源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 宇治の八の宮の物語(二)

第四段 薫、八の宮と親交を結ぶ~その2

【現代語訳】2

 聖めいた人や学問のできる法師などは世の中に多くいるが、あまりに堅苦しく、よそよそしい徳の高い僧都や僧正の身分の人は、世間的に忙しく素っ気なく、物事の道理を問いただすにも仰々しく思われなさる。また、これといったこともない仏の弟子で、戒律を守っているだけの尊さはあるが、雰囲気が賤しく言葉がなまって不作法に馴れ馴れしいのは、とても不愉快で、昼は公事に忙しくなどして、ひっそりとした宵のころに側近くの枕許などに召し入れてお話しなさるにつけても、まことにやはりむさ苦しい感じばかりがするが、宮はたいそう気品高くいたいたしい感じで、おっしゃる言葉も同じ仏のお教えも、分りやすい譬えをまぜて、たいそうこの上なく深いお悟りというわけではないが、身分の高い方は物事の道理をお悟りになる方法が特別でいらっしゃるものなので、だんだんとお親しみ申し上げなさる度毎にいつもお目にかかっていたく思って、忙しくなどして日を過ごしている時は恋しいお気持ちになられる。
 この君がこのように尊敬申し上げなさるので、冷泉院からも常にお手紙などがあって、長年、噂にもまったくお聞きなされず、ひどく寂しそうであったお住まいに、だんだん来訪の人影を見る時々がある。何かの時に、お見舞い申し上げなさることは大変なもので、この君もまずしかるべきことにかこつけては、風流な面でも経済的な面でも、好意をお寄せ申し上げなさること三年ほどになった。

 

《八の宮の話は、薫にとって大変に耳に入りやすく、たちまち彼は心酔しました。

初めの「聖めいた人や…むさ苦しい感じばかりがするが」という、好ましくない僧達についてのもっともらしく長い評は、余計な講釈とも思えますが、しかし、おそらくこれは作者の実生活での生の体験なのでしょう。

徳のある僧を二つに分けて、位の高い方のグループは「あまりに堅苦しく、よそよそし」く、かつ世間的に多忙なために話が「素っ気なく」なってしまう、「仰々しく」は「ちょっと邸に呼びつけるにも、大仰であり、めんどうくさい」(『評釈』)、つまり呼ぶにもそれなりの準備が必要で大変だ、また位のそれほど高くない僧は、「戒律を守っているだけの尊さ」一筋で、世間馴れしておらず無頓着、我流で通されるので、貴族流に合わなくて何かと「むさくるしい」、といったところでしょうか。

それに比べて宮は、何と言っても「気品高く」、しかも分かりやすかったので、薫は話を聞くごとに、敬愛が深まっていきます。

二人は「琴瑟相和す」(原義はちょっと違うようですが)といった感じで交流を深めました。そして薫が冷泉院にそのことを話したのでしょうか、院も気持を変えられたようで、「常にお手紙などが」あるようになって、宮の周辺も少しずつ賑やかになり、経済的にも支援がなされるようになっていって、そして三年が過ぎます。

途中「いたいたしい感じで(原文・心苦しく)」が、「気品高く」とどうして並列されるのか、よく分かりません。ここは『集成』訳ですが、『評釈』は「おしつけがましくない感じで」と、まったく異なっています。『辞典』は「心苦し・相手の様子を見て、自分の心も狂いそうに痛むのが原義」と言います。すると、ここでの「相手」「自分」は、それぞれどちらなのでしょうか。

ここのように「いたいたしい」と訳せば、薫が宮を見てその教えが痛切な自身の体験に根差したもののように感じたというような意味になり、『評釈』訳なら、宮が薫の理解度に最大限注意して心配りをしながら話している、ということになるのでしょうか。しかし、どちらにしても、どうも落ち着かない気がします。》

第四段 薫、八の宮と親交を結ぶ~その1

【現代語訳】1

 なるほど、聞いていたよりもいたわしくお住まいになっている様子をはじめとして、まったく仮の粗末な草庵で、そう思うせいか、簡素に見えた。同じ山里と言ってもそれなりに興味惹かれそうなのんびりとしたところもあるのだが、実に荒々しい水の音と波の響きに物思いを忘れたり、夜などは気を許して夢をさえ見る間もなさそうに風が寂しく吹き払っていた。
「聖めいた人にとっては、このようなことも気にならないことなのであろうが、女君たちは、どのような気持ちで過ごしていらっしゃるのだろう。世間一般の女性らしく優しいところは、少ないのではなかろうか」と推し量られるようなお住いの様である。
 仏間との間に、襖障子だけを隔てていらっしゃるようである。好き心のある人なら、気のあるそぶりをして姫君のお気持ちを見たく、やはりどのようなものかと興味惹かれる、あたりのご様子である。
 けれども、そのようなことを思い離れようとの願いで山深くお尋ね申した本意を離れて、好色がましいいいかげんなことを口に出して戯れるのも、事情と違うのではないかなどと思い返して、宮のご様子のまことにいたわしいのを丁重にお見舞い申し上げなさり、度々参上なさって、宮も、思っていたように、在俗のまま山に籠もり修行する深い意義、経文などを、特に賢ぶることなく、まことよくお聞かせになる。

