源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 浮舟の物語(三)

第六段 浮舟の母、中の宮に娘を託す

【現代語訳】

 女君は、内々にとおっしゃった話を、それとなくお話しになる。
「考え付いたことは、執念深いまでに軽々しくなくお考えになるようですから、なるほど、ただ今の様子などを思うと遠慮される気持ちがしましょうが、あの出家をしてもなどとお考えになるのも、同じこととお思いになって、試して御覧なさい」とおっしゃると、
「つらい目にあわせず、誰からも馬鹿にされまいと思えばこそ、鳥の声が聞こえないような深山での生活まで考えておりました。おっしゃるように、殿のご様子や態度などを拝見して存じますことは、下仕えの身分などであっても、このような方のお傍で、親しくしていただけるのは、甲斐のあることでしょう。まして若い女は、きっと心をお寄せ申し上げるにちがいないでしょうが、物の数にも入らない身で、物思いの種をますます蒔かせることにならないでしょうか。
 身分の高い方も低い者も、女というものは、このような男女の仲のことで、現世と来世まで苦しい身になるものだ、と存じておりますので、かわいそうに思うのです。それにしても、話もただお気持ちに任せます。ともかくも、お見捨てにならず、お世話くださいませ」と申し上げるので、たいそうやっかいになって、
「さあね。過去の思いやり深さに気を許しても、将来の様子は分からないことです」とためいきをついて、他には何もおっしゃらずにしまった。
 夜が明けると、車などを引いて来て、介の手紙などが、とても腹だたしげに脅かして言って来たので、
「恐れ多いことですが、万事お頼み申し上げます。やはり、もうしばらくお隠しになって、巌の中なりともどこなりとも思案いたします間は、人並みの者でございませんが、お見捨てなく、何事もお教えくださいませ」などと申し上げておいて、この御方もたいそう心細く、初めてのことで、別れることを心配するが、はなやかで美しく見える所で、しばらくの間もお親しみ申せると思うと、そうはいっても嬉しく思われるのだった。

 

《「内々におっしゃった話を、それとなくお話しになる」と、さっき薫が言い遺した話は北の方には聞こえていないという体の語り口ですが、それにしては中の宮の話を聞いた北の方の返事は実に冷静で、前もっての気持ちの準備がなければ語れる内容ではないように思われます。前段末の「にっこり」も併せ考えると、やはり聞こえていたとする方がよさそうです。

 彼女の返事は、次のようでした。出家させるまで考えていたことから思えば、あのような素晴らしい方のお傍なら、たとえ「下仕えの身分などであっても」お傍に置いていただければ、幸せなことだと思いますが、「物の数にも入らない身で」かえってつらい思いをすることになるのではないかと思うとかわいそうな気がします、…。

どうやら自分では決めかねる様子で、結局は、そこのところを「お見捨てにならず」に世話をしてやって下さいと、げたを預けた形です。「責任を持て、と言うのだ」と『評釈』が言います。

 北の方にしてみれば、自分が経験した苦労を娘にはさせたくないとの気持ちで一所懸命なのです。

一方中の宮は、この話がうまくいけば、薫も満足するだろうし、頼りに思う薫の唯一の困りどころである自分に対する執着をそらすことができるのですから、何とかしたいのはやまやまですが、何と言っても男心の頼りなさ、「将来の様子は分からない」と、困ってしまいました。

そのまま話が終わってしまった翌朝、介から早く帰って来いと、長居に「立腹した文面」の手紙が届いて、北の方は、もう一度「お見捨てなく」と頼み込んで、その返事も聞かないような格好で帰ることになりました。

と、ここで当然中の宮の当惑の話があるかと思いきや、「この御方」は浮舟のことで、突然彼女のことが語られますが、それは、「別れることを心配するが、はなやかで美しく見える所で、しばらくの間も(中の宮と)お親しみ申せると思うと、そうはいっても嬉しく」思ったというものでした。『評釈』は「結婚話が破談になったのは何とも思わない、かわいらしさである」と言いますが、これが二十歳(宿木の巻第七章第四段)の娘の反応であることを思うと、かわいいではすまされない幼稚さ、あるいは軽薄さがあると言うべきではないでしょうか。》

