【現代語訳】
近くに伺候している女房が二人ほどいるが、何の関係のない男が入って来たのならば、これはどうしたことかと近寄り集まろうが、親しく話し合っていらっしゃる仲のようなので何か子細があるのだろうと思うと、側にいづらいので、知らぬふりをしてそっと離れて行ったのは、お気の毒なことだ。
男君は、昔を後悔する心の堪えがたさなどもとても静め難いようであるが、昔でさえめったにないほどのお心配りをなさったのだから、今はやはりとても思いのままにも無体な振る舞いはなさらないのだった。このようなことは、細かく語り続けることはできないのであった。
不本意ながら、人目の悪いことを思うと、あれやこれやと思い返してお出になった。
まだ宵と思っていたが暁近くになったのを、見咎める人もあろうかと、厄介なのも、女君の御ためにはお気の毒である。
「具合が悪いようだと聞いていたご気分は、もっともなことであった。とても恥ずかしいとお思いでいらっしゃった腹帯を見て、主にはそれがお気の毒に思われてやめてしまったことだ。いつもの馬鹿らしい心だ」と思うが、
「情けのない振る舞いは、やはり不本意なことだろう。また、一時の自分の心の乱れにまかせてむやみな考えをしてしまって後は、気安くなくなってしまうのに、無理をして忍びを重ねるのも苦労が多いし、女君があれこれ思い悩まれることであろう」などと、冷静に考えても抑えきれず、「今の間も恋しき」のは困ったことであった。ぜひとも会わなくては生きていられないように思われなさるのも、重ね重ねどうにもならない恋心であるよ。
《ここに来て急に「近くに伺候している女房」の登場ですが、「知らぬふりをしてそっと離れて行った」ことは、もっと少し前に語られるべきではないでしょうか。例えば、第五段の終わりか第六段の終わりあたりでの情報だったら、状況の切迫感を増すことになったでしょうが、ここでは、もう薫の気持ちは萎えているのですから、今更女房がいようがいまいがあまり関係なく、「お気の毒なことだ」という感じがしません。
結局薫は、大君に対してずっとそうだったように、ここでも中の宮に手出しをすることなく、「無体な振る舞いはなさらない」で帰っていきました。
「このようなことは、…」について、『集成』は「濡れ場の仔細にわたることは憚られると、省筆をことわる草子地」と言いますが、具体的には、その「無体な振る舞いをなさらなかった」事情を省筆しているように思われます。
そう言っておいて、その事情を遠慮がちに列挙しています。まず、もう夜が明けそうであったこと、夜が明けてからの帰りは人が見とがめることもあろう、それが女方にとって都合が悪いだろうこと、中の宮の「身体が悪そう」だったこと、の「腹帯(懐妊の印)を見て、多くはそれがお気の毒に思われ」たこと、等々。
そして薫は、そういう自分の振舞い方に、後付けの理由をずらずらと並べ挙げます。
ところがそうしながら、なおも「冷静に考えても抑えきれず、『今の間も恋しき』」と言うに至っては、語り手ならずとも「重ね重ねどうにもならない恋心である」と匙を投げるしかないと思われるのですが、『無名草子』などは、こういう場合、やはり薫の、熱い思いを抱きながら、気配りや思いやり、遠き慮り忘れない点を優れていると見るのでしょうか。》