源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 光る源氏没後の物語

第三段 光る源氏の夫人たちのその後

【現代語訳】

 いろいろとお集まりであった御方々は、泣く泣く最後にお住まいになる邸にみなそれぞれお移りになったが、花散里と申し上げた方は二条東の院をご遺産として受けてお移りになった。
 入道の宮は、三条宮にいらっしゃる。今后は、ずっと宮中に伺候していらっしゃるので、六条院の中は寂しく人少なになったが、右大臣が、
「他人事として昔の例を見たり聞いたりするにつけても、生きている間に丹精をこめて造り上げた邸がすっかり忘れられて、人の世の習いも無常なことだと思われるのは、たいへん感慨無量で、悲しく空しさが思い知られるのだが、せめて自分が生きている間だけでもこの院を荒廃させず、あたりの大路など人の姿が見えなくならないように」とお考えにもなりおっしゃりもして、東北の町にあの一条宮をお移し申し上げなさって、三条殿と、一晩置きに十五日ずつ、きちんとお通いになっていらっしゃるのであった。
 二条院と言って磨き造り上げ、六条院の春の御殿と言って世間に評判であった玉の御殿も、ただお一方の将来のためであったと思えて、明石の御方は大勢の宮たちのご後見をしながらお世話申し上げていらっしゃった。

大殿は、どの方の御事も故人のおとりきめ通りに、改変することなく別け隔てなく親切にお仕えなさっているにつけても、対の上が、このように生きていらっしゃったならば、どんなに誠意を尽くしてお仕え申し御覧に入れたことであろうか、とうとう、多少なりとも特別に自分が好意を寄せているとお分かりになっていただける機会もなくて、お亡くなりになってしまったことを、残念に物足りなく悲しく思い出し申し上げなさる。
 天下の人は、院を恋い慕い申し上げない者はなく、あれこれにつけても、世はまるで火を消したように、何事につけてもはりあいのない嘆きを漏らさない折はなかった。まして、殿の内の女房たち、ご夫人方、宮様方などは、改めて申し上げるまでもなく、限りないお嘆きの事はもちろんのこととして、またあの紫の上のご様子を心に忘れず、いろいろのことにつけて、お思い出し申し上げなさらない時の間もない。春の花の盛りは、なるほど、長くないことによって、かえって大事にされるというものである。

 

《子供たちに続いて、今度は源氏の夫人たちの消息です。

六条院東北の邸にいた花散里は、二条東院に移りました。ここは昔一時期彼女が住まったところで(松風の巻冒頭)、そこを遺産として貰ったのでした。

そして東南の邸の寝殿西面にいた女三の宮は、父院から譲り受けた三条宮に移りました。東面が里下がりの部屋だった明石中宮は、今はずっと宮中です。

その空いた東北の邸に夕霧が、「この院を荒廃させ」ないために、一条宮(落葉宮)を迎えて「三条殿(雲居の雁)と、一晩置きに十五日ずつ、きちんとお通いになっていらっしゃる」と、さりげなく言いますが、これがいかにも夕霧らしいと言うか、ちょっと驚きです。

まず、どうやら雲居の雁が納得したらしいこと。一条宮と夫とのことを知った初めの頃は幼い頃から相愛だった彼女らしく、かわいらしい、しかし激しい焼きもちを焼いたものでしたが、そういうものなのだと悟り、この人のことですからあっさり割り切って、大人の対応をしているのでしょうか。

もう一つは、「一晩置きに十五日ずつ、きちんと」という、夕霧のおかしな几帳面ぶりです。『評釈』は「夕霧の処置は見事、と読者は認めるであろう」と言いますが、『集成』は「『まめ人』夕霧らしいやや諧謔的な筆致」と言います。

さらに『光る』は、この巻を「丸谷・このへん全くつまらなくて、ごたごたしていて、頭に入らないような書き方です」と言いながら「この律義な通い方のエピソードは出色なんですけれども…」と言って、ここを滑稽小説として捉えています。と同時に、「丸谷・これだと、惟光の娘の藤典侍の所へは一日も通わないことになりますね」と鋭く指摘しています。作者のうっかりでしょうか。

