【現代語訳】
日が暮れてゆくので、君もそっと出て、ご衣装などをお召しになって、いつも呼び出す襖障子口に尼君を呼んで、様子などをお尋ねなさる。
「ちょうどよい時に来合わせたものだな。どうでしたか、あの申し上げておいたことは」 とおっしゃると、
「そのように仰せ言がございました後は、適当な機会がありましたら、と待っておりましたが、去年は過ぎて、今年の二月に、初瀬に参詣する機会に初めて対面しました。
あの母君に、お考えの向きはそれとなく伝えましたところ、とても身の置き所もなく、もったいないお身代わりの話でございます、などと申しておりましたが、その当時はお暇でもいらっしゃらないと承っておりまして、時期が悪いと思って遠慮申し上げて、これこれです、とも申し上げませんでしたが、また今月にも参詣して、今日お帰りになったような次第です。
行き帰りの宿泊所としてこのように親しくされるのも、ただお亡くなりになった父君の跡をお慕い申し上げようという理由からでございましょう。あの母君は支障があって、今回はお独りで参詣なさるようなので、このようにいらっしゃっているということも、伝えても仕方がないと思いまして」と申し上げる。
「田舎者めいた者たちに、人目につかないようにやつしている姿を見られまいと、口止めしているが、どんなものであろうか、下人たちには隠すことはできまい。さて、どうしたものだろうか。ひとりでいるのは、かえって気楽だ。このように前世からの縁があって、巡り合わせたのだ、とお伝えください」とおっしゃると、
「急に、いつの間にできたご縁ですか」と、苦笑して、
「それでは、そのようにお伝えしましょう」と言って、中に入るときに、
「 貌鳥の声も聞きしにかようふやとしげみをわけて今日ぞ尋ぬる
(かお鳥の声も昔聞いた声に似ているかしらと、草の茂みを分け入って今日尋ねてき
たのだ)」
ただ口ずさみのようにおっしゃるのを、奥に入って語るのであった。
《夕方になって、薫は、さすがにそういつまでも隠れていることはできませんから、出てきて弁の尼に会うことにしました。「ご衣装などをお召しになって」は、覗くにあたって脱いでいた衣裳(第一段)で、『評釈』が「語り手は忘れずに丁寧に語る」と冷やかします。
弁の話によれば、実は前回薫が宇治に来た時に依頼を受けた(第七章第四段)後、「今年二月」にこの姫母子に会っていたのでした。その時に母に、こういう人が「会ってみたいものだ」と言っておられるという話したところ、「とても身の置き所もなく、もったいないお身代わりの話」だという返事だったと言います。これは、承諾とも断りとも取れますが、とっさのことで、このくらいしか言えなかったというところでしょうか。
しかし、ちょうどその頃、薫は女二宮との婚礼の話が進んでいたころで「お暇でもいらっしゃらない」と聞いていたので、これまで待っていたのだとのことでした。
何か、うまい話の持って行き方です。事柄の時間的関係やつながりがよく分かり、母親のとまどいはあるらしいものの、都合よく姫が薫と出会う場を作ることができました。併せて弁の周到さや気遣いまで伝わってくる感じです。
薫はこれも「前世からの縁」だろうと喜んで、さっそく弁に会いたい旨を伝えさせます。弁は「いつの間にできたご縁ですか」と冷やかしながら、立って行きます。その背に薫が歌をつぶやきました。
「貌鳥は「かおどり」で「平安時代には字面から美しい鳥とする理解が生じたよう」(『集成』)です。「美しい大君に似た人の、声も昔聞いた声に似ているかと…」(同)という歌で弁はそれを、姫のいる「奥に入って語」ったのでした。
物語の最後のドラマを紡ぎ出す二人が、今まさに出会おうとしています。その本編は、新しい巻を用意してそこで語られることになります。》