源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 玉鬘邸の物語

第八段 姫君たち、桜花を惜しむ和歌を詠む

【現代語訳】

 姫君たちは、花の争いをしながら日を送っていらっしゃるのだが、風が激しく吹いている夕暮に、乱れ散るのがまことに残念で惜しいので、負け方の姫君は、
「 桜ゆゑ風に心のさわぐかな思ひぐまなき花と見る見る

(桜のせいで吹く風ごとに気が揉めます、思いやりのない花だと知りながらも)」
 御方の宰相の君が、
「 咲くと見てかつは散りぬる花なれば負くるを深き恨みともせず

(咲いたかと見ると一方で散ってしまう花なので、負けたことを深くは恨みません)」
とお助け申し上げると、右方の姫君は、
「 風に散ることは世の常枝ながらうつろふ花をただにしも見じ

(風に散ることは世の常のことですが、枝ごとそっくりこちらの木になった花を平気

で見ていられないでしょう)」
 こちらの御方の大輔の君が、
「 心ありて池のみぎはに落つる花あわとなりてもわが方に寄れ

(こちらに味方して池の汀に散る花よ、水の泡となってもこちらに流れ寄っておく

れ)」
 勝ち方の女の童が下りて花の下を歩いて、散った花びらをたいそうたくさん拾って、持って参った。
「 大空の風に散れども桜花おのがものとぞかきつめて見る

(大空の風に散った桜の花を私のものと思って掻き集めて見ました)」
 左方のなれきが、
「 桜花にほひあまたに散らさじとおほふばかりの袖はありきや

(桜の花のはなやかな美しさを方々に散らすまいとしても、大空を覆うほど大きな袖

がございましょうか)
 心が狭く思われます」などと悪口を言う。

 

《囲碁に戯れた日の後も、姫たちは女房も加わって桜の争奪遊びで日を送りました。

今日は歌を詠み合って、相手を言い負かそうという戯れです。

「負け方の姫君」は、桜を取られたことになった左方だった姉の大君、私の惜しむ気持も知らないで桜の花は風に散ってしまうこと、と詠みかけました。上の句は普通の歌ですが、「思ひぐまなき花」が眼目、一気に散ってしまう無情さを言いながら、「右方に加担したことも暗に含む」(『集成』)ということなのでしょう。「どこまでも思いやりのないはなだこと」という、これも戯れでしょう。

「御方の宰相の君」が、どうせ散ってしまう花の木なのですから、負けて取られたこともあまり気にしないことにしましょうよ、という、慰めというか、強がりというか。

「右方の姫君」の歌は、そうはおっしゃってもあの見事な花の一本丸ごとこちらのものとなったとあっては、さすがに残念なのじゃないですか、と勝者のからかい。

そこで「大輔の君」が、取られても平気だなんてことをおっしゃっているのだから、散り落ちた花もみんなこちらに寄っておくれと意地悪を歌いますと、「勝ち方の女の童」がほんとうに庭に降りて花びらを拾い集めてしまいます。

そこで「左方のなれき」(「なれき」は童女の名前とされます)が、まあ、ずいぶんあこぎなことをなさることと応じた、ということなのでしょうか。

この物語は女性中心の物語ですが、これまでこのように女性だけが大勢集まって遊んでいる場面はなかったように思われ、ちょっと珍しい場面です。

『評釈』が「桜争とそれに続くこの和歌の唱和の場はこの『竹河』の巻における一つの見せ場である。…春日遅々。一同は一生涯、この日の事を思い出すのであろう」と言いますが、そういうことなのでしょう。

ただ、このことがあったことによって何かが動く、というわけではありません。明るくみやびやかで、ひたすら美しい、一枚の絵です。》

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第七段 蔵人少将、姫君たちを垣間見る

【現代語訳】

 中将などがお立ちになった後、姫君たちは、途中で打ち止めていらっしゃった碁をお打ちになる。昔からお争いになる桜を賭物として、
「三番勝負で、一つ勝ち越しになった方に、花を譲りましょう」と、冗談を言いあっていらっしゃる。暗くなったので端近くで最後までお打ちになる。御簾を巻き上げて、女房たちが皆競い合ってお祈り申し上げる。

