源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 薫の物語(一)

第八段 薫、自制して退出する

【現代語訳】

 近くに伺候している女房が二人ほどいるが、何の関係のない男が入って来たのならば、これはどうしたことかと近寄り集まろうが、親しく話し合っていらっしゃる仲のようなので何か子細があるのだろうと思うと、側にいづらいので、知らぬふりをしてそっと離れて行ったのは、お気の毒なことだ。
 男君は、昔を後悔する心の堪えがたさなどもとても静め難いようであるが、昔でさえめったにないほどのお心配りをなさったのだから、今はやはりとても思いのままにも無体な振る舞いはなさらないのだった。このようなことは、細かく語り続けることはできないのであった。

不本意ながら、人目の悪いことを思うと、あれやこれやと思い返してお出になった。
 まだ宵と思っていたが暁近くになったのを、見咎める人もあろうかと、厄介なのも、女君の御ためにはお気の毒である。
「具合が悪いようだと聞いていたご気分は、もっともなことであった。とても恥ずかしいとお思いでいらっしゃった腹帯を見て、主にはそれがお気の毒に思われてやめてしまったことだ。いつもの馬鹿らしい心だ」と思うが、

「情けのない振る舞いは、やはり不本意なことだろう。また、一時の自分の心の乱れにまかせてむやみな考えをしてしまって後は、気安くなくなってしまうのに、無理をして忍びを重ねるのも苦労が多いし、女君があれこれ思い悩まれることであろう」などと、冷静に考えても抑えきれず、「今の間も恋しき」のは困ったことであった。ぜひとも会わなくては生きていられないように思われなさるのも、重ね重ねどうにもならない恋心であるよ

 

《ここに来て急に「近くに伺候している女房」の登場ですが、「知らぬふりをしてそっと離れて行った」ことは、もっと少し前に語られるべきではないでしょうか。例えば、第五段の終わりか第六段の終わりあたりでの情報だったら、状況の切迫感を増すことになったでしょうが、ここでは、もう薫の気持ちは萎えているのですから、今更女房がいようがいまいがあまり関係なく、「お気の毒なことだ」という感じがしません。

結局薫は、大君に対してずっとそうだったように、ここでも中の宮に手出しをすることなく、「無体な振る舞いはなさらない」で帰っていきました。

「このようなことは、…」について、『集成』は「濡れ場の仔細にわたることは憚られると、省筆をことわる草子地」と言いますが、具体的には、その「無体な振る舞いをなさらなかった」事情を省筆しているように思われます。

そう言っておいて、その事情を遠慮がちに列挙しています。まず、もう夜が明けそうであったこと、夜が明けてからの帰りは人が見とがめることもあろう、それが女方にとって都合が悪いだろうこと、中の宮の「身体が悪そう」だったこと、の「腹帯(懐妊の印)を見て、多くはそれがお気の毒に思われ」たこと、等々。

そして薫は、そういう自分の振舞い方に、後付けの理由をずらずらと並べ挙げます。

ところがそうしながら、なおも「冷静に考えても抑えきれず、『今の間も恋しき』」と言うに至っては、語り手ならずとも「重ね重ねどうにもならない恋心である」と匙を投げるしかないと思われるのですが、『無名草子』などは、こういう場合、やはり薫の、熱い思いを抱きながら、気配りや思いやり、遠き慮り忘れない点を優れていると見るのでしょうか。》

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第七段 薫、中の宮に迫る

【現代語訳】

 女君は、

「やはりそうだった、ああ嫌な」と思うが、何を言うことができようか、何も言わないで、ますます奥にお入りになるので、その後についてとても物馴れた態度で、半分は御簾の内に入って添い臥しなさった。
「いえ、違うのです。人目に立たないならよいようにお考えになったことが嬉しく思えたのは、聞き違いかと、それを伺おうと思いまして。よそよそしくお思いになるべき間柄でもないのに、情けないご様子ですね」とお恨みになるので、返事をしようと言う気もしなくて、心外で憎く思う気になるのを、無理に落ち着いて、
「思いがけないお心のほどですね。女房たちがいろいろに思いましょう。あきれたこと」と軽蔑して、泣いてしまいそうな様子なのは、少しは無理もないことなので、お気の毒とは思うが、
「これは非難されるほどのことでしょうか。この程度の対面は、昔を思い出してください。亡くなった姉君のお許しもあったのに、ずいぶん疎々しくお思いになっていらっしゃるのは、かえって嫌な気がします。好色がましいあきれるような気持ちはないと、安心してください」と言って、たいそう穏やかに振る舞っていらっしゃるが、幾月もずっと後悔していた心中が堪え難く苦しいまでになって行く気持ちを、長々と話し続けなさって、放しそうな様子もないので、どうしようもなく、つらいと言ったのでは月並である。かえってまったく気心を知らない人よりも、恥ずかしく気にくわなくて、泣いてしまわれたのを、
「これは、どうしましたか。何とも大人げない」とは言いながら、何とも言えずかわいらしく、気の毒に思う一方で、心配りが深くこちらが恥ずかしくなるような態度などが、以前に見た時よりも、すっかり成人なさったのを見ると、

