源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 浮舟と匂宮の物語(一)

第九段 翌朝、匂宮、京へ帰る~その2

【現代語訳】
 夜の明けきらぬうちにと、供人たちは咳払いをしてお促し申しあげる。妻戸まで一緒に連れてお出になって、外にお出になれない。
「 世に知らずまどふべきかな先に立つ涙も道をかきくらしつつ

(これまで覚えのないほどに踏み迷うことだろう、先に立つ涙も道をかきくらし見え

なくするので)」
 女も、限りなく悲しいと思った。
「 涙をもほどなき袖にせきかねていかに別れをとどむべき身ぞ

(涙さえも狭い袖で抑えかねますので、私にどのように別れを止めることができまし

ょうか)」
 風の音もとても荒々しく霜の深い早朝に、お互いの衣装も冷たくなった気がして、お馬にお乗りになるとき、引き返すほどの気持ちのようであきれたことだが、お供の人々が、

「まったく冗談ではない」と思って、ひたすら急がして出発させたので、魂の抜けた思いでお出になった。
 この五位の二人がお馬の口取りとして仕えた。険しい山道をすっかり越えて、やっとそれぞれの馬に乗る。水際の氷を踏みならす馬の足音までが、心細く何となく悲しい。以前もこの道だけは、このような山歩きもなさったので、

「不思議な宿縁の山里であることよ」とお思いになる。

 

《来てから二度目の夜が明けそうになります。供人たちはじりじりしています。さすがの匂宮ももうこれ以上の無断不在は許されないと、妻戸(簀子の手前)まで出るのですが、浮舟を伴っていて、そこで離れることができません。

 浮舟の方も、「限りなく悲しいと思っ」ています。すでに完全に「(匂宮の)魅力の磁場に引き込まれている」(第七段)ということです。

 冷たい朝の気配に、いっそう別れの実感が迫って、匂宮は後ろ髪を引かれる思いですが、従者はもう頓着なく、後返りなどとんでもないこととばかりに出立を急がせました。

 山越えの道は険しく心細く、匂宮は、こんな険しい道は、恋路でなくては通るまいに、中の宮に通った時に重ねて、この道ばかり再び通うことになろうとは、宇治とは何と不思議な因縁があることだろうと思いながら行きます。

 浮舟の歌は前々段に続いて二首目です。実はあの時の返歌は、相手が匂宮だと分かった後で、筆を差し出されて何のためらいもなく詠んだもので、ためらいもなくよく詠めたことだとちょっと意外でした。しかし、その歌は宮に「大変かわいらしい」と思わせるものでしたが、ここにきての歌はすでに何か自然で、すでに間柄が定着した感があるという気がします。こちらが馴れたのでしょうか。》

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第九段 翌朝、匂宮、京へ帰る~その1


【現代語訳】

 夜になって、京へ遣わした大夫が帰参して、右近に会った。
「后の宮からもご使者が参って、右の大殿もご不満を申されて、『誰にも知らせあそばさぬお忍び歩きは、まことに軽々しく、無礼な行為に遭うこともあるのに、総じて、帝などがお耳にあそばすことも、わが身にとってもまことにつらい』とひどくおっしゃっていました。東山に聖僧にお会いになりにと、皆には申しておきました」などと話して、
「女というものは罪深くいらっしゃるものです。何でもない家来までうろうろさせなさって、嘘までつかせなさるよ」と言うと、
「聖と呼んでくださったのは、とても結構な。あなた個人の嘘をついた罪も、その功徳で帳消しにおなりになりましょう。ほんとうに、とても困ったご性質で、おっしゃるとおり、いったいどうしてそのような癖がおつきになったのでしょう。前々からこのようでいらっしゃると聞いておりましにしてもとても恐れ多いことですから、うまくお取り計らい申し上げましたでしょうに。無分別なお出かけですこと」と話を合わせる。御前に参って、

「これこれです」と申し上げると、

「本当に、どんなに騒いでいるだろう」と、ご想像になって、
「窮屈な身分はつらいものだ。軽い身分の殿上人などで、しばらくいたいものだ。どうしたらよいだろうか。このように慎むべき外聞も、構ってはいられない。
 大将もどのように思うであろうか。そうであって当然とは言うものの不思議なまでに昔から親しい仲で、このような秘密が知られた時は、恥ずかしく、また何とか世のたとえに言うこともあるので、待ち遠しがらせている自分の怠慢を顧みずに、あなたが恨まれなさるだろうとまで心配になります。まったく誰にも知られぬようにして、ここではない所にお連れ申そう」とおっしゃる。

