源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 宇治の姉妹の物語(二)

第五段 薫、人びとを励まして帰京

【現代語訳】

「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうです」と、お供の人びとが促すので、お帰りになろうとして、
「おいたわしく見回されるお住まいの様子ですね。まったく山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もない所がありますが、もしそのようにお考え下さるなら、どんなに嬉しいことでしょう」などとおっしゃるのにつけても、

「とてもすばらしいことだわ」と、小耳に聞いてほほ笑んでいる女房連中がいるのを、中の宮は、

「とても見苦しい、どうしてそのようなことができようか」と見聞きしていらっしゃる。
 御果物を風流なふうに盛って差し上げ、お供の人びとにも肴など体裁よく添えて、酒をお勧めさせなさるのであった。あの殿の移り香を騒がれた宿直人は、鬘鬚とかいう顔つきが気にくわないが、

「頼りない御家来だな」と御覧になって、召し出した。
「どうしているか。お亡くなりになってからは、心細いだろうな」などとお尋ねになる。べそをかきながら、弱そうに泣く。
「世の中に頼る身寄りもございません身の上なので、お一方様のお蔭にすがって、三十数年過ごしましたので、今はもう野山にさすらっても、どのような木を頼りにしたらよいのでしょうか」と申し上げて、ますますみっともない様子である。
 生前お使いになっていたお部屋を開けさせなさると、塵がたいそう積もって、仏像だけ花の飾りが以前と変わらず、勤行なさったと見えるお床などを取り外して、片づけてあった。本願を遂げた時にはと、お約束申し上げたことなどを思い出して、
「 立ち寄らむ蔭とたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな

(立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は空しい床になってしまったことだ)」
といって柱に寄り掛かっていらっしゃるのも、若い女房たちは、覗いてお誉め申し上げる。
 日が暮れてしまったので、近い所々に御荘園などで仕えている人びとのところにみ秣を取りにやったのを、主人もご存知なかったが、田舎人びとが大勢引き連れて参ったのを、

「妙に、体裁の悪いことだな」と御覧になるが、老女に用事で来たかのようにごまかしなさった。いつもこのようにお仕えするように、お命じおきになってお帰りになった。

 

《お供の者に促されての帰り際に、薫は、「まったく山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もない所」(「京の薫の本邸、三条の宮のことをいうのであろう」・『集成』)にお移りいただいてもいいと、突然ずいぶん思い切った提案です。しかし、彼としては、ただおいたわしいからお移りいただくだけのことだと、自分には言い聞かせているのでしょう。

身寄りのない姫たちの立場からすれば、普通には、考慮しないのは不思議とも思える話ですが、それより先に、二人の話に聞き耳を立てていたらしい奥の部屋の女房たちが、「とてもすばらしいことだ」と「ほほ笑んでいる(原文・うち笑む)」のでした。

その女房たちについて、『評釈』は「召使女の下品さがにじみ出ている。利益のためには誇りも何も忘れ、にいとほほ笑むあの下品さである」と厳しく断罪しますが、彼女たちにしてみれば当然の反応で、そんなふうに言ってはこれまで姫君たちそういう人の中にいたことになって、その品格までが疑われ、話のレベルが下がってしまいます。

普通レベルの女房の普通の思いを見て、「とても見苦しい、…」と恥じ入るから、この姫たちの特異な高貴さが現れるというものです。

ところで、ここで恥じ入っているのは、大君ではなく中の君でした。大君の反応は書かれないままです。つまりこの人は大君とは別に、奥の部屋で女房たちと一緒に、しかしひとり素知らぬふうを装いながら、様子を窺っていての反応です。もちろんその気持は大君も同じなのでしょうが、それを書かないで中の君で描いたのは、かえって読者に薫の提案を直接聞いた大君の困惑の姿を思い描かせて、余韻のあるうまい書き方だと思われます。

もっともここで『光る』は「丸谷・ひょっとすると、大君のほうは都に行きたい気持ちも少しはあるのかもしれない」と、ちょっと意外な意見を言っています。

ともかくそうして薫はすぐに発っていくのかと思うと、そうではなくて、酒を頂き、屋敷の従者に話を聞き、故宮の仏間を覗いて歌を詠みます(巻名はこの歌によります)。それによって姫君たちの生活の不如意が描かれている、ということなのでしょうが、やはりどうも瑣末なところでの妙なリアリズムという気がします。