「自分から他人に譲って、このようにつらい思いをすることよ」と悔しいのにつけても、また自然泣かれるのであった。

 

《中の宮は、この人なら大丈夫そうだと思っていた薫の変身に、ああこの人もやはりこうだったのかと戸惑い、なお奥に入ってしまおうとしますが、薫は「その後についてとても物馴れた態度で」入って来て、「添い臥し」ました。

 「人目に立たないならよいように…」は、中の宮の言った「ただ、ごく人目に立たないのがよいでしょう」(前段)を捉えて、それを、「二人でこっそり宇治へ、の意味にとりなして」(『集成』)の言葉です。そうまで思いながら、どうして今、こう「情けない対面」なのでしょう、昔もこういうふうにお会いしたことがあったじゃありませんか、あの時、姉君もお許しでした(総角の巻第二章第五、六段)、私は決してひどい振る舞いはしないのですよ、…。

 薫は「長々と話し続けなさって」、捉えた袖を放そうとしません。

 中の宮は、信用できると思っていた(後見してくれる人なのだと、子供のように安心して気を許していた、と言うべきでしょうか)だけに、余計に「恥ずかしく気にくわなくて」、しかしそうかといって対抗する手立てもなく、ただ泣くしかありません。

 ところが薫は、その「心配りが深くこちらが恥ずかしくなるような態度など」が、依然と比べて大変立派になったと思えて、それ以上に迫るきも失せて、手放してしまったことを悔いて、こちらも涙にむせんでしまいます。

 『評釈』は「ここまで無理押しして来た男に対して、中の宮は屈服しない。あきらめない。柏木に迫られた時の女三の宮(若菜下の巻第七章第四段2節)と比較すべきである」と言います。しかし、比較してみると、その違いは女三の宮が「何もお返事なさらない」ままだったのとここの中の宮が「「思いがけないお気持ちですね。…」と言ったということくらいで、その言葉も特に薫を自制させる効果を上げたとも思えません。

比較するならここはむしろ、柏木と薫の違いの方ではないでしょうか。薫の実父である柏木は相手の魅力に、普通の若者らしく「賢明にも自制していた分別も消え」(同)たのでしたが、ここの薫は、読者にその理由がよく分からないままに「自制」します。

中の宮に寄せる心は、もともと自分でも「ただあの方(大君)のご血縁と思うので思い離れがたいのだ」(第二章第四段)と承知しているのですから、そのせいかとも思われますが、大君の時も結果としては同じだったわけで、とすると、むしろ同じ『評釈』の「薫は実力行使に出ない。口で言うばかりである」と言っていることの方が、納得できます。

『光る』が「総角」の巻で「丸谷・この巻の弱点の一つは、薫は絶対に暴行をしない男だという、有無を言わせぬ小説的な書き方がないことですね」と言っていたことが改めて思い出されます。

同じ『光る』が「大野・自分の母親である女三の宮に対する柏木のひたむきの恋は、よろしくない結果をもたらし、自分という祝福されない人間が生まれた。恋に突進することは決して良くないことなのだという気持ちが薫の奥底にある」と言います。そういうことだろうとは思われますが、それは彼が「実力行使に出ない」ことから、逆にそういう気持ちがあるのではないかと読者が推し量るにすぎないのであって、やはり書き足りないところがあるのは否めない気がします。》

