源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 匂宮の物語

第三段 二月上旬、薫、宇治へ行く

【現代語訳】

 月が替わった。このようにお焦りになるが、お出かけになることはとても無理である。「こうして物思いばかりしていたら、長生きもできないわが身だ」と、心細さが加わってお嘆きになる。
 大将殿は、少しのんびりしたころ、いつものように人目を忍んでお出かけになった。寺で仏などを拝みなさる。御誦経をおさせになる僧にお布施を与えたりして、夕方に、こちらには人目を忍んでだが、この方はひどく身を簡略になさるでもない。烏帽子に直衣姿がたいそう申し分なく美しい感じで、歩んでお入りになるなり、こちらが恥ずかしくなりそうで心配りが格別である。
 女君は、どうしてお会いできようかと、空にも目があって恐ろしく思われるので、強引であった方のご様子が自然と思い出されるにつけて、一方でこの方にお会いすることを考えると、ひどくつらい
「私は今まで何年も会っていた女の思いが、皆あなたに移ってしまいそうだ」とおっしゃったが、本当にその後はご気分が悪いと言って、どの方にもいつものようなご様子ではなく、御修法などと言って騒いでいるというのを聞くと、

「また、どのようにお聞きになってどのようにお思いになるだろうか」と思うにつけてたいそうつらい。
 この方はこの方でたいそう感じが格別で、考え深く、優美な態度で、久しく会わなかったご無沙汰のお詫びをおっしゃるのも言葉数多くなく、恋しい愛しいと直接には言わないが、いつも一緒にいられない恋の苦しさを、品がいい程度におっしゃるのが、言葉を尽くして言う以上に、たいそう胸に沁みると誰もが思うにちがいないような感じを身につけていらっしゃる人柄である。美しく魅力的なことは無論のこと、将来末長く信頼できる性格などが、この上なくまさっていらっしゃった。
「心外だと思われるような気持ちなどが、漏れてお耳に入った時は、とても大変なことになるであろう。不思議なほど正気もなく恋い焦がれていらっしゃる方を恋しいと思うのも、それはとてもとんでもなく軽率なことだわ。」

この方に嫌だと思われて、お忘れになってしまう心細さは、とても深くしみこんでいたので、思い乱れている様子を、

「途絶えていたこの幾月間に、すっかり男女の情理をわきまえ、成長したものだ。何もすることのない住処にいる間に、あらゆる物思いの限りを尽くしたのだろうよ」と御覧になるにつけても、気の毒なので、いつもより心をこめてお語らいになる。

 

《二月になっても匂宮は「お出かけになる」ことができません。宮の場合は用務があるというよりも、母中宮などの監視が厳しいのでしょう。

一方薫は一月下旬の司召しなども終わって「すこしのんびりした」ようで、宇治に出かけます。以前右近が使いの話として伝えていたとおり(第二章第二段)の訪れで、律儀な彼の誠意の表し方です。そして彼の場合は、行っても、真っすぐに浮舟の所へなどということはなく、手順を踏んで、周囲の者たちを納得させて、やおら夜になってからのお訪ねです。

 さて、浮舟の方は、本当はどの面下げて会えようか、といった気持ちですが、もちろん会わないわけにはいきません。

彼が部屋に入って来る気配がします。「こちらが恥ずかしくなりそうで心配りが格別」な薫の姿を感じながら、彼女は匂宮の面影を思い浮かべてしまっています。

そしていよいよ向き合うとなると、彼女は薫に会ったことを匂宮が聞いたら「どのようにお思いになるだろうか」と思うと、「まことにつらい(原文・いと苦し)」のでした。どうやら浮舟の心情はすっかり匂宮に傾いているように見えます。

しかし実際に会ってみると、この方はこの方で、もちろんたいそう感じが格別で、考え深く、優美な態度で」申し分ありません。もっとも、「申し分なく美しい感じ(原文・あらまほしくきよげにて)」であって、ここでもやはり「きよげ」という第二等(第二章第八段)の表現が使われています。素晴らしいと言っても、匂宮のようには胸がときめくほどではない、ということの現れでしょうか。

