源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻四十七 総角

第七段 匂宮、薫、宇治から帰京~その2

【現代語訳】2

 このように滞在が長くおなりになって人が多かった名残がなくなってしまうことを悲しむ女房たちは、大変なことのあった時の当面の悲しかった騷ぎよりも、ひっそりとして、ひどく悲しく思われる。
「時々、折節に、風流な感じにお話し交わしなさった年月よりも、こうしてのんびりと過ごしていらっしゃったこの日頃のご様子が、やさしく情け深くて、風流事にも実際面にもよく行き届いたお人柄を、今はもう拝見できなくなったこと」と、一同涙に暮れていた。
 あの宮からは、
「やはり、このように参ることがとても難しいのに困って、近くにお迎え申し上げることを考え始めました」と申し上げなさった。

后の宮がお耳にあそばして、
「中納言もこのように並々ならず悲しみに茫然としているそうだが、それは、なるほど、普通の扱いはできない方と、どなたもお思いなのではあろう」と、お気の毒になって、

「二条院の西の対に迎えなさって、時々お通いになるように」と、内々に申し上げなさったところ、

女一の宮の御方の女房にとお考えになっているのではないか」とお疑いになりながらも、会えないことがなくなるだろうことが嬉しくて、おっしゃって来られたのであった。
「そういうことになったらしい」と、中納言もお聞きになって、
「三条宮邸も完成して、お迎え申し上げることを考えていたが。あのお方の代わりだと思ってお世話すべきだった」などと、昔のことを思って心細い。宮がお疑いになっていたらしいことについては、まことに似つかわしくないことと思い離れていて、

「一般的なご後見は、自分以外に誰ができようか」と、お思いになっていたとか。

 

《二人の貴公子が相次いで帰京してしまって、後に残された宇治では、一時の賑わいが潮の引くように掻き消えて、すっかり寂しくなり、「一同涙に暮れて」います。

「時々、折々に…」の感慨は、大君がいたころは、薫の身の回りは大君が間に入って取り仕切りますが、大君亡きあとは、女房たちが直接薫に接する機会が増えたでしょうから、大君には悪いのですが、女房たちにとっては、その後の方が素晴らしい期間だった、ということなのでしょう。

 そこに突然、匂宮から、中の宮を都の呼び寄せることを考えている、という知らせが入りました。

「后の宮がお耳に…」以下は、そういうことになったいきさつの説明で、中宮がそうすることを勧めたのでした。薫が打ち沈んでいることで、中宮が、宇治の姫たちの素晴らしさを察したことによるアドバイスだったというのは、面白い展開です。

 匂宮は、「女一の宮の御方の女房に」取られてしまって、自由に会えなくなるのではないかと「お疑いになりながらも」、一方で、中の宮を薫に取られるのではないかと案じていた(前段)こともありますから、もちろん話はすんなり進みます。

さて、こうして中の宮がしっかりと匂宮のものになってしまうと、薫は、大君への思いを引きずっていて中の宮に目がいかなかったことを悔いる思いです。いや、それでも後見役だけは譲れないと、改めて思い直す薫です。

「総角」という巻の名は、冒頭近くの歌(第一章第二段)によりますが、そこでは、薫から、総角結びのように結ばれたい、と詠み掛けられた大君が拒絶する返歌をしていて、『光る』に「『総角』という題はずいぶんアイロニカル」だとされたのでしたが、この巻の終わりに至り、大きな悲劇は、大君の悲しい死はあったもの、どうも一件落着、大団円の趣です。『評釈』は「あげまきの糸は結ぼほれ、四人の運命が交錯し、今ようやく落ち着くところに来たらしい」と楽観的に言います。》

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第七段 匂宮、薫、宇治から帰京~その1

【現代語訳】1

中納言が主人方に住みついて人びとを気軽に召し使い、まわりも大勢して食事を差し上げたりなさるのを、感慨深くもおもしろくも御覧になる。たいそうひどく痩せ青ざめて茫然と物思いしているので、気の毒にと御覧になって心をこめてお見舞い申し上げなさる。
「生前のことなど言っても始まらないことだが、この宮だけには申し上げよう」と思うが、口に出すにつけても、まことに意気地がなく、愚かしく見られ申すのに気が引けて、言葉少なである。声を上げて泣いて日数が過ぎたので顔が変わったのも見苦しくはなく、ますます美しく艶やかなのを、

