源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 中の宮の物語(一)

第九段 弁の尼、中の宮と語る

【現代語訳】

 お悲しみになってお話しになっていたご様子を話して、弁は、ますます気持ちの晴らしようがなく悲しみに暮れていた。女房たちは満足そうな様子で、衣類を縫い用意しながら、年老いた容貌も気にせず、身づくろいにうろうろしている中で、ますます質素な衣にして、
「 人はみないそぎたつめる袖の浦にひとり藻塩を垂るるあまかな

(人々は皆準備に忙しく繕い物をしているようですが、一人涙に暮れている私です)」
と訴え申し上げると、
「 しほたるるあまの衣に異なれや浮きたる波に濡るるわが袖

(涙に暮れるあなたの衣と同じです、頼りない今後にこぼれる涙にぬれた私の袖は)
 結婚生活に落ち着くことも、とても難しいことと思われるので、事情によってはここを荒れはてさせまいと思うので、そうしたら会うこともありましょうが、暫くの間でも心細くお残りなのをそのままにしておくので、ますます気が進みません。このような尼姿の人も、必ずしも引き籠もってばかりいないもののようですので、やはり世間一般の人のように考えて、時々会いに来てください」などと、とてもやさしくお話しになる。亡き姉君がお使いになったしかるべきご調度類などは、みなこの尼にお残しになって、
「このように、誰よりも深く悲しんでおいでなのを見ると、前世からも、特別の約束がおありだっただろうかと思うとなおのこと、慕わしく胸がいっぱいになります」とおっしゃると、ますます子供が親を慕って泣くように、気持ちを抑えることができず涙に沈んでいた。

 

《薫が宇治と疎遠になってしまうことをたいへん悲しんでいた、ということを、中の宮に伝えて、弁は、大君に逝かれ中の宮も去って行き、そして薫も遠ざかることを実感して、ますます悲しみに暮れています。『評釈』は「ますます気持ちの晴らしようがなく」を、「(薫の)心の寂しさと悲しさをますます知ったのである」と注していますが、ここは薫のために悲しんでいるのではなく、後の歌からも、彼女自身の悲しみと考える方がいいのではないでしょうか。

 周囲の女房たちは、「(自分たちの)年老いた容貌も気にせず」、ただ都に上れることを喜び楽しみにして、華やいでいます。その中で、弁は「ますます質素な衣にして」とありますが、彼女が特に衣を改めたというのでは、何やら当てつけのように思われて、彼女らしくありません。周囲の華やぎの中で彼女の尼姿がだんだんに際立つようになっていった、というように読んではどうかと思います。もちろん彼女の方もまた、自分ひとりが場違いな気がしてきます。

 事情は違いますが、場違いで沈んだ気持ちでいるという点では、中の宮も同じです。弁の歌に応じながら、中の宮は、誰にでもは言えない自分の正直な気持ちを弁に語り、せめてたまには話に来てほしいと言い残し、大君ゆかりの多くの調度を弁に残していくことにしながら、別れの悲しみと不安とで、ただ涙です。

こうして弁は、宇治に残るのですが、実はこの後また「罪の子薫の恋を宿命的に展開させる」(『講座』所収「弁の君と女房たち」)という大きな役割を担うことになってきます。しかしそれは今の彼女の知るところではありません。》

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第八段 薫、弁の尼と対面

【現代語訳】

 弁は、
「このようなお供にも、思いもかけず長生きがつらく思われますのに、人も不吉に見たり思ったりするにちがいないでしょうから、今は世に生きている者とも人に知られますまい」と言って出家をしていたのを、しいて召し出して、たいそう感慨深く御覧になる。いつものように、昔の思い出話などをおさせになって、
「ここには、やはり時々参るだろうが、たいへん頼りなく心細いので、こうしてお残りならば、たいへんしみじみとありがたく嬉しいことだ」などと、最後まで言い終わらずにお泣きになる。
「厭わしく思えば思うほど長生きをする命がつらく、またどう生きよといって、先に逝っておしまいになったのだろうかと恨めしく、この世のすべてを情けなく思っておりますので、罪もどんなにか深い事でございましょう」と、思っていたことをお訴え申し上げるのも愚痴っぽいが、たいへん上手にお慰めになる。
 たいそう年をとっているけれども、昔美しかった名残の黒髪を削ぎ落としたので、額のあたりの様子が変わって少し若くなって、それなりに品の好い感じである。
「思いあぐねた果てに、どうしてこのような姿にして差し上げなかったのだろう。それによって命が延びるようなこともあったろうに。そうしたら、どんなにか親しく語らい申し上げられたろうに」などとあれこれとお考えになると、この人までが羨ましいので、姿を隠している几帳を少し引いて、こまやかにお話しになる。なるほどすっかり悲しみに暮れている様子だが、何か言う態度や心づかいは並々でなく、嗜みのあった女房の面影が残っていると見えた。
「 さきに立つ涙の川に身を投げば人におくれぬ命ならまし