今日までもここにじっとしていらっしゃるわけにはいかないので、お出になろうとするにも、魂は女の袖の中にお残しになって行くのであろう。

 

《その日の夜になって、時方が京から帰って来て、明石中宮からも夕霧右大臣からも問い合わせがあったことを伝えます。『誰にも知らせあそばさぬ…』はその中の夕霧からのものと考えるようです(『谷崎』は、中宮から伝えられた夕霧の言葉として訳しています)。

 「女というものは…」は、本気の愚痴ではなく、右近を相手にたわむれた趣がありますが、同時に「じぶんの働きを吹聴するところもあろう」(『評釈』)と思われます。

それに対する右近の返事もなかなかで丁々発止といったところです。うちの姫を聖と言ったのだから、女だからと文句を言ってはいけない、それであなたの嘘の罪はを「帳消し」していただけるというご利益があるから大丈夫です、とまず一つ。

次いで「どうしてそのような癖がおつきになったのでしょう」と、暗に「お付きの者が悪いと当てこす」って(『集成』)逆襲します。そして最後に、女の側の女房にお任せになれば何とでもできるのに、こちらに何も知らせないままの「無分別なお出かけ」などなさるから、後始末が大変になったのですよ、とやり込めます。

 そうしておいて二人のところに帰って来て、時方の話を伝えます。

匂宮は、中宮や夕霧の困惑や怒りはよく分かるものの、だからと言って帰る気にもなれません。一方で、薫が知ったらどう思うかとも気になりますが、それは薫の「待ち遠しがらせている自分の怠慢」でこの浮舟を放っておいたのがいけないのだと、都合よく言い訳しながら、今度は自分があなたを他のところに隠したいと、とんでもないことを言いだしました。

彼としてはおそらく初めは、一度だけ思いを果たせばそれでいいというくらいの気持だったのでしょうが、「魂は女の袖の中にお残しになって行く」は、つまり「魂も抜けたさまでお帰りのことでしょう」(『集成』)で、そこまで執着してしまったというわけです。》

第八段 匂宮と浮舟、一日仲睦まじく過ごす

【現代語訳】

 いつもは時間のたつのも長く感じられ、霞んでいる山際を眺めながら物思いに耽っておられたのに、日の暮れて行くのが侘しいとばかり思い焦がれていらっしゃる方に惹かれ申して、まことにあっけなく暮れてしまった。

誰に妨げられることのない長い春の日に、いくら見てもいて見飽きず、どこがと思われる欠点もなく、愛嬌があって、慕わしく魅力的である。その実は、あの対の御方には見劣りがするのである。大殿の姫君の女盛りで美しくいらっしゃる傍に並べたら、お話にもならないほどの女なのに、二人といないと思っていらっしゃる時なので、ただもうまだ見たこともないすばらしい女だと見ていらっしゃる。
 女はまた一方、大将殿をとてもすっきりした感じに見えて他にこのような方がいるだろうかと思っていたが、

「顔立ちが整い輝くような美しさは、この上なくいらっしゃることだ」と思う。
 硯を引き寄せて、手習などをなさる。たいそう美しそうに書き遊んで、絵などを上手にたくさんお描きになるので、若い女心には、気持ちも移ることであろう
「思うにまかせず、お逢いになれない時は、この絵を御覧なさい」と言って、とても美しそうな男と女が、一緒に添い臥している絵を描きなさって、
「いつもこうしていたいですね」などとおっしゃるのにも、涙が落ちる。
「 長き世をたのめてもなほかなしきはただ明日知らぬ命なりけり

(末長い仲を約束してもやはり悲しいのは、ただ人の命が明日のことも分からないか

らなのですよ)
 まったくこのように思うのは、縁起でもないことだ。思いのままに訪ねることがまったくできず、万策めぐらすうちに、ほんとうに死んでしまいそうに思われる。つれないご様子だったのに、なまじどうして探し出したりしたのだろうか」などとおっしゃる。

女は、濡らしていらっしゃる筆を取って、
「 心をばなげかざらまし命のみさだめなき世と思はましかば

(命だけが定めないこの世と思うのなら、心変わりを嘆かなくてもいいでしょうに)」
とあるのを、

「心変わりするのを恨めしく思うようだ」と御覧になるにつけても、大変かわいらしい。
「どのような人の心変わりを見てなのか」などと、にっこりして、大将がここに連れて来られた当時のことを、繰り返し知りたくなって、お尋ねになるのを、つらく思って、
「申し上げられませんことを、このようにお尋ねになるとは」と、恨んでいる様子も、若々しい。自然とそれは聞き出そう、とお思いになる一方で、言わせたく思うのも困ったものである。

