源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 薫中将の物語

第七段 六条院の賭弓の還饗

【現代語訳】

 賭弓の還饗の準備を六条院で特別念入りになさって、親王方もご招待しようとのお心づもりをしていらっしゃった。
 その当日、親王方で元服を済まされた方はみな出席なさる。后腹の方はどの方もどの方も気高く美しそうにいらっしゃる中でも、この兵部卿宮はほんとうにたいそう素晴らしくこの上なくお見えになる。四の親王で常陸宮と申し上げる、更衣腹である方は、思いなしか、感じが格段に劣っていらっしゃった。
 いつものように、左方が一方的に勝った。いつもよりは早く賭弓が終わって、大将が退出なさる。兵部卿宮、常陸宮、后腹の五の宮と、同じお車にお招き乗せ申し上げて退出なさる。宰相中将は負方で、静かに退出なさったが、
「親王方がいらっしゃるお送りに、おいでになりませんか」と、退出をおし止めなさって、ご子息の衛門督、権中納言、右大弁など、それ以外の上達部が大勢、あれこれの車に乗り合って、誘い合って六条院へいらっしゃる。
 道中やや時間のかかるうちに雪が少し降って、趣のある黄昏時である。笛の音を美しく吹き立てながらお入りなると、なるほど、ここを措いてどのような仏の国に、このような時の楽しみ場所を求めることができようかと見えた。
 寝殿の南の廂間に、いつものように南向きに中将少将がずらりと着座し、北向きに向き合って相伴役の親王方、上達部のお座席がある。お盃の事などが始まって、何となく座がはずんでくると、「求子」を舞って、翻る袖の数々をあおる羽風に、お庭先の梅のすっかり満開になっている香りがさっと一面に漂って来ると、いつものように中将の香りがますます素晴らしく引き立てられて、何とも言えないほど優美である。わずかに覗いている女房なども、

「『闇はあやなく(わけもないのに梅の花を隠して)』、見たいものも見えないのだが、あの香りは、なるほど他に似たものがありませんね」と、誉め合っていた。
 大臣もたいそう素晴らしいと御覧になる。ご器量やお振る舞いもいつも以上で、威儀を正しくして澄ましているのを見て、
「右の中将も一緒にお歌いになりませんか。とてもお客人ぶっていますね」とおっしゃるので、無愛想にならない程度に、「神のます」など歌う。

 

《急に「賭弓」の話になります。正月十八日に宮中で催される行事で、「いつものように、左方が一方的に勝った」とありますから、「左方の勝つのが恒例であった」(『集成』)ようで、ここはその左方の大将となった夕霧が行う「還饗」(勝方の大将の邸で催される饗宴・『集成』)の様子です。

多くの大宮人が六条院に凱旋するにぎやかな様と、その酒宴が語られますが、ただの風俗絵巻のようで、何を語りたいのかよく分からないところです。

かろうじて、薫が「負方で、静かに退出なさった」のを、皆が「おし止めなさって」と、彼が人気者であることを偲ばせ、酒宴の中で彼の香りが注目を集めたことが、物語に関わりのある話ですが、それはすでに周知のことで、ここでわざわざ語らねばならないほどのことではないように思います。

それに、ライバル心旺盛な匂宮が同席しているのに、彼について全く触れられないのも不自然です。

そういえば、この巻の名は彼の名でしたが、巻全体を通して語られたのは薫で、匂宮は、分量で言えばおおかた二割ほどと思われます。薫を巻名にする方が自然とも思われますが、どういうことなのでしょうか。

そしてこの巻はここで突然終わり、次は全く異なった方向から物語が展開します。》

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第六段 夕霧の六の君の評判

【現代語訳】

「母宮が生きていらっしゃるうちは、朝夕にお側を離れずお目にかかりお仕え申し上げることを、せめてもの孝養に」と思っておっしゃるので、右大臣も、大勢いらっしゃる姫君たちを誰か一人はとお思いになりながら、口にお出しになることができない。

