源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻四十 御法

第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る

【現代語訳】

 中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いになる。どなたも、当然の別れとして誰にでもあることともお思いになることができず、二つとないこととして悲しく、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは言うまでもない。

 平静でいる方はいらっしゃらない。お仕えする女房たちも、居合わせた者はみな、まったく分別を保っている者はいない。院は、ましてお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、
「このように今はもう最期のように見えるが、長年願っていたことをこのような時にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうなので、御加持を勤める大徳たちや読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、それでもまだ残っているべき僧たちもいるだろう。この世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、髪を下ろすよう計らいなさい。適当な僧で、誰が残っているか」などとおっしゃるご様子は、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わってひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを無理もないことと悲しく拝し上げなさる。
「御物の怪などが、これも、人の御心を悩まそうとしてよくこのようなことになるもののようですから、そんなふうでいらっしゃいましょうか。それならば、いずれにせよ、御念願のことはよいことでございます。一日一夜でも戒をお守りになることの功徳は必ずあるものと聞いております。

本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしになっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようでいかがなものでございましょうか」と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧この僧などをお召しになって、しかるべきことどもをこの君がお取りしきりになる。

 


《源氏は悲しみに暮れながら紫の上の落飾を決心しました。さすがにもはや最期と思い、その願いを入れなければならないと考えたのです。

 夕霧を呼んで、その準備をするように指示します。その言葉を、「声を上げて泣き出したい人が、やっとこらえて、これだけの言葉を出したと聞くべきである」と『評釈』が言います。確かに、いろいろなところですぐに涙ぐむ源氏にしては、ここの言葉はきちんとしていて明快です。

それに対する夕霧の方の言っていることが、一読、分かりにくく思われます。

まず細かいところで、初めの「これも」が意味不明です。しかしこれは『評釈』によれば「そのようなことでいらっしゃる」に掛かる言葉で、その直前に入るべきものだ、と言います。そして河内本ではそうなっていると言います。

もう一つ、「本当に息絶えてしまわれて」の前後では、まったく逆のことを言っているようにしか読めないような気がします。

『評釈』はここを「混乱する夕霧の心」と小見出しを付けて解説していて、「はなはだ混乱した心理の表白をしている」と言いますが、文章の混乱によって登場人物の心の混乱を表すのはあり得ない手法で、それは作者の混乱と言わねばならないでしょう(書き写した人の責任かも知れませんが)。

『評釈』は後で考え直して、言葉の前半は一般論を述べたまでで、後半分に夕霧の真意があり、彼は実は髪を下ろさせるのに反対だったのではないか、今の美しい姿のままで置きたいという源氏の気持を推し量ったものでもあり、かねてその美しさに憧れてきた彼自身の希望でもある、と言います。

しかし反対しているにしては、彼の言葉から次の「あの僧この僧などをお召しになって」という行動への移り方があまりに自然です。意に反してのことなら、もう少し書きようがありそうです。

前段の終わりに「夜の明けきるころにお亡くなりになった」とありましたが、思い出してみると、夕顔や葵の上の死の時も見られたように、人の死には何段階もありました。夕顔の巻第四章第四段第2節、葵の上の巻第二章第六段)。

そこで、後半を、源氏の「今はもう最期のように見える(原文・今は限りのさまなめる)」という言葉を、まだ死が最終的に確定したわけではないという意味だと考えて、夕霧はもし「本当に息絶えてしまわれて」からでは功徳にならず、「目の前の悲しみだけが増えるようでいかがなもの」かと思うのだが、今ならまだぎりぎり間に合う、と言っているのではないか、と考えてはどうかと思います。

それは、源氏の「このような時にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそう」という気持にも添うはずです。》

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第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す

【現代語訳】

 風が寂しく吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、
「今日はとても具合好く起きていらっしゃるようですね。この御前ではこの上なくご気分も晴れ晴れなさるようですね」と申し上げなさる。この程度の気分の好い時があるのをも、たいそう嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのもおいたわしく、

「最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、
「 おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露

