源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第六章 薫の物語(二)

第五段 薫、なお中の宮を恋慕す

【現代語訳】

「さりげないふうをしながら、このようにうるさい心を何とか言ってやめさせる方法もないものか、と思っていらっしゃる」と見るのはつらいけれど、やはり心が動かされる。

「あってはならないこととは深く思っていらっしゃるものの、あからさまに体裁の悪い扱いはおできになれないのを、ご存知でいらっしゃるのだ」と思うと胸がどきどきして、夜もたいそう更けてゆくのを、御簾の内側では人目がたいそう具合が悪く思われなさって、すきを見て奥にお入りになってしまったので、男君は、道理とは繰り返し思うが、やはりまことに恨めしく口惜しいので、思い静める方もない気がして、涙がこぼれるのも体裁が悪いのであれこれと思い乱れるが、一途に軽率な振る舞いをしたら、またやはりとても嫌な、自分にとってもよくないことなので、思い返して、いつもより嘆きがちにお出になった。
「こう思っているばかりでは、どうしたらよいだろう。苦しい思いをするばかりだ。何とかして、世間一般からは非難されないようにして、しかも思う気持ちが叶うことができようか」などと、経験を積んで手慣れているというわけではない人柄からであろうか、自分のためにも相手のためにも、心穏やかでないことを、むやみに悩み明かすと、

「似ているとおっしゃった人も、どうして本当かどうか見ることができよう。その程度の身分なので、思いよるに難しくはないが、先方の望まないことであったら、やっかいなことであろう」などと、やはりそちらの方には気が向かない。

 

《冒頭は薫の思いで、中の宮が自分の気持ちを中の宮からそらそうとして、新しい女性の情報を出しているのだということを察しました。つらい気がするけれども、「さすがにその好意は身に沁みる。今の打ち明け話を多とするという思い」(『集成』)で、「異母妹に心が惹かれ」(『評釈』)ます。

 その一方で、中の宮が薫の接近は「あってはならないこと」と思いながら、表立って拒否してはならないということもよく心得ていての振る舞いだと思ってみると、「やはり私というものがよく分かっていらっしゃる」(『谷崎』)のだと、「ただならぬ気持ちがして」(『集成』)来ます。

 その後は中の君が奥に入ってしまった後の揺れ動く薫の思い。彼は、依然として中の宮への思いを措置しあぐねて、しばらくそこにいましたが、これ以上のことはできないと、「いつもより嘆きがちに」帰っていきました。

そしてそのまま、一晩、輾転反側といった趣です。

 中の宮が教えてくれた人への関心もなくはないのですが、それはそれで煩わしいこともあると思うと、「やはりそちらの方には気が向かない」のでした。

 そこで、「その程度の身分なので、思いよるに難しくはない」と言いながら、「先方の望まないことであったら、やっかいなこと(原文・人の本意にもあらずは、うるさくこそある)」というのが、大変意外な言葉です。

以前、「彼には、公認で相手も同意の相手でなければそういうことはできないという、倫理観というか気弱さ」があるのではないかと言いました(第四章末)が、やはりどうもそういうことがあるようです。少なくとも源氏には、公認や同意は必要なく、有無を言わさず自分の方を向かせてしまう力を持っていました。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第四段 中君、異母妹の浮舟を語る~その2

【現代語訳】

似ているとおっしゃる縁者に耳がとまって、
「それだけでは、同じことなら最後までお話しになってください」と、聞きたそうになさるが、やはり何といっても憚られて、詳しいことを申し上げることはおできにならない。
「尋ねたいとお思いの気持ちがあるなら、どの辺りとは申し上げましょうが、詳しいことは分かりませんよ。また、あまり申しますと期待外れということもありましょうし」とおっしゃるので、
「『世を海中にも(愁いに沈んでいる大君の消息についてなら、海の果てまでも魂のありかを求めて)』、思いの限り行きましょうが、何もそこまでは思うことはなくても、これほどまでに慰めようのないのよりは大君の人形を作ろうと考え付きましたぐらいですから、どうして、その人を山里の本尊にしようと思ってはいけないのでしょうか。やはり、はっきりおっしゃってください」と、一途にお責め申し上げなさる。

「さあ、父宮のお許しもなかったことを、こんなにまでお洩らし申し上げるのもとても口が軽いのですが、『変化』の彫刻師までもとお探しになるお気の毒さに、こんなにまで」と言って、

