源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 浮舟の物語(二)

第六段 人は非情の者に非ず

【現代語訳】

「ひどくご執心であったな。まことにあっけなかったが、やはりよい運勢だったのだ。今上の帝や后があれほど大切になさっていらっしゃる親王で、顔かたちをはじめとして、今の世の中には他にいらっしゃらないようだし、寵愛なさる夫人も並一通りでなく、それぞれにつけてこの上ない方をさしおいて、この人にお気持ちを尽くし、世間の人が大騒ぎして、修法、読経、祈祷、祓いとそれぞれの道で騒ぐのは、この人にご執心であったためのご病気であったのだ。
 自分も、これほどの身分で今上の帝の内親王をいただきながら、この人がいじらしく思われることでは宮に負けていようか。まして今は亡き人かと思うと、心の静めようがないことだ。とはいえ、愚かしいことだ。こんなふうではいまい」と我慢するが、いろいろと思い乱れて、「人木石にあらざればみな情けあり」と、口ずさんで臥せっていらっしゃる。
 後の葬送なども、ひどく簡略にしてしまったのを、

「宮におかれてもどのようにお聞きになろうか」と、お気の毒であっけない気がして、

「母が普通の身分で兄弟のある人はなどと、そのような人は言うことがあるというのを思って、簡略にしたのだっただろう」などと、気にくわなくお思いになる。
 不審なことも限りがないので、その時の実際の様子を自分でも聞きたくお思いになるが、長い忌籠もりをなさるのも不都合であるし、行くには行ってもすぐ帰るのは心苦しい、などと、ご思案なさる。

 

《薫は邸に帰って一人思いを巡らします。

 そこで一番に思ったのは、匂宮の執心が本物らしいということへのちょっとした驚きでしたが、次に思ったのは、なんと、そのことに対して、自分のことは差し置いて、その匂宮のような高貴な人にあれほどの「ご執心」をいただいた浮舟は「やはりよい運勢だったのだ」ということでした。

 普通なら裏切られたことへの恨みや怒り、悔しさがわきそうなところですが、そうはならずに、自分も浮舟を思う気持ちでは負けていないのだ、と今更ながらの妙な張り合い方をします。そしてすぐに「とはいえ、愚かしいことだ」とあっさり引き上げる姿勢です。

 すでに亡くなってしまった人だということがそういう思いを抱かせるのでしょうか。

 もちろんそう簡単に引き上げてしまうことはできず、思いは乱れます。彼は我が心を鎮めようと「人木石にあらざればみな情けあり(人は木や石ころではなく皆こころがある)」と言い聞かせます。

一見自分だって浮舟の死を悲しく思っているのだ、と言っているようですが、この詩の次の句は「如かじ傾城の色に遇はざらんには(いっそ美人にぶつからない方がいいのだ)」(訳は『評釈』)で、薫の心はこちらにあり、やはり引き上げの姿勢です。

彼は、匂宮のように悲しみを発散させるのではなくて、問題を自分のうちに処理をしようとしているようです。それはあるいは「出生事情からの劣等意識」(前段)が原因かも知れませんが、ただ、そのことが語られるのは、彼の少年時代においてだけ(匂兵部卿の巻第二章第二段)で、その後は語られることがありませんでしたから、作者がそういうふうに考えていたとは考えにくい気がします。

それよりも、仏道に志したまじめな人(それは当時の最高の美徳であったわけですが)として造形されているのではないでしょうか。

ともあれ、浮舟が「よい運勢の女であった」と思うことで、薫はすべてを穏やかに収めようとしているようです。

薫は、いろいろと気にかかり知りたいこともあるので宇治に行きたく思うのですが、行けば死の穢れを受けるので「忌籠り」(三十日間)をしなければなりません。身分柄、それは無理であり、といっても死穢に触れないように立ったままの訪問で帰るのはさすがにあまりに「心苦しい」、思案のままに時が経ちます。

こうした薫について論じた『源氏物語の世界』(秋山虔著)所収「薫大将の人間像」を、この頃見つけました。

そこでは、薫が浮舟を「独占」しえなかったのは、普通「薫の温和な反省的非行動的な気質から」であると言われるが、それだけではなく、「(薫にとって)浮舟はあまりに片々たる存在」であったからではないか、と言い、薫にとって社会的地位がどれほど大切なものとされ、彼がそれを守ろうとしてどれほど世間体に気を配っていたか、ということが縷々語られています。

