源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第六章 浮舟と薫の物語(二)

第七段 浮舟、右近の姉の悲話から死を願う

【現代語訳】

「どうかしら。私は、どちらにしてもご無事にお過ごさせ下さいと、長谷寺や石山寺などに願を立てています。

この大将殿のご荘園の人びとという者は、たいそうな乱暴者どもで、一族がこの里にいっぱいいると言います。だいたい、この山城国、大和国に、殿がお持ちになっている所々の人は、みなこの内舎人という者の縁につながっているそうです。
 それの婿の右近大夫という者を頭領として、すべての事を決めて命令するそうです。身分の高い方の間では思慮のないことを仕出かせとお思いにならなくても、考えのない田舎者連中が宿直人として交替で勤めていますので、自分の番に当たってちょっとしたことも起させまいなどと、間違いも起こしましょう。
 先夜のご外出は、ほんとうに恐ろしく思われました。宮は、どこまでも人目をお避けになろうとして、お供の人も連れていらっしゃらず、すっかりお忍び姿でいらっしゃるのを、そのような者がお見つけ申したときには、とても大変なことになりましょう」と、言い続けるのを、女君は、

「やはり、私を、宮に心寄せ申していると思って、この女房たちが言っているのが、とても恥ずかしく、気持ちの上ではどちらとも思っておらず、ただ夢のように茫然として、ひどくご執着なさっているのを、ただどうしてこんなにまでと思うだけだが、お頼り申し上げて長い間になる方を、今になって裏切ろうとは思わないからこそ、このように大変だと思って悩むのだ。ほんとうに、よくない事でも起こったときには」と、つくづくと思っている。
「私は、何とかして死にたい。世間並ではないつらい身の上だこと。このような、嫌なことのある例は、下衆の中でさえ多くあろうか」と言って、うつ臥しなさると、
「そんなに思い詰めなさいますな。お心安くお思い下さいと思って申し上げたのでございます。お苦しみになるに違いないようなことでも、ただもう何げないふうにのんびりとお見えになるのに、このことがあっての後は、ひどく気をもんでいらっしゃるので、とても変だと拝見しております」と、事情を知っている者だけはみな心配しているのだが、乳母は自分一人満足そうにして、染物などをしていた。新参の童女などで無難なのを呼んでは、
「このような者をお相手になさいませ。変なことばかりに臥せっていらっしゃるのは、物の怪などが、お邪魔申し上げようとするのでしょう」と嘆く。

 

《侍従は匂宮寄りですが、右近は、それより何より「ご無事」であることを願います。それは主人の浮舟自身の身についてだけではありません。

 宇治は薫の所領の地で、右近たちから見ると、「たいそうな乱暴者ども(原文・いみじき無道の者ども)」が管理しているのですが、それはある「内舎人(「中務省に属し、帯刀して内裏の宿衛、行幸の供奉、警護に当たった」・『集成』。なお『評釈』はなぜか「もと内舎人」であると解釈しています)」の一族で、その者の「婿」は都で右近大夫(ということは薫右大将の直属の部下)を務めていて、それと連絡しながら「すべての事を決めて命令する」ことになっているのです。つまり、たいへん緊密で強権的な管理が行き届いているということのようです。

 となると、そこに匂宮がお忍びでやって来たりすると、彼らの忠実な職務執行によって、どんな偶発的な事件が起こらないとも限らない、と右近は案じているわけです。

 そう言われると、浮舟としては、あなたは匂宮様を待っておいででしょう、と言われているのだという気がして、自分に薫への二心があることを指摘されているようで、「とても恥ずかしく」思うのですが、この二心について『光る』が、先の「けしからず」の話(第六段1節)に続いて、「大君は男の二心に遭って耐えることができず、絶望して死に至った。…今度は女が自分で二心を持ったのだ」と言います。