 そうは言っても、「将来末長く信頼できる性格などが、この上なくまさっていらっしゃ」るのであって、当時の女性たちの現実面での極めて重要な関心事である点については、こちらが上であることは明々白々です。ここで匂宮を「強引であった方」とか、「不思議なほど正気もなく恋い焦がれていらっしゃる方」と呼んでいるのは、そういう薫の安定感との対比を強調することになってもいるようです。

そういう薫に、自分が「心外だと思われるような(匂宮に対する)気持ち」を抱いているということが知られたら、将来の安定を取り上げられてしまうに違いなく、「とんでもなく軽率なこと」ことなのだと思われて、浮舟は「思い乱れて」います。

 薫はそんなことは知りませんから、その思い乱れている様子を、自分が長く訪ねなかったことを悲しみ怨んで見せているのだと思い込んで、この人も女らしくなったと喜び、ますます優しく言葉をかけます。

浮舟はいっそうつらい思いになります。》

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第二段 明石中宮からと薫の見舞い

【現代語訳】

 内裏から大宮のお手紙が来たのでお驚きになって、やはり釈然としないご様子で、あちらにお渡りになった。
「昨日は心配しましたが、ご気分がお悪かったそうで、それが悪くないようなら参内なさい。久しく見えませんこと」などというように申し上げなさったので、大げさに心配していただくのもつらいけれど、ほんとうにご気分も正気でないようで、その日は参内なさらない。上達部などが、大勢参上なさったが、御簾の中でその日はお過ごしになる。
 夕方、右大将が参上なさった。
「こちらに」と言って、寛いだ恰好でお会いになった。
「ご気分がお悪いということでございましたので、宮におかれましてもとてもご心配あそばされていまして。どのようなご病気すか」とお尋ね申し上げなさる。見ただけで、お胸がどきどき高まってくるので、言葉少なくて、

「聖めいているというが、途方もない山伏心だな。あれほどかわいい女を、そのままにして置いて、何日も何日も待ちわびさせているとは」とお思いになる。
 いつもはほんの些細な機会でさえ、自分はまじめな人間だと振る舞い自分で言っていらっしゃるのを悔しがりなさって、何かと文句をおつけになるのを、このような事を発見したのを、どんなにかお言い立てになるところだろう。けれども、そのような冗談もおっしゃらず、とてもつらそうにお見えになるので、
「お気の毒なことです。大したご病気ではなくても、やはり何日も続くのはとてもよくないことでございます。お風邪を充分ご養生なさいませ」などと、心からお見舞い申し、述べてお出になった。

「気のひけるほど立派な人だ。私の態度を、どのように比較しただろう」などと、いろいろな事柄につけて、ひたすらあの女を、束の間も忘れずお思い出しになる。
 あちらでは、石山詣でも中止になって、まことに何もすることない。お手紙には、とてもつらい思いをたくさんお書きになってお遣りになる。それでさえ気が落ち着かず、「時方」といってお召になった大夫の従者で、事情を知らない者を遣わしたのであった。
「私が古くから知っていた者で、殿のお供で訪ねて来まして、昔に縒りを戻して懇意になろうとするのです」と、女房仲間には言い聞かせていた。何かと右近は、嘘をつくことになったのであった。

 

《初めの「やはり釈然としないご様子で(原文・なほ心解けぬ御けしきにて)」は渋谷訳です。他に「ご機嫌の直らぬご様子で」(『集成』)、「すっきりしない御様子で」(『評釈』)とありますが、これらはいずれも「薫のことを疑っている」(『評釈』)という解釈です。ということは、前段の匂宮の中の宮への詰問をそのまま本気の言葉と考えているわけですが、しかし、いくら何でも自分が怪しからぬ浮気をしながら大井に心を残して帰ってきたばかりのところで、毎度からかうように言っている妻への不安を、そんなに本気で考えるとは思われない気がします。

あれは名の宮に対する照れ隠しのごまかしで、意に反して浮舟と別れて帰らねばならなかったことへの心残りや腹立たしさ(意思を通せなかったことへの坊ちゃん育ちのいらいら、とも言えそうです)が、まだ残っていたということではないでしょうか。それが、このあと薫を見た時の気持ちになって表れるのだと思うのですが…。

