源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 浮舟と薫の物語(一)

第四段 薫と浮舟、それぞれの思い

【現代語訳】

「造らせている所は、だんだんと出来上がって来ました。先日見たところ、ここよりはやさしい感じの川があって、花も御覧になれましょう。三条宮邸も近い所です。毎日会わないでいる不安も自然と消えましょうから、この春のころに、差し支えなければお連れしよう」と思っておっしゃるのにつけても、

「あの方がのんびりとした所を考えついたと昨日もおっしゃっていたが、このようなことをご存知なくて、そのようにお考えになっているのだろう」と、心が痛みながらも、

「そちらに靡くべきではないのだ」と思うその一方で、先日のお姿が面影に現れるので、「自分ながらも嫌な情けない身の上だ」と、思い続けて泣く。
「お気持ちが、このようでなくおっとりとしていたのが、のんびりと嬉しかった。誰かが何か言い聞かせたことがあるのですか。少しでも並々の愛情であったら、こうしてわざわざやって来ることができる身分でも道中でもないのですよ」などと言って、初旬ころの夕月夜に、少し端に近い所に臥して外を眺めていらっしゃる。男君は亡くなった姫君のことを思い出しなさり、女君は今から加わった身のつらさを嘆いて、お互いに物思いする。

 山の方は霞が隔てて、寒い洲崎に立っている鵲の姿も場所柄かとても興趣深く見えるが、宇治橋がはるばると見渡されるところに、柴積み舟があちこちで行き交っているなど、他の場所では見慣れないことばかりがあれやこれやある所なので、御覧になる度ごとに、やはりその当時のことがまるで今のような気がして、ほんとにこうではない女を相手にするのでさえ、めったにないほど逢瀬の風情の多いにちがいないところである。まして、恋しい人に似ていることもこの上なく、次第に男女の情を知り、都の女らしくなっていく様子がかわいらしいにつけて、思ったよりすっかり良くなった感じがなさるが、女はあれこれ物思いする心中に思わず湧き上る涙がややもすれば流れ出すのを、慰めかねなさって、
「 宇治橋のながき契りは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな

(宇治橋のように末長い約束は朽ちはしないから、不安に思って心配なさるな)
 やがてお分かりになりましょう」とおっしゃる。
「 絶え間のみ世にはあやふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや

(絶え間ばかりが気がかりな宇治橋ですのに、朽ちないものと思って依然頼りにせよ

とおっしゃるのですか)」
 以前よりもまことに置いて帰りがたく、暫くの間も逗留していたくお思いになるが、

「世間の噂がうるさいのに、今さら長居をすべきでもない。気楽に会える時になったら」などとお考え直しになって、早朝にお帰りになった。とても素晴らしく成長なさったなと、おいたわしくお思い出しになることは今まで以上であった。

 

《薫は浮舟を都に迎える楽しい計画を話して聞かせて、一緒に喜ぼうとしますが、その話を聞いても、浮舟が思うのは、匂宮が以前話していて(第二章第九段1節)、「昨日」の手紙にもあったらしい、彼の方の同じような計画のことで、しかも心配するのは薫の話を知ったら宮がどう思われるかということばかりで、その逆ではありません。今や彼女は匂宮との側にいて薫を見ています。

 もちろん「そちらに靡くべきではないのだ」と思うには思うのですが、その傍から宮の面影が浮かんでしまって、「自分ながらも嫌な情けない身の上だ」と我が心を持てあまして、泣くしかありません。

 薫は楽しい話をしたつもりなのに、浮舟の機嫌が一向に直らないので、怪訝な気持ちで手をこまねくままに「初旬ころの夕月夜」を眺めて、大君を思い出し、その面影を追います。実は彼の心も浮舟にはなく、本当に身代わりであるに過ぎなく見えます。こういうところを読むと、薫を絶賛する『無名草子』の筆者は、これをどう考えるのだろうかと聞きたくなります。