 もっとも「気持ちの上ではどちらとも思っておらず、ただ夢のように茫然として、ひどくご執着なさっているのを、ただどうしてこんなにまでと思うだけだが」という匂宮への思いを語る部分が、大事なところのように思うのですが、よく分かりません。右近たちが思うほど強く思っているのではないということを言っているようですが、それが本心なら、問題は起こらないはずです。弁解的に自分を欺いて、自分に言い聞かせようとしているのでしょうか。

 『評釈』も戸惑ったのか、「匂宮の熱情にびっくりしている。が、薫から離れる気もない」と変な「鑑賞」をしています。「びっくりしている」なら、意外だと思っているわけですから、次へ「が、」とはならないでしょう。

どうも変ですが、ともあれ彼女が死にたいと思うまで、ますます倫理的に追い詰められた気持ちになってしまった、と作者は話を続けます。

 そんな浮舟に、事情を知らない乳母は、ただ薫に都へ迎えられることを本望がかなったとひとえに喜んで、何も心配いりませんよと見当違いの優しい言葉を掛けて、準備に精を出しています。

 「女君や若人たちの追い詰められた心象と、この老人ののどかさとの対比が顕著であればあるほど、物語の悲劇は底知れぬ深みへと落ちているのである」と前掲「浮舟物語の家司・女房たちの役割」(前段)が言います。》

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第六段 右近と侍従、右近の姉の悲話を語る~その2

【現代語訳】

侍従と二人で、
「私の姉が、常陸国で男二人と結婚しましたが、身分は違ってもまったくこんなふうですよね、それぞれが劣らぬ愛情で、思い迷っていたのでしたが、姉は新しい男の方に少し気持ちが傾いたのでした。それを嫉妬して、結局新しい男を殺してしまったのです。
 そうして自分もやって来なくなりました。国でも、大変惜しい武士を一人失ってしまいました。また、過ちを犯した男も良い家来でしたが、こんな過ちを犯した者をどうして使えようかということで、国を追われて、すべて女がよろしくないのだと言って、館の内にも置いてくださらなかったので、東国の人となって、乳母も今でも恋い慕って泣いておりますのは、往生の妨げになると思って見ています。
 縁起でもない話のつながりのようでございますが、身分が上でも下でも、このようなことではお心を乱されるのは、とても悪いことです。お命までには関わらなくても、それぞれのご身分に応じて問題はあることです。死ぬことにまさる恥ということも、身分の高い方には、かえってあることです。お一方にお決めなさい。
 宮もご愛情がまさっていて、せめて真面目にさえご求婚なさるならば、そちらに従いなさって、ひどくお嘆きなさいますな。痩せ衰えなさるのもまことにつまらない。あれほど母上が大切に思ってお世話なさっているのを、乳母がこの上京のご準備に熱心になって大騒ぎしておりますにつけても、それよりもこちらに、とおっしゃってくださる宮のことが、とてもつらくお気の毒です」と言うと、もう一人は、
「まあ嫌な、恐ろしいまで申し上げなさいますな。何事もすべて前世の定めでしょう。ただお心の中で少しでも気持ちの傾く方を、そうなるご運だとお考えなさいませ。それにしても、まことに恐れ多いことに、たいそうなご執心であったので、殿があのように何かとご準備なさっているらしいことにも心が動きません。しばらくは隠れてでも、お気持ちがお傾きになる方に身をお寄せなさいませ、と存じます」と、宮をたいそうお誉め申し上げる者なので、一途に言う。

 

《「思い沈んで」(前段)いる浮舟をなんとかしっかりしてもらわなければならないと、右近が、常陸の国での姉の話(ということは、まだ彼女たち一党が北の方の夫のもとで常陸にいたころ、ということでしょうか)を語り始めました。

 その頃姉は「男二人と結婚しました(原文・人二人見はべりし)」と言いますから、浮舟と同じような事態ですが、その挙句もとからの男が「嫉妬して」新しい方の男を殺してしまうということが起きました。そうして結果は、その男の方は国を追われ、姉という人は、介の帰任のおりにも都に連れて帰ってもらえず、東国に一人置いてきぼりにされてしまった、というのです。

