源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻四十三 紅梅

第五段 匂宮、宮の御方に執心

【現代語訳】
 宮の御方は、物の分別がおつきになるくらいご成人なさっているので、どのようなことでもお分りになり、噂を耳になさっていらっしゃらないではないが、

「人と結婚し、普通の生活を送ることは、けっして」と思い離れていた。
 世間の人も、時の権勢に追従する心があってだろうか、両親が揃っている姫君たちには熱心にあえてでも申し込み、はなやかな事が多いが、こちらの方は何かにつけてひっそりと引き籠もっていらっしゃったのを、宮は、おふさわしい方と伝え聞きなさって、心から何とかしてとお思いになったのだった。
 若君をいつも側離さず近づけなさっては、こっそりとお手紙があるが、大納言の君が心からお望みになって、

「そのようにお考えになってお申し込まれることがあるならば」と探りを入れ、期待なさっているのを見ると、気の毒になって、
「予想に反して、このように結婚を考えてもいない方に、お手紙をたくさんくださるが、効のなさそうなこと」と、北の方もお思いになりおっしゃる。
 ちょっとしたお返事などもないので、負けてたまるかとのお考えも加わって、お諦めになることもできない。

「何の遠慮がいるものか、宮のお人柄に何の不足があろう、そのように結婚させてお世話申し上げたい、将来有望にお見えになるのだから」など、北の方はお思いになる時々もあるが、とてもたいそう好色人でいらっしゃって、お通いになる所がたくさんあり、八の宮の姫君にもお気持ちが並々でなく、たいそう足しげくお通いになっているという、頼りがいのないお心の浮気っぽさなどもますます躊躇されるので、本気になってはお考えになっていないが、恐れ多いばかりにこっそりと母君が時折さし出てお返事申し上げなさる。

 

《以前、この宮の御方の年齢を考えたことがありました(第一章第二段)が、ここでことさらに「物の分別がおつきになるくらいご成人なさって」とまで言っているところから見ると、やはり大君より上なのかも知れません。

至って控えめな女性のようで、自分の立場を心得てということでしょうか、結婚はしないと「思い離れて」います。

「両親が揃っている姫君たちには熱心にあえてでも申し込み、はなやかな事が多い」というのは大君と中の君のことで、大納言と真木柱が両親ですが、宮の御方は父がいなくて母の真木柱だけということになるのだそうです(『集成』)。

しかし、匂宮は、その人柄の情報を入手して、すっかり思いを強めているようで、若君を介して度々の便りがあります。

一方では大納言が中の君を匂宮にと思ってがんばっているのを見ると、真木柱の思いは複雑です。娘の宮の御方が「気の毒になって」駄目だろうなあと思い、また一方で「何の遠慮がいるものか」という気もするし、匂宮の行状を耳にすると「ますます躊躇される」こともあり、さらに匂宮の立場を考えると「恐れ多い」気がして、娘には内緒で時には返事を書いたりもしているのでした。

ここに突然「八の宮」の名が出てきますが、このことについては後の橋姫の巻で三年ほど遡って語られる話ですが、『光る』が「こういうところは、いかにもへたな伏線という感じがするんですねえ。(笑)」と言っています。

初めの、「噂を耳になさっていらっしゃらないではないが(原文・聞きとどめたまはぬにはあらねど)」は渋谷訳です。『集成』は「殿方の立派さも分からぬではないが」と一般的な賢明さを言うように訳し、『評釈』も同様と思われる訳ですが、ここは匂宮から文が届いているということを知っているという意味で、この訳の方がいいように思いました。

さてこの話はいったんここで措いて、次からは匂宮兵部卿の巻の始まりと同じ時点、十一年前まで後返りして話が始まります。》

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第四段 按察使大納言と匂宮、和歌を贈答

【現代語訳】

 これは昨日のお返事なのでお見せ申し上げる。
「憎らしくもおっしゃることだ。好色の方面に度が過ぎていらっしゃるのを、感心申しあげないとお聞きになって、右大臣や私どもが拝見するところでは、とてもまじめにお心を抑えていらっしゃるのがおもしろい。好色人と呼ぶのに資格十分なご様子なのに、無理してまじめくさっていらっしゃるのも、見所が少なくなることになろうに」などと、陰口を言って、今日も参内させなさる折に、また、
「 本つ香のにほへる君が袖触れば花もえならぬ名をや散らさむ

