【現代語訳】
お粥や強飯などをお召し上がりになる。
「昨日は休日でしたが、今日は内裏の御物忌も明けでしょう。冷泉院の女一の宮が御病気でいらっしゃるお見舞いに、必ず伺わなければならないので、あれこれ暇がございませんが、改めてこの時期を過ごして、山の紅葉が散らない前に参ります」という旨を、申し上げなさる。
「このように、しばしばお立ち寄り下さるお蔭で、山の隠居所も、少し明るくなった心地がします」などと、お礼を申し上げなさる。
お帰りになって、さっそくこの袋を御覧になると、唐の浮線綾を縫って、「上」という文字を表に書いてあった。細い組紐で、口の方を結んである所に、あのお名前の封が付いていた。開けるのも恐ろしい気がなさる。
いろいろな色の紙で、たまに通わしたお手紙の返事が、五、六通ある。そのほかに、あの方のご筆跡で、病が重く最期になったので、再び短いお便りを差し上げることも難しくなってしまったが、会いたいと思う気持ちが増すし、お姿もお変わりになったというのが、それぞれに悲しいことを、陸奥国紙五、六枚に、ぽつりぽつりと、奇妙な鳥の足跡のように書いて、
「 目のまへにこの世をそむく君よりもよそにわかるる魂ぞ悲しき
(目の前にこの世をお背きになるあなたよりも、お目にかかれずに死んで行く私の魂
のほうが悲しいのです)」
また、端のほうに、
「めでたく聞いております子供の事も、気がかりに存じられることはありませんが、
命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生い末
(生きていられたら、それをわが子だと見ましょうに、誰も知らない岩根に残した松
の成長ぶりを)」
書きさしたようにたいそう乱れた書き方で、「小侍従の君に」と表には書き付けてあった。
紙魚という虫の棲み処になって、古くなって黴臭いけれども筆跡は消えず、まるで今書いたものとも違わない言葉が、こまごまとはっきりしているのを御覧になると、
「本当に、人目に触れでもしたら大変だった」ときがかりで、気の毒な事である。
「このような事が、この世にまたとあるだろうか」と、胸一つにますます煩悶が広がって、内裏に参ろうとお思いになっていたが、お出かけになることができない。
母宮の御前に参上なさると、まったく無心に若々しいご様子で読経していらっしゃったが、恥ずかしがって身をお隠しになった。
「どうして、秘密を知ってしまったと、お気づかせ申すことができようか」などと、胸の中に秘めて、あれこれと考え込んでいらっしゃった。
《「お粥や強飯などをお召し上がりになる」と場面が一転して、薫は朝食の席にいます。お相手をする八の宮に、薫は帰らねばならないと語りかけました。
『評釈』は、「平安貴族は遊んでばかりいるのではない。ずいぶん忙しいのだ」と言いますが、この時の彼は早く帰って一人になりたいのではないでしょうか。一人になって手紙の束を見てみたいし、それに多分、今は平静でいることが難しいのです。
生真面目な男が都合が悪いという言い訳を言わなくてはならない時は、言い訳の材料をともすると過度に持ち出しがちなものだというのは、自分を顧みてよく分かります。
はたせるかな、彼は「お帰りになって、さっそく」手紙を開きます。
手紙の束は、女三の宮から柏木に宛てられたものが「五、六通」と、柏木が書いて出されないでしまったものが一通でした。それは女三の宮が出家した後、「病が重く最期になった」時のもので、最後に書かれたということのようです。筆跡も「奇妙な鳥の足跡のよう
」で、しかも「書きさしたようにたいそう乱れた書き方」でした。
『光る』が、「丸谷・出さなかった手紙の恨みのこもり方。それを本来の受信者ではない人間が受ける。この感じのすごさ、ぼくはなかなかやるはあと思った」と言います。
薫は、その時の父のことを思う余裕はなかったようで、まっ先に思ったのは「本当に、人目に触れでもしたら大変だった」ということでした。
こうして自分の背負っているものがもはや動かせない、恐ろしい事実なのだと定まってしまうと、「ますます煩悶が広がって、内裏に参ろうとお思いになっていたが、お出かけになることができない」で、彼は母の部屋に行きます。無論、用があったのではありません。 ただ、何かを話したいような、そして何かを話してほしいような気がしたのでしょう。
しかし、そこにいた母・女三の宮は「まったく無心に若々しい様子で読経して」いました。「読んでいた経をそっと恥ずかしそうに隠しただけ。そんな仕草も、まるで小娘のような、たよりなげな」(『評釈』)人です。もともと「(薫を)かえって親のように頼りになる方とお思いでいらっしゃ」る(匂兵部卿の巻第二章第一段)ともありました。
『光る』が、「丸谷・ここ、色っぽくていいですね。この人が初めて示した色気です」と言っていますが、『評釈』は少し違います。
「(柏木も)源氏も死に、(女三の宮は)自分をおびやかすものがなくなったと同時に、いっさいのいとわしい事は済んでしまいました、というかのようである。…薫はありたけの思いをこめて、母を見つめたであろう。が、それはむなしく、何一つてごたえもなかったというのである。このような母宮の静かな平安を、今さら乱すことがあろうか。…そうすることはこの母宮には酷なのだ。…そして、じっと自分の胸ひとつにおさめて、一人で耐えるのである」。》
※ これで「橋姫」が終わりますが、ちょうどたまたま年の暮れになりました。
物語は切なく巻を閉じましたが、今日の当地は、幸い穏やかな冬の日差しがあって、穏やかな年越しです。
来年もよろしくお願いします。