つまり、薫の愛は愛ではなく「上から見下した恩恵と庇護の愛情」(同書)であって、社会的地位を守ろうとするために、浮舟に相互の敬愛による心底からの愛情を持ち得なかったのだと言っているようです。

しかし、私は、以前にも触れましたが、あの『無名草子』の薫に対する全面的讃嘆がどうにも気になります(浮舟の巻第六章第四段)。

当時、「上から見下」すのではなく、相互に人格を敬愛することで初めて成り立つような愛情観は、男女が対等であるなどとは想像もできなかったという時代の制約上、作者も、また誰も、想像しえなかったのではないでしょうか。

もちろん当時の現実社会においては、そのような愛情も、どこかの男女の間に、そういう「観」としては意識されないままに、存在はしていたことでしょう。しかし、物語の中には、「観」がなければ、書けないでしょう。

作者が想像し得る最も美しい愛情は、女性にとって、結局源氏が紫の上に示した愛情であって、それは絶対的男性支配の社会にあって、可能な限り男女の格差を縮めたものでしたが、それでも結局対等の敬愛からなる愛情ではあり得ませんでした。

そしてその光源氏がお伽話になってしまった薫の時代では、匂宮の愛情(薫の大君への思いも、多分結局はそれと軌を一にするもので、だからこそ大君はそれを拒否したのでしょうが)に対峙し得る理性的愛情は、浮舟に向かう薫のような形、「光源氏の、その小型な変型ともいうべき」、現代から見れば源氏の時よりもいささか露骨な「恩恵と庇護」に見える愛情、というスタイルしか想像できず、それは当時にあっては十分に「愛情」でありえたのではないでしょうか。現に浮舟はそういう薫に何の不足も感じておらず、彼に向かうのが本来あるべき自分の姿だと頭では考えていたのです。

そう考えると、作者が繰り返す薫の世間体への顧慮は、彼の「世俗性」(同書)を批判的に指摘しているのではなくて、むしろかれの思慮深さを称揚しているのではないか、そして「恩恵と庇護の愛情」は、現在の私たちが考えるよりもずっといいものとして受け止められていたのではないか、とも思えるのです。

そして一方で、浮舟の匂宮への愛は、決して愛の賛歌ではなくて、『無名草子』が言うように、思慮浅い若い娘の過ちと考えられていた、と考えるのが妥当なのではないでしょうか。》

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第五段 薫、匂宮と語り合う

【現代語訳】

 だんだんと世間の話を申し上げなさるうちに、

「まったく隠しておくこともあるまい」とお思いになって、
「昔から、胸のうちに秘めて少しも申し上げなかったことを残しております間は、ひどくうっとうしくばかり存じられましたが、今はなまじいに身分も高くなりましたし、私以上にお暇もないご様子でのんびりとしていらっしゃる時もございませんので、宿直などにも特に用事がなくてはお伺いすることもできませんままに、何となく過ごしておりました。
 昔、御覧になった山里に、あっけなく亡くなった方の同じ姉妹に当たる人が意外な所に住んでいると聞きまして、時々逢いもしようかと存じておりましたが、折あしく世間の人の非難もきっとあるような時でしたので、あの山里に置いておきましたところ、あまり行って逢うこともなく、また一方、その人も、私一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうかと見ておりましたが、れっきとした重々しい扱いをいたす夫人ならともかく、世話するのには格別の問題もございませんで、気楽でかわいらしいと存じておりました人が、まことにあっけなく亡くなってしまいました。すべて世の中の有様を思い続けますと、悲しいことです。お聞き及びのこともございましょう」と言って、今初めてお泣きになる
 自分でも、

「本当にこんな様子はお見せ申すまい。馬鹿らしい」と思ったが、いったん流れ出しては止めがたい。態度がやや取り乱しているようなので、

「いつもと違っている、気の毒だ」とお思いになるが、平静を装って、
「まことにお気の毒なことというふうに、昨日ちらっと聞きました。どのようにお悔やみ申し上げようかと存じながら、特に世間にお知らせなさらないことと、聞きましたので」と、さりげなくおっしゃるが、とても我慢できないので言葉少なでいらっしゃる。
「お相手に適当な方としてお目にかけたいと存じておりました人でした。自然とそのようなこともございましたでしょうか、お邸にも出入りする縁故もございましたので」などと、少しずつ当てこすって
「ご気分がすぐれないうちは、つまらない世間話をお聞きになってお驚きになるのも、つまらないことです。どうぞ大事になさってください」などと、申し上げ置いて、お帰りになった。

