源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 浮舟と匂宮の物語

第八段 浮舟と中の宮、物語絵を見ながら語らう

【現代語訳】

 絵などを取り出させて、右近に詞書を読ませて御覧になると、向かい合って恥ずかしがっていることもおできになれず、熱心に御覧になっている燈火の姿は、まったくこれという欠点もなく、目鼻立ちが整って美しい。額の具合、目もとがほんのりと匂うような感じがして、とてもおっとりとした上品さは、まるで亡くなった姫君かと思い出されるので、絵は特に目もお止めにならず、
「とてもよく似た器量の人だこと。どうしてこんなにも似ているのであろう。亡き父宮にとてもよくお似申していらっしゃるようだ。亡き姫君は、父宮の御方に、私は母上にお似申していたと、老女たちは言っていたようだ。なるほど、似た人はひどく懐かしいものでであること」とお比べになると、涙ぐんで御覧になる。
「姉君は、この上なく上品で気高い感じがする一方で、やさしく柔らかく、度が過ぎるくらいなよなよともの柔らかくいらっしゃった。
 この妹君は、まだ態度が初々しくて万事を遠慮がちにばかり思っているせいか、見栄えのする優雅さという点で劣っているけれども、重々しい雰囲気だけでもついたならば、大将がお相手になさるにも、まったく不都合ではあるまい」などと、姉心にお世話がやかれなさる。
 お話などなさって、暁方になってお寝みになる。横に寝させなさって、故父宮のお話や、生前のご様子などを、ぽつりぽつりとお話しになる。とても会いたく、お目にかかれずに終わってしまったことを、たいそう残念に悲しいと思っている。

昨夜の事情を知っている女房たちは、
「どうしたのでしょうね。とてもかわいらしいご様子でしたが。どんなにおかわいがりになっても、その効がないでしょうね。かわいそうなこと」と言うと、右近が、
「そうでもありません。あの乳母が、私をつかまえてとりとめもなく愚痴をこぼした様子では、何もなかったと言っていました。宮も、会っても会わないような意味の古歌を、口ずさんでいらっしゃいました」
「さあね。わざとそう言ったのかも。それは、分かりませんわ」
「昨夜の燈火の姿がとてもおっとりしていたのも、何かあったようにはお見えになりませんでした」などと、ひそひそ言って気の毒がる。

 

 

《中の宮は浮舟を慰めようと、物語絵を出して右近に読ませて、一緒に見ています。まさか『源氏物語』ではないでしょうが。

 彼女は、物語よりも浮舟の横顔の方を熱心に見ているようです。ずいぶん容貌の美しい娘のようで、以前にもちょっと触れましたが、大君は、少なくとも中の宮と比べてはあまり美人ではなかったはずで(最初の登場の時、妹君はその容貌が、そして姉君はそのたたずまいの優雅さが称えられていました・橋姫の巻第三章第三段)、この美しい娘が「まるで亡くなった姫君かと思い出される」というのは、ちょっと引っ掛かりますが、まあ、そういうこともあるのだということにしておきます。とにかく浮舟は、大君にそっくりの美しい娘だったのです。

 その夜、中の宮は浮舟を泊まらせて、床を並べて父宮の思い出話を語って聞かせますが、 そこで一転して、別の部屋の女房たちのひそひそ話を語ったところがリアリズムでいい感じです。

 「どんなにおかわいがりになっても、…」は匂宮のお手がついたと思っている女房、それに対して右近が「乳母が、…何もなかったと言っていました」と保証して聞かせます。あくまでも、何かがあってほしい気のするゴシップ好きの女房は「さあね、…」と問題を残そうとしますが、もう一度「何かあったようにはお見えになりませんでした」と念を押します。