「女であったら、きっと心移りがしよう」と、自分の好くない性分をお気づきになると、何となく不安になったので、

「何とか世間の非難や恨みを取り除いて、京に引越させよう」とお考えになる。
 このように打ち解けないけれども、帝にもお耳にあそばしてまことに具合の悪いことになるにちがいないとお気になさって、今日はお帰りあそばした。

並々ならずお言葉を尽くしになるが、相手にされないとはつらいものだと、それだけを知っていただきたくて、ついに気をお許しにならなかった。

 年の暮方では、こんな山里でなくても、空の模様がいつもとちがうのに、荒れない日はなく降り積む雪に、物思いに沈みながら日をお送りになる気持ちは、尽きせず夢のようである。宮からも御誦経などをうるさいまでにお見舞い申し上げなさる。

こうしてばかりいて、新年まで嘆き過すことはできない。あちらこちらからも、音沙汰もないまま籠もっていらっしゃることを申し上げられるので、もはやと思ってお帰りになる気持ちも、何にもたとえようがない。

 

《匂宮は、中の宮が気を許してくれないことには恨めしい思いを抱きながら、一方で、薫がこの邸にすっかりなじんで、主人顔をして取り仕切っている様子を、「感慨深くもおもしろくも御覧に」なります。「食事を差し上げたりなさる」は、薫が中の宮や匂宮に、ということでしょうか。

薫から彼の大君への思いを聞いたことは細かくは語られていませんが、これまでに幾度か宇治の話をしているのですから、当然宮はその多くを察しているのでしょう。「人びとを気軽に召し使」っている薫も、よくみると「たいそうひどく痩せ青ざめて(折々)茫然と物思いしている」ので、同情の気持ちも湧いてきます。

薫の方も宮の様子を窺っている感じで、本当は大宮の話をしたいのですが、少々見栄を張って話すことができず、あまり語らないままなのでした。

 ところが、宮はまた、まったく別のことに思い至ります。物思いにやつれた薫の様子がなんとも魅惑的で、ひょっとして中の宮が薫に心を移すかもしれないと心配し始めたのです。「目病み女に風邪ひき男」という言葉がありますが、軽く病んだ感じの愁いに沈んだ男はどこやら色っぽいものです。

 中の宮をここにおいておくのは危険だと、宮は京に引き取ることを考えますが、そのためには父帝や母中宮の信用を得ることが大切と、今回は引き上げることにします。と言っても心が残るので、いろいろ言葉を尽くすのですが、中の宮は、「相手にされないとはつらいものだと、それだけを知っていただきたくて」、最後まで気持ちを曲げないままで、しっかり自分のつらさを厳しく宮にぶつけます。こういう思い知らせてやるといった意志的な形での女性の自己主張もこれまでなかったもので、「これは、大君のように心を閉ざして男を退けるものではなく、匂宮とともに地上の愛を生き抜こうとする積極的かつ前向きな態度と言えよう」と『人物論』所収・「宇治の中君再論」(工藤進思郎著)が言います。

 しかし実際にこの片田舎に残されてひとり冬を過ごす寂しさは、これまでの姉との暮らしと比べると「尽きせず夢のよう」です。

 薫もまた、年も暮れ方になって、もう都を空けて二ヵ月にもなり、「あちらこちらから」帰京を促す便りがあったり、年末年始の大切な行事もあるとあって、思いは尽きませんが、帰らねばなりません。

 途中、「自分の好くない性分をお気づきになる(原文・おのがけしからぬ御心ならひにおぼしよる)」とあって、作者が匂宮の好色なことを認めて批判している語り口であるのですが、これまで見てきたように、中の宮への誠実なふるまいなどとはそぐわない気がします。

 すべての女性にあまねく愛を与える(桐壺の巻第一章第一段2節)というのは、やはり女性から見ると「けしからぬ御心」であるということなのでしょうか。そういう、理念と現実のギャップがあるからこそ、人間社会の不可避の悲喜劇が生まれるわけですが。》

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第六段 匂宮と中の宮、和歌を詠み交す

【現代語訳】

 夜の気配がますます恐ろしく感じられる風の音に、自分のせいで嘆き臥していらっしゃるのもさすがに気の毒で、例によって物を隔てて、お話し申し上げなさる。「千々の社」を引き合いにあげて、行く末永くのお約束申し上げなさるのも、

