源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第六章 大君の物語(四)

第五段 薫、大君を見舞う

【現代語訳】

今月になってからは、少し具合がよくいらっしゃるとお聞きになったが、公私に何かと騒がしいころなので、五、六日人も差し上げられなかったので、

「どうしていらっしゃるだろう」と、急に気におなりになって、余儀ないご用で忙しいのを放り出して参上なさる。
「修法は、病気がすっかりお治りになるまで」とおっしゃっておいたのに、好くなったといって、阿闍梨をもお帰しになったので、たいそう人少なで、例によって老女が出てきて、ご容態を申し上げる。
「どこがどうと痛いところもなく、たいへんなお苦しみというのではないご病気なのに、食事をまったくお召し上がりになりません。もともと人と違っておいでで、か弱くいらっしゃるうえに、この宮のご結婚のことがあって後はますます心を傷めておいでの様子で、ちょっとした果物さえ見向きもなさらなかったことが続いたためか、あきれるほどお弱りになって、まったく見込みがなさそうにお見えです。まことに情けない長生きをしまして、このようなことを拝見すると、まずは何とか先に死なせていただきたいと存じております」と、言い終わらずに泣く様子は、無理もないことである。
「情けない。どうしてこうとお知らせくださらなかったのか。院でも内裏でも、あきれるほど忙しいころなので、幾日もお見舞い申し上げられなかった頼りなさ」と言って、以前の部屋にお入りになる。御枕もと近くでお話し申し上げるが、お声も出ないようで、お返事もできない。
「こんなに重くおなりになるまで、まったく誰もお知らせくださらなかったのが、つらく、思い甲斐のないことだ」と恨んで、いつもの阿闍梨や、世間で効験があると言われている人をすべて、大勢お召しになる。御修法や読経を翌日から始めさせようとなさって、殿邸の人が大勢参集して、上下の人たちが騒いでいるので、心細さがすっかりなくなって頼もしそうである。

 

《初めの「今月」というのは十一月です。このところ手紙だけで、少し様子を窺っていた薫でしたが、大君の具合がよさそうだというので、多忙の中を押して出かけます。『評釈』は「こうすべきと判断を下すやきっぱりと行動に移していく薫の姿は、宮とあまりに対照的である」と絶賛しますが、どうなのでしょうか。私には、もう少し早く、「思ったよりは軽いお心だ」(前段)と思った時に「判断を下す」べきだったのではないかという気がしますが。

 行ってみると、情報とはまったく違って、大君は「まったく見込みなさそう」なくらいに弱っていました。

 情報は「好くなったといって、阿闍梨をもお帰しになった」ことから出たものだったということでしょうか。どうやら大君は直ろうという気がなくなってしまったようです。お世話している老女(弁の君でしょう)が、おいたわしくて自分の方が先に死にたいというのは、困った女房ばかりが取り巻いている中で、ずいぶん殊勝で、この人は登場以来、だんだんに立派な人として扱われてきています。

 薫は大君の部屋に行って様子を見るなり、ただちに阿闍梨を呼び返し、その他の霊験ある僧も集めて、改めて大々的に修法を行わせます。邸の中が一度に賑やかになって、頼もしく感じられるようになりました。

 ところで、この物語の中で亡くなる人の病気は、「どこがどうと痛いところもなく、たいしたお苦しみでないご病気」が多いのが特徴的です。葵上は病状が急変して亡くなったのですが、柏木も「そうは言っても急変するようなご病気の様子でもなく」(若菜下の巻末)、「泡が消えてしまうように」(柏木の巻第三章第四段)亡くなりましたし、紫の上も「どこといって特に苦しんだりはなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態」(御法の巻第一章第五段)から亡くなる、といった具合です。

 こうした穏やかな臨終は、いずれもが内心に深い悲しみや絶望を抱えたままの死であることを思うと、むしろ不自然とさえ言えそうなものですが、作者のその人物に対する好意なのだろうという気がするのですが、どうなのでしょうか。

それと、ここの段落の区切り方について一言。この部分、『集成』も『評釈』も初めの「今月になってからは、…放り出して参上なさる」を前段の終わりに改行なしでくっつけていて、次の「修法は、」から改行して別段落としています。

内容的には当然「今月になってからは」で段落として区切るべきところと思われますが、二書がいずれも同じようにそういう区切りをしているということは、原典でそういう区切りがあるということなのでしょうか。時々そういう違和感を持つ区切り方が出てきます。》

 