 

《匂宮の「(こちらを)じっと見つめていらっしゃる」(前段)様子に、薫は、宮を何かもの言いたげだというふうにでも思ったのでしょうか、浮舟の話をする気になりました。どう話すかは難しいところですが、彼は長い前置きから話し始めました。言おうとするところは、前からいつか話そうと思っていた、ということのようで、それは話の終わりの「お相手に適当な方としてお目にかけたいと存じておりました」につながる気持なのでしょう。

 そして、さりげないふうに最も初めの、二人に了解し合える、宇治に二人で通ったころのことから話し始めました。

 「折あしく世間の…」は、女二の宮との婚儀があったころのことで、婚儀は去年の二月末、宮が薫の三条邸に移ったのが四月初め、そして薫が浮舟を宇治に隠したのが同じ年の九月半ばです。新婚半年の頃ですから、微妙ではありますが、一応「あまり行って逢うこともなく」の言い訳にはなるでしょう。

 しかし、そう言っておいて、彼は「私一人を頼りにする気持ちも特になかったのであろうかと見て」いたと、いきなりずばりと匂宮への嫌味で、宮を窺います。なかなかうまい話の持って行き方です。

しかし彼にはその嫌味は、同時に彼自身のこの出来事に対するすべての思いを改めて目覚めさせるものでもあったのでしょうか、話しながら次第にこみ上げてくるものがあったようです。それは、浮舟についての恋しさ悲しさと、さらには自身の手抜かりに対する無念、そしてもちろん匂宮に対する恨めしさ悔しさ、などなどが錯綜する、名状しがたい悔いだったでしょう。

そしてまた、彼の言う「世の中の有様」は、「姫宮に死別し、中の宮を求め、さらに浮舟に行きついた薫の心が、いままた浮舟の死に会うという我が運命にたちはだかる不吉な抵抗」を思っての言葉と『評釈』が言います。

言い終わって涙がこみ上げ、止まりません。ここの「今初めてお泣きになる」についても、薫の浮舟への薄情を批判した作者の言葉だとする考え方もあるようですが、もちろんそうではなくて、彼がいかに多くの配慮で自分を抑えて来たかということを言っているのでしょう。

匂宮はさすがに「気の毒だ(原文・いとほし)」と思って、慰めの言葉とともに、自分から悔やみを言うことを控えたことの断りをします。「平静を装って」、「さりげなく」(いずれも原文は「つれなく」です)は、もちろん自分への当てこすりに気付かないふりです。

薫は「お相手に適当な方として…」とさらに激しく思える言葉を、しかし静かな調子で返します。

『評釈』が「この言葉は、これ以上の残酷さはないと思われるほどの、浮舟に対する憎しみと、匂宮への皮肉を含んでいる」と言い、また最後の、「ご気分がすぐれないうちは…」についても、「『あなたの御病気は、浮舟の嘆き故らしいが』と言ったのである。自制心の強い人が、その自制を越えて出てくる言葉はまた、恐ろしいものである」と言います。

 それはたいへんスリリングで面白い読み方ですが、しかし、そう読むには「少しずつ当てこすって(原文・すこしづつけしきばみて)」とあるのがどうも気になります。これは薫がそういう激しい思いで言っているのではないことを示しているのではないでしょうか。

 『光る』が「薫という人は、光源氏が柏木を呼んで一言言ったりしたときの鋭さがもともとない人間なんです。…(彼には)出生事情からの劣等意識がある。だから…ほんとに相手を粉砕するほどに怒りや憤りをぶつけることはできない」と言いますが、ここの「少し」という言葉は、確かに作者のそういう人物造形を意図を表しているように思われます。

 そして、それは次の段でもう少しよく表れている、と言えるかもしれません。》

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第四段 薫、匂宮を訪問

【現代語訳】

 宮のお見舞いに毎日参上なさらない方はなく、世間の騷ぎとなっているころ、

「大した身分でもない女のために閉じ籠もって、参上しないのも変だろう」とお思いになって参上なさる。
 そのころ、式部卿宮と申し上げた方もお亡くなりになったので、御叔父の服喪で薄鈍でいるのも、心中しみじみと思いよそえられて、ふさわしく見える。少し顔が痩せて、ますます優美さがまさっていらっしゃる。

