源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第三章 薫の物語(一)

第六段 老女房の弁の昔語り

【現代語訳】

 だいたいが年老いた人は涙もろいものとは見聞きなさっていたが、とてもこんなにまで思っているのも不思議にお思いになって、
「ここにこのように参ることは度重なったが、あなたのように人の世のあわれをご存知の方がいないからこそ、露深い道中でただ一人涙に濡れていました。嬉しい機会のようですので、すっかりおっしゃってください」とおっしゃると、
「このような機会はございますまい。また、ございましても、明日をも知れない命で、当てにできませんので、それでは、ただこのような老人が、世の中におったのだとだけご存知いただきたいものです。
 三条の宮におりました小侍従は亡くなってしまったと、ちらと聞きましたが、その昔、親しく存じておりました同じ年配の者は多く亡くなってしまいました老いの末に、遠い田舎から縁故を辿って上京して来て、この五、六年のほどここにこのようにしてお仕えしております。
 ご存知ではないでしょう、最近、藤大納言と申すお方の御兄君で、右衛門督でお亡くなりになった方は、何かの機会にあのお方のこととして噂をお聞きになっていることはございましょうか。
 お亡くなりになって、まったくいくらも経っていないような気がしますが、その時の悲しさも、まだ袖が乾く時の間もございませんように存じられますのに、このように大きくおなりあそばしたお年のほども、夢のように思われます。
 あの故権大納言の御乳母でございました人は、弁の母でございました。朝夕に身近にお仕えいたしましたところ、物の数にも入らない身ですが、誰にも知らせず、お心にあまったことを、時々お漏らしになっていましたが、いよいよお最期とおなりになったご病気の末頃に、呼び寄せてわずかに言い残されたことがございましたので、ぜひお耳に入れなければならない子細が一つございますけれども、これだけ申し上げましたので、続きをとお思いになるお考えがございましたら、ゆっくり、すっかりお話し申し上げましょう。若い女房たちも聞いていられず出過ぎていると非難するのももっともなことですから」と言って、さすがに最後まで言わずに終わった。
 いぶかしく、夢語りや巫女などのような者が問わず語りをしているように、珍しい話だという気がなさるが、切実に心許なく思い続けて来られたことに関わることを申し上げたので、ひどく先が知りたいが、なるほど人目も多いし、不意に昔話にかかわって夜を明かしてしまうのも、無作法に違いないので、
「それとはっきりと思い当たるふしはないものの、昔のことと聞きますのも心をうちます。それではきっとこの続きをお聞かせください。霧が晴れていったら見苦しいやつした姿を不作法のお咎めを受けるに違いない姿なので、心の内では残念でなりません」とおっしゃってお立ちになると、あのいらっしゃる寺の鐘の音がかすかに聞こえて、霧がたいそう深く立ち込めていた。

 

《薫は、一体何ごとかと不審に思いながら、そういう「人の世のあわれ」を知る方とこそお話したかった、「嬉しい機会のようです」と気軽な調子でなだめて、話を待ちます。

促された古女房は、一気に、驚くべき話を始めたのでした。

彼女はいきなり「三条の宮におりました小侍従は」と、薫の邸の話から始めます。その小侍従というのは、柏木を女三の宮に手引きした人(若菜下の巻第七章第二段)で、彼女としては、自分の素性を分かって貰うために薫の身近から話し始めたということでしょうが、薫はいきなり自分の邸の話が出てきて驚き、身を乗り出す思いだったでしょう。

そこまで話して、今度は柏木の話に跳びます。三条邸とは本来関わりのないはずの人で、このあたり、スリルに富んだ意外な展開で、『評釈』は「見事な話しぶりである」と言います。そして、柏木という人は、いくらかご存じでしょう、あの方が亡くなられてまだ間もないような気がします(実際は二十二年ほどが経っていて、薫の歳に一致します)が、もうこんなに大きくなられてと、またしても飛躍して、しかもいきなり薫自身に話が帰ってきます。

そこまで話して、やっと、実は私(弁)の母がその柏木様の乳母(ということはこの人と柏木は乳兄妹ということです)で、と自己紹介から本題に入ります。

その柏木様はときおり私に悩み事を漏らしたりしておられたのですが、いよいよ最期のときにわざわざ呼ばれて、言い残されたことがあるのですが、それをあなたが知りたいと思われるなら、「改めてゆっくり」お話ししたい、と言うのです。

聞いた薫には、あまりに突然だったからでしょうか、「珍しい話だという気がなさる」と、他人事のように感じられました。しかし彼は自分の出生について、疑惑としてではあるものの、かなり詳しく思い描いています(匂兵部卿の巻第二章第二段)から、すぐにこれは「切実に心許なく思い続けて来られたことに関わること」だと察しがつきます。

