源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第四章 玉鬘の物語

第四段 求婚者たちのその後

【現代語訳】

 求婚申し上げた人びとで、それぞれ立派に昇進して結婚なさったとしても不似合いでない方は、大勢いることよ。その中で、源侍従と言って、たいそう若く物足りないと見えた方は宰相中将になって、匂うよ、薫よと、聞き苦しいほどもてはやされている方は、なるほど人柄も落ち着いて奥ゆかしいので、高貴な親王方や大臣が娘を結婚させようとおっしゃるのなども聞き入れないなどと聞くにつけても、

「あの頃は若く頼りないようであったが、立派に成人なさったようだ」などと言っていらっしゃる。
 少将であった方も、三位中将とか言って評判が良い。
「器量も立派だった」などと、意地悪な女房たちは、かげ口をしたり、
「厄介な御様子の所に参るよりは」などと言う者もいて、お気の毒に見えた。

この中将は、依然として思い染めた気持ちがさめず、情けなく辛くも思いながら、左大臣の姫君を得たが、全然愛情を感じず、「道の果てなる常陸帯の(いつかほんのちょっとでも逢いたいものだ)」と、手習いにも口ぐせにもしているのは、どのように思ってのことであろうか。
 御息所は、気苦労の多い宮仕えの煩わしさに、里にいることが多くおなりになってしまった。尚侍の君は、思っていたようにならなかったご様子を、残念にお思いになる。

内裏の君は、かえって派手に気楽に振る舞って、大変風雅に奥ゆかしいとの評判を得て、宮仕えなさっている。

 

《大君が苦労をしている一方で、かつて彼女の周りにいた若者たちは時とともに立派になっていきました。中でもしばらく物語の舞台に登場の機会のなかった源侍従(匂宮)は、すっかり立派になって、あの薫と並んで、話題を二分するといった様子です。

玉鬘は、髭黒の遺志を受けて、「姫君を、まったく臣下に縁づけようとはお思いではなく」(第一章第三段)ここまで来たのでしたが、今となってみると、あの「臣下」の求婚者たちはみなそれぞれに立派に出世して、玉鬘は、この頃の大君の苦労を見るにつけ、これならあのときそちらに嫁がせればよかったという気持になりそうです。

 あの蔵人の少将でさえも今では位も上がり世評も高く、玉鬘の侍女たちまでが、大君は、院ではなくて、あの方に嫁がれた方がよかったと陰口を聞く始末です。

 建築の世界で、一軒の家を設計する時、女性に任せると、往々にしておもちゃの部屋を組み合わせたような、実用に向かないものになりがちだという話を聞いたことがありますが、目の前の小さな部分への関心が先立って、全体的な構想が脱けてしまうというようなことではないかと思います。もちろんそれは、逆に男の目は、相対的に細部が粗雑になりがちだということでもありますが、この玉鬘の選択は、こうなってみると、夫の遺志一点に目が向きすぎていたということになりそうです。

とは言え、所詮こういうことは結果論に過ぎません。

さて、その蔵人の少将は、いまなお大君への思いが消えずにいます。一方で大君は院での生活に耐えられない思いで「里にいることが多くおなりになってしまった」と言います。源氏と藤壺は、事情はもちろん違いますが、そういう時期に事件を起こしてしまったのだったということを思い出すと、読者としては、これは何事か起こるに違いないと思ってしまいます。

しかしそうはならず、その一方で、中の君はさいわいに帝のお側で悠々とした暮らしができている、と進みます。こういう順序で書かれると、ただ二人の対照がはっきりするばかりで、話をどこに持って行こうとしているのか、分からなくなります。

もう一つ、ここの匂宮の話は、「匂うよ、薫よ」も、高家からの結婚話に耳を貸さないということもすでに初めに語られた話で(匂兵部卿の巻第一章第一、二段)、今更と思われますし、この人を挙げておきながら、そのことだけで終えてしまっているのも、落ち着きません。新三位中将の話のダシに使っていいような人ではないと思うのですが…。》