ちょうどその時、あの蔵人少将が、藤侍従の君のお部屋に来たのだが、兄弟連れ立ってお出になってしまっていたので、だいたいが人の少ない上に廊の戸が開いていたので、そっと近寄って覗き込んだのだった。このように嬉しい機会を見つけたのは、仏などが姿をお現しになった時に出会ったような気がするのも、あわれな恋心というものである。

夕暮の霞に隠れてはっきりとはしないが、よくよく見ると、桜色の色目もはっきりあれだと分かった。なるほど、「花の散りなむ後の形見」としても見たいように、美しさがいっぱいにお見えなのを、ますますよそに嫁ぎなさることに、侘しく思いがまさる。

若い女房たちのうちとけている姿が、夕日に映えて美しく見える。右方がお勝ちになった。「高麗の乱声が、遅い」などと、はしゃいで言う女房もいる。
「右方にお味方申し上げて、西のお庭先の近くにあります木を、左方のものだとし、長年のお争いが、そのようなわけで続いたのですよ」と、右方は気持ちよさそうに応援申し上げる。どのような事情でと知らないが、おもしろいと聞いて、返事もしたいが、

「寛いでいらっしゃる時に、心ない態度では」と思って、邸をお出になった。

「再び、このような機会はないか」と、物蔭に隠れて窺い歩くのであった。

 

《二人の姫がそれぞれの女房たちに囲まれてにぎやかに碁に興じている様が明るく描かれます。「三番勝負で…」は前段の思い出話を受けての話で、いかにもありそうな楽しい冗談です。

 たまたまその時、少将が藤侍従を訪ねて(というのはもちろん口実で、何とか大君に近づきたいものと)、やって来ていました。しかし侍従たち兄弟は「おでになってしまった」

後で、留守だったので、かねて知った邸のことで、姫たちのいる寝殿の方を覗いてみると、何と幸運にも「廊の戸が開いていた」ので、そっと覗き込んでみました。

 すると、これも運良く姫たちは「暗くなったので、端近く」に出ていて、おまけに「御簾を巻き上げて」まであるので、その姫たちの姿がすっかり見えたのでした。彼は「仏などが姿をお現しになった時に出会ったような気」がして、幸せに舞い上がってしまいます。

 どうやら勝負がついて、勝った右(「右方。中の君。勝負事は、目上の者が左方」・『集成』)の女房が、「高麗の乱声(競馬、相撲の勝ちを告げる時に奏する。高麗楽は、右の楽。笛、太鼓を用いる・『集成』)が、遅い」と戯れ、また「この桜はもともとから右方にお味方して西(「南面した場合、右になる」・『集成』)の庭先に映えているのだ」などと勝手なことを言って騒いでいます。

 なかなか華やかで美しく、生き生きした場面ではありますが、どうも何だか前にあった場面の焼き直しのような感じです。

囲碁を打つ女性は、前にも言いましたが空蝉と軒端の荻、「人の少ない上に廊の戸が開いていた」というのは夕霧が紫の上を覗き見た時(野分の巻第一章第二段)、女房の言葉は軒端の荻の言葉を思わせ、この時の少将の思いは柏木が女三の宮を垣間見た時の思い(若菜上の巻第十三章第五段)とよく似ていて、状況も今「夕暮の霞に隠れて、はっきりとはしない」のですが、あの時も「夕日の光なのではっきり見えず」でした。