 これで読者も納得しなければなりません。どうやら、この場は何とか過ぎたようですが、後に不安が残った格好です。》

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第七段 中の宮、浮舟を慰める

【現代語訳】

 この君は、ほんとうに気分も悪くなっていたが、乳母が、
「とてもみっともないことです。何かあったようにお思いになられましょうから、ただおっとりとお目にかかりなさいませ。右近の君などには、事のありさまを初めからお話しましょう」と、無理に促して、こちらの障子のもとで、
「右近の君にお話し申し上げたい」と言うと、立って出て来たので、
「とてもおかしなことがございましたせいで、熱をお出しになって、ほんとうに苦しそうにお見えになるのを、気の毒に拝見しています。御前で慰めていただきたいと思いまして。過ちもおありでない身なのに、とてもきまり悪そうに思い悩んでいらっしゃるのも、少しでも男女のことを経験した者ならともかく、とてもとてもと、無理もなく、お気の毒なことに存じています」と言って、起こしたててお連れ申し上げる。
 正体もなく、皆が想像しているだろうことも恥ずかしいけれど、たいそう素直でおっとりし過ぎていらっしゃる姫君で、押し出されて座っていらしゃる。額髪などが、ひどく濡れているのをちょっと隠して、灯りの方に背を向けていらっしゃる姿は、上をこの上なく美しいと拝見しているのと、劣るとも見えず、上品で美しい。
「この人にご執心なさったら、不愉快なことがきっと起ころう。これほど美しくない人でさえ、珍しい人にご興味をお持ちになるご性分だから」と二人ほどが、御前のこととていつまでも恥ずかしがっていらっしゃることはできないので、見ていた。

お話をとてもやさしくなさって、
「馴れない気の置ける所などと、お思いなさいますな。故姫君がお亡くなりになって後、忘れる時もなくひどく悲しく、身も恨めしく、比べようもない気持ちで過ごして来ましたが、とてもよく似ていらっしゃるご様子を見ると、慰められる気がして感慨深いことです。思ってくれる肉親もない身なので、故人のお気持ちのようにお思いくださったら、とても嬉しいことです」などとお話しになるが、とても遠慮されて、また田舎者めいた気持ちで答え申し上げる言葉も浮かばなくて、
「長年、とても遥か遠くにばかりお思い申し上げていましたので、このようにお目にかからせていただきますのは、すべてが思い慰められるような気がいたしております」とだけ、とても子供っぽい声で言う。

 

《中の宮が、初めの優しい呼びかけにもかかわらず浮舟がやって来ないとあって、自分のもの思いに耽っているころ、乳母がなんとか浮舟の心を慰めようと、やっとなんとかなだめすかして中の宮のところに連れて行きました。

 浮舟は、「たいそう素直でおっとりし過ぎていらっしゃる姫君」で、つまり以前にもあったように(第三章第六段)歳は二十歳ですが、ずいぶん子供っぽい人のようで(というか、作者がそのことを印象づけようとしているようで)、「押し出されて座っていらっしゃる」など、いかにも言われるままにという感じです。

 しかし、これも前にあったように、大変美しい人ではありました(同第三段)。右近と少将は、浮舟が中の宮の御前なので顔を起こしている姿を見て、これではあの好色の匂宮が執心したら「不愉快なこと(妹が姉の寵を奪うといったこと・『集成』)がきっと起ころう」と心配するほどだったのです。ここ、「ご執心なさったら(原文・おぼしつきなば)」と言いますが、さきほど十分に「執心」のさまが見えたのですから、いまさら仮定形もないだろうという気がします。どういう感じなのでしょうか。

 さて、そんなことは思いもしないで中の宮は、先ほどまでの自分への思いはさておき、目の前の妹を慰めようと、「やさしく」、ここで気楽に過ごしてください、仲よくしましょうと、語りかけました。

 しかし、浮舟はまだ先ほどの気持ちが収まらない上に、憧れの姫の前でうまい挨拶の言葉も浮かばず、多くを語ることができません。

 最後、「子供っぽい声で(原文・若びたる声にて)」は、諸注、「無邪気な声で」(『集成』)、「若々しい声で」(『谷崎』)、「子供らしい声で」(『評釈』)と、いろいろに訳しますが、いずれも好意的に聞こえて、先の「おっとりし過ぎていらっしゃる」や、前の「言葉も浮かばなくて」と合わないような気がします。

 ここは浮舟の未熟さ、田舎びた素養の無さを言ったもののように読みたいところだと思われますが、どうでしょうか。》

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第六段 匂宮、宮中へ出向く

【現代語訳】

 宮は急いでお出かけになる様子である。内裏に近い方角なのであろうか、こちらの御門からお出になるので、何かおっしゃるお声が聞こえる。たいそう上品でこの上ないお声に聞こえて、風情のある古歌などを口ずさみなさってお過ぎになる間、何となくいとわしく思われる。予備の馬を牽き出して、宿直に伺候する人を十人ほど連れて参内なさる。
 上は、お気の毒に、嫌な気がしているだろうと思って、知らないそぶりをして、
「大宮がご病気だということで参内なさってしまったので、今夜はお帰りにならないでしょう。洗髪したせいか、気分もさえなくて起きておりますので、いらっしゃい。退屈にも思っていらっしゃるでしょう」と申し上げなさった。
「気分がとても悪うございますので、おさまりましてから」と、乳母を使って申し上げなさる。
「どうなさったのですか」と、折り返してお見舞いなさるので、
「どこが悪いとも分かりませんが、ただとても苦しうございます」と申し上げなさるので、少将と右近は目くばせをして、
「きまり悪くお思いでしょう」と言うのも、誰も知らないよりはお気の毒である。
「とても残念でお気の毒なこと。大将が関心のあるようにおっしゃっているようだったが、どんなにか軽々しいとさげすむであろう。

