源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻五十 東屋

第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う~その2

【現代語訳】
「佐野のわたりに家もあらなくに」などと口ずさんで、田舎めいた簀子の端の方に座っていらっしゃる。
「 さしとむるむぐらやしげき東屋のあまりほどふる雨そそきかな

(戸口を閉ざす葎が茂っているためか、東屋であまりに待たされて雨に濡れること

よ)」
と露を払っていらっしゃるその追い風が、とても尋常でないほど匂うので、東国の田舎者も驚くにちがいない。
 あれやこれやと言い逃れ申し上げるすべもないので、南の廂にお座席を設けて、お入れ申し上げる。とても気安くなどお会いなさらないのを、誰彼らが押し出した。遣戸という物を閉めて、少し開けてあったので、
「飛騨の大工までが恨めしい仕切りですね。このような物の外には、まだ座ったことがありません」とお嘆きになって、どのようになさったのか、お入りになってしまった。あの人形の願いもおっしゃらず、ただ、
「思いがけぬちょっとした隙間から覗き見して以来、わけもなく恋しいこと。そのような運命であったのか、不思議なまでにお思い申し上げています」とお話しなさっているのであろう。女の様子は、とてもかわいらしくおっとりしているので、見劣りもせず、とてもいとおしいとお思いになった。

 

《「佐野のわたりに…」は、ご存知、万葉集265の歌で、ちょうどこの場に相応しい歌です。

歌の「東屋」は「東国風の粗末な家の意」(『辞典』)で、降り注ぐ雨に打たれて待たされるのはたまらないことだ、と早く中に入れてほしいと催促します。これが巻名の由来となる歌です。

歌の「戸口を閉ざす葎が茂っているためか」は反語的で、「いやそうではなくあなた方が戸口を閉ざしているせいで」ということでしょうか。

 ただでさえ断りにくいのに、そう言われてはどうしようもなく、廂の間に招じ入れました。浮舟はまだどうしていいかわからず、もじもじしていますから、女房たちが端近へ押し出しました。

浮舟のいる部屋と廂の間は遣戸で仕切られていました。それが「閉めて(原文・鎖して」と言いますから、錠がしてあったということのようです。それでなお「少し開けてあった」というのは、ちょっと分かりかねますが、ともかく、この遣戸というものは「貴人の部屋には用いぬもの」(『集成』)で、薫は、こんな無骨なものの隔てになど遭ったことがないと、嘆いて見せます。

そしてその後は、例によって「どのようになさったのか、お入りになってしまった」となりました。こういうことは源氏の時もあったことで、藤壺との密通の時も「どのように手引したのだろうか」とありました(若紫の巻第二章第一段)。

あそこで私は「手順を一切語らないことによって、現実から遮断された時間と空間が作られて、あたかも別世界での出来事のように語られた結果、大変に優美な印象を与えて、美しくも悲しい、見事な濡れ場になっているように思います」と言いましたが、ここについては『評釈』が「まわりの者が、戸の尻にさしたくさびをこっそり外してしまうのだ」と、リアリズムで舞台裏を明かしてしまいます。

源氏の時はそれでよかったものが、ここではどうしてもその具体的手順を考えてしまうのは、やはり源氏と薫のスケールに違いと言いますか、作者の書き方がそういうふうに考えさせるようなリアリズムになってきているということでしょうか。

ともあれ、薫にしては初めて自分の素直な思いを行動に表した一夜であったようです。

なお、ここの内容とは関係ありませんが、薫が口にした歌
 「苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」で思い出すのは、藤原定家の
 「駒とめて袖うちはらふかげもなし
佐野の渡りの雪のゆふぐれ」(『新古今和歌集』巻第六・冬671)の本歌取りの歌で、両歌集の素朴直情と幽玄という文化の相違を対照的に大変よく表しています。》

 

第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う~その1

【現代語訳】

 宵を少し過ぎたころに、

「宇治から人が参りました」と言って、門をそっと叩く

「そうではなかろうか」と思うが、弁が開けさせると、車を引き入れる。妙だと思っていると、
「尼君にお目にかかりたい」と言って、その近くの荘園の支配人の名を名乗らせなさったので、戸口にいざり出た。雨が少し降っていて、風がとても冷やかに吹きこんで、何ともいえない好い匂いが漂ってくるので、