 

《交際が始まって薫が見た八の宮の暮らしは、彼の予想を越えて「いたわしく(原文・あはれに)」思われました。途中、「そう思うせいか、簡素に見えた(原文・思ひなし、ことそぎたり)」が気になりますが、「普通に見れば仮の粗末な草庵ではあるが、行い澄ましているという八の宮の邸と思うと、粗末ではなくて簡素だとも思える」ということなのでしょうか。

 そうは言っても、他の地もあろうに、よりによってここは「荒々しい水音」は物思いさえさせず、、夜の夢さえ見させないような寂しげな風の吹き払う地だったといいます。その前の、「同じ山里と言ってもそれなりに興味惹かれそうなのんびりとしたところもある」というのは、一般論ではなくて、薫の想像し期待していた宇治の地なのでしょう。彼は仏道に、閑寂枯淡、脱俗自在、風月と親しむといった甘い幻想を抱いていたのではないでしょうか、それが一挙に吹き飛ばされた、といったふうに読みたいような気がします。

もっとも、実際の宇治は「大和への交通の要路に当たり、平安時代には、宇治川を挟んで貴族の別荘が営まれていた」と『集成』が言い、『評釈』の挙げる「蜻蛉日記」にはあの筆者が「(宇治川を)行き来する舟は、こんなにたくさん見たことがないので、何もかも心からおもしろかった」と書いたような所ですから、この薫の感想はいささか物語的創作があるようですが、もちろん私たちは薫のこの感想によって生まれるイメージの宇治を思い描かなくてはなりません。

 それはまさに鄙びた片田舎のわび住まいであり、宮はともかく、姫君たちの心をすさませているのではないかと案じさせるものでした。その姫たちは、手狭な住まいのことゆえ、「襖障子だけを隔てて」隣の部屋にいるらしく(ということは、薫は、その仏間で宮と向き合っている、という設定になるようです)、薫は、いったいどういう姫でいらっしゃるかと心引かれる思いですが、真面目な彼はそういう関心は本旨に背くとぐっと抑えて、宮に向き直り、そうしたわび住いへの「お見舞いを申し上げなさり」とあって、そこから一気に話はその日を離れて、以来「度々参上なさって」と時が経ちます。

その間の宮の仏道についての話は、深い話でありながら、「特に賢ぶることなく」、たいへん感じのいいものだったのでした。》

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第三段 阿闍梨、八の宮に薫を語る

【現代語訳】2

 阿闍梨は、中将の君が道心深くいらっしゃることなどを、お話し申し上げて、
「『経文などの真意を会得したい希望は幼い時から深く持ちながら、やむをえず世にあるうちに公私に忙しく日を過ごして、ことさら部屋に閉じ籠もって経を読み習い、だいたいが大して役にも立たない身で世の中に背き顔をしているのも、遠慮することではないのに、自然と修行も怠って俗事に紛れて過ごして来たましが、たいそうご立派なご様子を承りましたので、このように心にかけてお頼み申し上げるのです』などと、熱心に申し上げなさいました」などとお話し申し上げる。宮は、
「世の中を仮の世界と思い悟り、厭わしく思う心がつき始めるということも、自分自身に不幸がある時、大方の世も恨めしく思い知るきっかけがあって、道心も起こることのようですが、年若く、世の中も思い通りに行き、何事も満足しないことはないと思われる身分で、そのようにまた、来世までを考えていらっしゃるのは立派なことです。
 私は、そうなるべき運命なのか、ただ厭い離れよと、格別に仏などがお勧めになるような状態で、自然と静かな思いが適って行きましたが、余命少ない気がするのに、ろくに悟りもしないで過ぎてしまいそうなのを、今までもこれからも全然悟るところがなく思われるのに、かえって恥入るような仏法の友でいらっしゃいますね」などおっしゃって、お互いにお手紙を交わし、自分自身でも参上なさる。

 

