源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 中の宮の物語(二)

第七段 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴

【現代語訳】

 その日は、后の宮がお具合が悪そうでいらっしゃると聞いて、皆が皆、参内なさったが、お風邪でいらっしゃったので、格別のことはおありでないと聞いて、大臣は昼に退出なさったのであった。中納言の君をお誘い申されて、一台に相乗りしてお下がりになった。
「今夜の儀式を、どのように善美を尽くそうか」と思っていらっしゃるらしいが、限度があるだろうよ。この君も気が置ける方であるが、親しい人と思われる点では、自分の一族に他にそのような人もいらっしゃらず、祝宴の引き立て役にするには、また心格別でいらっしゃる方だからであろう。

いつもと違って急いで参上なさって、六の君を人に渡したことを残念だとも思わずに何やかやと心を合わせてご協力なさるのを、大臣は、人知れず憎らしいとお思いになるのであった。
 宵が少し過ぎたころにおいでになる。寝殿の南の廂間の、東に寄った所にご座所を差し上げた。御台を八つ、通例のお皿など、きちんと美しくて、また小さい台二つに、華足の皿の類を新しく準備させなさって、餅を差し上げなさった。珍しくもないことを書き置くのも気が利かないこと。
 大臣がお渡りになって、

「夜がたいそう更けてしまった」と、女房を介して祝宴につくことをお促し申し上げなさるが、まことにしどけないお振る舞いで、すぐには出ていらっしゃらない。北の方のご兄弟の左衛門督や、藤宰相などばかりが席についていらっしゃる。
 やっとお出になったご様子は、まことに見る効のある気がする。主人の頭中将が盃をささげてお膳をお勧めする。次々にお盃を、二度、三度とお召し上がりになる。中納言がたいそうお勧めになるので、宮は少し苦笑なさった。
「やっかいな所だ」と、自分には性に合わない所だと思って言ったのを、お思い出しになったようである。けれど、知らないふりして、たいそうまじめくさっている。東の対にお出になって、お供の人々を歓待なさる。名の知れた殿上人連中もたいそう多かった。
 四位の六人には、女の装束に細長を添えて、五位の十人には、三重襲の唐衣、裳の腰もすべて差異があるようである。六位の四人には、綾の細長、袴など。一方では、限度のあることを物足りなくお思いになったので、色合いや、仕立てなどに、善美をお尽くしになったのであった。
 召次や舎人などの中には、度を越すと思うほど立派であった。なるほど、このように派手で華美なことは見る効あるので、物語などにも、さっそく言い立てたのであろうか。けれど、詳しくはとても数え上げられなかったとか。

 

《匂宮の新婚第三夜、にぎやかな祝宴が設けられました。

 夕霧は、その席のために中納言(薫)を招きました。

薫は、臣下ではありますが、母はれっきとした宮であり、しかも匂宮と肩を並べる当代に世評高い貴公子で、そして自分の弟なのですから、これ以上の接待役はない、といったところなのでしょう。

 その薫が、夕霧の申し出にもかかわらず、六の君との縁組を断って(早蕨の巻第二章第三段)、匂宮に譲ってしまったことに、少しでも残念そうなそぶりを見せてくれると、夕霧としては申し分ないのですが、薫にはそんな様子はまるでなく、至って熱心に「心を合わせてご協力」するのが、少々不満です。

薫が「いつもと違って急いで参上なさって」というのも、まったく気にしていないということを示すことになる振る舞いであって、少しは残念がる風をして見せるのがエチケットである」と『評釈』は言うのですが、しかしこれまで表向きはそういうことに関心がないという態度が薫のスタイルだったのですから、彼にしてみれば至って自然な態度だということにもなるでしょう。

 そこから後は、ひたすら宴の華やかさを語ります。宴を始めようとしても、匂宮がなかなか出て来なかったというのも、縁組が上首尾だったことをうかがわせるものです。

そしていろいろに語った挙句、「このように派手で華美なことは見る効あるので、物語などにも、さっそく言い立て」るけれども、この時ばかりは「詳しくはとても数え上げられなかった」と言います。先行の物語を意識して、それらは一生懸命書いているけれども、私の語るこの時には遠く及ばないのだと、妙な見えを張ったような具合ですが、当時の読者は素直に想像を膨らまして感嘆したのでしょうか。

