源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 宇治八の宮の物語(一)

第三段 阿闍梨、八の宮に薫を語る~その1

【現代語訳】1

 中将の君の方がかえって、親王が仏道に専念していらっしゃるお心構えをお目にかかって拝見したいものだと思う気持ちが深くなった。そこで阿闍梨が山に帰っていくときにも、
「ぜひ、参ってお教えいただけるよう、まずは内々にでもご意向を伺ってください」などとお頼みになる。
 院の帝が、言伝で、

「心打たれる御暮らしぶりを、人伝てに聞きまして」など申し上げなさって、
「 世をいとふ心は山にかよへども八重たつ雲を君や隔つる

(世を厭う気持ちはお住いの山に心惹かれていますが、伺えないのは、幾重にも雲で

あなたが隔てていらっしゃるのでしょうか)」
 阿闍梨は、この御使者を先に立てて、あちらの宮に参上した。並々の身分で、訪問して差し支えない人の使いでさえまれな山蔭なので実に珍しく、喜んでお迎えになり、場所に相応しい御馳走などで、それなりに厚くお持てなしをなさる。お返事は、
「 あと絶えて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ

(世を捨てて悟り澄ましているのではありませんが、世を辛いものと思い宇治山に暮

らしております)」
 仏道修行の方面について謙遜して、このように申し上げなさったところ、「やはり、この世に恨みが残っていたのだな」と、いたわしく御覧になる。

《阿闍梨は宮の様子を弟宮に当たる院に話しているのですが、むしろ傍で聞いている薫の方が強く関心を持ったのでした。「帰っていくときにも…お頼みになる」とありますから、阿闍梨の話の途中にも、そういう気持ちを話していたのでしょう。

 話を聞いて院はさすがに宮への便りを思い立ち、使者を送ることにします。阿闍梨に託してもよさそうなものですが、わざわざの使者の方が丁寧な形になるのでしょうか。敗者である兄への、勝者である弟からの敬意ということのように見えます。歌も、もう私は何とも思っていません、どうか隔てを置かないで下さい、という意味がありそうです。

 宮は、久し振りの高貴の人からの便りとあって、大いに喜んで歓待しますが、返事の歌がちょっとした行き違いを生みました。

 作者は「仏道修行の方面について謙遜してこのように申し上げなさった」だけだったのだと言います(ここの原文「聞こえなしたまへば」を、諸注「ので」と訳していますが、それでは繋がらない気がします)が、院には、下の句の「世をうぢ山に」が、「やはり、この世に恨みが残っていたのだな」と思えたのでした。

院は立場上では宮の敵側になるわけですから、そう感じるのは自然だと思われます。『講座』所収「八の宮」(坂本和子著)は「八の宮の矜持は一貫している」と言いますが、院はこの歌にそういう気持ちを感じて、せっかく和解の気持だったのが、しぼんでしまったということのように見えます。

 阿闍梨は薫に頼まれて彼と宮との縁を結ぶ役割なのですが、彼は使者の案内という役目がなくても宮邸にはいつでも行けるのですから、院の手紙は特に必要ではない場面です。それなのに、作者があえて歌を贈答させて、院と八の宮の気持ちの齟齬というずいぶん重たく見えるエピソードを挟んだ意味は何なのだろうと思ってしまいます。

 院と八の宮の間の話は、ここで終わってしまいますから、八の宮の全く気が付かないところで、こういう誤解が生じたことで、あるいは都に帰る機会になったかも知れない院との縁が断たれてしまったのだとすると、この宮は、どこまでも不運な人ということになります。作者はそういう話をしたかったのでしょうか。いや、ちょっと考えすぎで、ただ宮の現在の不遇を語りたかっただけのようにも思えます。》