西南の邸の秋好み中宮は、隠居した冷泉院の傍にいてこちらに来ることは無くなっています(鈴虫の巻第三章第一段)。

西北の邸は今も明石の御方の住まいのようですが、二条院は孫の匂宮、六条院東南の邸は同じく孫の二の宮と女一の宮の住まいとなって、今やこの人は、「玉の御殿も、ただお一方の将来のためであった」と言われるほどの栄達ぶりです。

夕霧は父に代わって各夫人を立派に世話するのですが、その中に憧れだった紫の上がおられたらどんなにに張り合いがあっただろうと、それだけが残念の種です。》

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第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち

【現代語訳】

 女一の宮は、六条院南の町の東の対をご生前当時のお部屋飾りを変えずにお住まいになっていて、朝夕に恋い偲び申し上げなさっている。二の宮も、同じ邸の寝殿を時々のご休息所になさって、梅壺をお部屋になさって、右大臣の中の姫君をお迎え申し上げていらっしゃる。次の東宮候補として、たいへん声望が重々しく人柄もしっかりしていらっしゃるのであった。
 大殿の御姫君は、とても大勢いらっしゃる。大姫君は東宮に入内なさって、他に寵を競う相手もない様子でお仕えしていらっしゃる。その次々の姫君もやはりみなその順番通りに結婚なさるだろうと、世間の人もお思い申し上げ、后の宮も仰せになっていらっしゃるが、この兵部卿宮はそのようにはお思いにならず、ご自分のお気持ちから生じたのではない結婚などは、おもしろくなくお思いのご様子のようである。
 大臣も、

「何の、同じようにと、そのようにばかりきちんきちんとすることはない」と落ち着いていらっしゃるが、また一方で、そのようなご意向があるならお断りはしないという顔つきで、とても大切にお世話申し上げていらっしゃる。

六の君が、その当時の、少し自分こそはと自尊心高くいらっしゃる親王方や上達部のお心を夢中にさせる種でいらっしゃるのであった。

 

《今後の主役を務める男性二人の紹介に続いて、今度はその周辺の若君、姫君たちです。

女一の宮は、明石の中宮の娘で、かねてから紫の上が引き取って養育していた姫(若菜下の巻第三章第一段)、二の宮はその次男、三の宮の匂宮と同じように宮中に部屋はあるのですが、こちらも時々は六条院にやって来るようで、その時のために寝殿が空けてあります。ただ、「たいへん声望が重々しく、人柄もしっかりして」いるというあたり、自由気ままらしい三男とは少し違う感じです。

さて、大殿(夕霧)の姫の話です。六人いたのですが(夕霧の巻末)、長女は東宮妃(従妹同士です)、次女(文中の「右大臣の中の姫君」)は二の宮に嫁いでいます。それで「その次々の姫君もやはりみなその順番通りに結婚なさるだろう」、つまり三女は三男の匂宮に嫁ぐだろうと思われているのですが、どうやら匂宮にはその気がないようです。『評釈』は「三の君が内侍のすけ(惟光の娘)腹で母の素性が落ちるというのも、一つの条件であろう」と言います。

それにしても、伯父の右大臣の姫君をと言われてもそういう態度が取れるのは、「若いからでもあるが、それだけの力があるのだ」と『評釈』が言いますが、宮という立場がそれなのでしょうか。

そのことについての夕霧の態度も、「なんの」、どうぞお好きなようにとなかなか微妙で、鷹揚に構えています。昔、雲居の雁との間を裂かれた時の父・大臣への態度が思い出されます(梅枝の巻第三章第一段)が、これもまた権勢を競うようなライバルのいない彼の自信の現れとも思われます。

彼の娘の中では六の君が世の関心を集めていますが、四の君、五の君が跳んでいるのは、この二人は雲居の雁腹で、臣下では手が届かないということがあるのだと、これも『評釈』の見解です。》

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第一段 匂宮と薫の評判

巻四十二 匂兵部卿 薫君の十四歳から二十歳までの物語

第一章 光る源氏没後の物語 光る源氏の縁者たちのその後

第一段 匂宮と薫の評判

第二段 今上の女一宮と夕霧の姫君たち

第三段 光る源氏の夫人たちのその後

第二章 薫中将の物語 薫の厭世観と恋愛に消極的な人生

第一段 薫、冷泉院から寵遇される

第二段 薫、出生の秘密に悩む

第三段 薫、目覚ましい栄達

第四段 匂兵部卿宮、薫中将に競い合う

第五段 薫の厭世観と恋愛に消極的な性格

第六段 夕霧の六の君の評判

第七段 六条院の賭弓の還饗

 

