源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第六章 大君の物語(四)

第九段 薫、大君に寄り添う

【現代語訳】

 ただこうしておいでになるのを皆が頼みにお思い申し上げていた。いつものように、近いところに座っていらっしゃると、御几帳などを風が烈しく吹くので、中の宮は奥のほうにお入りになる。むさくるしい感じの人びとも、恥ずかしがって隠れている時に、たいそう近くに寄って、
「どんなお具合ですか。私のありたけを尽くしてご祈祷申し上げる効もなく、お声をさえ聞かなくなってしまったので、まことに情けない。後に残してお逝きになったら、どんなにつらいことでしょう」と、泣く泣く申し上げなさる。意識もはっきりしなくなった様子だが、顔はしっかりと隠していらっしゃる。
「気分の好い時があったら、申し上げたいこともございますが、ただもう息も絶えそうにばかりなってゆくのは、残念なことです」と、本当に悲しいと思っていらっしゃる様子なので、ますます涙を抑えがたくて、不吉に、このように心細そうに思っているとは見られまいとお隠しになるが、泣き声まで上げられてしまう。
「どのような宿縁で、この上なくお慕い申し上げながら、つらいことが多くてお別れ申すのだろうか。少し嫌な様子でもお見せになったら、思いを冷ますきっかけにしよう」と見守っているが、ますますいとしく惜しく、美しいご様子ばかりが見える。
 腕などもたいそう細くなって、影のように弱々しいが、肌の色艶も変わらず、白くかわいい感じでなよなよとして、白い御衣などの柔らかなのを掛けて、衾を押しやって、中に身のない雛人形を臥せているような気がして、お髪はたいして多くもなくうちやられている、それが、枕からこぼれているあたりが、つやつやと素晴らしく美しいのも、

「どのようにおなりになろうとするのか」と生きていかれそうにもなく見えるのが、惜しいことは類がない。
 幾月も長く患って身づくろいもしてない様子が、気を許そうともせずこちらが恥ずかしくなるようで、この上なく飾りたてて騒いでいる人よりもずっとまさって、こまかに見ていると、魂も抜け出してしまいそうである。

 

《この恐ろしい風の夜、控えている女房たちにとっては、薫がずっと大君の床の近くに座って見守っているのだけが、微かな頼りに思われています。雪を乗せた風が吹き荒れて、部屋の中までも入り込み、ときどき几帳を吹き上げますので、中の宮は姿を見られないように奥に入り、女房たちもそれに倣って引き下がりました。

 それを見て薫は、膝を進めて大君の近くに寄って声を掛けます。

 大君は、話したいことがあるけれども、その力がないと虫の息です。それを聞いて薫はとうとう声を上げて泣くのでした。あまりにつらくて、「少し嫌な様子でもお見せになったら、思いを冷ますきっかけにしよう」とまで思うのですが、見れば見るほどいとおしくなるばかりです。こういう薫の気持ちは、実は紫の上の晩年に源氏も抱いていたことがあるような気がして、少し読み返しますが、見当たりません。

 しかし、以下の大君の描写は、その臨終の際に夕霧の目に映った紫の上の姿に大変よく似ています。長くなりますが、引いてみます。

「御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様は、ふさふさと美しくて一筋も乱れた様子はなく、つやつやと愛らしい様子はこの上ない。灯がたいそう明るいので、お顔の色はとても白くかがやくようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった生前のお姿よりも、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのもことさらめいているほどである。」(御法の巻第二章第四段)

 病みつかれているはずの死に臨む人が「肌の色艶も変わらず(原文・色あひも変わらず)」とか「お顔の色はとても白くかがやくよう(原文・御色は白く『光る』やう)」などと、神々しくも美しく見えるというのは、ちょっと想像を超える感じがしますが、ここで言えば、薫に大君はそのように見えたのです。

 その大君を見つめる薫について、『評釈』が「彼の脳裏に、胸中に、姫宮の美は永遠に生き続けるのだ」と言いますが、これは失礼ながらおそらくこの評者の意図以上に的確にこの場面の意味を語っているように思われます。つまり、大君の側から言えば、こういう形で薫の永遠に変わらない愛(前段)をもっとも純粋な形で手に入れたのです。