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第五段 八の宮の半生と宇治へ移住

【現代語訳】

 父帝にも母女御にも早く先立たれなさって、しっかりしたご後見人の、取り立てて挙げられる方がいらっしゃらなかったので、学問なども深くお習いになることができず、まして世の中に生きていくお心構えは、どうしてご存知であろうか。身分の高い人と申しあげる中でも、あきれるくらい上品でおっとりした女性のようでいらっしゃるので、先祖からのご宝物や、祖父大臣のご遺産は、何やかやと尽きないほどあったが、行方もなくあっけなく無くなってしまって、ご調度類などだけが、特別にきちんとして多くあったのだった。
 参上してご機嫌を伺ったり、お気遣い申しあげる人もいない。所在ないのにまかせて、雅楽寮の楽師などのような、優れた人を召し寄せなさっては、とりとめない音楽の遊びに心を入れて成人なさったので、その方面ではたいそう素晴らしく優れていらっしゃった。
 源氏の大殿の御弟君でいらっしゃったが、冷泉院が春宮でいらっしゃった時に、朱雀院の大后があるまじき企みをご計画になって、この宮を、帝位をお継ぎになるように、ご威勢の盛んな時、ご支援申し上げなさった騒動で、心ならずも、あちら方とのお付き合いからは遠ざけられておしまいになったので、いよいよあちら方のご子孫の御世となってしまった世の中では、交際することもお出来になれない。またこの数年は、このような聖にすっかりなってしまって、今はこれまでと、万事をお諦めになっていた。
 こうしているうちに、お住まいになっていた宮邸が焼けてしまったのだった。不幸続きの人生に、大変に力を落として、移り住みなさるような適当な所もなかったので、宇治という所に、趣のある山荘をお持ちになっていたのでお移りになる。お捨てになった世の中だが、今は最後と住み離れることに悲しい思いにおなりなるのだった。
 網代のある近く、耳もとにうるさい川の辺りで、静かな思いに相応しくない点もあるが、どうすることもできない。花や紅葉や、川の流れも、心を慰めるよすがとして、前にも増して物思いに耽るより他のことがない。こうして世間から縁を切って籠もってしまった野山の果てでも、

「亡き北の方が生きていらっしゃったら」と、お思い申し上げなさらない時はなかった。
「 見し人も宿も煙になりにしをなにとてわが身消え残りけむ

(北の方も邸も煙となってしまったのに、どうしてわが身だけがこの世に生き残って

いるのだろう)」
 生きている効もないほど、恋い焦がれていらっしゃることよ。

 

《巻頭に概略が語られた宮の半生が、ここで具体的に明らかにされます。

両親に早く去られて、しっかりした後見人もなかったということは、お仕えする女房たちだけに囲まれて育った、ということでしょうか。そうだとすると、親王という身分だけに腫れ物に触るような丁重で過保護な、そして女性好みに仕向ける扱いだったでしょうから、「あきれるくらい上品でおっとりした、女性のようでいらっしゃる」という具合で、前段で触れた「貴族的な弱さ」はそういうところからも来ているのでしょう。

その結果、財産と言えるようなものはすっかりなくなって、目の前の調度類だけが素晴らしい物として残っている、というのが象徴的で、宮は、直接目の前で見えるものは大切にできるのですが、普段見ることのない「先祖からのご宝物」や、帳簿となっているであろう「祖父大臣のご遺産」などの管理事務への関心は向かなかったのです。

そして突然、この人は「源氏の大殿の御弟君でいらっしゃった」と具体的に物語の中での位置づけがされて、「朱雀院の大后」がこの人を押して、時の東宮(冷泉)を廃しての立坊を画策したことがあったと、大変な事件が語られます。源氏の須磨流謫(物語の現在・匂兵部卿の巻の終わりのおよそ四十年前になります)の間のことということなのでしょう。当時朱雀帝の皇子はまだ生まれたばかりの頃で、担げず、「家柄は良いが、しかし無防備な、誰もお守りする人のない宮様に目をつけた」(『評釈』)というわけです。

しかし事が成る前に朱雀帝の病状が悪化して源氏が呼び戻され、冷泉帝が即位して、あとは一気に源氏の天下となったために、この宮は出番の来ないままに、その反対分子と目されることになって、人々は彼から離れていくことになったのでした。

同時に彼も「このような(今そうであるような)聖にすっかりなってしまって」人から遠ざかり、「万事をお諦めになっていた」のでしたが、そんな中で不運がさらに追いかけるよう、今度は宮邸が焼失するということがあって、宮にはもはやそれを修復する力がなかったのでしょう、この宇治という片田舎の別荘に移ってきたのでした。