 「あちらにお渡り」は、寝殿に帰ったということ、「后の宮の文は、寝殿に帰って拝見しなければならない」(『評釈』)のだそうです。文を開くと、中宮からの優しいおさとしがありましたが、従う気分になれません。上達部たちがお見舞いにやって来ましたが、そのまま奥に引っ込んでしまいました。手紙の「ご気分がお悪かったそうで」は匂宮ですが、『評釈』は帝のこととして「ご機嫌が悪かった」と訳しています。

 そうしているところに、いよいよ薫が見舞いにやって来ました。

 「見ただけで」匂宮は後ろめたさが募って、「お胸がどきどき高まってくるので、言葉少な」になってしまうようなのに、その上にきちんとした改まった挨拶で、押されっぱなしの心の平衡を保つには、せめて胸のうちで薫を馬鹿にする気持を掻き立てなければなりません。

 できれば「このような事を発見した」とからかってそこで優位に立ちたいのですが、言ったが最後、薫は二度とあの女には会えなくするでしょうし、またあのような入念な隠し方からして薫の匂宮への憤りもひととおりではないと思われて、結局彼は口をつぐむしかありません。

 何も知らない薫は、あくまでも礼儀正しく「心からお見舞い申し」て帰っていきました。

 そのきちんとしたすきのない姿を一人になって思い返すと、匂宮は、何だか自分がたいへん悪い、つまらない人間のように思われてきて、あの浮舟は今頃私と薫を天秤にかけているのではなかろうか、そうすればあの女は薫を選ぶかもしれない、妄想は悲観的に流れて、それにつけてももう一度早く会いたいとばかり思われます。彼は急いで文を送り、使いをやります。あちらでは右近がまた何かと言い繕わ
ねばなりません。》


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第七段 匂宮、薫の噂を聞き知り喜ぶ

【現代語訳】

「とても嬉しいことを聞いたことだ」とお思いになって、
「はっきりと名前を言わなかったか。あちらに以前から住んでいた尼をお訪ねになると聞いていたが。」

「尼は渡殿に住んでおりますそうです。この人は、今度建てられた所に、こぎれいな女房なども大勢使って、見苦しくない具合で住んでおります」と申し上げる。
「おもしろい話だな。どのような考えがあって、どのような人を、そのように据えていらしゃるのだろうか。やはり、とても一風変わったところがあって、普通の人と似ていないご性分だな。
 右大臣などが、『この人があまりに仏道に進んで、山寺に夜もともすればお泊まりにもなるというが、軽々しい行為だ』と非難なさると聞いたが、本当に、どうしてそんなにも仏の道に忍んで行かれるのだろう。やはりあの思い出の地に心を惹かれているのだと聞いたが、こういうことがあったのだな。
 どうだ、誰よりも真面目だと分別顔をする人の方こそ、ことさら誰も考えつかないようなところがあるものだよ」とおっしゃって、たいそうおもしろいとお思いになった。

この人は、あちらの邸でたいそう親しくお仕えしている家司の婿であったので、隠していらっしゃることも聞いたのであろう。
 お心の中では、

「何とかして、この人を、前に会ったことのある人かどうか確かめたい。あの君が、それほどまでにして据えているのは、平凡で普通の女ではあるまい。こちらとは、どうして親しくしているのだろう。しめし合わせて隠していらっしゃったというのも、とても悔しい」と思われる。

 

《大内記は問われるままに知っている限りのことを話します。

 そして匂宮もまた、その大内記と話していることで、だんだんに面白くなって関心が深まり、深みに入り込んでいくという感じです。

 特に「しめし合わせて隠していらっしゃったというのも、とても悔しい」ということから、関心が深まるというのは、源氏の時にはなかったことです。

 源氏は、好色でしたが、彼の関心は、かかわりのあった多くの女性の誰に対しても、ひとえにその人自身の持つ魅力にあったのであって(それは例えば女三宮にしても、彼女の「宮」であるという高貴さが魅力であったので)、ここのように、本人には関係なく、人が隠しているから、それを横取りしようというような感覚を抱いたことはありませんでした。

 それは、いわばまったく遊びとしての好色です。それが倫理的にけしからんとかいうことではなくて、これまで彼が中の宮や、また六の君に対してさえ度々示してきた、あの誠実さや思いやり(総角の巻第七章第六段、また第三章第七段1節など)が、ここには見られないということが、違和感をおぼえさせるということなのです。