しかしまたそれは逆に、女性はこのようにしか、変わらぬ愛を得ることはできないのではないかという、作者の悲しい認識でもあるでしょう。

巻名の「総角」は三つの輪を作って一か所で結び合わせる「結び方」の呼び名であったのですが、この二人は結ばれたことになるのか、どうか、『光る』が「ずいぶんアイロニカル」だと言います。》

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第八段 豊明の夜、薫と大君、京を思う

【現代語訳】

 ご自身でも治りたいと思って仏をお祈りなさればいいのだが、
「やはり、このような機会に何とかして死んでしまいたい。この君がこうして傍にいて、何もかも見られてしまったので、今はもう他人で過すすべもない。そうかといって、このように並々ならず見える愛情だが、思ったほどでないと、自分も相手もそう見えたりするのはつらく情けないこと、もし寿命がしいて延びたなら、病気にかこつけて姿を変えてしまおう。そうして初めて末長い心を互いに見届けることができるのだ」と心にお決めになって、
「生きるにせよ死ぬにせよ、何とかこの出家を遂げたい」とお思いになるのだが、そこまで賢ぶったことはおっしゃらずに、中の宮に、
「気分がますます頼りなく思われるけれども、戒を受けるととても効目があって寿命が延びることだと聞いたので、そのように阿闍梨におっしゃってください」と申し上げなさると、みな泣き騒いで、
「とんでもない御ことです。こんなにまでお心を痛めていらっしゃるような中納言殿も、どんなにがっかり申されることでしょう」と、ふさわしくないことと思って、頼りにしている方にも申し上げないので、残念にお思いになる。
 このように籠もっていらっしゃったので、次々と聞き伝えて、お見舞いにわざわざやって来る人もいる。いい加減にお思いではない方だと拝見するので、殿上人や親しい家司などは、それぞれいろいろなご祈祷をさせ、ご心配申し上げる。
 豊明の節会は今日であると、京をお思いやりになる。風がひどく吹いて、雪が降る様子は激しく、荒れ狂う。

「都ではまさかこうではあるまい」と、自ら求めてのこととはいえ心細くて、

「他人同士のまま終わってしまうのだろうか」と思う宿縁はつらいけれど、恨むこともできない。やさしくかわいらしいあつかいを、ただ少しの間でも元どおりにして、思っていたことを話したいと思い続けながら、外を眺めていらっしゃる。日の光もささず暮れてしまった。
「 かきくもり日かげも見えぬ奥山に心をくらすころにもあるかな

(かき曇って日の光も見えない奥山で、心を暗くする今日このごろだ)」

 

《さまざまな供養や「祀りや祓い」(前段)も効き目がありませんが、今や何よりも大君自身が生きようという気をなくしてしまっているのでした。彼女は愛情とはかならず移ろうもの、「思ったほどでないと、自分も相手もそう見えたりするのは、つらく情けないこと」、愛は無常だという気持ちがどうしても越えられないようです。

 とうとう、いよいよ出家するしかないと思うようになり、遠回しに妹に阿闍梨から「戒を受け」たい旨を話しますが、それも許されません。この戒を受けるということは、紫の上の病が重くなった時に、源氏に頼んで出家の代わりに許されたこと(若菜下の巻第八章第四段)で、悩みがともに愛の無常についてであることといい、この病気の容態といい、また「何の穢れもない」(前段)人柄といい、作者の意識の中でこの二人には繋がるものがあるように思えます。

先回りになりますが、『講座』所収「大君の死」は「もし大君が(薫の求婚に)応じていたら、それは第二部の紫の上の嘆きをくり返すことになるであろう」と言います。大君はそういう決定的な悲哀(薫の愛が永遠のものでないことが分かったときに、愛する薫を恨まねばならず、また自分が愛する薫を恨むような人間であることに気付かねばならない悲哀)を恐れて、薫の求めに応じられないのです。

