源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 中の宮の物語(一)

第四段 薫、大君の寝所に迫る

【現代語訳】

「今はもう言ってもしかたありません。お詫びの言い訳は、何度申し上げても足りなければ、抓ねるでも捻るでもなさって下さい。高貴な方に心をお寄せのようですが、運命などというようなものはまったく思うようにいかないものですので、あの方のご執心は別のお方にございましたのを、お気の毒に存じますが、思いのかなわないわが身こそ、置き場もなく情けないものでしたよ。
 やはり、どうにもならぬこととお諦めください。この障子の錠ぐらいが、どんなに強くとも、ほんとうに潔癖であったと推察いたす人もないでしょう。案内人としてお誘いになった方のご心中にも、ほんとうにこのように胸を詰まらせて夜を明かしていようとは、お思いになるでしょうか」と言って、障子を引き破ってしまいそうな様子なので、何ともいいようもなく不愉快だが、なだめすかそうと落ち着いて、
「そのおっしゃる運命というようなことは、目にも見えないものなので、まったくどのようにも分かりません。ただもう『知らぬ涙(この先どうなるかわからない不安の涙)』に目の前を塞ぐ心地がして。これはどうなさるおつもりかと、夢のように驚いていますが、後世に話の種として言い出す人があったら、昔物語などに馬鹿な話として作り出した話の例になってしまいそうです。

このようにお企みになったお心のほどを、どういうことだったとご推察なさるでしょうか。この上まったくこのように恐ろしいほどに辛く、あれこれとお迷わし下さいますな。思いの外に生き永らえたなら、少し気が落ち着いてからお相手申し上げましょう。気分もすっかり真暗になって、とても苦しいので、ここで少し休みます。お放しください」と、ひどく困っていらっしゃるので、それでも道理を尽くしておっしゃるのが、気恥ずかしくいたわしく思われて、
「姫、お気持ちに添うことを誰よりも大事に思っているからこそ、こんなにまで馬鹿者のようになっております。言い尽くせぬほど憎み疎んじていらっしゃるようなので、申し上げようもありません。ますますこの世に跡を残すことも思われません」と言って、

「それでは物を隔てたままですが、お話し申しましょう。一途にお見限り下さいますな」と言って、お放し申されたので、奥に這い入って、とはいってもすっかりお入りになってしまうこともできないのを、まことにいたわしく思って、
「これだけの気配を慰めとして、夜を明かしましょう。決して決して」と申し上げて、少しもまどろまず、激しい水の音に目も覚めて、夜半の嵐に山鳥のような気がして、夜を明かしかねていらっしゃる。

 

《薫は、匂宮を中の宮のところに送ることで、自分の気持ちを中の宮に向けさせようとしている大君の考えを封じることができたと考えました。

 そして改めて大君に思いのたけを訴えます。

 もう、その道はなくなったのですから、あなたの考えは諦めてください、図りごとをしたお詫びはどのようにでもします、あなたの方が高貴な匂宮を願っておいでだったようですが、あの方は中の宮の方をお望みだったのです。諦めて、どうかここを開けてください、仮にこのまま過ごしても、誰も何もなかったなどとは思わないでしょう、…。

途中、大君が匂宮との間を願っているという話(「あの方のご執心は…」)は、実は以前にも漏らしていた(第二章第七段)ものですが、これまで大君と匂宮には薫が気にするような接点はほとんどなかったのですから、ちょっと唐突で、読む方が戸惑います。『評釈』が「いやみ、自虐、鼻持ちならぬ」と言うように、薫の値打ちを下げかねない面がありますから、言わない方がよかったように思いますが、「障子を引き破ってしまいそうな」彼の心の乱れということなのでしょう。