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第六段 中の宮、薫に宇治への同行を願う

【現代語訳】

 女君は、宮の恨めしさなどは口に出して申し上げなさるべきことでもないので、ただ「世やは憂き(自分のせいでつらい思いをしているのだ)」などというように思わせて、言葉少なに紛らわしては、山里にほんのちょっとお連れくださいとのお思いで、たいそう熱心に申し上げなさる。
「それだけは、私の一存ではお世話できないことです。やはり宮にただ素直にお話し申し上げなさって、あの方のご意向に従うのがよいことです。そうでなかったら、少しの行き違いが生じても、軽率だなどとお考えになるだろうから、大変具合の悪いことになりましょう。そういうことさえなければ、道中のお送りや迎えも、私自身でお世話申しても何の遠慮がございましょう。安心で人と違った性分は、宮もみなご存知でいらっしゃいました」 などと言いながら、時々は、過ぎ去った昔の悔しさが忘れる折もなく、「ものにもがなや(昔のままの自分でありたい)」と取り戻したいと、ほのめかしては、だんだん暗くなって行くまでおいでになるので、とてもわずらわしくなって、
「それでは、気分も悪くなるばかりですので、また楽になりました折に、何ごとも」と言って、お入りになってしまう様子であるのが、とても残念なので、
「それにしても、いつごろにお立ちになるつもりですか。たいそう茂っていた道の草も、少し刈り払わせましょう」と機嫌を取って申し上げなさると、少し奥に入りかけて、
「今月は終わってしまいそうなので、来月の初め頃にも、と思っております。ただ、ごく人目に立たないのがよいでしょう。何も、夫の許可など仰々しくて」とおっしゃる声が、

「何ともかわいらしいことだ」と、いつもより亡き大君が思い出されるので、堪えきれないで、寄り掛かっていらっしゃった柱の側の簾の下から、そっと手を伸ばして、お袖を捉えた。

 

《中の宮は薫に対して匂宮への不満や嘆きは口にせず、ひとえに「自分のせいでつらい思いをしている」ので、一度宇治を訪ねたいというように話した、というのですが、どういうふうに言っても、宇治に行きたいというのは、ここの生活が面白くないからということになりそうで、匂宮と六の君のことに触れないでそういうことを頼むのは簡単ではなさそうに思えます。

逆に、匂宮に関わらないことなら、匂宮に頼めば済む話ですから、これを薫が引き受けるのは、なかなかの難題です。「ほんのちょっと」という言葉に、万事をゆだねたというところでしょうか。

ともあれ薫としては、願ってもない嬉しい話ですが、とりあえずは断らざるを得ません。

しかし、単に断ってしまっては、話は以上終わりとなってしまいます。せっかくの機会に、今の薫の心境からはそれでは済ましたくない気がしますから、宇治の話のついでに、昔のように親しいお付き合いをしたいと「ほのめかし」ながら、暗くなるまで居座って何となくの話を続けます。

中の宮は女房たちの目もあることで、心配になって来ました。そこで、体調を理由に、今日はここまでで、と奥に引き下がろうとします。

慌てた薫は、「いつごろにお立ちになるつもりですか。たいそう茂っていた道の草も、少し刈り払わせましょう」と、うまい口実で何とか話を継ごうとします。『評釈』は「口から出まかせに」言ったのだと言いますが、それでは薫に少々かわいそうで、彼としては取りすがるような思いなのだと読みたいところです。

 すると中の宮も、急に寄り縋る希望が湧いて来たという気持ちでしょうか、「来月の初め頃にも」と、ずいぶん具体的で、しかも差し迫った希望を告げます。何か、こちらの方が思わず口を突いて出た言葉のように思われます。

が、薫もその言い方に、彼女の切実な思いを感じたのでしょうか、「何ともかわいらしいことだ」と、いとおしく心惹かれて(と言うのでは足りないくらいに、一瞬に心を鷲づかみにされたといった具合で)、思わず(なのでしょうか)「簾の下から、そっと手を伸ばして、お袖を捉え」てしまいます。》

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第五段 薫、中の宮を訪問して慰める

【現代語訳】

 そうして、翌日の夕方にお渡りになった。人知れず思う気持ちもあるので心ならずも気づかいされて、柔らかなお召し物類を一段と香を深く匂わしておられるのは、あまりに大げさなまでにあるのに加えて、丁子染の扇の、お持ちつけになっている移り香などまでが、譬えようもなく素晴らしい
 女君も、変な具合だった夜のことなどを、お思い出しになる折々がないではないので、誠実で情け深いお気持ちが、誰とも違っていらっしゃるのを見るにつけても、

「そんなふうでありたかった」くらいはお思いになるのだろうか。
 幼いお年でもいらっしゃらないので、恨めしい方のご様子を比較すると、何事もますますこの上なく思い知られなさるのか、いつも隔てが多いのもお気の毒で、