その間に、二人の姫が生まれましたが、その代わりに北の方が亡くなって、今は、ただひとえに北の方を恋しく懐かしみながら、ここに至っている、というわけなのでした。》

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第四段 ある春の日の生活

【現代語訳】

 春のうららかな日の光に、池の水鳥たちが互いに羽を交わしながらめいめいに囀っている声などを、いつもは何でもないことと御覧になっていたが、つがいの離れずにいるのを羨ましく眺めなさって、姫君たちにお琴をお教え申し上げなさる。とてもかわいらしげで、小さいお年なりに、それぞれ掻き鳴らしなさる楽の音色は、しみじみとおもしろく聞こえるので、涙を浮かべなさって、
「 うち捨ててつがひさりにし水鳥のかりのこの世にたちおくれけむ

(見捨てて去って行ったつがいでいた水鳥の雁の子は、どうしてこの世に残ったのだ

ろうか)
 気苦労の絶えないことだ」と、目をお拭いになる。容貌がとても美しくいらっしゃる宮である。長年のご勤行のために痩せ細ってしまわれたが、それでも気品があって優美で、姫君たちをお世話なさるお気持ちから、直衣の柔らかくなったのをお召しになって、つくろわないご様子は、とても恥ずかしくなるほど立派である。
 姫君がお硯を静かに引き寄せて手習いのように書き加えなさるのを、
「これにお書きなさい。硯には書き付けるものでありません」とおっしゃって、紙を差し上げなさると、恥じらってお書きになる。
「 いかでかく巣立ちけるぞと思ふにも憂き水鳥の契りをぞ知る

(どうしてこのように大きくなったのだろうと思うにつけても、水鳥のような辛い運

命が思い知られます)」
 よい歌ではないが、その折りにあっては、とてもしみじみと心打たれるのであった。筆跡は、将来の上達が見えるが、まだ上手にお書き綴りにならないお年である。
「若君もお書きなさい」とおっしゃると、もう少し幼そうに、長くかかってお書きになる。
「 泣く泣くも羽うち着する君なくはわれぞ巣守になりは果てまし

(泣きながらも羽を着せかけてくださるお父上がいらっしゃらなかったら、私は孵ら

ない卵になってしまったことでしょうが)」
 お召し物など皺になって、御前に他に女房もなく、とても寂しく所在なさそうなので、それぞれたいそうかわいらしくいらっしゃるのを、不憫でいたわしいとどうして思わないことがあろうか。お経を片手にお持ちになって、一方では読経しながら唱歌もなさる。
 姫君に琵琶、若君に箏のお琴を、まだ幼いけれど、いつも合奏しながらお習いになっているので、聞きにくいこともなく、たいそう美しく聞こえる。

 

《ここまで三段に渡って八の宮の現在の境遇の概観が語られてきましたが、ここで初めて三人の生活の様が描かれます。

春の陽の光のうららかな一日、邸の池には水鳥が遊んでいます。この池も、前段にあったように手入れは行き届かず、都を離れた地であることもあって、野趣の気配になっているでしょう。来る人とてない暮らしであってみれば、三人とも端近に、というよりひょっとしたら御簾の外に出て、でしょうか、水鳥を見ながら、宮は二人に琴を教えています。 

「小さいお年なりに(原文・小さき御ほどに)」とありますから、せいぜい十代始めのころの話ということでしょうか。それを『集成』の年立てに当てはめると、源氏が亡くなって間もない頃の話ということになりそうです。

宮の歌は、娘の前で口にするにはあまりに率直すぎて、あるいは宮の心の中で詠まれたものかと思うのですが、すぐに詠まれた大君の歌がそれに応じる内容になっていますから、この人たちは日常的にこういうことを話題にしているということなのでしょう。

「その折りにあっては、しみじみと心打たれる」という以上に深刻な思いが詠まれているように思われますが、中の君が幼い子らしくいかにも模範的な歌を詠んで、緊張を少し和らげてくれます。

ともあれ姿の見えた宮は「容貌がとても美しくいらっしゃ」り、「長年のご勤行のために痩せ細っていらっしゃるが、それでも気品があって優美」で、「つくろわないご様子は、とても恥ずかしくなるほど立派」な様子でした(もっとも、そうは言っても自分の悲哀を年端もいかぬ娘にストレートに投げかけるという心のあり方には、貴族的な弱さも感じざるを得ませんけれども)。