  二日間休みました。一日はパソコンの不調で、次の日は体の不調でした。それぞれに、何とかよみがえりましたので、また続けます。よろしく。

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第四段 十月の晦、匂宮から手紙が届く~その2

【現代語訳】2

お返事は、

「今宵帰参したい」と申し上げるので、皆がお促し申し上げるままに、ただ一言、
「 あられふる深山の里は朝夕にながむる空もかきくらしつつ

(霰が降る深山の里は朝夕に眺める空もかき曇っています)」
 このことがあったのは、十月の晦日だった。

「ひと月もご無沙汰してしまったことよ」と、宮は気が気でなくお思いで、

「今宵こそは、今宵こそは」と、お考えになりながら、邪魔が多く入ったりしているうちに、五節などが早くある年で、内裏辺りも浮き立った気分に取り紛れて、特にそのためではないが過ごしていらっしゃるうちに、言いようもなく待ち遠しく思っている。

かりそめに女をお相手なさっても、一方ではお心から離れることはない。右の大殿の縁談のことを、大宮も、
「やはり、そのような落ち着いた北の方をお迎えになって、その他に訪ねたくお思いになる女がいたら、参上させて、重々しくおふるまいなさい」と申し上げなさるが、
「暫くお待ちください。考えている子細があります」などとお断り申し上げなさって、

「ほんとうにつらい目をどうしてさせられようか」などとお考えになるお心をご存知ないので、月日とともに物思いばかりなさっている。

中納言も、

「思ったよりは軽いお心だな。いくら何でも」とお思い申し上げていたのもお気の毒で、自分のせいと思われて、めったに参上なさらない。山里には、

「お加減はいかがですか。いかがですか」と、お見舞い申し上げなさる。

《姫たちが匂宮の手紙を間にさまざまにもの思いをしていると、使者が今夜のうちに帰りたいと言うので、急いで返事を持たせました。

 返事を見た宮は、もう二ヶ月近くも訪ねていないことを思い出し、「気が気でなくお思いで(原文・静心なくおぼされて)」ではあるのですが、目の前のみやびやはなやぎに取り紛れているうちに日が経ち、宇治では「言いようもなく待ち遠しく思」うことになってしまいました。

 その一方で宮は、他の女性を相手にしている時でも、中の宮のことは決して忘れていたわけではないと言います。「大宮」つまり母中宮が、早く右の大殿(夕霧)の六の君を正室に迎えるように言っても、中の宮のことを思ってあいまいな返事をして、引き伸ばしています。しかし、そういうことは宇治には届かず、やはり「物思いばかりなさって」います。

 このあたり、行ったり戻ったりの話でちょっと読みにくいのですが、『評釈』のように「(宇治の姫君を忘れないのも)もともと宮の多情さのゆえ」と読むのはちょっと気の毒に思われ、やはり世評の知らない誠実さがあるというべきではないでしょうか。

 むしろ次の薫の「思ったよりは軽いお心だな」という見方の方が意外です。彼は、匂宮の誠実を一番信じていたはずでしたから(椎本の巻第四章第三段)。

紅葉狩り以来一緒になってはいませんが、あるいは、大宮によってあえて宮から遠ざけられて、宮の事情を知り得ないでいたというようなことでもあったのでしょうか。

 こういう時こそ、彼が出かけて行って姫たちを慰めなければならないところだと思いますが、その彼は、自分の責任を思って宇治の敷居を高く感じてしまっているようです。》

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第四段 十月の晦、匂宮から手紙が届く~その1

【現代語訳】1

 たいそう暗くなったころに宮からお使いが来る。折から、少し物思いも慰んだことであろう。御方はすぐには御覧にならない。
「やはり、素直におおらかにお返事申し上げなさい。このまま亡くなってしまったら、この方よりもさらにひどい目にお遭わせ申す人が現れて来ようか、と心配です。時たまでもこの方がお思い出し申し上げなさるなら、そのようなとんでもない料簡を使う人はいますまいと思うので、つらいけれども頼りにしています」と申し上げなさると、
「置き去りにしていこうとお思いなのは、ひどいことです」と、ますます顔を襟元にお入れになる。
「寿命というものがあるので、片時も生き残っていまいと思っていたが、よくぞ生き永らえてきたものだった、と思っていますよ。『明日知らぬ(明日の分からない)』世なのに、さすがに悲しいのも、誰のために惜しい命かお分かりでしょう」と言って、大殿油をお召しになって御覧になる。
 例によって、こまごまとお書きになって、

「 ながむるは同じ雲居をいかなればおぼつかなさを添ふる時雨ぞ

(眺めているのは同じ空なのに、どうしてこうも会いたい気持ちをつのらせる時雨な

のか)」
「かく袖ひつる(時雨にこれほど袖を濡らしたことはなかった)」などということも書いてあったのであろうか、耳慣れた文句なのを、やはりお義理だけの手紙と見るにつけても、恨めしさがおつのりになる。あれほど類まれなご様子やご器量を、ますます、何とかして女たちに誉められようと、色っぽくしゃれて振る舞っていらっしゃるので、若い女の方が心をお寄せ申し上げなさるのも、もっともなことである。

