源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第八章 薫の物語(四)

第七段 女二の宮、三条宮邸に渡御す~その2

【現代語訳】

夜の更けるにしたがって、管弦の御遊はたいそう興趣深い。大将の君が「安名尊」をお謡いになった声は、この上なく素晴しかった。按察使大納言も、若い時にすぐれていらっしゃったお声が残っていて、今でもたいそう堂々としていて、合唱なさった。右の大殿の七郎君が、子供で笙の笛を吹く。たいそうかわいらしかったので、御衣を御下賜になる。大臣が庭に下りて拝舞なさる。
 暁が近くなってお帰りあそばした。禄などを、上達部や親王方には、主上から御下賜になる。殿上人や楽所の人びとには、宮の御方から身分に応じてお与えになった。
 その夜に、宮をご退出させ申し上げなさった。その儀式はまことに格別である。主上つきの女房全員にお供をおさせになった。庇のお車で、庇のない糸毛車三台、黄金造り金具で飾った車六台、普通の檳榔毛の車二十台、網代車二台、童女と下仕人を八人ずつ伺候させていたが、またさらにお迎えの何台もの出だし車に本邸の女房たちを乗せてあった。お送りの上達部、殿上人、六位など、何ともいいようなく善美を尽くさせていらっしゃった。
 こうして、寛いで拝見なさると、まことに立派でいらっしゃる。小柄で上品でしっとりとして、ここが足らないと見えるところもなくいらっしゃるので、

「運命も悪くはなかったのだ」と、心中得意におなりになるが、亡くなった姫君が忘れられればよいのだが、やはり気持ちの紛れる時なく、そればかりが恋しく思い出されるので、
「この世では慰めきれないことのようだ。仏の悟りを得てこそ、不思議でつらかった二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」と思いながら、寺の造営にばかり心を注いでいらっしゃった。

 

《藤の宴はまだ続いています。前段の歌は語り手の気に入らなかったようですが、ここでの管絃の遊びは「この上なく素晴しかった」ようです。

 その宴は「暁が近くなって」終わり、「その夜に」、つまりその日一日を藤壺で過ごして、夜になってから、女二宮は退出して三条邸に移りました。その行列は、「庇のお車」の宮にお供の三十一台の車プラスお迎えの「何台もの」車(原文・出車ども)が従うという、大変に賑々しいものでした。これに警護のものが加われば、どんな行列かちょっと想像しにくくなります。

当節、祭りに地区ごとの山車を競うものが多いようですが、四十台という数はそうそうないでしょう。それが一堂に会した図を想像すると、なかなかのものがあります。ちなみに、大内裏出口の朱雀門から三条まで下る距離は五〇〇メートル弱のようですから、三条宮邸までの間は行列でほぼ繋がってしまったという格好になりそうです。

 こうして自邸に引き取って「寛いで(女二宮を)拝見なさる」と思いがけず好感度急上昇、これまでは、帝からの仰せに従っただけの結婚でさしたる関心もなく、ただ「亡くなった姫君にとてもよく似ていらっしゃったら、嬉しいことだろう」という、あり得ない期待があった(第四章第一段)程度だったのですが、印象が一転して、「ここが足らないと見えるところもな」いくらいに素晴らしいなのでした。二晩、ろくに顔が見られなかったようです。

 そこで薫は、「『運命も悪くはなかったのだ(原文・宿世のほどくちおしからざりけり)』と、心中得意に」なったと言います。ここは、実は彼の大きな転換点ではないでしょうか。

彼がこれまで背負っていた「宿世」とは、何と言っても「罪の子」という意識だったはずで、それが彼の思考や行動を、これまで大きく制約していたものでしたが、今、その制約から解き放たれたような気がしているように見えます。

もちろんすぐに何もかもが変わるわけではありませんから、それでもなおすぐに思いは大君も思い出に向かって、「寺の造営にばかり心を注」ぎますが、それでもそれは「二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」というもので、ずいぶん前向きな姿勢に見えます。

