源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 大君の物語(一)

第七段 大君、妹の中の君を薫にと思う~その2

【現代語訳】2

いつもと違って女房がささやいている様子が変だと、この宮はお思いになりながら寝ていらっしゃったが、こうしていらっしゃったので嬉しくて、御衣を引き掛けて差し上げなさると、御移り香が隠れようもなく薫ってくるようなので、宿直人がもてあましていたことが思い合わされて、

「ほんとうなのだろう」とお気の毒に思って、眠っているようにして何もおっしゃらない。

客人は、弁のおもとを呼び出しになってこまごまと頼みこんで、ご挨拶をしかつめらしく申し上げおいて、お帰りになった。

「総角の歌を戯れの冗談にとりなしておいたけれども、承知の上で、『尋ばかり』の隔てはあったにしても、会ったことになったと、この君もお思いだろう」と、ひどく恥ずかしいので、気分が悪いといって、一日中横になっていらっしゃった。女房たちは、
「法事までの日数が少なくなりました。しっかりと、ちょっとしたことでも、他にお世話いたす人もいないのに、あいにくのご病気ですこと」と申し上げる。

中の宮は、組紐など作り終えなさって、
「心葉などを、どうしてよいか分かりません」と、たっておせがみ申し上げなさるので、暗くなったのに紛れてお起きになって、一緒に結んだりなどなさる。

中納言殿からお手紙があるが、
「今朝からとても気分が悪くて」と言って、人を介してお返事申し上げなさる。
「いかにも見苦しく、子供っぽくいらっしゃいます」と、女房たちはぶつぶつ申し上げる。

 

《大君は中の君の脇に寄り添って臥しました。

この君は、女房たちが何か小声で話していたことで姉のことが案じられていたのですが、ともかくも自分の傍に帰ってきてくれたことで嬉しくて、慣れない家長の勤めをけなげに果たした姉にそっと衣を掛けるのですが、その姉の衣に染みたあの薫の香りに気が付いて、日ごろの姉の思いを知るだけに、改めて胸の痛む思いがして、彼女は「眠っているようにして(原文・寝ぬるやうにて)、何もおっしゃらない」のでした。

もっともさっき「御衣を引き掛けて差し上げ」たばかりなのですから、ちょっと無理な演出だと思われますが、寝ぼけ眼で衣を掛けて、すぐまた眠ってしまったという格好にしたのだとでも思うことにしましょう。

一方で外の部屋の薫は、眠れないままにということでしょうか、弁の君を呼んで改まった辞去の挨拶を伝えて、やっと帰ることにします。女房たちは弁から「しかつめらしい挨拶があっただけ」と聞いて、希望していたようにはならなかったこと悟って、「がっかり」(『評釈』)です。

大君は、この中の君もきっと事があったと思っているだろうと思うと、大君はいたたまれない気持ちで、朝になっても起きてきません。

と、ここまで来て、やっと法要は近づいていたことが思い出されますが、それにつけても、女房たちは、「あいにくのご病気ですこと」と、皮肉たっぷりです。

中の君が何とかとりもとうと、また姉にしばらくそのことを忘れさせるために、その法要の準備に姉の心を向けようと努めます。懸命に馴れない家長役を果たそうとしている姉姫と、詳しいことは分からないままにそういう姉をいたわる妹姫と、いかにも仲のいい姉妹の風情です。

そこに薫からの手紙が届きますが、大君はそれも「人を介して」(これまでは中の君が返事の担当だったのですが、ここは「人」とありますから女房でしょうか)の返事で、女房たちの不満は募るばかりです。

なお、書き落としてきましたが、中の君は、父・八の宮がなくなって以後(椎本の巻第三章以後)、本文では「中の宮」と呼ばれてきました。ちょっとずれましたが、ここでも次から「中の宮」とすることにします。》

