源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 髭黒一家の物語

第四段 薫君、玉鬘邸に出入りす

【現代語訳】

 六条院のご晩年に朱雀院の姫宮からお生まれになった君で、冷泉院におかれてお子様のように大切にされている四位の侍従は、そのころ十四、五歳ほどで、とてもいじらしく幼い年の割には心構えもしっかりしていて好ましく、人より優れた生い先がはっきりお見えになるので、尚侍の君は婿として世話したくお思いになっている。
 この邸はあの三条宮とたいそう近い距離なので、しかるべき折々の遊び所として、公達に連れられてお見えになる時々がある。奥ゆかしい女君のいらっしゃる邸なので、若い男で気取らない者はなく、これ見よがしに振る舞っている中で、器量のよいことではこの立ち去らない蔵人少将、親しみやすく気恥ずかしくて優美な点ではこの四位侍従のご様子に似る者はいなかった。
 六条院のお血筋に近くと思うのが格別なのであろうか、世間から自然と大切にされていらっしゃる方である。若い女房たちは特に誉め合っている。尚侍の殿も、

「ほんとうに、感じのよい人だ」などとおっしゃって、親しくお話し申し上げたりなさる。
「院のお人柄をお思い出し申し上げて、慰められる時もなく、ひどく悲しくばかり思われるので、そのお形見として、どなたをお思い申し上げたらよいのでしょう。右の大臣は、重々しい方で、機会のない対面は難しいし」などおっしゃって、姉弟のようにお思い申し上げていらっしゃるので、あの侍従の君もそのような所と思って参上なさる。

世間によくある好色がましいところも見えず、とてもひどく落ち着いていらっしゃるので、あちらこちらの邸の若い女房たちは残念に物足りなく思って、言葉をかけて困らせまるのであった。

 

《次なる候補として、いよいよ薫の登場で、「十四、五歳ほど」と言いますから、ちょうど匂兵部卿の巻の第二章のあたりのことになります。

とすると「とてもいじらしく幼い年の割には(原文・いときびはに幼かるべきほどよりは)」というのが、ちょっとひっかかります。「きびは」は「年はもゆかぬさま。幼くて痛々しいさま」(『辞典』)ですが、この年齢は、もう結婚してもおかしくない年です。ちなみに源氏が葵の上と結婚したのは十二歳の時でした(桐壺の巻第三章第七段)。初々しくかわいらしいことをこのような言い方で表したのでしょうか。

ともあれ薫は玉鬘にも大変気に入りました。三条宮は母・女三の宮が父院から伝領した邸で、薫は冷泉院に対の屋をいただいていた(匂兵部卿の巻の第二章第一段)はずですが、本拠はやはり母のいるこちらだったのでしょうか、そこから時々他の公達と一緒に訪ねてきます。

そこでは器量に優れた少将と優美さで勝れた彼との二人が、抜きんでて魅力的な若者なでした。玉鬘は源氏を懐かしく思う気持ちが「右の大臣」では満たせないということもあったようで、中でもこの薫を「姉弟のようにお思い申し上げていらっしゃる」のでした。年齢は三十歳以上離れていますが、彼女は源氏の娘分の扱いでした(第一段)から、一応は姉弟と言ってもいいわけです。

女性にあまり関わろうとしないはず(匂宮の巻第二章第五段)の彼がここにやってくるのは、玉鬘がそういうふうに親しくしてくれるからです。》

 

   一週間のご無沙汰でした。WIN10を仕入れまして、再スタートですが、どうも扱いにくく、苦戦しながらなんとか今日をクリアしようと、ここまで頑張ってきました。前のXPもこれが来て身の危険を感じたのか、再びちゃんと立ち上がるようになりましたから、しばらくは両方でやっていこうと思っています。

 改めて今後ともよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第三段 夕霧の息子蔵人少将の求婚

【現代語訳】

 器量がたいそう優れていらっしゃるという評判があって、思いをお寄せ申し上げる人びとが多い。

右の大殿の蔵人少将とか言った人は、三条殿がお生みになった方で、兄君たちを越えてたいそう大事になさり、人柄もとても素晴らしかった方で、とても熱心に求婚なさる。
 どちらの関係からしても、ご縁の遠いわけではないご関係なので、この君たちが睦まじくお伺いなどなさる時は、よそよそしくお扱いなさらない。女房にもそれぞれ親しくなじんでいて、意中を伝えるにも手立てがあって、昼夜、お側を離れない騒がしさを、煩わしいながらも困ったことと尚侍の殿もお思いになっている。
 母北の方からのお手紙も、しばしば差し上げなさって、

