源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 浮舟の物語(一)

第七段 侍従ら真相を隠す

【現代語訳】

 大夫や内舎人など、怖がらせ申し上げた者どもが参って、
「ご葬送の事は、殿に事情を申し上げさせなさって日程を決められて、きちんとしたことをして差し上げるのがよいでしょう」などと言ったが、
「特別に、今夜のうちに行いたいのです。ごくこっそりと、と思っているわけがありますので」と言って、この車を向かいの山の前の野原に行かせて、人も近くに寄せず、この事情を知っている法師たちだけで火葬させる。まことにあっけなくて、煙は消えた。

田舎者たちは、かえってこのようなことを仰々しくして、言忌などを深くするものだったので、
「まことにおかしなふうで、きまりの作法など、いろいろすることもなさらずに、いかにも下々の者のように、あっけなく済ましてしまわれたことよ」と非難すると、
「兄弟などのいらっしゃる方は、わざとこのように京の方はなさるそうだ」などと、いろいろと感心しないと言うのであった。
「このような者たちが言ったり思ったりするだけでも気が咎めるのに、それ以上に噂が漏れて広がる世の中では、大将殿などは、亡骸もないままお亡くなりになったとお聞きになったら、きっとお疑いになることがあろうが、宮もまた、親しい間柄であるから、そのような人がいらっしゃるかいらっしゃらないかは、しばらくの間は隠しているとお思いになってもいても、いつかは明らかになるであろう。
 また、きっと宮だけをお疑い申し上げることはなさらないだろう。どのような人が連れて行って隠したのだろうなどと、お考え寄りになるだろう。

生きていらっしゃった間のご運勢はとても高くいらっしゃった方が、なるほど亡くなって後は、たいへんな疑いをお受けになるのだろうか」と思うと、この家にいる下人たちにも、今朝の慌ただしかった騒動の中にも、その様子を見たり聞いたりした者には口止めをし、事情を知らない者には聞かせないようにと、手を打ったのであった。
「年月が経ったら、どちらにもゆっくりと、生前のご様子を申し上げよう。ただ今は、悲しみも覚めるようなことを、ふと人伝てにお聞きなさると、やはりとてもお気の毒なことになるであろう」と、この二人は、深く良心も咎めるので、隠すのであった。

 

《薫の言いつけを受けてこの辺りの差配に当たっている「大夫や内舎人」が、こうした突然の葬送騒ぎを知ってやって来て、薫の指図のもとで行うべきだと言います。右近たちにとっては怖い者たちです(浮舟の巻第六章第七段)が、頑張って、「わけがありますので」ということで、そのまま車を出しました。

 「まことにおかしなふうで…」Ⓐと「兄弟などのいらっしゃる…」Ⓑの二つの言葉のところがよく分かりません。

いずれも大夫らの仲間内での言葉と考えるようで、『評釈』と『谷崎』は、Ⓐと言う者もいればⒷと言う者もいると訳しています。「いろいろと感心しないと言うのであった」は、原文「さまざまにおだやかならず言ひける」ですが、何が「おだやかならず」なのかよく分かりません。特にⒷについては、同じ話が後にも出てきます(第二章第六段)が、どういうことなのか、またここではそれは慌ただしい葬送を弁護しているように思えるのに、どうして「感心しない(原文・やすからず)」ということになるのか、手元の諸注は、いずれも語ってくれていません。

次の「このような者たちが…」という右近たちの思い巡らせていることも、分かりにくく思われます。

箇条書き的になぞってみますと、①大夫や内舎人たちが何かと噂するのだけでも「気が咎める」ことだが、②噂が流れて薫様がこういう葬儀をしたとお知りになったら、「きっと誰かが(おそらくは匂宮が)浮舟を隠したのではないか」(『集成』)とお疑いになるのではないか、③しかし匂宮様は同族で親しい間柄だから、しばらくは疑いの期間があっても、宮のところにも浮舟はいないということが「いつかは明らかになるであろう」、④一方で、疑いは宮だけに向かうのではなく、いろいろなことをお考えになるだろう、⑤結局、姫様は、生きていらっしゃった間は薫様と宮様の両方から大事に思われて「ご運勢はとても高くていらっしゃった」けれど、亡くなられてからは、ご自身が「亡き影に憂き名流さむ」と歌に詠まれた(浮舟の巻第七章第六段)ように、疑いを掛けられたままになってしまわれるのだろうか、おいたわしいこと、…といったようなことのようです。