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第七段 大君、妹の中の君を薫にと思う~その1

【現代語訳】1

 姫宮は女房がどう思っているだろうかと気が引けるので、すぐには横におなりになれず、

「頼みにする親もないまっまに世の中を生きてゆく身の上がつらいのに、仕えている女房たちまで、つまらない縁談の事を何やかやと、次々に並べて言い出すようなので、望みもしない結婚をすることになってしまいそうだ」と思案なさる一方で、
「この人のご様子や態度がいやらしいところはなさそうだし、故宮もそのような気持ちがあるならばと、時々おっしゃりお考えのようだったが、私自身はやはりこのままで過ごそう。自分よりは容姿も容貌も盛りで惜しい感じの中の宮を、人並みに結婚させたら、それこそどんなに嬉しいだろう。人の上のことについてなら、心の及ぶ限り後見しよう。自分の身の世話は、他に誰が見てくれようか。
 この人のお振舞がありふれていい加減であるならば、このように親しんできた年月のせいで気を緩める気持ちもありそうなのだが、立派すぎて近づきがたい感じなのも、かえってひどく気後れするので、自分の人生はこのままで最後まで過ごそう」と思い続けて、つい声を立てて泣き泣き夜を明かしなさったが、そのため気分がとても悪いので、中の宮が臥していらっしゃった奥の方に添ってお臥せりになる。
 

《部屋の外で薫が焦点の定まらない思いにぼんやりしているころ、中の大君は自分の行く末を懸命に思い定めようとしていました。

さて、ここが、大君をどう考えるのかという点で、大きなポイントとなる場面です。

 彼女は薫を「ご様子や態度が疎ましくはなさそうだ」と思い、故宮も反対ではなかったのに、どうして薫の気持ちを受け入れられないのか、それについて自分の言葉で二つのことを挙げています。

 一つは、「(薫が)立派すぎて近づきがたい感じ(原文・はづかしげに見えにくきけしき)」であること、もう一つは「自分の身の世話は、他に誰が見てくれようか(原文・みづからの上のもてなしは、また誰かは見あつかはむ)」、つまり自分には後見してくれる人ないこと、だと言っています。

 そして、そう考えた結果、自分ではなく妹の中の君を薫に嫁がせようと考えます。「容姿も容貌も(自分よりも)盛りで惜しい感じ」だし、そうすれば自分がいるから後見の問題もない…。そうして「自分の人生はこのままで(独身で)最後まで過ごそう」、…。

しかし、そう考えながらそのあと彼女は「つい声を立てて泣き泣き夜を明かしなさった」のでした。

彼女としては、この結論は、本当は不本意だったのです。それは、薫に傾く心があったことはもちろんで、だからこそ昨夜も一方で嫌だという思いがありながら、「すげないお扱いもしにくくて、お相手をなさ」った(第四段)のですし、薫に髪を掻きやられ顔を見られることさえ許したのでしょう。

それでもなお薫の気持ちを受け入れられない理由は、ここまで直接語られることのなかったもう一つのことがあるようです。

それは、彼女には「現世否定的な考え方が根本に潜んでおり、その心理には仏教の教理の著しい浸透がみられる」(『構想と鑑賞』)という点です。

それについては、弁の君が薫に「どのようにでもあれ、世間並みにどうこうなどと、お考えになっていらっしゃるご様子ではございません」と語っている(第三段2節)」ことからも窺えますし、「故人(父宮)も(結婚などの話について)一向に何一つ、こういう場合にはああいう場合にはなどと、将来の心構えの中でも言い置かれることもなかった」という(第二段)父宮の意志を抵抗なく受け入れて、言われたままに守ろうとする気持ちがあることが、その傍証となるでしょう。

敬愛する父の悲運を長い間間近に見続けてきた娘として、その心の底に現世否定の(というか、現世の在り方に怖れを抱くという)心情が育ってしまうことは、自然な成り行きの一つであると思われます。読者はここまで、故宮の長女としての生き方を通して、なんとなくそういう感じを受けながら読んできたのではないでしょうか。

例えば『狭き門』(ジイド)のアリサのような生き方が、彼女に感じられるように思います。もちろん、アリサが西欧人らしく意志的に宗教的生活に積極的意味を見出すべきだと考えていたのに対して、大君は自然とそういう感性を育ててしまっている、という点では対照的とも言えるのですが、その純真さと現世否定の気持ちにおいて共通し、大君の方は受容的たおやかさの点での魅力を増しているように見えます。