さて、一方の浮舟も心乱れるままにうつむいてしまって、同じようにそれぞれに自分の物思いに耽ってしまいました。

折りから、端近からの眺めには、宇治川に霞がかかって、その絶え間に鷺の姿が見え、また芝舟が行き交って、えも言えない幽玄の光景が広がっています。「めったにないほど逢瀬の風情の多いにちがいないちがいないところ」で、薫は「恋しい人に似ているのもこの上な」い浮舟が「だんだんと男女の情を知り、都の女らしくなって」(彼は、浮舟は自分の訪れがなかったことを恨んでいるのだと思っているのです)いることに満足して、改めて何とかなだめようと、変わらぬ愛を誓おうと歌を詠み掛けました。

 それに対する浮舟の返歌は何とも微妙な歌で、一見薫の長い不在を恨んでいるようですが、そこでの「宇治橋」は彼女自身の薫への心でもあるかのようです。

 匂宮と浮舟の一日(第二章第八段)が愛し合う者同士の愛の戯れと高揚に過ぎたのに比べて、この一夜はまことに行儀好く、浮舟にとってはつらいばかりの時間が過ぎたようです。

 薫は、事を知らないことからの思い違いに独りよがりに満足して、逗留したい気持ちもここまで我慢してきたのだし、近々都に呼べばゆっくりできるのだからと、自分に言い聞かせて、都に帰って行ったのでした。》

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第三段 二月上旬、薫、宇治へ行く

【現代語訳】

 月が替わった。このようにお焦りになるが、お出かけになることはとても無理である。「こうして物思いばかりしていたら、長生きもできないわが身だ」と、心細さが加わってお嘆きになる。
 大将殿は、少しのんびりしたころ、いつものように人目を忍んでお出かけになった。寺で仏などを拝みなさる。御誦経をおさせになる僧にお布施を与えたりして、夕方に、こちらには人目を忍んでだが、この方はひどく身を簡略になさるでもない。烏帽子に直衣姿がたいそう申し分なく美しい感じで、歩んでお入りになるなり、こちらが恥ずかしくなりそうで心配りが格別である。
 女君は、どうしてお会いできようかと、空にも目があって恐ろしく思われるので、強引であった方のご様子が自然と思い出されるにつけて、一方でこの方にお会いすることを考えると、ひどくつらい
「私は今まで何年も会っていた女の思いが、皆あなたに移ってしまいそうだ」とおっしゃったが、本当にその後はご気分が悪いと言って、どの方にもいつものようなご様子ではなく、御修法などと言って騒いでいるというのを聞くと、

「また、どのようにお聞きになってどのようにお思いになるだろうか」と思うにつけてたいそうつらい。
 この方はこの方でたいそう感じが格別で、考え深く、優美な態度で、久しく会わなかったご無沙汰のお詫びをおっしゃるのも言葉数多くなく、恋しい愛しいと直接には言わないが、いつも一緒にいられない恋の苦しさを、品がいい程度におっしゃるのが、言葉を尽くして言う以上に、たいそう胸に沁みると誰もが思うにちがいないような感じを身につけていらっしゃる人柄である。美しく魅力的なことは無論のこと、将来末長く信頼できる性格などが、この上なくまさっていらっしゃった。
「心外だと思われるような気持ちなどが、漏れてお耳に入った時は、とても大変なことになるであろう。不思議なほど正気もなく恋い焦がれていらっしゃる方を恋しいと思うのも、それはとてもとんでもなく軽率なことだわ。」

この方に嫌だと思われて、お忘れになってしまう心細さは、とても深くしみこんでいたので、思い乱れている様子を、

「途絶えていたこの幾月間に、すっかり男女の情理をわきまえ、成長したものだ。何もすることのない住処にいる間に、あらゆる物思いの限りを尽くしたのだろうよ」と御覧になるにつけても、気の毒なので、いつもより心をこめてお語らいになる。

 