それでも姫たちは、前段で容姿のすばらしさが語られていましたが、素養の方もその宮の娘にふさわしく、幼い今からすでに、筆も「将来の上達が見え」て、琴も「聞きにくいこともなく、たいそう美しく聞こえる」のでした。つかの間の、寂しくとも穏やかなひと時がありました。
 途中、「硯に書き付ける」が分かりませんが、いわゆる「丘」(墨を摺るところ)に書くことを言うのでしょうか。『評釈』はずいぶん大きそうな硯の写真を載せています。》

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第三段 八の宮の仏道精進の生活

【現代語訳】

 さすがに広く趣のあるお邸の、池、築山などの様子だけは昔と変わらないで、たいそうひどく荒れて行くのを、所在なく眺めていらっしゃる。
 家司などもしっかりとした人もいないままに、草が青々と茂って、軒の忍草がわがもの顔に一面に青みわたっている。四季折々の花や紅葉の色や香を二人ご一緒にお楽しみになったからこそ慰むことも多かったのだが、ますます寂しく、頼みとする人もないままに、持仏のお飾りだけを特別におさせになって、明け暮れお勤めなさる。
 このような足手まといたちにかかずらっているのでさえ、不本意で残念で、

「自分ながらも思うに任せない運命であった」と思われるが、まして、

「どうして、世間の人並みに今更再婚などを」と、ひとえに年月とともに世の中をお離れになり、気持だけはすっかり聖におなりになって、故君がお亡くなりになって以後は、普通の人のような気持ちなどは、冗談にもお思いつきにはなられなかった。
「どうして、そんなにまで。死別の悲しみは二つと世に例のないようにばかり思われるようだが、時がたてば、そうばかりでいられようか。やはり、普通の人と同じようなお心づかいをなさって、たいそうこのような見苦しく頼りない宮邸の内も、自然と整って行くこともあるかも知れません」と、人は非難申し上げて、何やかやと、もっともらしく申し上げることも、縁故をたどって多かったが、お聞き入れにならなかった。
 御念誦の合間合間には、この姫君たちを相手にし、だんだん成長なさると、琴を習わせ、碁を打ち、偏つぎなどのとりとめない遊びにつけても、二人の気立てを拝見なさると、姫君は才気があり落ち着いて重々しくお見えになる。若君はおっとりとかわいらしい様子をしてはにかんでいる様子でとてもかわいらしく、それぞれにすぐれていらっしゃる。

 

《さすがに広いお屋敷ですから、大きな庭もあるのですが、それだけにかえって手が掛かり、手入れが行き届きませんから、すぐに草が茂り木の枝は伸び放題で、その荒廃が目を引くようになります。昔北の方と楽しんだ庭だと思うと、そのわびしさは一層増す思いで、気を晴らす手立てもなく勤行三昧です。

北の方が亡くなられて間もない頃は「(姫君の)成長なさっていく姿や器量が美しく素晴らしいので、朝夕のお慰めとして」(前段)過ごしていたのですが、時が経つにつれてこちらも「足手まといたちにかかずらっているのでさえ、心不本意で残念」という気持になり、来し方を振り返ってみると何事も「思うに任せない運命であった」と思ってしまって、すっかり勤行三昧の生活です。

そうした宮の暮らしぶりを案じた周囲の人たちは、「普通の人と同じようなお心づかいをなさって」と再婚を勧めます。そうしてもらえば家の中の切り盛りも好くなるだろうし、「その縁で新たに後見を得ることができる。親王を婿取るということなら、参議程度の人物が岳父にならないともかぎらない」(『講座』・八・「八の宮」坂本和子著)のです。

しかし、宮は「気持だけはすっかり聖におなりになって」、そういう話にはまるで耳を貸しません。同書は、「再婚を拒否する宮の態度は、当時の親王と比べて特異である」と言って、物語の中から、北の方を亡くして七、八年経ってから真木柱と結婚した蛍兵部卿(若菜下の巻第一章第四段)を挙げます。

そういう中でも、宮は、内心では「足手まとい」と思いながらも、娘たちの子育て、教育にも心を配っており、二人は「とてもかわいらしく、それぞれにすぐれ」た娘として育っていきます。》

