【現代語訳】
宮たちを拝見なさっても、
「それぞれのご将来を見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の色は、大変に美しい。
「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は思わずお泣きになってしまう。
縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな人について、
「この人あの人を私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」などとだけ申し上げなさるのであった。御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
三の宮は、大勢の皇子たちの中でとてもかわいらしくあちこちお歩きになるのを、ご気分の好い合間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」とお尋ね申し上げなさると、
「きっととても恋しいことでしょう。私は、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなかったら、機嫌が悪くなりますよ」と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子がいじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には大切にご鑑賞なさい。何かの折には、仏様にもお供えください」と申し上げなさると、こくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので立って行っておしまいになった。特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。
《この二条院では明石中宮の子供二人、女一の宮と三の宮(後の匂宮)を、紫の上が預かって養育していました。「宮たち」は主にこの二人を指すのでしょう。
女一の宮を預かったのは、源氏が女三の宮を迎えて、朱雀院の御賀を計画しようとしていた頃で、「所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気を紛ら」すよすがでした(若菜下の巻第三章第一段)が、三の宮の場合(横笛の巻第三章第一段)も、その延長だったと思われます。女一の宮は九歳前後、三の宮は五歳になるようです。
そういう宮たちを見ながら紫の上は、これまでこの子たちの行く末を見たいという気がしていたのは、自分の終わりが近いことがそう思わせていたのだったかと、思い至ります。宿縁が自分を支配しているのだと思い定めた哀感のある言葉で、その表情はひときわ美しく見えました。
前段で「利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない」とありましたが、それはことさらにはしないということのようで、「お話のついでなどに」は、やはり言っておきたいこともあったようです。長年仕えてくれた女房たちの中で頼る身寄りのなさそうな者のことは、頼んでおかなくてはならないと気遣うのも、この人の素晴らしさです。
「いつものご座所にお帰りになる」は、前段でも紹介したように『集成』と『評釈』では話が逆になりますが、ここでは『集成』のように、紫の上が西の対に帰っていったのだと解しておくことにします。その事情は次の段で。
そして紫の上の三の宮との対話となりますが、ここは中宮との対面のあった後日のある日ということなのでしょう。
いかにもかわいく思っている孫と慕われている祖母との切ない思いを込めた対話と思われて、『光る』にならって「いいところですねえ」と言いたくなります。
『評釈』がここで「作者は、…(紫の上を)もっとも幸福な女性と描きながら、どうして彼女に子どもをさずけなかったは不思議の一つである」として、さまざまに考察していますが、そこには挙げられていない理由の一つに、もしこの人に子どもがいたら、源氏の関心がこの人の周囲だけに集中して、他の人物の登場する余地が激減するでしょうし、また彼女自身については、子どものない女性の悲しみを描く機会も、老いてなお処女性を失わない女性の魅力を描く機会もなくなって、さまざまに物語がやせ細ってしまう、ということがあったのではないでしょうか。》