こんなに好色がましくいらっしゃる方は、聞くに堪えなく事実でないことをもひねくり出し、また実際不都合なことがあっても、さすがに大目に見る方でいらっしゃるようだ。
 この君は、口にはしないで嫌だと思っている点は、とてもこちらが恥ずかしいほど心深く立派なのに、折悪しく心配事が加わった身の上のようだ。

長年見ず知らずであった人のことだが、気立てや器量を見ると、放っておくことができずかわいらしくおいたわしいのに、世の中は生きにくく難しいものだこと。

わが身のありさまは、心に満たぬところが多くある気はするが、このように人並みにも扱われないはずであった身の上が、そのようには落ちぶれなかったのは、なるほど結構なことだった。今はただ、あの困った懸想心がおありの方が、平穏になって離れて下さるなら、まったく何も気に病むようなことはなくなるだろう」とお思いになる。

とても多い御髪なので、すぐには乾かすことができず、起きていらっしゃるのもつらい。白い御衣を一襲だけお召しになっているのは、ほっそりと美しい。

 

《匂宮が出かけていく様子が西廂の浮舟たちのところに聞こえてくる趣で、「こちらの御門」は「二条の院の西の門」(『集成』)です。「内裏に近い方角なのであろうか」という疑問文は変な言い方で、作者自身が建物の位置関係を承知していないように聞こえます。浮舟の立場での言葉なのでしょうか。

 次の「風情のある古歌などを口ずさみなさって」については、『評釈』が「母宮御病気に急ぎ参内というのに、…ひっかかる」と言うとおりですが、一面、匂宮らしいという気もします。しかし、浮舟には、先ほどまでの狼藉を何とも思っていないように思われて、「いとわしく思われ」たのは無理からぬことです。

 さて、中の宮は浮舟を気遣って、気分転換にこちらに来ませんかと誘いました。「洗髪したせいか、気分もさえなくて」は現代では考えられない話ですが、ここの最後にもあるように、当時洗髪がいかに大変な作業であったかを思わせます。

「退屈にも思っていらっしゃるでしょう」と、騒ぎについては知らぬふりです。

 そういわれても、浮舟としては、「どのようにお思いになっているだろう」(前段)と最も気になっているところですから、とても行く気にはなれません。気分が悪くて、と断ると、宮は一応もう一度「どうなさったのですか」とお尋ねです。しつこいようですが、浮舟の気持ちを思って、あくまで知らない体にしておこうという心遣いと思われます。

その中の宮の前で、一部始終を知っている少将と右近が目くばせをしていますから、宮もそれ以上は言わないでおきました。そしてひとりあれこれと物思いです。しかし、その思いはどうも脈絡がなく、ひどく断片的に見えます。

 まずは浮舟のことです。気の毒に、女房たちまで知ってしまった事件ですから、薫の耳に入らずにはいないでしょう。そうなるとかねて関心を寄せておられたあの方が「どんなにか軽々しいとさげすむことであろうか」。ここに敬語がないのが不思議ですが、それ以上に、あの出来事から、女性の側の軽々しさが取り上げられ、咎められるというのが、不思議です。当節、自然災害が起こると、メデイアなどは必ず人為的要因はなかったかと検証しますが、ここで浮舟が検証されるのは、どう考えても気の毒な気がしますが、当時としては、普通の発想だったようです。

 次の「好色がましく…」は匂宮です。中の宮と薫の関係については詮索するくせに、妻の妹と自分が関係を持つことの「不都合」さについては頓着しない、ということのようです。『集成』は「大ざっぱでいいかげんなところのある匂宮の性格を見抜いている」と言いますが、むしろ、身勝手だということではないでしょうか。

 「この君」は薫。立派な方で、浮舟は、何もなければその方の傍におられるはずなのに、かわいそうに、「心配事が加わった身の上」となって、すんなりとは行かなさそうだ、…。

 それに引き換え私は、つらい事ばかりがあったような気がして、人が「幸い人」と言う(宿木の巻第八章第六段)のが不思議に思えていたけれども、こうした身の上になって他の人のことを思ってみると、本当にそうなのかも知れない、あとはただ、薫君の思いが他に向いてさえくれれば…。