《阿闍梨は宮に薫の話をしました。そこで伝えられた薫の言葉は、大変に謙虚でまっすぐなものでした。長い一文で読みにくいのですが、『ことさら~ないのに』が挿入句です。

宮は、普通仏道への志は、「自分自身に不幸がある時」生まれてくるものだと考えていて、しかし薫の場合はそういうことがあろうはずもないと思ったようで、まったく純粋な思索の果てにそこにたどり着いたのだと考えたのでしょう、みずらの現在のありようを恥じ入るほどに大変に感心してしまいます。

もちろん読者は、薫が宮の思うような「何事も満足しないことはないと思われる身分」ではないことを知っています。いや、「身分」自体はそのとおりですが、内面にはそれとは裏腹に、あるいはそういう身分であるだけに余計にそら恐ろしい、自身の出生についての疑いを持っていることの苦悩から生まれた仏道希求であり、言葉の謙虚さもそこから来るのです。

『評釈』は、そういう彼の姿を、「外面のひねこびた不自然さは、その内面の人間性に支えられて、読者の前にみずみずしい呼吸をしているといえよう」と言っているように、彼が、その外的条件のよさと内的な不安の大きさのギャップの間で、救いを求めて懸命に生きている姿は、それがまさに知的青春の真実を保証するものであることはまちがいありません。

ただし、「外面のひねこびた不自然さ」というのは、薫の年に似合わない謙虚さを含む優等生ぶりを、そのように厳しく言うのですが、それはいささか言いすぎで、評者が薫の内面を知っていることから来る思いなしのように思います、彼に接する登場人物たちには、そういうふうには見られていませんし、作者もそういう人物像としては描いていないように思います。

さて、そういう薫の事情は知るよしもないままに大変感心した宮との間に、さっそく交流が始まりました。》

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第三段 阿闍梨、八の宮に薫を語る~その1

【現代語訳】1

 中将の君の方がかえって、親王が仏道に専念していらっしゃるお心構えをお目にかかって拝見したいものだと思う気持ちが深くなった。そこで阿闍梨が山に帰っていくときにも、
「ぜひ、参ってお教えいただけるよう、まずは内々にでもご意向を伺ってください」などとお頼みになる。
 院の帝が、言伝で、

「心打たれる御暮らしぶりを、人伝てに聞きまして」など申し上げなさって、
「 世をいとふ心は山にかよへども八重たつ雲を君や隔つる

(世を厭う気持ちはお住いの山に心惹かれていますが、伺えないのは、幾重にも雲で

あなたが隔てていらっしゃるのでしょうか)」
 阿闍梨は、この御使者を先に立てて、あちらの宮に参上した。並々の身分で、訪問して差し支えない人の使いでさえまれな山蔭なので実に珍しく、喜んでお迎えになり、場所に相応しい御馳走などで、それなりに厚くお持てなしをなさる。お返事は、
「 あと絶えて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ

(世を捨てて悟り澄ましているのではありませんが、世を辛いものと思い宇治山に暮

らしております)」
 仏道修行の方面について謙遜して、このように申し上げなさったところ、「やはり、この世に恨みが残っていたのだな」と、いたわしく御覧になる。

《阿闍梨は宮の様子を弟宮に当たる院に話しているのですが、むしろ傍で聞いている薫の方が強く関心を持ったのでした。「帰っていくときにも…お頼みになる」とありますから、阿闍梨の話の途中にも、そういう気持ちを話していたのでしょう。

 話を聞いて院はさすがに宮への便りを思い立ち、使者を送ることにします。阿闍梨に託してもよさそうなものですが、わざわざの使者の方が丁寧な形になるのでしょうか。敗者である兄への、勝者である弟からの敬意ということのように見えます。歌も、もう私は何とも思っていません、どうか隔てを置かないで下さい、という意味がありそうです。

 宮は、久し振りの高貴の人からの便りとあって、大いに喜んで歓待しますが、返事の歌がちょっとした行き違いを生みました。

 作者は「仏道修行の方面について謙遜してこのように申し上げなさった」だけだったのだと言います(ここの原文「聞こえなしたまへば」を、諸注「ので」と訳していますが、それでは繋がらない気がします)が、院には、下の句の「世をうぢ山に」が、「やはり、この世に恨みが残っていたのだな」と思えたのでした。

院は立場上では宮の敵側になるわけですから、そう感じるのは自然だと思われます。『講座』所収「八の宮」(坂本和子著)は「八の宮の矜持は一貫している」と言いますが、院はこの歌にそういう気持ちを感じて、せっかく和解の気持だったのが、しぼんでしまったということのように見えます。

