源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 紫の上の物語(一)

第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉

【現代語訳】

 宮たちを拝見なさっても、
「それぞれのご将来を見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の色は、大変に美しい。

「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は思わずお泣きになってしまう。

縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな人について、

「この人あの人を私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」などとだけ申し上げなさるのであった。御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
 三の宮は、大勢の皇子たちの中でとてもかわいらしくあちこちお歩きになるのを、ご気分の好い合間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」とお尋ね申し上げなさると、
「きっととても恋しいことでしょう。私は、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなかったら、機嫌が悪くなりますよ」と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子がいじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には大切にご鑑賞なさい。何かの折には、仏様にもお供えください」と申し上げなさると、こくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので立って行っておしまいになった。特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。

 

《この二条院では明石中宮の子供二人、女一の宮と三の宮(後の匂宮)を、紫の上が預かって養育していました。「宮たち」は主にこの二人を指すのでしょう。

 女一の宮を預かったのは、源氏が女三の宮を迎えて、朱雀院の御賀を計画しようとしていた頃で、「所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気を紛ら」すよすがでした(若菜下の巻第三章第一段)が、三の宮の場合(横笛の巻第三章第一段)も、その延長だったと思われます。女一の宮は九歳前後、三の宮は五歳になるようです。

 そういう宮たちを見ながら紫の上は、これまでこの子たちの行く末を見たいという気がしていたのは、自分の終わりが近いことがそう思わせていたのだったかと、思い至ります。宿縁が自分を支配しているのだと思い定めた哀感のある言葉で、その表情はひときわ美しく見えました。

 前段で「利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない」とありましたが、それはことさらにはしないということのようで、「お話のついでなどに」は、やはり言っておきたいこともあったようです。長年仕えてくれた女房たちの中で頼る身寄りのなさそうな者のことは、頼んでおかなくてはならないと気遣うのも、この人の素晴らしさです。

 「いつものご座所にお帰りになる」は、前段でも紹介したように『集成』と『評釈』では話が逆になりますが、ここでは『集成』のように、紫の上が西の対に帰っていったのだと解しておくことにします。その事情は次の段で。

そして紫の上の三の宮との対話となりますが、ここは中宮との対面のあった後日のある日ということなのでしょう。

いかにもかわいく思っている孫と慕われている祖母との切ない思いを込めた対話と思われて、『光る』にならって「いいところですねえ」と言いたくなります。

『評釈』がここで「作者は、…(紫の上を)もっとも幸福な女性と描きながら、どうして彼女に子どもをさずけなかったは不思議の一つである」として、さまざまに考察していますが、そこには挙げられていない理由の一つに、もしこの人に子どもがいたら、源氏の関心がこの人の周囲だけに集中して、他の人物の登場する余地が激減するでしょうし、また彼女自身については、子どものない女性の悲しみを描く機会も、老いてなお処女性を失わない女性の魅力を描く機会もなくなって、さまざまに物語がやせ細ってしまう、ということがあったのではないでしょうか。》

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第五段 紫の上、明石中宮と対面

【現代語訳】

 夏になってからは、いつもの暑さにさえ、意識を失っておしまいになりそうな時々がいっそう多い。どこといって特に苦しんだりはなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになるので、病人めいてたいそうにお悩みになることもない。お側にいる女房たちも、どうおなりになるのだろうかと思うにつけても、もう涙に暮れるばかりで、もったいなくも悲しいご様子と見申しあげる。
 ずっとこうした状態でいらっしゃるので、中宮がこの二条院に御退出あそばされる。東の対に御滞在あそばす予定なので、そちらでお待ち申し上げなさる。儀式などはいつもと変わらないが、この世のこうした作法もこれが見納めであろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。
 上達部なども大勢供奉なさっていた。久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。院がお入りになって、
「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですよ。退出して寝るとしましょう」と言って、お帰りになってしまった。起きていらっしゃるのを嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。
「別々の所にお宿りいただきますので、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。かといって、私がこちらにあがりますことはとてもかなわぬようになりましたので」と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。

紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。

 

《紫の上の衰弱が進みます。柏木も「どこといって苦しいこともありません」(柏木の巻第三章第三段1節)というままに亡くなっていったのでしたが、この人も同じような病状で、つまり精神的衰弱によって体力がどんどん失われていくという格好です。

 柏木には、それなりに十分理解できる具体的な原因・理由があっての精神的死でしたが、紫の上には、それがありません。

直接の原因は六条御息所の死霊が取り憑いたことの後遺症ということなのですが、それを招いたのは女三の宮降嫁によって受けた、自分の存在理由を見失うという精神的ダメージで、その後、御息所の死霊が去り、女三の宮が出家して現実的ライバルではなくなった後も、自分の存在を根本的に揺さぶられてしまったダメージは、漸次的に彼女の体をここまで追いつめたということなのでしょう。