時が過ぎるにつけても恋しく、

「あれほどたいそうなお約束なさっていたのだから、いくら何でも、とてもこのまま終わりになることはない」と考え直す気に、いつもなるのであった。

 

《匂宮から待ちに待った便りが届きました。中の宮を「御方」と呼んで、「匂宮の夫人、という気持ち」(『集成』)です。

しかしすぐに開いてみるというような軽々しい振る舞いをしない、または女房たちの目を憚ってできない、と少し頑張っている感じを出します。

 それを姉が優しくなだめます。あの方とご縁ができた以上は、そんなに頑張らなくていいから、その縁を大事にするように、素直にご返事を書きなさい。そうすれば、多少薄い縁でも、あの方のご威勢を憚って、妙な男が声を掛けてきたりすることだけはないでしょう。そうすれば、私がいなくなった後も、少しは安心なのです。…。

 しかし、そんなふうに言われると、中の宮は、宮のことよりも「私がいなくなった後」という言葉の方がショックで、泣き出してしまいました。

 それをまたなだめながら、大君は自分から先に宮の手紙を開いて見ます。それは「こまごまとお書きになって」いたのですが、大君から見るとたいへん物足りなかったようで、「耳慣れた文句」ばかりで「やはりお義理だけの手紙」だと思われ、あんなに待たせておいて、たったこればかりかと「恨めしさがおつのりになる」のでした。

 しかし、あれほど魅力的な宮が、思いを込めて訪ねてきて、そのお相手をした当の中の宮は違っていて、すっかり心を惹かれています。姉が保護者として不足に思うような手紙でも、当の彼女はその手紙を受け取っただけで嬉しく、改めて宮がささやいてくれた約束事がそのまま信じられることのような気がしてくるのです。》

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第三段 中の宮、昼寝の夢から覚める

【現代語訳】

 夕暮の空の様子がひどくもの寂しく、時雨れてきて、木の下を吹き払う風の音などに、たとえようもなく来し方行く末が思い続けられて、寄り臥していらっしゃる様子は、上品でこの上なくお見えになる。

白いお召し物に、髪は梳くこともなさらず幾日も経ってしまっているが、まつわりつくことなく流れて、この数日少し青くやつれていらっしゃるのが優美さがまさって、外を見やっていらっしゃる目もとや額つきの様子も、分かる人に見せたいほどである。
 昼寝の君は、風がたいそう荒々しいのに目を覚まされて起き上がりなさった。山吹襲に、薄紫色の袿などがはなやかな色合いで、お顔は特別に染めてぼかしでもしたように、とても美しくあでやかで、少しも物思いをする様子もなさっていない。
「故宮が夢にお見えでしたが、とてもご心配そうな様子で、このあたりにぼんやりといらっしゃいました」とお話しになると、ますます悲しさがつのって、
「お亡くなりになって後、何とか夢にもお会いしたいと思うけれど、全く見申し上げていません」と言って、お二方ともひどくお泣きになる。
「最近、明け暮れお思い出し申しているので、お姿をお見せになるのだろうか。何とか、おいでになるところへ尋ねて参りたい。罪障の深い私たちだから」と、来世のことまでお考えになる。唐国にあったという香の煙を、本当に手に入れたくお思いになる。

 

《悲哀に満ちた、美しい場面を『評釈』が次のように歌いあげます。少し長いですが。

「あらあらしく吹きすさぶ風に心をまかせつつ、幸薄かった来し方をかえりみ、暗澹とした行く先を思い続けて、ようやく脇息に身をささえる。夕暮れのほの暗さの中の姫宮。かぼそい体が白い御衣にぼうとはかなげに浮き出て流れる黒髪の姿の高貴さ。この世の栄花に遠く現世の人のむさぼる楽しみも大方は知らず、わが身のことはあきらめはてて、妹にたくした夢さえ破れ、病んで、今は身に罪の多からぬうちにと、この世での生を思いきってすらいるひとに添う気高さは、胸痛いまで。…」

 まことにその通りですが、しかし、例えば紫の上の臨終直前(御法の巻第一章第六段)の場面などを思い出すと、彼女の悲哀が自分ではいかんともしがたい宿命的なものであるのに対して、この人の場合は、そこまで悲しむのなら、一度薫に運命を託してみたらどうだろうかという思いが抜けず、我とわが身を制限しておいての悲哀のように思えて、その悲哀はいささか平板の感をぬぐえない気がします。

 『評釈』も「その人(薫)に熱がないのが、押し切ってこないのが、姫を不幸のままにおく」と言います。お互いの問題なのです。

 昼寝から目を覚ました中の宮は「とても美しくあでやかで、少しも物思いをする様子もなさっていない」で、思いのほか元気なようです。大君と対照的にみえますが、内心の悲しみにも拘らず、それを覆い隠すほどのあでやかさだということなのでしょう。