 もちろん大君はそういう話には全く反応しません。ひたすら、こうした騒ぎはすべてが馬鹿げたこととで、物語の中の話、実際の話なら世間の笑いものになること、とかわして、あまりのご無体に死んでしまいそうですが、もし「思いの外に生き永らえたなら」もっと静かにお話ししましょうと、ほとんど諭す調子です。もっとも、それを『評釈』のように「いつのほどにか、薫の扱いを心得た姫君の、聡い無意識の技巧」と考えるのは、大君への買い被り、誤解であって、それではこの後の悲劇の起こりようがありません。この人はもっと純な人でなくてはならないでしょう。

 そして、ここであえてこれ以上押し入らないのが、また薫という人なのですが、逆にこれで引くくらいなら、ここでは騒ぎ立てない方がよかったような気もします。やはり『光る』の「丸谷・この巻の弱点の一つは、薫は絶対に乱暴をしない男だという、有無を言わせぬ小説的な書き方がないことですね」という言葉が思い出されます(第二章第六段)。

 さらに付け加えると、こういうことがあった後は、どれほどか気まずいでしょうのに、作者が二人を、物を隔ててとは言え、「少しもまどろまず」に朝まで向き合っていさせた、ということは、お互いに(特に大君の心奥に)大変な親愛の気持ちがあるのだと読者に思わせたい、承知させたいのだ、とも思われま、そう思うと、さりげなく書かれた「激しい水の音」「夜半の嵐」は、さっきまでのいささかみっともないやり取りを問題にしないほど親密な、二人の(特に大君の)胸のざわめきとも思える言葉ではあります。》

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第三段 薫、中の宮を匂宮にと企む

【現代語訳】

「これこれです」と申し上げると、

「それはよかった、思いが変わったのだわ」と、嬉しくなって心が落ち着き、あのお入りになる入口ではない廂の障子を、しっかりと施錠して、お会いなさった。
「一言申し上げねばなりませんが、また女房に聞こえるような大声を出すのは具合が悪いので、少しお開けくださいませ。まことにうっとうしい」と申し上げなさるが、
「とてもよく聞こえましょう」と言って、お開けにならない。

「今はもう心が変わったのを、挨拶なしでは、と思って言うのであろうか。何の、今初めてお会いするのでもないし、不愛想に黙っていないで、夜を更かすまい」などと思って、そのもとまでお出になったが、障子の間からお袖を捉えて引き寄せて、ひどく恨むので、

「ほんとに嫌なことだわ。どうして言うことを聞いたのだろう」と、悔やまれ厄介だが、

「なだめすかして向こうへ行かせよう」とお考えになって、自分同様にお思い下さるように、それとなくお話なさる心配りなど、まことにいじらしい。
 宮は、教え申し上げたとおり、先夜の戸口に近寄って、扇を鳴らしなさると、弁が参ってお導き申し上げる。これまで何度も物馴れした道案内よ、面白いとお思いになりながらお入りになったのを、姫宮はご存知なく、

「言いなだめて入れよう」とお思いになっていた。
 おかしくもお気の毒にも思われて、内々にまったく知らなかったことを恨まれるのも、弁解の余地のない気がするにちがいないので、
「宮が後をついていらっしゃったので、お断りするのもできず、ここにいらっしゃいました。音も立てずに、こっそりお入りになりました。このこざかしい女房が、頼み込まれ申したのでしょう。中途半端で物笑いにもなってしまいそうだな」とおっしゃるので、今一段と意外な話で、目も眩むばかり嫌な気になって、
「このように、万事変なことを企みなさるお方とも知らず、何ともいいようのない思慮の浅さをお見せ申してしまった至らなさから、馬鹿にしていらっしゃるのですね」と、何とも言いようもなく後悔していらっしゃった。

 

《弁は大君に、薫が中の宮のところに忍ぼうとしているというふうに伝えたようです。

 大君はやっと自分の思いどおりになったと安心して、部屋の自分の側の障子を固く閉ざして(ということは、中の宮の側への入り口は、そうではない、ということのようです)、それ越しに薫に会うことにしました。自分への思いを諦めて中の宮に思いを移すので、その挨拶に来たのだと思ったのです。