「たいへん遠い所に長年過ごしていたのですが、母である人が残念に思って、無理に尋ねて来たのを、そっけない返事もできずにおりましたところ、訪ねてきたのです。ちょっと会っただけのためか、何事も想像していたよりは見苦しくなく見えました。この娘をどのようにしようかと困っていたようでしたから、仏になるのは、まことにこの上ないことでありましょうが、そこまではどうでしょうか」などと申し上げなさる。

 

《中の宮は父宮の話ということにして話を結んだのですが、もちろん薫は大君に似た娘がいるというところに注意が止まりますから、「それでけでは」と催促します。

 彼女はすでに訪ねてきた浮舟と会っているのですから、その生い立ち(もうすこし後で宇治の弁の君からその概ねが語られます)を知らないはずはないのですが、今薫にそれをすべて話すことは、内容上憚られることもあり、また薫にあまり大きな期待をされるのも困ります。

 今の話の狙いは、あくまでも薫の関心を自分から逸らすことなのです。

 しかし、大君の縁者で似ているとあれば、薫の関心は強まります。まだ、どういう人とも分かりませんから、とことんというわけではないにしても、人形を探すくらいの気持ちでは、その人を宇治のご本尊にしようと思っても、悪くはないでしょう、と中の宮に迫ります。

 しかし、中の宮は、父が話さなかったことを、分かったからといって話をするのはいかにも口が軽い事であり、あなたが「『変化(へんげ)』の彫刻師までもほしいものだ」とおっしゃる(第三段)から、お話ししただけのことなのです、何分にもちょっと会っただけで、よく分からない、ただ、「何事も想像していたよりは見苦しくなく見えました」と、薫にはいささか思わせぶりに思える情報を一言添えます。

そうしておいて、中の宮は、薫の「山里の本尊」を受けた「仏になるのは、…」という言葉で、この話を閉じます。

この「仏」を『集成』は「あなたの大切な思われ人」と注していますが、それでは、薫の気持ちを浮舟に向けようというそもそもの意図に反することになりそうです。そうではなくて、文字どおり「仏」(本尊)と読み、そうは言ってもいくら何でも仏さまには無理ですわねと、戯言として言ったのだと読む方が、中の宮の「思い出しただけの話で、他意はない」(前節)という立場がはっきりして、面白いのではないでしょうか。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第四段 中君、異母妹の浮舟を語る~その1

【現代語訳】

「今まではこの世にいるとも知らなかった人で、今年の夏頃、遠い所から私を尋ねて来た者を、よそよそしくは思うことのできない人ですが、また急にそう何も親しくすることもあるまいと思っておりましたところ、最近来たその者は、不思議なまでに故人のご様子に似ていたので、しみじみと胸を打たれました。
 亡き人の形見などと、そのようにおっしゃるようなのは、かえって何もかもあきれるくらい似ていないようだと、知っている女房たちは言っておりましたが、とてもそうでもないはずの人が、どうしてそんなに似ているのでしょう」とおっしゃるのを、夢語りかとまで聞く。

「そのようなわけがあればこそ、そのようにもお親しみ申すのでしょう。どうして今まで、少しも話してくださらなかったのですか」とおっしゃると、
「さあ、その理由も、どのようなことであったかも分かりません。頼りなさそうな状態で、この世に落ちぶれさすらうことだろうとばかり不安そうにお思いであったことを、ただ一人で何から何まで経験させられましたのに、またつまらないことまでが加わって、人が聞き伝えることも、とてもお気の毒なことでしょう」とおっしゃる様子を見ると、

「宮が密かに情けをおかけになった女が、子を生んでおいたのだろう」と理解した。
 

《中の宮は、薫に「何とかして、このような心をやめさせて、穏やかな交際をしたい」(前段)と考えて、薫が「人形」と言い出したことから、ふと思い出した人がありました。

その人は中の宮が「不思議なまでに、故人のご様子に似ていたので、しみじみと胸を打たれ」たという人で、「今年の夏頃」と言いますから、彼女の懐妊が判ったころに、向こうから訪ねてきたのでした。

 「尋ねて来た」の原文は「尋ね出でたりし」で『評釈』が「私を尋ね出した」の意と注しています。

薫は中の宮を「亡き人の形見」というほどに大君の面影を見ているのですが、実は、姉妹を知っている女房は「かえって何もかも、あきれるくらい似ていないようだ」と思っているのです。