ということは、浮舟が早く薫のものになって、関心を奪ってしまってくれればいい、ということでしょうが、今の浮舟はそういう場合ではないので、ずいぶん冷たいように思われます。中の宮のいわゆる「認識の深まり」は、こういう場合大変現実的に働くようで、なかなかクールなところがあるとも言えます。》

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第五段 乳母、浮舟を慰める

【現代語訳】

 恐ろしい夢が覚めたような気がして、汗にびっしょり濡れてお臥せりになっている。乳母が扇ぎなどして、
「このようなお住まいは、何かにつけて遠慮されて不便だったことです。こうして一度お会いなさっては、今後、好いことはございますまい。ああ恐ろしい。この上ない方と申し上げても、穏やかならぬお振る舞いは、本当に困ったことです。
 他の人で縁故のないような人なら好いとも悪いとも思っていただきましょうが、外聞も体裁悪いことと思いまして、降魔の相をしてじっと睨み続け申したので、とても気味悪く下衆っぽい女とお思いになって、手をひどくおつねりになったのは、普通の人の懸想めいて、とてもおかしくも思われました。
 あちらの邸では、今日もひどく喧嘩をなさいましたそうです。『ただお一方のお身の上をお世話するといって、自分の娘を放りっぱなしになさって、客人がおいでになっている時のご外泊は見苦しい』と、荒々しいまでに非難申し上げなさっていました。下人までが聞いて同情申していました。
 全体、この少将の君がとてもいけすかない方と思われなさいます。あの事がございませんでしたら、内輪で穏やかでない厄介な事が時々ございましても、穏便に今までの状態でいらっしゃることができましたものを」などと、泣きながら話す。
 君は、ただ今は何もかも考えることができず、ただひどくいたたまれず、これまでに経験したこともないような目に遭った上に、

「どのようにお思いになっているだろう」と思うと、つらいので、うつ臥してお泣きになる。とてもおいたわしいとなだめかねて、
「どうしてそんなふうにお考えになるのです。母親がいらっしゃらない人こそ、頼りなく悲しいことでしょう。世間から見ると、父親のいない人はとても残念ですが、意地悪な継母に憎まれるよりは、この方がとても気が楽です。何とかして差し上げましょう。くよくよなさいますな。
 いくらなんでも初瀬の観音がいらっしゃるので、お気の毒とお思い申し上げなさるでしょう。旅馴れないお身の上なのに、度々参詣なさることは、人がこのように侮りがちにお思い申し上げているのを、こんなであったのだ、と思うほどのご幸運がありますように、と念じているのです。わが姫君さまは、物笑いになって、終わりなさるでしょうか」と、何の心配もないように言っていた。

 

《九死に一生を得た思いの浮舟は、「汗にびっしょり濡れてお臥せりになって」います。それを見ながら乳母は、一度目をつけられた以上は、ここにいて次は逃れられないだろう、こんなところはこりごりと、他に移ることを考えます。

 相手が「他の人で縁故のないような人なら」、気に入っていただければ、縁もあろうかと思いますが、姉に当たる中の宮の夫君とあっては、「外聞も体裁悪いこと」なのです。

 と言って、しかし元の家に帰ろうとしても、今やそこでは介が、北の方の浮舟への肩入れが過ぎると「今日もひどく喧嘩をなさ」る有様、おまけに「いけすかない」少将の君もいて、とても帰れる状況ではありません。あの少将の縁談さえなければ、多少窮屈でも、「穏便に今までの状態でいらっしゃることができ」たものをと、改めて悔しく思い起こされます。

 一方浮舟は、あの憧れの中の宮(第三章第六段)が「どのようにお思いになっているだろう」と思うと、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、ただもう涙です。

 乳母が懸命に慰めます。『評釈』が「どんな場合にも、なぐさめる言葉を見つけ出すのが乳母だ」と言いますが、ここでも、「意地悪な継母に憎まれるよりは」は、幼いころに自分が語り聞かせた話からの流れのようでもあり、「初瀬の観音」のご利益についても、「旅馴れないお身の上なのに、度々参詣なさ」ったことを挙げるなどは、彼女のその折の苦労を身近に知っているから出てくる話で、それぞれに、幼いころからぴったりと寄り添って来た乳母でなくては言えない言葉のように思われます。

 そう言えば、少将の君との話が破談になったときに、北の方を慰めた言葉もなかなかきちんとしたものだったことが思い出されます(第二章第一段)。

 その一方では、匂宮に立ち向かって「とても気持ち悪く下衆っぽい女とお思いにな」ることも顧みず、「降魔の相をしてじっと睨み続け」るという献身的で気丈なところもあって、こういう危急の時にその値打ちがよく表れたのだという気がします。