(起きていると見えますのも暫くの間のこと、ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露

のような私の命です)」
 なるほど風に吹き折られて露がこぼれてしまいそうな庭の萩の様子で、それによそえられたのさえ堪えがたく思われるので、庭を御覧になっても、
「 ややもせば消えをあらそふ露の世に後れ先だつほど経ずもがな

(ともすれば先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に、せめて後れたり先

立ったりせずに一緒に消えたいものです)」
と言って、お涙もお拭いになることができない。中宮が、
「 秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む

(秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を誰が草葉の上の露だけと思うでし

ょうか)」
と詠み交わしなさるそれぞれのお顔立ちは申し分なく、さすがと心を打たれるにつけても、

「こうして千年を過ごしていたいものだ」という気がなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。
「もうお帰り下さい。気分がひどく悪くなりました。どうしようもないほどの具合になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」と言って、御几帳を引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、
「どんな御気分か」とおっしゃって、中宮がお手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが数えきれないほど騷ぎだした。

以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざかとお疑いになって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをお尽くしになったけれども、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。

 

《「『最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう』と思うと、しみじみ悲しい」というのが、前々からのことですが、紫の上の源氏への思いの深さを物語るもので(若菜下の巻第六章第五段)、こういう気持が胸の奥にあることによって、瀕死の容態でありながらなお言いようのない彼女の美しさを醸し出しているのです。

このあたりの美しいやりとりについて『光る』が絶賛しています。

曰く、「丸谷・きれいですね。こういうところの美文性に比べると、『須磨』の美文なんて問題じゃないですね。」「大野・これを読むと、悲しい。正直言って、ぼくはここを読んで涙流したことがありましてね。」「丸谷・このへんになると、小説の筋の動き、人間を描くということの必要があるから文章が光るということになってくるわけです。須磨のへんとか、靫負の命婦が行くところは、ただ美文のために美文を書いている感じが強くて、小説との関係が薄い。」

紫の上が物語の舞台から去る場面なので、私もいろいろ書きたい気もしますが、こう言われてしまうと、その美しさについてはそのとおりということで贅言を控えて、別の二つのことだけを言い添えます。

一つは、再三の繰り返しになりますが、紫の上の自分でも気づいていないらしい源氏への深いところでの愛情を強調しておきたいと思います。

もう一つは、これまでしばしば彼女と並べて見てきた『戦争と平和』のナターシャとの違いです。紫の上が、子供を生まなかったこともあってでしょうか、最後まで少女のような印象を失わなかったのに対して、ナターシャは物語の終わりの「エピローグ」において(それは本編の終わりからわずかに七年しか経っていないのですが)、あの愛らしい娘から大変身して、饒舌で子だくさんの、まるで雲居の雁と昔の弘徽殿女御を一緒にしたような、生活力旺盛な逞しいロシア婦人として現れます。それはつまり、周囲にまだお伽噺しかなかったような時代の物語と十九世紀リアリズム作品との違いであると同時に、それぞれの民族が思い描く理想の女性像の違いでもあるように思われます。》

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第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける

【現代語訳】

 ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは、ご気分も少しはさわやかになったようであるが、やはりどうかすると何かにつけ悪くなることがある。といっても『身にしむばかり』にお思いになられる秋風ではないけれども、涙でしめりがちな日々をお過ごしになる。
 中宮は、宮中に帰参なさろうとするのを、もう暫くは御逗留をとも、申し上げたくお思いになるけれども、出すぎているような気がし、宮中からのお使いがひっきりなしに見えるのも気になるので、そのようには申し上げなさらないのだが、あちらにもお渡りになることができないので、中宮がお越しになった。
 恐れ多いことであるが、いかにもお目にかからずには甲斐がないということで、こちらに御座所を特別に設えさせなさる。

「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、この方が却って高貴で優美でいらっしゃることの限りなさも一段とまさって素晴らしいことだ」と、今まで匂い満ちて華やかでいらっしゃった女盛りは、かえってこの世の花の香にも喩えられていらっしゃったが、この上もなく可憐で美しいご様子で、まことにかりそめの世と思っていらっしゃる様子は、他に似るものもなくおいたわしく、わけもなく物悲しい。