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第三段 大君、男御子を出産

【現代語訳】

 数年たって、また男御子をお産みになった。大勢いらっしゃる御方々にこのようなことはなくて長年になったが、並々でなかったご宿世などを、世人は驚く。院の帝はそれ以上にこの上なくめでたいと、この今宮をお思い申し上げなさった。退位なさらない時であったら、どんなにか意義のあることであったろうに。

「今では何事も栄えがしない時なのを、まことに残念だ」とお思いになるのであった。
 女一の宮をこの上なく大切にお思い申し上げていらっしゃったが、このようにそれぞれにかわいらしく、増えていかれるので、珍しく思われて、たいそう格別に寵愛なさるのを、女御も、

「あまりにこういう有様では不愉快だろう」と、お心が穏やかでないのであった。
 事ある毎に、面白くない面倒な事態が出て来たりなどして、自然とお二方の仲も隔たるようである。世間の常として、身分の低い人の間でももともと本妻の地位にある方に関係のない一般の人も味方するもののようなので、院の内の身分の上下の女房たちは、まことにれっきとした身分で、長年連れ添っていらっしゃる御方にばかり道理があるように言って、ちょっとしたことでも、この御方側を良くないように噂したりなどするのを、御兄君たちも、
「それ御覧なさい。間違ったことを申し上げたでしょうか」と、ますますお責めになる。

心穏やかならず、聞き苦しいままに、
「このようにではなく、のんびりと無難に結婚生活を送る人も多いだろうに。この上ない幸運に恵まれたわけではないでは、宮仕えの事は、考えるべきことではなかったのだ」と、大上はお嘆きになる。

 

《玉鬘がさまざまなことにあれこれと思い悩んでいるうちに数年が経って、大君が今度は男の子を産みました。院は大変な喜びようで、寵愛はますます強くなるのですが、その分、大君への周囲の嫉視もまた、ますます強くなります。さすがに女御もこうなると娘の立場を思って「お心が穏やかでない」のでした。こうして女御と新参の大君との間に少しずつ溝が広がっていきます。

 「もともと本妻の地位にある方」について、『評釈』が「院にはもちろんあの秋好む中宮がいられるから、序列からいえばこの方が最も上である。…(しかし)今の場合、どうも中宮ではなくて弘徽殿の女御の方を考えているようである」といいます。

そういえばこの人がこの問題に一度も関わって来なかったのは、不思議です。同書は「光る源氏ゆかりの人々が対立することは、物語ではぐあいがわるい」のだと弁明しますが、展開上都合が悪いからといって主要な人を読者に断りもなく排除するのは、まずいでしょう。私自身忘れ読んできたので、大きなことは言えませんが、気がついてしまうと、大変落ちつきません。作者も忘れていたのではないでしょうか。もし登場させていれば、もう少し穏やかな着地点ができたかも知れませんが、物語はそのまま先に進みます。

兄弟たちは、またしても母を責めます。

やっとのことで子育てを終わって、静かに晩年を過ごせると思っていると、今度は別の問題が起こってきて、母親は次から次に心を傷めることがやむことはありません。人の一生とはそういうもののようです。

また、大君についても、息子たちはそう言うのですが、彼らの願いに添って帝のところに行っていれば、それはそれでまた、別の形で同じようなことが起こらないとも限りません。結局どこに行っても、、何をしても、平和・幸福という状態を長く保つのは、大変な幸運によらなければならないもののようです。

余談ですが、昔学生仲間が雑談の中で、「幸福というやつは、暗い部屋にいて、雨戸の隙間から、外を駆け抜けていく白い馬を見るようなものだ」としゃれたことを言いました。》

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第二段 玉鬘の悩み

【現代語訳】

こうして、気楽に宮中生活をなさってくださいとお思いになるにつけても、

「お気の毒に、少将のことを母北の方がわざわざおっしゃったのに、当てにおさせ申すように申し上げたことについても、どのように思っていらっしゃるだろう」と気になさる。
 弁の君を介して、他意はなかったように大臣に申し上げなさる。
「帝からあのような仰せ言があるので、あれこれと無理な宮仕えをしたがると世間の人聞きもどのようなものかと存じられまして、困っております」と申し上げなさると、
「帝の御機嫌は、お咎めがあるのもごもっともなことと存じます。公事に関しても、宮仕えなさらないのはよくないことです。早くご決心なさい」と申し上げなさった。
 また今度は中宮の御機嫌伺いして参内する。