「なんといっても、内輪の知れすぎた間柄なので」と思ってはみるが、

「この君たちを措いて、他に肩を並べるような人を探し出せそうにない」とお困りになる。
 れっきとした姫君よりも、典侍腹の六の君とかが、たいそう素晴らしくて美しく、気立てなども十分で成人なさっているのを、世間の評判が低いのもこのように惜しいのを不憫にお思いになって、一条宮がそういうお世話をする人をお持ちでなく手持ち無沙汰なので、引き取って、差し上げなさった。
「わざわざとではなくてこの方々に一度お見せしたら、きっと熱心になるにちがいなかろう。女性の美しさが分かる人は、特に格別であろう」などとお思いになって、特別厳しくお扱いにはならず、今風に趣あるようにしゃれた暮らしをさせて、人が熱心になるような工夫を沢山凝らしていらっしゃる。


《そういう魅力的な薫を間近に見ていた右大臣・夕霧が、それでは自分の娘をと思い立ちました。一方で近親過ぎて(薫は形の上では夕霧の弟、その娘と薫は叔父と姪の間柄となります)面白くないとは思うものの、他に適当な男性がいないのでした。

 余り近親同士の結婚は面白くないというのは、かつて彼自身も雲居の雁の父から言われたことがありました(少女の巻第四章第一段)。

さて、娘の中で誰を、と考えると、「典侍腹の六の君」が最も有力に思われます(第一章第二段)。しかし「典侍腹」では位で見劣りするので、それを一条宮に預けて箔を付けさせることにしました。そうしておいてさりげなく薫や匂宮に見せたら、必ずや心引かれるだろうと、「特別厳しくお扱いにはならず」、つまり深窓に秘蔵するのではなく、「今風に」オープンにして「人が熱心になるような工夫を沢山凝らし」ます。

何やら源氏が玉鬘を引き取った時のような雰囲気ですが、さすがに真面目なこの人は、源氏のようにその時の男性たちの様子を窺って楽しもうというようなけしからぬことは考えないで、あくまでも婿選びが主眼ではあったようです。

いや、あるいは当時の人にとってはこの場合源氏の方がそれこそ風流な企てだったのであって、夕霧のあくまで実務的な考え方が笑われるべきであったのかも知れないのですが…。》


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第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格

【現代語訳】

 中将は、世の中を心底からつまらないものと悟り澄ました気持ちなので、

「なまじ女性に執着しては、出家しにくい思いが残ろうか」などと思うと、

「厄介な思いをしそうなところに関係するのは、遠慮されて」などと諦めていらっしゃる。さしあたって気に入りそうな事がないので、悟り顔をしていたのであろうか。親の承諾しないような結婚などは、なおさら思うはずもない。
 十九歳におなりの年、三位宰相になって、やはり中将を辞めていない。帝、后のお引き立てで、臣下としては誰にも憚らない幸い人の人望でいらっしゃるが、心の中ではわが身の上について思い知るところがあって、もの悲しい気持ちなどがあったので、勝手気ままな浮いた好色事はまったく好きでなく、万事控え目に振る舞っていて、自然と老成した性格を人からも知られていらっしゃった。
 三の宮が年とともに熱心でいらっしゃるらしい院の姫宮のご様子を見るにつけても、同じ院の内に、朝に夕に一緒にお暮らしなので、何かの機会にふれても姫のご様子を聞いたり拝見したりするので、

「なるほどたいそう並々でない、奥ゆかしく嗜み深いお振る舞いはこの上ないので、同じことならば確かにこのような人と結婚するのこそ、生涯楽しく暮らせる糸口となることだろう」とは思うものの、普通の事は分け隔てなくお扱いでいらっしゃるが、姫宮の御事の方面の隔てはこの上なくよそよそしく習慣づけていらっしゃるのももっともなことと、面倒なので、無理に近づこうとも考えず、