(もともとの香りが匂っていらっしゃるあなたが袖を振ると、花も素晴らしい評判を

得ることでしょう)
 など好色がましいことです。あなかしこ」と、本気にお申し込みになった。本当に結婚させようと考えているところがあるのだろうかと、さすがにお心をときめかしなさって、
「 花の香をにほはす宿にとめゆかば色にめづやと人の咎めむ

(花の香を匂わしている宿に訪ねていったら、好色な人だと人が咎めるのではないで

しょうか)」
など、やはり胸の内を明かさないでお答えなさるので、憎らしいと思っていらっしゃる。
 北の方が退出なさって、宮中辺りのことをおっしゃる折に、
「若君が、先夜、宿直をして退出した時の匂いがとても素晴らしかったので、人は普通の香と思ったが、東宮がよくお気づきになって、『兵部卿宮にお近づき申したのだ。なるほど、私を嫌ったわけだ』と、様子を分かって恨んでいらっしゃったのがおかしいことでした。こちらかお手紙をなさったのですか。そのようにも見えませんでしたが」とおっしゃると、
「その通り。梅の花を愛される君なので、あちらの建物の端の紅梅がたいそう盛りに見えたのを放っておけず、折って差し上げたのです。移り香はなるほど格別です。晴れがましい宮中勤めをなさるような女君などは、あのようには焚きしめられませんね。
 源中納言は、このように風流に焚きしめて匂わすのではなく、人柄が世にまたとない。不思議で、前世の宿縁がどんなであったのかと、知りたいほどです。
 同じ花の名であるが、梅は生え出た根ざしが大したものだ。この宮などが愛されるのは、もっともなことだ」などと、花にかこつけて、まずはお噂申し上げなさる。

 

《冒頭の「これは」というのは、この手紙はいいけれども、今後は宮の御方への手紙を預かることになるだろうから「これからは、内証で」(『評釈』)という気持です。

匂宮の返事を見た大納言は、私の申し出を断るとはなかなか憎いことをされる、それにしてもあの宮が堅物を気取るとはおもしろい、おおかた我々が普段宮は遊びが過ぎると思っていることを聞いていて、警戒されているのだろう、このままあの人を朴念仁にして済ませてしまうのはおしいことだ、と、今日も参内する若君に、改めて今度は「本気」の手紙を託しました。

 受け取った宮は、そうか、本気なのかと思うと、さすがに心がときめきます。先の返事は遠回しながら言外に明らかな断りの意志を入れたのでしたが、今回の返事は、本当にいいんでしょうか、と問いかける恰好で、態度を保留しながら後ろ向きではない返事です。

大納言がさてどうしたものかと思案しているところに、北の方(真木柱)が大君の所から下がってきて、今朝宮中の東宮で若君が帰る時にいい匂いが漂ったことについての様子を話しますが、分かりにくい所です。

まず、「人は普通の香と思ったが(原文・人はなほと思ひしを)」について、『集成』は「ほかの人は、何とも思わなかったのですが。『なほ』は平凡の意」と注していますが、それでは前の、素晴らしい匂いがした、とあることと合わないように思いますし、『評釈』訳は「皆はやはり若宮のだと思ったのに」ですが、なぜ「やはり」と言うのか不審です。

ここは同じ「やはり」と訳すにしても、「やっぱり、さすがに」というのではないでしょうか。もちろん匂宮からの移り香なのですが、人々は彼自身の匂いだと思って、さすがに大納言の若君だと思った、という意味にはならないでしょうか。

東宮はそれを弟の移り香だと嗅ぎ分けて、「なるほど、私を嫌ったわけだ」と「匂宮に親しんだことを東宮がからかう」(『集成』)のでした。それを夫妻は楽しそうに語り合います。若君が匂宮とそういう関係であることを喜ばしいことと思っているようです。

次に、北の方の言葉、「こちらかお手紙をなさったのですか(原文・ここに御消息やありし)」。まず『評釈』が、原文の「ここに」は、「こちらに(匂宮から)」なのか、「こちら(大納言)から」なのか(『集成』はこの説です)、という問題を出しています。