「こういうことだったのだ」と、皆が皆心をときめかせるにちがいないご様子が素晴らしいので、仕度もなくむさくるしいうえに、まだ予想もしていない時なので、気が動転して、
「どういうことなのであろうか」と言い合っている。
「気楽な所でいく月もの抑えきれない思いを申し上げたいと思いまして」と言わせなさる。
「どのように申し上げたらよいものか」と思って、君はつらそうに思っていらっしゃるので、乳母が見かねて、
「このようにいらっしゃったのを、お座りもいただかず、このままお帰し申し上げることができましょうか。あちらの殿にも、これこれです、とそっと申し上げましょう。近い所ですから」と言う。
「気がきかないことを。どうしてそうすることがありましょう。若い方どうしがお話し申し上げなさるのに、急に深い仲になるものでもありますまい。不思議なまでに気長で、慎重でいらっしゃる君なので、けっして相手の許しがなくては、気をお許しになりますまい」などと言っているうちに、雨が次第に降って来たので、空はたいそう暗い。宿直人で変な訛りのある者が、夜廻りをして、
「家の東南の隅の崩れが、とても危険だ。こちらの客のお車は入れるものなら、引き入れてご門を閉めよ。この客人の供人は、気がきかない」などと言い合っているのも、気味悪く聞き馴れない気がなさる。

 

《「女同士の話はいつはてるともなく」と『評釈』は言いますが、弁の着いたのは「日暮れ」(前段)で、それからすぐに話し始めたとしても、「宵」はその次の段階ですから、そう言うほど長い時間が経ったわけではなさそうです。

 そこへ「宇治から」と言って人が来ました。弁は薫からの使いかと思って呼び入れさせると、「雨が少し降っていて、風がとても冷やかに吹きこんで」いい香りがしてきて、薫本人だったことが一同に分かりました。

 弁を通して薫が挨拶するのですが、浮舟は何をどうしていいのかわからずに、おろおろしています。乳母が、とにかくお座りいただかなければ、と言っておいて、「あちらの殿」(北の方)に連絡を取ろうとしますが、弁がそれを止めます。なぜ止めるのかよく分かりませんが、薫の意図を承知していたということでしょうか。

 雨がひどくなってきて、車も片付けられてしまって、薫は帰れなくなりました。「薫が今夜ここに宿るように、諸事が進んでゆく」(『評釈』)ようです。

外で騒いでいるこの家の下人たちの東国訛りが薫に別世界を感じさせます。ちょうど源氏が夕顔の家で一夜を明かした時(夕顔の巻第四章第二段)のようです。

 ところで、実はこの段の初めの辺りはよく分からないところです。

「宇治から参りました」の原文は「宇治より人参れり」で、取次いだ者の言葉のように見えますが、続けて「と言って、門をそっと叩く」とありますから、来た当人の言葉のようです。自分のことを「人」という言い方があるのでしょうか。

次の「『そうではなかろうか』と思うが(原文・さにやあらむと思へど)」については、『評釈』が諸説を挙げています。薫ないしは薫の使いではないかと思ったということで、それならすんなり門を開けてもよさそうに思われますが、逆接になっているのが不審に思われます。そこで『評釈』が、「『薫の使者であろう(夜でもあるのに、使者の癖に、表門をあけさせるとは、失礼な。側門でよい)』と思うけれども」という『古典文学大系』の注を紹介していて、これならなるほどと思われます。続けて、使者なら馬か徒歩だと思っていたのに、車が入ってくる音がするので「妙だ」と思ったとなるわけです。》

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第三段 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる

【現代語訳】

 お約束になった日のまだ早朝に、腹心とお思いになっている下侍を一人と、顔を知られていない牛飼童を用意して遣わす。
「荘園の連中で田舎者じみた者を召し出して、付き添わせよ」とおっしゃる。必ず京に出て来るようにとおっしゃっていたので、とても気がひけてつらいけれど、ちょっと化粧をし身支度をして車に乗った。野山の様子を見るにつけても、若いころからの古い出来事が自然と思い出されて物思いに耽り、日暮れに京に着いたのであった。