「とても軽い身分でございますが、お許しいただける点もございましょうか」と大臣も申し上げなさるのだった。
 姫君についてはまったく臣下に縁づけようとはお思いではなく、中の君の方を、もう少し世間の評判が軽くなくなったらそうとも考えようか、とお思いでいらっしゃるのだった。

お許しにならなかったら、盗み取ってしまおうと、こわいくらいに思い詰めている。

話にならない不釣合な縁談だとはお思いにならないが、女のほうで承知しないうちの間違いが起こるのは、世間の聞こえも軽々しいことなので、取り次ぐ女房に対しても、

「ゆめゆめ、間違いを起こすな」などとおっしゃるのに気がひけて、億劫がるのであった。

 

《大筋は分からなくはありませんが、すらっとは読みにくい段です。

 まず、「器量がたいそう優れて」とは誰のことか、いきなりで戸惑いますが、当然話に順序は姉の方からということでしょうか。帝や院からの話があるのですが、『光る』も、「丸谷・大君を、という所望ではなくてきている感じがします。そのへん朦朧としています」と言います。

途中に「姫君」と「中の君」を分けて考えていて、前段から、最初の「器量がたいそう優れて…」までは、どうやら姉の姫君のことのようで、以下しばらくは、中の姫のことは措いて、この姫君(姉)の話が進むようです。

「右の大殿の蔵人少将とか言った人」が特に熱心に言い寄っていると言いますから、その話になるかと思うと、「この君たち」とありますから、どうやら兄弟たちみんなが揃って訪ねてきているようです。三条殿(雲居の雁)には四人の男子がいました(夕霧の巻末)が、『評釈』が少将を末の男の子かとしています。それは「兄君たちを越えて」とあることに拠るのでしょうか。

「大方の有様はうって変わったようにお邸の中はひっそりとなってゆく」とあった(第一段)にしては、この姫君たちに対して貴公子たちの動きは賑やかなようです。どうもその時の都合で話が作られているような感じで、しっくりしませんが、しかたがありません。

そんなふうに大勢でいつもやって来てそれぞれに親しい女房を介して「意中を伝え」ようとするのを「煩わしいながらも、困ったこと(原文・うるさきものの、心苦しき)」と思ったという二つの形容詞も、妙な繋がり方に思われます。

玉鬘は、姉姫は宮中にと思い決めていて、中の君なら、その男君がそこそこの身分になったなら臣下でもあり得ると考えています。

ここでも、玉鬘の思いが語られる中に、突然「お許しにならなかったら…」と少将の気持(だと思われます)が一言だけ割り込んで来るのも違和感があります。》

 

 今夜は、明日の分を投稿しておきます。

実は、私のパソコンは思い切り古い代物(XP)なので、長らく付き合ってくれましたが、ついに寿命が来たようで、今朝から、初めの電源を入れてもなかなか立ち上がってくれなくなりました。