そしてさらに、呼び集められた荘園の人々にもものまで言って(これは薫の気配りの細かさということでしょうか)、やっと帰ることになりました。》

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第四段 薫と大君、和歌を詠み交す

【現代語訳】

「必ずしもご自身のこととしてお聞きになり背負われることとも思っておりません。それは、雪を踏み分けて参った気持ちぐらいをご理解下さる、姉君としてのお気持ちでいらっしゃって下さい。あの宮のご関心は、また別な方のほうにあるようです。それとなく文をお取り交わしなさることもあったようですが、さあ、それもはたの人にはどちらにと判断申し上げにくいことです。お返事などは、どちらの方が差し上げなさるのですか」とお尋ね申し上げなさるので、

「よくまあ、冗談にも差し上げなくてよかったこと。何ということはないが、このようにおっしゃるにつけても、どんなに恥ずかしく胸が痛んだことだろう」と思うと、お返事もおできになれない。
「 雪ふかき山のかけはし君ならでまたふみかよふ跡を見ぬかな

(雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に誰も踏み分けて訪れる人はございません)」
と書いて、差し出しなさると、
「お言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と言って、
「 つららとぢ駒ふみしだく山川のしるべしがてらまづやわたらむ

(氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を、宮の案内がてら、まず私が渡りましょ

う)
 そうなったら、『影さへ見ゆる(私が思いを掛けていた)』効もあるというものでしょう」と申し上げなさると、心外で嫌な気がして、特にお答えなさらない。

きわだって、よそよそしい様子にはお見えにならないが、今風の若い人たちのように思わせぶりにも振る舞わず、まことに好ましく、おおらかな気立てなのだろうと、推し量られるご様子の方である。
 こうこそあってほしいものだと、期待にたがわない気がなさる。何かにつけて懸想心を態度にお現しになるのに対しても、気づかないふりばかりをなさるので、気恥ずかしくて、昔の話などを、真面目くさって申し上げなさる。

 

《ここで『評釈』は「薫という人は、まことにストレートに物いわぬ人である」と言いますが、彼は、もともと出生の秘密に発する生の不安を抱えて八の宮に教えを受ける求道者としてこの邸に出入りすることになり、そういう色恋を抜きにした姿勢によって姫の安心を得て今の姫との親しい交流があるのですから、姫の前ではあくまでも善意の保護者、相談役としているのだという形を崩すことに不安があります。

一方で心の底流には大君に対しての恋心がありますから、可能な限り、自分のものであって欲しいと思ってもいます。

それはどちらが強いと言えるものではなくて、一方を言おうとすれば他の一方がそれを後から引っ張るというような関係にあります。ですから、彼は何か言いたいことがあってそれを隠している、というのではなく、「ストレート」に言えるような事は持っていないというべきなのです。

大君に、何とも返事ができないと間接的に拒否されたのに対して、薫は匂宮にとっての善意の応援者としての姿も見せて、あなた自身がお考えになりにくければ、妹姫としてでも考えて上げて下さい、と言いながら、あなたは私の善意を分かって下さればいい、と善意に恋心をかすかににじませて語り、匂宮のことはなろうことなら中の君との話にして、大君は現状維持にしておく方に話を導きます。

すると大君は、その中の君の話の方にではなくて、自分について、自分が匂宮と文を交わしたのではないと歌で応じたのですが、それを、あなた以外の方と文を交わしたことはないと詠んだものですから、薫は本当ですか、それなら私が名乗りを上げますがと、半ば思いを隠してからかうように言って、大君の様子を見ました。

大君は「心外で嫌な気がして(原文・思はずに、ものしうなりて)」返事をしません。彼女としては避けたい話題のようです。なぜそうなのか、直接語られることはありません。彼女はすでに二十五歳になって、当時としては婚期をとっくに過ぎていますから、今さら、という気持もあるでしょうか。また「気立てはもの静かで優雅な方で、外見も物腰も気高く奥ゆかしい」(橋姫の巻第一章第二段)という人柄で、八の宮の許で育ち、さらに「ひっそりと閉じ籠もって、ひどくみっともない世間からの非難を受けない」(第二章第四段)ようにせよという父宮の言葉の影響もあったでしょう。