「大臣が生きていらっしゃったならば、ないがしろになさりはしないだろうに」などと、しみじみと悲しい思いをする。姉君は器量なども評判高く美しいとお聞きあそばしていらっしゃったが、お取替えになったので、ご不満のようであるが、こちらもとても才気があって、奥ゆかしく振る舞ってお仕えしなさる。

前尚侍の君は、出家しようと決意なさったが、
「それぞれにお世話申し上げなさっている時に、勤行も気忙しく思われなさることでしょう。もう少しどちらの方も安心できる状態を拝見なさってから、誰にも非難されるところなく、一途に勤行下さい」と、君たちが申し上げなさるので、思いお留まりなさって、宮中へは、時々こっそりと参上なさる時もある。

院へは、厄介なお気持ちがなおも続いているので、参上なさるべき時にもまったく参上なさらない。昔の事を思い出して、さすがに恐れ多く思われたお詫びに、誰も不賛成に思っていたことを知らぬふりをして院に差し上げて、

「自分自身までが、冗談にせよ、年がいもない浮名が世間に流れ出したら、とても目も当てられず恥ずかしいことだろう」とお思いになるが、そのような憚りがあるからとは、また御息所にも打ち明けて申し上げなさらないので、

「私を、昔から故大臣は特別にかわいがり、尚侍の君は中の君を、桜の木の争いやちょっとした時にも味方なさった続きで、私をあまり思ってくださらないのだ」と、恨めしくお思い申し上げていらっしゃるのであった。

院の上はまた、それ以上に辛いとお思いになりお口にお出しあそばすのであった。
「年老いた私のところは放っておいて。軽くお思いなさるのも、無理のないことだ」と、お語らいになって、いとしく思われる気持ちはますます深まる。

 

《大君のご出産は慶事なのですが、それをきっかけに玉鬘には次々に心労が重なりました。前段で、院の中での付き合いの難しさから始まって、帝の御不興があり、ここでは更に続いて右大臣方のケリを付けねばなりません。

蔵人の少将に中の君をと「それとなく申し上げなさった」のでした(第三章第七段)が、以来音沙汰がなく、気まずいままになっているのです。

玉鬘が夕霧に言い訳の手紙を送ると、「(入内を)早くご決心なさい」というものでした。『評釈』は「ついに右大臣も中の君入内に賛成した結果になった。…このやりとり、弁の君の手腕の勝利と言うべきか」と言いますが、帝の名を出せば弁の君ならずともそうなるのは当たり前ではないかと思われ、それよりも夕霧の、残念の一言もない、大変冷たく公式的な返事に、内に押さえつけられた夕霧の不満が感じられて、怖い気がします。

 さていざ出仕となると、今度は中宮への気遣いをしなくてはなりません。そこでまた夫さえ生きていてくれればという思いが湧きます。

 娘を片付けて、玉鬘は出家を考えました。ずいぶん唐突に思われますが、息子たちに言われて引っ込めるのもまたあっさりとでした。

 そうなると、することと言えば娘たちの様子伺いですが、「宮中へは、時々こっそりと参内なさる時もある」のですが、院には、院の「厄介なお気持ちがなおも続いている」ので、足が向きません。すると大君がひがんで嘆きますし、院は逢えないだけ余計に「いとしく思われる」ことになって、いつまでも玉鬘の心痛は消えないのでした。

と言いましたが、『評釈』は「この巻はかんの君一家の後日談と言うことで始まったが、その中心はもちろん姫君の結婚がどうなるかであった。そしてこういうまあ妥当な結婚にこぎつけた今は、物語も一段落つき、ピークをのり越えた感じがする」とのんきに言います。私には、とてもそういうふうには読めないのですが…。