「高麗の乱声が、遅い」と笑いを取るのも、近江の君が双六でいい賽を願って「明石の尼君」と唱えたという話(若菜下の巻第二章第八段)に通うような気がします。

やはり、まずは囲碁ではないもので場面を作って欲しかったという気がします。》

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第六段 玉鬘の大君、冷泉院に参院の話

【現代語訳】

 お庭先の花の木々の中でも、色合いの優れて美しい桜を折らせて、

「他の桜とは違っている」などと、もて遊んでいらっしゃるのを、
「お小さくいらっしゃった時、この花は、私のよ私のよとお争いになったが、故殿は、姫君のお花だとお決めになるし、母上は、若君のお花だとお決めになったのを、ひどくそんなには泣いて騒いだりしませんでしたが、おもしろくなく思ったものですよ」と言って、

「この桜が老木になったにつけても、過ぎ去った年の数を思い出すと、大勢の人に先立たれてしまった身の悲しみもきりがなくて」などと、泣いたり笑ったりしながらお話しなさって、いつもよりはのんびりとしていらっしゃる。他の家の婿となって、ゆっくりとは今ではお見えにならないので、花に心を惹かれておいでである。

 尚侍の君は、このように成人した子の親におなりのお年の割には、たいそう若く美しく、依然として盛りのご容貌にお見えである。冷泉院の帝は、主にこの方のご様子が今も心に掛かって、昔を恋しくお思い出しになられるので、何を口実にしたらよいかと思案なさって、姫君のご入内の事を、いちずにお申し込みになるのであった。

院に入内なさることは、この君たちが、
「やはり栄えない気がしましょう。万事が、時流に乗ってこそ世間の人も認めましょう。なるほどまことに拝したいお姿は、この世に類なくいらっしゃるようですが、盛りではない感じがしますね。琴や笛の調子、花や鳥の色や音色も、時期にかなってこそ、人の耳にあ。止まるものです。東宮はどうでしょうか」などと申し上げなさると、
「さあ、どんなものかしら、最初から重々しい方が、並ぶ者がいないような勢いでいらっしゃるようですからね。いい加減なことでの宮仕えは、苦労が多く、物笑いになることもあろうかと、遠慮されますので。殿が生きていらっしゃったならば、将来の二人それぞれのご運は判りませんが、当面のことは、張り合いのあるようにお取り計らいなさったでしょうに」などとおっしゃって、皆しみじみと悲しい思いがする。

 

《中将は、亡父への思いから、幼いころ、父母の目が妹二人に注がれて恨めしい思いをしたと、思い出を語って、しみじみとした団欒の場になりました。

そして、そこには母の玉鬘もいたようで、花に映えてということでしょうか、彼女の年を取っても変わらない美しさが語られます。円満な一家ののどかな場面と思って読むと、いきなり冷泉院の大君所望が、実はまだ消えないで残っていた玉鬘への思いを秘めた「口実」だったと明かされて、読者は驚くことになります。

院と玉鬘との話があったのはもう二十四年以上も前で、玉鬘はいくら「お年の割には、たいそう若く美しく」と言っても、すでに見たようにそれぞれにほぼ一人前になった五人の子供の母、四十七歳で、院がその娘を迎えてでも親しくしたいと考えたというのは、やはり驚く外ないように思います。

夕霧も雲居の雁や落葉宮をしぶとく実に気長に待ったのでしたが、実はその兄である院もそれと同じ源氏の血を引いたということなのでしょうか。もっとも、源氏が特に気が長いという話はありませんでしたが。

院もすでに四十四歳のはずで、今でいえば還暦過ぎという感じ(私は当時の四十の賀が今の還暦かなと、勝手に思っているのっですが)ですから、話に少し無理があるような気がしますが、まあ、平たく言えば、昔憧れだった人と、晩年の茶飲み友達になりたい、というような気持ちを考えればいいのかもしれません。

二人の息子は、院への入内では見栄えがしないと、あまり賛成ではありません。家の将来のことを思えば帝か東宮と考えていますが、母親はやはり娘の幸福を第一に考えて(いや、実は自分の昔の不本意な巡り合わせへのお詫びの気持ちも籠って込もっているのでしたが・第一章第二段)、苦労の少なそうな院の方がいいのではないかと思っています。