 

《「右近の大活躍に守られて、内は二人だけの世界」(『評釈』)です。

 そこで浮舟は、昨夜思いに上った中の宮や母のことももはや思い出すことなく、まるで合意の上の幸せな新妻ように、匂宮に寄り添っています。

彼女は薫を「とてもすっきりした感じに見えて(原文・いときよげに)」と言い、匂宮を「輝くような美しさ(原文・にほひきよらなる)」と言っていますが、『光る』が「きよげ」は「二等の美」で「きよら」は「第一等の美」であるとして、「大野・彼女の心はもう匂宮に傾いてしまった」のだと言います(第四章第一段に関連事項)。

 それを『構想と鑑賞』は「多情で、節操のないさま」と言いますが、彼女に非があるのではなくて、前段の言葉で言えば「(匂宮の)魅力の磁場に引き込まれ」ているのだと考えなければならない所でしょう。作者も「若い女心には、気持ちも移ることであろう」と同情的です。

 もしそういうことを言ってよければですが、作者は女性一般の中に多情性が潜んでいると考えたのではないでしょうか。浮舟が多情なのではなくて、匂宮が女性の持つ多情性を浮舟から引き出してしまった、というようなことのようにも思われます。

 思い返すと、源氏をめぐる女性は、みなひたすら源氏一人を慕い、それぞれがそれ故の苦悩を背負いました。しかし、そうばかりではない思いを、作者は自分の中に発見したのかも知れません。

当時、男性の多情は、当の女性にはたまらないものでも、社会的には当たりまえで、仕方のないものとして見過ごされていた一方で、女性のそれは非なるもので、さればこそ、それを具現する浮舟は東国の卑しい田舎育ちであることが必要だったのだ、だから「(六の君と比べたら)お話にもならないほどの女なのに」という、この美しかるべき場面に水を差すような草子地が必要だったのだ、などというのは、思い付きの憶測にすぎませんが…。

 さて、匂宮の方は、訪ね求めてみたら思いの外に素晴らしい女で、すっかり「思い焦がれて」しまいました。それはいいのですが、その相手が実は取るに足らない女なのだとことさら作者が語っているということは、恋というものがそういうものなのだということとは別のことで、それは作者の匂宮に対する批判でもあるでしょう。

ここはただの濡れ場ではなく、作者の二人に対する批評の場にもなっているようです。

しかし、当の二人は、そういうギャラリーの目には関わりなく、切なげに歌を詠みかわし、そこから後は、愛の戯れがそのまま愛の高揚という、まさに閨中の楽し気な睦言です。どうぞお好きなように、…と言っておきます。》

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第七段 右近、浮舟の母の使者の迎えを断わる

【現代語訳】

 日が高くなったので格子などを上げて、右近は近くにお仕えしていた。母屋の簾はみな下ろして、「物忌」などと書かせて貼っておいた。母君もご自身でおいでになるかも知れないと思って、

「夢見が悪かったので」と理由をつけるのであった。御手水などを差し上げる様子は、いつものようであるが、介添えを不満にお思いになって、
「あなたが先にお洗いになったら」とおっしゃる。女君は、たいそう体裁よく奥ゆかしい人を見慣れていたので、束の間も逢わないでいると死んでしまいそうだと恋い焦がれている宮を、

「ご愛情が深いとは、このような方を言うのであるろうか」と思い知られるにつけても、「不思議な運命だわ。皆が噂をきいたら、どのようにお思いになるだろう」と、まずはあの宮の上のお気持ちを思い出し申し上げるが、
「素性を知らないので、返す返すもとても情けない。やはり、ありのままにおっしゃってください。ひどく身分の低い人だと言っても、ますますいとおしく思われましょう」と、無理やりにお尋ねになるが、そのお返事は決してしない。他のことでは、とてもかわいらしく親しみやすい様子にお返事申し上げたりなどして、言うままになるのを、もうこの上なくかわいらしいと御覧になる。
 日が高くなったころに、迎えの人が来た。車二台と乗馬の人びとで、いつものように荒々しい者が七、八人。男連中が大勢、例によって、下品な感じで、ぺちゃくちゃしゃべりながら入って来たので、女房たちはあれこれと体裁悪がって、
「あちらに隠れていなさい」と言わせたりする。右近は、