「どうしてこんなに口馴れられたのだろう」と嫌な気がするが、離れていて薄情な時のつらさよりは胸にしみて、気持ちも和らいでしまいそうなご様子を、いつまでも一方的にも嫌ってばかりいられそうにないことだと、じっと耳を傾けていて、
「 来しかたを思ひいづるもはかなきを行く末かけてなに願ふらむ

(過ぎたことを思い出しても頼りないのに、将来までどうして当てになりましょう)」
と、かすかにおっしゃる。かえって気がふさぎ、気が気でない。
「 行く末をみじかきものと思ひなば目のまえにだにそむかざらなむ

(将来が短いものと思うなら、せめて今だけだけでも背かないでほしい)
 何事もまことにこのように瞬く間に変わる世の中を、罪つくりなふうにはお考えにならないでほしい」と、いろいろとお宥めになるが、
「気分が悪くて」と言ってお入りになってしまった。

女房が見ているのもとても体裁が悪くて、嘆きながら夜を明かしなさる。恨むのも無理もない際であるが、あまりにも無愛想なのではと、つらい涙が落ちるので、

「まして私以上にどんなに思って来たであろう」と、いろいろとお気の毒な気がなさる。
 

 《中の宮は襖の向こうで、宮が「自分のせいで(とは言え)嘆き臥していらっしゃるのもさすがに気の毒で」、なにがしかの返事をしたようです。すると宮は、すわこの時と「『千々の社(数々の神)』の名を引き合いにあげて、行く末永くのお約束」を、改めて雨あられと語りかけました。

あまりに手慣れた言いぶりに、中の宮は、こんな言葉をいつも多くの女性に浴びせておられるのだろうとは思うものの、さすがに直にそう言われると、こんなふうに「気持ちも和らいでしまいそうなご様子」なので、我が心ながら緩んでいくしかないような気がしてきます。もともと来られたと知っただけで「今までのつらさも紛れてしまいそうなくらい」(第五段)だったのですから、自然な心の流れと思われます。

 歌はあくまで、宮の誓いを疑う恨みの歌ですが、それはこういう時の女性のマナーのようなもので、こういう場面で男の言葉受け入れて喜ぶといった歌は、少なくともこの物語ではあったことがありません。恨み言自体が甘えというか、媚というか、というものなのであるわけです。

 ところが、この時の中の宮は存外に気丈でした。宮の重ねての哀願のような歌を受けて、さらに対話が進むのかと思いきや、それにはまったく触れないで、「『気分が悪くて』と言ってお入りになってしまった」のです。これまで成り行きに流されてばかりいたようなこの人の強い意志の現れで、初めてこの人の独自の姿が描かれた場面と言えます。

 一方匂宮は、その厳しい態度にやり切れない思いで涙をこぼすのですが、それにもかかわらず「まして(中の宮は)私以上にどんなに(つらく)思って来たであろう」と、大変優しい思いやりを見せます。この人は本当に誠実な人と見えます。

 冒頭、原文は「夜のけしきいとどけはしき風の音に」で、諸注、「夜はひとしお吹き荒ぶ風の音に」(『谷崎』)のように訳しています。ここは私の訳を充てましたが、夜はただでさえ恐ろしく感じられるのだが、激しい風の音にますます恐ろしく思われる、つまり「けはしき」は風ではなくて、「夜のけしき」だというように訳してみましたが、どうでしょうか。》

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第五段 匂宮、雪の中、宇治へ弔問

【現代語訳】

「自分のせいでつまらない心配をおかけ申したようだ」と元に戻したく、すべての世の中が恨めしくて、念誦をますます心を込めてなさって、ほとんど眠ることもなく夜をお明かしになるところに、まだ夜明け前の雪の様子がたいそう寒そうな中を、人びとの声がたくさんして、馬の声が聞こえる。
「誰がいったいこのような夜中に雪の中を来きたのだろうか」と、大徳たちも目を覚まして思っていると、宮が、狩のお召物でひどく身をやつして、濡れながらお入りなって来られるのであった。戸をお叩きになる様子で、そうだとお聞きになって、中納言は奥の方にお入りになって、隠れていらっしゃる。