「もし、思いも寄らない気持ちが起こったら、自分も相手もまことに悪い事だ」と分別して、馴れ馴れしく近づき寄ることはなかったのであった。
 自分がこのように人から感心されるように生まれついていらっしゃる有様なので、ちょっと何気ない言葉をおかけになる相手の女性も、まったく相手にしない気持ちはなく、靡きやすいので、自然とたいして気の染まない通い所も多くなるが、相手に対して特別に扱ったりはせず、たいそううまく紛らわして、どことなく愛情がないでもないという様子が、かえって気がもめるので、情けを寄せる女はそれぞれに気が引かれて、三条宮に参集する者が大勢いる。
 冷淡な態度を見るのも辛いことのようであるが、すっかり仲が絶えてしまうよりはと、心細さをこらえかねて、宮仕えなどしない身分の人々で、頼りない縁に期待をかけている者が多かった。そうはいってもとてもやさしく、見所のあるご様子なので、一度会った女は、みな自分の気持ちにだまされるようにして、つい大目に見てしまうのである。

 

《再び薫の話に帰ります。匂宮が彼と香りを張り合ったりしているのと違って、こちらは万事控えめで、女性に対しても余り関心が湧かず、いつか出家したものと考えながら、いつの間にか五年が過ぎました。その間に実は彼と玉鬘との交流があって彼女の消息も知られるのですが、それは後に竹河の巻で改めて語れます。

 薫は十九歳になりました。ここでもまた重ねて心中のわだかまりが語られ、それによって周囲から「老成した性格(原文・およすけたる心ざま)」と思われている、とされていますが、薫のこういう傾向について同じことが、少しずつ違う言い方ではありますが、繰り返されて、ちょっと煩わしく、もう少し整理しておいてほしかったという気がします。

そんなふうであっても、やはり匂宮が心を寄せている「院の姫宮」に対しては、同じ冷泉院で暮らしている(第一段)こともあって、気にならなくはないようですが、院が、他のことでは「分け隔てなくお扱い」でありながら、この姫に関してだけは「この上なくよそよそしく習慣づけていらっしゃる」ので、そういう人にかかずらうのは「面倒」だと、さして心を引かれるというほどでもありません。

ところが世の女性たちは、彼から「何気ない言葉」を掛けられただけで、思いを寄せてしまう者も多く、そして彼も「(そういう人を)まったく相手にしない気持ちはなく、靡きやすいので、自然とたいして気の染まない通い所も多くなる」ということで、その中途半端な扱いに女性の方は余計に気を揉んで、せめて近くにいたいということで、三条宮の母・女三の宮のところに宮仕えをするものが多いほどだった、と言います。「薫の魅力、思うべしである」と『評釈』が言います。》

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第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う

【現代語訳】

 このように不思議なまで人が気のつく香りに染まっていらっしゃるのを、兵部卿宮が他のことよりも競争心をお持ちになって、こちらは特別にいろいろの優れた薫き物をたきしめなさり、朝夕の仕事として香を合わせるのに熱心で、お庭先の植え込みでも、春は梅の花園をお眺めになり、秋は世間の人が愛する女郎花や小牡鹿が妻とするような萩の露にも少しもお心をお移しなさらず、老を忘れる菊に、衰えゆく藤袴、何の取柄もない吾亦紅などは、とても見るに堪えない霜枯れのころまでお忘れにならないなどというふうに、ことさらめいて、香を愛する思いを、取り立てて好んでいらっしゃるのであった。
 こうしていることに、少し弱く優し過ぎて風流な方面に傾いていらっしゃると、世間の人はお思い申していた。昔の源氏は、総じて、このように一つに事を取り立てて、異様なふうに、熱中なさることはなかったものである。
 源中将は、この宮にはいつも参上しては、お遊びなどにも張り合う笛の音色を吹き立てて、いかにも競争者として、若い者同士が好意をお持ちになっているようなご様子である。