やはり、作者は、彼の中の何をどうにか変えようとしているのではないでしょうか。》

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第七段 女二の宮、三条宮邸に渡御す~その1

【現代語訳】

 按察使大納言は、

「自分こそはこのような目に会いたい思ったが、妬ましいことだ」と思っていらっしゃる。この宮の御母女御を、昔、思いをお懸け申し上げていらっしゃったが、入内なさった後も、やはり思いが離れないふうにお手紙を差し上げたりなさって、終いには宮を頂戴したいとの考えがあったので、ご後見を希望する様子もお漏らし申し上げたが、帝のお耳にも入らずじまいになったので、たいそう悔しく思って、
「人品は、なるほど前世の因縁による格別の生まれであろうが、どうして時の帝が大仰なまでに婿を大切になさることがあろうか。他に例はないだろう。宮中で帝のいらっしゃる御殿に近い所に、臣下が寛いで出入りして、果ては宴や何やとちやほやされることよ」などと、ひどく悪口をぶつぶつ申し上げなさったが、やはり盛儀を見たかったので参内して、心中では腹を立てていらっしゃるのだった。
 紙燭を灯して何首もの和歌を献上する。文台のもとに寄りながら置く時の態度は、それぞれ得意顔であったが、例によって、どんなにかおかしげで古めかしかったろうと想像されるので、むやみに全部を探して書くことはしない。上等の部も、身分が高いからといって、詠みぶりは、格別なことは見えないようだが、しるしばかりにと思って、一、二首聞いておいた。この歌は、大将の君が、庭に下りて帝の冠に挿す藤の花を折って参上なさった時のものとか。
「 すべらぎのかざしに折ると藤の花およばぬえだに袖かけてけり

(帝の插頭に折ろうとして藤の花の私の手の届かぬ枝を袖にかけてしまいました)」
 いい気になっているのが、憎らしいこと。
「 よろづ世をかけてにほはむ花なれば今日をもあかぬ色とこそみれ

(万世を変わらず咲き匂う花であるから今日も見飽きない花の色として見ることだ)」
「 君がため折れるかざしは紫の雲におとらぬ花のけしきか

(主君のため折った插頭の花は紫の雲にも劣らない花の様子です)」
「 世の常の色とも見えず雲居までたちのぼりける藤波の花

(世間一般の花の色とも見えません、宮中まで立ち上った藤の花は)」
 「これがこの腹を立てた大納言のであった」と見える。一部は、聞き違いであったかも知れない。このように、格別に風雅な点もない歌ばかりであった。

 

《ここはまだ藤壺での宴の続きの話です。

 突然、按察使大納言が話題に上ります(参列していたことは、前段で語られていました)が、源氏の時代の頭中将の次男、柏木が亡くなって、今は当家の筆頭です。源氏の息子である夕霧とは、親同士同様に、当然ライバル関係にあったでしょう。まして、「いかにも羽振りがよく、申し分のないお暮らしぶりで、帝の御信望もまことに厚いものがあった」(紅梅の巻頭)という人ですから、それなりの期待があったはずで、今回の薫の婚儀は、たとえ夕霧と薫の間がいささかぎくしゃくしているにしても、十分に「妬ましいこと」であっただろうと、理解できます。

 帝の薫に対する待遇が並外れているので、それを面白くなく思う人も少なくはない中で、この人がその代表とされたわけですが、「大勢の嫉視と注目の中にあるほど、薫は決定的に栄花の道を行く」(『評釈』)ことになります。

 参列の人々の祝賀などの歌が披露されます。

 語り手は、さしたる歌は期待できないと言いながら、四首を語り残しました。

「すべらぎの…」は、手の届かぬはずの女二宮の婿にならせていただきました、という薫の歌、「よろづ世に…」は帝の薫を称えた歌、最後の歌は大納言の歌だと言いますから、「君がため…」はその上席、夕霧の歌ということになるのだそうです。