 

《「ようやく待っていた秋になって(原文・秋待ちつけて)」には、「暑い夏の間、一筋に秋の到来を待っていた気持が出ている」と『評釈』が言いますが、『徒然草』に「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる」(第五十五段)と言っているように、京都の夏は大変だったようで、その夏を何とか乗り切って、待ちわびた秋が訪れました。

 しかし容態は一進一退で、気持だけはどうしても湿りがちです。

 中宮には帝からの帰参督の促があるのですが、中宮は自分でも去りがたく思い、また紫の上の気持ちを思って何となくぐずぐずと日を延ばしていて、帝もそれを無理強いは出来ないでおられるようです。

 中宮が下がってきた時は部屋まで出向いて迎えたのでしたが、今はそれもかなわなくなっているようで、しきたりを措いて中宮の方から西の対を訪ねてきました。

 中宮の目には紫の上の美しさが、やつれて一層素晴らしく見え、こんなにお美しいのにと思うと世の無常が常にも増して悲しく思われるのでした。

 この美しさを『評釈』は「あまりに盛りに匂っているものよりも、その盛りがかげりをみせた時、なおいっそうの深みのある美しさが輝くとする、この作者の美に対する感覚が表現されている」と言いますが、そこで忘れてはならないのは、紫の上が、彼女自身気がつかないままに、しかし読者には気づいている、『構想と鑑賞』の言う「源氏への愛情」(第一章第五段)を胸の奥深くに抱いていることから来る色香、華やぎが匂い出ているのではないでしょうか。彼女が枯れてしまわないのはそのことがあるからで、その美しさが表面的ではない理由もそこにあるのだと思われます。

 なお、前段の「いつものご座所にお帰りになる」について、ここでは中宮が紫の上の所に来るのですが、その場合「こちらに御座所を特別に設えさせなさる」と言っていることから考えれば、前段ではそういうことが書かれていませんでしたから、やはり、紫の上は寝殿で待っていたのではなく、彼女の方が中宮の所(東の対)に来ていたのだと考える方がよいように思われます。》

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第六段 紫の上、匂宮に別れの言葉

【現代語訳】

 宮たちを拝見なさっても、
「それぞれのご将来を見たいものだとお思い申し上げていましたのは、このようにはかなかったわが身を惜しむ気持ちが交じっていたからでしょうか」と言って、涙ぐんでいらっしゃるお顔の色は、大変に美しい。

「どうしてこんなふうにばかりお思いでいらっしゃるのだろう」とお思いになると、中宮は思わずお泣きになってしまう。

縁起でもない申し上げようはなさらず、お話のついでなどに、長年お仕えし親しんできた女房たちで、特別の身寄りがなく気の毒そうな人について、

「この人あの人を私が亡くなりました後に、お心をとめて、お目をかけてやってください」などとだけ申し上げなさるのであった。御読経などのために、いつものご座所にお帰りになる。
 三の宮は、大勢の皇子たちの中でとてもかわいらしくあちこちお歩きになるのを、ご気分の好い合間には、前にお座らせ申されて、人が聞いていない時に、
「わたしが亡くなってからも、お思い出しになってくださいましょうか」とお尋ね申し上げなさると、
「きっととても恋しいことでしょう。私は、御所の父上よりも母宮よりも、祖母様を誰よりもお慕い申し上げていますので、いらっしゃらなかったら、機嫌が悪くなりますよ」と言って、目を拭ってごまかしていらっしゃる様子がいじらしいので、ほほ笑みながらも涙は落ちた。
「大人におなりになったら、ここにお住まいになって、この対の前にある紅梅と桜とは、花の咲く季節には大切にご鑑賞なさい。何かの折には、仏様にもお供えください」と申し上げなさると、こくりとうなずいて、お顔をじっと見つめて、涙が落ちそうなので立って行っておしまいになった。特別に引き取ってお育て申し上げなさったので、この宮と姫宮とを、途中でお世話申し上げることができないままになってしまうことが、残念にしみじみとお思いなさるのであった。