「どうしよう。殿がおいでになっている、と言った時、京では、それほどの身分の方がいらっしゃる、いらっしゃらないというのは、自然と知られていて、隠せないことかも知れない」と思って、この女房たちにも、特に相談せずに、返事を書く。
「昨夜から穢れなさって、とても残念なこととお嘆きになっていらっしゃったのですが、昨夜、悪い夢を御覧あそばしたので、今日一日はお慎みなさいと言って、物忌をいたしております。返す返すも残念で、悪夢が邪魔しているように拝見いたしております」と書いて、人びとに食事をさせてやった。尼君にも、
「今日は物忌で、お出かけなさいません」と言わせた。

 

《夜が明けましたが、二人に付いているのは右近だけです。物忌みということにしましたが、急な話なので、夢見が悪かったことにします。

洗面道具は、「いつものよう」、つまり薫の時と同じように、用意しました。当然匂宮の前に差し出すのですが、宮は「介添えを不満にお思いになって」、「あなたが先にお洗いになったら(原文は、「洗わせたまはば」と、いわゆる最高敬語になっています)」と、浮舟に譲りました。『集成』は「(右近一人の)介添を不満に思われて」と言いますが、それでは話がつながらない気がします。

『評釈』が「手水も右近が世話をする。ほかの者を近づけないから、浮舟も手伝わねばならない。匂宮は女君を女房あつかいすることを気にして、同じく洗うことを勧める」と言っていて、最高敬語を使った気持ちに符合します。彼の気持ちは本気なようです。

 浮舟は、「たいそう体裁よく奥ゆかしい人を見慣れていた」、つまり薫がそういう身分を越えた振る舞いをするのを見たことがなかったので、驚きながら、匂宮の「恋い焦がれて」くれているらしい心情を一瞬で理解したようです。

 匂宮はさらに、ぜひ身元を聞きたいと言い、「ひどく身分の低い人だと言っても、ますますいとおしく思われましょう」とまで言います。これも、いつまでもつ気持ちかは別として、女二宮を迎えた時に「運命も悪くはなかったのだ」という思いを抱く薫(宿木の巻第八章第七段)には言えない言葉でしょう。

しかし浮舟は中の宮と薫の手前、素性を明かすことはできません。ただ、それ以外のことでは「(匂宮の)言うままになる」のでした。ちょうど源氏にとっての夕顔のような感じです。後世、『更級日記』の筆者は「さかりにならば、…光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ」と書き残しました。あの日記を書いた人が、とてもこの二人のようになれようとは思えませんが、二人に共通項のあることの証ではあります。

昼になって、北の方の所から参詣の迎えが来ました。とても行かせることのできる事態ではないので、右近は、月のさわりということにして断りの手紙を書きました。

さて、そういうふうに話は進んできたのですが、思い返せば、前夜の匂宮の振る舞いは、私たちの感覚で言えば、それこそ「レイプ」に他ならないように思われます。そういう事態に陥った女性が、その翌朝、ここに見られるような態度でいられるというのは、不思議な気もします。それについては、源氏と紫の上の新枕の話のところ(葵の巻第三章第一段2節)でも触れましたが、『源氏物語の愛』所収「源氏物語のおもしろさ」(秋山虔講演記録)が、源氏と空蝉の関係を例に挙げて、次のように言っています。少し長いですが、…。

「瀬戸内(寂聴)さんは源氏の女性関係についてよくレイプという言い方で説明しておられるようですけれども、それでは『源氏』を現代の風俗小説のレベルに引き換えてしまうことにならないでしょうか。…鬼神も荒立つまじき優しさと書かれている源氏との出会いに、空蝉はほとんど魂を抜かれてしまっておりますでしょう。彼女ははじめから源氏の魅力の磁場に引き込まれている。にもかかわらず二度と源氏を許さないのは、源氏にひたすら慕い寄る自分自身との戦い、葛藤を生きる、その苦しみが、源氏を寄せつけないのだろう、その呼吸を読み取ることが肝要です。…『源氏物語』に登場する女性達は、この物語の世界に設定された現実の社会の仕組み、…その世界の中に具体的に生きている。決して現代の歴史社会の中を生きている私達と等身大の存在ではないのです。…私達のレベルに『源氏』の世界を引きおろすのでなく、あちらに抱き取られることによって、作中人物と共に生きる、もう一つの人生を生きることができるのであります。」

