源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第五章 中の宮の物語(三)

第六段 薫と中の宮の、それぞれの苦悩

【現代語訳】

「こうして、やはり、何とか安心できる後見人として終えようと思うとおりにはならず、心にかかって苦しいので、お手紙などを以前よりはこまやかに書いて、ややもすると胸に抑えておけない様子を見せながらお話し申し上げなさるのを、女君は、たいそうつらいことが身に添った身だとお嘆きになる。
「まったく知らない人なら、何と常識はずれなと、突き放して放っておくのも簡単なことだが、昔から普通とは違った形っでずっと頼りにして来ていて、今さら仲悪くするのも、かえって人目に変だろうし、そうは言ってもやはり、いい加減ではないお気持ちやご好意が心からのものであることを分からないわけでない。そうかといって、相手の気持ちを受け入れたように応対するのもまことに憚られることだし、どうしたらいいものだろう」と、あれこれとお悩みになる。
 お仕えする女房たちも、少し相談のしがいのあるような若い女房はみな新参で、見慣れている者としてはあの山里の老女たちである。悩んでいる気持ちを、同じ立場で親身に相談できる人がいないままに、故姫君をお思い出し申し上げない時はない。
「生きていらっしゃったら、この人もこのようなお悩みをお持ちにはならなかっただろう」と、とても悲しく、宮が冷淡におなりになる嘆きよりも、このことがたいそう苦しく思われる

 

《小見出しには「それぞれの苦悩」とありますが、中の宮の方は「苦悩」で分かるとしても、薫の方は自分の気持ちが揺れて定まらないだけではないか、という気がします。

 彼は、中の宮を恋しく思ってはいるのですが、それは「声なども、特に似ていらっしゃるとは思われなかったが、不思議なまでにあの方そっくりに思われるので」(第二章第六段)ともあったようにもともと大君の面影を追ってのことで、中の宮自身をいとおしく思う気持ちは匂宮の方が真っすぐな感じがするくらいです。

また一方で、少し強引に出る気になれば契りを結ぶ機会がなかったわけではないのですが、それも結局しないで来ました。それは、一応は「何とか安心で分別のある後見人として終えよう」という気持ちからと思われますが、また違ったところからも来ているのかも知れません。

彼には、公認で相手も同意の相手でなければそういうことはできないという、倫理観というか気弱さというか、そういうようなものがあるのではないでしょうか。むしろ、安心な後見人云々という理由は、あの「腹帯」の一件(第四章第八段)がそうであったように、強引なことをしないことの、ただの言い訳のように聞こえなくもありません。

それに対して中の宮の方は、はっきりしています。すでに彼女には、自分が頼るべきは匂宮しかないと気持ちが決まっています(第二段)。そのうえで、自分が薫の「いい加減ではないお気持ちやご好意」をありがたく思っていることと、薫が過度に近づいてくるのを防がねばならないということのバランスのとり方が難しいのです。

身の回りの女房には、そういう微妙な問題を相談できるような者がいません。彼女はまたしても姉を思い出します。

さて、困った挙句、彼女は「宮が冷淡におなりになる嘆きよりも、このことがたいそう苦しく思われる」のだったと言いますが、それは、「後見人の横恋慕は処置に窮するのである」(『評釈』)というよりも、実生活上ではともかく、彼女の心の中では、匂宮よりも薫の方の存在の方が重いと言っていることになりそうです。

非常に難しい立場ありながら、自分の気持ちは極めて明確に把握していて、ただそこでの自分の行動のバランスのとり方に心を配っている、という、実に現実的でしたたかな、言い換えれば賢くしなやかな、女性に見えてきます。》