「ひどく先が知りたい」と思いましたが、もちろんここでというわけには行かず、老女の言うように、次の機会をつくるしかありません。それにしても、ことがことだけにもっと驚いてもいいような気がしますが、意外に冷静な対応です。あるいは彼としては、話の筋は分かっていて、後は弁の話を証拠として聞くだけ、という気持ちとも思われますが。

薫は、もう夜が明けますが、この服装で明るくなったらご無礼で、改めて出直すことにしますと、その場を収めて立ち上がり、帰りかけます。

朝の鐘が遠く聞こえて、霧は深く、余韻を残してひとまずこの場面の幕が降ります。》

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第五段 老女房の弁が応対

【現代語訳】

 たとえようもなく出しゃばって、
「まあ、恐れ多いこと。失礼なご座所でございますこと。御簾の中にどうぞ。若い女房たちは、物の道理を知らないようでございます」などと、ずけずけと言う声が年寄じみているのも、きまり悪く姫君たちはお思いになる。
「本当に、どうしたことか世の中に暮らしていらっしゃる方のお仲間にも入らないご様子で、当然訪問下さってもいい方々でさえ心に掛けてご訪問申される方々もお見かけ申さなくなる一方ですのに、めったにないお志のほどを、人数にも入らない私でも意外なとまでお思い申し上げさせていただいておりますが、若い姫君たちもご存知でありながら、申し上げなさりにくいのでございましょうか」と、まことに遠慮なく馴れ馴れしいのも、小憎らしい一方で、感じはたいそうひとかどの人物らしく、教養のある声なので、
「まこと取りつく島もない気がしていたが、嬉しいおっしゃりようです。何事もよくお分かりいただいている頼もしさは、この上ないことです」とおっしゃって寄り掛かって座っていらっしゃるのを几帳の端から見ると、曙のだんだん物の色が見えてくる中で、いかにもお忍びらしくしていらっしゃると見える狩衣姿の、たいそう露に濡れて湿っている様子は、何ともこの世ならぬ匂いかと、不思議なまで薫り満ちていた。

 この老人は泣き出した。
「出過ぎているとのお咎めもあるやと存じて控えておりますが、しみじみとした昔のお話の、どのような機会にお話申し上げ、その一部分でもちらっとお耳に入れたいと、長年念誦の折にも祈り続けてまいった効があってでしょうか、嬉しい機会でございますが、まだお話ししないうちから涙が込み上げて来て、申し上げることができません」と、震えている様子は、ほんとうにひどく悲しいと思っているようだ。

《待たれていた老女房の登場です。「主人である姫の言葉を伝えるべきだのに、自分でしゃべり」だすという(『評釈』)「たとえようもなく出しゃばっ」た態度で、姫たちは「きまり悪く」思いますが、姫たちも含めて若い人々を抑えているらしいこの物言いから見ると、都からついてきた人でもあるらしく、心得も自信もありそうで、したがってまた少々高飛車でもあります。

「御簾の中にどうぞ」は簀子から廂の間に招き入れたということのようです。老女は姫たちに代わってお相手します。

「当然訪問下さってもいい方々(原文・さもありぬべき人々)でさえ…」という言葉には、彼女の日ごろの不満が感じられますが、そういう人たちに比べて、あなた様の「めったにないお志」と感謝の挨拶をして、そのご厚意は姫君にもよくお分かりなのですが、なにせ、お若いので、と姫たちの弁護もぬかりなく、こういう、何かとやかましいらしい女房がついているから、姫君たちの城が守られてきたという一面もあったことでしょう。

作者もここに来て「感じはたいそうひとかどの人物らしく、教養のある声」と認めたところで、薫もやっと話の通じる相手が出てきたとほっとする気持です。

物陰で息を呑んで様子を窺っていた若い女房たちが緊張を解かれて、ますます胸を躍らせて「御簾の端から」覗くと、ちょうど薫の匂いがあたりに満ちます。

と、さっきまであれほどしゃきしゃきと語っていた老女房が、急に泣き出しました。どうもかねて語らねばならないと思っていた昔話というのがあるようです。

薫にとっては初めて見る人からの突然の話で、思いもよらない展開ですが、しかし彼女は、今語ろうとしてさまざまな思いが湧き上がってきたのか、話す先から胸がつまってしまったようで、なかなか先に進みません。》