明日の朝きちんと目ざめてくれるかどうか心配ですので、今生きているうちに、明日の分を今夜のうちに投稿することにしたのです。

そうして、以前からいろいろな不自由をしながら、無理を行って働かせてきましたので、この際、思い切って長い休みを与えて、明日には新調しようと腹を決めました。

そうなると、機械に弱い私としては、新来の機会に馴染めるかどうかとても不安な気持ちでいますので、慣れるまで、数日この話を休載することにします。

次は、一応、来週十一月七日から再スタートということにして、しばらくご無沙汰します。

寒くなってきましたが、今週は更に冬を感じ寒さになるそうで、どうぞご自愛下さい。

   ではまた、後日…。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第二段 玉鬘の姫君たちへの縁談

【現代語訳】

 男君たちは、ご元服などしてそれぞれ成人なさったので、殿がお亡くなりになって後、不安で気の毒なこともあるが、自然と出世なさって行くようである。

「姫君たちをどのようにお世話申し上げよう」と、心をお悩ましになる。
 帝におかれても、是非とも宮仕えをという願いの深い旨を大臣が奏上なさっていたので、成人なさったであろう年月を御推察あそばして、入内の仰せ言がしきりにあるが、中宮がますます並ぶ人のいないようになって行かれる御様子に圧倒されて、誰も彼も無用の人のようでいらっしゃる末席に入内して、遠くから睨まれ申すのも厄介で、また人より劣って、数にも入らない様子であるのを世話するのも、はたまた、気苦労であろうことを思案なさっている。
 冷泉院からたいそう御懇切に御所望あそばして、尚侍の君が、昔、念願叶わずに今までお過ごしになって来た辛さまでを思い返してお恨み申し上げられて、
「今はもう、いっそう年も取って、栄えのない様子だとお思い捨てていらっしゃるとも、安心な親のようなつもりで、お譲り下さい」と、たいそう真面目に申し上げなさったので、

「どうしたらよいことだろう。自分自身のまことに残念な運命で、思いの外に気にくわないとお思いあそばされたのが、顔向けもならず恐れ多いことだが、この一生の終わりに見なおしていただけようか」などと決心しかねていらっしゃる。

 

《前段にあった五人の子供たちの中で、男子はそれなりに世に出ているのですが、娘二人が残っていて、玉鬘の気がかりになっている、と言います。やはりこの物語は女性を巡る物語なのです。

 亡くなった髭黒が娘たちの入内を強く期待していたということがあって、生前、まだその娘が幼いころから帝の耳に入れていたようで、そろそろ好い年ごろではないかと今上帝から「入内の仰せ言がしきりにある」のですが、送り出す方の母から見ると、そこには三十歳過ぎとなった明石中宮(帝は中宮の二歳年上・明石の巻第四章第一段)が、今や「ますます並ぶ人のいないよう」に重々しくいるので、そういうところに行ったのでは本人にも苦労させることになるし、自分としても「数にも入らない」でいる者を世話するのは「気苦労」なことだと、二の足を踏む気持です。

 一方で、冷泉院からも「御所望」がありました。院には、二十数年の昔、在位中に玉鬘自身が心を寄せられたことがあって(真木柱の巻第四章第四段)、それがかなわなかったことを怨みながらの申し出です。今彼は四十歳過ぎ、すでに退位していて「栄えのない様子だ」という引け目がありますが、「安心な親のようなつもりで」と、ずいぶん下手に出ておられます。

彼女自身も院には好印象を持っていた(行幸の巻第一章第二段)こともあって、お詫びに、お気持ちをお受けしようかという気にもなるのでした。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第一段 鬚黒没後の玉鬘と子女たち

巻四十四 竹河 薫君の中将時代十五歳から十九歳までの物語

第一章 鬚黒一族の物語 玉鬘と姫君たち

第一段 鬚黒没後の玉鬘と子女たち

第二段 玉鬘の姫君たちへの縁談

第三段 夕霧の息子蔵人少将の求婚

第四段 薫君、玉鬘邸に出入りす

第二章 玉鬘邸の物語 梅と桜の季節の物語

第一段 正月、夕霧、玉鬘邸に年賀に参上

第二段 薫君、玉鬘邸に年賀に参上

第三段 薫君、梅の盛りに玉鬘邸に参上

第四段 得意の薫君と嘆きの蔵人少将

第五段 三月、花盛りの玉鬘邸の姫君たち

第六段 玉鬘の大君、冷泉院に参院の話

第七段 蔵人少将、姫君たちを垣間見る

第八段 姫君たち、桜花を惜しむ和歌を詠む

第三章 玉鬘の大君の物語 冷泉院に参院

第一段 大君、冷泉院に参院決定

第二段 蔵人少将、藤侍従を訪問

第三段 四月一日、蔵人少将、玉鬘へ和歌を贈る

第四段 四月九日、大君、冷泉院に参院

第五段 蔵人少将、大君と和歌を贈答

第六段 冷泉院における大君と薫君

第七段 失意の蔵人少将と大君のその後

第八段 正月、男踏歌、冷泉院に回る

第九段 翌日、冷泉院、薫を召す

第四章 玉鬘の物語 玉鬘の姫君たちの物語

第一段 四月、大君に女宮誕生

第二段 玉鬘の悩み

第三段 大君、男御子を出産

第四段 求婚者たちのその後

第五章 薫君の物語 人びとの昇進後の物語

第一段 薫、玉鬘邸に昇進の挨拶に参上

第二段 薫、玉鬘と対面しての感想

第三段 右大臣家、玉鬘家の不如意

 