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第五段 薫、中の宮をよく後見す

【現代語訳】

 誰が、何事をも後見申し上げる人があるだろうか。

匂宮は並々でない愛情で「万事不自由がないように」とお考えおきになっているが、こまごまとした勝手向きの事までは、どうしてお考えが及ばれよう。この上もなく人に大切にされるだけであることに馴れていらっしゃるので、生活が思うにまかせず心細いことはどのようなものかともご存知ないのは、無理もないことである。
 みやびに心を震わせ、花の露を賞美して世の中は送るべきものとお考えになっているわりには、愛する人のためだからと、自然と季節季節に応じて、実際的なことまでお世話なさるのは、それこそめったにない目を見張るようなことなので、「どんなものかしら」などと、非難がましく申し上げる御乳母などもいるのであった。
 童女などの、身なりのぱっとしないのが、時々混じったりしているのを、女君は、たいそう恥ずかしく、

かえって立派過ぎて困ったお邸だ」などと、人知れずお思いになることがないわけでないうえにが、まして最近は、世に鳴り響いた方のご様子の華やかさに、一方では、

「この院の女房が一人前ではないことだと見たり思ったりするだろう」と、お悩みになることも加わって嘆かわしいのを、中納言の君は、実によくご推察申し上げなさるので、親しくない相手だったら見苦しくこまごましすぎるにちがいない心配りの様子も、軽蔑するというのではないが、

「いや何、大げさにいかにも目につくようなのも、かえって疑う人があろうか」とお思いになるのであった。

今はまた、いつもの無難な贈り物などお整えさせなさって、御小袿を織らせ、綾織りの糸を下さるなどなさった。

この君にしても、宮にもお負けにならず、特に大事に育てられて、おかしいほどに気位が高くもあり、世の中を悟り澄まして上品な気持ちはこの上ないけれども、故親王の奥山生活を御覧になって以来、

「寂しい所のお気の毒さは格別であったことだ」と、おいたわしくお思いになって、世の中のこともいろいろと考えるようになり、深い同情をもお持ちになるようになったのであった。おかわいそうな感化をお受けになったものだ、と言う人がいる。

 

《ちょっと分かりにくい段ですが、諸注を頼りに読んでいきます。

 冒頭は、薫以外に中の宮の後見をきちんとできる人はいない、ということのようです。

 続いて、本来世話をすべき匂宮はどうであるか、という話。彼は坊ちゃん育ちで、細かいところには気が付かないのだ、と言います。

 生活の中心は風流を楽しんで過ごすことですが、「そのわりには」中の宮に「実際的なことまでお世話なさる」こともあることはあるようです。しかしそれは「それこそめったにない目を見張るようなこと」なので、たまにそういうことをすると、今度は乳母が目をむいて非難するという有様です。そんな具合ですから、匂宮の配慮はいっそう行き届きません。

そういうわけで中の宮の方では、童女がみっともない格好でいることなどもあるのですが、この頃ではこの二条院自体が「かえって立派過ぎて困ったお邸だ」と思うようにもなり、また六の君の夕霧邸の様子と比べられるような気がすることもあって、匂宮付きの女房たちから馬鹿にされていることだろうと思うと、情けない気持ちになります。

 薫はそういう中の宮のつらい情況によく気が付いて、「こまごましすぎるにちがいない心配り」までするのですが、それではかえって中の宮の貧しさを馬鹿にしたように見えるかもしれないという心配はあるけれども、逆に大きな支援をすると「かえって疑う人があろう」と思い直して、そのあたり「いつもの無難な贈り物などお整えさせなさ」るのだった、ということのようです。

「今はまた」以下は、改めての贈り物です。「この前は母宮のありあわせですませたが、今度は、直接指揮のもとで職人に…したせさせたりする」(『評釈』」)のでした。

 薫は、匂宮と同じような育ちなのですが、八の宮の暮らしを長く見てきた分だけ、貧しさということをよく理解して、「深い同情をもお持ちになるようになっ」たので、いまこうして中の宮を精一杯に後見をしているのです。