しかし、薫は、むしろそういう、蓮っ葉さのない、さりげなくゆかしい態度にますます心を惹かれるのですから、厄介です。》

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第三段 薫、匂宮について語る

【現代語訳】

「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがあるのですよ。おいたわしいご遺言を一言承りましたことなどを、何かのついでにちょっとお洩らし申し上げたのだったでしょうか、あるいはとてもよく気の回るお方で、推し量られたのでしょうか、私からうまく申し上げるようにと当てにしているのに、冷淡なご様子なのは、うまくお取り持ち申さないからだと、度々お恨みになるので、心外なこととは存じますが、山里への案内役はそうきっぱりとお断り申し上げることもできかねるのですが、どうしてそのようにおあしらい申し上げなさるのでしょう。
 好色でいらっしゃるように人はお噂申し上げているようですが、心の底は不思議なほど深くいらっしゃる宮です。戯れ言をお掛けになる女たちで軽はずみに靡きやすいような者などを、珍しくもない女として軽蔑なさるのだろうか、と聞くこともございます。

何につけても成り行きにまかせて、我を張ることもなく穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従ってどうなるもこうなるも適当に過ごして、少し思いと違ったことがあっても、仕方のないことだ、そういうものなのだ、などと思うようにするようですので、かえって長く添い遂げるような例もあります。いったん壊れ始めると、『龍田川』ではありませんが名を汚し、言いようもなく縁が切れてしまうようなことなどもあるようです。

ご執心が深いところがあるお心にかない、特に御意に背くようなことが多くおありでない方には、全然、軽々しく始めと終わりが違うような態度などを、お見せなさらないご性格です。
 人が存じ上げていないことをよくよく存じておりますから、もし似つかわしく思い、そうしたこともあるかとお考えになるなら、その取りなしなどは、できる限りのお骨折りをきっと致します。仲介は、脚の痛くなるまで尽力しましょう」と、実に真面目にいろいろとおっしゃるので、ご自身のことは思いもかけずに、

「親代わりになって返事しよう」とご思案なさるが、やはりお答えすべき言葉も出ない気がして、
「何とも申し上げようがありません。意味ありげにいろいろおっしゃるので、かえってどのようにお答えしてよいか分かりませんが」と、ほほ笑みなさるのが、おっとりとしている一方で、その感じが好ましく聞こえる。

 

《さて薫が最初に話し始めたのは匂宮の姫への執心の話でした。『評釈』は「意外である」と言い、一応はそうですが、ありがちな心の動きとも思われます。

前段で自分の恋心に気付いた彼は、それが決して自分の「意志」ではなく、ただそういう気持ちになってしまったのであって、主体的意志としてはあくまでも俗事に心は動かされないのだと思いたいのです。そしてそれを自分に対して証明し言い聞かせる必要がありますし、姫君からもそういう人間として見られたいという気持もあります。

だから、ことさらに匂宮自身とその執心の様を姫君に美しく語って聞かせて、仮にそこで彼との間に縁が生じても自分は平気なのだ、いやむしろ自分はそうなることを願っているのだという態度を取っている、ということなのだと考えられます。若者らしい無意識のうちの衒い、とも言えましょうか。

さて、薫の話ですが、匂宮は、世間では好色だと言っているようだが決してそうではないと強調します。「軽い冗談などを…」は、こんな噂もあって、それが好色といわれている所以だろう、あなたがたならその心配はない、という意味でしょうか。

次の「どのようなことも」以下は、ちょっと分かりにくく思われます。

「何につけても…」以下の話は普通女性についてのことと考えるようで、そうすると、あなた方は結婚ということをあまり頑なに窮屈に考えない方がいいという話しになり、後の「いったん壊れ始めると…」は、もっともたまにはうまく行かなくなる場合もあるが、という例外の話ということになりそうです。しかし、それでは、「ご執心が深いところがあるお心から…」以下の匂宮の話とうまく繋がらない気がします。