とてもひっそりとして人の出入りもない所なので、車を引き入れて、
「これこれで、参りました」と、案内の男を介して言わせると、初瀬のお供をした若い女房が出てきて車から降ろす。粗末な家で物思いに耽りながら明かし暮らしていた時に、昔話もできる人が来たので、嬉しくて呼び入れなさって、父親と申し上げた方のご身辺の人と思うと、慕わしく思えたのであろう。
「しみじみと、人知れずお目にかかりまして後は、お思い出し申し上げない時はありませんが、世の中をこのように捨てた身ですので、あちらの宮邸にさえ参りませんが、この大将殿が、不思議なまでにお頼みになるので、思い起こして参りました」と申し上げる。

姫君も乳母も、素晴らしいお方と拝見していたお方のことなので、忘れていないふうにおっしゃるというのも嬉しいが、急にこのようにご計画なさるとは、思いも寄らない

 

《二日後、薫は言っていたとおり、弁のところに車をよこしました。「まだ早朝」といい、 また下侍と顔を知られていない牛飼を付けたことといい、人目につかないようにという周到な気配りです。「荘園の連中で田舎者じみた者」も同様でしょうが、「道中、近い荘園の者を使えという指示」(『集成』)のようです。「召し出して」のところ、原文は「召し出でつつ」とあって、ひとりというわけではなく、次々に何人かを呼び加えながら行くように読めます。初めから大勢では田舎では目立つので、都に近づくにつれて数を増やしていくということなのでしょうか。

 さて、弁は、本当はまだあまり気が進まないのですが、薫のたっての頼みとあって、やむなく意を決して出かけることにしました。出かけてみると、そこは昔幾度か行き来をした道、思い出すことも少なくなく、感慨にふけりながらの旅となりました。弁は宇治に来て以来、おそらく都には出ていないでしょうから、今、彼女の胸には二十年余り前に九州に下ったころからの波乱万丈の記憶(橋姫の巻第四章第四段)が去来していると思われますが、しかし、作者はその感慨にはあまり関心はないようで、さっさと切り上げて、三条の隠れ家にあっさり着いてしまいました。

 もっとも「日暮れに京に着いた」ということですから、かなりゆっくりした道行ではあったようです。幾度も車を止めさせたのでしょうか。中の宮が宇治から入京した時は、日暮れに発って宵を過ぎるころには着いたのでした(早蕨の巻第二章第二段)。

 そうして着いてみると、不安でひっそりとした暮らしに遣る瀬無い思いをしていた浮舟は、父宮ゆかりの思いがけない人の訪問に大喜びで、傍近くに招き入れます。

 弁の挨拶に、浮舟と乳母(この人は信頼できる世話役として付いていたようです)は、かねて薫の関心のことは聞いていました(第二章第一段)が、「急にこのようにご計画なさるとは、思い寄らない」ので、嬉しさと驚きが半々、戸惑う気持ちです。》

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第二段 薫、弁の尼に依頼して出る

【現代語訳】

「それでは、その落ち着いていられる家に便りをしてください。ご自身であちらに出向かれるつもりはないか」とおっしゃると、
「お言葉をお伝えしますことは簡単です。今さら京を見ることは億劫でして、宮邸にさえ参りませんのに」と申し上げる。

「どうしてですか。あれこれ誰かが伝え聞いて言うならともかく、愛宕の聖でさえ、場合によっては出ないことがあろうか。固い誓いを破って、人の願いをお満たしになるのが尊いことでしょう」とおっしゃると、
「衆生済度の徳もございませんのに、聞き苦しい噂も出て来ましょう」と言って、困ったことに思っていたが、
「やはり、ちょうどよい機会だから」と、いつもと違って無理強いして、
「明後日ごろ車を差し向けましょう。その仮住まいの家を調べておいてください。けっして馬鹿げたまちがいはしませんから」と、にっこりしておっしゃるので、気が重く、