お見舞い客が退出して、ひっそりとした夕暮である。
 宮は、すっかり寝こんでいるというほどではないお加減なので、疎遠な客にこそお会いにならないが、御簾の内側にもいつもお入りになる方にはお会いなさらないわけでもない。顔をお見せになるのも何となく気がひけるし、お会いなさるにつけてもますます涙が止めがたいことをお思いになるが、気持ちを抑えて、
「大したひどい病気ではございませんが、誰もが用心しなければならない病状だとばかり言うので、帝にも母宮にも、御心配下さるのがとても心苦しく、まことに世の中の無常をも心細く思っております」とおっしゃって、押し拭ってお隠しになろうとする涙が、そのまま防ぎようもなく流れ落ちたので、たいそう体裁が悪いが、

「必ずしも気がつくわけでもあるまい。ただ女々しく心弱い者のように見るだろう」とお思いになるが、

「そうであったのか。ただこの事だけをお悲しみになっていたのだ。いつから始まったのだろうか。自分を、どんなにも滑稽に物笑いなさるお気持ちで、この幾月もお思い続けていらっしゃったのだろう」と思って、この君は悲しみはお忘れになっているのを、
「何とまあ薄情な方であろうか。物を切に思う時は、ほんとこのような事でない時でさえ、空を飛ぶ鳥が鳴き渡って行くのにつけても涙が催されて悲しいのに、私がこのように何となく心弱くなっているのにつけても、もし真相を知ったら、それほど人の悲しみを分からない人ではないのに、世の中の無常を身にしみて思っている人は冷淡でいられることよ」 と、羨ましくも立派だともお思いになる一方で、女のゆかりと思うとなつかしい。この人に向かい合っている様子をご想像になると、「形見なのだ」と、じっと見つめていらっしゃる。

 

《匂宮に物の怪でも着いたらしいという噂に、「毎日(見舞いに)参上なさらない方はなく」、そうなると薫も行かなくてはなりません。

「大した身分でもない女のために閉じ籠もって」という言葉には驚きますが、言い方はともかく、私情よりも社会習慣を上位に考えるべき宮仕えの身からすれば、男らしい立派な決意だとも言えます。「女々しく心弱」く私情そのままに振舞えるのは、特別な地位の人なのです。

 「式部卿宮」は紫の上の父もそう呼ばれていましたが、もちろん別の後の人で、『集成』は、かつて薫との縁組を考えたことがある(東屋の巻第二章第一段2節)という人だと言います(ただし、『評釈』は、ここに「初出」としています)。その人が亡くなり、薫の叔父に当たる人だったので、薫は今喪服を着ているのでした。彼は浮舟のために「表立って喪に服することはできない」(『集成』)身で、折よくというのも変ですが、「心中しみじみと思いよそえられて、(彼自身)ふさわしく見える」のでした。こういう感じ方は、芝居気取りのいい気な独りよがりと咎められそうですが、悲しみを秘めて已むを得ず人中に出なくてはならないときに、まったく何ごともないふうに振舞うのは、悲しみの対象の人に不義だとも思われて、それを避けられて少し気持ちが楽になるというのは、それもまた対象の人へのせめてもの思いであるのです。次の「少し顔が痩せて…」が、作者はそういう感じ方を了としていることを表しているように見えます。

 さて、匂宮との対面ですが、双方とも、ずいぶん気まずい対面です。匂宮の「何となく気がひける」と「ますます涙が止めがたい」が同居する気持ちは、理屈としては分かりますが、実際はなかなか同居しがたいような気がします。