また、初めの、中宮が具合が悪かったという話は、一同そろって見舞いに行ったが大したことはなかった、と簡単に収まってしまっていますが、何か意味があるのでしょうか。夕霧が薫を連れて帰るきっかけにするだけのための設定なら、いささか大げさな仕掛けで、中宮にとっては迷惑な話です。》

  昨日、一昨日と無断休載しました。失礼しました。また、続けて頑張ります。



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第六段 匂宮と六の君の結婚第二夜

【現代語訳】

 宮は、いつもよりも愛情深く、心を許した様子にお扱いをなさって、
「まったく食事をなさらないのは、とてもよくないことです」と言って、結構な果物を持って来させ、また、しかるべき人を召して特別に料理させなどして、お勧め申し上げなさるが、まるで手をお出しにならないので、

「困ったことだ」とご心配申し上げなさっているうちに、日が暮れたので、夕方、寝殿へお渡りになった。
 風が涼しく、いったいの空も趣きのあるころなので、派手好みでいらっしゃるご性分なので、ますます浮き浮きした気になるのだが、物思いをしている方のご心中は、何事につけ堪え難いことばかりが多かったのである。蜩のなく声に、山里ばかりが恋しくて、
「 おほかたに聞かましものをひぐらしの声うらめしき秋の暮かな

(宇治にいたら何気なく聞いただろうに、今日は蜩の声が恨めしい秋の暮だこと)」
 今夜はまだ更けないうちにお出かけになるようである。御前駆の声が遠くなるにつれて、海人が釣するくらいなるのも、

「自分ながらいやな心根だわ」と、思いながら聞き臥せっていらっしゃった。はじめから物思いをおさせになった頃のことなどを思い出すにつけても、もうたくさんだとまでに思われる。
「この身重の悩ましさも、どのようになるのであろう。たいそう短命な一族なので、このような折にでもと、亡くなってしまうのであろうか」と思うと、

「惜しくはないが、悲しくもあり、またとても罪深いことであるというが」などと、眠れないままに夜を明かしなさる。

 

《匂宮はあい変わらず中の宮に優しく振舞います。身重の体を気遣い、食事に気を配って、至れり尽くせりの趣です。しかし体調もさることながら気持ちの塞ぐ中の宮は、そうした思い遣りに応じることができません。

 そうしているうちに一日が過ぎて、「日が暮れたので、」と、匂宮の気持ちの何の説明もなく、いかにも当然のこととして、むしろ「ますます浮き浮きした気」さえ見せて、匂宮は六の君のもとに出かける準備に「夕方、寝殿へお渡りになっ」てしまいました。

 源氏が女三宮を迎えるにあたっては、紫の上に対して可能な限りの気配りをしたものでした(若菜上の巻第四章第一段)が、ここはまことにあっけらかんとしたものです。

 そしてあとには、中の宮の物思いだけが残ります。

 状況は紫の上によく似ていますが、「紫の上ほど自信の持てる立場でもなく」(『構想と鑑賞』)、彼女はひたすら、あの物思いのなかった宇治を思い返して「海人が釣するくらい」にたくさんの涙に暮れるのですが、それでも心の一方では、そんなふうに悲しんでいる自分を「自分ながらいやな心根だわ」と振り返っているところを見ると、誇り高く自分の嫉妬を見せまいと堪える紫の上時代の女性とは違った冷静さを持っているように見えて、確かにこれまでにはなかった新しいタイプの女性とも言えそうです。》

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第五段 後朝の使者と中の宮の諦観

【現代語訳】

 素晴らしい衣装を肩に被いて埋もれているのを、そうらしいと、女房たちは見る。いつの間に急いでお書きになったのだろうと見るのも、おもしろくなかったであろうよ。

宮も、無理に隠すべきことでもないが、いきなり見せるのはやはり気の毒なので、少しは気をつけてほしかったと具合が悪い気がしたが、もうしかたがないので、女房にお手紙を受け取らせなさる。
「同じことなら、すべて隠し隔てないようにしよう」とお思いになって、お開きになると、「継母の宮のご筆跡のようだ」と見えるので、一段と気が楽になってお置きになった。代筆でも、気がかりなことであるよ。
「さし出たことは怖れ多く、お勧めしましたが、とても悩ましそうでしたので。
  女郎花しをれぞまさる朝露のいかにおきけるなごりなるらむ