薫においては生い立ちのコンプレックスが道心を導いたのに対して、大君においては現世恐怖の心が自己犠牲を導き、身の上のコンプレックス(田舎者であり後見もなく美しくないという思い込み)に意味を与えるものとなって自ら自分の将来を閉ざした、というようなことでしょうか。それが彼女にとって自覚的なものではないので、自分の出した結論に泣くしかなかったのだというふうに考えたいと思います。》

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第六段 実事なく朝を迎える~その2

【現代語訳】2
「事あり顔に朝露を分けて帰ることはできません。また人はどのように推し量り申しましょうか。いつものように穏やかにお振る舞いになって、ただ世間一般と違ったお付き合いとして、今から後も、ただこのようにしてください。まったく心配なさるような心はないとお思いください。これほど一途に思い詰める心のうちを、いじらしいとお分かりくださらないのは効ないことです」と言って、お帰りなるような様子もない。あきれて、見苦しいことと思って、
「今から後は、それならば、仰せの通りにいたしましょう。今朝は、またお願い申し上げていることを聞いて下さいませ」と言って、ほんとうに困ったとお思いなので、
「なんとつらいことか。暁の別れとは、まだ経験のないことなので、本当に迷ってしまいそうだ」と嘆きがちである。鶏も、どこのであろうか、かすかに鳴き声がするので、京が自然と思い出される。
「 山里のあはれ知らるる声々にとりあつめたるあさぼらけかな

(山里の情趣が身に染みるものの音に、あれこれと思いがひとしおの夜明けです)」
 女君、
「 鳥の音も聞こえぬ山と思ひしを世の憂きことはたずね来にけり

(鳥の声も聞こえない山里と思っていましたが、人の世の辛さは後を追って来るもの

なのですね)」
 障子口までお送り申し上げなさって、昨夜入った戸口から出て、お臥せりになったが、眠ることはできない。「名残恋しく(夜もすがら身近に触れたあの人の袖が恋しく)」て、

「ほんとにこのようにせつなく思うのだったら、幾月も今までのんびりと構えていられなかったろうに」などと、帰ることを億劫に思われなさる。

 

《大君の願いにもかかわらず、薫は帰ろうとしません。「あきれて、見苦しいこと(原文・あさましく、かたはならむ)」を『評釈』は「ずいぶん強い言葉である」と言います。『辞典』は「あさまし」を「見下げる意の動詞アサミの形容詞形」と言います。薫に対しての言葉では、以下の話が進まなくなりますから、ここは自分も含めて今の二人のありよう全体を言ったものなのでしょう。

 大君は「今から後は…」と、ほとんど意味にならない言葉で哀願します。

 さすがにそう言われれば薫も立たざるを得ません。

 と、そこにあっけらかんとした鶏の声がして、日常に引き戻されました。源氏が夕顔とともに朝を迎えた時の唐臼の音を思い出します(夕霧の巻第四章第二段2節)が、あの時の源氏は旅情のようなものを感じたのですが、まじめな薫は、京に帰らねばならないと我に返る思いです。

 型どおりに後朝の歌を詠みますが、しかし応じた大君の歌は思いの籠った切ないものでした。

 薫は、部屋を出て、自分の座で横になります。「ほんとにこのように…」は、ちょっと真意の分かりにくい言い方です。反実仮想表現で、実際は、こんな思いではなかったのでのんびりと過ごしてきた、というのですが、よくもまあ、そんなふうに過ごしてこられたものだ、と、打って変わって募ってきた自分の思いの変化に驚いているというところでしょうか。

なお、『集成』のこの巻頭の梗概に「九月、薫は、ついに大君の部屋に忍び入った」とあるのは、この時のことでしょうが、八月の誤りかと思われます。》

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第六段 実事なく朝を迎える~その1

【現代語訳】1

 いつのまにか夜明け方になってしまったのだった。お供の人びとが起きて合図をし、馬どもが嘶く声も、旅の宿の様子など供人が話していたのをご想像されて、おもしろくお思いになる。光が射し込む方の障子を押し開けなさって、空のしみじみとした様子を一緒に御覧になる。女も少しいざり出でなさったが、奥行きのない軒の近さなので、忍草の露もだんだんときらめくのが見えて行く。お互いにたいそう優美な姿やお顔立ちで、
「何というのではなくて、ただこのように月や花を、同じような気持ちで愛で、無常の世の有様を話し合って、過ごしたいものですね」と、たいそう優しい感じでお語らい申されると、だんだんと恐ろしさも慰められて、
「このように面と向かってのきまりの悪い恰好でなく、物の隔てなどしてお応え申し上げるならば、ほんとうに心の隔てはまったくないのですが」とお答えなさる。
 明るくなってゆき、群鳥が飛び立ち交う。羽風が近くに聞こえる。まだ暗いうちの朝の鐘の音がかすかに響く。