『光る』の言う「実験小説」という観点で言えば、作者は、当時の男性中心の社会機構の中でそういうふうにしてかろうじて人間としての安心立命を得ようとする個性を実験的に創り出してみようとしたのだ、ということでしょうか。

 さて、薫が休みを取って(前段)宇治から帰ってこないので、都の人々は、中納言殿に大事な人があって、どうやら具合が悪いらしいと、ぞろぞろとお見舞いに馳せ参じます。それらが「それぞれいろいろなご祈祷をさせ」るとあっては、大君もおちおち休んでいられないのではないでしょうか。大変な騒ぎになったようです。

 都は豊明の節会(十一月の行事)ですが、こちらは「日の光もささず(日が)暮れてしまった」のでした。「宇治にこもる薫の心は、この天気のとおり」(『評釈』)です。》

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第七段 阿闍梨、八の宮の夢を語る~その2

【現代語訳】2

 中の宮が大変に心配して奥のほうにある几帳の背後にお寄りになっているご気配をお聞きになって、さっと居ずまいをお正しになって、
「不軽品の声はどのようにお聞きになったでしょうか。重々しい祈祷としては行わないのですが、尊いことでございました」と言って、
「 霜さゆる汀の千鳥うちわびて鳴く音かなしきあさぼらけかな

(霜が冷たく凍る汀の千鳥が堪えかねて寂しく鳴く声が悲しい、明け方ですね)」
 話すように申し上げなさる。冷淡な方のご様子にも似ていて、思い比べられるが、返事しにくくて、弁を介して申し上げなさる。

「 あかつきの霜うち払ひ鳴く千鳥もの思ふ人の心をや知る

(明け方の霜を払って鳴く千鳥は、悲しんでいる人の心が分かるのでしょうか)」
 不似合いな代役だが、気品を失わず申し上げる。このようなちょっとしたことも、遠慮がちだが、やさしく上手におとりなしなさるものを、

「今を最後と別れてしまったら、どんなに悲しい気がするだろう」と、目の前がまっくらにおなりになる。

 宮が夢に現れなさった様子をお考えになると、

「このようにおいたわしいお二方のご境遇を、宙空をさ迷いながらどのように御覧になっていられるだろう」と推察されて、お籠もりになったお寺にも、御誦経をおさせになる。あちこちにご祈祷の使者をお出しになって、朝廷にも私邸のほうにも、お休暇の旨を申されて、祀りや祓い、いろいろと思い至らないことのないほどなさるが、何かの罪によるお病気でもなかったので、何の効目も見えない。

《中の宮にも阿闍梨の夢の話は聞こえていたのでしょうか、姉の容態を案じて奥から出てきました。薫は大君に寄り添うようにしていたのでしょうか、「さっと居ずまいを正し」て、さりげなく声を掛け、歌も、さりげない歌を話しかけるように詠み掛けました。

 中の宮の方は、その声にとっさに、同じようにみやびな匂宮を思い出し、その人の訪れのない寂しさが胸をかすめます。こういうちょっとした叙述が中の宮の存在に現実感をあたえるように思います。彼女はその気持ちを抑えて、弁の君を介して、こちらもさりげない歌を返しました。

 姫の代わりに老女では「不似合いな代役」ですが、それなりに「気品を失わず申し上げる」というあたり、この人の評価もだんだん上がってくる感じです。

 「遠慮がちだが、…」は、後の「今を最後と…」から考えると大君についての話、しかしそれでは中の宮の歌が不足だったということになりそうですが、あるいは、大君だったら人を介さずに直接歌が返してもらえただろうに、というのでしょうか。 

 薫は、阿闍梨の夢の話を受けて、追善の供養をさせます。「お籠もりになったお寺にも」は、この邸でも、ということでしょう。そして次の「祀りや祓い」は大君のためのものと考えるようですが、「何の効目も見えない」のでした。

