評釈』)と思われます。

 いかにも目配りの利いた(世間体を気にする)薫の考えそうなことですが、しかし、と彼は考えます。帝でもそういう低い身分の者の娘を迎えられたことがある(実際に受領の娘が入内した例がいくつかあるようです)のだから、大丈夫だろう。それに、「(浮舟とは)正式の結婚をしたわけではないから、女の身分を云々されても、自分の落ち度にはならない」(『集成』)だろうから、ここは、娘を亡くした遺族に面目を施させてやる方がいいだろう、…。

 こういうふうに、自分の社会的保身に注意を配り、一方で「恩恵と庇護の愛情」を与えるという考え方は、現代では、いかにも上から目線で、しかも非人情で打算的、何ともえげつなく鼻持ちならないことのように聞こえますが、さて、当時同じように感じられたかとなると、実は、そこはすでに確固たる上下関係のある社会であり、そこで立派な上位者たるには、下位者(男女を問わず)に対するそういう心配りが必須の、そして最上のことと考えられていた、というようなことはなかったでしょうか。

武家社会において命よりも名誉の方が重んじられたように、現代とは全く逆の価値観があっても少しも不思議ではありません。あるいは当時は、「恩恵と庇護の愛情」は、相手を個人として「リスペクトする」(どうして当節は「尊敬」「敬意」と言わないのでしょうか)以上に、大切なことだったかもしれない、などと思ってみたりします。

 もちろんこれはただの仮説(いや、思い付き程度)でして、そうであったことを示すような資料でもあると面白いのですが、到底私の探しうる範囲ではないのが残念です。》

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第五段 薫、浮舟の母に手紙す

【現代語訳】

 あの母君は、京で子を産む予定の娘のことによって穢れを騒ぐので、いつものわが家にも行かず、かりそめの旅寝ばかり続けて、思い慰む時もないので、

「また、この娘もどうなるのだろうか」と心配するが、無事に出産したのであった。

穢れているので近づくことができず、他の家族のことも考えられず、茫然として過ごしていると、大将殿からお使いがこっそりと来た。何も考えられない気持ちにも、たいそう嬉しく感動した
「あまりの出来事には、さっそくお見舞い申そうと存じてましたが、気持ちも落ち着かず、目も涙に暮れた心地がして、それ以上にどんなにか心が闇に暮れていらっしゃるだろうかと、暫く過ごしていました間に、いつのまにか幾日も経ってしまったことで。世の中の無常も、ますます呑気に構えていられない気がしますが、案外に生き永らえましたら、亡くなった方の縁者として、きっと何かの時には声をかけてください」などと、こまごまとお書きになって、お使いには、あの大蔵大夫を差し向けなさった。
「悠長に万事を構えて、幾年もたってしまったので、必ずしも誠意があるようには御覧にならなかったでしょう。けれども今から後は、何事につけても必ずお忘れ申し上げますまい。また、そのように内々にお思いおきください。幼いお子様もいると聞いていますが、朝廷にお仕えなさるにつけても、必ず力添えしましょう」などと、口頭でもおっしゃった。

 

《浮舟の母君は、宇治にいて川の音を聞くのさえ堪えられない気持ちで、京に帰って行ったのでした(第三章第二段)が、「浮舟はこの家で死んだのではないから」穢れはない(前段)とは言うものの、それは表に出せない話だったからでしょうか、「母君」の周辺では穢れを気にしているので、彼女は出産前の娘のいる介の家には寄りつけず、「旅寝ばかり続けて」いたと言いますから、「三条の小家にでもいるのであろう」(『集成』)と思われます。

 彼女はそこにいて、浮舟のことで「思い慰む時もない」ままでいながら、さらに身重の娘のことも案じていたのですが、「無事に出産」の報がありました。

となると今度はその様子も見たいのですが、それもならず、何もかもが思うにまかせず「茫然として過ごしている」と、そこに薫から使者が表れました。

彼女はそれだけでも「たいそう嬉しく感動した」のでしたが、使者には心優しい便りが託されていて、さらに今後への頼もしい支援も口頭で伝えられます。

登場人物たちは、いつも薫のこういう配慮を素直に喜んで、あるいは讃嘆して受け止めていて、決して「上流貴顕としての出処進退に筋道のとおった賢人」(前掲「薫大将の人間像」(第二章第六段)というような皮肉な見方をしていない、という点から見て、やはり作者は批判的な視点で描いているのではないと考えた方がいいように思います。

ところで、ここの使者は大蔵大夫だったのですが、これは薫が浮舟のために京に家を作っていることを匂宮に漏らした仲信(浮舟の巻第五章第三段)で、そのことは薫も承知しているはずですが、浮舟の死を知った時の、宇治への最初の使者にも充てられていました(第二章第一段)。

いかにも殊更この人を使っているように見えて、薫に何か意図でもありそうなので、『評釈』がその理由をいろいろに考えていますが、よく分かりません。ただ、それよりも、使者に充てられた大夫自身が、そういう関りについていろいろなことを思わされる道中だったことだろうと考えると、彼の微妙な立場が面白く思われます。それとも彼は全く何も知らないのかも知れない、とか…。》