『物語空間』は「(紫の上の出家希望は)光源氏の愛を競い続ける生活に嫌気がさしたのである」と言いますが、それだけなら藤壺や朧月夜のように独断で出家してしまえばいいわけで、源氏が許さないから出家しないというところには、やはり『構想と鑑賞』の言うように、源氏への愛情はそのまま残っていると考える方がいいでしょう(若菜下の巻第六章第五段)。

彼女にとって、何の疑いもなく安住していた六条院女主人という地位が、実は全くのかりそめのものでしかないと思ってしまった根源的動揺は、彼女が純真な人だけに、他の人以上に重いダメージでした。それは芥川龍之介流に「ぼんやりした不安」とでも言えば、近いでしょうか。

状況を案じた明石中宮が退出してきて見舞います。中宮という立場上、自分から紫の上の部屋には行かれないようで、紫の上の方が中宮の部屋となる東の対に出向いて待ち受けて会いました(ただし、これは『集成』の理解で、紫の上の部屋は西の対であろうとしています。『評釈』は、紫の上の部屋を寝殿と考えて、そちらで中宮を待ったのだと言い、後で触れますが、「別々の所に…」の言葉とともに分かりにくいところです)。

さて、「(その中宮を迎える儀式、儀礼も・)これが見納めであろう(原文・この世のありさまを見果てずなりぬる)」と彼女にとって今生の懐かしいものに思われます(ここも、『評釈』は「この世のありさま」を「若宮たちの将来」としていて、普通にはその方が分かりやすい気がしますが、「儀式などはいつもと変わらないが」からの繋がりとしては変です)。

病床の紫の上としては、中宮との対面は大変な負担とも思われますが、今やこの中宮は上にとっては最も親しい相手です。

 源氏が覗きますが、この二人には彼さえも一目も二目も置く気持のようで、その場をちょっと覗いただけで、妻が起きて嬉しそうに話しているのに安心して、部屋に帰ってしまいました。

 次の「別々のお部屋に…」は、中宮(『評釈』・『谷崎』説)、紫(『集成』説)、いずれの言葉とも定めかねます。

『評釈』説とすると「おあがりすることはとてもかなわなくなって(原文・参らむことはたわりなくなりにて)」は、身分上の理由を言っている事になりますが、前述のように今彼女の方から紫の上のいる寝殿に来ているはずですから、一貫しないような気がします。

ここの訳は『集成』訳ですが、いずれにしてもこの初め部分、原文は「かたがたにおはしましては」の意味がよく分かりません。

「源氏は向こうに行ってしまわれましたが、あなたに行っていただくのも悪いし、私もよう行きませんし、まあここで話しましょう」というような意味と考えられないか、などと思います。

 ともあれ、紫の上は明石の御方も話に加わります。二人よりも三人の方が話が弾むということで、紫の上が呼んだのでしょうか。》

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第四段 紫の上、花散里と和歌を贈答

【現代語訳】

 昨日、いつもと違って起きていらっしゃったせいであろうか、とても苦しくて臥せっていらっしゃる。長年、このような催し事のあるたびに、参集して音楽をなさる方々のお顔や様子が、それぞれの才や琴笛の音色をも今日が見たり聞いたりなさる最後になるだろうとばかりお思いになられるので、格別に目にもとまらないはずの人達の顔までも、しみじみと見わたされなさる。
 まして、夏冬といった四季折々の音楽会や遊びなどにも何となく張り合う密かな気持ちは自然と沸き起こって来るようであるが、やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々については、誰もみな永久に生きていらっしゃれる世の中ではないが、まず自分ひとりが先立って行くのをお考え続けなさると、ひどく悲しいのである。
 法会が終わって、それぞれお帰りになろうとするのも、永遠の別れのように思われて惜しまれる。花散里の御方に、
「 絶えぬべき御法ながらぞ頼まるる世々にとむすぶ中の契りを

(私にはこれが最後と思われる法会ですが、頼もしく思われます、この法会の結縁に

よって生々世々にかけてと結んだあなたとの縁を)」
 お返事は、
「 結びおく契りは絶えじおほかたの残りすくなき御法なりとも

(あなた様と御法会で結んだ御縁は未来永劫に続くでしょう、たいていの者には残り

少ない命とて、多くは催せない法会でしょうとも)」
 引き続きこの機会に、不断の読経や懺法など、怠りなく尊い仏事の数々をおさせになる。御修法は格別の効験も現れないで時が過ぎたので、いつものことになって、引き続いてしかるべきあちらこちら、寺々においておさせになった。

 