 最後の「おかわいそうな感化」については『集成』が「薫にはかわいそうな(ちと荷の重い)八の宮の感化だ」と言います。八の宮との出会いがなければ、薫も匂宮のようにもっと青春を明るく華やかに謳歌できただろうに、というような意味でしょうか。

始めのところの「みやびに心を震わせ、花の露を賞美して」は私の訳です。原文は「艶にそぞろ寒く、花の露をもてあそびて」で、諸注、「みやびやかに、花の露を弄ぶほどのことさえ、そぞろ寒く感じるほど、苦労知らずに」(『谷崎』)というように解していますが、ちょっと理屈っぽく「そぞろ寒く」の意味がよく分からないままに、別解を試みました。》

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第四段 薫、中君に衣料を贈る

【現代語訳】

 中納言の君は、このように宮が籠もっておいでになるのを聞くにも、自分が情けなく思われるが、
「しかたのないことだ。これは自分の心が馬鹿らしく悪いことだ。安心な後見人としてお世話し始めた方のことを、このように思ってよいことだろうか」と無理に反省して、

「そうは言ってもお見捨てにはならないようだ」と、嬉しくもあり、

「女房たちの様子などが、やさしい感じに着古した感じのようだ」と思いやりなさって、母宮の御方にお渡りになって、
「適当な出来合いの衣類はございませんか。使いたいことが」などと申し上げなさると、
「例の、来月の御法事の布施に、白い物はありましょうか。染めた物などは、今は特別に置いておかないので、急いで作らせましょう」とおっしゃるので、
「構いません。大したことに使うのではありません。ありあわせで結構です」と言って、御匣殿などにお問い合わせになって、女の装束類を何領もに、細長類もありあわせで、染めてない絹や綾などをお揃えになる。ご本人のお召し物と思われるのは、自分のお召し物にあった紅の砧の擣目の美しいものに、幾重もの白い綾など、たくさんお重ねになったが、袴の付属品はなかったので、どういうふうにしたのか、裳の引き紐が一本あったのを、結びつけなさって、
「 むすびける契りことなる下紐をただひとすじにうらみやはする

(結んだ契りの相手が違うので、今さらどうして一途に恨んだりしましょうか)」
 大輔の君といって、年配の者で、気心の知れた者におやりになる。
「とりあえず見苦しい点を、適当に隠しくお使いください」などとおっしゃって、主人のお召し物は、こっそりとではあるが、箱に入れて包みも格別である。御覧には入れないないが、以前からも、このようなお心配りはいつものことで見慣れているので、わざとらしくお返しするなど、ごたごたするべきことでないので、どうしたものかと思案することもせず、女房たちに配り分けなどしたので、それぞれ仕立てなどする。
 若い女房たちで御前近くにお仕えする者などは、特別に着飾らせるのがよいのだ。下仕えの者たちが、ひどくよれよれになった姿などに、白い袷などを着て、派手でないのはかえって見よいのであった。

 

《匂宮が中の宮のところに籠っていると聞いて、薫の気持ちは穏やかではなく、どうして譲ってしまったのだろうと臍を噛む気持ちですが、さしあたっては「安心な後見人としてお世話」しようと「無理に反省して」、匂宮が、六の君と結婚してもなお大事にしてくれていると聞けば、ほっとした気持ちにもなります。

 さて「後見人」の役割を果たさねばなりません。そこで、お付きの女房たちの来ているものが「着古した感じのようだ」と思い出して、それを手配することにしました。

 それではと、品物を求めたのが母親のところだというのが、何とも意外です。もちろんそこに行けば、何と言っても二品の宮(若菜下の巻第三章第一段)ですから、物は揃うのでしょうが、薫もいい歳をした中納言であってみれば、母に頼まずとも、何とかしてほしい気がします。当時としては当たり前のことだったのでしょうか。