「何かの罪によるお病気でもなかったので」について『評釈』は「姫は、悪いことを何もしていない。薫は罪作りと姫を呼ぶけれども(第六段)…。かくて、精神療法は、何の役にも立たない」と言います。以前、「どこがどうと痛いところもなく」(第五段)とありましたから、原因は精神的なものであることは明らかですが、作者はこのように言うことによって大君が何の穢れもない純粋無垢な人であると言おうとしているのでしょう。》

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第七段 阿闍梨、八の宮の夢を語る~その1

【現代語訳】1

 不断経の明け方に交替する声がたいそう尊いので、阿闍梨も徹夜で勤めていて居眠りをしていたのが、ふと目を覚まして陀羅尼を読む。老いしわがれた声だが、実にありがたそうで頼もしく聞こえる。
「お加減、今夜はどのようでおいででしたか」などとお尋ね申し上げるついでに、故宮の事などを申し上げて、鼻を幾度もかんで、
「どのような世界にいらっしゃるのでしょう。いくら何でも極楽に、と想像いたしておりましたが、先頃の夢にお見えになりました。俗のお姿で、『世の中を深く厭い離れていたので執着するところはなかったが、わずかに思っていたことに乱れが生じて、今しばらく願っていた浄土から離れているのを思うと、とても悔しい。助ける供養をせよ』と、まことにはっきりと仰せになりましたが、すぐにご供養申し上げる方法が分かりませんので、できる範囲で、勤行している法師たち五、六人で、何々の念仏を称えさせております。
 その他は、考えるところがございまして、常不軽品を行わせております」などと申すので、君もひどくお泣きになる。あの世までお邪魔申した罪障の深さを、苦しい気持ちの中で、ますます息も絶えそうに思われなさる。
「何とか、あのまだ行く所がお定まりにならない前に参って、同じ所にも」と、聞きながら臥せっていらっしゃった。
 阿闍梨は言葉少なに立った。この常不軽品は、その近辺の里々、京まで歩き回ったが、明け方の嵐に難渋して、阿闍梨のお勤めしている所を尋ねて中門のもとに座って、たいそう尊く拝する。回向の偈の終わりのほうの文句が実にありがたい。客人もこの方面に関心のあるお方で、しみじみと感動に堪えられない。

《そういう二人のところに、気が付くと、薫の命じた不断経の声が、隣の部屋からでしょうか、聞こえてきました。その声に阿闍梨の居眠りの目が覚めた、というのはどういうことをいっているのでしょうか。臨終を迎えた時の八の宮にあれほど厳しい教えを説いた(椎本の巻第二章第五段)にしては、ずいぶんといい加減なお勤めをしていたような感じです。もっとも逆に、それほど懸命にお勤めをしていたのだとも言えますが。

 そして、よせばいいのに、自分の見た、八の宮についての好ましからぬ夢の話を薫にしました。「先頃の夢(原文・先つころの夢)」と言いますから、さっきの居眠りの時の夢ではなくて、数日前の、といった感じのようですが、どうせこのように話すなら、呼ばれてやって来たときに、すぐに話せばよさそうなもので、何もこんないい場面で、と思います。

 薫は泣かずにはいられません。大君は、「わずかに思っていたことに乱れが生じて」とは自分たちのことに違いないのですから、ましていっそうの物思いです。

 阿闍梨は、それだけ言うと、立って行ってしまいました。

このあたり、阿闍梨は全く無神経だという気がしますが、作者はそうではないようで、話は、阿闍梨が命じた常不軽品のありがたさの方に転じます。ということは、この人もなかなか立派な人、と考えられているのでしょう。薫も感動しながら、その僧たちの振る舞いを見ています。》

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第六段 薫、大君を看護する

【現代語訳】

 日が暮れたので、

「いつものように、あちらの部屋に」と申し上げて、御湯漬などを差し上げようとするが、

「せめて近くで看病をしたい」と言って、南の廂間は僧の座席なので、東面のもう少し近い所に、屏風などを立てさせて入ってお座りになる。
 中の宮は、困ったこととお思いになったが、お二人の仲を、