《弱った体に昨日の法会は大変な負担で、日が改まって紫の上の目に見える周囲は、ますますこれが見納めという気がしてきます。

 その中で目に止まるのは何と言っても六条院で共に過ごした女君たちです。

「夏冬といった四季折々」は、普通春秋というところを、花散里(夏の御方)と明石の御方(冬の御方)が来ていることを「念頭に置いた措辞」(『集成』)ですが、ここでもまた「まして」の文が分かりにくく思われます。

「夏冬といった…来るようであるが」は長い前置き、普段はそのように密かな競争心を抱かざるを得ないで過ごしてきた人たちではあるけれども、前の「参集して音楽をなさる方々」「格別に目にもとまらないはずの人達」と比べて、「やはりお互いに親しくしあっていらっしゃる御方々」は「まして」、という構造のようです。

そういう懐かしい人々と別れて「まず自分ひとりが先立って行く」のが悲しい、というのは、当たり前のことのようですが、そのまま自分に置き換えてみても実にさもありなんという気がします。

法会が終わって帰ろうとする花散里に歌を詠み掛けました。その歌は、前段の明石の御方への歌がひたすら悲しみを訴えるものであったのに対して、その悲しみを抑えた、参列への礼となっているのは、紫の上にとっての二人の位置をよく示すものと言えるのではないでしょうか。

それに対する返歌について、『評釈』が、花散里は「今日の御法に対しての挨拶として深い志をあらわす歌になっている」のに比べて、前の明石は「紫の上の心に答えることのできないひととおりの挨拶になってしまった」と言って、明石を「人のそしりを恐れるあまり、相手の心を十分に汲みとることができない人物」としているのは、いかがなものでしょうか。あそこは、思いを十分に汲み取りながら、身分の相違を思って一歩退く、あくまでも慎ましく控えめな人柄を表していると読みたいと思います。

麗景殿の妹君である花散里には、同じ慎ましい人でも、そういう根本的なマイナス要素はないのです。

この人の歌の下の句は、よく分からないままに、『集成』訳を充てましたが、言いたい気持は、普通の人が晩年に催す法会でもその結縁は永遠のものと思われますのに(ましてこのような立派な法会とあればいっそうのことでしょう)というようなものだろうと思われます。

なお、ここの歌が巻名の由来とされます。》

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第三段 紫の上、明石御方と和歌を贈答

【現代語訳】

 三月の十日なので花盛りで空の様子などもうららかで興趣あり、仏のいらっしゃる極楽浄土の有様が身近に想像されて、格別な信心のない人までが、罪障がなくなりそうである。

薪の行道の声も大勢集い響きあたりをゆるがすのが、声が途絶えて静かになった時でさえしみじみ寂しい気がなさるのに、ましてこの頃となっては何につけても心細くばかりお感じになられる。明石の御方に、三の宮を使いにして申し上げなさる。
「 惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪尽きなむことの悲しさ

(惜しくもないこの身ですが、これを最後として薪の尽きることを思うと悲しうござ

います)」
 お返事は、心細い歌意については後の非難も気にかかったのであろうか、当り障りのない詠みぶりであったようだ。
「 薪こる思ひはけふをはじめにてこの世に願ふ法ぞはるけき

(仏道への御思いは今日を初めの日として、この世で願う仏法ははるけく千年も祈り

続けられることでしょう)」

 一晩中、尊い読経の声に合わせた鼓の音が鳴り続けておもしろい。

ほのぼのと夜が明けてゆく朝焼けに、霞の間から見えるさまざまな花の色が、やはり春に心がとまりそうに咲き匂っていて、百千鳥の囀りも笛の音に負けない感じがして、しみじみとした情趣も感興もここに極まるといった時に、「陵王」の舞が急の調べにさしかかった終わり近くの楽の音がはなやかに賑やかに聞こえるのに対して、一座の人々が脱いで与えた衣装のさまざまな色なども、折からの情景にひたすら美しく見える。
 親王たちや上達部の中でも音楽の上手な方々は、技を尽くして演奏なさる。身分の上下に関わらず気持ちよさそうに、うち興じている様子を御覧になるにつけても、余命少ないとわが身をお思いになっていらっしゃるお心の中には、万事がしみじみと悲しくお思いになられる。

 

《立派な法会に、季節もそれにふさわしく、二条院寝殿は「仏のいらっしゃる極楽浄土の有様」です。

しかし紫の上の心は塞ぎがちです。

「薪の行道の声」は「この法会の花ともいうべき」場面(『評釈』)なのですが、紫の上は「(行道が)終わった後、すべての物音が一瞬とだえる。このとき法の道を求めることのつきせぬ悲しさが、紫の上の心にひろがる」(同)のでした。

ところで前段に続いてここの「さえ…まして」も逆ではないかと思われて、分かりにくいところです。

その後の「この頃」というのはいつを指すのでしょうか。

『評釈』は「(死後のことをあれこれ考える)この頃」と言い、『集成』も同様ですが、まだ法会のすべてが終わったわけではない(すぐ後に「一晩中、尊い読経の声」があったと続きます)のに、その間に一般的な感慨が入るのは不自然ではないでしょうか。