言うところは、①だけでも「気が咎める」のだが、②から④も避けがたいことで、そのようにして自分たちに薫の疑いの目が向けられることになるのが心配だ、一方で⑤もたいへんお気の毒だ、となりましょうか。

途中、③のところで、薫だけでなく匂宮も疑うことだろうと心配しているとする解釈があり(『評釈』、『谷崎』)、その方が自然な思考だと思いますが、しかしここの文面では、いかがかと思われます。むしろ匂宮に対しての心配をしなかったところに、この人たちの匂宮寄りの気持ちが出ているとも言えそうです。

ともあれ、そこで右近と侍従は、自分たちと浮舟、双方のために、少なくとも亡骸がなかったなどということだけは広がらないように、関わった者に口止めをして、いつかはきちんとお話しをしなくては、と思いながら、良心の呵責を抑えて、隠し通すことにしたのでした。》

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第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む

【現代語訳】

 侍従などは、日頃のご様子を思い出して、「死んでしまいたい」などと泣き入っていらっしゃった時々の様子や、書き置きなさった手紙を見ると、「亡き影に」と書き散らしていらっしゃったものが硯の下にあったのを見つけて、川の方を見やりながら、ごうごうと轟いて流れている川の音を聞くにつけても、気味悪く悲しいと思いながら、
「そのようにしてお亡くなりになっただろうお方をあれこれと噂し合って、どなたもどのようなふうにお亡くなりになったのかとお疑いになるのも、お気の毒なこと」と相談し合って、
「秘密の事とは言っても、ご自身の心から始まっての事ではない。母親の身として、後にお聞き合わせになったとしても、別に恥ずかしい相手ではないのだから、ありのままに申し上げて、このようにひどく気がかりなことまで加わってあれこれ思い惑っていらっしゃるのを少しは合点の行くようにして上げよう。お亡くなりになった方としても、亡骸を安置して弔うのが世の常なのに、世間の例と変わった様子で幾日もたったら、まったく隠し通せないだろう。やはりお話し申し上げて、今は世間体だけでも取り繕いましょう」と相談し合って、こっそりと生前の状態を申し上げると、言う人も消え入るばかりで言葉も続かず、聞く気持ちも乱れて、

「それでは、このとても荒々しい川に、身を投じて亡くなったのだ」と思うと、ますます自分もその川に落ち込んでしまいそうな気がして、
「流れて行かれた所を探して、せめて亡骸だけでもちゃんと葬儀したい」とおっしゃるが、
「全然何の効もないでしょう。行く方も知れない大海原にいらっしゃったでしょう。それなのに、人が言い伝えることはとても聞きにくい」と申し上げるので、あれやこれやと思うと、胸がこみ上げてくる気がして、どうにもこうにもなすすべもなく思われなさるのを、この女房たち二人で車を寄せさせて、ご座所や身近にお使いになったご調度類など、みなそのままそっくり脱いで置かれた御衾などのようなものを詰めこんで、乳母子の大徳やその叔父の阿闍梨、その弟子の親しい者など、昔から知っていた老法師など、御忌中に籠もる者だけで、人が亡くなった時の例にまねて出立させたのを、乳母や母君はまことにひどく不吉だと倒れ転ぶ。

 

《初めの「硯の下にあったのを見つけて」までは話のつながりが変ですが、一応原文に忠実に訳したもので、『評釈』も似たようになっていますので、そのままに置きます。(『谷崎』はさすがにいろいろ言葉を補って、話がつながる文章にしています)。