 さいわい、来月行う恒例の法要(匂兵部卿の巻第二章第一段)の布施として準備されていたものがありましたので、それをもらいます。それは、女房たち用のもので、中の宮本人のものは薫が自分のものを届けることにしました。男への賜り物に女性の衣裳が送られるということがあって、それはいろいろに使い道がありそうですが、男性のものを女性に贈ってそれが普通に使えるというのは意外な気がします。共用できたのでしょうか。

 そしてその中の宮宛の品だけは「こっそりとではあるが、箱にいた入れて」ありました。『評釈』が「元来、女性に経済力がない時、男性から衣装などを贈るものだが、反対に贈り物をいただくことは、経済力の無さを見すかされているようで、女性にとってはつらいこと」だと言います。このままでは意味不明の文章で、たぶん初めの方の女性と男性を入れ替えて読むとここの説明になるのでしょう。

 女房たちへだけなら「禄」とでも考えられるわけですが、主人(中の宮)へはそうもいいかないので、一目で宮のものと分かるようなものは箱に入れて(その方が目立つとも言えますが、一応それが何であるか、表向きは分からない形にして)、「気心の知れた」大輔の君宛に届けて、措置をまかせたということでしょうか。

 いずれにしても、自分の内心の思いをぐっと抑えて、細かい心配りの利いた贈り物、ということです。大変に素晴らしい人だということになりますが、何か痛々しく切ない気もします。

 その中の宮への箱に歌を添えたのですが、「うらみやはする」と言いながら、むしろ恨んでいることを伝えることにしかならず、言わない方がよかったような気がします

終わりの「若い女房は…」、「下仕えの者たちは…」は作者の「教訓」(『評釈』)のようです。》

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第三段 匂宮、中の宮の素晴しさを改めて認識

【現代語訳】

 翌日もゆっくりとお起きになって、御手水やお粥などもこちらの部屋に運ばせなさる。お部屋の調度類なども、あれほど輝くほどの高麗や唐土の錦綾を何枚も重ねているのを見た目には、世間普通の気がして、女房たちの姿も、糊気のとれたのが混じるなどして、たいそうひっそりとした感じに見回される。
 女君は、柔らかな薄紫の袿に撫子の細長を襲着して、寛いでいらっしゃるご様子が、何事もたいそうきちんと整って仰々しいまでに盛りの方の装いや何かと比較されるが、劣っているようにも思われず、親しみがもてて美しいのも、愛情が並々でないために、引け目になるところがないのであろう。ふっくらとかわいらしく太った方が、少し細やかになっているが、肌の色はますます白くなって、上品で魅力的である。
 このような移り香などがはっきりしない時でさえ、愛嬌があってかわいらしいところなどが、やはり誰よりも格段まさっているとお思いになるにつけて、
「この人を兄弟などでない人が身近で話を交わして、何かにつけて、自然と声や気配を聞いたり見たりしつけていたら、どうして平気でいられよう。きっとそんなふうに心を動かすだろうよ」と、自身のたいそうよくご存じのご性分からお分かりになるので、常に気をつけて、

「はっきりと分かるような手紙などがあるのではないか」と、近くの御厨子や唐櫃などのような物までを、さりげない様子をしてお探しになるが、そのような物はない。

ただ、たいそうあっさりと言葉少なで、平凡な手紙などが、わざわざというのではないが、何かと一緒になってあるのを、

「おかしい。やはり、とてもこれだけではあるまい」と疑われるので、ますます今日は平気でいられないのも、もっともなことである。
「あの人の様子も、ものの分かる女は、素晴らしいと思うにちがいないので、どうして特別に遠ざけたりしようか。ちょうど似合いの二人なので、お互いに思いを交わし合うことだろう」と想像すると、侘しく腹立たしく悔しいのであった。

やはり、とても胸が収まらなかったので、その日もお出かけになることができない。六条院には、お手紙を二度三度差し上げなさるが、
「いつのまに積もるお言葉なのだろう」とぶつぶつ言う老女連中もいる。

 

