源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第五章 大君の物語(三)

第六段 時雨降る日、匂宮宇治の中の宮を思う

【現代語訳】

 時雨がひどく降ってのんびりとした日、女一の宮の御方に参上なさったところ、御前に女房も多く伺候していず、ひっそりとして、御絵などを御覧になっている時である。
 御几帳だけを隔てて、お話を申し上げなさる。この上もなく上品で気高い一方で、たおやかでかわいらしいご様子を、長年二人といないものとお思い申し上げなさって、
「他にこのご様子に似た人がこの世にいようか。冷泉院の姫宮だけが、ご寵愛の深さや内々のご様子も奥ゆかしく聞こえるけれど、口に出すすべもなく思い続けていたが、あの山里の人は、かわいらしく上品なところはお劣り申すまい」などとまっさきにお思い出しになると、ますます恋しくて、気紛らわしに、御絵類がたくさん散らかっているのを御覧になると、おもしろい女絵の類で、恋する男の住まいなどを描きこみ、山里の風流な家などや、さまざまな恋する男女の姿を描いてあるのが、身につまされることが多くて、お目が止まりなさるので、少しお願い申し上げなさって、

「あちらへ差し上げたい」とお思いになる。
 在五中将の物語を絵に描いて、妹に琴を教えている絵で、「人の結ばむ」と詠みかけているのを見て、どのようにお思いになったのであろうか、少し近くにお寄りになって、
「昔の人も、こういう間柄では、隔てなくしているものでございます。たいそうよそよそしくばかりおあしらいになるのがたまりません」と、こっそりと申し上げなさると、

「どのような絵であろうか」とお思いになるので、巻き寄せて、御前に差し入れなさったのを、うつ伏して御覧になる御髪がうねうねと流れて、几帳の端からこぼれ出ている一部分を、わずかに拝見なさるのが、どこまでも素晴らしく、

「少しでも血の遠い人とお思い申せるのであったら」とお思いになると、堪えがたくて、
「 若草のね見むものとは思はねどむすぼほれたるここちこそすれ

(若草のように美しいあなたと共寝をしてみようとは思いませんが、悩ましく晴れ晴

れしない気がします)」
 御前に仕えている女房たちは、この宮を特に恥ずかしくお思い申し上げて、物の背後に隠れていた。

「こともあろうに嫌な変なことを」とお思いになって、何ともお返事なさらない。もっともなことで、「うらなくものを(特別な気持ちではありません)」と言った物語の姫君も気が利きすぎて憎らしく思われなさる。
 紫の上が、特にこのお二方を仲よくお育て申されたので、大勢のご姉弟の中で、隔て心なく親しくお思い申し上げていらっしゃった。又とないほど大切にお育て申し上げなさって、伺候する女房たちも、どこか少しでも欠点がある人は、恥ずかしそうである。高貴な人の娘などもとても多かった。
 お心の移りやすい方は、新参の女房に、ちょっと物を言いかけなどなさっては、あの山里辺りをお忘れになる時もない一方で、お訪ねなさることもなく数日がたった。

 

《さて、禁足中の匂宮の日常の行動です。

 冬のいかにも所在なげな一日、女一の宮のところに遊びに行きました。この人は紫の上在世当時から六条院に住んでいて、「東宮のすぐ下の妹(ということは、匂宮の姉)である。匂宮よりは四、五歳年長か。二十九歳ぐらいである。当時で言えばお婆さんのはずである」(『評釈』)という人です。その人を「長年二人といないものとお思い申し上げ」ていて、その素晴らしさは、匂宮が以前(四、五年前の二十歳の頃だったでしょうか)、ひそかに心を寄せていた「冷泉院の姫宮」(匂兵部卿の巻第二章第四段)だけが肩を並べられるくらいかと思うのですが、今は、宇治の中の宮が「(その二人に)お劣り申すまい」と思い出されて、ひとしお恋しく思われました。

女一の宮は絵を見て楽しんでいました。匂宮はそれを中の宮にプレゼントしたいと、姉におねだりをするのですが、選んでいる中に「伊勢物語」第四十九段(男が、妹が他の男の者になるのを惜しく思う話)の絵があり、「どのようにお思いになったのであろうか」、姉に言い寄るような歌を詠みかけました。元の物語の歌を踏まえているとは言っても、いささか露骨な感じで、『集成』は「不埒な歌」と言い、姉宮は返事もしません。