「物の道理を弁えないとお思いになるだろう」などとお思いになって、今日は、御簾の内側にお入れ申し上げなさって、母屋の御簾に几帳を添えて、自分は少し奥に引っ込んでお会いになった。
「特にお呼びということではございませんでしたが、いつもと違ってお許し下さいましたお礼に、すぐにも参上したく思いましたが、宮がお渡りあそばすとお聞きいたしましたので、折が悪いのではないかと思って、今日にいたしました。

それにしても、長年の誠意のかいもだんだん現れてきたのっでしょうか、隔てが少し薄らぎました御簾の内ですね。珍しいことですね」とおっしゃると、やはりとても気が引ける思いで、言い出す言葉もない気がするが、
「先日、嬉しく聞きました心の中を、いつものように、ただ仕舞い込んだまま過ごしてしまったら、感謝の気持ちの一部分だけでも、どうして知ってもらえようかと、残念なので」と、いかにも慎ましそうにおっしゃるのが、たいそう奥の方に身を引いて、途切れ途切れにかすかに申し上げるので、もどかしく思って、
「とても遠くでございますね。心からお話し申し上げ、またお聞き致したいお話もございますので」とおっしゃるので、なるほどとお思いになって、少しいざり出てお近寄りになる様子をお聞きなさるにつけても、胸が高鳴る思いだが、そんな様子も見せないでますます落ち着いた態度で、宮のご愛情が意外にも浅くおいでであったとお思いで、一方では批判したり、また一方では慰めたり、それぞれに穏やかにお話し申し上げなさる。

 

《薫は中の宮のところに、ずいぶんめかしこんでやって来ました。

「人知れず思う気持ちもある」からなのですが、次の「心ならずも(原文・あいなく)」がちょっと微妙で、これは私の訳①、『評釈』は「何となく」②、『集成』は「あらずもがなの」③、『谷崎』は「けしからず」と訳していてます。①と②は薫自身の気持ち、③、④は語り手の批評と考えられます。「自分ではそういうつもりはないのに」という感じだと思いますが、…。

それと合わせて、次の「お召し物」の話も分かりにくく、その匂いが「あまりに大げさ(原文・あまりにおどろおどろしきまであるに)」が否定的な言い方で、「丁子染の扇」の香りが「譬えようもなく素晴らしい」の好い評価と合わないように思えます。しかしまあ、ここは肯定的に読むしかないのでしょう。

 そうだとすると、前の「あいなく」も、③、④のような否定的評価は合わないという気がしますが、どうなのでしょうか

 さて、来てくれた薫を見て、中の宮は改めて「何事もますますこの上なく思い知られなさる」のでした。「そんなふうでありたかった」とは、この人と結ばれた方がよかった、ということのようで、ここにもまた「成長する」(「宇治の中君再論」(第三章第一段)、つまり現実的認識を広げていく(深めていく)中の宮がいます。彼女は、これまでと違って薫を御簾の中に入れて応対しました。それはもちろん、彼をより強く信頼するということですが、しかしそれはまた薫をあくまでも後見人として見ているからの対応であり、薫の思いと一致しているわけではありません。

 薫の挨拶がまた、ちょっと分かりにくいところです。まず「特にお呼びということではございませんでしたが」というのが変で、諸注、中の宮からの手紙に「できますことなら、親しくお礼を(原文・さりぬべくは、みづから)」とあったことに触れたのだと言いますが、それは呼んだということではないのでしょうか。「いつもと違ってお許し下さいました」も、「いつもは中の宮からいらっしゃいといわれたこともなく、薫が勝手に押しかけていたのが、来ても良いといわれた」(『評釈』)ことなのですから、事実上、呼ばれたことは確かでしょう。すると、この挨拶は、中の宮に気を遣って、自分から押し掛けてきたという形にしようということでしょうか。

 そうだとすると、ことさら宮が来ない時を選んできたと口に出して言うのも穏当ではない気がします。何か、薫が緊張しているような感じもします。

ともあれの挨拶ですが、中の宮の、面と向かうと「やはりとても気が引けて、言い出す言葉もない気がする」というのが、またこの人の清純さが表れていて大変いい感じで、よく分かります。

 それでも薫が、「お聞き致したいお話」がある(原文は「世の御物語」で、「匂宮と中の君の間柄をさすと解される・『集成』」)のでお近くに、と言うと、それもそうだとにじり出ます。中の宮のあいらしさと素直さが光ります。》

