源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第六章 浮舟と薫の物語(二)

第三段 薫、随身から匂宮と浮舟の関係を知らされる

【現代語訳】

 夜が更けて、みな退出なさった。大臣は、宮を先にお立て申し上げになって、大勢のご子息の上達部や若君たちを引き連れて、あちらにお渡りになった。この殿は遅れてお出になる。
 随身がいわくありげな顔をしていたのを、何かあるとお思いになったので、御前駆たちが引き下がって松明を灯すころに、随身を呼び寄せなさる。
「先程申したことは、何事か」とお尋ねになる。
「今朝、あの宇治で、出雲権守時方朝臣のもとに仕えている男が、紫の薄様で、桜の枝に付けた手紙を、西の妻戸に近寄って女房に渡しました。それを拝見しまして、これこれしかじかと尋ねましたところ、返事を後先違えまして、嘘のような返事を申しましたので、どうしてそう申すのかと、童を使って後をつけさせましたところ、兵部卿宮邸に参りまして、式部少輔道定朝臣に、その返事を手渡しました」と申しあげる。

君は、変だとお思いになって、
「その返事は、どのようにして渡したのか」
「それは見ておりません。別の方から出しました。下人の申したことでは、赤い色の紙で、とても美しいもの、と申しました」と申し上げる。お考え合わせになると、ぴったりである。そこまで見届けさせたのを、気が利いているとお思いになるが、人びとが近くにいるので、詳しくはおっしゃらない。

 

《中宮の具合も問題なさそうだということで、それぞれが帰って行きました。匂宮は、夕霧一党に引っ張られて、六の君の所に連れていかれたようです。

後に薫だけが六条院に残った、ということでしょうか、従者が帰り支度をしている合間に、あの随身を呼び寄せて、言いたげだった話を質します。

 随身は、やっと出番が回って来たと、かねての様子を話しました。「桜の枝に付けた手紙」は匂宮が送った手紙です。

 「その返事は、どのようにして渡したのか(原文・その返りことは、いかやうにしてか出だしつる)」という質問は、どういう意味か、よく分かりません。『集成』は「紙の色、体裁などを尋ねる」と言います。そういう質問とは思えない言い方ですが、そうだとすれば、さっき匂宮が手にしていた「紅の薄様」(前段)かどうかを確かめようとしたということになります。

 随身は自分では見ていませんが、「下人」(後をつけさせた童のことのようです)から「赤い色の紙で、とても美しいもの」と報告を受けていました。二条院内でのやり取りについて、その童がどうしてそこまで見ることができるのか、という疑問が残りますが、見えたものは仕方がありません。

 薫は、さてはあれかと思い当たります。しかし、周りに人がいますから、様々な思いをかみ殺して、車に乗ります。

 なお、「出雲権守時方朝臣」とか「式部少輔道定朝臣」とか、失礼ながら話をつなぐために出てきたにすぎない人物に、ここに至ってずいぶん具体的な呼び方が与えられます。十九世紀自然主義文学観から言えば、物語の中で名前が与えられるには、それだけの人格を持たなければならないわけで、そういう意味では、ここの場合、名を与えるなら、むしろ随身の方が先であるべきではないか、と思われますが、どういう感覚なのでしょうか。

 ひょっとして、随身よりも「出雲権守」や「式部少輔」の方が地位が上だから、ということでしょうか。それでいくと、あの常陸介は、それなりに出自や経歴が語られていました(東屋の巻頭)が、ついに名前は与えられていませんでした。

また、「道定」については、ここで初めて名が出てくるのですが、こうして人物がいくらかの役割を果たした後で、急に名前で呼ばれる、という書き方について『評釈』が「こういうふうにして、次第にその人物について知ってゆく、それが実際のことであったろう」と言いますが、普通には、物語の論理ではないでしょうし、ここでもそう種明かし的に語る意味は特にはなかろうという気がしますが、どうでしょうか。》

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第二段 薫、匂宮が女からの文を読んでいるのを見る

【現代語訳】

 殿に参上して、今お出かけになろうとするときに、お手紙を差し上げさせる。直衣姿で、六条の院に、后宮が里下がりあそばしている時なのでお伺いなさるものだから、仰々しく、御前駆など大勢はいない。お手紙を取り次ぐ人に、
「おかしな事がございました。見届けようと思って今までかかってしまいました」と言うのをお耳になさって、お歩きになりながら、
「どのような事か」とお尋ねになる。この取り次ぎが聞くのも憚られると思って、遠慮している。殿もそうとお察しになって、お出かけになった。
 后宮が御不例で具合が悪そうにしていらっしゃるということで、親王方もみな参上なさっていた。上達部など大勢お見舞いに参っていて騒がしいけれど、格別変わった御容態でもない。
 あの大内記は太政官の役人なので、後れて参った。あのお手紙を差し上げるのを、匂宮は台盤所にいらっしゃって戸口に呼び寄せてお取りになる、それを、大将が御前の方からお下がりになるその横目でお眺めになって、

「ご執心でいらっしゃるらしい手紙の様子だ」と、その興味がわいてお立ちどまりになる。宮は開いて御覧になる。紅の薄様に、こまごまと書いてあるらしいと見える。手紙に夢中になって、すぐには振り向きなさらないところに、大臣も席を立って外に出ていらっしゃるので、この君は襖障子からお出になろうとして、

「大臣がお出になります」と咳払いをして、ご注意申し上げなさる。
 ちょうどお隠しになったところへ、大臣が顔をお出しになった。驚いて襟元の入紐をお差しになる。殿は膝まずきなさって、
「私は失礼いたしましょう。御物の怪が久しくお起こりになりませんでしたが、恐しいことですね。山の座主を、さっそく呼びにやりましょう」と、忙しそうにお立ちになった。