《二月になっても匂宮は「お出かけになる」ことができません。宮の場合は用務があるというよりも、母中宮などの監視が厳しいのでしょう。

一方薫は一月下旬の司召しなども終わって「すこしのんびりした」ようで、宇治に出かけます。以前右近が使いの話として伝えていたとおり(第二章第二段)の訪れで、律儀な彼の誠意の表し方です。そして彼の場合は、行っても、真っすぐに浮舟の所へなどということはなく、手順を踏んで、周囲の者たちを納得させて、やおら夜になってからのお訪ねです。

 さて、浮舟の方は、本当はどの面下げて会えようか、といった気持ちですが、もちろん会わないわけにはいきません。

彼が部屋に入って来る気配がします。「こちらが恥ずかしくなりそうで心配りが格別」な薫の姿を感じながら、彼女は匂宮の面影を思い浮かべてしまっています。

そしていよいよ向き合うとなると、彼女は薫に会ったことを匂宮が聞いたら「どのようにお思いになるだろうか」と思うと、「まことにつらい(原文・いと苦し)」のでした。どうやら浮舟の心情はすっかり匂宮に傾いているように見えます。

しかし実際に会ってみると、この方はこの方で、もちろんたいそう感じが格別で、考え深く、優美な態度で」申し分ありません。もっとも、「申し分なく美しい感じ(原文・あらまほしくきよげにて)」であって、ここでもやはり「きよげ」という第二等(第二章第八段)の表現が使われています。素晴らしいと言っても、匂宮のようには胸がときめくほどではない、ということの現れでしょうか。

 そうは言っても、「将来末長く信頼できる性格などが、この上なくまさっていらっしゃ」るのであって、当時の女性たちの現実面での極めて重要な関心事である点については、こちらが上であることは明々白々です。ここで匂宮を「強引であった方」とか、「不思議なほど正気もなく恋い焦がれていらっしゃる方」と呼んでいるのは、そういう薫の安定感との対比を強調することになってもいるようです。

そういう薫に、自分が「心外だと思われるような(匂宮に対する)気持ち」を抱いているということが知られたら、将来の安定を取り上げられてしまうに違いなく、「とんでもなく軽率なこと」ことなのだと思われて、浮舟は「思い乱れて」います。

 薫はそんなことは知りませんから、その思い乱れている様子を、自分が長く訪ねなかったことを悲しみ怨んで見せているのだと思い込んで、この人も女らしくなったと喜び、ますます優しく言葉をかけます。

浮舟はいっそうつらい思いになります。》

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第二段 明石中宮からと薫の見舞い

【現代語訳】

 内裏から大宮のお手紙が来たのでお驚きになって、やはり釈然としないご様子で、あちらにお渡りになった。
「昨日は心配しましたが、ご気分がお悪かったそうで、それが悪くないようなら参内なさい。久しく見えませんこと」などというように申し上げなさったので、大げさに心配していただくのもつらいけれど、ほんとうにご気分も正気でないようで、その日は参内なさらない。上達部などが、大勢参上なさったが、御簾の中でその日はお過ごしになる。
 夕方、右大将が参上なさった。
「こちらに」と言って、寛いだ恰好でお会いになった。
「ご気分がお悪いということでございましたので、宮におかれましてもとてもご心配あそばされていまして。どのようなご病気すか」とお尋ね申し上げなさる。見ただけで、お胸がどきどき高まってくるので、言葉少なくて、

「聖めいているというが、途方もない山伏心だな。あれほどかわいい女を、そのままにして置いて、何日も何日も待ちわびさせているとは」とお思いになる。
 いつもはほんの些細な機会でさえ、自分はまじめな人間だと振る舞い自分で言っていらっしゃるのを悔しがりなさって、何かと文句をおつけになるのを、このような事を発見したのを、どんなにかお言い立てになるところだろう。けれども、そのような冗談もおっしゃらず、とてもつらそうにお見えになるので、
「お気の毒なことです。大したご病気ではなくても、やはり何日も続くのはとてもよくないことでございます。お風邪を充分ご養生なさいませ」などと、心からお見舞い申し、述べてお出になった。