 

《この二条院では明石中宮の子供二人、女一の宮と三の宮(後の匂宮)を、紫の上が預かって養育していました。「宮たち」は主にこの二人を指すのでしょう。

 女一の宮を預かったのは、源氏が女三の宮を迎えて、朱雀院の御賀を計画しようとしていた頃で、「所在ない殿のいらっしゃらない夜々を気を紛ら」すよすがでした(若菜下の巻第三章第一段)が、三の宮の場合(横笛の巻第三章第一段)も、その延長だったと思われます。女一の宮は九歳前後、三の宮は五歳になるようです。

 そういう宮たちを見ながら紫の上は、これまでこの子たちの行く末を見たいという気がしていたのは、自分の終わりが近いことがそう思わせていたのだったかと、思い至ります。宿縁が自分を支配しているのだと思い定めた哀感のある言葉で、その表情はひときわ美しく見えました。

 前段で「利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない」とありましたが、それはことさらにはしないということのようで、「お話のついでなどに」は、やはり言っておきたいこともあったようです。長年仕えてくれた女房たちの中で頼る身寄りのなさそうな者のことは、頼んでおかなくてはならないと気遣うのも、この人の素晴らしさです。

 「いつものご座所にお帰りになる」は、前段でも紹介したように『集成』と『評釈』では話が逆になりますが、ここでは『集成』のように、紫の上が西の対に帰っていったのだと解しておくことにします。その事情は次の段で。

そして紫の上の三の宮との対話となりますが、ここは中宮との対面のあった後日のある日ということなのでしょう。

いかにもかわいく思っている孫と慕われている祖母との切ない思いを込めた対話と思われて、『光る』にならって「いいところですねえ」と言いたくなります。

『評釈』がここで「作者は、…(紫の上を)もっとも幸福な女性と描きながら、どうして彼女に子どもをさずけなかったは不思議の一つである」として、さまざまに考察していますが、そこには挙げられていない理由の一つに、もしこの人に子どもがいたら、源氏の関心がこの人の周囲だけに集中して、他の人物の登場する余地が激減するでしょうし、また彼女自身については、子どものない女性の悲しみを描く機会も、老いてなお処女性を失わない女性の魅力を描く機会もなくなって、さまざまに物語がやせ細ってしまう、ということがあったのではないでしょうか。》

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第五段 紫の上、明石中宮と対面

【現代語訳】

 夏になってからは、いつもの暑さにさえ、意識を失っておしまいになりそうな時々がいっそう多い。どこといって特に苦しんだりはなさらないご病状であるが、ただたいそう衰弱した状態におなりになるので、病人めいてたいそうにお悩みになることもない。お側にいる女房たちも、どうおなりになるのだろうかと思うにつけても、もう涙に暮れるばかりで、もったいなくも悲しいご様子と見申しあげる。
 ずっとこうした状態でいらっしゃるので、中宮がこの二条院に御退出あそばされる。東の対に御滞在あそばす予定なので、そちらでお待ち申し上げなさる。儀式などはいつもと変わらないが、この世のこうした作法もこれが見納めであろうなどとばかりお思いになると、何かにつけても悲しい。名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰などと、耳を止めてついお聞きになる。
 上達部なども大勢供奉なさっていた。久しく御対面なさらなかったので、珍しくお思いになって、お話をこまごまと申し上げなさる。院がお入りになって、
「今夜は、巣をなくした鳥の思いで、まったくぶざまなさまですよ。退出して寝るとしましょう」と言って、お帰りになってしまった。起きていらっしゃるのを嬉しいとお思いになるのも、まことにはかないお慰めである。
「別々の所にお宿りいただきますので、あちらにお越しあそばすのも恐れ多いことです。かといって、私がこちらにあがりますことはとてもかなわぬようになりましたので」と言って、暫くの間はこちらにいらっしゃるので、明石の御方もお越しになって、心のこもった静かなお話などをお取り交わしなさる。

