源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 薫の物語

第二段 薫、八の宮と昔語りをする

【現代語訳】

「最近の世の中は、どのようになっているのでしょうか。宮中などでは、このような秋の月の夜に御前での管弦の御遊の時に伺候する人達の中で、楽器の名人と思われる人びとばかりがそれぞれ得意の楽器を合奏しあった調子などの仰々しいのよりも、嗜みがあると評判の女御、更衣の御局々がそれぞれは張り合っていて、うわべは親しくしているようでありながら、夜更けたころの辺りが静まった時分に、悩み深い風情に掻き調べ、かすかに流れ出る楽の音色などが、聞きどころのあるのが多かったことです。
 何事につけても、女性というのは、慰み事の相手にちょうどよく、何となく頼りないものの、人の心を動かす種であるのでしょう。それだから罪が深いのでしょうか。子を思う道の闇を思いやるにも、男の子はそれほども親の心を乱さないでしょうか。女の子は、運命があって、何とも言いようがないと諦めてしまわねばならないような場合でも、やはり、とても気にかかるもののようです」などと、一般論としておっしゃるが、どうしてそのようにお思いにならないことがあろうか、おいたわしく推察される宮のご心中である。
「すべてほんとうに、先程申し上げましたように、この世の事は執着を捨ててしまったせいでしょうか、私自身としては何につけても身に付けたものはありませんけれども、ほんとうにつまらないことですが、音楽に耳を傾ける気持だけは捨てることができません。分別くさく修行に専念する迦葉も、それだから、立って舞ったのでございましょうか」などと申し上げて、名残惜しく聞いたお琴の音をぜひとお望みになるので、親しくなるきっかけにでもとお思いになってか、ご自身であちらにお入りになって、ぜひとお勧め申し上げなさる。

箏の琴をとてもかすかに掻き鳴らしてお止めになった。常にもまして人の気配もなくひっそりとして、しみじみとした空の様子や場所柄から、ことさらでない音楽の遊びが心にしみて興趣深く思われるが、気を許してどうして合奏なさろうか。
「自然とこのように引き合わせることになったからには、先の長い者同士にお任せ申そう」と言って、宮は仏の御前にお入りになった。
「 われなくて草の庵は荒れぬともこのひとことはかれじとぞ思ふ

(私が亡くなって草の庵が荒れてしまっても、この琴の一声とともに一言の約束だけ

は守られようと存じます)
 このようにお目にかかることも今回が最後になるだろうかと、何となく心細いのに堪えかねて、愚かなことを多くも言ってしまったことです」と言って、お泣きになる。客人は、
「 いかならむ世にかかれせむ長き世の契りむすべる草の庵は

(どのような世になりましても訪れなくなることはありません、この末長く約束を結

びました草の庵には)
 相撲など公務に忙しいころが過ぎましたら、伺いましょう」などと申し上げなさる。

 

《八の宮は話し始めます。

彼の話はやはり音楽のことで、これまで幾度も言われてきたことですが、ここでもやはり、彼の宮中生活の経験として、その道の専門家で名人と言われる人よりも、「嗜みがある」女御、更衣といったアマチュアが「悩み深い風情に(原文・心やましく)掻き調べ」た音楽の方が「聞きどころのある」ものだったと言います。

しかし彼はそういう音楽論をしようと思ったのでなくて、その「悩み深い」女性というところから、実は姫君についての心配を話しているようです。

女性の悩み深さは、女性が「慰み事の相手にちょうどよく(原文・もてあそびのつまにしつべく)」、「何となく頼りないものの人の心を動かす種である」ことにあるのであって、それが、女性がそうしようと思ってすることではないだけに「罪が深い」というところにあるのではなかろうか、男の子なら自分で処理せよと思ってしまうことができるけれども、女の子は自分でどうにもならないと思うと、放っておけない気がする、と宮は語ります。

死期を感じての宮のこの嘆きに対する薫の返事は、「音楽に耳を傾ける気持だけは捨てることができません」というもので、的外れのように聞こえますが、実はそれは「名残惜しく聞いた(姫君の)お琴の音を、ぜひとお望みになる」ための前振りであって、それとなく「(姫たちと)親しくなるきっかけ(原文・うとうとしからぬはじめ)」を求めることによって宮に安心を与えようとしているとも考えられます。

宮は実際にそのように思って、「ご自身であちら(姫たちのいるところの)にお入りになって」、あえて姫たちに演奏させるのでした。請われて姫はほんの形ばかり弾いて、すぐにやめます。依然と同じく恥ずかしいこともあるでしょうが、今は自分たちを思う父の哀切な話に耐えがたかったのでしょう。それでもそのわずかな琴の音は、薫には「場所柄から、ことさらでない音楽の遊びが心にしみて」感じられました。

宮は、あとは若い人たちだけでお近づきになって下さいと、仏の間に引っ込みます。

ここで『評釈』が、「場所柄(原文・所のさま)」に注目して、「『折から』『所のさま』」と小見出しを付けて、私にとっては刮目の解説をしています。

曰く、「作者は『所がら』『折から』を重んじる人である。技術的な熟達ばかりでなく、弾く人の人がらを重んじる人である。…その人の内にあるものは『所がら』『折から』に誘い出されることが多い。折にふれ、辺りの様子に誘い出されて、うちに秘められたものが、自らほころび出る。作者は、これを重んじるようである」。