しかしその前に、若君に匂宮の移り香があったことが、どうして手紙のやり取りに繋がるのかということの方が気になります。二人の関係は夫妻には周知のことのようですから、別に手紙の使いなどなくても、移り香は当然の、ひょっとしたら日常のことなのではないでしょうか。どうも大納言の申し込みのいきさつを共有するための、あえての一言のような気がします。

さらに大納言の言葉の「移り香はなるほど格別です(原文・人柄こそ世になけれ)」も諸注意味不詳とし、『評釈』が諸説を挙げており、また四つの文も、それぞれがどのように繋がっているのか、分かりにくく思われます。源中納言の「人柄」というのは、身についた香のことをいうのでしょうか。》

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第三段 匂宮、宮の御方を思う

【現代語訳】

「今夜は宿直のようだな。このままこちらにな」と、呼んだままお離しにならないので、東宮にも参上できず、花も恥ずかしく思うくらい香ばしい匂いでお側近くに寝かせなさったので、子供心にまたとなく嬉しく慕わしくお思い申し上げる。
「この花の主人は、どうして東宮には行かれなかったのだ」
「存じません。ものの分かる方になどと、お聞きしました」などとお答え申し上げる。

「大納言のお気持ちは、自分の娘の方を考えているようだ」と思い合わせなさるが、思っていらっしゃる心は別の方に向いているので、この返事は、はっきりとはおっしゃらない。
 翌朝、この君が退出する時に、気のりしない態度で、
「 花の香にさそはれぬべき身なりせば風のたよりを過ぐさましやは

(もし花の香に誘われてもよい身であったら、風の便りをそのまま黙ってはいないで

しょうのに)」
 そうして、

「やはり今は、老人たちに出しゃばらせずに、こっそりと」と、繰り返しおっしゃって、この君も、東の御方を大切に親しく思う気持ちが増した。
 かえって腹違いの姫君たちは、お顔をお見せになったりして、普通の姉弟みたいな様子であるが、子供心にとても重々しく理想的でいらっしゃるご性質を、

「お世話しがいのある方と結婚させてあげたいものだ」と日頃思っていたが、東宮の御方が、たいそう華やかなお暮らしでいらっしゃるのにつけても、同じ嬉しいこととは思うものの、とてもたまらなく残念なので、

「せめてこの宮を身近に拝見したいものだ」と日ごろ思っている時で、嬉しい花の便りのきっかけである。

 

《周囲からその魅力を讃えられている若い親王は、まことに気ままに、傍若無人に振る舞います。若君は本当は東宮の所に宿直するべきだったようですが、自分の所に引き止めてしまいました。

「この花の主は、どうして東宮には行かれなかったのだ」については、諸説あるようです。『集成』は「『花』は紅梅(中の君)、『主人』は、大納言と見るべきであろう」と言い、『評釈』は「この花の主」を「宮の姫君のこと」と言います。

宮の御方の所の庭先にあった紅梅を届けたのですから、大納言は御方を匂宮に勧めているのだと考えるのも自然ですが、しかし、すぐ後で、宮が、大納言がこの紅梅に託して自分にと考えているのは「自分の娘」(中の君)らしいと思った、とありますから、「どうして東宮には…」と尋ねたのはやはり中の君のことを言っていると考えるしかないような気がします。

ただ一方で、姉妹を同じ東宮に嫁がせる、というのも変な気がしますが、あることなのでしょうか。

ともあれ、匂宮は宮の御方に心を寄せていますから、大納言の誘いにはあまり気乗りしません。返しの歌は反実仮想表現で、私はそういう身ではないので、と「一応卑下してみせた体」(『集成』)、または「わたしは堅物でして、と、いう。すました顔で」(『評釈』)というわけですが、いずれにしても、ここはやんわりと断った恰好です。

そうして若君に、「老人たちに出しゃばらせずに」と、ここでも思い通りの振る舞いです。宮のそういう気持ちを聞いて、若君の宮の御方への評価が急上昇した、というのが、またいかにも少年らしいところです。

大君や中の君が実の姉弟のように顔を合わせる機会が多かったのに対して、同腹の姉である宮の御方が籠もりがちで、あまり姿を見せないのも、彼にとって「重々しく」見えて、もともと贔屓の気持があったようで、大君のようないい縁を願う気持でいたところに、この紅梅の使いを言いつかって匂宮に会え、しかも姉に心があることが分かって、「嬉しい花の便りのきっかけ」になれたと喜んでいます。》