(女郎花が一段と萎れています、朝露がどのように置いたせいなのでしょうか)」
 上品で美しくお書きになっていた。
「恨みがましい歌なのも厄介だね。ほんとうは気楽に当分暮らそうと思っていたのに、思いがけないことになったものだ」などとはおっしゃるが、他に二人となくてそういうものだと思っている臣下の夫婦仲なら、このようなことの恨めしさなども見る人は気の毒にも思おうが、思えばこの場合はとても難しい。結局はこのようになるはずのことである。

宮様方と申し上げる中でも、将来を特別に世間の人がお思い申し上げているので、幾人も幾人もお持ちになることも非難されるべきことでないので、誰も、この方をお気の毒だなどと思わないのであろう。

これほど重々しく大切にお住まわせになって、おいたわしくお思いになること並も々でなく思いを寄せておられるのを、

「幸運でいらっしゃったのだ」とお噂申し上げるようだ。自身の気持ちでも、あまり大事にしていてくださって、急に体裁の悪い身になるのが嘆かわしいのだろう。
「このような夫婦の問題をどうして大変なことのように人は思うのだろうと、昔物語などを見るにつけても人の身の上でも、不思議に聞いて思っていたが、なるほど大変なことなのであった」と、自分の身になって、何事も理解されるのであった。

 

《夕霧邸で歓待を受けて酔ってしまった使者が、中の宮の前で六の君からの返事を差し出しました。匂宮は、どうせ分かってしまったものなら、全部を大っぴらにしてしまおうと、みんなの前で手紙を開きます。それは継母・落葉宮の代筆によるもののようで、匂宮はさらにほっとする思いです。

次の「代筆でも、気がかりなことであるよ。」も諸注は匂宮の思いとしていますが、それでは「一段と気が楽になって」とつながらない感じで、ここは手紙を目の前に置かれた中の宮の気持ちと考えたい気がしますが、どうなのでしょうか。

もっとも、作者はそういう中の宮の気持ちに寄り添って物語っているというわけではないようです。

冒頭はこういう訳で見るとただ少し仰々しく語られているだけのことのように思えますが、原文は「海士の刈るめづらしき玉藻にかづき埋もれたる」で、『評釈』が「衣裳を裳で代表し、美しく『玉裳』と言い、『玉裳』を『玉藻』にかけて、『あまの刈る』という枕詞をおいている、『めづらしき』の『め』は『め(海草)』とかけられている。『かづき』も海人の縁語、潜水する意」として、「作者はあそんでいる。そして、中の宮の悲しみとコントラストをはかっている」と言います。

そして、中の宮の悲しみに対する作者のこうした冷たい書きぶりは以前にもあって(第二段2節)、そこでは「こうした語り手のあり方は明石の君や紫の上の場合と明らかに異質である」(前掲「幸い人中の君」・第二段2節)と評されました。女三宮の降嫁による紫の上の悲しみは、そのまま作者の悲哀でもあったという意味です。

しかし、ここでは中の宮への作者(語り手)の同情はありません。

匂宮は、この度の結婚は自分の意志ではなく「意外なことになったものだ」と、何ほども思っていないといったふうな言葉をつぶやいて中の宮への気遣いを見せますが、作者は、一夫一婦で相互に「他に二人となくてそういうものだと思っている臣下」ならいざ知らず、こうした高貴な人々の間では、こうしたことは当たり前のことで、まして匂宮ほどの人なら「(夫人を)幾人も幾人もお持ちになることも非難されるべきことでない」のであって、中の宮は嘆くに当たらず、かえって、そういう男性にこれほど手厚く気遣ってもらっていることを「幸い」であると思うべきなのだ、と言います。

 そして実は、中の宮自身も、悲しみながらその一方で、「自身の気持ちでも、あまり大事にしていてくださって、急に具合が悪くなるのが嘆かわしいのだろう」と、わが身がいかに恵まれているかということに思いを致します。

 作者の視点の大きな転換が見られるところのようです。》

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第四段 匂宮、中の宮を慰める

【現代語訳】

 けれど、向き合っていらっしゃる間は変わったこともないのであろうか、来世までお誓いになることの尽きないのを聞くにつけても、なるほどこの世は短い「命待つ間」でも、その間にもつらいお気持ちは表れるにきまっているので、