《冒頭、「翌日も」①、「お粥なども」②、「調度類も」③と「も」が連続します。①は昨夜と翌朝を並列したもの、②は、それほど床から離れなかった、というほどの気持ちと考えられますが、③(原文・御しつらひなども)は、六の君のところの調度ではなく、そこの女房の衣裳との対比で、ちょっと分かりにくい使い方です。

 ともあれ、夕霧右大臣邸の六の君のところと違って、寛いだ気分になれるところだということで、そういう中で、中の宮も「親しみがもてて美し(原文・なつかしくをかしき)」く、かつ「上品で魅力的」でしたから、家庭的という点では、申し分ありません。

 「移り香などがはっきりしない時でさえ(原文・御移り香などのいちじるしからぬをりだに)、…やはり誰よりも格段まさっている」も不思議な言い方ですが、薫の移り香があってなおさら心惹かれることになったのだと考えれば、ありそうなことではあります(いささか退廃趣味ではありますが)。

 「常に気を付けて(原文・常に心をかけて)」薫の文を探していた、という「常に」も変で、話の流れから言えば、薫の残り香を感じて以来、昨日からずっと、というようなことになりそうですが、ちょっと不自然に思えます。ただ、後に「ますます今日は」とあるところを見ると、このあたりの一節は、この日頃ずっとそういう疑いを持っていたのだというふうに語っているようにも思えますが、それも何か取って付けたようで、不審です。

 ともあれ匂宮の疑いを証拠つけるような手紙は見つかりません。実はそれは薫も警戒していたところで、殊更に気を付けてそういう手紙にしないようにしてきたことは、読者はよく知っています(第四章第四段や第五章第一段)。

ところが、証拠の品が見つからないとなると、かえって疑いが深くなる、というのも面白い心理で、疑う者のつらいところです。彼は、とうとう中の宮の傍から離れられない気持ちになって、やむなく六の君に手紙を書きます。この人は、男女の道を「たいそうよくご存じのご性分」ですが、決して『評釈』の言うような「浮気」な人ではなくて、それぞれの相手に勤勉で誠実な態度で接していると言っていいようです。六の君の老侍女の言葉はそのあたりを皮肉ったものなのでしょう。》

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第二段 匂宮、帰邸して、薫の移り香に不審を抱く~その2

【現代語訳】2
「それにしても、あきれるくらいに油断させておいて、入って来たことよ。亡くなった姉君と関係なく終わってしまったことなどお話になった気持ちは本当に立派であったことだと気を許すことは、やはりあってはならないのだった」などと、ますます心配りがされるにつけても、久しくお見えにならないことは、とても不安な気がなさるので、口に出して言わないが、今までよりは、少し傍におられるように振る舞っていらっしゃるのを、宮はますますこの上なくいとしいとお思いになるのだったが、あの方の御移り香が、たいそう深く染みていらっしゃるのが、世の常の香をたきしめたのと違って、はっきりと分かる薫りであるのを、その道の達人でいらっしゃるので、妙だと不審をお口になさって、どうしたことかと、様子を伺いなさるので、見当外れのことでもないので、言いようもなく困って、ほんとうにつらいとお思いになっていらっしゃるのを、
「そうであったか。きっとそのようなことはあるにちがいない。よもや、平気でいられるはずがないと、ずっと思っていたことだ」とお心が騒ぐのだった。とは言え、単衣のお召し物類は脱ぎ替えなさっていたのだが、不思議と意外にも身にしみついていたのであった。
「こんなに香っていては、何もかも許したのであろう」と、すべてに聞きにくく次々におっしゃるので、情けなくて身の置き所もない。
「大切に思い申し上げているのは格別なのに、『われこそ先に(捨てられるなら自分から先に)』などと、このように裏切るのは身分の低い者のすることです。また隔て心をお置きになるほどご無沙汰をしたでしょうか。意外にもつらいお心ですね」と、すべてを語り伝えることができないくらい、とてもお気の毒な申し上げようをなさるが、何ともお返事申し上げなさらないのまでが、まことに憎らしくて、
「 また人に馴れける袖の移り香をわが身にしめてうらみつるかな