 さて浮舟の場合、高貴の人には「死ぬことにまさる恥」ということもありますから、表沙汰になってからでは、どちらに傾くにしても、大変な問題になります。そういうことにならないうちに「お一方にお決めなさい」、宮の方が愛情の強さは勝っているようですから、「せめて真面目にさえご求婚なさるならば」、それはそれで決めて、あとはくよくよ思われますな。そんなことで体を壊したのでは、元も子もないではありませんか、…。

 この人は、側近として本気で浮舟のことを心配しているようで、現実的打算と主人の内心を慮った適切な助言に見えます。

 ところで、ここの「乳母(原文・まま)」については、「浮舟の乳母のこと。ここで右近姉妹は(浮舟の)乳姉妹と分る」(『集成』)ということのようです。こういうことはもっと早く読者に教えておいてもらうと、右近の動き方がいっそうよく理解できたと思います。

 侍従も、聞いていて横から口を出しました。この人は右近よりもちょっとミーハーのようで、初めは薫が浮舟を連れて行くときにも同行して薫を「無性にお慕い申し上げ」たのでした(東屋の巻第六章第六段)が、あの隠れ家に付いて行って以来、今度はすっかり匂宮贔屓になっています(浮舟の巻第四章第四段)から、もっと積極的に宮を勧めます。

 「まあ嫌な、恐ろしいまで申し上げなさいますな」は、そんな大変な問題ではない、答えはもうはっきりしているじゃありませんか、と言っているようです。

 前掲「浮舟物語の家司・女房たちの役割」(第四章第二段)が、「右近の細やかな配慮のもと、侍従はじつによく働く。そして二人して浮舟の平安をはかりながら結果的には女君を心理的に圧迫してゆくのであり、女房たちの本来善良で悪意のない若さ、未熟さが悲劇を導き物語のプロットを決める要因となっている」と言います。

 なお、冒頭の「身分は違ってもまったくこんなふうですよね」を『谷崎』は「そういうことは誰にでもあることなのですね」と右近の心遣いの思いやられる訳をしています。》

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第六段 右近と侍従、右近の姉の悲話を語る~その1

【現代語訳】

 はっきりとではないがそれとなくほのめかされた様子に、あちらではますます物思いが増す。

「結局は、わが身は不届きでつまらぬことになってしまいそうだ」と、ますます思っているところに、右近が来て、
「殿のお手紙はどうしてお返しになったのですか。不吉で、忌むことですものを。」
「間違いがあるように見えたので、宛先が違うのかと思って」とおっしゃる。

変だと思ったので、途中で開けて見たのであった。良くない右近の態度ですこと。見たとは言わないで、
「まあ、困りました。いろいろ難儀な事でございます。殿は事情をお察しになったのでしょう」と言うと、顔がさっと赤くなって、何もおっしゃらない。手紙を見たとは思わないので、別の筋で、あの方のご様子を見た人が話したのだと思うが、
「誰がそう言ったのか」などとも尋ねることはできない。この女房たちが見たり思ったりすることも、ひどく恥ずかしい。自分の考えから始まったことではないが、

「情けない運命だこと」と思い沈んでいると、

 

《途中ですが、一度切ります。

 浮舟は、薫の手紙に、一応は知らぬ顔をしましたが、薫の疑いは彼女にとって図星をさされたのですから、そうでなくてさえ思い惑っていたのに、また一つ大変なところに追い込まれたという気がしています。

 そこへ右近がやって来て、薫の手紙をどうして返したのか、と問います。彼女は、「変だと思ったので、途中で開けて見た」のでした。まったく「良くない右近の態度ですこと」ですが、浮舟のように子供っぽい姫の世話をしていれば、危なっかしくて、自然とこういうふうに動く女房が出てくるのもやむを得ないかも知れません。