 さて、「侍従など」、つまり侍従と右近に、「亡き影に」の歌(浮舟が最後に描き残したもの・浮舟の巻第七章第六段)を見つけさせ、「ごうごうと轟いて流れている川の音」を聞かせて、そして「そのようにしてお亡くなりになっただろう(原文・さて亡せたまひけむ)」と思わせることで、作者はどうやら浮舟は入水したのだと確定したいようです。

 その上で、二人から母君に「今は世間体だけでも取り繕いましょう」と、浮舟の葬儀が提案することにしました。

薫と匂宮とのことはこれまでこの侍女二人と時方たち以外には「秘密の事」だったけれども、もともと「(浮舟)ご自身の心から」始まったトラブルではなく、浮舟に罪はないことなのだから、亡くなったにしても、人からいつまでもあれこれ陰口をきかれるようなことにしておくよりも、普通どおりきちんとすることを済ませる方が、浮舟の名誉を守ることになるだろう、そのためには、母君にまず事の一部始終を話そうと、二人の相談がまとまったのです。

 思いもかけない話を聞かされた母君は、いよいよ、娘は本当に死んでしまったのだ、それもどうやらあの恐ろしい音を立てて流れている川に身を投げたのだ、と思わねばならなくなって、自分も川に飛び込みたい気がしながら、せめて遺骸だけでも探したいと言いますが、二人は、今更する甲斐のない事であり、またそんなことをさせたら世間が知って「人が言い伝えることはとても聞きにくい」と思いとどまらせました。

 母君の関心は娘の死にだけ向かっているようで、二人の貴公子との関係についてまるで関心が向かないのはちょっと変な気がしますが、ともあれ、右近と侍従は先に立って遺品を集めて車に乗せ、周囲には何事もない普通の葬送のようにして送り出します。

母君と乳母の悲しみがこの上ないことは、言うまでもありません。

 途中、「どなたもどのようなふうにお亡くなりになったのかとお疑いになるのも、お気の毒なこと」の「お気の毒」がよく分かりません。原文は「いとほしきこと」で、『評釈』と『谷崎』はこう訳しますが、『集成』は「ほんとうに迷惑なことです」として、これなら明快なのですが。》

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第五段 浮舟の母、宇治に到着

【現代語訳】

 雨のひどい降りに紛れて、母君もお越しになった。まったく何とも言いようなく、
目の前で亡くなった悲しさは、どんなに悲しくても世の中の常で、いくらでもあることだ。これは、いったいどうしたことか」とおろおろしている。このようないろいろな出来事が込み合って、ひどく物思いなさっていたとは知らないので、身をお投げになっただろうとは思いも寄らず
鬼が喰ったのだろうか、狐のような魔物がさらっていったのだろうか。まことに昔物語の妙な事件の例にだったか、そのような事も言っていた」と思い出す。
「それとも、あの恐ろしいとお思い申し上げる方の所で、意地悪な乳母のような者が、このようにお迎えになる予定と聞いて目障りに思って、誘拐を企んだ人でもあるのだろうか」 と、下衆などを疑って、
「新参者で、気心の知れない者はいないか」と尋ねるが、
「とても世間離れした所だといって、住み馴れない新参者は、こちらではちょっとしたこともできず、又すぐに参上しましょうと言っては、皆、その引っ越しの準備の物などを持っては、京に帰ってしまいました」と言って、元からいる女房でさえ、半分はいなくなって、まことに人数少ないときであった。

 

《都から母君がやって来ました。朝、「こちらにお迎え申しましょう。今日は雨が降りそうでございますので(近いうちに)」と手紙をよこしていた(巻頭)のですが、…。

『評釈』は、その返事を待つ間も「じっとしていられないで、母の方が出かけて来た」と言いますが、ここは、浮舟の失踪を誰かが知らせて、それを受けて、取るものも取りあえずやってきた、ということではないでしょうか。

失踪という外聞の悪いことが起こったと知っているからこそ、「雨のひどい降りに紛れて」、つまり人目を忍んで来る、という必要があったでしょうし、来るなりすぐに「目の前で亡くなった悲しさは…」と話すことになったのだと考える方が、普通だと思われます。