「気のひけるほど立派な人だ。私の態度を、どのように比較しただろう」などと、いろいろな事柄につけて、ひたすらあの女を、束の間も忘れずお思い出しになる。
 あちらでは、石山詣でも中止になって、まことに何もすることない。お手紙には、とてもつらい思いをたくさんお書きになってお遣りになる。それでさえ気が落ち着かず、「時方」といってお召になった大夫の従者で、事情を知らない者を遣わしたのであった。
「私が古くから知っていた者で、殿のお供で訪ねて来まして、昔に縒りを戻して懇意になろうとするのです」と、女房仲間には言い聞かせていた。何かと右近は、嘘をつくことになったのであった。

 

《初めの「やはり釈然としないご様子で(原文・なほ心解けぬ御けしきにて)」は渋谷訳です。他に「ご機嫌の直らぬご様子で」(『集成』)、「すっきりしない御様子で」(『評釈』)とありますが、これらはいずれも「薫のことを疑っている」(『評釈』)という解釈です。ということは、前段の匂宮の中の宮への詰問をそのまま本気の言葉と考えているわけですが、しかし、いくら何でも自分が怪しからぬ浮気をしながら大井に心を残して帰ってきたばかりのところで、毎度からかうように言っている妻への不安を、そんなに本気で考えるとは思われない気がします。

あれは名の宮に対する照れ隠しのごまかしで、意に反して浮舟と別れて帰らねばならなかったことへの心残りや腹立たしさ(意思を通せなかったことへの坊ちゃん育ちのいらいら、とも言えそうです)が、まだ残っていたということではないでしょうか。それが、このあと薫を見た時の気持ちになって表れるのだと思うのですが…。

 「あちらにお渡り」は、寝殿に帰ったということ、「后の宮の文は、寝殿に帰って拝見しなければならない」(『評釈』)のだそうです。文を開くと、中宮からの優しいおさとしがありましたが、従う気分になれません。上達部たちがお見舞いにやって来ましたが、そのまま奥に引っ込んでしまいました。手紙の「ご気分がお悪かったそうで」は匂宮ですが、『評釈』は帝のこととして「ご機嫌が悪かった」と訳しています。

 そうしているところに、いよいよ薫が見舞いにやって来ました。

 「見ただけで」匂宮は後ろめたさが募って、「お胸がどきどき高まってくるので、言葉少な」になってしまうようなのに、その上にきちんとした改まった挨拶で、押されっぱなしの心の平衡を保つには、せめて胸のうちで薫を馬鹿にする気持を掻き立てなければなりません。

 できれば「このような事を発見した」とからかってそこで優位に立ちたいのですが、言ったが最後、薫は二度とあの女には会えなくするでしょうし、またあのような入念な隠し方からして薫の匂宮への憤りもひととおりではないと思われて、結局彼は口をつぐむしかありません。

 何も知らない薫は、あくまでも礼儀正しく「心からお見舞い申し」て帰っていきました。

 そのきちんとしたすきのない姿を一人になって思い返すと、匂宮は、何だか自分がたいへん悪い、つまらない人間のように思われてきて、あの浮舟は今頃私と薫を天秤にかけているのではなかろうか、そうすればあの女は薫を選ぶかもしれない、妄想は悲観的に流れて、それにつけてももう一度早く会いたいとばかり思われます。彼は急いで文を送り、使いをやります。あちらでは右近がまた何かと言い繕わ
ねばなりません。》


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第一段 匂宮、二条院に帰邸し、中君を責める

【現代語訳】

 二条の院にお着きになって、女君のたいそう面白くない隠しごとも不快なので、気楽な方の部屋でお寝みになったが、お眠りになれず、とても寂しくて物思いがまさるので、心弱く対の屋にお渡りになった。
 何があったとも知らずに、とてもすっきりとした感じでいらっしゃる。