「やはり、何でもなくはなかったのだ」と皆が思って、よそよそしく隔てたりはしない。初夜から始めて、法華経を不断に読ませなさる。声の尊い僧ばかり十二人で、実に尊い。
 灯りはこちらの南の間に燈して、内側は暗いので、几帳を引き上げて少し入って拝見なさると、老女たちが二、三人控えている。中の宮はすぐにお隠れになったので、たいそう人少なで心細く臥せっていらっしゃるのを、
「どうして、お声だけでも聞かせてくださらないのか」と言って、お手を取ってお声をかけて差し上げると、
「気持ちはそのつもりでいても、物を言うのがとても苦しくて。幾日も訪れてくださらなかったので、お目にかかれないままにこと切れてしまうのではないかと、残念に思っておりました」と、やっとの声でおっしゃる。

「こんなにお待ちくださるまで参らなかったことよ」と言って、声をあげてお泣きになる。お額など、少し熱がおありであった。
「何の罪によるご病気か。人を嘆かせると、こうなるのですよ」と、お耳に口を当てて、いろいろ多く申し上げなさるので、うるさくも恥ずかしくも思われて、顔を被いなさる。いつもより力なげにか細くなって臥していらっしゃるのを、死なせてしまったらどんな気がするだろうと、胸も張り裂ける思いでいられる。
「何日もご看病なさっているお疲れも、大変なことでしょう。せめて今夜だけでも、安心してお休みなさい。宿直人がお傍にいましょう」と申し上げなさると、気がかりであるが、

「何かわけがあるのだろう」とお思いになって、少しお引きになった。
 面と向かってではないが、いざり寄りながら拝見なさるのでとても苦しく恥ずかしいが、

「このような宿縁だったのだろう」とお思いになって、この上なく穏やかで安心なお心を、あのもうお一方にお比べ申し上げなさると、しみじみとありがたくお思いになった。
「亡くなった後の思い出にも、強情な、思いやりのない女だと思われまい」とお慎みなさって、そっけなくおあしらいになることもできない。一晩中女房に指図して、お薬湯などを差し上げなさるが、少しもお飲みになる様子もない。

「大変なことだ。どのようにして、お命を取り止めることができようか」と、何とも言いようがなく沈みこんでいらっしゃった。

 

《「湯漬」は夕食なのだそうで、女房たちはまずはお食事をと勧めますが、薫はそれを断って、急いで大君の傍に寄ります。中の宮は姉の傍にいられなくなるので「困ったこととお思い」になりますが、女房たちは皆、もう薫と大君はそういう仲なのだと思っていて、引き下がり場所を開けますから、中の宮も従うしかありません。

 薫が「几帳を引き上げて少し入って」みると、お世話役に「老女たちが二、三人控えて」いるだけで、何とも心細い感じです。

 薫は、思わずといった様子で大君の手を取ります。大君はそれを引っ込めるでもなく、そのまま薫の言葉に返事をしました。

そしてここから後はまったく二人だけの世界です。大君の返事は「やっとの声で(原文・息の下に)」のものでしたが、自分がどんなにあなたを待っていたことかという、大変に率直なもので、これまでとはまるで違っていました。

薫はその言葉に声をあげて(原文・さくりもよよと)泣きます。そして泣きながら耳元にささやいたのが、「何の罪によるご病気か。人を嘆かせると、こうなるのですよ」とは、なんと見事なことか。恨みにユーモアを交えて優しさと親しみに溢れた名セリフではないでしょうか。

そしてその言葉に、大君の「うるさくも恥ずかしくも思われて、顔を被いなさる」という恥じらいのしぐさの、またなんといじらしいこと。読みながらワクワクします。

「何日もご看病なさって…」は中の宮への言葉、二人きりにしてほしいということです。もうすっかり主人の態度で、有無を言わせません。そうしてさまざまに声を掛けながらいざり寄ってくる薫を、大君は恥じらいながらも「この上なく穏やかで安心な心」と感じ、「宿縁」と感じて、すっかり許す気持ちになっています。

しかし、容態は予断を許しません。》

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