そしてその話のついでに、「お心の移りやすい方は、新参の女房に、ちょっと物を言いかけなどなさって」と、これまでひたすら中の宮に向かっているようだったのとは違った様子を語ります。

以前、「とてもたいそう好色人でいらっしゃって、お通いになる所がたくさんあり、八の宮の姫君にもお気持ちが並々でなく、たいそう足しげくお通いになっている」(紅梅の巻末)とあったことが思い出されて、ちょうどこの頃の話ではないかと思われます。宇治の中の宮を恋しく思う気持ちはそれとして、目の前に女性がいる限りは、それが誰であれ、何はさておき恋の対象として遇するのがエチケットという感覚なのでしょう。

それは、一見確かに「不埒な」態度に見えますが、しかしすべての生物が背負う種の保存という原初的摂理から見れば、自然な感覚でもあるように思われます。対象を厳選しようするのは多く女性の側であることは、テレビで野生動物の生態を見ていても、目にする光景です。一夫一婦というのは、そういう野生をコントロールしようとして考案された一つの制度・文化に過ぎないというべきでしょう。もちろん私自身、今、その公序良俗に異を唱えようというのではありません。ただ、平安貴族の「不埒」に見えるエチケット感覚も、決して突飛な、人非人的な感覚なのではないようだ、と言いたいだけです。

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第五段 匂宮の禁足、薫の後悔

【現代語訳】

 宮は、すぐその後、いつものように人目に隠れてとご出立なさったが、内裏で、
「このようなお忍び事によって、山里へのご外出も簡単にお考えになるのです。軽々しいお振舞いだと、世間の人も蔭で非難申しているそうです」と、衛門督がそっとお耳に入れ申し上げなさったので、中宮もお聞きになって困り、主上もますますお許しにならない御様子で、
「だいたいが気まま放題の里住みが悪いのだ」と、厳しいことが出てきて、内裏にぴったりとご伺候させ申し上げなさる。右の大殿の六の君を、ご承知せず思っていらっしゃることだが、無理にも差し上げなさるよう、すべて取り決められる。
 中納言殿がお聞きになって、具合の悪いことになったとあれこれ思案なさる。
「自分があまりに変わり者なのだ。そうなるような因縁であったのだろうか。親王が不安であるとご心配になっていた様子もお気の毒で忘れがたく、この姫君たちのご様子や人柄も、格別なこともなくて世に朽ちてお行きになることが惜しくも思われるあまりに、人並みにして差し上げたいと、不思議なまでお世話せずにはいられなかったところ、宮もあいにくに身を入れてお責めになったので、自分の思いを寄せている人は別なのだが、お譲りになるのもおもしろくないので、このように取り計らってきたのに。
 考えてみれば、悔しいことだ。どちらも自分のものとしてお世話するのを非難するような人はいないのだ」と、元に戻ることはできないが愚かしく、自分一人で思い悩んでいらっしゃる。
 宮は、それ以上にお心にかからない折はなく、恋しく気がかりだとお思いになる。
「お心に気に入ってお思いの人がいるならば、ここに参らせて、普通通りに穏やかにお扱いなさい。格別なことをお考え申し上げておいであそばすのに、軽々しいように人がお噂申すようなのも、たいへん残念です」と、大宮は明け暮れご注意申し上げなさる。

 

《衛門督の告げ口によって、匂宮は禁足となり、宇治へ行けなくなってしまいました。

 彼は警護役だけではなかったようで、『評釈』は「宮中派遣のお目付け役でもあったらしい」と言いますが、ともかくその結果、さらに「右の大殿(夕霧)の六の君を、ご承知せず思っていらっしゃることだが、無理にも差し上げなさるよう、すべて取り決められ」てしまいました。

 「あの宇治行き、宮をおよがせておいて、証拠をぎゅっと握り、一気に」という「老練な夕霧の大臣のやり口である」と、これも『評釈』の説で、実直で荒事を好まなさそうな夕霧には似合わないという気はしますが、立場上できないことではなさそうです。

 さて困ったのは薫です。自分の計らいで宮と中の宮の間を取り持ってきたのですが、それが裏目に出て、大君も含めて悲しませることになってしまいました。「自分があまりに変わり者なのだ」というのは、「不思議なまでお世話せずにはいられなかった」ことをいうのでしょうが、「どちらも自分のものとしてお世話する」ようにしなかったことを言うようにも思えます。

