【現代語訳】
姫君たちは、花の争いをしながら日を送っていらっしゃるのだが、風が激しく吹いている夕暮に、乱れ散るのがまことに残念で惜しいので、負け方の姫君は、
「 桜ゆゑ風に心のさわぐかな思ひぐまなき花と見る見る
(桜のせいで吹く風ごとに気が揉めます、思いやりのない花だと知りながらも)」
御方の宰相の君が、
「 咲くと見てかつは散りぬる花なれば負くるを深き恨みともせず
(咲いたかと見ると一方で散ってしまう花なので、負けたことを深くは恨みません)」
とお助け申し上げると、右方の姫君は、
「 風に散ることは世の常枝ながらうつろふ花をただにしも見じ
(風に散ることは世の常のことですが、枝ごとそっくりこちらの木になった花を平気
で見ていられないでしょう)」
こちらの御方の大輔の君が、
「 心ありて池のみぎはに落つる花あわとなりてもわが方に寄れ
(こちらに味方して池の汀に散る花よ、水の泡となってもこちらに流れ寄っておく
れ)」
勝ち方の女の童が下りて花の下を歩いて、散った花びらをたいそうたくさん拾って、持って参った。
「 大空の風に散れども桜花おのがものとぞかきつめて見る
(大空の風に散った桜の花を私のものと思って掻き集めて見ました)」
左方のなれきが、
「 桜花にほひあまたに散らさじとおほふばかりの袖はありきや
(桜の花のはなやかな美しさを方々に散らすまいとしても、大空を覆うほど大きな袖
がございましょうか)
心が狭く思われます」などと悪口を言う。
《囲碁に戯れた日の後も、姫たちは女房も加わって桜の争奪遊びで日を送りました。
今日は歌を詠み合って、相手を言い負かそうという戯れです。
「負け方の姫君」は、桜を取られたことになった左方だった姉の大君、私の惜しむ気持も知らないで桜の花は風に散ってしまうこと、と詠みかけました。上の句は普通の歌ですが、「思ひぐまなき花」が眼目、一気に散ってしまう無情さを言いながら、「右方に加担したことも暗に含む」(『集成』)ということなのでしょう。「どこまでも思いやりのないはなだこと」という、これも戯れでしょう。
「御方の宰相の君」が、どうせ散ってしまう花の木なのですから、負けて取られたこともあまり気にしないことにしましょうよ、という、慰めというか、強がりというか。
「右方の姫君」の歌は、そうはおっしゃってもあの見事な花の一本丸ごとこちらのものとなったとあっては、さすがに残念なのじゃないですか、と勝者のからかい。
そこで「大輔の君」が、取られても平気だなんてことをおっしゃっているのだから、散り落ちた花もみんなこちらに寄っておくれと意地悪を歌いますと、「勝ち方の女の童」がほんとうに庭に降りて花びらを拾い集めてしまいます。
そこで「左方のなれき」(「なれき」は童女の名前とされます)が、まあ、ずいぶんあこぎなことをなさることと応じた、ということなのでしょうか。
この物語は女性中心の物語ですが、これまでこのように女性だけが大勢集まって遊んでいる場面はなかったように思われ、ちょっと珍しい場面です。
『評釈』が「桜争とそれに続くこの和歌の唱和の場はこの『竹河』の巻における一つの見せ場である。…春日遅々。一同は一生涯、この日の事を思い出すのであろう」と言いますが、そういうことなのでしょう。
ただ、このことがあったことによって何かが動く、というわけではありません。明るくみやびやかで、ひたすら美しい、一枚の絵です。》