それにつけても、もし髭黒が生きていて後ろ盾になってくれたのなら、東宮に入内させることもあり得ただろうにと語って、改めて「皆しみじみと悲しい思いがする」のでした。》

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第五段 三月、花盛りの玉鬘邸の姫君たち

【現代語訳】

 三月になって、咲く桜がある一方で空も覆うほど散り乱れて、ほぼ桜の盛りのころ、静かに暮らしていらっしゃるお邸は、隠れることもなく、端近に出ていても咎められることもないようである。その当時、十八、九歳くらいでいらっしゃったろうか、ご器量も気立ても、それぞれに素晴らしい。

姫君は、とても際立って気品がありはなやかでいらっしゃって、なるほど臣下の人に縁づけ申すのは、ふさわしくないようにお見えである。桜の細長に山吹襲などで、季節にあった色合いがやさしい感じに重なっている裾まで愛嬌があふれ出ているように見えるそのお振る舞いなども洗練されて、気圧されるような感じまでが加わっていらっしゃる。
 もうお一方は、薄紅梅に、お髪がつややかで、柳の枝のようにたおやかに見える。たいそうすらりとして優雅で落ち着いた物腰で、重々しく奥ゆかしい感じは勝っていらっしゃるが、はなやかな感じは姫君とは一段劣っていると、女房は思っている。
 碁をお打ちになろうとして向かい合っていらっしゃる髪の生え際や髪の垂れかかっている具合など、たいそう見所がある。侍従の君が審判をなさろうとして近くに控えていらっしゃると、兄君たちがお覗きになって、
「侍従のおぼえは大したものになったのだね。碁の審判を許されたとはね」と言って、大人ぶった態度でお座りになったので、御前の女房たちは、あれこれ居ずまいを正す。中将が、
「宮仕えが忙しくなりましたのでこの人に出し抜かれたのは、まことに残念なことだ」と愚痴をおこぼしになると、
「弁官はまして家でのご奉公はお留守になってしまうからと、そうお見捨てになっていいものでしょうか」などと申し上げなさる。碁を打つのを止めて、恥ずかしがっていらっしゃる様子が、たいそう美しい感じである。
「宮中辺りなどに出かけきましても、亡き殿がいらっしゃったら、と存じられますことが多くて」などと、涙ぐんで拝し上げなさる。二十七、八歳でいらっしゃったので、とても恰幅がよくて、姫君たちのご様子を、何とかして昔父君がお考えになっていた通りにしたいものだと思っていらっしゃる。

《さて、玉鬘の噂の二人の姫の登場ですが、「端近に出て」いるのでよく見える、というかたちで紹介されます。「隠れることもなく(原文・まぎるることなく)」は多くは「さしたる用事もなく」(『集成』)というような意味に訳すようですが、ここは『評釈』に従いました。

真木柱の「大君」と「中の君」の二人(あちらは十七、八歳でした・紅梅の巻第一章第二段)と混乱しそうですので、気を付けながら読んでいきます。

もっとも、あの姉妹に比べると、こちらの姉妹は数段美しいようで、ずいぶん丁寧な褒めようです。姉姫は華やかに美しく、妹姫は奥ゆかしく優雅といった感じでしょうか。

その美しい姉妹が碁を打ち始めました。女性の碁と言えば、五十年近く前の空蝉と軒端の荻母子が思い出されます(空蝉の巻第三段)が、この姉妹には軒端の荻のような天真爛漫はなく、ずいぶん上品な趣です。

藤侍従が立ち会いを務めているのですが、そこに「兄君たちがお覗きになって」、玉鬘の兄妹五人みなが勢ぞろいですが、兄二人があれこれとからかうので、碁がなかなか進みません。