 しかし、どちらにしても、後の祭り、大切に思う二人の姫の悲しみを一手に背負ったような気分です。

 もちろん匂宮も落ち込み、気をもんでいますので、母・中宮がいかにも優しく、もしいい人があるなら私に話しなさい、悪いようにはしない、と慰めながら気をもんでいます。

ところで、初めのところ、原文が「出で立ちたまひけるを」で、そのまま訳すとここに言うように「ご出立なさったが」となって、すでに行動を起こしたように読めますが、そうではなくて、計画を立てた段階と考えなければ、後の話がつながりません。こういう場合の「ける」はどういう意味で「過去」なのでしょうか。》

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第四段 大君の思い

【現代語訳】

「私も生き永らえたら、このようなことをきっと経験することだろう。中納言が、あれやこれやと言い寄りなさるのも、私の気を引いてみようとのつもりだったのだ。自分一人で相手になるまいと思っても、言い逃れるには限度がある。ここにいる女房が、性懲りもなくひたすらこの結婚を何とか成就させたいと思っているようだから、心外にも結局はそのようにさせられてしまいそうだ。この事だけは繰り返し繰り返し、用心して過ごせと、ご遺言なさったのは、このようなことがあろう時の忠告だったのだ。
 このような不幸な運命の二人なので、しかるべき親にもお先立たれ申したのだ。姉妹とも同様に物笑いになることを重ねたありさまで、亡き両親までをお苦しめ申すことの情けなさ。私だけでも、そのような物思いに沈まず、罪などたいして深くならない前に、何とか死んでしまいたい」と思い沈むと、気分もほんとうに苦しいので、食べ物を少しも召し上がらず、ただ亡くなった後のあれこれを、明け暮れ思い続けていらっしゃると、心細くなって、この君をお世話申し上げなさるのも、とてもおいたわしく、
「私にまで先立たれなさって、どんなにひどく慰めようがないことだろう。もったいないほどのかわいい様子を、明け暮れの慰みとして、何とかして一人前にして差し上げたいと思って世話するのを、誰にも言わず将来の生きがいと思ってきたが、この上ない方でいらっしゃっても、これほど物笑いになるような目に遭ったような人が、世間に出てお付き合いをし、普通の人のようにお過ごしになるのは、例も少なくつらいことだろう」などとお考え続けると、

「何とも言いようなく、この世には少しも楽しいことがないままに終わってしまいそうな二人らしい」と、心細くお思いになる。

 

《大君はひたすら結婚することの不安をつぶやきますが、具体的には相手に見捨てられることへの不安と、そしてその結果「物笑いになること」への怖れです。

 そう言ってしまうと、ほとんど取り越し苦労で、そんなことを考えていたら何もできないとも思われますが、彼女はこれまでの人生経験から、自分たちは「不幸な運命」に生まれついていると思い込んでいて、悲観的にしかものが見られなくなっているところに、妹が悲しい思いをしてるのを目の当たりにして、ますますその思いを強くしているということなのでしょう。 

 例えば現代風に、妹ともう少し胸襟を開いて話し合ったなら、妹が自分自身について、恋のつらさはあるにしても、必ずしも不幸だと思っているわけではないことが分かったでしょうし、それが分かれば女性のそういう幸福のありかたにも気が付き、自分のいささか偏った人生観にも、なにがしかの変化があったかもしれません。

 前に挙げた『狭き門』のアリサもジェロームの熱烈な求婚を拒否し通したのですが、彼女の場合は、現世とは別の世界により高い価値を見出して、一途にそこに向かっていた結果だった(それが本当の人間の幸福と言えるのかというのが、作者の問だったと思われますが)のですから、恋人の言う恋の幸せには見向きもしなかったのですが、大君の場合の現世否定は、多分に観念的な将来不安に基づくものですから、目標が変わることも十分あり得たのではないかと思われますが、もちろんこの物語はそういう人物を描こうとしている物語ではないので、姉妹の間でそうした話し合いが交わされることはありません。

 そんな中で彼女は悲哀の面だけを自分の胸の中で膨らませていきます。

ところで『光る』がこの大君の気持ちの背景について、ボーボワールの『第二の性』が参考になると言って、たくさんの引用をしています。女性は性や結婚について基本的に怖れを抱いているというのですが、引用の一つを孫引きしてみますと、「(女性は)自分の顔立ちや姿や肉体がはっきり受身なものであるとわかると、彼女はそういうものを欲情で求める他人の、無遠慮な、あの自由から、それらをかくそうとする」というようなものです。