 彼女に、鋭く、「殿は事情をお察しになったのでしょう(原文は「御覧じたるべし」と強い推量になっています)」と言われて、浮舟は「顔がさっと赤くな」りました。

 そんなことがあれば、浮舟は、薫による生活の安定という愛を失うことになるのはもちろん、世間からは軽薄な女と名指しされることになり、さらには、そういう女に匂宮が近づくことは、当人はともかく、周囲が許さないでしょうから、早晩匂宮の愛も失うことになるのは必然でしょう。彼女は一挙に窮地に追い込まれた気がします。

 「誰が(お前に)そう言ったのか」は、まさか手紙を見られたとは思いませんから、そういう情報が誰から右近に入ったのか、という問いなのですが、しかし情報の出所に関わりなく、彼女自身がそのことで「物思い」をしていたのですから、これ以上の話は、恥の上塗りにしかなりません。

 まったく進退窮まった思いです。

 なお初めの「結局は、わが身は良くない(原文・けしからず)妙な結果になってしまいそうだ」について、『光る』が「けしからず」の意味を詳細に語って、「大野・自分が匂宮に傾いているその心持が倫理に反すると彼女は自分で受け取っていると作者は書いているわけです」と言います。そう言えば、この言葉は、彼女が二人から転居を求められて追い詰められる(第五章第四段)初めから使われていました。彼女自身、薫の愛情の方が、生活の安定という実益的なだけではなくて、愛情としても本筋のものだと思っている、ということになりそうです。》

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第五段 薫、宇治へ随身を遣わす

【現代語訳】

 例の随身を呼んで、ご自身で直接人のいない折に呼び寄せた。
道定朝臣は、今でも仲信の家に通っているのか」
「そのようでございます」と申す。
「宇治へは、いつもあの先日の男を使いにやるのか。ひっそり暮らしている女なので、道定も思いをかけるだろうな」と、溜息をおつきになって、
「人に見られないように行け。馬鹿らしいからな」とおっしゃる。

かしこまって、少輔がいつもこの殿の事を探りあちらの事を尋ねたことも思い合わされるが、なれなれしくは申し出ることもできない。君も、

「下々には詳しくは分からないようにしよう」とお思いになるので、お尋ねにならない。
 あちらでは、お使いがいつもより頻繁にあるのにつけても、あれこれ物思いをする。
 ただこのようにおっしゃっていた。

「 波越ゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思いけるかな

(心変わりするころとは知らずにいつまでも、待ち続けていらっしゃるものと思って

いました)
 世間の物笑いになさらないでください」とあるのを、とても変だと思うと、胸が真っ暗になった。お返事を理解したように申し上げるのも気がひける、何かの間違いだったら具合が悪いので、お手紙はもとのように直して、
「宛先が違うように見えますので。妙に気分がすぐれず、何事も申し上げられません」と書き添えて差し上げた。御覧になって、
「さすがに、うまくやったものだな。少しも思ってもみなかった機転だ」とにっこりなさるのも、憎いとはお恨みになり切れないのであろう。

 

《あくまでも浮舟を気遣う薫は、浮舟のところに様子を窺う手紙を送ろうとして、あの随身を呼びました。

 「道定」は例の大内記、「仲信」は聞きなれない名前ですが、『評釈』によれば「大内記のしゅうと」(大蔵大夫、薫が浮舟の家の障子張りを言いつけた人・第五章第三段)なのだそうです。そこで「道定朝臣は、今でも仲信の家に通っているのか」という問いかけは、つまり、「仲信の女との夫婦仲について問う。(薫としては)匂宮と女を張り合っているとは、あくまで隠したく、道定自身が浮舟に懸想していると思わせるための用意」(『集成』)ということのようです。