【現代語訳】

 これは、源氏のご一族からも離れていらっしゃった、後の大殿あたりにいたおしゃべりな女房たちで、死なずに生き残った者が、問わず語りに話しておいた話で、それは、紫の物語にも似ないようであるが、あの女どもが言ったことには、

「源氏のご子孫について、間違った事柄が交じって伝えられているのは、私よりも年輩で、耄碌した人のでたらめかしら」などと不審がっていたが、どちらが本当であろうか。
 尚侍のお生みになった、故殿の御子は、男三人、女二人がいらっしゃったが、それぞれに大切にお育てすることをお考えおきになっていて、年月がたつのも待ち遠しく思っていらっしゃった間に、あっけなくお亡くなりになってしまったので、夢のようで、早く早くと急いで思っていらっしゃった宮仕えもたち消えになってしまった。
 人の心は時の権勢にばかりおもねるものだから、あれほど威勢よくいらっしゃった大臣のお亡くなりになった後は、内々のお宝物や所領なさっている所々などというその方面の衰えはなかったが、大方の有様はうって変わったようにお邸の中はひっそりとなってゆく。
 尚侍の君のご身辺の縁者こそは大勢世の中に広がっていらっしゃったが、なまじ高貴な方々のお間柄でもともと親しくはなかった上に、故殿が人情味が少し欠け、好き嫌いがはげしくいらっしゃるご性質なので、けむたがられることもあったせいであろうか、誰とも親しく交際申し上げられないでいらっしゃる。
 六条院におかれては、すべてやはり昔と変わらず娘分としてお扱い申されて、お亡くなりになった後のいろいろなことをお書き残しなさったご相続の文書などにも、中宮のお次にお加え申されていたので、右の大殿などはかえってそういうお気持ちがあって、しかるべき折々にはご訪問申される。

 

《巻の名は第二章第四段で催馬楽「竹河」が歌われ、それに関わって詠み交わされた歌によります。

初めに、この段の話は、「後の大殿(後に「尚侍のお生みになった、故殿の御子」とあることで、尚侍と殿が夫婦であることから、尚侍は玉鬘、殿は髭黒とわかります)あたりにいたおしゃべりな女房」が語った物語あって、これまで話は紫の上の女房が語った話だから、それとは違うところもある、とことわります。

そして、先回りして付け加えると、この後、第三段で、薫が十四、五歳とされますから、ここの話はそれより少し前、つまり前の紅梅の巻の終わりから見ると十年ほど後返りして、匂宮兵部卿の巻の初めあたりと同じ頃の話ということになることを、あらかじめ承知しておくことにします。このことは紅梅の巻の最初にも触れましたが、『集成』が第八巻の「年立」で分かりやすく表にしています。

そういうふうにいろいろと不自然な繋がりになっているところから、匂兵部卿の巻の初めに触れましたが、『光る』が「丸谷・なんだかぼくは、この三巻(匂宮兵部卿、紅梅、竹河)は別人の作って感じがする」と、問題を提起しています。

さて、そのことはそれとして、物語ですが、「故殿」とあって、どうやら髭黒は亡くなったようで、妻・玉鬘のもとに、二人の子供たち、三男二女が残されました。髭黒の大臣は娘たちの宮仕えを早くと思っていたのですが、主人の死でその話も立ち消えになっています。

そして「なまじ高貴な方々のお間柄でもともと親しくはなかった(そういうものなのでしょうか)上に」、髭黒の無骨で一本気な人柄(胡蝶の巻第二章第二段など)のせいもあって人付き合いは少なかったようで、今、邸の中は人の訪れも減ってひっそりしてしまっています。ちなみに数えると、今、玉鬘もすでに四十七歳になるようです。

それでも源氏が娘分という措置をしておいたこともあって、律義な右の大殿(夕霧)が、実の兄弟たちよりも「かえってそういうお気持ちがあって」、その世話を欠かさないでいる、と言います。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