 宮は、薫が自分と浮舟とのことを気付いているとは知りませんから、自分の涙を薫はただ病気で気が弱くなっているせいだと思うだろうと考えています。

 その薫は宮の涙を見て、改めて浮舟とのつながりの深さを確信して、自分の愚かさを思い、宮への恨めしさを思って、百年の恋も冷めるような気持ちです。

 それを見て宮は、自分がこれほど悲しい思いでいるのに、普段通りに冷静そうに見える薫に、「何とまあ薄情な方であろうか」と思うのですが、そういう悲しみを招いたのがほかならぬ自分であることにまるで思い至らず、かえって薫を浮舟の形見だと「じっと見つめて」いるという何とも図々しく、あきれた無神経ぶりです。
 もっとも、そう考えるのは現代の私たちで、作者はこの匂宮を図々しく無神経な男として描こうとしたのではないでしょう。
『評釈』は「匂宮は、恋しいときには恋に溺れ、悲しいときには悲しみにくれる。それは我儘であると同時に純粋である」と言います。
 が、恋のさなかにある時の「純粋」は恋という病気の一環としてそれなりに美しいものと言えても、こういう場面でのこの「純粋」は、幼児ではないのですから、あまり好ましい「純粋」ではないように思われます。

 さらに『評釈』は一方で、薫を「こんな自分の姿は、ばかに見えるのではないかと思ってしまう。これでは、悲しみを純粋に悲しむことはできない」と言いますが、間男をされた当のその男の前で、そのために死んだ恋人の死を純粋に悲しむような男がいるとしたら、その方がよほど異様に思われるでしょう。

 あるいは、ここで匂宮と薫が手を取り合って泣くというような、時代遅れの青春漫画のような場面が期待されているのでしょうか。しかし作者はもはやそういうお伽話を信じてはいないのです。》

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第三段 匂宮悲しみに籠もる

【現代語訳】

 あの宮はまた宮で、まして二、三日は何も考えることができず、正気もない状態で、

「どのような御物の怪であろうか」などと騒ぐうち、だんだんと涙も流し尽くして、お気持ちが静まるとかえって、生前のご様子が恋しくつらく思い出されなさるのであった。

周囲の人には、ただご病気が篤い様子ばかりに見せて、

「このようなわけのわからぬ涙顔でいる様子を見せまい」と、上手に隠しているとお思いになったが、おのずと明らかなので、
「どういう事にこんなにお心を乱され、お命も危ないまでに嘆き沈んでいらっしゃるのだろう」と言う人もいたので、あちらの殿におかれても、とてもよくこのご様子をお聞きになると、

「そうであったか。やはり、単なる文通だけではなかったのだ。御覧になっては、きっとそのようにお思いになるに違いない人だ。もし生きていたら、普通の場合以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」とお思いになると、恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった。

 

《一方匂宮の方は、「まして二、三日は何も考えることができ」なかったと言います。薫以上に、という読み方が一般のようですが、それは必ずしも愛情の本気度を言うのではなく、この人の人柄がそういうふうに主情的な人だったということでしょう。

 薫と違って、この人は自分が浮舟に苦悩を与えてしまったということについては、何の反省もありません。この点では源氏とよく似ていて、「私がルールブックだ」というような、決定的な身分上の特殊性を持つ人にはありそうなことですが、もちろんそれも、その人の個性に拠ることではあるのでしょう。

 その「正気もない」様子に、周囲は一体何ごとがあったのかと案じるのですが、さすがにその内に宮の涙も枯れてきます。そうすると、改めて浮舟不在の喪失感がじわじわと感じられてきます。

 そういう彼でも、いや、そういう彼だからこそでしょうか、一人の女性のために嘆き悲しむ姿を人に見せることは、容認できません。自分の悲しみを「上手に隠しているとお思いにな」るのですが、身近で目ざとい女房の目には隠しきれるはずもなく、どうも御病気だけでなくお悲しみになっていることがあるようだという様子だということが「おのずと明らか」なので、その情報はまた自然と薫のところに届きます。薫は、やはり文通だけではなかったのだと確信します。

 しかしそこで宮に対して憤りとか何かを思う前に、「他人の関係以上に、自分にとって馬鹿らしい事が出て来るところだった」と思ったというのが、彼たる所以で、「叔父甥の間柄だけに、自分も恥を晒すことになるのだった」(『集成』)という、リアリストの思いです。一方で、匂宮と競ったら勝てないし、競う気もないと思っているということのようにも聞こえます。

そこで『評釈』は、「つまり、薫は、匂宮と敵対関係になることを恐れたのである。そして、浮舟の死が、そのことを救ってくれたと思うとき、どこかで浮舟の死を悲しむ胸の苦しさが、幾分は薄らぐ思いがするのである」と言います。「恋い焦がれる気持ちも少しは冷める気がなさった」のです。