(年を取って涙が先立つのですが、その涙の川に身を投げたら、死に後れしなかった

でしょうに)」
と、泣き顔になって申し上げる。
「それもとても罪深いことだ。彼岸に辿り着くことが、どうしてできようか。それほどではないことなどで、深い悲しみの底に沈んで過ごすもつまらない。すべて、皆無常だと悟るべき世の中なのだ」などとおっしゃる。
「 身を投げむ涙の川に沈みても恋しき瀬々に忘れしもせじ

(身を投げるという涙の川に沈んでも、恋しい折々を忘れることはできまい)
 いつになったら、少しは思いが慰むことがあろうか」と、終わりのない気がなさる。
 帰る気にもなれず物思いに沈んで日も暮れてしまったが、わけもなく外泊するのも人が咎めることであろうかと、仕方ないのでお帰りになった。

 

《中の宮の上京が決まった今、いつの間にか弁の君は出家していました。彼女としては、最大の懸案と考えていたらしい、柏木の最期を薫に伝え、手紙を薫に渡すということができて(橋姫の巻第四章第三段)、そして宇治の姫と薫の橋渡しの役目を勤めながら、それもかなわないままに大君は亡くなり、このたび中の宮の上京が決まって、いよいよ自分の役目は終わったと考えた、ということでしょうか。

薫に柏木の最期を語った時「年も六十に少し届かないほど」で、あれから三年が経っていますから、当時としては大変な高齢と言っていいでしょう。なるほどと思われる身の処し方です。

 薫はそういう弁を「たいへん上手に」慰めながら、一方で、いっそ大君を彼女の希望でもあったらしい尼姿なってもらった方がよかった、と思って見ます。彼女はそういう希望を病床で妹に話していました(総角の巻第六章第八段)から、彼も承知していたのでしょう。そして今、もしそうしていれば、あるいは「命が延びるようなこともあった」かも知れない、…と思うのです。しかし、それは結局亡くなってしまったから思うことで、生前であれば、あの時の中の宮たちと同じく「とんでもない御こと」と思ったに違いありません。

 そして歌のやりとりですが、『評釈』が「薫の歌と、歌の前にはさまれた薫の詞は矛盾している」として、しかし「(その)矛盾は、そのまま薫の心の矛盾という事にならないだろうか。…それが薫を一見偽善者めかしもし、またよけいに自らを事情に深入りもさせる」と言います。しかし、「薫の詞」はただ「たいへん上手にお慰めになる」一環として弁に言われたもので、歌は物語の上では返歌として対応していますが、弁に向かって言われたのではなく、彼の内心を物語っていると読む方がいいのではないでしょうか。

 ともあれ、薫は匂宮のものとなった中の宮がいる宇治に泊まり込むことは、「人が咎めることであろう」と思うと、思いは残りますが、用の終わった以上、帰るしかありません。》

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第七段 中の宮と薫、紅梅を見ながら和歌を詠み交す

【現代語訳】

 御前に近い紅梅が、花も香も心惹かれる風情なので、鴬でさえ見過ごしがたそうに鳴いて飛び移るようなのだから、まして「春や昔の(大君のいらっしゃらない春は寂しいことだ)」と心を惑わしなさる同士のお話で、折からひとしお悲しみが深い。風がさっと吹いて入ってくると、花の香も客人のお匂いも、橘ではないが、昔が思い出されるよすがである。

「所在なさを紛らすにも、世の憂さの慰めにも、心をとめて御覧なさったものを」などと、胸に堪えかねるので、
「 見る人もあらしにまよふ山里に昔おぼゆる花の香ぞする

(花を見る人もいなくなってしまう、嵐の吹き乱れる山里に、昔を思い出させる花の

香が匂っています)」
 言うともなくかすかにとぎれとぎれに聞こえるのを、慕わしそうにちょっと口ずさんで、
「 袖ふれし梅はかはらぬにほひにて根ごめうつろふ宿やことなる

(昔楽しまれた梅は今も変わらぬ匂いですが、すっかり移ってしまう邸は、もう他人

の所なのでしょうか)」
 止まらない涙を形よく拭い隠して、言葉数多くもなく、
「またやはり、このように親しくお会いできてこそ、何事もお話し申し上げやすいことでしょう」などと、申し上げておいてお立ちになった。
 お引越しに必要な支度を人びとにお指図しておかれる。この邸の留守番役として、あの鬚がちの宿直人などが仕えることになっているので、この近辺の御荘園の者どもなどに、そのことをお命じになるなど、生活面の事まで定めおきなさる。