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第二段 匂宮、若君と語る

【現代語訳】

 中宮の上の御局からご宿直所にお出になるところである。殿上人が大勢お送りに参上する中からお見つけになって、
「昨日はどうしてたいそう早く退出したのだ。いつ参ったのか」などとおっしゃる。
「早く退出いたしましたのが残念で、まだ宮中にいらっしゃると人が申しましたので、急いで参上したのですよ」と、子供らしいものの、なれなれしく申し上げる。
「宮中でなく、気楽な所にも時々は遊びに来なさい。若い人たちがなんとなく集まる所だ」とおっしゃる。

この君を別に呼んでお話になるので、他の人びとは近くには参らず退出して散って行ったりして、静かになったので、
「東宮にはお暇を少し許されたようだね。とてもたびたびお目をかけられてお側離さずにいらっしゃったようだが、寵愛を奪われて体裁が悪いようだね」とおっしゃるので、
「お側から離してくださらず困ってしまいました。あなた様のお側でしたら」と、途中まで申し上げて座っているので、
「私を一人前でないとお見限りということらしい。もっともだ。けれどおもしろくないな。古くさい同じ血筋で、東の御方と申し上げる方は、私と思い合ってくださろうかと、こっそりとよく申し上げてくれ」などとおっしゃる折にこの花を差し上げると、ほほ笑んで、
「『怨みてのち(こちらから恨み言を言った後)』だったら」とおっしゃって、下にも置かず御覧になる。枝の様子や花ぶさも、色も香も普通のとは違っている。
「園に咲き匂っている紅梅は色に負けて、香は白梅に劣ると言うようだが、とても見事に、色も香も揃って咲いていることだ」とおっしゃって、お心をとめていらっしゃる花なので、さしあげたかいがあるほどご賞美なさる。

 

《冒頭の「お出になる」のは匂宮です。こうして段に区切ってここから読み始めると、そうとはなかなか理解しがたいのですが、前段から続けて読むと、こういうふうに主語抜きで書かれても、それほど意外性はありません。

お送りに集まっていた殿上人の中に若君がいることに気づいて声を掛けました。そして殿上人を措いて、特に近くに呼び寄せて親しく言葉を交わしますから、殿上人たちは遠慮して散っていきます。そこまでしなくてもよさそうに思われますが、『評釈』は男色を疑っていて、それならなるほどという気もします。

あとは宮の軽口です。「東宮には…」は、大君が入内されて東宮の関心がそちらに移って相手にされなくなったようだ、というからかいです。

「私を一人前でないと…」は、大君を主語とするのが一般のようですが、ちょっと唐突な話題の転換です。そうして「古くさい同じ血筋」(共に親王であるという気持)の宮の御方のお気持ちを、探りを入れました。

ちょうどいいタイミング、と若君は紅梅を差し出します。「怨みてのち」は、こっちから手紙を送って、そのあとでこの梅を貰ったら」の意(『評釈』)。「そうなるとどういうことになるのだろう」、「許す」なのか、「恰好がわるい」なのかと同書は言います。『集成』は「(あとだったら)おもしろみもなかろう。いちはやく先方からの申し込みにまんざらでもない面持ち」と言いますが、「とにかく宮は御機嫌」(『評釈』)ではあるようです。》

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第一段 按察使大納言、匂宮に和歌を贈る

【現代語訳】

 若君は、宮中へ参内しようと宿直姿で参上なさるのだが、念入りにきちんとした「みづら」よりもとても感じがよく見えて、たいそうかわいいいとお思いになる。麗景殿におことづけを申し上げなさる。
「お任せ申して、今夜も参ることができず、気分がすぐれなくて、などと申し上げよ」とおっしゃって、

「笛を少し吹いてみよ。どうかすると、御前の御合奏に召し出されるのが、心配なことだ。まだとても未熟な笛なので」とほほ笑んで、双調をお吹かせになる。たいそう美しくお吹きになるので、
「まあまあになって行くのは、こちらでたまたま一緒に吹いているからであろう。ぜひ、お琴をお弾き合わせ頂きたい」とお責め申し上げなさると、困ったとお思いの様子であるが、爪弾きでとてもよく合わせて、ただ少し掻き鳴らしなさる。口笛を太く物馴れた音で吹いて、この東の端に軒に近い紅梅がたいそう美しく咲き匂っているのを御覧になって、
「お庭先の梅が風情ある姿のようだ。兵部卿宮は、宮中にいらっしゃるはずだ。一枝折って差し上げよ。『知る人は知る(あの方にぜひ見せたい)』」と言って、