そういえば、もともとこの姉妹は、妹は「たいそうかわいらしくつやつやしている」、し、姉は「もう少し落ち着いて優雅な感じ」(橋姫の巻第三章第三段)と紹介されていましたし、大君は「自分よりは容姿も容貌も盛りで惜しい感じの中の宮」(総角の巻第一章第七段)と言っていて、「薫は中の宮の中に姫宮(大君)のイメージを重ねて、中の宮を理想化した」(『評釈』)ということのようです。

もっとも同じ『評釈』が、中の宮が宇治を立つとき(早蕨の巻第一章第六段)の薫の「とてもよく似ていらっしゃる」という思いに対して、「物を思うようになった中の宮は、内面の抑制によって『なまめかしく』なり、姉宮に似るのである」と言っていて、これもありそうなことではあります。

「そのようなわけが…」という薫の言葉は、意味が分かりにくいのですが、先方はあなたを頼るだけの縁があると思っているから、やって来たのでしょう、というようなことでしょうか。

 中の宮は、どういうつながりかよく知らないが、どうやら父の娘らしいと察しているという様子で、父はあの世で自分たち姉妹が「この世に落ちぶれさすらうこと」をひたすら心配していらっしゃるだろうのに、そこにまた一人、心配の種や人のうわさの種が加わって、「とてもお気の毒なこと」と、本当の意図とは少し違う方にさりげなく向けて、話を結びます。ただ思い出しただけの話で、他意はないという格好にしようというわけです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第三段 薫、故大君に似た人形を望む

【現代語訳】

 外の方を眺めていると、だんだんと暗くなっていったので、虫の声だけがはっきりと聞こえて、築山の方は小暗く何の区別も見えないので、とても打ち沈んだ様子で寄りすがっていらっしゃるのも、厄介だとばかり御簾の内ではお思いになる。「限りだにある(いつまでも恋しさが消えないことだ)」などと、こっそりと口ずさんで、
「困り果てております。『音無の里(恋しさに泣いても、声の漏れない里、でしょうか)』を尋ねて行きたいのですが、あの山里の辺りに、特に寺などはなくても、故人が偲ばれる人形を作ったり絵にも描いたりして、勤行いたしたいと、思うようになりました」とおっしゃると、
「心打たれるご発願ですが、しかしまた嫌な『御手洗川』に縁のある気がする人形とは、想像するとお気の毒でございます。黄金を求める絵師がいたら困るなどと、気がかりでございませんか」とおっしゃるので、
「そうですよ。その彫刻師も絵師も、どうして心に叶う腕をもっていましょうか。最近蓮華を降らせた彫刻師もございましたが、そのような『変化(へんげ)』の人がいてほしいものです」と、あれやこれやと忘れるすべのないのをお嘆きになる様子が、深く思いつめているようなのもお気の毒で、もう少し近くにいざり寄って、
「人形の話で、とても不思議と思いつきそうにもないことを、思い出しました」とおっしゃる感じが、少しうちとけた様子なのもとても、嬉しくありがたくて、
「どのようなことですか」と言いながら、几帳の下から手をお掴みになるので、とてもわずらわしく思われるが、

「何とかして、このような心をやめさせて、穏やかな交際をしたい」と思うので、この近くにいる少将の君の思うことも困るので、さりげなく振る舞っていらっしゃる。

 

《対話が途切れて、少し無言の時が流れます。薫は、暮れていく庭をなんとなく眺めているばかり、中の宮は、また夜になって先日のようなことになっては困ると不安な気持ちですが、言葉を掛けるとそれがきっかけになりかねない中で、こちらも黙ったままです。

 その張り詰めた静けさに耐えきれなかったのか、ふと薫が言葉を漏らします。こことはまったく関係ありませんが、昔、中学生の時でしたか、硬筆習字の教科書に「しずけさにたえきれなくてほうせんかのみははじけるのです」と書かれた手本がありましたが、詩情あふれる言葉に思えて今でも心に残っています。

 ともあれ、薫はやはり大君への思いを古歌に託して口にして、そのついでのように、大君の人形や絵を持って山に籠ってしまおうかと、どこまで本気か分からないような話をしました。読む者には、大君への思いと中の宮への思いとがごちゃごちゃになりそうですが、本人もそうなのでしょうか。

「人形」は「ひとかた・①人のかたちをかたどったもの。像。禊や祈祷の際に使う形代にもいう。②身代わりの人。」(『辞典』)で、ここでは①の意味です。

中の宮の返事の「御手洗川」は薫の言った「人形」をことさらに「禊や祈祷の際に使う形代」(川に流すのだそうです)にとって、それではお姉さまがかわいそう、と言い、「黄金を求める絵師」はたちの好くない絵師が群がってきたら大変でしょうと、「機知」(『評釈』)で話をかわそうとしているようです。