「またとなく魅力的だと御覧になった人よりも、またこの人はやはり類稀な様子をしていらっしゃった」と御覧になる一方で、とてもよく似ているのをお思い出しになるにつけても胸が塞がるので、ひどく物思いをなさっている様子で御帳台に入ってお寝みになる。女君もお連れ申してお入りになって、
「気分がとても悪い。どうなるのだろうかと、心細い気がする。私はどんなにも深く愛していても、先立ってしまったら、お身の上はまことすぐに変わってしまうでしょうね。人の思いはきっと通るものですからね」とおっしゃる。

「ひどいことを、真面目になっておっしゃること」と思って、
「このように聞きづらいことが漏れ聞こえたら、どのようにお話し申し上げたのかと、あちらもお考えになりましょうことが、たまりません。不運の身には、いい加減な冗談もとてもつらいので」と言って、横をお向きになった。宮も、真面目になって、
「ほんとうにつらいとお思い申し上げることがあったら、どのようにお思いになるでしょう。私は、あなたにとっていい加減な人でしょうか。誰もが、めったにいない人だなどと、言い立てるくらいです。誰かに比べてこの上なく見下しなさるようだ。誰もが然るべき運命の中にいるのだとおのずとわかるけれども、お隔てなさるお気持ちの強いのが、とても情けない」とおっしゃるにつけても、

「宿世が並々でなく、探し出したのだ」と思い出されると、自然と涙ぐまれた。

真剣なお姿を、

「お気の毒で、どのようなことをお聞きになったのだろう」と胸を突かれるが、お答え申し上げなさる言葉もない。
「ちょっとした関係で結婚なさったので、どんなことも軽い気持ちで推量なさるのであろう。縁故もない人を頼みにして、その好意を受け入れたりしたのが過ちで、軽く扱われる身なのだ」とお思い続けるのも、何かと悲しくて、ますます可憐なご様子である。
「あの人を見つけたことは、しばらくの間はお知らせ申すまい」とお思いなので、

「他の事に思わせて恨みなさるのを、ひたすらこの大将の事を真剣になっておっしゃる」とお思いになると、

「誰かが嘘を真実のように申し上げたのだろう」などとお思いになる。事実か否かを確かめない間は、お会い申すのも恥ずかしい。

 

《匂宮は二条院に帰りましたが、中の宮の所には行かないで、自室(寝殿)に入ります。中の宮の「隠しごとも」不快だったからというのは、浮舟に会ってきたことが後ろめたかったということが先にあるということでしょう。『評釈』はそれなら、「隠しごとも不快」とは言うまいからそれはないと言いますが、以下の話は、何とかその話にならないように、別の話を持ち出して語り続けるところに、その後ろめたさが感じられないでしょうか。

 結局彼は我慢できないで、「心弱く」中の宮のところに行きます。そこには改めて美しいと見える中の宮がいました。彼は「ひるひなかだが」(『評釈』)「女君も(御帳台に)お連れ申してお入りになって」(女性のこういう扱い方は、源氏の場合、例えば侍女の中将の君がその役を受け持っていたようです(葵の巻第三章第一段1節)が、そうすると、今この中の宮は侍女扱いのように見えます)、「私は、どんなにも深く愛していても…」と語り始めます。

 もちろん睦言ですから、浮舟の話などするはずはありませんが、例によって薫と中の宮の関係を疑う嫌がらせの、読者にとっても「聞きづらい」、あまり面白くない話です。

 「誰もが然るべき運命の中にいる」というのは、あなたはいずれ薫と結ばれるだろうという意味のようですが、そういう嫌味を言いながら、彼は自分が浮舟を見つけ出したこともそういう「宿世」(運命)の中のことなのだと思って涙ぐんでいます。

どうも、ここの匂宮には、中の宮に対する誠実さがなくなっているようです。扱いもそうですし、言葉も真実味がありませんが、、もともと自分の後ろめたさを糊塗しようとして語られるだけのもののようですから、仕方ありません。

そういうことに気付かないまま、中の宮は匂宮の言うことをつらくは思うものの、格別ひどく反応するわけでもなく、嘆いてはいるものの、受け流しているようで、どうも一枚上という感じです。世の賢い主婦のありかたで、この人は本当に壺をよく心得た、現実的な人なのです。》

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