それにしても「(母君は)身をお投げになっただろうとは思いも寄らず」というのは勇み足の一言で、もともと彼女がそんな具体的な死に方まで思うはずはなく、前に右近と侍従が「『身をお投げになったのか』と思い寄っ」た(巻頭)のと同様に、作者の先走りかと思われます。

「鬼が…、狐のような魔物が…」は当時の一番ポピュラーな考え方で、現代の私達が考えるよりもずっと現実味を帯びて考えられていたのではないでしょうか。三百年余り後の『徒然草』にさえ、鬼になった女が都に連れてこられたと、都中が大騒ぎになる話があります(第五十段)。

「あの恐ろしいとお思い申し上げる方」は薫の正室・女二宮で、その乳母の謀り事かという非常に現実的な疑いと同列に、その可能性を考えているようです。

そしてその疑いから、「元からいる女房でさえ、半分はいなくなって」いるという、意外な事実が明らかになります。「便利な京の実家で、仕立て直しなどしてくるという趣」(『集成』)なのだそうです。》

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第四段 乳母、悲嘆に暮れる~その2

【現代語訳】

「おっしゃるとおり、まことに恐れ多いお使いだ。隠そうとしても、こうして珍しい事件の様子は、自然とお耳に入ろう」と思って、
「どうして、少しでも、誰かがお隠し申し上げなさったのだろうかと思い寄るようなことがあったら、こんなにも皆が泣き騒ぐことがございましょうか。

日頃、とてもひどく物を思いつめているようでしたので、あの殿が、厄介なふうにそれとなくおっしゃってくることなどもありました。
 お母上でいらっしゃる方も、このように大騷ぎする乳母なども、初めから知り合った方のほうにお引っ越しなさろうと準備していて、宮とのご関係をただもう誰にも知られないようにして、恐れ多くもったいないとお思い申し上げていらっしゃいましたので、お気持ちも乱れたのでしょう。とんでもないことですがご自分からお命をお縮めになったようなので、このように心の迷いに、愚痴っぽく言い続けてしまうのでしょう」と、さすがにありのままにではなくほのめかす。合点が行かず思われて、
「それでは、落ち着いてから参りましょう。立ちながら話しますのも、まことに簡略なようです。いずれ、宮ご自身でもお出でになりましょう」と言うと、
「まあ、恐れ多い。今さら人がお知り申すのも亡きお方のためにはかえって名誉なご運勢と見えることですが、お隠しになっていた事なので、他にお漏らしにならないで、終えて下さることが、お配慮というものでございましょう」
 こちらでは、このように異常な形でお亡くなりになった旨を人に聞かせまいといろいろと紛らわしているのに、

「自然と事件の子細も分かってしまうのでは」と思うので、そのように言って帰らせた。

 

《時方の説得によって侍従も話をする気になりました。こんな事件はいずれ宮のお耳に入ると思ったのです。

 侍従の答えの初めは、時方が「誰かがお隠し申し上げなさったのか」と聞いた(前段)ので、そこからの話です。「誰か」と言いますが、もちろん薫を想定しての質問で、三条の家から宇治に連れて来た時のように(時方は知りませんが)、いきなり行先もしかとは言わずに連れ去ったのかと聞いたわけですが、それならこんなにまで泣き騒ぐこともないでしょうから、時方にしてみれば誘い水というところでしょうか。

 侍従は、薫が「厄介なふうに」浮舟を問い詰めるようなことを言ってきたこともあったと、あの「波越ゆるころとも知らず…」の歌(浮舟の巻第六章第五段)のことを話して、浮舟が薫と匂宮の間で悩んでいたことを話しました。

 そして、母君や乳母は一途に薫のところに行くとばかり思って、その準備をしている一方で、浮舟自身は宮のことを「恐れ多くもったいないとお思い申し上げて」いて、誰にも言えずにひとり苦しんでいて、それで、「とんでもないことですが、ご自分から身をお亡くしになったよう」なのだと語ります。