 せっかく思いを変えてくれたのだから、早くその挨拶を切り上げて、薫を中の宮のところに行かせた方がいい、「夜を更かすまい」と思って、大君は襖障子の際まで出て話をしようとしました。

薫は「障子の間からお袖を捉えて引き寄せ」た、と言うのですが、「しっかりと施錠して(原文・いとよくさして)」あったはずで、変です。『評釈』が古注をいろいろ挙げますが、どうもよく分かりません。

大君は、なんとか「なだめすかして向こうへ行かせよう」として、妹を大事に思ってくれるように薫に頼むのですが、その妹思いの様子が、またさらに薫の心を捉えます。

 一方、大君の関心が薫に強く向かっている間に、匂宮は薫に教えられていたとおりに中の宮に近づきます。

 そんなこととはご存じない大君は、話を済ませて薫をそちらに行かせようとしておられます。「姫宮は、自分がいっさいをうごかしているつもりだ。…一所懸命、努力中である。薫は、かわいそうになった。…(後で仔細が分かって恨まれるのはまずい、)もう既成事実になった時刻だ。告白しよう。」(『評釈』)と、実は今日は匂宮に頼まれて断り切れずにお連れしたのだが、どうやら宮が弁をうまく口説かれて中の宮のところにお入れしたようだと、弁のせいにして、大君に事情を話して聞かせました。

 そして、私はあなたにも嫌われ、中の宮も横取りされて、「中途半端で物笑いに」なりそうだと、嘆いて見せるのですが、大君の驚きは、ひととおりではありません。》

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第二段 彼岸の果ての日、薫、匂宮を宇治に伴う

【現代語訳】

 二十六日が彼岸の終わりの日で吉日だったので、人に気付かれないように気を配って、たいそう忍んでお連れ申し上げる。

后宮などがお聞きあそばしては、このようなお忍び歩きを厳しくお禁じ申し上げなさるのでまことに厄介であるが、たってのお望みのことなので、目立たないようにお世話するのも、大変なことである。
 舟で渡ったりするのも大げさなので、仰々しいお宿などもお借りなさらず、その辺りのすぐ近くの御庄の人の家に、たいそうこっそりと宮をお下ろし申し上げなさって、いらっしゃた。見とがめ申すような人もいないが、宿直人は形ばかり出て歩いていて、それにも様子を知られまいというのであろう。いつものように、中納言殿がおいでだと準備する。

姫君たちは何となくわずらわしくお聞きになるが、

「心を変えていただくように言っておいたから」と、姫宮はお思いになる。中の宮は、

「思う相手は私ではないようだから、いくら何でも」と思いながら、嫌な事があってから後は、今までのように姉宮をお信じ申し上げなさらず、用心していらっしゃる。
 何やかやと人を通してのご挨拶ばかりを差し上げなさって、どのようになることかと、女房たちも気の毒がっている。
 宮に、お馬で闇に紛れてお出ましいただいて、弁を召し出して、
「こちらにただ一言申し上げねばならないことがありますので、お嫌いになった様子を拝見してしまって、まことに恥ずかしいが、いつまでも引き籠もっていられそうにないので、もう暫く夜が更けてから、以前のように手引きして下さいませんか」などと、率直にお頼みになると、

「どちらであっても同じことだから」などと思って参上した。

 

《薫は匂宮の頼みを受けて、そしてもちろん自分も大君に会うために、宮を伴って宇治に出かけました。「二十六日」は、二十八日、二十二日と諸本いろいろだそうです。これ自体は大したことではありませんが、気になることがあります。

薫の前の訪れは、一周忌(八月二十日ごろ)が終わってすぐ、、九月になる前にということで来たのでした(椎本の巻第二章第一段)が、そのあとに今回のことが入るとなると、ちょっとタイトな日程で、ここで「二十二日」説は無理だと思えます。それにしても、匂宮の頼みは「近々のうちに」(前段)という割合アバウトな話だったのですが、薫はただちに着手したようです。やはり彼自身の来たい気持ちが強かったのでしょう。