 次の、「馬鹿らしいからな」とは、「道定ふぜいの女を、薫右大将がくどいた、と知られては」(『評釈』)困るということのようです。

匂宮と張り合っていることも隠し、一方で「道定ふぜい」との競合も伏せようということでしょうか。

が、実はこの随身は、「少輔(道定)がいつもこの殿の事を探りあちらの事を尋ねた」(第二章第二段にそういう話がありました)ことを知っていたのでした。

つまり随身は、道定が宇治の人は薫の思い人であることを承知している、と知っているわけで、すでに薫の言う「馬鹿らしい」ことになっているのだが、と思うのですが、「(そんなことを)なれなれしくは申し出ることもできない」でいます。

薫も、向こうは知っていそうか、などと(「下々」に)聞いてみるのは、それこそ「馬鹿らしい」ことですから、そんなことはしません。情報は、随身の胸の内にとどまります。

 この二人の騙し合い、隠し合いは、話が入り組んでいる割に、物語の展開には何も関わらないただのエピソードですが、こういう場面自体はいかにもありそうな話で、妙にリアリテイがあります。

 さて、宇治へは、このところ「お使いがいつもより頻繁にある」ようになりました。薫から、ということでしょうか。以前は、「例によって、のんびりと構え過ぎた性分」(第一章第二段)ということでしたから、手紙も少なかったのでしょう。今は、薫には転居の話もあり、匂宮を意識しながらの様子窺いもあるでしょうから、自然と多くなります。

浮舟の方も、その度に決断を迫られるようで、「あれこれ物思いをする」ことが多くなっていたところに、随身が薫の手紙を持ってきます。

 その手紙は、これまでと様子が変わって、ただ歌と一言だけであり、それは心変わりを咎めた、「なんとそっけなく、またなんときつい言葉だろうか」(『評釈』)というものでした。しかし、動機はあくまでも「やはり見捨てがたく、様子を見たくて」(前段)の手紙なのです。

浮舟は、匂宮とのことは知れるはずはないのに、と思うのですが、もしやという不安も湧きます。「波越ゆる」にまともに応えると、自分の中に心変わりの可能性があることを認めることになるような気がして、返事はなかなか難しく思われます。結局、何のことやらわかりませんが、という返事にしました。

『評釈』が「ラブレターの返事の出し方、ぎりぎりの場合のやり方の一つを、ここで読者に教えている」と言います。

 薫は、なかなかやるな、という気持ちで「にっこりなさる」のでした。こんなに余裕があるところを見ると、やはり浮舟は彼にとって現代の私たちが考えるような切実な思い人ではないようですが、繰り返せば、それでも十分なのでしょう。》

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第四段 薫、帰邸の道中、思い乱れる

【現代語訳】

 帰途、

「やはり、実に油断のならない、抜け目なくいらっしゃる宮であるよ。どいういう機会にそういう人がいるとお聞きになったのだろう。どのようにして言い寄りなさったのだろう。鄙びた所だから、このような方面の過ちはけっして起こるまいと思っていたのが浅はかだった。それにしても、私に関わりのない女には、そのような懸想をなさってもよいが、昔から親しくして、おかしいまでに手引してお連れ申して歩いた者に、裏切ってそのような考えを持たれてよいものであろうか」と思うと、まことに気にくわない。
対の御方のことを、たいそういとしく思いながらも、そのまま何年も過ごして来たのは、自分の慎重さが深かったからなのだ。また一方で、それは今始まった不体裁な思いではない。もともと縁のあったことだが、ただ心の中に後ろ暗いところがあっては、自分としても苦しいことになると思ってこそ、遠慮していたのも愚かなことであった。
 最近このように具合悪くなさって、普段よりも人の多い取り込み中に、どのようにしてはるばる遠い宇治までお書きやりになったのだろうか。通い初めなさったのだろうか。たいそう遠い恋の通い路であることだ。おかしなことだと、いらっしゃる所を探されなさった日もある、と聞いたことだ。