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第四段 薫、大君と御簾を隔てて対面

【現代語訳】

 このように見られただろうかとはお考えにもならず、気楽に弾いていたのをお聞きになったのだろうかと、とてもひどく恥ずかしい。不思議なことに香ばしく匂う風が吹いていたのを、思いかけない時なので気がつかなかった迂闊さよと、心乱れて恥ずかしがっていらっしゃる。
 ご挨拶などを伝える人も、とても物馴れない人のようなので、時と場合によって何事も、とお思いになって、まだ霧でよく見えない時なので、先ほどの御簾の前に歩み出て、お座りになる。田舎びた若い女房たちはお相手する言葉も分からず、お敷物を差し出す恰好もたどたどしそうである。
「この御簾の前では落ち着かない気がいたしますよ。一時の軽い気持ちぐらいでは、こんなにも尋ねて参られないような山路と存じますのに、変わったお扱いで。このように露に濡れ濡れ何度も参っていれば、いくらなんでもお分かりになるだろうと、頼もしく存じております」と、とてもまじめにおっしゃる。
 若い女房たちが、すらすらとお返事申し上げることもできず、正体もないほど恥ずかしがっているのも見ていられないので、年配の女房で奥に寝ている者を起こし出している間、ひまどって、改まった感じになるのも気になって、
「何事もわきまえないありさまで、知ったふうにどうしてお答え申し上げられましょうか」 と、たいそう優雅で気品のある声で、身を引くようにしながらかすかにおっしゃる。
「実は分かっていながら、辛さを知らないふりをするのも、世の習いと存じておりますが、他ならぬあなたが、あまりにそらぞらしくしていらっしゃるのは、残念に存じます。

珍しいほど何事につけ悟り澄ましていらっしゃるご生活などにお従い申しておいでのお心の内では、万事すっきりとご推察のことと思いますので、やはりこのように秘めきれない気持ちの深さ浅さも、お分かりくださってこそ、参上したかいがございましょう。
 世の常の好色がましいこととは違うとお考えいただけませんか。そのようなことは、ことさら勧める人がありましても、言う通りにはならない決心の強さです。
 自然とお聞き及びになっていることもございましょう。たいへん所在なく過ごしております世間話も、聞いていただくお相手としてお頼り申し上げ、またこのように世間から離れて物思いしていらっしゃるお心の気紛らわしには、そちらから話しかけて下さるほどに親しくさせていただけましたら、どんなにか嬉しいことでございましょう」などとたくさんおっしゃると、遠慮されて答えにくくて、起こした老女房が出て来たので、お任せになる。

 

《姫君の側では、日ごろこれといって客などない暮らしで、安心して端近に出て姉妹で気軽な時を過ごしていたところに、思いがけずお客だという知らせを受けて、驚いてしまいました。よもや姿を見られたとは思いもよらず、そういえば経験のない「香ばしく匂う風が吹いていた」と思うと、おしゃべりや琴の音を聞かれたかと、恥じ入っています。

薫は、挨拶を受けたり取り次いだりする女房が出てこないようなので、こういうところで都風の作法を待ってもしかたなかろうと、自分から出て行って、巻き上げられていた御簾の前の簀子縁に坐りました。都の最上流の御邸の女房たちでさえ、心を時めかせて大騒ぎするような貴公子が、突然目の間に現れて、田舎住まいにしか慣れていない女房たちは、ただおろおろするばかりで、ろくに言葉も出ません。

やむなく薫は自分から声を掛けます。それがまた、「とてもまじめにおっしゃ」ったものですから、女房たちは一層気圧される感じで、ただ黙って敷物をおずおずと差し出すばかり。誰かが慌てて奥で寝ているベテラン女房を起こしに走りますが、それを待つ間、気まずい間ができてしまいました。

姫君はいつまでもそのままで待つわけにはいかないと、やむなく、「身を引くようにしながらかすかに」ではありますが、みずから挨拶をします。その立場を考えた心構えと言い、「たいそう優雅で上品な声」と言い、やはりひとかどの人であることが察せられます。

薫の長い言葉は、「世の常の好色がましいこととは、違う」と言いながら、実際はあまり違うようには聞こえません。

「一時の軽い気持ちぐらいでは、こんなにも尋ねて参られない」とか、「秘めきれない気持ちの深さ浅さ」とか、「たいへん所在なく過ごしております世間話も、聞いていただくお相手としてお頼り申し上げ」となると、薫としては父宮への傾倒や日ごろの精進の話とをしているのだということにして語っているのであっても、それは彼自身への弁明に過ぎないのであって、、普通に聞けばやはり「世の常の」、姫たちへの思いと取られても仕方がないでしょう。