 

《随身は、すぐにそのことを薫に報告に、三条邸に走ります。薫はちょうど、姉に当たる明石中宮が六条院に里下がりしていて、そこを訪問に出かけるところでした。私用ですから、供回りは少なく、すぐに話が通じられ、何事かとのお尋ねがありました。しかし随身は取次ぎを介すことのできる話ではないと考えて、黙って控えています。薫も察して、出は後ほどということで、そのまま出かけます。このあたり、絵になる光景で、映画のワンカットを見るようです。

 中宮はお加減が悪いということで、大勢の人が集まっており、匂宮も来ていましたが、どうも大したことはないようで、和やかな雰囲気のようです。

そこに大内記が使いにやった者から受け取った浮舟の返書を届けにやって来ます。宮は台盤所(食事の世話をする女房の詰め所)にいて、呼び寄せて受け取りました。ちょうどその時、薫が中宮の前から下がって来て、その様子を見てしまいます。宮はその場で開いて見ています。「紅の薄様」ですから恋文です。手紙に見入っている匂宮は、右大臣が下がって来たのにも気が付かないようでした。薫が咳払いをして大臣の登場を知らせて、宮は慌てて手紙を隠します。これで、薫が宮の手紙に気付いたことも隠されます。

中宮の具合が悪いから、こうして必要な人が集まるのであり、しかもそれが大した症状ではないから、中宮の前を離れて下がって来てこういうふうにのんきにしていることができたし、いい具合に大臣が下がって来て、手紙が隠されました。なかなか微妙なうまい設定で、話がとんとんと進んでいきます。

薫は、いったい誰からの恋文だろうという大変興味深い関心を隠して(それが実は浮舟からのものであることを、読者だけが分かっている、というのが、スリリングですが)、「『山の座主を、さっそく呼びにやりましょう』と、忙しそうに」、つまり、何食わぬ顔をして、その場を離れました。》

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第一段 薫と匂宮の使者同士出くわす

【現代語訳】

 殿のお手紙は今日もある。

「具合が悪いということでしたが、いかがですか」と、お見舞いくださった。
「自分自身でと思っていますが、止むを得ない支障が多くあって。待っている間の身のつらさが、かえって苦しく」などとある。

宮は、昨日のお返事がなかったのを、
「どのように思い迷っていらっしゃるのか。『風のなびかむ方(思いがけない方に靡かれるのではないか)』と気がかりです。ますます何も考えられないまま物思いに耽っています」などと、こちらはたくさんお書きになっていた。
 雨が降った日、来合わせた御使いたちが、今日も来たのであった。殿の御随身は、あの少輔の家で時々見る男なので、
「お主は、何しにこちらに度々参るのか」と尋ねる。
「私用で尋ねる人のもとに参るのだ」と答える。
「自分の相手に、恋文を届けるのか。おかしな奴だな。隠しだてするのはなぜなのか」と言う。
「実は、私の主人の守の君のお手紙を、女房に差し上げなさるのだ」と言うので、返事が次々変わるので変だと思うが、ここではっきりさせるのも変なので、それぞれ帰参した。

 頭の働く者なので、供に連れている童を、
「この男に、気づかれないように注意しろ。左衛門大夫の家に入るかどうか」と後を付けさせたところ、
「宮邸に参って、式部少輔にお手紙を渡しました」と言う。

そこまで調べるものとは、身分の低い下衆は考えず、事情を深く知らなかったので、随身に見破られたのは、情けない話である。
 

《さて、事件の大きな転換点です。

最初の「今日」というのは、後に宮の「昨日の手紙」ということが出てきますから、前段につながる同じ日のようです。浮舟のもとに今日もまた薫と匂宮の双方から手紙が来ました。

 薫の「具合が悪いということでしたが」は、話の中には出て来ませんでしたが、「前の薫への返事の折(第五章第二段2節)に、女房などから浮舟の様子が伝えられているのであろう」(『集成』)ということのようです。宇治に来たいのだが、来られず、都に迎える日を待ちわびているつらさが書かれていました。

 匂宮の「昨日の手紙」(第五章第四段)へは、母が来ていたこともあって、結局返事を書かずじまいだったようで、心配してのものでしょう。「こちらはたくさん」書かれていたとあって、薫の方が、簡潔なものだったことが分かり、二人の違いが鮮明になります。

 こうしてこのところ頻繁に、薫と匂宮の双方から浮舟のところに入れ代わり立ち代わり手紙が届けられていたのですが、そんな中で、先日の雨の日に手紙がかち合ったとき(第五章第一段)、実は双方の手紙の使いが「来合わせ」るということがあったようで、その使いが、たまたま今日もまたここで出会ってしまったのでした。

薫の使いの随身は相手を「あの少輔(大内記・道定)の家」で見かけて知っていました。宇治に薫の使いが来るのは何の不思議もありませんが、大内記の使いが度々あるというのは、普通ではありませんから、薫の使いは不審に思って声を掛けました。すると「私用で尋ねる人のもとに参る」と言います。しかし、「自分の相手に、恋文を届ける」というは、「当時の常識にないことなのだ」(『評釈』)そうで、おかしいではないかと問われると、あわてたのか、実は「主人の守の君」(時方)の手紙なのだと、さっきとは違った返事をしてしまいました。

不審に思った「御随身」は、供の者にその男の後をつけさせます。その男が「左衛門大夫」(時方)のところにまっすぐ帰れば、「ちょっと格好よくと思ってついたうそ」となります(『評釈』)から、問題はなかったのですが、彼は、その足で匂宮邸(二条院ということでしょうか)に行って、そこで「式部の少輔」に返事を渡したことを、確かめられてしまいました。》

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