「どうお考えなのだろう」と思うが、

「浅薄で軽々しいというのではないご性質なので、自然と、ご自分のためにも外聞はお慎みになっていらっしゃるだろう」と思って、
「それでは、承知いたしました。お近くです。お手紙などをおやりくださいませ。わざわざ利口ぶって、気を利かせたようにとられますのも、今さら仲人のようではないか、と気がひけます」と申し上げる。
「手紙は簡単でしょうが、人の噂がとてもうるさいものですから、右大将は、常陸介の娘に求婚しているそうだなどとも、きっと取り沙汰しよう。その介の殿は、とても荒々しい人のようだ」とおっしゃると、ふと笑って、お気の毒にと思う。
 暗くなったのでお帰りになる。木の下草の美しい花々や、紅葉などを折らせなさって、宮に御覧に入れなさる。ご結婚の効がなくはなくいらっしゃるようだが、畏れ敬っているような感じで、あまりお親しみ申し上げなさらずにいるようである。帝から普通の親のように、入道の宮にもお頼み申し上げなさっているので、たいそう重々しい点では、この上なくお思い申し上げていらっしゃった。あちらからもこちらからも、大切にされなさるお世話に加えて、やっかいな執心が加わったのが、つらいことであるのだった。

 

《薫は、弁に浮舟への仲介を、何としても、と頼みます。「それなら」というのは、北の方の「もし少し近い所であったなら、そちらに移して安心でしょうが」(前段)という言葉を聞いて、そういう希望があっているのなら、ということでしょうか。

 押したり引いたりのやりとりの挙句に、薫が「いつもと違って無理強いし」たので、薫の大君への思いを汲む気持ち(前段)もあったのでしょうか、弁はやむなく引き受けることになりました。彼女にとっても、そのつらい死を見送った大君は特別な存在でもあるのでしょう(総角の巻第七章第四段)。

 薫に「にっこり」されると、どうも仕方がないといったところでしょうか。本当は「気が重」いのですが、それでも、そんなに外聞の悪いようなことはなさらないだろうと、自分に言い聞かせて、後は条件闘争です。

 浮舟のところには、私が自分で出向きますから、その代わり事前に「お手紙などをおやりくださいませ」、私が自分の考えで取り計らったように思われるのは、「気が引けます」ので。…。

 『評釈』によれば、「尼が、男のために女をくどく、とは、あとあと笑いものにされ」るということがあって、「尻込みする」のだと言います。

 しかし薫はあくまでも自分から求めてというのではない形にこだわります。

 私から手紙を書くと、それはすぐに世間の噂になって、「右大将」が受領の娘に入れ込んでいるそうだなどと面白がって喧伝されることは必定、おまけに父親代わりになっている常陸介というのは「とても荒々しい」男だそうではないか、…。

 弁は、何か薫が気の毒になって来ました。こんな高貴な方が、自分の思いのために受領如きに臆病になっておられるとは、…。

 これではどうやら条件闘争も弁の負け、自分でお膳立てをするしかなさそうです。

何とか話がついて、日も暮れて薫は帰ることにしました。半年余り前に結婚した新妻・女二の宮への宇治の土産は、「木の下草の美しい花々や、紅葉」です。

 二人の間柄は、「ご結婚の効がなくはなくいらっしゃるよう」で、決して粗末にされているわけではないのですが、「畏れ敬っているような感じ」です。帝が姑に当たる薫の母・女三宮に「お頼み申し上げなさっている」こともあって、この人は「あちらからもこちらからも、大切にされなさる」ので、薫としてはなお気が抜けず、外聞の悪くないようにお世話しなければならず、そこに浮舟のことが心に掛かって来て、あれこれと心労の多いことになって来ました。》