さて、皇子をこのように連れ出すのは、なかなか大変のようです。母・后の宮(明石中宮)の目が厳しく、「実際面にうとい皇子は、相談相手にもならない。薫一人思案をめぐらし、事を運ぶ」(『評釈』)ことになります。

何とか無事に宇治に着くと、宮を「荘園の番屋にひそませて」(同)、まず薫だけ邸に出かけました。特に警備するような者はいませんが、宿直人が一応の見回りをします。そういう者にも気づかれまいとの配慮です。

その宿直人が薫の訪問を中に知らせると、姫たちは一瞬体を固くする感じですが、大君は、この前に「うつろふかたや深きなるらむ」と中の宮に心を移すように言っておいた(第二章第八段)のだから、と自分に言い聞かせ、中の宮は自分がお目当てではないのだからと思いながら用心して、ともかくも迎えることにします。

こうして「ここの人々の注意を自分にひきつけておくことは、宮の邸内への侵入をたやすくすることにもなる」(同)のです。誰かに宮を呼びに行かせたということなのでしょう、来られた後は、弁に意図の委細を話して、よろしく、となりました。弁は、中の宮が匂宮と結ばれてくれれば、必ずしも大君と薫でなくても、同じことだと考えることにして承諾し、大君のところに行きます。大君のガードを少し緩めておかなくては、宮を忍ばせることができません。》

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第一段 薫、匂宮を訪問~その2

【現代語訳】2

明け方の薄暗いころ、折悪しく霧がたちこめて、空の感じも冷え冷えとしているが、月は霧に隔てられて、木の下も暗く優美な感じである。山里のしみじみとした様子をお思い出しになったのであろうか、
「近々のうちに、必ず置いておきなさるな」とお頼みなさるのを、相変わらず迷惑そうにするので、
「 女郎花咲けるおほ野をふせぎつつ心せばくやしめを結ふらむ

(女郎花が咲いている大野に人を入れまいと心狭く縄をお張りになるのか)」
と冗談をおっしゃる。
「 霧ふかきあしたの原の女郎花心を寄せて見る人ぞ見る

(霧の深い朝の原の女郎花は、深い心を寄せて知る人だけが見るのです)
 並の人には」などと、悔しがらせなさると、「あな、かしがまし(花の盛りは一時だよ)」と、ついにはご立腹なさった。
「長年このようにおっしゃるけれども、どのような方かと気がかりに思っていたが、器量などもがっかりなさることもないと思われるし、気立てが思ったほどでないかも知れないなどとずっと心配に思っていたが、何事も失望させるようなところはおありでないようだ」と思うと、あのおいたわしくも胸の中にお計らいになった様子に背くようなのも思いやりがないようだが、そうかといってそのようにまた考えを改めがたく思われるので、お譲り申し上げて、

「どちらの恨みも負うまい」などと、心の底に思っている考えをご存知なくて、心狭いとおとりになるのも面白いけれど、
「いつものように軽々しいご気性で、物思いをさせるのは気の毒なことでしょう」などと、親代わりになって申し上げなさる。
「まあよい、見ていなさい。これほど心惹かれることはまだないことだ」などと、実に真面目におっしゃるので、
「あのお二方の心には、それならと承知したような様子には見えませんでした。お仕えしにくい宮仕えでございます」と言って、お出ましになる時の注意などをこまごまと申し上げなさる。

 

《冒頭は、朝霧が立ち込めて、冷え冷えとしているのは「折悪しく」だが、その霧のおかげで月が隠されて庭の木陰が暗くものわびしく、美しい姫たちのいる宇治の山里の気配が感じられて、その地に心を寄せている二人にとっては「優美な感じである(なまめきたり)」ということでしょうか。

そういうあたりの様子に、匂宮は宇治の光景をまざまざと思い出し、関心を掻き立てられて、近いうちに行くことがあるなら、ぜひ同行したいと言うのですが、薫は例によって話だけはするものの、実際に案内するのは迷惑そうなそぶりです。