 同じ一途な思いと言っても、中の宮に対する思いやりや一途さに比べて、浮舟に対するそれには基本的にとでは、雲泥の相違があって、彼が、いつ、どうして、そういうふうに変わったのか、それが説明されていません。

 薫は浮舟を大君の代わりとしか思っていません。匂宮はただ人が懸命に隠すからそれを暴いて鼻を明かしたい(もちろん、初めて見た時はそれなりにかわいいとは思ったのですが)という気持ちから追いかける、…。

浮舟という人は、結局彼女自身を愛されるのではなく、彼女自身には責任の負いようのないものによって二人の男にまとわりつかれ、振り回される、そういう不幸な運命を背負っているように見えます。》

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第六段 匂宮、大内記から薫と浮舟の関係を知る

【現代語訳】

 ご自分のお部屋にお帰りになって、
「不思議なことだ。宇治に大将がお通いになることは、何年も続いていると聞いていた中でも、こっそりと夜お泊まりになる時もあると人が言ったのを、実にあまりな故人の思い出の土地だからとて、とんでもない所に旅寝なさることだと思ったのだが、あのような女を隠してお置きになっているからなのだろう」と合点なさることもあって、ご学問のことでお使いになる大内記で、あちらの邸に親しい縁者がいる者をお思い出しになって、御前にお召しになる。参上した。

「韻塞をしたいのだが、詩集などを選び出して、こちらにある厨子に積むように」などとお命じになって、
「右大将が宇治へ行かれることは、相変わらず続いているのか。寺を、とても立派に造ったと言うね。何とか見られないかね」とおっしゃると、
「寺をたいそう立派に、荘厳にお造りになって、不断の三昧堂など、大変に尊くお命じになったと聞いております。

お通いになることは、去年の秋ごろからは、以前よりも頻繁に行かれるそうです。下々の人びとがこっそりと申した話では、『女を隠し据えていらっしゃって、憎からずお思いになっている女なのだろう、あの近辺に所領なさる所々の人が、皆ご命令に従って参上してお仕えしている。宿直を担当させたりしては、京からもごく内密に、必要なものなどをお尋ねになる。どのような幸い人が、さすがに心細くおいでなのだろうか』と、ちょうどこの十二月のころに申していた、とお聞き致しました」と申し上げる。

 

《宇治から中の宮のところに手紙が来たところに立ち会う格好になって、匂宮は大方を察したようです。そして、彼はそのことにはないも触れないで、中の宮の機嫌がよくなく見えることにして、そそくさと部屋に帰っていきました。中の宮も、気付かれたのだと察して、「お気の毒なことになってしまいましたね」と言っていました(前段)。

 さて、彼の動きは積極的で機敏でした。これまでの中の宮とのなれそめの折(総角の巻第三章第三段)などでは、大方のことを薫におんぶにだっこだった姿勢とはずいぶん違います。もっとも、侍女であっても気に入れば「身分柄あってはならない実感でお尋ねあそばす」(巻頭)と言われた人ですから、あの時の方が遠出とあって例外なのかも知れません。

 まず、手近に都合のいい大内記がいることを思い出して、早速呼び寄せました。そして表向きの用事を言いつけ、その仕事をさせながらでしょうか、世間話のように薫の作っているという寺の様子を訊ね始めました。

 大内記は正六位上、殿上人にも入らない下級官吏ですから、宮から近々に声を掛けられ、しかも世間話の相手をすることとなった喜びと緊張とからでしょうか、匂宮が訊いたのは寺を見られないものかということだったのに、聞かれもしない薫のプライベートな消息の詳細をぺらぺらと語りました。それも、直接自分が誰かから聞いたというのでさえない、下々の者たちがそういう噂を語り合っていたという話を聞いた、というまことに頼りないはずの情報です。
 大内記としては、話ができるだけでもありがたく、少しでもたくさんの話をしていたい気持ちでしょうか。》