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第四段 中の宮と薫、手紙を書き交す

【現代語訳】

 こうして後は、二条院に気安くお渡りになれない。軽々しいご身分でないので、お考えのままに昼間の時間もお出になることができないので、そのまま同じ六条院の南の町に、長年そうだったようにお住みになって、暮れると、再びこの君を避けてあちらへお渡りになることもできないなどして、待ち遠しい時々があるが、
「このようなことになるとは思っていたが、当面すると、こんなにまでまるっきり変わってしまうものであろうか。なるほど、思慮深い人なら、物の数にも入らない身分で結婚すべきではなかったのだ」と、繰り返し山里を出て来た当座のことなど、現実とも思われず悔しく悲しいので、
「やはり何とかしてこっそりと帰ってしまおう。すっかり縁を切るというのでなくとも、暫く気を休めたいものだ。憎らしそうに振る舞ったら、嫌なことであろうけれど」などと、胸一つに思いあまって、恥ずかしいが、中納言殿に手紙を差し上げなさる。
「先日の御事は、阿闍梨が伝えてくれたので、詳しくお聞きしました。このようなご親切の名残が続いておりませんでしたら、どんなにか故人がおいたわしいことかと存じられますにつけても、深く感謝申し上げております。できますことなら、親しくお礼をも」と申し上げなさった。
 陸奥紙に、気取ったふうもなくきちんとお書きになっているのが、実に美しい。宮のご命日に、例の法事をとても尊くおさせになったのを、喜んでいらっしゃる様子が、仰々しくはないが、言葉通りにお分かりになるようである。

いつもは、こちらから差し上げる手紙へのお返事でさえ、遠慮されることのようにお思いになって、てきぱきともお書きにならないのに、「親しくお礼をも」とまでおっしゃったのが、珍しく嬉しいので、心ときめく思いもするであろう。
 宮が新しい方に関心を寄せていらっしゃる時なので、疎かにお扱いになっていたのも、とてもおいたわしく思われるので、たいそう気の毒になって、格別な趣のあるわけではないお手紙を、下にも置かず、繰り返し繰り返し御覧になっていた。お返事は、
「承知いたしました。先日は、修行者のような恰好で、わざとこっそり参りましたが、そのように考えます事情がございましたときですので。『名残り』とおっしゃるのは、私の気持ちが少し薄くなったようだからかと、恨めしく存じられます。何もかも伺いましてから。あなかしこ」と、きまじめに、白い色紙でごわごわとしたのに書いてある。

 

《薫が、身近な女房に憂さを晴らし、匂宮が六の君に、立場上が半分、実際に惹かれる気持ち半分で(いや、もう少しこちらの比率が高いでしょうか)、すっかり通い詰めで、二条院に顔を見せなくなっているころ、中の宮はひとり寂しいもの思いに暮れていました。

 彼女は、「待ち遠しい時々がある」のですが、夫の心変わりを恨むより先に、身の拙さを顧みずのこのこと都などへ出てきた自分が悪かったのだと、「悔しく悲し」く思っています。

そして、こういう暮らしを続けるよりは、むしろ宇治に帰ってしまいたいという気持ちが強くなって来ました。それも、「すっかり縁を切るというのでなくとも、暫く気を休めたい」のだと、大変に抑制的で、このあたりもこの人の人柄を偲ばせます。

さて、そう考えても、もちろん彼女ひとりでそんなことができるわけはありませんから、薫に相談しようと、「先日の御事」(父宮の命日の供養をしてくれたこと・第二章第八段)のお礼が言いたいということを口実に、おいでいただきたいと手紙を送りました。

 こうした、匂宮や六の君を恨むではなく黙って自分の気持ちを整理しようという彼女の考え方や、薫への手紙の、その悲しみの片端も見せずにお礼を言うためとして、「(事務的な時に使う)陸奥紙に、気取ったふうもなくきちんとお書きになっている」という冷静な姿勢は、この人の清純で賢明な人柄を大変よく示していて、実に好ましく思えます。

 薫は、こちらから手紙を出した時でさえ「てきぱきともお書きにならないのに」、今回は自分の方から、それも「親しくお礼を」言いたいという手紙で、すっかり嬉しくなって「下にも置かず、繰り返し繰り返し」眺めるといった有様です。匂宮の中の宮のところへの訪れが途絶えがちであることは、すでに薫の耳にも入っていたようで、それに心を傷めていた薫には、どうやら彼自身の知らないところで、彼の中にかねて無いではなかった気持ち(第二章第三段)が、次第に形をとって芽生えているようです。

 彼は、「『名残り』とおっしゃるのは、…」と、儀礼とも本気とも思われる言葉でたわむれながら、一応は「きまじめ」な返事を送りました。》

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