「せめて今のうちに。とても見苦しいですから」と、とても無性に恥ずかしそうにお思いになっていた。

 

《「いつのまにか」とは、結局何もないままに、という意味です。『人物論』所収・「大君―結婚拒否の意味するもの」によれば、それを「女の身には耐えがたい侮辱」とする見方もあるようで、なるほど一般には女性はそんなふうに思うものなのかと思わず我が来し方を振り返ってみる思いですが、それはそれとして、少なくともここでは大君はそうは思っていない、というふうに、作者は語っています。

薫もそうですが、大君も「一般」(類型)ではないのであって、にも拘らず、その人物に魅力が感じられる(少なくとも当時の多くの人が魅力を感じた)という点に、そういう人物(典型)を創出した作者の手柄があるわけです。。

 薫の気持ちは、何やら晴れ晴れとしているようで、表で旅立ちの準備をしている人や馬の声々(彼にとっては人も馬も同じなのでしょう)に旅情を楽しんでいるようです。

 そして薫が夜明けの空を眺めているところに、大君もいざって出てきて、お互いに「たいそう優美な」顔を見合わせながら、親しい語らいで、情景としては源氏が須磨流謫の折の紫の上との後朝(須磨の巻第一章第九段)を思わせますが、あの時のような悲痛感がなく、美しく清純な後朝です(その分、人工的で非日常的な感じでもありますが)。

 「何というのではなくて、…」という薫の言葉は、昨日の昼、弁の君に語ったことでもありますが(第一章第三段3節)、これこそ薫、という言葉です。ここに言う道心につながることがらが彼の意識にとっては最も関心のあることで、大君に対する恋心とともに、これもまた彼にとっての真実の気持ちなのです。それを言う様子が「たいそう優しい感じ」であったと好意的に書かれてあることは、その証と言ってもいいでしょう。

それはまた、大君も同じような思いだったのでしょうか、昨夜は「何もかも悲しくて、水の音に涙の流れ添う心地」(前段末)だったのですが、こうして何事もないままに静かな対話ができたとあって、「だんだんと恐ろしさも慰められて」来たのでした。

しかしそうかといって、大君は、朝、薫が自分の部屋から出ていくのを人に見られるのはたまりませんから、「せめて今のうちに」と薫を促します。》

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第五段 薫、大君をかき口説く~その2

【現代語訳】2

「まことにこのようにまでお嫌いになるのも訳があるのかと気が引けまして、お話の申し上げようもありません。喪服の色を理由になさるのも、もっともなことですが、長年お親しみくださった私の気持ちに免じて下さるなら、そのような忌みを憚らねばならないような、今始まったような事のようにお思いになってよいものでしょうか。なさらずもがなのご分別です」と言って、あの琴の音を聴いた有明の月の光をはじめとして、季節折々の思う心の堪えがたくなってゆく有様を、めんめんとお話し申し上げなさるので、

「恥ずかしいことだったのだわ」と疎ましく思って、

「このような気持ちでありながら何喰わぬ顔で真面目顔していらっしゃったのだわ」と、お聞きになることが多い。
 女君は傍らにある低い几帳を、仏の方に立てて隔てとして、ちょっとお休みになる。

名香がたいそう香ばしく匂って、樒がとても強く香っている様子につけても、人よりは格別に仏を信仰申し上げていらっしゃるお心なので、気が咎めて、

「服喪中の今、折もあろうに堪え性もないようで、軽率にも、最初の気持ちと違ってしまいそうなので、このような喪が明けたころに、姫君のお気持ちも、そうはいっても少しはお緩みになるだろう」などと、つとめて気長に思いなしなさる。
 秋の夜の様子は、このような場所でなくてさえ、自然としみじみとしたことが多いのに、まして峰の嵐も籬の虫の音も、ただもうすべてが心細そうに聞こえてくる。無常の世のお話に、時々お返事なさる様子は、実に見ごたえのある点が多く好ましい感じである。