『評釈』はそれを「男と解してみた」として訳しています。つまり、鷹揚な男との間柄は普段はまあ普通にやれるようだが、「いったん壊れ始めると…」取り返しがつかない、それに比べて色好みの匂宮は常に本気だから、「いったん壊れ始めると…」というようなことがないのだ、ということになりそうで、つまり色好みを擁護している、分かりやすい比較の話になります。しかし、普通に読めば、「穏やかな人」の話がよろしくない例としては読みにくく、いかがかという気もします。

「心から深く…」は、宮はいつも本気で女性に向かわれるので、女性の方に「御意に背くようなこと」がある場合には、その分厳しくお心が離れることがあって、浮気だと言われるのだが、あなた方ならその心配はない」と言っているようです。

そうして、あなたがたにその気持があるなら取り次ぎの労をとろうと約束します。

この控えめな人には珍しく思える長口舌で、しかも途中少し話の筋が乱れる感じもあって、何かいかにも敢えてする話のように思われなくもありません。

薫が二人の姫のどちらを考えて話したのか分かりませんが、大君は自分のこととは「思いもかけず」、中の君の話として聞きました。もちろん悪い話はありませんが、いかにも急な話で、また薫が普通ではないことも思ったのでしょうか、こういう時はこの手の話は笑っていったん逸らすのが穏やかです。

いや、実際は彼女自身にも経験のない話であり、また避けたい話でもあって、困惑しているようにも思えますが、ともかくも大君の鷹揚に見える様子に、薫の心は、やはりまたざわめくのです。》

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第二段 薫、歳末に宇治を訪問

【現代語訳】

 中納言の君が、

「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになって、いらっしゃった。雪もたいそう深くて、普通の身分の人でさえ姿が見られなくなってしまったのに、並々ならぬ立派な姿をして気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅いものではないとよくお分かりになるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
 服喪用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮が待ち受けてお喜び申し上げておられたご様子などを女房たちもお噂申し上げる。直接お話なさることは、ただもう気の引けることとお思いになっていたが、好意を察しないように先方がお思いでいらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
 打ち解けてというのではないが、以前よりは少し言葉数多くものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。

「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、

「まことにあっさり変わってしまう心だな。やはり、移り変わりやすい男女の間柄なのだな」と思っていらっしゃる。

 

《薫が、正月になると職務多端で、簡単には訪問できなくなるだろうと(「多分に自分に対する言い訳である」・『評釈』)、雪を押して、姉妹が寂しく心細く過ごしているところに、やってきました。

すっかり人影が途絶えたおりのことでもあり、貴い身分にもかかわらず気軽に来ていただいたお気持ちを思って、姫君は、いつもよりは丁重に迎えます。

長く片付けてあった「服喪用でない(普段用の)御火桶」を出そうとしてほこりを拭き払いながら、女房たちが、かつて故宮がこの方のおいでをどんなに喜んでお迎えになったことかと思い出して、その噂をしていますが、それ自体が、彼女たち自身の今日の喜びを表していて、さりげない描写ですが、この日の邸の空気をよく伝えているように思います。

姫君も、今度は直接ご挨拶し(前回、薫から不満を言われました・第三章第四段)、自分で話のお相手をするのでした。その応接は、「以前よりは少し言葉数多」い程度でしたが、行き届いたゆかしいもので、薫の心は騒ぎ、彼自身、仏道一筋であると思っていた自分の心の移り行きに、少々驚いてしまいます。「移り変わりやすい男女の間柄なのだな(原文・移りぬべき世なりけり)」を、『集成』は「大君への募る気持を、一面反省する薫の心中」と言いますが、「反省」というより、むしろどうやら自分の気持ちの変化を自然な(人為を越えた)成り行きとして自分に許している気分があるように思われます。

これもかなり「自分に対する言い訳」のように聞こえて、先の「また疎遠にしてはおけない」(第三章第七段)以来続く、大君に傾いて行こうとする自分の気持ちの、彼の中での無意識の正当化、理由付けの一つのように思われます。

というわけで、ここはこの前に訪ねて歌を交わした時(第三章第五段)の「少年と少女のような二人の清純な美しい場面」から見ると一歩進んだ、薫の気持ちの大きな分岐点と言うべきなのではないでしょうか。何よりも、ここでは、彼の中で大君が明らかに中の君と区別して意識されているように思われます。》