 「格別に風雅な点もない歌ばかり」と軽く言いますが、帝の歌が含まれているのに、薫の歌への批評とともに、なかなか辛辣です。そんなにけなすのなら、省いてもよかったのにと思われますが、先に挙げた、拠り所とした『西宮記』に同様の記事があるそうで、作者として律儀にそれに添ったということでしょうか。》

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第六段 藤壺にて藤の花の宴催される

【現代語訳】

「夏になったら、三条宮邸は宮中から方塞がりになろう」と見立てて、四月初めごろ、節分とかいうことがまだのうちに、お移し申し上げなさる。
 明日引っ越しという日に、藤壺に帝がお渡りあそばして、藤の花の宴をあそばされる。南の廂の御簾を上げて、玉座を立ててある。公の催し事で、主人の宮が催し申されることではない。上達部や、殿上人の饗応などは、内蔵寮からご奉仕した。
 右大臣や按察大納言、藤中納言、左兵衛督。親王方では、三の宮、常陸宮などが伺候なさる。南の庭の藤の花の下に、殿上人の座席は設けた。後涼殿の東に楽所の人びとを召して暮れ行くころに双調に吹いて、堂上の御遊に、宮の御方から絃楽器や笛などをお出させなさったので、大臣をお始め申して御前に取り次いで差し上げなさる。
 故六条院がご自身でお書きになって、入道の宮に差し上げなさった琴の譜二巻、五葉の枝に付けたのを、大臣がお取りになって奏上なさる。
 次々に出された箏のお琴、琵琶、和琴など、朱雀院の物であった。笛は、あの夢で伝えた故人の形見の品を、

「二つとない素晴らしい音色だ」とお誉めあそばしたので、

「今回の善美を尽くした宴の他に、再びいつ名誉なことがあろうか」とお思いになって、お取り出しになったようだ。
 大臣に和琴、三の宮に琵琶など、それぞれにお与えになる。大将のお笛は、今日はまたとない音色の限りをお立てになったのだった。殿上人の中にも唱歌に堪能な人たちは、召し出して風雅に合奏する。
 宮の御方から、粉熟を差し上げなさった。沈の折敷四つ、紫檀の高坏、藤色のまだら染めの打敷には折枝を縫ってある。銀の容器、瑠璃のお盃、瓶子は紺瑠璃である。兵衛督が、お給仕をお勤めなさる。
 お盃を頂戴なさる時に、大臣は、自分だけ度々いただくのは不都合であろう、宮様方の中にはまたそのような方もいらっしゃらないので、大将にお譲り申し上げなさるのを、遠慮してご辞退申し上げなさるが、帝の御意向もどうあったのだろうか、お盃を捧げて、「おし」とおっしゃる声や態度までが、いつもの公事であるが、他の人と違って見えるのも、今日はますます帝の婿君と思って見るせいであろうか。さし返しの盃をいただいて、庭に下りて拝舞なさるところは、実にまたとない。
 上席の親王方や大臣などが賜りなさるのでさえめでたいことなのに、この方はそれ以上に、帝の婿君としてもてはやされ申されていらっしゃるその御信任が並々でなく例のないことだが、身分に限度があるので、下の座席にお帰りになってお座りになるところは、お気の毒なまでに見えた。

 

《薫が女二宮を三条邸に引き取ることに決めたようで、帝は、みずから彼女の部屋に出向いて藤の宴を催されました。送別の宴ということなのでしょう。

延々と語られますが、『評釈』が、その趣旨を次のように解説します。

「今上の婿となることで、薫は栄華の道を歩みはじめる。そうなると、匂宮と同じことになるから、結婚の儀も張り合うことになる。匂宮と六の君の結婚は、三日の『ところあらはし』が大変なことであった(第三章第七段)。…それに対する薫は。作者は、読者の意表外に出ることにした。帝御自身の主催で、宮中での藤の宴。」

 同書によれば、先の匂宮の三日目の話は、『李部王記』という書物(醍醐天皇の皇子の日記)の中の、皇子が右大臣師輔の婿になったときの記事が下敷きになっているそうで、それに対してこの藤の宴は『西宮記』という書物(平安時代の儀式・故実の典拠書。撰者は源高明)の村上天皇の催された藤の宴の記録に拠っているのだそうです。