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第五段 浮舟の母、娘に貴人の婿を願う

【現代語訳】

「それでは、その客人に、このような願いを何年も持っていたので、急になど浅く考えないようにおっしゃってお話しになって、みっともない目にあわないようには願います。本当に不慣れなままで参りました私は、何事も愚かしいほどで」と、お願い申し上げておいてお帰りになると、この母君は、
「とても立派で、理想的な様子ですこと」と誉めて、乳母がたまたま思いついて何度も言ったことを、とんでもないことというふうに言ったが、このご様子を見ては、天の川を渡ってでも、このような彦星の光を待ち受けさせたいものなのに、自分の娘は平凡な人と結婚させるのは惜しい様子なのに、東国の田舎者ばかり見馴れていて、少将を立派な人と思っていたのを、後悔されるのだった。
 寄り掛かっていらっしゃった真木柱にも茵にもそのまま残っている匂いや移り香が、言うとことさらめいているほどに素晴らしい。時々拝見する女房でさえ、その度ごとにお誉め申し上げる。
「お経などを読んでいて功徳のすぐれたことがあるように書いてあるのにつけても、香の芳しいのをこの上ないこととして、仏さまが説いておおきになったのも、もっともなことですわ。薬王品などに特別に説かれている牛頭栴檀とかは、大げさな物の名前ですが、まずあの大将殿が近くで身動きなさると、仏さまはほんとうのことをおっしゃったのだ、と思われます。幼くていらっしゃった時から、勤行も熱心になさっていたからですよ」などと言う者もいる。また、
「前世が知りたいご様子ですこと」などと、口々に誉める話を、思わずにっこりして聞いていた。

 

《帰りを促されて、薫は、改めて浮舟に話を通じてくれるように頼んで、引き上げました。それも「急に(今話を聞いての気まぐれに申し出たのだ)など浅く考えないように」、きちんと伝えてくれるように言っての依頼ですから、やはり、「急に心移りする気にはとてもならない」(前段)とは言っても、少なからぬ関心があることは言うまでもありません。

 それを見送った北の方は、先ほど見送った匂宮同様に、またまたいたく感服してしまいました。そして、以前、乳母が言った「ご運勢にまかせて」薫君にお任せになったらいかがか、という意見を、あの時は「まあ、恐ろしいこと」と一蹴したのでした(第二章第一段)が、こうして実際にその人を見てみると、なろうことならそうさせてやり、という気持ちが湧いてきます。

しかしここでも匂宮を見た時と同じように(第二章第五段)織姫を引き出しての感想という芸の無さで、作者は、この人を田舎者として描こうとしているようです。少将に感心したことを何度も持ち出すのも、同じ意味がありそうで、それは彼女が結局は田舎暮らしの続いた、素養の乏しい女房にすぎないことをしめしているようで、ひいては浮舟の出自の低さをそれとなく印象付けることになっています。

 他の女房たちも薫の素晴らしさを語り合うのですが、それを彼女が「思わずにっこりして聞いていた」のは、薫が残して行った言葉を思い返して、大変な幸運が巡って来そうだという喜びからなのでしょう。

 始めのところ、「みっともない目にあわないようには願います」は、原文は「はしたなげなるまじうはこそ」と、変なところに「は」が入った文で、『谷崎』は「先が許してさえくれましたらば」と訳しています。》

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第四段 中の宮、薫に浮舟を勧める

【現代語訳】

 いつものように、お話をとても親しく申し上げなさる。何につけてもただ亡き姫君が忘れられず、世の中がますますつまらなくなっていくことを、はっきりとは言わないで、それとなく訴えなさる。
「そんなにまで深く、どうしていつまでもひとえに忘れられずいらっしゃることがあろうか。やはり、深く思っているように言い出したことだから、忘れられたと思われたくないのだろうか」などと、しいてお思いになるが、人の気持ちははっきりと出るものなので、見ているうちに、切ないお気持ちを、岩木ではないから、お分かりになる。
 お恨み申しされることも多いので、たいそう困ってため息をついて、このようなお気持ちを止める禊をおさせ申し上げたくお思いになったのであろうか、あの人形のことをお話し出しになって、
「とても人目を忍んでこの辺りにいます」と、それとなく申し上げなさると、相手も平気な気持ちではいられず、興味をもったが、急に心移りする気にはとてもならない
「さあ、そのご本尊が願いをお満たしくださったら尊いことでしょうが、時々悩ましく思うようでは、かえって悟りも濁ってしまいましょう」とおっしゃると、最後は、
「困ったご道心ですこと」とかすかにお笑いになるのも、好ましく聞こえる。
「さあ、それでは、すっかりお伝えになってください。このお言い逃れの言葉も、思い出すと不吉な気がします」とおっしゃって、再び涙ぐんだ。
「 見し人の形代ならば身に添へて恋しき瀬々のなでものにせむ