 夢に見た父宮の話をすると、大君は、自分は長く見ていないと泣き出します。するとさすがに、さっきまで「少しも物思いをする様子もなさっていな」かった中の宮も、それに誘われて、ということでしょうか、姉と一緒に「ひどく」泣きだします。

 とは言え、「最近、明け暮れ…」は匂宮の結婚のことを知っている大君の気持ちで、中の宮の思いとは思えません。》

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第二段 大君、匂宮と六の君の婚約を知る

【現代語訳】

この君のお供の人で、いつのまにかここの若い女房と恋仲になった者があった。それらの話で、
「あの宮が、お出かけを禁じられなさって、内裏にばかり籠もっていらっしゃることよ。右の大殿の姫君と結婚おさせ申しなさるらしい。女君の方は長年のご本意なので、おためらいになることもなくて、年内に行われると聞いている。
 宮は気が進まなくお思いで、内裏辺りでも、ただ好色がましいことにご熱心で、帝や后の御意見にもお静まりそうもないようだ。
 私の殿は、やはり人にお似にならず、あまりに誠実でいらっしゃって、人からは敬遠されておいでだ。ここにこうしてお越しになるだけが、目もくらむほどで並々でないことだ、と人が申している」などと話したのを、「そのように言っていた」などと、女房たちの中で話しているのをお聞きになると、ますます胸がふさがって、
「もうお終いだわ。高貴な方と縁組がお決まりになるまでのほんの一時の慰みに、こうまでお思いになったが、さすがに中納言などの思惑をお考えになって、言葉だけは深いのだったのだ」とお思いになると、とやかく宮のおつらさは考えることもできず、ますます身の置き場所もない気がして、落胆してお臥せりになった。
 弱ったご気分には、ますます世に生き留まることもできそうにない。気のおける女房たちではないが何と思うかとつらいので、聞かないふりをして寝ていらっしゃったが、大君は、「物思ふ時のわざ(物を思う時によくすること)」と聞いていたうたた寝のご様子がたいそうかわいらしくて、腕を枕にして寝ていらっしゃるところに、お髪がたまっているところなど、またとなくかわいらしい感じであるのを見やりながら、親のお諫めも繰り返し繰り返し思い出されなさって悲しいので、
「罪深い人が行くという地獄には、よもや落ちていらっしゃるまい。どこでもよいから、おいでになるところにお迎えください。このようにひどく物思いに沈む私たちをお捨てになって、夢にさえお見えにならないこと」とお思い続けなさる。

 

《薫が京へ帰ってしまった後、宇治では大変なことが起こりました。

薫の供をしてきた男が、ここでなじみになっていた女房に話した話が、女房たちの間でひそひそと交わされていたのです。

 中の宮のところに通われる宮は、京で、右大臣の姫と結婚されるらしい、宮中でも「好色がましいことにご熱心で」いらっしゃるそうだ、…。

以下のご主君・薫についての話はどういう意味なのでしょうか。我が薫様がここに通われるのも、人から敬遠されるほど生真面目な人だからであって、人から見れば「目もくらむほどで並々でないこと」なのだから、とてもそういう匂宮様がまじめに通って来られるとは思えない、…ということのように読めます。ということは、また、薫が通って来ることも、そういつまでも続くものではあるまい、と言っているとも思えます。

そういう話が耳に入った大君は、やっぱり心配したとおりになってしまった、もはや取り返しがつかない、こういうことになったのは、自分が仕組んだことなのだとただ一途に思い込み、「身の置き場所もない気がして」、目の前が真っ暗になった気持ちです。
 このことが、薫が帰った後で起こったというのが、いかにもありそうな話で、しかも大君は事の真偽を確かめる手立てもないことになり、うまい話の展開です。
 
ここの「宮のおつらさ(原文・人の御つらさ)」は、匂宮自身が来られないことをつらく思っていることのように思えますが、諸注は、宮の不実、冷たさと解しています。古語の「つらし」は「人の仕打ちを、こらえかねるほどに痛く感じる意」(『辞典』)で、「御」とあることからも、やはりその方がよさそうです。

つまり大君は、匂宮を恨んだりするより先に、このようにことを運ぶことになった自分を責めているということで、この人の慎ましさ、自省的な人柄が強調されているわけです。

そんな時に、目の前に昼寝をしている妹の顔がありました。昼寝をするのは夜眠れなかった証し、切ない思いをしながら、かろうじて今ひととき「たいそうかわいらしくて、腕を枕にして寝ていらっしゃる」姿を見ると、いとおしく、私が至らないばかりにこんな苦労をさせてしまったと、またしても父宮の遺訓を思い出して、つらく恋しく、早く父のもとに行きたいという気持ちばかりが募ります。》

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