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第二段 八の宮と娘たちの生活

【現代語訳】

「年月を過すにつけても、まことに暮らしにくく、堪え難いことが多い世の中ではあるが、見捨てることのできない大切な人のご様子や人柄に、引き止められる絆しとして過ごして来たのだが、独り残ってますます味気ない感じがすることだ。幼い子供たちをも、独りで育てるには、身分格式のある身なので、まことに愚からしく、外聞の悪いことであろう」というお気持ちになられて、出家の本意も遂げたくお思いになったが、世話を託す人もないまま残して行くのをひどくおためらいになりながら、年月がたつと、それぞれ成長なさっていく姿や器量が美しく素晴らしいので、朝夕のお慰めとして、自然とそのまま年月をお過ごしになる。
 後からお生まれになった姫君のことを、お仕えする女房たちも、

「まあ、時期も悪くて」などとぶつぶつ呟いては、身を入れてお世話申し上げなかったが、臨終の床で、何もお分りにならない時ながら、この子をとても気がかりに思って、
「ただ、この姫君をわたしの形見とお思いになって、かわいがって下さい」とだけ、わずか一言、宮にご遺言申し上げなさったので、前世の因縁も辛い時だが、

「そうなるべき運命だったのだろうと、ご臨終と見えた時までとてもかわいそうに思って、気遣わしげにおっしゃったことよ」とお思い出しになりながら、この姫君を特に、とてもかわいがり申し上げなさる。器量は本当にとてもかわいらしく、不吉なまで美しくいらっしゃった。
 姫君は、気立てはもの静かで優雅な方で、外見も物腰も気高く奥ゆかしい様子でいらっしゃる。世話をしたくなるような高貴な点は勝っていて、姉妹どちらもそれぞれに大切にお育て申し上げなさるが、思い通りに行かないことが多く、年月とともに、宮邸の内も何となく段々と寂しくなって行くばかりである。
 仕えていた女房も、将来の見込みがない気がするので辛抱することができず、次々と後を追ってお暇を取って散って行き、若君の御乳母も、あのような騒動に、しっかりした人を選ぶことがお出来になれなかったので、身分相応の浅はかさで、幼い君をお見捨て申し上げてしまったので、ただ宮がお育てなさる。

 

《重ねてですが、前巻に比べて本当にすらりと読める、分かりやすい話になっているように思われます。

八の宮の現世への恨めしさ、その思うに任せない暮らしの中での姫君たちへの気遣い、世間体のはばかり、そして出家の願いなどなどが錯綜する一方で、次第に立派に美しくなっていく姫たちのかわいさに「自然とそのまま年月をお過ごしになる」という気持が、結構行きつ戻りつの話なのに、素直に理解されます。

と、ここまで素直に流れてきた話が、中の君の誕生についての「まあ、時期も悪くて(原文・いでや、をりふし心憂く)」という言葉によってアクセントがつきます。

ここまでは、様々な不遇はありながらも、一家は身を寄せ合って静かに暮らしていたようですが、妹君の誕生によって北の方が亡くなると、この言葉からも分かるように、様相が一転しました。この姫に仕える女房が「北の方の逝去された折も折と、愚痴をこぼす」(『集成』)だけでも、いかがなものかと思われますが、さらに、「身を入れてお世話申し上げなかった」というのです。こういう由緒のある家なら、主家のピンチ、この姫たちが一人前におなりになるまでは、必ずや自分の手で立派にお育て申して、とみずから気合を入れる女房が一人や二人いてもよさそうなものですが、北の方の逝去という「騒動」のためにいい乳母を探すこともできないままで、どうやらこの宮一家の不遇には、女房に恵まれなかったこともあるようです。

あるいはこれまでは、北の方がそういう不出来なただの勤め人気質の女房たちを上手にコントロールしてこられたのが、その北の方が亡くなられて、タガが外れたということなのかも知れません。

こうした女房たちを宮自身が相手をされるのは、さぞかし大変なことだろうと思われます。こうしてじりじりと進んでいくそういう不如意の生活の中で、宮の幼い娘への愛情は不憫さと重なって、格別の愛着になります。

二人の姫君が、器量では中の君、人柄や品格では大君というふうに、いかにもありそうな形に改めて紹介されますが、そういう姫君の魅力では女房たちの生活の不安を抑える力にはなり得ず、お世話するもの達が次々に見切りを付けて去って行ってしまいました。》

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