 

《それぞれに違ったことを思っている二人ですが、元となるのは大君がいないことを悲しむ気持ちであるというのは同じで、ここでは庭の紅梅がその心を結び合わせるよすがとなりました。

 二人は同じように黙ってその鶯に大君を偲んでいます。風が吹いて梅が香り(珍しく薫の香りも触れられます)、そぞろ過ぎ去った時が恋しく思われます。中の宮が、湧き上がる思いに堪えかねるようにそっと歌を口にしますと、薫が耳聡く聞きとって、自分の口で繰り返し、そして歌を返します。

 これがこの地でのいっさいの見納めと思うと、薫は薫で、言い難い思いがあって、「言葉数多くもなく」立ち上がりました。

 そして気を取り直して、様々な実務を怠りなく処理します。

 ところで、考えてみると、私たちは梅と言えば普通白梅を思い浮かべますが、この物語では紫の上が幼い匂宮に二条院を託したのも紅梅を見ながらでしたし、「紅梅」という巻もあるというように、白梅よりも大きな役割をもらっているようです。そう言えば「枕草子」にも「木の花は濃きも薄きも紅梅」(『集成』本第三十四段)とありますし、下って花札の梅にも紅梅が描かれているようです。

ただ、またつまらぬリアリズムですが、私の印象では、紅梅は白梅のように香りが強くはないような気がするので(実はネットで見ると、「花王」の研究・「梅の花の香りを分析」にもそういうデータが載っていました)、ここには文学的脚色があろうかと思われます。》

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第六段 薫、中の宮が宇治を出立する前日に訪問~その2

【現代語訳】2

 たいそうこちらが気恥ずかしくなるほど優美で、また今日一段と立派におなりになったことだと、目も驚くほどはなやかに美しく、ただもう、誰にも似ない心ばせなど、何とも素晴らしい方だとお見えになるのを、姫宮は、面影の離れない方の御事までお思い出し申し上げなさって、まことにしみじみと見申し上げなさる。
「つきないお話なども、今日は言忌みしましょうか」などと言いさして、
「お渡りになるはずの所の近くに、もう幾日かして移ることになっていますので、『夜中も早朝も』と親しい間柄の人が言いますように、どんな時にも、親しくお声をおかけ下されば、この世に生きております限りは、お話しもし承りもして過ごしたく思っていますが、どのようにお考えでしょうか。人の考えはいろいろの世の中ですので、かえって迷惑かなどと、独り決めもしかねるのです」と申し上げなさると、
「邸を離れまいと思う考えは強くございますが、近くに、などとおっしゃって下さるにつけても、いろいろと思い乱れまして、お返事の申し上げようもなくて」などととぎれとぎれに言って、ひどく悲しく思っておいでの様子などが、とてもよく似ていらっしゃるのを、

「自分から進んで他人の妻にしてしまった」と、とても悔まれる思いでいらっしゃるけれども、言っても効がないので、あの夜のことは何も言わず、忘れてしまったのかと見えるまで、きれいさっぱりと振る舞っていらっしゃった。

 

《中の宮がしぶしぶながら薫と向き合ってみますと、彼の「一段と立派におなりになった」様子に改めて見直す気がして、亡くなった姉のことも思って、「まことにしみじみと見申し上げ」るのでした。

 ということは、中の宮は大君の薫に寄せる好意をかなりのところまで知っていたということでしょうか。語られてはいませんでしたが、もともと仲の好かった二人ですから、当然考えられることです。

 薫は、めでたい日なので亡くなった人のことは話すまいと「言忌み」を約束して(「言いさして」とは、その話は早々に切り上げて、ということでしょうか)、都での生活でも力になりたいと申し出ます。

中の宮が都で住むところは二条院、薫は先に焼けた三条院を再建しようとしているので(総角の巻末)、近くだから、いつでもお会いできます、というのですが、それを「かえって迷惑かなどと、独り決めもしかねるのです」というのは、ずいぶん持って回った物言いです。普通は、どうぞお声を掛けて下さいと言っておいて、あとは相手の出方次第とするところだと思われます。こういう言い方は、過度に相手の意志に下駄を預けた形で、かえって押しつけがましく、しかも思わせぶりで余計な一言だという気がしますが、ここはそういう意味で書かれたのではなく、やはり彼の気配りを示したかったのでしょう。