紫の上は、ご心中にお考えになっていらっしゃることがいろいろと多くあるが、利口そうに、亡くなった後はなどと、お口にされることもない。ただ世間一般の世の無常な有様を、おっとりと言葉少なでありながらも、並々ではないおっしゃりようをなさるご様子などを、言葉にお出しになるよりも、しみじみと何か心細いご様子は、はっきりと見えるのであった。

 

《紫の上の衰弱が進みます。柏木も「どこといって苦しいこともありません」(柏木の巻第三章第三段1節)というままに亡くなっていったのでしたが、この人も同じような病状で、つまり精神的衰弱によって体力がどんどん失われていくという格好です。

 柏木には、それなりに十分理解できる具体的な原因・理由があっての精神的死でしたが、紫の上には、それがありません。

直接の原因は六条御息所の死霊が取り憑いたことの後遺症ということなのですが、それを招いたのは女三の宮降嫁によって受けた、自分の存在理由を見失うという精神的ダメージで、その後、御息所の死霊が去り、女三の宮が出家して現実的ライバルではなくなった後も、自分の存在を根本的に揺さぶられてしまったダメージは、漸次的に彼女の体をここまで追いつめたということなのでしょう。

『物語空間』は「(紫の上の出家希望は)光源氏の愛を競い続ける生活に嫌気がさしたのである」と言いますが、それだけなら藤壺や朧月夜のように独断で出家してしまえばいいわけで、源氏が許さないから出家しないというところには、やはり『構想と鑑賞』の言うように、源氏への愛情はそのまま残っていると考える方がいいでしょう(若菜下の巻第六章第五段)。

彼女にとって、何の疑いもなく安住していた六条院女主人という地位が、実は全くのかりそめのものでしかないと思ってしまった根源的動揺は、彼女が純真な人だけに、他の人以上に重いダメージでした。それは芥川龍之介流に「ぼんやりした不安」とでも言えば、近いでしょうか。

状況を案じた明石中宮が退出してきて見舞います。中宮という立場上、自分から紫の上の部屋には行かれないようで、紫の上の方が中宮の部屋となる東の対に出向いて待ち受けて会いました(ただし、これは『集成』の理解で、紫の上の部屋は西の対であろうとしています。『評釈』は、紫の上の部屋を寝殿と考えて、そちらで中宮を待ったのだと言い、後で触れますが、「別々の所に…」の言葉とともに分かりにくいところです)。

さて、「(その中宮を迎える儀式、儀礼も・)これが見納めであろう(原文・この世のありさまを見果てずなりぬる)」と彼女にとって今生の懐かしいものに思われます(ここも、『評釈』は「この世のありさま」を「若宮たちの将来」としていて、普通にはその方が分かりやすい気がしますが、「儀式などはいつもと変わらないが」からの繋がりとしては変です)。

病床の紫の上としては、中宮との対面は大変な負担とも思われますが、今やこの中宮は上にとっては最も親しい相手です。

 源氏が覗きますが、この二人には彼さえも一目も二目も置く気持のようで、その場をちょっと覗いただけで、妻が起きて嬉しそうに話しているのに安心して、部屋に帰ってしまいました。

 次の「別々のお部屋に…」は、中宮(『評釈』・『谷崎』説)、紫(『集成』説)、いずれの言葉とも定めかねます。

『評釈』説とすると「おあがりすることはとてもかなわなくなって(原文・参らむことはたわりなくなりにて)」は、身分上の理由を言っている事になりますが、前述のように今彼女の方から紫の上のいる寝殿に来ているはずですから、一貫しないような気がします。

ここの訳は『集成』訳ですが、いずれにしてもこの初め部分、原文は「かたがたにおはしましては」の意味がよく分かりません。

「源氏は向こうに行ってしまわれましたが、あなたに行っていただくのも悪いし、私もよう行きませんし、まあここで話しましょう」というような意味と考えられないか、などと思います。

 ともあれ、紫の上は明石の御方も話に加わります。二人よりも三人の方が話が弾むということで、紫の上が呼んだのでしょうか。》

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