(亡き姫君の形見ならば、いつも側において恋しい折々の気持ちを移して流す形代と

しよう)」
と、いつものように冗談のように言って紛らわしなさる。
「 みそぎ河瀬々にいださむなでものを身に添ふ影とたれかたのまむ

(禊河の瀬々に流し出す形代をいつまでも側に置いておくと誰が期待しましょう)
 『引く手あまたに(あなたには女の方がたくさんいらっしゃる)』とか。不憫でございますわ」とおっしゃると、
「最後の寄る瀬は、言うまでもありませんよ。たいそういまいましい水の泡と同じようですね。捨てられて流される形代は、いやもう、まったくその通りです。どうしたら心が慰むのでしょう」などと言っているうちに、暗くなってくるのもやっかいなので、ほんの一時泊まりに来ている人も、変だと思うのも気がひけるので、
「今夜は、このまま早くお帰りなさいませ」と、機嫌をおとりになる。

 

《「思うところがあっていらっしゃった」(前段)らしい薫は、「いつものように」、「何につけてもただ亡き姫君が忘れられ」ないという話を、「それとなく」話し始めました。

 一方、「現実の人生に対する…認識の深まり」(宿木の巻第二章第五段2節)のできてきた中の宮は、そういつまでも亡くなった人を思い続けていられるものでもなかろうのに、自分は心変わりをしないのだとアピールしていらっしゃるのかしら、と少々勘繰る気持ちで聞いています。

 ところが聞いているうちに、「切ないお気持ちを、…お分かりにな」ったと言います。これはどうやら、作者が、薫の浮世離れした一途さを、中の宮を使って保証しようとしているのでしょう。中の宮への思いはあるにしても、大君への思いも本物なのだと確認しようとしているようです。

 そういう姉への思いと中の宮自身への思いとが重なって、「お恨み申しされることも多」くなってくるとあって、中の宮は、何とか矛先を変えようと、先ほど思ったとおりに、浮舟の話を持ち出したのでした。

かねて話に聞いていた娘が近くにいると聞いて、薫も関心は持ちますが、「急に心移りする気にはとてもならない(原文・うちつけにふと移らむここちはたせず)」のだったと言います。薫の返事も、その「ご本尊」が本当大君のようであったらいいのだが、もし半端な人だったら、またまたあなたのことを「悩ましく思うようでは」、せっかくここまで精進してきた私の心も「濁ってしまい」ますよと、中の宮への戯言で、娘への関心がまるで無いかのように聞こえます。

これはちょっと意外で、中の宮から初めて浮舟の話を聞いたとき、彼は「どうして今まで、少しも話してくださらなかったのですか」(宿木の巻第六章第四段)とたいへん知りたそうで、重ねて詳しい話を求めたのでしたから、「この辺りにいます」という今の話ならなおさらのはずです。

はたして、そう言いながらすぐに、「さあ、それでは、(私の気持ちを先方に)すっかりお伝えになってください」と来ます。

結局中の宮への戯言は、彼の照れ隠しに過ぎなかったということのようで、それならそれでもうちょっと書きようがあろうにと、思ってしまいますが、「困ったご道心ですこと」という対応は、中の宮にはそれと分かっていたことを示していますから、その戸惑いは、読む側の問題と言うべきなのでしょうか。

 「お言い逃れの言葉も…」は、大君もあなたを身代わりにしようとされてお亡くなりになった、今あなたはこの娘を身代わりにしようとされるのは「不吉」な気がします、というもので、自分で言っておいて、彼は涙ぐんでしまいます。

 薫の歌の「なでもの」は「紙製の人形のこと。これで身体を撫で、摘み、災厄、穢れなどを移して、水に流す祓えの具」(『集成』)。その人をずっとそばに置いて、大君が恋しく思われるときは、その人を撫でて恋しさを移し流すことにしましょうか、という気持ち。生身の人を「なでもの」と言ったのが「冗談のよう」ということでしょうか。涙を隠す、照れ隠しのようです。

中の宮の返歌もその薫の「冗談」に合わせたもので、本当に「ずっとそばに置いて」いただけるのでしょうか、とからかい気味の皮肉です。

 薫はその軽口に乗じて逆襲に転じます。「いまいましい水の泡(原文・うれたき水の泡)」は、「なんとか消えないで流れに浮かんでいる(水の泡)」(『集成』古今集792の注)で、それと同じような私の最後の「寄る瀬」は、それはあなたなのですよ、私こそが「形代」で、流されるばかり、心の慰むところがありません、…。