御忌中の日数は残っていたが、ご心配でたまらなくなって、一晩中雪に難儀されながらおいでになったのであった。
 今までのつらさも紛れてしまいそうなくらいだけれども、お会いなさる気もせず、お嘆きになっていた様子が顔向けできない気持ちだったのにそのまま見直していただけないままになったことも、今から以後お心が改まったところで何の効もないように思い込んでいらっしゃるので、誰も彼もが強く道理を説いて申し上げて、物越しにこれまでのご無沙汰の詫びを言葉を尽くしておっしゃるのをじっと聞いていらっしゃった。
 この君もまことに生きているのかいないのかの様子で、「後をお追いなさるのではないか」と感じられるご様子のおいたわしさを、

「心配でたまらない」と、宮もお思いになっていた。
 今日は、わが身がどうなろうともと、お泊まりになった。

「物を隔ててでなく」とたいそう辛そうになさるが、
「もう少し気持ちがすっきりするまで生きていましたら」とばかり申し上げなさって、すげないのを、中納言もその様子をお聞きになって、しかるべき女房を召し出して、
「お気持ちに反して薄情なようなお振る舞いで、以前も今も情けなかった一月余りのご無沙汰の罪からは、きっとそうお思い申し上げなさるのも当然なことですが、憎らしく見えない程度にお懲らしめ申し上げなさい。このようなことは、まだご経験のないことなので、困っておいででしょう」などとこっそりとおせっかいなさるので、ますますこの君のお気持ちにも恥ずかしくて、お答え申し上げることがおできになれない。
「あきれるくらい情けなくいらっしゃるよ。お約束申し上げたことを、すっかりお忘れになったようだ」と、並々ならず嘆いてその日をお送りになった。

 

《女房たちが周囲で涙に暮れている中で、薫は大君の死が、匂宮を中の宮に引き合わせたことから大きな心労をかけた結果だと思って、一晩中仏を念じていました。

 その朝早く、人や馬のざわめきが聞こえてきます。匂宮がやって来たのでした。薫は急いで奥に隠れます。匂宮を早く中の宮のところに行かせるための気配りでしょう。

 匂宮は、まだ中の宮の喪が明けないのですが、「(中の宮が)ご心配でたまらなくなって、(母中宮の厳しい監視を抜け出して)一晩中雪に難儀されながらおいでになった」のでした。大変な誠意を示したのです。

 中の宮は「今までのつらさも紛れてしまいそうなくらい」嬉しいのですが、会う気になれません。あんなにも姉に心配させてくれたことだと思うと、このように取り返しがつかなくなった今頃になってやって来てもらっても何の甲斐もない、と頑なに心を閉ざしてしまっているのです。そして女房たちが周りで何とかとりなそうと言葉を掛けるのを聞きながら、一方で、襖の向こうから匂宮が言葉を尽くして詫びているのを、ただ黙ってじっと聞いています。

 匂宮の方は、返事もなくことりとも音のしない襖の向こうで、中の宮まで死んでしまうのではないかという気さえして、何はともあれ今夜はここに泊まることにしました。

 なおも顔を見せてほしいという宮に「もう少し気持ちがすっきりするまで生きていましたら」と、宮をどきりとさせるような返事をして拒み続ける、なかなか気丈な中の宮に、薫がアドバイスを送ります。女房を通じてこっそりと、本気で拒否されたことなどないに違いない宮は困っておられるだろう、気持ちはわかるけれども、ほどほどにしておかれるように、と言わせます。

 次の「この君のお気持ちにも恥ずかしくて」がよく分かりません。『評釈』は「まだご経験のないことなので」が「言わでのこと」だったのだと言いますが、恥ずかしがる理由にはならないような気がします。

薫からそう言われてすぐに態度を変えては、まるでお墨付きを待っていたようで、かえって応じにくくなったとでも考えればいいでしょうか。

匂宮は、自分の難しい立場を理解してもらえず、あれほど固く約束をしておいた(第四章第四段)のに信じてもらえなかったことを嘆きながら、一日を過ごすことになってしまいました。》

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第四段 雪の降る日、薫、大君を思う

【現代語訳】

 雪があたりが暗くなるほどに降る日、一日中物思いに沈んで、世間の人が興ざめなものという十二月の月が翳りなく空にかかっているのを、簾を巻き上げて御覧になると、向かいの寺の鐘の音がして、枕をそばだてて、「今日も暮れぬ」と(悲しい気持ちで)、かすかな音を聞いて、
「 おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば

