【現代語訳】
身軽な者は、すぐに行き着いた。雨が少し降り止んだが、難儀な山道を粗末な身なりで、下人のような恰好で来たところ、人が大勢立ち騒いで、
「今夜、このままご葬送申し上げるのだ」などと言うのを聞く気持ちも、呆れる思いである。右近に案内を乞うたが、会うことはできず、
「ただ今は、何も分かりません。起き上がる気持ちもしませんで。それにしても、今夜を最後としてこのようにお立ち寄りになるのでしょうのに、お話しできないことです」と言わせた。
「そうは言っても、このように事情もはっきり分かりませんでは、どうして帰参できましょう。せめてもうお一方にでも」と切に言ったので、侍従が会ったのであった。
「ほんとうにびっくりして、お思い寄りもなさらない様子でお亡くなりになったので、悲しいと言うにも、どこまでも夢のようで、誰も彼もが途方に暮れていますことを申し上げてくださいませ。少しでも気分が落ち着きましたら、日頃、物思いなさっていた様子や、先夜、ほんとうに申し訳なくお思い申し上げていらっしゃった有様などを、お話し申し上げましょう。この穢など、世間の人が忌む期間が過ぎてから、もう一度お立ち寄りください」と言って、泣く様子はまことに大変である。
《「下人が退出するのさえ、注意して調べる」(前段)と案じていた宇治の邸ですが、さすがに匂宮に見込まれただけあって、時方は「すぐに行き着いた」のでした。
時方は、今夜葬儀だと聞いて、まさかとおもっていたのに、やはり本当だったのか、と「呆れる思い」です。
まず右近に面会を求めますが、この人は、すべての事情を知ったうえで最も身近で親身に世話をしていたので、その主人の死に呆然として、今、人に会うどころではない気持ちのようでした。
代わりに侍従が会うことになりました。この人は匂宮贔屓の人で、いささかミーハー的な人でもあります(浮舟の巻第六章第六段)から、浮舟の様子を宮ゆかりの人に語りたい気持ちもあったのでしょう。
「思い寄りもなさらない様子でお亡くなりになったので(原文・おぼしもあへぬさまにて亡せたまひにたれば)」の「おぼし」の敬意は、匂宮へと浮舟へと二説あるようで、どちらにも意味がありそうです。
匂宮へとすると、宮のご想像も及ばないような、という意味、「おぼしもあへぬ」が家を抜け出して自殺するなどという、貴族にとってはそら恐ろしい大それた振舞いだったことをほのめかす形になります。
浮舟へと考えると、彼女自身こういう形で命を終えることなど想像もしていなかった、当人にとっても不本意な、運命に突き動かされ追い詰められての死であったことを言うことになるでしょう。》