中の宮は「いろいろと思い乱れまして、お返事の申し上げようもなくて」と、賢明な返事で返します。

「ひどく悲しく思っておいでになる」は諸注、「あなた様もこの宇治と疎遠になられるのか、という気持ちであろう」(『集成』)というように説明してます。とすると、ここで彼女が言っていることは、なかなか微妙なことのように思えます。自分は都に行かなければならないが、あなたには、折々宇治に通って世話をしていてほしい、それによって、自分自身は都にあっても、宇治はいつまでも心のよりどころになるだろう、というようなことでしょうか。彼女にとって薫は、都で「近く」にいるよりも、宇治の世話をしてくれる人としての方が大切に思えているというようなことになりそうです。

薫にとっては望ましい方向ではないはずですが、彼はそんなことよりも、そうもの思わしげに語る中の宮に大君の面影を感じながら、しかし何事もないように、あくまで彼らしく振舞います。》

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第六段 薫、中の宮が宇治を出立する前日に訪問~その1

【現代語訳】1

 ご自身は、お移りになることが明日という日のまだ早朝においでになった。いつものように客の席にお通りになるにつけても、今はだんだんもの馴れて、

「自分こそ、誰よりも先に、このように思っていたのだ」などと、生前のご様子やおっしゃったお気持ちをお思い出しになって、

「それでも、よそよそしく、思いの外になどとは、おあしらいなさらなかったが、自分のせいで妙に他人で終わることになってしまったことだ」と、胸痛くお思い続けなさる。
 垣間見した襖障子の穴も思い出されるので近寄って御覧になるが、部屋の中が閉めきってあるので、どうにもならない。
 部屋の中でも、女房たちが思い出し申し上げながら涙ぐんでいた。中の宮は、女房たち以上に催される涙の川で、明日の引っ越しもお考えになれず、茫然として物思いに沈んで臥せっておいでになるので、
「幾月もの間に積もりましたお話も、何ということありませんが、胸に溜まっていますので、少しでもお話しして気を紛らわせたく存じます。いつものようにきまり悪く他人行儀になさらないで下さい。ますます知らない世界に来た気が致します」と申し上げなさると、
「体裁が悪いと思っていただこうとは思いませんが、それでも、気分もいつものようでなく、心も乱れ乱れて、いつも以上にきちんとできない失礼を申し上げてはと、気がひけまして」などと、つらそうにお思いだけれども、

「お気の毒です」などと、女房たちが申し上げるので、中の襖障子口でお会いになる。

 

《中の宮の思いをよそに、入京の日はどんどん近づいてきました。匂宮がこのことを本気で考え始めたのは去年の暮れ(総角の巻末)でしたから、わずか一か月余り前のことです。これまで宇治との行き来などに何かといえば薫を使って、というより当てにしていた彼にしては、なかなかの手回しです。

そして早くも予定の日が目前になったその前日、先に準備の品を送り届けておいた薫がやって来ました。後見役としての出立の最終チェックということでしょうか。

来て、すっかり片付いた邸が目に入り、部屋に上がると、荷物が用意されて、その中で女房たちが忙しく立ち動いているのを見ると、薫は、このようにして自分こそ早く大君を迎えるべきだったと、改めて後悔を覚えました。

以前、初めて二人の姫を垣間見た(椎本の巻末)、あの席に就いて、改めて中の宮を見たいと、またあの時のように「襖障子の穴」を覗いて見ますが、今日は奥の襖が閉まっていたようです。中では、さすがに出立が迫って来たからでしょうか、女房たちが「(大君のことを)お思い出し申し上げて」泣いているようで、中の宮は言うまでもありません。

薫が声を掛けます。『評釈』が彼の言葉のなかの「知らない世界に来た気がいたします(原文・あらぬ世のここちしはべり)」について、「八の宮の住居は、薫にとってはなつかしい親しい場所であった」と言いますが、それ以上に、彼にとっては救いの地でもあったでしょう。

出生の秘密を抱えて都で神経を張り詰めて生きていた彼は、この地で初めに八の宮によって心の安らぎを得、ついで大君によって将来への希望を持つことができました。その二人を失っても、なお中の宮の後見を勤めることで、温かい記憶によって救いを感じることができていたでしょう。しかしその中の宮も完全に匂宮のものとなろうとしていて、彼は宇治の記憶のすべてを失おうとしています。せめて今日だけはこの人から優しい言葉を聞きたいと思っても不思議ではありません。

中の宮は、実は今は自分の気持ち整理が精いっぱいで、薫どころではないのですが、女房たちに言われて、薫と向き合います。》

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