第五段 匂宮、手紙の主を浮舟と察知す

【現代語訳】

 特に才気のあるようなところも見えないが、心当たりがないのが不審に思われて、こちらの立文を御覧になると、なるほど女性の筆跡で、
「年が改まりましたが、いかがお過しでしょうか。あなた様ご自身におかれましても、どんなに楽しくお喜びが多いことでございましょう。
 こちらでは、とても結構なお住まいで行き届いておりますが、やはり不似合いに存じております。こうしてただつくづくと物思いにお耽りになるよりは、時々そちらにお伺いなさって、お気持ちをお慰めあそばしませ、と存じておりますが、気がねされて恐ろしい所とお思いになって、気の進まぬこととお嘆きになっているようです。
 若宮の御前にと思って、卯槌をお贈り申し上げなさいます。ご主人様が御覧にならない時に御覧下さいませ、とのことでございます」と、こまかく言忌もできずに、もの悲しい様子が見苦しいのにつけても、繰り返し繰り返し、変だと御覧になって、
「今はもう、おっしゃいなさい。誰からのですか」とお尋ねになると、
「昔、あの山里に仕えておりました女の娘が、ある事情があって、最近あちらにいると聞きました」と申し上げなさると、並みのお仕えする女とは見えない書き方にお分かりになって、あの厄介なことがあると書いてあったので思い当たられた。
 卯槌が見事な出来で、時間をもてあましている人が作った物だと見えた。松の二股になったところに、ヤブコウジの実を拵えて、それを貫き通した枝に、
「 まだふりぬものにはあれど君がためふかき心にまつと知らなむ

(まだ古木にはなっておりませんが、若君様のご成長を心から深くご期待申し上げて

おりますことをお汲み取り下さい)」
と、特にたいした趣向もない歌なのを、

「あのずっと気にかかっている女のか」とお思いになると、思い当たられて、
「お返事をおやりなさい。情がないですよ。隠さなければならない手紙でもあるまいに。どうしてご機嫌が悪いのですか。退散しましょうよ」と言って、お立ちになった。

女君は、少将などに向かって、
「お気の毒なことになってしまいましたね。幼い童女が受け取ったのを、他の女房はどうして気づかなかったのでしょう」などと、小声でおっしゃる。
「もし見ましましたら、どうしてこちらへお届けしたりしましょうか。ぜんたい、この子は思慮が浅く出過ぎています。将来性がうかがえて、おっとりとしているのが好ましいものです」などと叱るので、
「お静かに。幼い子を叱りなさるな」とおっしゃる。去年の冬、ある人が奉公させた童女で、顔がとてもかわいらしかったので、宮もとてもかわいがっていらっしゃるのだった。

 

《いきなり初めのところでの「…は見えないが、心当たりがないので」という逆説のつながりに戸惑わされますが、中身は取るに足らない手紙だが、心当たりがない事だけが気になって、といったような意味なのでしょうか。

 手掛かりを求めて「立文」(「正式の手紙の形式」・『集成』)を開いて見ますが、女性の筆跡で、宮とすれば、ほっとする気持ちと、拍子抜けと、こもごもです。

 それでも読んでみると、こちらもあまり気の利いた文章ではなかったのでした。

「(正月だというのに)縁起でもない言葉を慎むことを忘れて」(『集成』が、「不似合いに(ふさはしからず)」、「気がねされて恐ろしい所(つつましく恐ろしきもの)」、「気の進まぬこととお嘆きになって(憂きこのち嘆かせたまふ)」とあるのがそれだと言います)、「もの悲しい様子が見苦しい」文面です。

匂宮にはそういう手紙を書きそうなものが思い当たらず、改めて中の宮に白状を迫りました。中の宮はやむを得ず、「あの山里に仕えておりました女の娘」ということで収めようとします。

それを聞いて匂宮は、こんなにものを知らない文面を書きながら一方で「並みのお仕えする女とは見えない書き方」(中の宮に対して女房とは思えない親し気な書き方になっている、ということでしょうか)をする者、昔のゆかりのある娘、そして二条院を「気がねされて恐ろしい所」と思っている、この三つの線の交点に、ついに「あの厄介なこと」のあった娘を思い浮かべてしまったのでした。

それが分かって、匂宮の思いはたちまちそっちの方に飛んでしまって落ち着かず、そそくさと部屋に帰って行きます。

 残った中の宮と女房たちは、顔を見合わせて、反省しながら、どうしようかと思案顔ですが、後はしばらく匂宮の出方を待つしかありません。》

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