そのようなことにお心を乱されて、どこということなくお患いになっていらっしゃるのだろう。昔を思い出すにつけても、お越しになれなかったときの嘆きは、実にお気の毒なほどだった」と、つくづくと思うと、女がひどく物思いしている様子であったのも、事情の一端がお分かり始めになるにつけて、あれこれと思い合わせると、実に情けない。
「難しいものは、人の心だな。かわいらしくおっとりしているとは見えながら、浮気なところがある人であった。この宮の相手としては、まことによい似合いだ」と譲ってもよい気持ちになり、身を引きたくお思いになるが、
「北の方に迎えるつもりの女ならともかくも、やはり今まで通りにしておこう。これを限りに会わなくなるのも、また、恋しい気がするであろうと体裁悪いほど、いろいろと心中ご思案なさる。

「自分が、嫌気がさしたといって、見捨てたら、きっと、あの宮が、呼び迎えなさろう。相手にとって、将来が気の毒なことであることも、格別お考えなさるまい。そのように寵愛なさる女は、一品宮の御方のもとに女房を、二、三人出仕させなさったという。そのように、出仕させたのを見たり聞いたりするのも、気の毒なことだ」などと、やはり見捨てがたく、様子を見たくて、お手紙を遣わす。

 

《さて、匂宮が浮舟との間に関係を持ったことを知ってしまった薫の思いが語られますが、ちょっと予想外のもののように思われます。

 まず、普通ならなにより最初に「それにしても、私に…」ということを思いそうですが、「どのような機会に…」の方が先でした。

 そして「対の御方のことを…」と、自分が中の宮への思いをずっと抑えてきたことを「愚かなことであった」と、浮舟とは関係ないことに思いを飛ばせ、果てには、昔、匂宮が宇治の中の宮に通っていたころ、「お越しになれなかったときの嘆きは、実にお気の毒であった」と思い返して、今もまた浮舟に容易に逢えないことを嘆いておられるとだろうと思ったのでしょうか、「譲ってもよい気持ちに(原文・思ひもゆづりつべく)」なったと言うに至っては、今までの執着は何だったのかという気もします。

しかし、と言って「これを限りに会わなくなるのも、はたまた、恋しい気がするであろう」と「思案」します。

さらにまた、自分が「見捨てたら」、匂宮はきっと浮舟を引き取るだろうが、宮の寵愛は将来きっと薄れるだろうから、その時はどこかの女房に出しておしまいとされるのがオチで、それが浮舟にとって不幸なことになるなどとは、あの宮はお考えにもならないだろう、と考えると、「やはり見捨てがたく」思えてきます。

 こうなると、どうも通常のいわゆる愛情とはずいぶん違ったものです。思い返すと、薫が浮舟を宇治に連れて行く車の中でも、「君も、目の前の女はいやではないが、空の様子につけても故人への恋しさがつのって」(東屋の巻第六章第六段)とあって、彼女は薫にとって結局形代以上ではないことがほのめかされていました。

 薫にとって浮舟は、以前からずっとそうだったのですが(例えば第三章第四段)、ここに至ってなお、愛しい大君の瓜二つの妹という以上ではなかったようで、ここでも、つまりはそういう意味でいとおしまれ、そして親身に案じられています。

 それは私たちが普通に考える男女の愛とは異なるものなのですが、そういう愛情が、匂宮の情熱的な愛情と対峙する愛情として考えられているところに、この作者の、いやあるいはこの時代の愛情観が表れていると言えるのではないでしょうか。

 私たちは普通、匂宮のような激情的愛に対峙する愛の形としては、例えば、互いに強く求め合いつつも対等な個人として相手を尊重し合う関係、というようなものを思い描くのですが、そういう関係は、男性の支配が当たり前のこの時代のよく想像し得ないところのものだったのではなかったのか、…。

 つまり、ここに見られる薫の愛情は、当時にあっては、十分に男女の間の愛情と呼ぶに足るものであったのではないか、ということです。

さればこそ、『無名草子』が薫を絶賛するのだと、私は今、思い当たった気がしていますが、一人合点でしょうか。》

プロフィール

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