途中、「昔の事を思い出して」の『集成』本の原文は「いにしへを思ひ出でしが」で後へのつながりが変なのですが、『評釈』によれば「出でしに」とある本も多いようで、そちらに従った訳にしました。》

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第一段 四月、大君に女宮誕生

【現代語訳】

 四月に女宮がお生まれになった。特別に目立った晴れがましさはないようであるが、院のお気持ちに添って、右の大殿をはじめとして御産養をなさる所々が多かった。尚侍の君がしっかりと抱いてかわいがっていらっしゃるが、ひたすら早く参院なさるようにとあるので、五十日のころに参院なさった。
 女一宮がお一方いらっしゃったが、たいそう久し振りでかわいらしくていらっしゃるので、たいへんに嬉しくお思いであった。前にも増してただこちらにばかりおいであそばす。女御方の女房たちは、

「ほんとにこんなでなくあってほしいことですわ」と、不満そうに言ったり思ったりしている。
 ご本人同士のお気持ちは特に軽々しく仲たがいなさることはないが、伺候する女房の間に意地悪な事も出て来たりして、あの中将の君が、何と言っても兄君で、おっしゃったことが的中して、尚侍の君も、

「むやみにこのように『言ひ言ひの果ていかならむ(言いあった挙げ句最後はどうなるのだろう)』、物笑いになって、体裁の悪い扱いを受けるのではないだろうか。お上の御愛情は浅くはないが、長年仕えていらっしゃる御方々が不愉快に思ってお見限りになったら、辛いことになるだろう」とお思いになっているのだが、帝におかせられては、ほんとうにけしからぬとお思いになり、再々御不満をお洩らしになると人がお知らせ申すので、困ったことに思って、中の君を女官として宮仕えに差し上げることをお考えになり、尚侍をお譲りなさる。
 朝廷はそう簡単にお認めなさらないことなので、長年、このようにお考えになっていたが、辞任することができなかったのを、故大臣のご遺志をお思いになって、遠くなってしまった昔の例などを引き合いに出して、そのことを実現なさった。この君のご運命で、長年申し上げなさっていたことは難しいことだったのだ、と思えた。

 

《大君に女宮が誕生しました。玉鬘にとっては初孫ということで、独占してかわいがっていたのですが、院は早く連れてきて見せよと督促です。

五十日で出仕というのは「当時としてはかなり早い参内であったと思われる」(『評釈』)のだそうです。現代では産後休暇は八週間が普通ですから、いくらか早いということでしょうか。

院にしてみればかなり離れた第二子で、しかも年取ってからの子は格別かわいいと言いますから、待ち遠しかったのでしょう。ますます寵愛が傾きます。するとどうしても女方の確執が始まります。「ご本人同士(女御と大君)のお気持ちは特に軽々しくお背きになることはない」というのがなかなかいい感じで、何と言っても女御地震が自分で玉鬘に大君を出すように薦めたくらいの人ですから(第三章第一段)、器が大きかったということなのでしょうか。

しかしお傍の女房たちの中には気持の収まらない者もいます。女御周辺だけではなく、その姫・一の宮付きの女房はさらにおもしろくないでしょうから、何かと小さなトラブルが生じます。かねて息子の中将が言っていたようなことが現実となって、玉鬘としては心配の種となります。

さらに帝の御不興もまだ収まっていないようで、こちらの対処も考えねばなりません。

差しあたりそれを、中の君を差し出すことでお許しを願おうと、自分の尚侍を中の君に譲って出仕させることにしました。

「故大臣のご遺志をお思いになって」とあるのは、一読、髭黒が玉鬘の尚侍辞任について何か考えていたというように思えますが、そうではなくて、娘の入内を希望していたことを言うのであって、次の「そのこと」も尚侍辞職をさすようですから、ない方が分かりやすい気がします。

また「この君のご運命で…」も分かりにくく思われますが、中の君が尚侍になるという運命を持っていた、その力が働いて、ここで尚侍を交替するために、これまで玉鬘の辞職が叶わなかったのだ、と言っているようです。》

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