【現代語訳】2
「そうですね。実にいろいろと御覧になっているはずの一部さえ、お見せ下さらない。あのあたりは、このようにとても陰気くさい男が独占していてよい人とも思えませんので、ぜひ御覧に入れたいと思いますが、どうしてお訪ねなさることができましょう。気軽な身分の者こそ、浮気がしたければいくらでも相手のいる世の中です。人目につかぬ所ではよくあることのようですよ。それなりに魅力のある、物思わしげな女がひっそりと住んでいる家々が、山里めいた隠れ処などに何かとあるようです。
今お話し申し上げているあたりは、たいそう世間離れした聖ふうで、田舎びているであろうと、長い間ばかにしていまして、耳を止めさえしなかったものです。ほのかな月の光の下で見た器量が実際に見て違っていなかったなら、十分なものでしょう。感じや態度は、それはまたあの程度なのを、理想的な女とは思うべきでしょう」などと申し上げなさる。
しまいには、本気になってとても憎らしく、並大抵の女に心を移しそうにない人がこのように深く思っているのを、いい加減なことではないだろうと、興味をお持ちになることはこの上なく高まった。
「さらに、またまた、よく様子を探って下さい」と相手をお勧めになって、制約あるご身分の高さを疎ましいまでにいらだたしく思っていらっしゃるので、おもしろくなって、
「いや、つまらないことです。暫くの間も世の中に執着心を持つまいと思っておりますこの身で、ほんの遊びの色恋沙汰も気が引けますが、我ながら抑えかねる気持ちが起こったら、大いに思惑違いのことも起こりましょう」と申し上げなさると、
「いやまあ、大げさなことだ。例によって、物々しい修行者みたいな言葉を、最後まで見てみたいものだ」と言ってお笑いになる。
心の中では、あの老人がちらっと言った話などがますます心を騒がせて、何となく物思いがちなので、心をときめかすことも美しいと聞く人のことも、どれほども心に止まらないのだった。
《初めの「そうですね(原文・さかし)」は、匂宮の、私だったらそんなに素晴らしい姫からの手紙なら、あなたに見せるだろうに、という恨み言(前段)に対する返事ですが、なかなか微妙なことばです。皮肉にことさらな肯定的返事で応じた、ということでしょうか。
薫は、匂宮が思い通り羨ましそうに話に乗ってきたので、それをますます煽るように、続けます。まず、あなたは身分がら、訪ねることはできないだろうと、意地悪く言っておいて(これも実はけしかける気持)、片田舎に美しい娘がこっそりといるというロマンを、「あの程度なのを、理想的な女とは思うべきでしょう」と吹き込みます。
匂宮は、すっかり乗せられたようで、「制約あるご身分の高さを疎ましいまでにいらだたしく思って」、「よく様子を探って下さい」と頼んできました。
すると薫は、今度は、いや私は世の中の事からは遠ざかりたいと思って、あまり関心を持っていないので、とするりと逃げる振りをして、じらします。
そう言われると匂宮はもうしようがありませんから、「物々しい修行者みたいな言葉を」と笑うしかありません。あなたのその言葉が本当かどうか、見せて貰うよ…。
友だちとの一時の戯れが過ぎると、薫の胸には、また、あの弁の君の話が蘇って、姫君のことも「心に止まらず」、心が騒ぐのでした。
もっとも、宇治であの弁の君の話を聞いたときは、それほどの反応ではなかったことを思うと、ここはやや唐突な感じがしますが、彼の場合、出家へ向かう気持ち(というより厭世的気分)と大君への関心と、そして出生の疑惑への怖れが、彼の心の中で入り混じって、時々にそれぞれがあふれ出る、といった状態だということなのでしょう。》