【現代語訳】

光源氏がお隠れになった後、あの輝くお姿をお継ぎになるような方は、大勢のご子孫方の中にもいらっしゃらないのであった。御譲位の帝をどうこう申し上げるのは恐れ多いことである。今上帝の三の宮と、その同じお邸でお育ちになった宮の若君と、このお二方がそれぞれに美しいとのご評判をお取りになって、なるほどまったく並一通りでないご容姿であるが、ほんとうに輝くほどではいらっしゃらないようだ。
 ただ世間一般の人と同様に立派で気品があって優美でいらっしゃるのに加えて、そのようなご関係から、人が思い込みでご評判申し上げている扱いや様子も、昔のご評判やご威光よりも少し勝っていらっしゃる高い評判ゆえに、一方ではこの上なく威勢があったのであった。
 紫の上が格別におかわいがりになってお育て申し上げたゆえに、三の宮は二条院にいらっしゃる。東宮のことはそのような重い方として特別扱い申し上げなさって、帝も后も、大変におかわいがり申し上げになり、大切にお世話申し上げになっている宮なので、宮中生活をおさせ申し上げなさるが、やはり気楽な里邸を、住みよくお思いでいらっしゃるのであった。ご元服なさってからは、兵部卿と申し上げる。


《物語は源氏の孫たちの世代の話となるのですが、ここから三巻(匂兵部卿、紅梅、竹河)は、話の繋がりがちぐはぐだったり跳んでいたり、いろいろ分かりにくいことが点々とあり、また文章的にもこれまでの作者のものとは思えない点があるとして、古来、後人の補作したものではないかと疑う説も多くあるようです。

が、ともかく、読み進めます。

少し先回りしますが、ここの第二章で、薫が十四歳とされますから、前の幻の巻から八年の歳月が流れています。

巻の名前は、珍しく人の呼び名そのものですが、語られているのは薫の方がウエイトが大きいのに、どうして「薫」ではなくてこの人なのかと思わされます。地位が上だということなのでしょうか。

 ともあれ、稀代のヒーロー源氏が亡くなって、次代の主人公はこの二人と、早速紹介されます。

 二人は作者から見ると、どちらも「ただ世間一般の人と同様に立派で気品があって優美でいらっしゃる」のであって、「(源氏のように)ほんとうに輝くほどではいらっしゃらない」のですが、「そのようなご関係から」つまり一人は源氏の孫であり、一人は息子(形の上で、ですが)であることから、世間は期待を持ってひいき目に見るものですから、かえって「昔の(源氏の)ご評判やご威光よりも少し勝っていらっしゃる」といった、おかしな事になっています。

 さて、まずは匂宮の方の話です。

ちょっと横道ですが、紫の上は一時期体調を崩して二条院に移っていました(若菜下の巻第六章第五段)が、その後朱雀院の五十の賀の試楽を聞くために十二月に六条院に帰りました(同第十一章第五段)。匂宮が生まれたのは同じその年の少し前頃で、しばらくして紫の上は六条院にこの宮を引き取り(横笛の巻第三章第一段)、そしてその二年後法華経供養を思い立った時に再び二条院に移って(御法の巻第一章第二段)、そのまま半年後にそこで亡くなったのでしたが、匂宮はそれまでずっと側に置かれていました。

 紫の上の死後、両親である帝、后は、東宮は別格として、この宮を特別かわいく思って(桐壺帝の一の皇子と源氏の関係を思い出しますが、そういう話にはなりません)、宮中に住まわせたのですが、彼は「気楽な里邸を、住みよくお思いで」二条院で暮らしています。「宮中の住まいが言わば本邸で、二条院が別邸」(『評釈』)で、どうやら別邸の方が居心地がいいということのようです。

 自然な気持とも思えますが、やはりこの人の三男坊らしい自由な人柄を現してもいるということでしょう。》

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