 ところで、その折、匂宮が「手をひどくおつねりになった」というのが、何とも意外な振る舞いです。「普通の人の懸想めいて」と言いますから、よくある振る舞いなのでしょうが、乳母とは違った意味で、「おかしく思われ」ます。

 ともあれ、取りあえずは台風一過、一段落のようです。》

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第四段 宮中から使者が来て、浮舟、危機を脱出

【現代語訳】

「上達部が大勢参上なさっている日なので、遊びをお楽しみになって、いつも、このようなときには遅くおいでになるので、みな気を許してお休みになっているのです。それにしても、どうしたらよいことでしょう。あの乳母は、気が強かったのですね。ぴったりと付き添ってお守り申して、引っ張って放しかねないほどに思っていました」と、少将と二人で気の毒がっているところに、内裏から使者が参上して、大宮が今日の夕方からお胸を苦しがりあそばしていたが、ただ今ひどく重態におなりあそばした旨を申し上げる。右近は、
「おあいにくのご病気だこと。申し上げましょう」と言って立つ。少将は、
「さあ、でも、今からでは手遅れでしょうから、馬鹿らしくあまり脅かしなさいますな」と言うと、
「いや、まだそこまではいってないでしょう」と、ひそひそとささやき合うのを、上は、「とても聞きづらいご性分の人のようだわ。少し考えのある人なら、私のことまでを軽蔑するだろう」とお思いになる。
 参上して、ご使者が申したのよりも、もう少し急なように申し上げると、動じそうもないご様子で、
「誰が参ったか。いつものように大げさに脅かしている」とおっしゃるので、
「中宮職の侍者で、平重経と名乗りました」と申し上げる。お出かけになることがとても心残りで残念なので、人目も構っていられないので、右近が現れ出て、このご使者を西面で尋ねると、取り次いだ女房も近寄って来て、
「中務宮がいらっしゃいました。中宮大夫は、ただ今。参ります途中で、お車を引き出しているのを、見ました」と申し上げるので、

「なるほど、急に時々お苦しみになる折々もあるが」とお思いになるが、人がどう思うかも体裁悪くなって、たいそう恨んだり約束なさったりしてお出になった。

 

《「上達部が…」は「右近の言葉」で、「(思いがけない時間のおいでに、女房たちが)匂宮の闖入を防げなかったことの言い訳」(ともに『集成』)です。

 やはりもはや手の出しようがないということのようで、少将(中の宮の側にいたのでしょう)に、乳母の懸命の抵抗の様子を語って聞かせますが、この言い方は、乳母のしていることの方がとんでもない事であるよう言っているように聞こえます。

 と、そこに、内裏から中宮の具合が急変した知らせが飛び込みました。この人もすでに四十三歳、折々こうして体調を崩します。

右近が「おあいにくのご病気だわ」(匂宮に対する戯れの言葉と『集成』が言います)と言いながら、匂宮と浮舟のいるところに行こうとします。

そこで交わされる、少将の「今からでは、手遅れであろう」それに対する右近の「まだそこまではいってないでしょう」は、ずいぶん露骨なやりとりです。聞いていて中の宮はやり切れない気がしてきました。

右近は少将の反対を押し切って、行って宮に「ご使者が申したのよりも、もう少し急なように申し上げ」ます。やはり何とか引き離したいという気持ちはあるようです。

しかし、宮は、またいつものことと、あまり信用しないようです。幸い、使者は誰かと尋ねられたので、その使者を西面に回らせました。「匂宮のいる(西の対の)西廂の庭前。今まではおそらく寝殿の南庭にいたのを、直接こちらに呼んで問う。宮にも直接お聞かせするつもり」(『集成』)ということのようです。

中務の宮(「匂宮の弟宮か」・『集成』)はすでに参上し、大夫(「中宮職の長官」・同)もまもなく参上するでしょう、…。

 直に使者から話を聞くと、さすがに印象が違います。そういう事態になっているのであれば、詮方なしと、宮はやっと浮舟から離れて、しかしさまざまに次を約束して、立ち上がり、帰っていきました。

 さて、こうした一連の匂宮の振る舞いを『構想と鑑賞』は、「源氏にもこれほどの好色無慚はなかった」と言いますが、確かにこれまでの彼の振る舞いからしても、一変した「傍若無人」(同)ぶりです。中の宮に示してきた誠実さとは、ほど遠いものですし、また先に述べた「帝王の愛情」(第二段)とも、何やらずいぶん異なったものに見えてきます。

 私たちはこれからこういう匂宮と付き合わなければなりません。》

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