この物語では、これまで幾度もさまざまな芸事について、主人公たちの芸の方がその道の専門家たちよりも勝れているという話が出てきました(例えば紅葉賀の巻頭など)が、それはこういう美学からのものだったようです。つまり、専門家の芸は芸自体「技術的」には成立しているにしても、もっと大切なことは、その芸が、いかにその折り、その場、その人に自然に馴染んでいるか、いかにうまくその場全体の調和の中にあるか、ということなのだという観点からのことだったのだと、理解しました。

そういえば、時にそういう場面で演じられた曲名が克明に語られることがありましたが、あれも、場にふさわしい曲を選ぶという意味で重要な意味があったのでしょうか。

その場にふさわしい見事な芸ができる人は、その場全体を捉えている、または作り上げている立派な人であり、逆に立派な人は必然的に見事な芸ができるはずだ、という感覚です。まったく、もっと早く書いておいて欲しかったと思います。》

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第一段 秋、薫、中納言に昇進し、宇治を訪問

【現代語訳】

 宰相中将は、その年の秋に、中納言におなりになった。ますますご立派におなりになる。公務が多忙になるにつけても、お悩みになることが多かった。どのような事かと気がかりに思い続けてきた長の年月よりも、おいたわしくお亡くなりになったという昔のことが思いやられて、罪障が軽くおなりになるほどに勤行もしたくお思いになる。あの老女をも気の毒な人とお思いになって、目立ってではなく、何かと人目を繕いながら気を配ってお見舞いなさる。
 宇治に参らないで久しくなってしまったのを思い出して、ご訪問なさった。七月ごろになってしまったのだった。都ではまだ訪れない秋の気配の中を、音羽山近く、風の音もたいそう冷やかで、槙の山辺もわずかに色づき初めて、さらに尋ね入ると、趣深く珍しく思われるが、宮はそれ以上に、いつもよりお待ち喜び申し上げなさって、今回は、心細そうな話をたいそう多く申し上げなさる。
「亡くなった後、この姫君たちを、何かの機会にはお尋ね下さり、お見捨てにならない人の中にお数え下さい」などと、意中をそれとなく申し上げなさると、
「一言でも先に承っておりましたからには、決して疎かには致しません。現世に執着しまいと、簡略にしております身なので、何事も頼りがいのなく前途の心細さでございますが、そのようなふうでも生き永らえておりますうちは、変わらない気持ちを御覧になっていただこうと存じます」などと申し上げなさるので、嬉しくお思いになった。

 まだ夜明けには遠い月が明るく差し出して、山の端が近い感じがするので、念誦をたいそうしみじみと唱えなさって、昔話をなさる。

《薫は、自分の出生の秘密について早くからかなりのことを何となく知っていて(匂兵部卿の巻第二章第二段)、世を避ける気持から出家に憧れる気持があったのでしたが、弁の君から具体的ないきさつを聞いて、そのことが明らかになったみると、今は自分のことよりも、「おいたわしくお亡くなりになった」父のために勤行したいという気持になっています。

 その間も、話を聞かせてくれた弁の君へは、気遣いを怠りません。「気の毒な人とお思いになって」とありますから、「もうよそ人とは思えないからである」(『評釈』)のでしょう。もっとも、あの話を聞いた時(橋姫の巻第四章第三段)の最後の薫のことを思うと、それだけではなくて、あるいは口止めの気持もあるのではないかという気もしますが…。

彼としては、秘密の事情を知って「胸一つにますます煩悶が広が」って(橋姫の巻末)、しばらく姫のことも頭から離れて、宇治への足が遠のいていました。

そして七月初秋、「(昇進によって)公務が多忙になるにつけても、お悩みになることが多」くなり、逆に八の宮との心鎮まる面会を求めてということなのでしょうか、しばらくぶりに宇治を思い出して出かけました。匂宮とにぎやかにやって来たのは二月でした(巻頭)から、半年近くが過ぎています。

権勢を得た一方で重大な秘密を抱えている薫には、都は息の詰まるような所でもあり、そこを離れて田舎の風景を眺めるだけで薫の気持ちは安らいだのでしたが、迎える宮は「重く身を慎むべきお年」(前段)だからでしょうか、「いつもよりお待ち喜び申し上げなさって、今回は、心細そうな話をたいそう多く申し上げなさる」のでした。大体物語の中でこうした話をするようになると、危ないので、宮はどうもあまりいい傾向ではなさそうです。

一方薫については、あのように姫たちに関心を寄せたのでしたが、結婚というような形ではなくて、あくまでも保護者として世話を引き受けるという考えのようです。とは言え、それは本心なのか、あるいはこれまで仏道者という姿勢で宮に信任を得ているということによる衒いなのか、そこのところは微妙です。

なお、薫が中納言になったことは、竹河の巻第五章第一段にあって、ここに一致します。》

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