いやむしろ、先ほどからの姫たちへの関心の寄せ方から見れば、ことさらそう受け取れるように話している、と言う方が正確でしょう。

「たくさんおっしゃると(原文・多くのたまえば)」という皮肉な言葉が、作者の意図もそう思って欲しいと語っているように思わせます。

そういう気持ちをそうとストレートに言えないところが、薫の作者から与えられたキャラクターであるわけです。それは「知的青春の真実」(第二章第三段)ではあるのですが、また社会の「閉塞性」(巻頭)の中の変則的なそれであろうということも思わせます。

薫に改まった、難解な挨拶をされて困り切ったところに、老女房の登場です。》

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第三段 薫、姉妹を垣間見る

【現代語訳】

 あちらに通じているらしい透垣の戸を少し押し開けて御覧になると、月が美しく見える具合に霧がかかっているのを眺めて、簾を短く巻き上げて女房たちが坐っている。簀子に、たいそう寒そうにほっそりとして糊気の落ちた着物の女童一人と、同じ姿をした大人などが坐っている。内側にいる人の一人が、柱に少し隠れて琵琶を前に置いて、撥をもてあそびながら座っていると、雲に隠れていた月が急に明るく差し出たので、
「扇でなくて、これでもっても月は招き寄せられそうだわ」と言って、外を覗いている顔は、たいそうかわいらしくつやつやしているらしい。
 添い臥している姫君は、琴の上に身を傾けていて、
「入り日を戻す撥というのはありますが、変わったことをお思いつきになるお方ですこと」 と言ってほほ笑んでいる様子は、もう少し落ち着いて優雅な感じである。
「そこまでできなくても、これも月に縁のないものではありませんわ」などと、とりとめもないことを、くつろいで言い合っていらっしゃる二人の様子は、まったく見ないで想像していたのとは違って、とても可憐で親しみが持て感じがよい。
「昔物語などに語り伝えて、若い女房などが読むのを聞くにも、必ずこのようなことを言っていたが、そのようなことはないだろう」と、馬鹿にしていたのだが、

「なるほど、世の中には人の心を引くような隠れたことがあったのだな」と、心が惹かれて行きそうである。
 霧が深いので、はっきりと見ることもできない。もう一度月が出て欲しいとお思いになっている時に、奥の方から、「お客様がおいでです」と申し上げた人がいたのであろうか、簾を下ろして皆入ってしまった。驚いたふうでもなくおだやかに振る舞って、そっと身を隠した方々の様子は、衣擦れの音もせずとても柔らかくなっておいたわしい感じで、たいそう上品で優雅なのを、しみじみと心惹かれる思いにおなりである。
 静かに出て、京に、お車を引いて参るよう、人を走らせた。先ほどの男に、
「具合悪い時に参ってしまいましたが、かえって嬉しく、思いが少し慰められた。このように参った旨を申し上げよ。ひどく露に濡れた愚痴も申し上げたい」とおっしゃると、参上して申し上げる。

 

《薫が姫たちのいるという建物の方を覗き見ますと、女性たちが端近に坐っているのが見えました。「ほっそりとして」は『評釈』と『谷崎』は「痩せて」いるのだとしますが、『集成』は「十分に着重ねていないので、細く痩せて見える」とします。『評釈』が載せている「絵入源氏物語」の絵もその方がいいように見えます。

 さて、男性に見られているなどとは思いもしない姉妹が、「くつろいで」楽しそうに戯れの言葉を交わしています。薫はまるで昔物語の場面を見ているような、楽しい場面のように思って、この姉妹に「心が惹かれて行きそう」です。

 「霧が深いので」よく見えないのが残念です。もっとも、仮にいくら広いとしてもたかが庭を挟んだだけですから、霧で見えないということは実際にはあり得なさそうですし、また、初めは「月が美しく見える具合に霧がかかって」いて、次は「雲に隠れていた月が、急に明るく差し出」て、またすぐ「霧が深い」というのは、ちょっと都合がよすぎるような気もしますが、自然現象ですから仕方がないのかも知れません。

 奥の方から、「お客様がおいでです」と声がして、みんなが奧に「静かに隠れた」というのは着物が着古されていて衣ずれの音がしないと言うことで、「おいたわしい感じ」なのですが、薫には、それよりも「驚いたふうでもなく、ものやわらかに振る舞って」いる様子の方が奥ゆかしく感じられて「しみじみと心惹かれる思いにおなりである(原文・あはれと思ひたまふ)」のでした。先ほどよりもさらにぐっと心惹かれたようです。