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第一段 歳末の宇治の姫君たち

【現代語訳】

 雪や霰が降りしきるころはどこもこのような風の音であるが、今初めて決心して入った山里住まいのような心地がなさる。女房たちなどは、
「ああ、新しい年がやって来る。心細く悲しいことばかりなのに、心改まる春を待ちたいものだわ」と、気を落とさずに言う者もいる。

「難しいことだ」とお聞きになる。
 向かいの山でも、季節毎の御念仏に籠もりなさった縁故で人も行き来していたが、阿闍梨も、いかがですかと、一通りはたまにお見舞いを申し上げはしても、今では何の用事でちょっとでも参ろうか。
 ますます人目も絶え果てたのも、それが当たり前のこととは思いながらも、まことに悲しい。気にも留めなかった山賤も、宮がお亡くなりになって後は、たまに覗きに参る者は、嬉しい気がなさる。この季節の事とて、薪や木の実を拾って参る山賤どももいる。
 阿闍梨の庵室から、炭などのような物を献上すると言って、
「長年馴れましたご奉仕が、今年を最後として絶えてしまうのが、心細く思われまして」と申し上げる。必ず冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣などを贈っていたのをお思い出しになってお遣りになる。法師たち、童などが山に上って行くのが見え隠れして、たいそう雪が深いのを、泣く泣く立ち出てお見送りなさる。
「お髪などをお下ろしなさった、そのようなお姿ででも生きていて下さったら、このように通って参る人も、自然と多かったでしょうに。どんなに寂しく心細くても、お目にかかれないこともなかったでしょうに」などと、語り合っていらっしゃる。
「 君なくて岩のかけ道絶えしより松の雪をもなにとかは見る

(父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今、松の雪を何と見ま

すか)」
 中の宮、
「 奥山の松葉に積もる雪とだに消えにし人を思はましかば

(奥山の松葉に積もる雪とでも、亡くなった父上を思うことができたらうれしいこと

ですのに)」
 うらやましいことに、消えてもまた雪は降り積もることよ。

 

《山里に霰や雪が降って、、姫たちは父のいない初めての冬を迎え、こんなにも寂しいところだったかと、改めて周囲を見まわす気持です。

 もともと尋ねてくる人は多くはない暮らしだったのですが、それもますます少なくなって、邸はすっかり寂しくなってしまいました。

時たま、その土地の木樵のような人が、以前からのよしみを忘れずにやってきて、雑用をつとめるくらいですが、これまで気にも留めなかったそういう人々の姿を見るだけで「嬉しい気がなさる」ほどです。原文は「めずらしく思ほえたまふ」で、『辞典』は「めづらし」を「見ることを連ねたいというのが原義」と言い、「稀に見ること聞くことができて嬉しい、喜ばしい」の意を挙げますが、現代語でも「あら、お珍しい」などの挨拶になると、その意味が生きているわけです。

宮が師事した阿闍梨はすっかり訪れがなくなりましたが、それでも寺から、例年のこととなっていた年末の炭が届くことだけは続いていました。お返しにこれも以前どおり「冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣」を持たせるのでしたが、その使いが雪の中に消えていくのを見ると、また後に取り残されたような気がして、心細さが募ります。

見送る大君の目に雪をかぶった松の木がうつり、妹に、あなたはあの松の雪をどう見ますか、と問いかけたのでしたが、彼女自身はどう見たのでしょうか。このやり取りの歌はちょっとよく分からない気がします。

『評釈』は「父君の生前、姫君二人はこの松の雪を見ていたのである」と言いますが、これはどういう意味なのでしょうか。さらに「松に『待つ』をかけた」と言いますから、父の山寺からの帰りを待ちながら、その方角にあるこの松を眺めていた、ということでしょうか。

中の君の歌は、あの雪が消えてもまた積もるように、「消えにし人」もまた帰ってきて下さるのであればいいのに、ということのようですが、どうも少し理屈っぽいような気がします。

なお、言い遅れましたが、中の君は、この前、匂宮から「牡鹿鳴く」の歌が送られたとき(第三章第二段)から本文では「中の宮」呼ばれています。》

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