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第一段 薫、宇治の御堂を見に出かける

【現代語訳】

 あの大将殿は、いつものように秋が深まってゆくころ習慣になっている事なので、夜の寝覚めごとに忘れず、ただしみじみと思い出されなさったので、

「宇治の御堂を造り終わった」と聞きなさると、ご自身でお出かけになった。
 久しく御覧にならなかったので、山の紅葉も珍しく思われる。解体した寝殿は、今度は立派に造り変えなさった。昔とても簡素にして、僧のようでいらっしゃったお住まいを思い出すと故宮も恋しく思い出されなさって、様変りさせてしまったのも残念なほどで、いつもより物思いに沈んでいらっしゃる。
 もとからあったご設備はたいへん尊い感じで、もう一方を女性向きにこまやかに整えるなどして、一様ではなかったが、網代屏風や何やらの粗末な物などは、今度の御堂の僧坊の道具として特別に役立たせなさった。山里めいた道具類を特別に作らせなさって、あまり簡略にせず、たいそう美しく奥ゆかしく作らせてあった。
 遣水の辺にある岩にお座りになって、
「 絶え果てぬ清水になどかなき人の面影をだにとどめざりけむ

(涸れることのないこの清水に、どうして亡くなった人の面影だけでもとどめておか

なかったのだろう)」
 涙を拭いながら、弁の尼君の方にお立ち寄りになると、とても悲しいと拝見するので、ただ泣き顔をするばかりである。長押にちょっとお座りになって、簾の端を引き上げて、お話なさる。几帳に隠れて座っていた。話のついでに、
「あの人は最近宮邸にいると聞いたが、やはりきまり悪く思われて、尋ねていません。やはり、あなたからすべてのことをお伝え下さい」とおっしゃると、
「先日、あの母君の手紙がございました。物忌みの方違えするといって、あちらこちらとお移りになっているようです。最近も、粗末な小家に隠れていらっしゃるらしいのも気の毒で、もし少し近い所であったなら、そちらに移して安心でしょうが、荒々しい山道で、簡単には思い立つことができないで、とございました」と申し上げる。
「人びとがこのように恐ろしがっているような山道を、自分は相変わらず分け入って来るのだ。どれほどの前世からの約束事があってかと思うと、感慨無量だ」と言って、いつものように、涙ぐんでいらっしゃった。


《久々に薫の登場です。彼は、宇治の御堂造営が終わったという知らせを受けて、匂宮と浮舟の間にただならぬことがあったことなど知らぬままに、都を措いて宇治に出かけました。その出来栄えは、彼にも納得のいく立派なものであったようです。

 しかしそういう御堂を前にして、彼が思うのはやはり大君のことで、遣り水の脇に座って、しばしその面影をしのびます。

 歌の「なき人の」は、「なくなった人は」という訳もあります(『集成』、『評釈』)が、どうなのでしょうか。

 そして弁の尼のところに行きました。弁の「とても悲しいと拝見する」は、「悲しい気持ちで」(『集成』)と、「おかわいそうに」(『評釈』)と二様の訳がありますが、自分が悲しいというのは、ちょっとよく分かりません。薫が大君を偲んでいたことが分かるので、薫の気持ちを思って、と考える方が分かりやすいように思います。

薫が弁に語る話と言えば、今は、以前この宇治で垣間見て以来(宿木の巻第九章第二段)、まだそのまま何も進んでいない、浮舟のことが最大の懸案です。あれは四月のことでしたが、その後八月に浮舟の破談の話があって、中の宮のところに預けられ、その数日後に匂宮の事件があり、三条の家に隠されて、今は「秋が深まってゆくころ」と言いますから九月になっています。

 その間、彼は「やはりきまり悪く思われて、尋ねていません」という具合で、今日も、「最近宮邸にいると聞いた」という情報の乏しさです。

さて、例によって仲介を弁に頼みますが、匂宮の迫り方とは大変な違いです。

弁は、北の方からの手紙の話によって、まず、浮舟の所在について薫の情報の修正をします。「物忌みの方違えするといって」(北の方が弁にそう説明していたのでしょう)、二条院ではなくて、「あちらこちらとお移りになって、…粗末な小家に隠れていらっしゃるらしい」。宇治がもっと近ければこちらにお願いしたいのだが、あの山道には到底耐えられそうになくて…。

薫は、私はそういう人が恐れるような大変な道を幾度も越えてここに通っている、それほど大君への思いは強いのだ、その大君を偲ぶよすがを尋ねて、浮舟に会いたいと思っているのだと、弁の尼の同情心に訴えかけます。》

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