途中、「添い臥している姫君」とあり、「添ひ臥す」については、普通、辞書には「寄り添って寝る」(『辞典』)とされていますが、以前にも挙げた(篝火の巻第二段)ように、ウエブサイト「源氏物語探求教室 第二章・名場面を考察する」(今年五月にはあって、現在はネットから削除されてしまったようです)が、「多くの遮蔽物の向こうにいるはずの『被写体』が、人の視線にさらされた時使用される動詞である」と言っています。当否は分かりませんが、この場合も薫から見えないところにいるという意味では、よく当てはまる説明だと思います。》

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第二段 宿直人、薫を招き入れる

【現代語訳】

 暫く聞いていたいので隠れていらっしゃったが、お気配をはっきりと聞きつけて、宿直人らしい何か愚直そうな男が出て来た。
「しかじかで籠もっていらっしゃいます。お手紙を差し上げましょう」と申し上げる。
「なに、そのように日数を限った御勤行のところを、お邪魔申し上げるのもいけない。このように濡れながら参って、むなしく帰る嘆きを、姫君の御方に申し上げて、気の毒にとおっしゃっていただけたら、慰むだろう」とおっしゃると、不細工な顔がにこっとして、
「申し上げさせましょう」と言って立つのを、
「ちょっと待て」と召し寄せて、
「長年、人伝てにばかり聞いて、聞きたく思っていたお琴の音を、よい折だ、暫くの間、少し隠れて聞くのに適当な物蔭はあるか。場違いにも出過ぎて参上したりする間に、皆がお止めになっては、まことに残念であろう」とおっしゃる。そのお振る舞いや容貌が、そのようなつまらない男の心にも、実に立派に恐れ多く見えたので、
「人が聞かない時には、明け暮れこのようにお弾きになりますが、下人であっても、都の方から参って出入りする人がある時は、音もお立てになりません。だいたいが、こうして女君たちがいらっしゃることをお隠しになり、世間の人にお知らせ申すまいと、お考えになりおっしゃっているのです」と申し上げるので、ほほ笑みなさって、
「つまらないお隠しだてだ。そのようにお隠しになるというが、誰も皆、類まれな例として、聞き出すに違いないだろうに」とおっしゃって、

「やはり、案内せよ。私は好色がましい心などは、持っていないのだ。こうしていらっしゃるご様子が不思議で、まったく並々には思えないのだ」と懇切におっしゃると、
「なんと、恐れ多い。物をわきまえぬ奴と、後から言われそうです」と言って、あちらのお庭先は竹の透垣を立てめぐらしてすべて別の塀になっているのを教えて、ご案内申し上げた。お供の人は西の廊に呼び止めて、この宿直人が相手をする。

 

《薫は隠れて聞いているつもりですが、なにしろ山里の眠っている人の目を覚ますほどの「隠すことのできない御匂い」(前段)なのですから、何の効果もありません。すぐに宿直人がそれと分かって出てきます。この土地で雇われた人なのでしょう、「愚直そうな男」です。よく知っている薫ですから、挨拶もなしに用件も承知で、宮に連絡をと言います。

しかし薫は、軽く「なに、」と断って、せっかくの勤行を妨げてはいけないと、十キロの道をまた出直すつもりのようです。通信手段の少ない当時では、訪ねた人が不在だということはしばしばあることでしょう。私たちからは想像もつかない悠長な暮らし方です。

「(姫君から)気の毒にとおっしゃっていただけたら、慰むだろう」というのは、つまり取り次いで欲しいということで、男は「不細工な顔がにこっとして(原文・みにくき顔うち笑みて)」とあります。これがどういう笑いか難しいところですが、嫌みなふうには考えない方がいいような気がします。

すぐに案内をしようとしますが、ここでも薫は控えめで、まあ琴がひときり終わってからでよいと引き止めました。男の返事は薫の言ったことの返事になっていないように思われますが、主旨は「確かに、お声をすれば琴はおやめになるでしょう」ということでしょうか。薫は、そんなに隠そうとすれば、余計に人の関心を引いてしまうのに、と思いながら、改めて案内を求めます。「私は好色がましい心などは、持っていないのだ」は、言うだけ無駄というものですが、彼としては言わずにはすまない気持ちなのでしょう。

それに対する男の返事(原文・あなかしこ。心なきやうに、のちの聞こえやはべらむ)は解釈の別れるところで、『集成』と『谷崎』は、「困りました、後で叱られます」で、『評釈』は「恐れ多いことです、案内しなければ叱られます」と、まるで反対です。「と言って」案内した、と素直に続きますから、『評釈』説かとも思われますが、しかし、そんなことを言うものだろうか、という気もします。》

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