眠そうにしていた女房たちは、「こういうことだったのだわ」と、様子を察して皆下がってしまった。
 父宮がご遺言なさったことなどをお思い出しなさると、

「なるほど、生き永らえると、思いの外にこのようなとんでもない目に遭うものだわ」と、何もかも悲しくて、水の音に涙の流れ添う心地がなさる。

 

《機嫌を損ねてしまったように見える大君の言葉に、薫はなおも一生懸命に口説きます。

 彼が宇治に来るようになったのは四年前、その二年後に「あの琴の音を聴いた有明の月の光」の中で垣間見て(橋姫の巻第三章第三段)以来の思いを「めんめんとお話し申し上げなさ」ったのでした。

 ところが、大君はかえって、そんなふうに見られていたとは「『恥ずかしいことだったのだわ』と疎ましく思って」しまいました。彼女にとって薫は、普段訪れる人のない父のもとに、その父を慕ってやってきてくれる、道心篤い人であって、こういう色恋の相手として考えたことがなかったのでした。いや、本当はうすうす思わないでもなかった(第一章第二段)のですが、あくまでも父の大切な、親切な知人と考えて来ていたつもりだったのでしょう。

 その薫が、こうして間近に部屋に入り込んでのこの口説きで、彼が全く違う人に見えたのです。

 彼女は話を打ち切ろうとして、でしょうか、「ちょっとお休みにな」ります。と、ここは『谷崎』の解釈ですが、一般には「薫はかたちばかり姫君に添い臥しなさった」(『集成』)と解することが多いようで、『光る』もそう解しています。

 この時の大君の心情を考えると、どうも不自然な気がしますが、先に「御髪がこぼれかかっているのを、掻きやりながら(大君の顔を)御覧になる」とあったことから思えば、それもありうることとも思います。

 また、『評釈』は「一時物に寄りかかって横になっていらっしゃる」と、薫とも、大君ともとれる訳をしています

一方で、「添ひ臥す」については、篝火の巻第二段以来、確か三度目の話ですが、ウエブサイト「源氏物語探求教室 第二章・名場面を考察する」が「一緒に横になっている」というのではなくて、「多くの遮蔽物の向こうにいるはずの『被写体』が、人の視線にさらされた時使用される動詞である」という説を挙げていて、詳細が知りたく思われますが、今、このサイトはなくなってしまったようです。

ここではいちおう、二人が気まずくなって別々に黙ってしまったのだと考えおくことにします。そしてそういう二人を、名香と樒(しきみ・木の名前で、仏壇に供える水にその葉を散らしておくのだそうです)の香りが包み(この時、薫の香りのことが語られないのは、どうしてなのでしょう)、しばらく沈黙の時間が流れます。

道心篤い薫は、その香りに自分の振る舞いに「気が咎めて」、「このような喪が明けたころに」と思い直し、「無常の世のお話」に話題を変えました。先頃、「日本人は、新しいことのできない理由はいくつでも見つけてくる」というような言葉がちょっと喧伝されましたが、その感を免れないという気がします。温厚篤実、臆病とも言えますが、作者はおそらく好意的に描いているのだと思います。

そしてともかく、それには大君もポツリポツリと返事をします。

隣室にいて「眠たそうにしていた」、つまり「こっそりと人をお呼びになるが、目を覚まさな」かった(第四段)女房たちは、途中、大君が機嫌を損ねたことなど知る由もなく、二人がむつまじく話し合っているのだと思ったのでしょう、自分たちの願いがかなったと安心して、奥へ下がってしまいました。

大君は、「父の遺言」(椎本の巻第二章第四段)を思い返し、ますます心細いわが身や頼りにならない侍女たちを嘆き、遠く聞こえる宇治川の水音に、「ああ、あの瀬音は、わが涙川の音、と、流れと声を合わせて泣く思い」(『評釈』)でいるのでした。》

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