【現代語訳】
お悲しみになってお話しになっていたご様子を話して、弁は、ますます気持ちの晴らしようがなく悲しみに暮れていた。女房たちは満足そうな様子で、衣類を縫い用意しながら、年老いた容貌も気にせず、身づくろいにうろうろしている中で、ますます質素な衣にして、
「 人はみないそぎたつめる袖の浦にひとり藻塩を垂るるあまかな
(人々は皆準備に忙しく繕い物をしているようですが、一人涙に暮れている私です)」
と訴え申し上げると、
「 しほたるるあまの衣に異なれや浮きたる波に濡るるわが袖
(涙に暮れるあなたの衣と同じです、頼りない今後にこぼれる涙にぬれた私の袖は)
結婚生活に落ち着くことも、とても難しいことと思われるので、事情によってはここを荒れはてさせまいと思うので、そうしたら会うこともありましょうが、暫くの間でも心細くお残りなのをそのままにしておくので、ますます気が進みません。このような尼姿の人も、必ずしも引き籠もってばかりいないもののようですので、やはり世間一般の人のように考えて、時々会いに来てください」などと、とてもやさしくお話しになる。亡き姉君がお使いになったしかるべきご調度類などは、みなこの尼にお残しになって、
「このように、誰よりも深く悲しんでおいでなのを見ると、前世からも、特別の約束がおありだっただろうかと思うとなおのこと、慕わしく胸がいっぱいになります」とおっしゃると、ますます子供が親を慕って泣くように、気持ちを抑えることができず涙に沈んでいた。
《薫が宇治と疎遠になってしまうことをたいへん悲しんでいた、ということを、中の宮に伝えて、弁は、大君に逝かれ中の宮も去って行き、そして薫も遠ざかることを実感して、ますます悲しみに暮れています。『評釈』は「ますます気持ちの晴らしようがなく」を、「(薫の)心の寂しさと悲しさをますます知ったのである」と注していますが、ここは薫のために悲しんでいるのではなく、後の歌からも、彼女自身の悲しみと考える方がいいのではないでしょうか。
周囲の女房たちは、「(自分たちの)年老いた容貌も気にせず」、ただ都に上れることを喜び楽しみにして、華やいでいます。その中で、弁は「ますます質素な衣にして」とありますが、彼女が特に衣を改めたというのでは、何やら当てつけのように思われて、彼女らしくありません。周囲の華やぎの中で彼女の尼姿がだんだんに際立つようになっていった、というように読んではどうかと思います。もちろん彼女の方もまた、自分ひとりが場違いな気がしてきます。
事情は違いますが、場違いで沈んだ気持ちでいるという点では、中の宮も同じです。弁の歌に応じながら、中の宮は、誰にでもは言えない自分の正直な気持ちを弁に語り、せめてたまには話に来てほしいと言い残し、大君ゆかりの多くの調度を弁に残していくことにしながら、別れの悲しみと不安とで、ただ涙です。
こうして弁は、宇治に残るのですが、実はこの後また「罪の子薫の恋を宿命的に展開させる」(『講座』所収「弁の君と女房たち」)という大きな役割を担うことになってきます。しかしそれは今の彼女の知るところではありません。》