例によって、世間の人は、「匂う兵部卿、薫る中将」と、聞きづらいほど言い立てて、その当時、良い娘がいらっしゃる高貴な所々では、心をときめかして婿にと申し出たりなさる人もあるので、宮は、あれこれと、面白そうに思われる所にはお言葉をお掛けになって、相手のお人柄、ご様子をもお窺いになる。特別のご熱心にお思いになる方は、格別いないのであった。
「冷泉院の女一の宮を、結婚して一緒に暮らしてみたいものだ。きっとその甲斐はあるだろう」とお思いになっているのは、母女御もとても重々しくて奥ゆかしくいらっしゃる所であり、姫宮のご様子は、なるほどめったにないくらい素晴らしくて、世間の評判も高くいらっしゃるうえに、それ以上に少し近くに伺候し馴れている女房などが、詳しいご様子などを何かの機会にふれてお耳に入れることなどもあるので、ますます気持ちを抑えがたくお思いのようである。

 

《さてこちらは匂宮です。薫がこのようにもてはやされると、むらむらとライバル心が起こります。出自も自分は宮(皇子)であり、位も自分の方がやや上(正四位下と従四位下のようです)、そして年も一つ上とあっては、負けてはいられません。

残念ながら天然の香りは具わっていなので、それならとこちらは人工の薫き物を工夫して張り合います。

花への関心が列挙されますが、女郎花、萩は香りのない花で、これは世の人がどれほど愛でようが、無視されるということで、香りへの偏執が強調されて、薫へのこだわりが推し量られます。

ここで突然源氏が思い出されて、こうした偏執について、それは貴人にふさわしくないことと、一言批判を挟んでいます。

彼は幼い時に父帝から例えば学問について「高い身分に生まれ、そうしなくても人に劣ることのない身分なのだから、むやみにこの道(学問)に深入りするな」と教えられたことがあり(絵合の巻第四章第一段)、また女性の心得として「取り立てて好きなものを見つけてそれに凝ってしまうことは、体裁のよいものではありません」と紫の上に教えたことがありました(玉鬘の巻第五章第三段)が、総じて当時、何かにこだわるというのは、貴人の避けるところで、すべてのことが穏やかにできて、調和が取れているのをよしとしたようです。

自然であることが好ましいと考える習慣のある私たちには、身についた香りと人工のそれとでは、比較にならないような気もしますが、この時代はそうは考えなかったようで、それもいかにも貴族らしいとも言えます。

ともかく二人の魅力は互いに譲らず、世間もそれを囃し立て、当人たちも仲はよいのですが、何かと競い合うことになり、ますます世の人々の関心を集めますから、「当時、良い娘がいらっしゃる高貴な所々」では、何とか我が娘を送り込んで世に出る糸口にと考えるようになりました。

しかし、匂宮はそういう並みの女性には関心が向かないようです。彼には密かに抱いている希望がありました。それは冷泉院の女一の宮、薫と寵を競う形でさらりと語られた(第一段)人です。》

第三段 薫、恵まれた境遇

【現代語訳】

 帝におかせられても、母宮の御縁続きでの御好意が厚く、大変にかわいい者としてお思いあさばされ、后の宮もまた、もともと同じ邸で宮方と一緒にお育ちになりお遊びになったころの御待遇をすこしもお改めにならず、