 浮舟が思ったのは、「噂をきいたら、どのようにお思いになるだろう」(「敬語を使っているので自分より上の人、母、中の宮などが主語・『評釈』」)ということだったのであって、自分のプライドや貞操を傷つけられたことの痛みなどということについては、何一つふれていません。「魅力の磁場に引き込まれ」るという言葉が理解しやすく、浮舟にとって匂宮がそういう人だったというふうに読むところなのでしょう。》

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第六段 右近、匂宮と浮舟の密事を隠蔽す

【現代語訳】

 右近が出て来て、この声を出した人に、
「これこれとおっしゃっていますが、やはりとても見苦しいなさりようです、と申し上げてください。驚くほど目にもあまるようなお振る舞いは、どんなにお思いになっても、あなた方お供の人びとのお考えでどうにでもなりましょう。どうしてこう考えもなくお連れ申し上げなさったのですか。無礼な行ないを致す山賊などが途中で現れましたら、どうなりましょう」と言う。内記は、

「なるほど、とてもやっかいなことだなあ」と思って立っている。
「時方とおっしゃる方は、どなたですか。これこれとおっしゃっています」と伝える。笑って、
「お叱りなさることが恐ろしいので、そうでなくても逃げ帰りましょう。実のところは、並々でないご執心を拝見しますので、皆が皆、命がけで参ったのです。まあよい、宿直人も、皆起きたようです」と言って急いで出て行った。右近は、

「人に知られないようにするには、どうだましたらよいものか」と困りきっている。

女房たちが起きたので、
「殿は、訳があってたいそう人目を避けていらっしゃる様子を拝見しますと、道中で大変なことがあったようです。お召物などを、夜になってこっそりと持参するように、おっしゃっています」などと言う。女房たちは、
「まあ、気味が悪い。木幡山はとても恐ろしいという山ですよ。いつものように、お先も払わせなさらず、身をやつしていらっしゃったでしょうに、まあ、大変なこと」と言うので、
「お静かに、お静かに。下衆どもが、少しでも聞きつけたら、とても大変なことになりましょう」と言っているが、嘘をつくのが恐ろしい。具合悪く、殿のお使いが来た時にはどのように言おうかと、
「初瀬の観音様、今日一日がご無事で暮らせますように」と、大願を立てるのであった。
 石山寺に、今日参詣させようとして、母君が迎えに来るのであった。この邸の女房たちも皆精進潔斎をし、身を清めていたが、
「それでは、今日はお出かけになれないでしょう。とても残念なこと」と言う。

 

《お手上げするしかない匂宮の振る舞いに、右近は部屋から出て、お供の人を探しますと、さっき咳払いした男(それは内記だったのでした)がいましたので、一体全体なんとしたことか、何とかしなさいよと、「八つ当たり」(『評釈』)です。さすがに内記もまずいことになったとは思いましたが、思案に暮れるばかりのようです。

 仕方なく時方という男への伝言を言いつけました。彼は、あなたの剣幕が恐ろしいので、言われなくても逃げ出したいところですから、そのいいつけなら喜んでと、冗談を交えての返事です。

ついでに、私たちだって「身を捨てて」お供して来たので、決して「無分別に」来たのではないと、弁解を添えます。そこで「もっと弁解したいけれども」(同)「(この邸の)宿直人も、皆起きたようで」、自分たちが見つかると匂宮が来ているということになってしまいますから、「急いで出て行」き、身を隠します。

結局ひとり後に残って、右近は、何とか弥縫策を考えねばなりません。

 起きて来た女房たちには、昨夜の匂宮の盗賊に襲われたという話のままに薫が来ているように装い、驚く女房たちに内聞にするようにくぎを刺しました。とりあえずはそれでいいのですが、もし薫の使いが来たりしたら、などと考えると空恐ろしく、神仏に祈るしかありません。

 女房が、今日母君と「参詣」の予定だったのに、ダメになりましたねと、残念そうにつぶやきます。このことへの右近の反応が語られませんが、彼女は女房の言葉に、おおそうだったと思い出したのではないでしょうか。

 大至急、今度はそちらへの対応を考えねばなりません。

 ところで、途中「笑って、『お叱りなさることが…』」を、諸注、時方の言動としているので、ここではそれに従いました、そうするとその後の内記の存在が無くなってしまいます。これを内記のものとして、初めのところは時方に代わっての返事と考える方が分かりやすいような気がするのですが、どうなのでしょうか。》

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