 薫が宮に初めて宇治の姫たちの話をしてからする、もう二年が経ちますが、その間、もともとから、話して宮をじらして面白がるというところがあって(橋姫の巻第三章第九段)、ここもそうなのですが、実はさらにちょっとした意図があるのです。宮は、あなた一人占めというのはずるいではないかと詠みかけ、薫は、いや、人を選ばなければ、とじらします。

そんなふうに戯れながら、胸の内では、この目で見た中の宮が、案じたようではなくなかなか素晴らしい人で、匂宮もきっと気に入るだろうと思い、一方でしかし大君があの人を自分にと思ってあの企てをされたことを思えば申し訳ないような気もするし、といって自分には気持ちを改めて、中の宮に心を移す気は全くないのだから、宮と中の宮がうまくいってくれれば「(大君と宮の)どちらの恨みも負うまい」と、方針を定めます。

そこで「いつものように軽々しいご気性で」と、さらにじらしを入れておいて、首尾よくやってくれるように、その時のための注意事項を入念に確認します。》

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第一段 薫、匂宮を訪問

【現代語訳】1

 三条宮邸が焼けてしまった後は六条院に移っていらっしゃったので、近くていつも参上なさる。宮も、お望みどおりの思いでいらっしゃるのであった。

雑事にかまけることもなく理想的なお住まいで、お庭先の前栽が、他の所のとは違って同じ花の恰好も木や草の枝ぶりも格別に思われて、遣水に澄んで映る月の光までが絵に描いたような折に、予想どおりに起きておいでになった。
 風に乗って吹いてくる匂いがたいそうはっきをりと薫っているので、すぐにその人と気がついて、お直衣をお召しになり、きちんとした姿に整えてお出ましになる。
 階を昇り終えず、跪いていらっしゃると、

「どうぞ、上に」などともおっしゃらず、高欄に寄りかかりなさって、世間話をおかわしになる。あの辺りのことも、何かの機会にはお思い出しになって、

「いろいろとお恨みになるのも困ったことだ。自分自身の思いさえかないがたいのに」と思いながら、

「そうなってくれればいい」と思うようなことがあるので、いつもよりは真面目に、打つべき手などを申し上げなさる。
 

《薫は母・女三宮と三条邸にいたのでしたが、そこが焼失して(たいへんな出来事だと思うのですが、物語ではほとんど問題にされませんでした・椎本の巻第五章第五段)以来、六条院に移っていました。

「近くて」は、匂宮のいるところを言うのですが、彼は紫の上ゆかりの二条院にいるはず(匂表部卿の巻頭)で、それなら三条邸からの方が近いでしょうから、変な書き方です。『集成』は「六条院にも曹司がある趣」と言い、、『評釈』もそう言いながら「作者の誤りであろう」と言います。同じ家にいて「近くて」もかなり変ですが、仕方ありませんので、以下は六条院での話ということにしておきます。

さて、匂宮はそこで優雅で何の拘束もない悠々の生活をしています。薫がしばしば訪ねてくるのも大歓迎で、今日もまた薫のトレードマークである香りが「たいそうはっきをりと薫って」来ました。時刻は「夜をお明かしになって、まだ有明の空も風情あるころ」(前段)ですが、彼は月を愛でてでしょうか、眠らないで起きていたようです。

宮は、さすがに夜着だったのでしょう、「お直衣をお召しになり、きちんとした姿」で迎えます。薫は、敬意を表して、階を上がりきらずに控えての挨拶で、親しき中にも礼儀正しく向き合います。

しかし、向き合ってしまえば、気心の知れた若者同士の仲睦まじい語らいです。

宮は座敷に呼ぶのではなく、自分から部屋を簀子に出て行って、高欄に寄りかかり、「二人とも月を賞でる体」(『集成』)です。「遣水に澄んで映る月の光までが絵に描いたような折」の貴公子二人の、それこそ絵にかいたような、美しい光景です。

話は当然宇治の姫たちのことに向かいますが、いささか思惑のある薫は、その方向に話を進めました。》

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