 阿闍梨は薫に頼まれて彼と宮との縁を結ぶ役割なのですが、彼は使者の案内という役目がなくても宮邸にはいつでも行けるのですから、院の手紙は特に必要ではない場面です。それなのに、作者があえて歌を贈答させて、院と八の宮の気持ちの齟齬というずいぶん重たく見えるエピソードを挟んだ意味は何なのだろうと思ってしまいます。

 院と八の宮の間の話は、ここで終わってしまいますから、八の宮の全く気が付かないところで、こういう誤解が生じたことで、あるいは都に帰る機会になったかも知れない院との縁が断たれてしまったのだとすると、この宮は、どこまでも不運な人ということになります。作者はそういう話をしたかったのでしょうか。いや、ちょっと考えすぎで、ただ宮の現在の不遇を語りたかっただけのようにも思えます。》

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第二段 冷泉院にて阿闍梨と薫語る

【現代語訳】

 この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して、御経などお教え申し上げる僧なのであった。京に出た折に参上して、いつものようにしかるべき教典などを御覧になってご下問あそばすことがある折に、
「八の宮がたいそう優れた方で、教典のご学問にも深く通じていらっしゃることです。そうなるべき方としてお生まれになった方でおいでなのでしょうか。深く悟り澄ましていらっしゃるのは、本当の聖の心構えのようにお見えになります」と申し上げる。
「まだ姿は変えていらっしゃらないのか。俗聖とか、ここの若い人達が名付けたそうだが、殊勝なことだ」などと仰せになる。
 宰相中将も御前に伺候なさっていて、

「自分こそ、世の中を実につまらなくとよく分かっていながら、勤行などを人目につくほどは勤めず、残念に過ごして来てしまった」と、人知れず思いながら、

「在俗のまま聖におなりになる心構えとはどのようなものか」と耳を止めてお聞きになる。
「出家の本願は、もともとお持ちでいらっしゃいましたが、些細なことに心がにぶり、今となっては、お気の毒な姫君たちのお身の上をお見捨てになることができないと、嘆いておられます」と奏す。
 そうは言っても音楽は賞美する阿闍梨なので、
「まったく、もうこの姫君たちが琴を合奏なさって楽しんでいらっしゃるのが、川波と競って聞こえますのは、たいそう興趣あって、極楽もかくやと想像されます」と古風に誉めるので、院の帝はお笑いになって、
「そのような聖の傍でお育ちになって、この世のことには暗かろうと想像されるが、おもしろいことだね。気がかりで見捨てることができず、苦にしていらっしゃるだろうことが、もし、少しでも私が後に生き残るようであったら、お譲りにならないだろうか」などと仰せになる。この院の帝は、第十の皇子でいらっしゃるのであった。

朱雀院が故六条院にお預け申し上げなさった入道宮のご先例をお思い出しになって、「あの姫君たちを欲しいものだ。所在ない遊び相手として」などとお思いになるのであった。

 

《「めったに朝廷の法要にも出仕せずに籠もって」(前段)とあったのですが、公的な場に出ないけれども、気が合う人との交際は別ということなのでしょうか、「冷泉院にも親しく伺候」(「も」は、八の宮のほかに、ということでしょうか)することがあったようで、そこで宰相の中将(薫)との接点ができて、やっとこの物語の現在になります。

 院もご存じだった人のようで「俗聖」と呼ばれているという情報を持っていて関心を示されますが、たまたまお側にいたらしい薫も、自身がいずれは仏の道に入ることになろうと心を寄せていながら(匂兵部卿の巻第二章第五段)、「残念に過ごして来てしまった」という思いから、阿闍梨と院の間で交わされる八の宮の話に聞き耳を立てています。

阿闍梨は、仏門の人ではあるとは言っても、音楽に造詣のある人で、八の宮が「教典のご学問にも深く通じて」いるだけではなく、姫とともに琴を楽しんでいて、その方でもなかなかのものだと話しますから、院はますます関心を寄せられて、宮がそんなに姫君のことを案じているなら、宮にもしものことがあった時には、自分が世話をしようかと名乗りを上げられました。同じ桐壺帝を父とする院から見れば兄にあたることでもあり、源氏が兄・朱雀院の姫・女三の宮を迎えた例に倣って、自分も兄の姫をと考えたのでした。玉鬘の大君を迎えて皇子を得ていたこともあってででしょうか、たいへん積極的で、院の関心は、阿闍梨の意図に反して、むしろ姫の方に向いてしまったようです。もっともその話はこの後特に話題にならないままです。若い薫の方が八の宮に関心を寄せて行くことの意外性を対照的に強調しようとしたのでしょうか。》

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