作者は、殿方の中の情のお方は自分のことしかお考えにならない、思慮の方の愛は割り切りがお早いと、そう言っているように見えます。》

 ※ 昨日は都合で休載しました。また、今日から書き継ぎます。

  

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第二段 薫の後悔

【現代語訳】

 殿は、やはり、実にあっけなく悲しいとお聞きなるにつけても、
「つらい土地であることだ。鬼などが住んでいるのだろうか。どうして今までそのような所に置いておいたのだろう。思いがけない方面からの過ちがあったようなのも、こうして放っておいたので、気楽さから、宮も言い寄りなさったのだろう」と思うにつけても、自分の迂闊で世慣れしない心ばかりが悔やまれて、お胸が痛く思われなさる。

御病気いらっしゃる折に、このような事件でご困惑なさっているのも不都合なことなので、京にお帰りになった。
 宮の御方にもお渡りにならず、
「大したことではございませんが、不吉な事を身近に聞きましたので、気持ちが静まらない間は縁起でもないので」などと申し上げなさって、どこまでもはかなく無常の世をお嘆きになる。

生前の姿形がまことに魅力的で、かわいらしかった雰囲気などが、たいそう恋しく悲しいので、
「生きていた時には、どうしてこのようにも夢中にならず、のんびりと過ごしていたのだろう。今では、まったく気持ちを静めるすべもないままに、後悔されることが数知れず、このような事につけて、ひどく物思いをする運命だったことだ。世間の人と異なって道心を志した身が、思いの外に、このように普通の人のようなままでずっと過ごしているのを、仏なども憎いと御覧になるのだろうか。人に道心を起こさせようとして、仏がなさる方便は、慈悲をも隠して、このようになさるのであろうか」と思い続けなさりながら、ひたすら勤行をなさる。

 

《薫は、使いの大夫から話を聞いて、まずは改めて浮舟のあまりにあっけない生涯を悲しみます。

 そして次に、普通ならもう少し具体的な事情を知りたいと思いそうなところだと思うのですが、彼は「つらい土地であることだ」と、運命論的な方に思いを致します。「世を宇治山と人は言ふなり」(『古今集』983)の歌を意識しての言葉で、彼はここですでに大君を亡くし、今また浮舟を亡くしたことで、自分とこの宇治の地の不幸なかかわりを思うのです。大君を失ったこの地に浮舟を置いたというのは何という迂闊か、というのが、彼の嘆きです。

 こういう感じ方を『評釈』は「おそらく、薫は浮舟に対して根本的な愛情を持っていないのであろう。…宇治の姫君の身代わりとして、宇治においておこう、というのは、浮舟をおもちゃとして扱っていることだ」と厳しく言いますが、「根本的な愛情」などという近代的な愛情観は当時普通には考えられなかったことなのではないかという気がする、ということは以前書きました(浮舟の巻第六章第四段)。 

 『評釈』の言うところに従えば「形代としての愛情」に過ぎないということになるでしょうか、しかし、そういう愛情の底に細いながら一筋流れる思いやりや慈しみの気持が「根本的な愛情」とは違うものだというような見方は、当時はなかったものではないかという気がするのです。

 源氏と紫の上の間にあった愛情は、当時の人の考えうる愛情の最上のあり方だったのではないかと思われますが、それでも特に晩年においては、紫の上にとっては源氏の身勝手に対する従属の関係を免れず、苦しみでしかありませんでした。そしてそれでさえ今の作者にとってはお伽噺になっているでしょう。

 今、薫は、ひたすら誠実に自分を責めます。そしてついには、これは、自分の仏道精進のために仏がお与えになった試練なのではないかとさえ考えて、「ひたすら勤行をなさる」のですが、それを作者は好しとしているのであって、少なくとも、そんなこの男は「根本的な愛情」を持ってはいなかったのだと語っているのでは、決してないように思われます。

 そしてさらに言えば、こういう源氏や薫の愛情を当時における「根本的な愛情」ではないというのであれば、匂宮の愛情はいわば愛欲に過ぎないのですから、すべては男のエゴイズムによる女の悲劇ということになってしまって、この物語は愛の物語としての存立基盤を失うことになるのではないでしょうか。

 さて、分を越えた大言壮語は措いてお話しに戻りますと、薫のひたすら勤行する姿は、紫の上を失った嘆きに沈む源氏の姿に重なります。もちろん多くは年齢によるであろう、彼の未熟感は覆うべくもありませんが。》

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