「来世の約束だけは違わないことであろうか」と思うと、やはり「こりづまにまたも(性懲りもなく、また)」頼る気になってしまうと、抑えに抑えているようであるが、こらえきれないのであろうか、今日は泣いておしまいになった。
 日頃も、

「何とかこう悩んでいたと見られ申すまい」と、いろいろと紛らわしていたが、あれやこれやと思うことばかりが多いので、そうばかりも隠していられなかったのか、涙がこぼれ出すとすぐには止められないのを、とても恥ずかしくわびしいと思って、かたくなに横を向いていらっしゃるので、無理に前にお向けになって、
「申し上げるままにいてくれる、いとしいお方と思っていたのに、やはりよそよそしいお心がおありなのですね。そうでなければ、夜の間にお変わりになったのですか」と言って、ご自分のお袖で涙をお拭いになると、
「夜の間の心変わりとは、そうおっしゃることにつけて、分かってしまいました」と言って、少しにっこりした。
「なるほど、あなたは、子供っぽいおっしゃりようですよ。けれど本当のところは、心に隠しごとがないので、全く平気ですよ。ひどくもっともらしく申し上げたところで、とてもはっきりと分かってしまうものです。まるきり夫婦の仲というものをご存知ないのは、かわいらしいものの、困ったものです。まあ、自分の身になって考えてください。『身を心ともせぬ(この身を思うにまかせられない)』状態なのです。もし、思うとおりにできる時がきたら、誰にもまさる愛情のほどを、お知らせ申し上げることが一つあるのです。簡単に口に出すべきことでないので、『命(長生きすること)』だけによって」などとおっしゃるうちに、あちらに差し上げなさったお使いが、ひどく酔い過ぎたので、少し遠慮すべきことも忘れて、おおっぴらにこの対の南面に参上した。

 

《前の段の終わりに、「この人(中の宮)に並ぶ者はいない」と思いながら、なお早く新妻・六の君のところに行きたいと思っている、という一節があって、またここで「向き合っていらっしゃる間は変わったこともない」と始まるので、やはりどうも付いて行けないという気がしてしまいますが、まあそんなものなのだろうと思うしかありません。本当の気持ちはどっちにあるのだ、などと我と我が内心を疑ったりするのは、ずっと時代が下らなければ現れてこないものの考え方なのでしょう。

 匂宮にとっては、二人の女性がそれぞれにかわいく思えていて、そのことに何の問題も感じてはいません。

 一方、中の宮は、匂宮の来世を誓う甘い言葉を聞きながら、この世では、それがたとえ短いものであるとしても、六の君とのことでつらい思いをし続けなくてはなるまいから、せめてその後の世の話だけでも信じるしかないだろうかと思うとつい泣けてきて、ひとたび涙がこぼれると、普段から堪えていることのあるつらさから、ついついとめどない悲しさになってしまいます。

 そんな中の宮の顔を、甘い映画のワンカットのように、優しくこちらに向かせて匂宮は、懸命に機嫌を取ります。昨日までは涙など見せなかったのに、どうして今日になってこうなのですか、夜の間に何かあったのですか、…。

 中の宮は、夜の間にお変わりになったのはあなたの方ではありませんか、と切り返すのですが、そう言って「少しにっこりした(原文・すこしほほ笑みぬ)」というのは、中の宮の精一杯の抵抗でしょうか。泣いてばかりはいない、私だって自分の立場の弱さは分かっているのです、あなたのお心変わりへの覚悟あるのです、…。

 匂宮も応じます。率直に厳しいことを言いますね、でも私は、心変わりしたのではないから平気です、新しい妻を迎えたのは、立場上やむを得なかったからで、そのことは時が経てばきっと分かってもらえるはずですよ、私にはあなたのために考えていることがあるのです、…。それは「もし御世が替わって、帝や后がお考えおきのようにでもおなりになったら(自分が即位することになったら)、誰よりも高い地位(中宮)に立てよう」(総角の巻第四章第八段)という考えに他ならないでしょう。あの気持ちを彼はまだ忘れずに持っているのです。

 いい場面なのです。ところがその時、六の君のところにやった使いが、向こうで饗応を受けて酔っていい機嫌で、返事をもってここにやって来てしまったのですから、大変…。》

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