日も暮れてきて、このままおいては、また何かことが起こりそうです。中の宮は、この場の幕を急いで閉じに掛かります。

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第三段 浮舟の母、薫を見て感嘆す

【現代語訳】

 顔立ちも人柄も、憎むことができないほどかわいらしい。はにかみようも大げさでなく、いい具合におっとりしているものの、才気がないでなく、近くに仕えている女房たちに対しても、たいそう上手に姿を見られないようにしていらっしゃる。

「何かものを言うのも、亡くなった姉君のご様子に不思議なまでに似申しあげていることだ。あの身代わりを捜していらっしゃる方にお見せ申し上げたい」と、ふとお思い出しになったちょうど折しも、
「大将殿がお見えです」と、女房が申し上げるので、いつものように御几帳を整えて気遣いをする。この客人の母君は、
それでは拝見させていただきましょう。ちょっと拝見した人が、大変にお誉め申していましたが、宮のご様子にはとてもお並びになることはできますまい」と言うと、御前に伺候する女房たちは、
「さあ、とてもお定め申し上げることができません」と申し上げ合っている。
「どれほどの人が、宮を負かせ申すでしょうか」などと言っているうちに、

「今、車からお降りになっている」と聞くうちに、うるさいほど先払いの声がして、すぐには姿をお見せにならない。待ち申し上げているうちに、歩いてお入りになる様子を見ると、なるほど、何ともご立派で、色めかしい風情とは見えないが、優雅で上品に美しい。
 うっかり対面するのもはばかられて、つい額髪などもつくろってしまって、気がひけるほど嗜み深い態度で、この上ない様子をしていらっしゃった。内裏から参上なさったのであろう、ご前駆の様子が大勢いて、
「昨夜、后の宮がご病気でいらっしゃる旨を承って参内しましたら、宮様方がお傍にいらっしゃらなかったので、お気の毒に拝見して、宮のお代わりに今まで伺候しておりました。今朝もとても怠けて遅く参内あそばしたのを、失礼ながら、あなたのご過失とお察し申し上げまして」と申し上げなさると、
「なるほど、大変に行き届いたお心遣いをいただきまして」とだけお答え申し上げなさる。宮は内裏にお泊まりになったのを見届けて、思うところがあっていらっしゃったようである。

 

《前段の話からの続きですが、こう書かれると、そこに浮舟が同席しているとしなければなりません。しかし、このあと薫が来て中の宮が対面するときは当然引き下がるのでしょうが、その進退が全く語られません。北の方は「それでは拝見させていただきましょう、…」と物陰にさがったようですから、この時に一緒に動いたのでしょうか。いや、これも十九世紀リアリズム文学学徒の些末なこだわりというべきでしょうか。

ともあれ、中の宮が浮舟を見ての品定めですが、読者にとっても初めて、じっくりとこの人を見ることになります。

宮からは、かわいらしく、振る舞いには嗜みがあって、それなりに才気もありそうと、なかなか高い評価が得られました。おまけにしゃべり方が大君にそっくりに思われたのです。ものを言うの「も」似ていたと言いますから、見た目はもちろん、ということでしょう。中の宮が大君に似ているというのは、ほとんど薫の思い込みに過ぎないようですが、この人はそうではなく、妹が見て姉に似ているというのですから、本物です。

中の宮がぜひ薫に会わせたいものだと思っていると、ちょうどそこに薫がやって来ました。それを聞いて北の方は、立て続けに、二人目の噂に高い貴公子をのぞき見する機会を得てうきうきと、そうは言ってもさっきの匂宮にはとてもかなうまいと、傍の女房に語りかけます。普段見慣れている女房も、こういう新入りが話に加わると、得意な気持ちもあって改めて気持ちも弾んで、ちょっとからかうような返事になります。

間をおいて、おもむろに薫が入って来ました。匂宮が、美しさとともにその圧倒的な権威を示して北の方を感服させたのに対して、こちらはひたすらその高貴な優雅さによって北の方を圧倒しました。彼女は隠れていることも忘れて、思わず我と我が「額髪などもつくろってしま」ったほどでした。

 その薫は、中の宮をちょっときわどい軽口でからかいますが、中の宮は気付かぬふうに型どおりの返事で返します。こういう素晴らしい人を相手に対等に言葉を交わしている異母姉をのぞき見していて、母と娘は何を思ったでしょうか。