 作者はそういう資料を読んで、宴のイメージを楽しく虚実こもごもに膨らませていったことでしょう。中で、「笛は、あの夢で伝えた故人の形見の品」というのは、柏木の遺品となった横笛で、それをもらった夕霧の夢の中に柏木が現れて「思っていたのとは違うことになった」と言った(横笛の巻第二章末)という、あの笛ですから、少なくともここは作者の創作です。

 匂宮と薫の宴のそれぞれの具体的な詳細は分からず、宴の華やぎが実際どれほどのものであったか、また当時の人々にどれほどのものとして感じられたか、よく分かりませんが、私たちとしては、ともかくもいずれ劣らず贅美を極めた華やかで格調高いものであったのだと理解すればよいでしょう。

 こうして薫は帝の娘婿として、実子の匂宮と、世間的にほぼ肩を並べる立場に立ったということになるようです。

 物語はまた新しい展開に向かって、準備を整えているようです。》

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第五段 薫、中の宮の若君を見る

【現代語訳】

 若君をぜひ拝見したいと申し上げなさるので、恥ずかしいけれども、

「どうしてよそよそしくしていられよう、道理の合わない一つのことで恨まれる以外には、何とかこの人のお心に背くまい」と思うので、ご自身はあれこれお答え申し上げなさらないで、乳母を介して差し出させなさった。
 当然のことながら、どうして憎らしいところがあろう。不吉なまでに白くかわいらしくて、大きい声で何か言ったりにっこり笑ったりなどなさる顔を見ると、自分の子として見ていたく羨ましいのも、この世を離れにくくなったのであろうか。

けれども、

「亡くなってしまった方が、普通に結婚して、このようなお子を残しておいて下さったら」とばかり思われて、最近面目をほどこすあたりには、はやく子ができないかなどとは考えもつかないのは、あまりに仕方のないこの君のお心のようだ。このように女々しくひねくれて、語り伝えるのもお気の毒である。
 そんなよくないまともでない方を、帝が特別お側にお置きになって親しみなさることもないだろうに、ちゃんとした面でのご思慮などは、しっかりしていらっしゃったのだろうと推量すべきであろう。
 なるほど、まことにこのように幼い子をお見せなさるのもありがたいことなので、いつもよりはお話などをこまやかに申し上げなさるうちに、日も暮れたので、気楽に夜を更かすわけにもゆかないのをつらく思われて、ため息をつきながらお出になった。
「結構なお匂いの方ですこと。『折りつれば』とか言うように、鴬もやって来そうですね」 などと、やっかいがる若い女房もいる。

 

《『評釈』がここの鑑賞に「薫の変化」という小見出しをつけているように、ここの薫は、これまでの薫とずいぶん違った扱いをされているように思われます。

 何と言っても、匂宮と中の宮の間にできた赤子を見て、「自分の子として見ていたく羨ましい」という気持ちを持ったということが意外で、草子地の言う「この世を離れにくくなったのであろうか」と思わざるを得ません。

 女二宮と結婚した段階で、すでにそのことは察せられるのですが、それは帝のご所望とあればやむを得ないとも言えますが、これは彼自身の内面からの自然な思いなのですから、俗世出離の気持ちは、もはや完全になくなっていると言えそうです。

 さらに、「亡くなってしまった方」、大君が自分にこういう子を残してくれていればとまで思ったとあっては、その気持ちは、本物としか思われません。

 次に、大君についてそう考えながら、「最近面目をほどこすあたり」、女二宮のことをまったく思い浮かべない、と言われると、これまでの彼の周囲に対する気配りや律義さはどうなったのかと思われて、別人を見るようです。

 語り手も、言い過ぎたと思ったのか、「このように女々しくひねくれて、語り伝えるのもお気の毒である」と、弁解しなくてはならないほどです。

 そして、夕方になって、薫は帰っていくのですが、彼のトレードマーク、まずはそれによってもてはやされた、彼の匂いを、「やっかいがる若い女房もいる」となるに至っては、彼の今の名声が、何やら危うくなってきたような気さえしてしまいます。