(他の人に親しんだ袖の移り香を、身にとって深く恨めしく思うことだ)」
 女君は、ひどいおっしゃりようが続くので、何ともお返事できないでいるが、黙っているのもどうかと思って、
「 みなれぬる中の衣とたのみしをかばかりにてやかけ離れなむ

(親しみ信頼してきた夫婦の仲も、この程度の香りで切れてしまうのでしょうか)」
と言って、お泣きになる様子が、この上なくかわいそうなのを見るにつけても、

「これだからこそ」とますます面白くなくて、自分もぽろぽろと涙を流しなさるのは、色っぽいお心だこと。ほんとうに大変な過ちがあったとしても、一途には疎みきれないほどかわいらしくおいたわしい様子をしていらっしゃるので、いつまでも恨むこともおできになれず、途中で言いさしなさっては、その一方ではお慰め申し上げなさる。

 

《中の宮は夫の睦言を聞きながら、昨夜の薫の心変わりを思い出して、もはや薫を頼ってはならない、この人のお傍にいなければ、と改めて思い、「今までよりは、少し傍におられるように振る舞」います。必ずしも純な気持ちとは言えませんが、ここはそれをとがめる前に彼女の「現実の人生に対する中君の認識の深まり」(宿木の巻第三章第一段)として見ておく方がいいように思います。この人は、かわいい姫君から大人の女性になろうとしているのだと思いたいところです。

 ところが話はそう調子よくは行かないで、匂宮が、自分の腕の中でいささか後ろめたい思いを反芻している中の宮に、薫の昨夜の残り香を嗅ぎつけてしまったのでした。

彼がかねて気にかけていた疑いでもあり(早蕨の巻末)、状況は一転、危険な様相を呈します。「不思議と意外にも身にしみついていた」香りだったので、匂宮は「こんなに香っていては、何もかも許したのであろう」と疑い、「聞きにくく」、『集成』の傍訳によれば「露骨なことを次々に」言って中の宮を問い詰めます。

中の宮は答えにくく、黙ってしまうのですが、ここは中の宮贔屓の読者としては、もう少し違った対応がほしいところです。確かにありのままを言っても信じてはもらうのは難しいでしょうし、信じてもらえたにしても、由々しい振る舞いであることは、免れません。それでも、この賢明な人が、ただ黙ってしまったのは残念です。

それにしても「単衣のお召し物類」(『集成』は「下着の単(ひとえ)」と言います)まで着替えていたのに、なお残り香があるとは驚きです。『評釈』は「中の宮の『しるしの帯』にももとわりついたのであろうか」と言いますが、帯だけ替えなかったというのは変でしょう。

さて、匂宮は、黙りこくった妻が憎らしく、歌を詠み掛けます。何もこんなところで歌を詠まなくてもいいような気もしますが、中の宮はこれにはきちんと返します。返歌は、何やら開き直ったような内容で、火に油ではないかと案じられますが、意外にそうではありませんでした。

歌を返して泣いている中の宮の姿が、匂宮にはまたかわいく見えて、これだから薫が言い寄ったりするのだと苛立って自分も泣きながら、しかし「いつまでも恨むこともおできになれず」に、慰めの言葉を掛ける気になってしまった、という、普通に考えれば何とも奇妙な展開ですが、このあたり、意外にすんなり読めます。

歌の功徳という、古い時代にはよくあったらしい効果とでも言うのでしょうか。

あるいは、歌を詠み掛けられたら、むりにでも返歌するものという習慣自体が、難しい場面でのコミュニケーションを曲がりなりにも保つという役割を果たしている、とも言えそうです。

もちろん、匂宮の中の宮をいつくしむ気持ちがそれほどひたむきだったということでもあります。》


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