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第四段 薫、宇治の過去を追懐す

【現代語訳】

「宮の上が言い出された、人形と名付けたのまでが不吉で、ひとえに自分の間違いで亡くした人だ」と考え続けて行くと、

「母親がやはり身分が軽いので、葬送もとても風変わりに、簡略にしたのであろう」と不満に思っていたが、詳しくお聞きになると、
「どのように思っているだろう。あの程度の身分の子としてはまことによくできた人を、隠していたことは必ずしも知ることができないで、私との間にどんなことがあったのだろう、と思っているであろう」などと、いろいろと気の毒にお思いになる。

穢れということはないであろうが、お供の人の目もあるのでお上がりにならず、お車の榻を召して妻戸の前で座っていらっしゃったのも見苦しいので、よく茂った樹の下で苔をお敷物として、暫くお座りになった。

「もはやここに来て見ることさえつらいことであろう」とばかり、まわりを御覧になって、
「 われもまた憂きふる里を荒れはてばたれやどり木のかげをしのばむ

(私もまた、嫌なこの古里を離れて、荒れてしまったら、誰がここの宿の事を思い出

すであろうか)」
 阿闍梨は今では律師になっていた。呼び寄せてこの法事の事をお命じ置きになる。念仏僧の数を増やしたりなどおさせになる。

「罪障のとても深いことだ」とお思いになると、軽くなることをするように、七日七日にお経や仏を供養するようになどこまごまとお命じになって、たいそう暗くなったのでお帰りになるのにも、

「もしも生きていたならば、今夜のうちに帰ったりしようか」とばかりお思いである。
 尼君にも挨拶をおさせになったが、
「とてもとてもただ不吉な身だとばかり思われ沈み込んでいまして、ますます何も考えられず、茫然として、臥せっております」と申し上げて出て来ないので、あえてお立ち寄りにならない。
 道中、早くお迎えにならなかったことが悔しく、川の音が聞こえる間はただもうお心が乱れて

「亡骸さえも捜さず、情けないことに終わってしまったことだ。どんな様子で、どこの川底に貝殻とともにいるのであろうか」などと、やるせなくお思いになる。

 

《思い返せば、中の宮は浮舟を、大君を思い出すよすがという意味で人形(ひとがた)と言ったのでした(宿木の巻第六章第三段)が、それはもともとは祓の時に水に流すもの、何と不吉な呼び方であったことかと思うのですが、しかしその後の成り行きは、自分がもっと早く手元に置けばよかったことで、悪いことをしたと、この人は、ひたすらに自分を反省する人です。

 そして母親については、彼女は匂宮とのことなどもちろん知る由もないのだから、きっと「私との間にどんなことがあったのだろう」と、不審を抱いていることだろうと、他人を思いやる人でもあります。

 「(屋敷に上がっても)穢れということはないであろうが」というのは、「浮舟はこの家で死んだのではないから」(『集成』)なのだそうですが、しかし供の者は他の場所で死んだなどとは思いもしませんから、それへの配慮で薫は家に入らず、外で過ごします。見回すと思い出多い場所ですが、そのどれもがつらい事ばかり、そして浮舟が亡くなった今、もうこの地を訪れることはないだろうと思うと、それら一切がなかったことになってしまうように思われて、感慨ひとしおです。

 もっとも、こういう死んだ人への意味のなくなった自責や、残された者への思いやりや、永訣への主観的な感慨をいだく薫を、多くの評者が、浮舟の苦悩に寄り添う姿勢がなく、例えば「すべては浮舟の『死』に出発し、それを条件として現出した情況」(『講座』所収「都の薫―薫論(5)」)であるとして、彼を俗物、冷たいと厳しく指摘するところでもあるようです。

 しかしそれは、あくまでも評者の物差しを前提に解釈された、無数にありうる薫観の一つであって、作者の書き方は、あくまでも薫の気持に寄り添い、そういう薫をよしとして語っているように思われます。同書は別に「失踪した浮舟に関わる薫のあり方が、いかに実直であり、衆人の感嘆するところであったとしても、浮舟の真実、したがって自分自身の真実と交わったとは言えず、薫は自分を失った者であった」とも言いますが、作者の語り口からは、そういう分裂した近代的人格を描こうとしているとは到底思われず、言わば普通に「衆人の感嘆するところ」に立って語っているというべきではないでしょうか。この物語は、「物語」なのであって、小説ではないのです。

 薫は、浮舟の供養のための法事を立派に行うように細かく言い置いて、折り返して帰って行きます。弁の尼にも声を掛けようとするのですが、尼の方が辞退するので、立ち寄らないことにしました。これらも彼の細かな心遣いですが、作者からすれば、あるいは愁嘆の場の重複を避けたのかも知れません。その代わりに、でしょうか、薫の内心の悲哀を語って、この場面を閉じます。》

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