 「愚痴っぽく言い続けてしまう」は、乳母の様子(前段)を言ったものののようです。

 「ありのままにではなくほのめかす」と言いますが、時方は初めからの経緯、事情を知っているのですから、こういうふうに言えば、失踪とか死とかという直接的な言葉を使わなかっただけで、ほぼ大筋を話したのと同じことになっているでしょう。

時方の「合点が行かず思われて」は、「侍従の返事自身にも、わからないところがある」(『評釈』)というのではなくて、彼には「ご自分からお命をお縮めになった」ということが姫君の行動として不可解だったということを言っているのだと考えるのがいいように思いますが、どうでしょうか。

 必要なことだけは話した侍従は、時方に口止めをして、彼がこうして長居をしてくれては「自然と事件の子細も(周囲に)分かってしまうのでは」と思うので、早々に引き揚げさせます。》

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第四段 乳母、悲嘆に暮れる~その1

【現代語訳】

 内でも泣く声ばかりがして、乳母であろう、
「わが姫君は、どこに行ってしまわれたのか。お帰りください。むなしい亡骸をさえ拝見しないのが効なく悲しいことだ。毎日拝見しても物足りなくお思い申し、早く立派なご様子を拝見しようと、朝夕に期待し申し上げていたからこそ、寿命も延びました。お見捨てになって、このように行く方もお知らせにならないとは。
 鬼神も、わが姫君をお取り申すことはできまい。皆がたいそう惜しむ人を、帝釈天もお返しになるという。姫君をお取り申し上げたのは、人であれ鬼であれ、お返し申し上げてください。御亡骸を拝見したい」と言い続けるが、合点の行かないことがあるのを変だと思って、
「やはり、おっしゃってください。もしや、誰かがお隠し申し上げなさったのか。確かな事をお聞きなさろうとして、ご自身の代わりにお遣わしになったお使いです。今は、何にしても効のないことですが、後にお聞き合わせになることがありました場合に、違ったことがございましたら、聞いて参ったお使いの落度になるでしょう。
 また、いくら何でもとご信頼あそばして、『あなた方にお会いせよ』と仰せになったお気持ちを、もったいないとはお思いになりませんか。女の道にお迷いになることは、異国の朝廷にも古い幾つもの例があったけれども、他にこのようなことはこの世にない、と拝見しています」と言うので、

 

《途中ですが、長くなりますので、ここで切ります。

 侍従の話の間も、時方の耳には屋敷のうちで泣く声がしきりに聞こえてきます。そして表の様子に気付いたのでしょう、乳母が出てきて、訴えかけます。

 最初の「わが姫君は、どこに行かれてしまったのか」が、時方だけでなく、読者にも「合点の行かない」思いをさせます。さっき外で下女は葬儀を出すという話をしていた(前段)のに、今乳母は当の浮舟の姿がないというのです。

やはり初めの使いの「お亡くなりになったので(うせたまひにければ)」(第二段)は姿が見えなくなったことを言っていたのでしょうか。あるいは、あの下女レベルの者たちには死んだことになっていて、身近の者は失踪と承知している、ということかもしれません。

 時方は乳母の繰り言を聞きながら、多分読者以上に情況が理解できないでいますので、侍従にきちんと「確かな事」を話して下さいと訴えました。宮から特に頼りにされて送られてきたのですから、中途半端な報告はできません。

 宮もあなた方を信頼して名指しで会って来いとのことでもあり、また匂宮ともあろうお方がこれほど思いをかけていて下さるのだからと、ありていの話を求めます。

こういう話の持って行き方は、さすがに「才覚ある人」(浮舟の巻第七章第四段)と言われるだけのことがありますが、それにしても「女の道に迷いなさることは(原文も「女の道にまどひたまふ」と、実にそのままです)」とは、ずいぶん思い切った言い方で、宮が聞いたら気を悪くしそうで、笑ってしまいます。

それでも、その迷いぶりは「他にこのようなことはこの世にない」ほどなのだと、侍従に迫ります。》

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