(後れまいと空を行く月が慕われる、いつまでも住むわけではないこの世なので)」
 風がたいそう烈しいので蔀を下ろさせなさるが、四方の山を写して鏡のように見える汀の氷が、月の光にたいそう美しい。

「京の邸のこの上なく磨いたのも、こんなにまではできまい」と思われる。

「ちょっとでも生き返りでもなどなさったら、一緒に語りあえるものを」と思い続けると、胸がいっぱいになる。
「 恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに雪の山にやあとを消なまし

(恋いわびて死ぬ薬が欲しいゆえに、雪の山に分け入って跡を晦ましてしまいたい)」
「半偈を教えたという鬼でもいてくれたら、かこつけて身を投げたい」とお考えになるのは、未練がましい道心であるよ。
 女房たちを近くにお呼び出しになって話などをおさせになる様子などが、まことに理想的でゆったりとして奥ゆかしいのを、見申し上げる女房たちの若い者は心にしみて素晴らしいとお思い申し上げる。年とった者は、ただ口惜しく残念なことを、ますます思う。
「ご病気が重くおなりになったのも、ただあの宮の御事を心外なことと見申し上げなさって、物笑いで辛いとお思いのようでしたが、何といってもあの御方にはこう心配していると知られ申すまいと、ただお胸の内で二人の仲を嘆いていらっしゃるうちに、ちょっとした果物もお口におふれにならず、すっかりお弱りあそばしたようでした。
 表面では何ほども大げさに心配しているようにはお振る舞いあそばさず、お心の底ではこの上なくいろいろとご心配のようでして、故宮のご遺戒にまで背いてしまったことと、本意でなく妹君のお身の上をお悩み続けたのでした」と申し上げて、時々おっしゃったことなどを話し出しては、誰も彼もいつまでも泣きくれている。

 

《薫が大君の容態を聞いて驚いて宇治に来たのは十一月の初めで(第六章第五段)、あれから一か月余りここに籠りきりです。

 都からの弔問客の出入りが終わって、みなが一息ついた後ということでしょうか。一日吹雪いた雪がやんだ夜、一転して冴えわたる冬の月の光の下で、彼は遠く寺の鐘の音を聞きながら今夜も大君を偲んでいます。諸注が、かつて源氏が紫の上と冬の夕暮れを眺めながら「冬の夜の冴えた月に雪の光が照り映えた空」を語る場面(朝顔の巻第三章第二段)を挙げていますが、そこで源氏は「この世の外のことまで思いやられて、おもしろさもあわれさも、尽くされる折り」だと言っていました。薫の「ちょっとでも生き返りなどなさったら」という思いも、そういうところからのものなのでしょう。

 歌の「雪の山」は「ヒマラヤのこと。薬草が多いとされたので、そこには死ぬ薬もあろうから、という含意がある」(『集成』)のだそうです。

 薫は女房たちを呼んで相手をさせます。こういう、いずれ劣らぬ女房たちが傷心の貴公子を囲んでさりげなくしめやかな会話で慰める、という図は、当人たちにとってもさぞかし務め甲斐のある役割だったでしょうし、絵柄としてもたいへん美しく想像できます。

そこでは、若い女房たちは悲しみよりも薫の美しさに見惚れているのですが、中で「年とった者」(例の弁の君でしょうか)が、大君を悼んでプライベートの様子を語ります。彼女から見ると、大君の死はひとえに中の宮の結婚がうまくいかなかったことによるもので、「八の宮の姫として、正式の結婚ではなかったのが一つ、匂宮が通って来なくなったのが二つ。その悩みを、中の宮には見せず、ひとり苦しんだのが病気の原因」と『評釈』は言います。その話を聞いて、若い女房たちも痛ましさにこぞって涙にくれます。

が、大君の死について読者は、それに匹敵することとして、誰も知らないことですが、薫の存在自体があったことを忘れることはできないでしょう。

 彼女にとって薫と一緒にいることは、最大の喜びであったでしょうが、同時にそれがどれほど無常のものであるかということを意識し続けることでもあり、したがって二人の尊厳のために決してそこに溺れないように、おそらく意に反して自らを緊張させ続けなければなりませんでした。そのストレスもまた彼女の心を、そして体を、大きく蝕んだのです。それは、相違点はたくさんあるにしても、やはり『狭き門』のアリサが抱えたものに大変よく似ているように思われます。》

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