それまでスーパースターだった源氏が、若菜の巻から地上に降りてきた(若菜上の巻第二章第一段)ように、薫もまた、そういう時を迎えたということでしょうか。》

 

  今日は午前中人間ドックに行って来て、投稿がこの時間になりました。

しかし、何度やっても胃カメラは苦手です。初めて鼻からやってみましたが、口からより三割ほど楽でしたけれども、それでも結構大変でした。

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第四段 中の宮の男御子、五十日の祝い

【現代語訳】

 匂宮の若君が五十日におなりになる日を数えて、その餅の準備を念入りにして、籠物や桧破子などまで御覧になりながら、世間一般の平凡なことではないようにしようとお考えになって、沈、紫檀、銀、黄金など、それぞれの専門の工匠をたいそう大勢呼び集めさせなさるので、自分こそは負けまいといろいろのものを作り出すようである。
 ご自身も、いつものように宮がいらっしゃらない間においでになる。気のせいであろうか、もう一段と重々しく立派な感じまでが加わったと見える。

「もういくら何でも、わずらわしかった懸想事などは忘れなさったろう」と思うと、安心なので、お会いになった。けれども以前のままの様子で、まず涙ぐんで、
「気の進まない結婚はたいそう心外なものだと、世の中を思い悩みますことは、今まで以上です」と、何の遠慮もなく訴えなさる。
「まあ何という事を。他人が自然と漏れ聞いたら大変ですよ」などとおっしゃるが、これほどめでたい幾つものことにも心が晴れず、

「忘れがたく思っていらっしゃるらしい、お心の深さだこと」としみじみお察し申し上げなさると、並々でない愛情だとお分かりになる。

「生きていらっしゃったら」と、残念にお思い出し申し上げなさるが、

「そうしても、自分と同じようになって、姉妹で恨みっこなしに自分を恨むのがおちであっただろう。何事も、人数にも入らない身では、世間の人並みらしいこともありえないのだ」と思われると、ますます、姉君が結婚しないで通そうと思っていらっしゃった考えは、やはり、とても重々しく思い出されなさる。

 

《前段の薫の話の続きで、宇治の寺造営の手配の一方で、匂宮の若君の五十日を祝いの準備に精を出しています。「世間一般の平凡なことではないように」と気合を入れていて、「産婦の実家のつもり」(『評釈』)のようで、新妻・女二宮とのことはそっちのけとになってしまっています。

 しかし本当に実家としてなら、訪ねるのに「宮がいらっしゃらない間」などと考える必要はないでしょうから、実際に手を出すようなことはしない(いや、彼にはできないのではないかとさえ思われます)ながら、やはり含むところがあるのは、間違いありません。

 中の宮は、出産して「もう一段と重々しく立派な感じまでが加わっ」ています。実際、結婚まもなく出産した女性は、満ち足りた気持ちと自信に裏付けられるのでしょうか、その美しさは、しばしば感嘆措く能わざるものがあります。余談ながら、そのことについての私の最たる経験は、美智子妃殿下の浩宮殿下ご出産以後のころのことで、その何とも形容しがたい妃殿下のお美しさは、当時思春期だった私の脳裏に焼き付き、今も鮮やかです。

 さて、そういう中の宮に、薫は、以前と同じようにすり寄って行こうとします。中の宮はその薫の言葉を「忘れがたく思っていらっしゃるらしい」と、大君のこととして聞くのですが、薫はそのようにしか言えないから、そう聞こえるように言っているのであって、今ほしいのは、中の宮の優しい言葉であろうと思われます。

 中の宮は、これほどの薫の思いがあるなら「生きていらっしゃったら」あるいは幸せになられたかも知れないと一瞬は思うのですが、すぐに女二宮と結婚したことを思い出したのでしょう、結局私と同じつらい思いをされただろうと思い返すと、改めて、結婚しないままに逝ったのが、賢明だったかもしれないという気がしてくるのでした。》

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