爛漫の桜の下での、気がかりはありながらも幸せな家族の団らんの図ですが、そういう様子を見ながら、長兄らしい中将は、ひとり別のことを考えていました。

 彼は、父・髭黒を思い出して、もし生きておられたらこの妹たちももっといい思いをさせられただろうにと、十歳近くも年長で、父親代わりを背負っている兄らしい思いを抱いて、残念でもあり、また自分の力不足も思われてなのでしょう、涙ぐんでいます。》

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第四段 得意の薫君と嘆きの蔵人少将

【現代語訳】2

朝、四位の侍従のもとから、邸の侍従のもとに、
「昨夜はとても酔っぱらったようだが、皆様はどのように御覧になったであろうか」と、御覧下さいとのおつもりで、仮名がちに書いて、
「 竹河のはしうちいでしひと節に深き心の底は知りきや

(竹河の歌を謡ったあの文句の一端から、深い心のうちを知っていただけましたか)」 と書いてある。寝殿に持って上がって、方々が御覧になる。
「筆跡などもとても美しく書いてありますね。どのような人が今からこのようになにもかもが立派なのでしょう。幼いころ、院に先立たれ申し、母宮がしまりもなくお育て申されたが、やはり人より優れているのでしょう」と言って、尚侍の君は、自分の子供たちの字などが下手なことをお叱りになる。

返事は、なるほど、たいそう未熟な字で、
「昨夜は、水駅とおっしゃってお帰りになったことをお咎め申しておりました。
  竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなる節を思ひおかまし

(竹河を謡って夜を更かすまいと急いでお帰りになったくせに、どのようなことを心に止めておけとおっしゃるのでしょう)」

 ほんとうにこの事をきっかけとして、この君のお部屋にいらっしゃって、気のある態度で振る舞う。少将が予想していた通り誰もが好意を寄せていた。侍従の君も、若者らしい気持から、近い縁者として明け暮れ親しくしたいと思うのであった。

 

《翌朝、薫は、後朝のように歌を送りました。昨日、彼には珍しく、「今宵は少し気を許して冗談などを言」ったことを、人々がどう思ったのか、と気になった、ということにしての歌です。姫君たちも「御覧ください」と「仮名がち」の手紙です。

その内容はともかく、女たちはまずその筆跡の見事さを話題にしますが、「母宮がしまりもなくお育て申された」とは、なんとも辛辣な批評です。

「(玉鬘は)『後のおほいどの』の北の方として、一切を支配した過去がある。…尚侍は自信に満ちている。…十一、二歳年下の朱雀院の女三の宮を、…一言のもとに批評し去った」と『評釈』が言います。この巻の初めには、主人の髭黒の死後、人との付き合いも少なくなって「お邸の中はひっそりとなってゆく」と語り始められていましたが、それでもプライドは昔のままなのです。

玉鬘は、薫の「今からこのようになにもかもが立派」なのは、決して親の教育などによるのではなく、天性のものだと言っているわけですが、思い返せば源氏は「七歳におなりになったので、読書始めなどをおさせになったところ、この世に類を知らないくらい聡明で賢くいらっしゃる」(桐壺の巻第三章第二段)という具合でしたが、この人はりっぱにその後を受け継いで「物語の主人公たる資格」(『評釈』)を身につけているのです。

そして玉鬘は、返す刀で、今度は「自分の子供たちの字などが下手なことをお叱りになる」と、こちらもばっさりです。

それでも代筆は沽券に関わるのでしょうか、息子に自分で書かせたようです。立ち寄っただけだと言ってそそくさとお帰りになられたのに、こちらに一体どんな「一節」を残されたというのでしょう、と、筆跡はともかく、なかなか洒落た返事のように思われます。これはほとんど、もう一度来てきちんと「一節」をお示し下さい、と言っているわけで、「ほんとうにこの事をきっかけとして、この君のお部屋にいらっしゃって」と、来訪が続くことになりました。》

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