 これ自体は西欧流の純潔とか自我と言った考え方を背景にしているように思えて、大君にどれほど妥当性を持つだろうかという気もしますが、彼女には、捨てられることへの怖れなどという具体的な理由以上に、もっと根本的なところで結婚を拒否する否定的な情緒とでもいうようなものがあることは確かで、そういう意味では、通じるところがあるような気もします。それが前段で述べた厭世的思いではないかと思うのですが。》

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第三段 大君と中の宮の思い

【現代語訳】

 あちらでは、お通り過ぎになってしまった様子を、遠くなるまで聞こえる前駆の声々にただならずお聞きになる。心積もりしていた女房も、たいへんに残念に思っている。姫宮は、それ以上に、
「やはり、噂に聞く露草のような移り気なお方なのだわ。ちらほらと人の言うのを聞くと、男というものは嘘をよくつくという。愛していない人を愛している顔でだます言葉が多いものだと、この人数にも入らない女房たちが昔話として言うのを、そのような身分の低い階層にはよくないこともあるのだろうけれども、何事も高貴な身分になれば人が聞いて思うことも遠慮されて、自由勝手には振る舞えないはずのものと思っていたのは、そうとも限らなかったのだ。

浮気でいらっしゃるように、故宮も伝え聞いていらっしゃって、このように身近な関係にまではお考えでなかったのに、不思議なほど熱心にずっと求婚してこられ、思いがけず婿君としてお通いいただくにつけて、また、身のつらさが思い加わるのが、つまらないことだ。
 このように期待はずれの宮のお心なのに、一方ではあの中納言もどのように思っていらっしゃるのだろう。ここには特に気にしなくてはならないような女房はいないが、それぞれ何と思うか、物笑いになって馬鹿らしいこと」とお心を悩ましなさると、気分も悪くなって、ほんとうに苦しい気がなさる。
 ご本人は、たまにお会いになる時、この上なく深い愛情をお約束なさっていたので、

「そうはいっても、すっかりはお心変りなさらないだろう」と、

「訪れがないのも、やむをえない支障がおありなのだろう」と、心中に思い慰めなさることがある。
 久しく日が経ったのを気になさらないことも決してないのに、なまじ近くまで来ながら素通りしてお帰りになってしまうことを、つらく口惜しく思われるので、ますます胸がいっぱいになる。堪えがたいご様子なのを、
「世間並みの姫君にして上げて、ひとかどの貴族らしい暮らしならば、このようにはお扱いなさるまいものを」などと、姉宮は、ますますお気の毒に思って見申し上げなさる。

 

《八の宮邸では、目と鼻の先のところでいつまでも続く大賑わいの様子に、まだおいでにならないかと待っていたのですが、それがそのまま先駆けの声に変って、そして遠のいて行くに至って、どうやらただの素通りだったらしいと、がっかりしています。

 中でも大君は、そもそもは自分の都合から始まったことで妹につらい思いをさせることになったと、宮が恨めしく、つらい思いで「お心を悩ましなさる」のでした。

 やっぱり噂のように「移り気なお方」だったのだ、、男は浮気なものだと女房達が話していたけれど、それは卑しいものの間のことで、高貴な方はそれなりにきちんとした振る舞いをされると思っていたのだけれど、そうではなかったのだ、…、と思い込んでしまいます。実際の匂宮は、あれほどに中の宮に思いを寄せており、時が来たら「誰よりも高い地位に立てよう」とさえ考えている(第四章第八段)のですが、それを知る由もないままに。

 そういう疑いは、そのまま、自分に言い寄ってくる薫に対しても向けられるます。

 当の中の宮は、これまでは、宮から直接「この上なく深い愛情をお約束なさっていた」のを聞いていましたから、少なくとも大君以上には宮を信じることができていて、訪れの間遠なことも訳があるのだと自分に言い聞かせながら、何とか我慢できていたのですが、さすがに今回のように、ついそこまで来ていながら素通りされたと思うと、堪え難いものがあります。

それは同じ悲しみでも、大君のように男の心を疑っての悲しみとは違うと『評釈』が言います。あくまでも宮を信じて、ただ宮に逢えないことを悲しんでいる、普通の女性の悲しみです。