「ああ、光る源氏と呼ばれてお盛りの大将などでいらっしゃったころ、元服前でこのようにしてお仕え馴れ申したのが、年とともに恋しいことです。
 この宮たちを、世間の人もたいそう格別に思い申し上げ、なるほど誰からも誉められるようにおなりになったご様子であるが、まったく問題とも思われなさらないのは、やはり比類のない方だとお思い申し上げていた気持ちのせいだろうか。
 普通にお仕えした者としてお思い出し申し上げるのでも胸の晴れる時もなく悲しいのだから、身近な人が先立たれ申して生き残っているのは、並々でない長生きであろう、という気がすることです」などと申し上げなさって、しみじみと寂しい気持ちで回想し涙にくれられる。
 折が折とて気持を抑えることができなかったのか、花を折らせて急いで参上させなさる。
「しかたないことだ。昔の恋しい形見としては、この宮だけだ。釈迦のお隠れになった後には、阿難が光を放ったというが、再来されたかと疑う賢い聖がいたけれども、闇に迷う悲しみを払うよすがとして、お声をおかけしてみよう」とおっしゃって、
「 心ありて風のにほはす園の梅にまづうぐひすの訪はずやあるべき

(考えがあって風が匂いを送る園の梅に、すぐにも鴬が来ないでよいものでしょう

か)」
と、紅の紙に若々しく書いて、この君の懐紙にまぜて、押したたんでお出しになるのを、子供心にとてもお親しくしたいと思うので、急いで参上なさった。

 

《大納言が宮の御方のところで気分を害しているところに、折よく、若君が参内しようとやって来て、気分が晴れます。「殿上童は、ふだんは束帯で、みずらを結うが、宿直姿は直衣で、髪をただ解き掛ける」(『集成』)のだそうで、くつろいだ姿が珍しく新鮮に見えたのでしょう、大納言はすぐに機嫌を直して、そちらに話しかけます。となると、さっき大納言に不愉快な思いをさせた作者の意図は何だったのでしょうか。ますますどうもよく分かりません。

 さて、「麗景殿」は入内した大君のこと、大納言は若宮に、そこにいる真木柱への言伝を頼みます。そしてついでに思いついて、宮の御方の琴を誘い出すために、息子の笛を所望しました。「こう、ほめたり、お礼を言ったり、せめたてたり、と順を追って来られては、弾かないわけにゆかない」(『評釈』)ので、とうとう御方も「ただ少し掻き鳴らしなさる」のでしたが、それに大納言が口笛で合わせたというのがちょっと意外で、貴族が形よく口笛を吹いている図は思い描きにくく思われますが、そうだったのでしょう。

そして、そこからいきなり、御方の話ではなくて、庭先の紅梅を御覧になって、と続くのも、これもまた予想外の展開です。

 大納言は中の君を匂宮にと考えていますので、この美しい梅を宮に届けようと一枝おらせます。そのわずかの間、彼は、幾度かその前で歌を披露したこともある源氏を思い出して追憶に浸り涙しました。

ここでの「普通にお仕えした者」は自分のことを言っているのでしょう。「並々でない長生きであろう(原文・おぼろけの命長さならじかし)」は「源氏のおそばにいた人々が、(その死によっての)悲しみに死なないのを不思議とする」(『評釈』)ということで(もっともこの原文には諸本に違いがあって「自信のない後人が、あれこれ改めこころみたあとを示す」と『評釈』が言いますが)、その源氏の魅力を受け継いでいるのは、彼の目からすると、匂宮しかいないようです。つまり直接の息子である(はずの)薫は外されていて、彼にその梅の枝をよすがに「お声をおかけしてみよう」と、「この手紙に色よい返事を」(『集成』)との意を込めた歌を、若君に託します。

 若君は「もともと匂宮のそばに行きたい気持ちがある。…用事を言いつかったのがうれしいのだと『評釈』が言います。

ところで、「ああ、光る源氏と呼ばれて…」の中で「恋しいことです」と「という気がすることです」には「はべり」(丁寧語)が使われています。独り言のように言ったことのように思われるのですが、誰かを意識して喋っているのでしょうか。》

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