そう言いながら、中の宮は、ふとあることを思い出しました。自分でいい話のように思えたのでしょうか、我知らずにじり寄ってその話をしようとすると、薫は勘違いをしたようで、また先夜同様に御簾の下から手を捉えます。

まずいとは思いましたが、少将もいることですし、話すべきことがあるので、ちょっと我慢をします。そして新しい物語の端緒が語られます。

ここの「故人が偲ばれる人形を作ったり…」について『光る』が「丸谷・供養と自分の恋心を満たすのが重なっていて、いわば芸術の発生段階をたいへんよく例証するものです」と言っています。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第二段 薫、亡き大君追慕の情を訴える

【現代語訳】

 どのような事柄につけても、故君の御事をどこまでも思っていらっしゃる。
「幼かったころから、世の中を捨てて一生を終わりたい気持ちばかりを持ち続けていましたが、そうなる定めだったのでしょうか、親密な関係ではないながら並々でない思いをおかけ申すようになった一事で、その本願だった仏道に入ろうという思いは、やはり背いてしまったのでしょうか。
 慰め程度に、あちらこちらと行きかかずらって他の人の様子を見るうちに、紛れることがあろうかなどと思ってみる時々はありましたが、まったく他の人に気持ちが向きそうにもありませんでした。
 すっかり思案に余りまして、心惹かれる方も特にいなかったので、好色がましいようにお思いであろうと恥ずかしいけれども、とんでもない心が万が一あったりしては目障りなことでしょうが、ただこの程度の近くで時々思っていることを申し上げたり承ったりなどして、隔てなくお話し交わしになるのを、誰が咎め立てしましょうか。世間の人と違った心のほどは、誰からも非難さるはずはないのですから、やはりご安心なさい」などと、恨んだり泣いたりしながら申し上げなさる。
「安心ならないと思い申し上げたら、このように変だと人が見たり思ったりするにちがいないほどまでお話しなど申し上げましょうか。長年、あれこれのことにつけて、分かってきたことがございましたので、血縁者でもないのにお頼りする方として、今では私の方からお手紙を差し上げるなどしているのです」とおっしゃるので、
「そのような時があったことも覚えておりませんのに、まことにたいそうなこととお考えになっておっしゃるのでしょうか。この山里へのご出立の準備には、かろうじてお召し使い下さるようです。それも仰せのように、見込んでくださってこそだと、決していい加減には思いません」などとおっしゃって、やはりたいそうどことなく恨めしそうであるが、聞いている人がいるので、思うままにどうしてお話し続けられようか。

 

《少将が傍にいることもあってでしょうか、薫は、あくまでも大君を介しての間柄であることを強調して話し始めます。

 仏道一筋にと思って来たのですが、大君に会ったことによって、その願いに背くようなことになり、今度はその大君も失ってしまいました。気晴らしに「あちらこちらと」女性に関わってきましたが、そちらに気持ちが惹かれることもありませんでした。後はもうあなたお一人です。「とんでもない心」(「中の宮への野心」・『集成』)などは決してなく、ただこうしてお傍でお話をしたいだけなのです。私の気性は誰も非難する人がないほどなのですから、安心なさって、お傍に行かせて下さい、…。

 「少将の君は、なるほど、と感心していよう」(『評釈』)とも思われますが、それは今回初めてこういう場面に出会ったからで、中の宮は先日に続いて二度目のこの事態ですから、注意をしなくてはなりません。

 もちろん少将がいますから、薫の面目のためにも、露骨な否定はできません。彼女は、「やはりご安心なさい」という薫の言葉をそのまま認めます。

 もちろん安心できる方だと思っています、あなたは変なことをなさる方ではありません、と、これはほとんど少将に、私たちは何でもないのよ、と言っているのと同じでしょう。

 その証拠に、あのように宇治行きをお願いもしたじゃありませんか、と、今度は薫に、改めて宇治行きを督促します。

 そんな話は覚えていません、というのは「少将の君に遠慮したのか、とぼけた振りをしたのか」と『評釈』が言います。どちらにしても、中の宮からの願いを果たせないでいるのですから、薫としては弱みであって、これを言われるとたじろがざるを得ません。「見込んでくださって」いることは分かっています、きっと何とかしましょう、となやら事務的な話になって、薫の方の話は頓挫した格好です。

 中の宮の賢さが際立った場面と言えましょうか。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

 

 

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