「晩年にお生まれになって気の毒で、大きくなるまで見届けることができないこと」と、院がおっしゃっていたのをお思い出し申し上げなさっては、並々ならずお思い申し上げていらっしゃった。
 右大臣も、ご自分のご子息たちよりも、この君を気にかけて大事にお扱い申し上げていらっしゃる。
 昔、光君と申し上げた方は、あのような比類ない帝の御寵愛であったが、お憎みなさる方があり、母方のご後見がなかったりなどしたが、お人柄も思慮深く世間の事を穏やかにお考えになったので、比類ないご威光を目立たないように抑えなさり、ついに大変な天下の騷ぎになりかねない事件も無事にお過ごしになって、来世のご勤行も時期を遅らせなさらず万事目立たないようにして、遠く先をみて穏やかなご性格の方であったが、この君は、まだ若いうちに世間の評判が大変に過ぎて、自負心を高く持っていることは、この上なくいらっしゃる。
 いかにも前世の因縁によるかのように、とてもこの世の人としてできているのではない、人間の姿を借りて宿ったのかと思えることがお加わりであった。ご器量も、はっきりそれとどこが素晴らしい、ああ美しい、と見えるところもないが、ただたいそう優美で気品高げで、心の奥底が深いような感じが、誰にも似ていないのであった。
 香りの芳しさはこの世の匂いでなく不思議なまでに、ちょっと身じろぎなさる周囲の、遠く離れている所の追い風も、本当に百歩の外も香りそうな感じがするのであった。どなたも、あれほどのご身分でひどく身をやつし平凡な恰好でいられるわけはなく、あれこれと自分こそは誰よりも良くあろうとおしゃれをし気をつかうものなのであるが、このように体裁の悪いほど、ちょっとお忍びに立ち寄ろうとする物蔭も、はっきりこの人と分かる香りが隠れ場もないので、厄介に思ってほとんど香を身におつけにならないが、たくさんの御唐櫃にしまってあるお香の薫りも、この君のは何ともいえない匂いが加わり、お庭先の花の木も、ちょっと袖をお触れになる梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身に染ませる人が多く、秋の野に主のいない藤袴も、もとの香りは隠れて、やさしい追い風が格別で、折り取られて一段と香りが引き立つのであった。

 

《薫の皇室との関係の素晴らしさが語られます。まず帝は母・女三の宮の兄(薫の伯父に当たります)、その后の宮(明石中宮)は異腹の姉(年は十歳ほど上になるでしょう)で、その二人の次男、三男(匂宮)が六条院で「一緒にお育ちになりお遊びになったころ(横笛の巻第三章第一、二段)の御待遇をすこしもお改めになら」ない、といった扱いです。

加えて今や六条院を治めている義兄の夕霧は、右大臣で飛ぶ鳥を落とすといったところですが、これがまた「ご自分のご子息たちよりも、この君を気にかけて」いるといった具合で、「これほど条件にめぐまれた若さまはいないであろう」(『評釈』)と言えます。

それは光る源氏をしのぐもので、「自負心を高く持っていることは、この上なくいらっしゃる」のでした。

もっともこの自負心(原文「思ひ上がりたること、こよなく」)については、夕霧の時もしばしば指摘されてきましたが、源氏については、ほとんど書かれなかったように思います。彼の若い頃には、彼が左大臣家の姫を妻としていたのに対して、当時の右大臣家が実権を握っていて、その出身の弘徽殿女御という恐るべき相手がいて、とてもそういう気持ちにはなれなかったのでしょうか。さればこそ須磨流謫というような事件も起こったのでしたが、それに比べると、いまやこの一族にはそういうライバルは全くいなく、彼ら自身が実権の中枢にいる、というより、中枢には彼ら一族しかいないという状態なのですから、「思ひ上がりたること」の方がむしろ常態と言っていいでしょう。

かくして薫は、内心に大きなわだかまりを抱えていながら、対外的にはこの上ない恵まれた道を歩いています。しかも彼は、「この世の匂いでなく」いい香りが自身の体から発するのでした。『集成』が「わが国では、聖徳太子、義淵僧正など、誕生の時、芳香を放ったと伝える。…体の芳香は、すぐれた仏者の身にそなわる異相とされた」と言います。

その香りは「本当に百歩の外も香りそうな感じがする」という大変なもので、彼自身はその香りのために忍び歩きもならないのでしたが、その香しさは、「御唐櫃にしまってあるお香」も庭の花も、この人の香りを添えてさらによい香りとなるほどなのでした。

もちろんそれが、横笛の巻第一章第三段で先回りして書いたように、この人の呼び名の由来なのです。》

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