 しかしその様子見る大君は、女性の宿命を思ってしまい、ほとんど妹以上の物思いに心を痛めます。

先に引いた『講座』所収「匂宮と中の宮」(第四章第八段)は、ここに至って物語は、「真相を知らされない、というより理解出来ないが故に生じる心理的懸隔が物語を推し進めていくモーメントとして機能する」と言い、この部分を引用しながら、「『男』の『そらごと』への認識がいま大君の中に確立されたのである。…心理的懸隔をも逆手にとっての、大君の生の完遂こそ作者の関心事であったと言わなければならない」と言います。

匂宮の中の宮を大切に思う真意が大君に伝わっていれば、事態は大きく異なっていたことでしょうが、その機会がなかったことによって、大君にとって世を厭う具体的な理由ができたわけで、もはや自分にとっては生きていくことは悲哀しか招かないと思い定めてしまうことになるのですが、それはまた作者自身の思いの大きな一つだったのだ、と言っているようです。》

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第二段 一行、和歌を唱和する~その2

【現代語訳】2

 去年の春お供した公達は、花の美しさを思い出して、後に残されてここで悲しんでいらっしゃるだろう心細さを噂する。このように忍び忍びにお通いになるとそれとなく聞いている者もいるのであろう。事情を知らない者も混じって、だいたいが何やかやと、人のお噂は、このような山里であるが、自然と聞こえるものなので、
「とても素晴らしくいらっしゃるそうな」
「箏の琴が上手で、故宮が明け暮れお弾きになるようしつけていらっしゃったので」などと、口々に言う。
 宰相中将が、
「 いつぞやも花のさかりにひとめ見し木のもとさへや秋はさびしき

(いつだったか花の盛りに一目見た姫君たちも秋はお寂しいことでしょう)」
 主人方と思って詠みかけてくるので、中納言は、
「 桜こそおもひ知らすれ咲きにほふ花ももみぢも常ならぬ世を

(その桜こそが教えてくれるでしょう、咲き匂う花も紅葉も常ならぬこの世を)」
 衛門督、
「 いづこより秋はゆきけむ山里の紅葉のかげは過ぎ憂きものを

(どこから秋は去って行くのでしょう、山里の紅葉の蔭は立ち去りにくいのに)」
宮の大夫、

「 見し人もなき山里の岩かきに心ながくも這へる葛かな

(お目にかかったことのある方も亡くなった山里の岩垣に、昔に変わらず這いかかっ

ている葛よ)」
 一行の中で、年老いていてお泣きになる。親王が若くいらっしゃった当時のことなどを、思い出したようである。
 宮、

「 秋はててさびしさまさる木のもとを吹きなすぐしそ嶺の松風

(秋が終わって寂しさがまさる木のもとを、烈しく吹き過ぎるな、峰の松風よ)」

と詠んで、とてもひどく涙ぐんでいらっしゃるのを、うすうす事情を知っている人は、
「なるほど、深いご執心なのだ。今日の機会をお逃しになるおいたわしさよ」と拝し上げる人もいるが、仰々しく行列を作っていて、お立ち寄りになることはできない。作った漢詩文の素晴らしい所々を朗誦し、和歌も何やかやと多かったが、このような酔いの紛れには、それ以上に好い作があろうはずがない。一部分を書き留めてさえ見苦しいものである。

 

《大勢になったお供や警護の者たちの中には、去年の春にもこの宇治に同行した者もおり、またそうでなくてもここに高貴の姫がいることを知っている者も多く、あちこちでそれぞれにがやがやひそひそと噂話をし合っています。

 そうした周囲の関心を代表する格好で、中将が、今日のここの主人は薫だと思って、薫に歌を詠みかけました。「匂宮と中の宮のことはまだ知らぬ趣」(『集成』)です。歌の「木」は「こ」と読んで「『子』を響かせる」(同)のだそうです。

 薫は、「木のもと」のことには無関心ふうに、「秋はさびしき」に応じた世の無常を詠んで返します。人々は日ごろの彼らしい歌だと思ったことでしょう。衛門督もその一人で、彼は薫の歌をまっすぐに受け取って、素直な思いを返します。

 年老いた宮の大夫は八の宮と懇意だったようで、姫たちのことなど思いもよらず、逝ってしまった八の宮を思い出して、一人涙に暮れています。

 匂宮は、自分の関心からどんどん離れていくそんなやり取りを聞いていて、そうではないのだという思いを仲間にだけはそれとなく分かってほしかったのでしょうか、「木のもとを」と詠んで、涙ぐんでいます。

 作者は、なおも残る宮の周囲のざわめきをちょっと語ってそっと宮の側から離れ、宮はそのまま帰京した趣にして、筆を八の宮邸に移します。》

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