 しかし語り手はもうそういうことには触れないで、薫の話を先に急ぎます。》

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第二段 浮舟の母、娘の不運を訴える

【現代語訳】

 こまごまとではないが、女房も聞いていたのだと思うので、少将が馬鹿にしたことなどそれとなく話して、
「生きています限りは、何の、朝夕の話相手として暮らせましょう。先立ってしまった後は、不本意な身の上となって落ちぶれてさまようのが悲しいので、尼にして深い山中にでも生活させて、そのような考えで世の中を諦めようかなどと、思いあぐねました末には、そんなことも思います」などと言う。
「ほんとうにお気の毒なご様子のようですが、どうして、人に馬鹿にされるご様子は、このように父親のいなくなった人の常です。そうかといって山住みもできる事ではないので、あえてその所にと父宮がお決めになっていらっしゃった私の身の上でさえ、このように心ならずも生きながらえているのですから、それ以上にとんでもない御事です。髪をお落としなさるのもおいたわしいほどのご器量で」などと、とても分別ありげにおっしゃるので、母君はたいそう嬉しく思ったふけて見える姿だが、品がなくもない姿で小ぎれいである。ひどく太り過ぎているのが、常陸殿といった感じである。
「故宮がつらく情けなくお見捨てになったので、ますます一人前らしくなく、人からも馬鹿にされていらっしゃると拝見しましたが、このようにお話し申し上げさせていただき、お目にかからせていただけるにつけて、昔のつらさも晴れます」などと、長年の話や、浮島の美しい景色のことなどを申し上げる。
「自分一人だけがつらい思いをと、話し合う相手もいない筑波山での暮らしぶりも、このように胸が晴れるように申し上げて、いつもまことにこのようにお側にいさせていただきたくなりましたが、あちらには出来の悪い卑しい娘たちが、どんなに騒いで捜していることでしょう。やはり落ち着かない気がいたします。このような身分に身を落としているのは情けないことだったと、身にしみて思い知られるのですが、この姫君は、ひたすらお任せ申し上げて、私は関わりますまい」などと、お願い申し上げるようにするので、

「本当に、よい結婚をしてほしいものだ」と御覧になる

 

《いよいよこの常陸の介の姫君が話題になってきましたので、今更ですが、この人の呼び名を紹介します。この人は次の浮舟の巻で主要な役割を担うことから、後世、「浮舟」と呼び習わされている人で、ここでも以後、そう呼ぶことにします。なお、ウイキペデイアによれば、この呼び方は、かの『更級日記』が史上初出なのだそうです。

 さて、北の方はやっと娘(浮舟)のことを話せる時が来ました。彼女には「あちらには出来の悪い卑しい娘たちが、どんなに騒いで捜していることでしょう」という気がかりがあって、いつまでもここで付いていることができません。「この姫君は、ひたすらお任せ申し上げ」て、置いて行かなくてはならないのです。

 まず、娘が父親のないことで人に侮られて、出家でもさせねばならないかと思うほど、心配しているという、思いきったところから語り始めます。

「中の宮はすなおな人だ。…まっすぐ見て、まっすぐ言う」(『評釈』)。彼女には、まったく自分と似通った境遇と思われたのでしょう、父のない子が馬鹿にされるのは「人の常」でつらいことだが、と言って、山住は、私もそうであるように、結局できないことと語り、そこから、「髪をお落としなさるのもおいたわしいほどのご器量で」と、「分別ありげに」諭します。どうやら中の宮はもう浮舟を見ているようです。対面の場面はありませんでしたが、ここに来てからもう「二、三日」経っています(第二章第四段)から、その機会は当然あったものと思われます。

それを聞いて、北の方は「たいそう嬉しく思った」のですが、それは、もちろん、ただ美しいと誉められたことに対してだけではありません。それは娘の将来について、保証とまでは行かないまでも、少なくとも中の宮に何かの「分別」、つまり方策があることが分かる言葉だからです。

 「ふけて見える姿だが…」と、ここに来て急に、北の方の様子が語られます。「二、三日」の間に娘以上に何度か見る機会はあったはずで、今更めいていますが、それは中の宮の目にそう映ったという意味なのでしょう。好感を持ったのであって、彼女の心のゆとりを示しているようです。「ひどく太り過ぎている…、常陸殿」はご愛嬌といったところでしょうか。内心クスリと笑った、という感じです。

 ここまでくれば、「この姫君は、ひたすらお任せ申し上げて、私は関わりますまい」となり、「本当に、よい結婚をしてほしいものだ」と思うのは、ごく自然です。
 しかし、「と御覧になる」に『集成』が「浮舟を」と傍注を入れているのが気になります。浮舟をはここに同席しているのでしょうか。一緒に匂宮を覗き見していたわけでもないでしょうから、ここは二人だけでの対話で、「御覧になる(原文・見たまふ)」は、『谷崎』のように「とお思いになります」という気持ちで読むところではないでしょうか。

 ともあれ、北の方の思いの十分にかなった面会になりました。》

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