例えば「この頃」は、ここの冒頭の極楽浄土のような季節を指して、普通の季節に行われる行道の後の静寂だけでも「しみじみ寂しい」のに、「まして」それがこの季節の中で行われるのであってみれば、と続くのでしょうか。

また、前段同様、ここでも「まして」の前後を入れ替えれば、よく分かる話になります。ひょっとして、「まして」には今とは違う使い方があったのではないか、そんなことも夢想します。

昼の法会が終わって間が出来た時でしょうか、紫の上は明石の御方に歌を送りました。使いに立った三の宮は、二年ほど前から引き取って世話している後の匂宮(横笛の巻第三章第一段)で、この時五歳です。

明石の御方と交わした歌の「薪の尽きることを思う」というのは、「法華経序品に、仏の入滅を『薪尽き火滅するがごとし』とあるのによる」(『集成』)ものです。

それに対する御方の返歌が、「当り障りのない」詠みぶりであったというのは、ちょっと残念な気がしますが、目上の人の痛切な思いの吐露に対してはじっと耳を傾けることしかできないもので、したり顔になまじっかな反応はさけるべきものとも言えます。「決して節度を失わない明石の御方その人をあらわす」(『評釈』)というのが正しいでしょう。

夜明けまで続いた法会と楽の催しは「極楽浄土」の華やぎと賑わいで人々は衣を投げかけて歓を尽くしました。

ただ紫の上一人、それが華やかであればあるほど、自分の寿命を思って「万事がしみじみと悲しくお思いになられる」のでした。》

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第二段 二条院の法華経供養

【現代語訳】

 長年内緒のご発願としてお書かせ申し上げなさった『法華経』一千部を、急いでご供養なさる。

ご自身のお邸とお思いの二条院で催されるのであった。七僧の法服など、それぞれ身分に応じてお与えになる。法服の染色や仕立て方をはじめとして、美しいことこの上ない。総じてどのようなことに対しても、実に立派な法会を催された。
 大層な催しにするということは申しあげなさらなかったので、詳しい事はご存じではなかったのに、女性のお指図としては行き届いており、仏道にまで通じていらっしゃるお心のほどなどを、院はまことにこの上ない方だと感心なさって、ただ一通りのお飾りや何やかのことだけをお世話なさるのであった。楽人、舞人などのことは、大将の君が特別にお世話を申し上げなさる。
 帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して、ご夫人方が、それぞれ御誦経、捧げ物など程度のことをご寄進なさるのでさえたいそうなことなのに、ましてその当時はこのご準備の御用をお務めしないところがないので、たいそう物々しいことがあれこれとある。

いつのまに、このようにいろいろとご用意なさったのであろう。いかにも古い昔からの御願であろうと見えた。
 花散里と申し上げた御方や明石などもお越しになった。南と東の妻戸を開けていらっしゃる。そこは寝殿の西の塗籠であったのだ。北の廂に御方々のお席は襖障子だけを仕切って設えてあった。

 

《出家を許されない紫の上は、せめてもの仏道修行と思ったのでしょう、密かに「『法華経』一千部」を書かせていたのでしたが、その供養が、また見事なものでした。

それは催しや供物、禄の品々自体はもちろん「実に荘厳な」ものでしたが、それを源氏にも詳しくは話さないままに、ひとりで取りしきった紫の上の差配ぶりがまた、仏典にうといはずの女性とは思えない見事さで、源氏は改めて上の素晴らしさを発見した思いだったのでした。

「内緒のご発願」だったのでしたが、「帝、春宮、后宮たちをおはじめ申して」寄進があり、その他「このご準備の御用をお務めしない人がない」といったありさまで、大変な法要になりました(ここの「まして」の前後の話は普通は逆ではないかと思われるのですが、ここはその広がりの方に目を向けたということでしょうか)。

ここで「后宮たち」とあって「複数なので、一人は秋好む中宮、一人は明石の中宮である。明石の女御の立后のことがここではじめて知れる書き方」(『集成』)と言います。

当日の法会には、六条院から花散里も参列しました。明石新中宮のところからでしょうか、明石の御方もやって来ましたが、こちらは呼びすて、身分の差が歴然です。

紫の上は「寝殿の西の塗籠」にいて「南と東の妻戸を開けて」いるとありますから、「仏壇は、東面の母屋に設けられた趣」(『集成』)、花散里、明石の御方は「紫の上より下位として北廂」に席を設け(『評釈』)、「(襖障子だけを仕切ったという)簡略な座席は、法会ゆえに仏を最高とし、その前には一同ひとしなみに軽い扱い」(同)と言います。作者としては、配慮の行き届いたきちんとした配置だと言いたいのでしょうか。》

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