源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

巻四十 御法

第三段 秋好中宮の弔問

【現代語訳】

 冷泉院の后の宮からもお心のこもったお便りが絶えずあり、尽きない悲しみをあれこれと申し上げなさって、
「 枯れはつる野辺を憂しとや亡き人の秋にこころをとどめざりけむ

(枯れ果てた野辺を嫌って、亡くなられたお方は秋をお好きになられなかったのでし

ょうか)
 今になって理由が分かりました」とあったのを、何も分からぬお気持ちにも、繰り返し、下にも置きがたく御覧になる。

話しがいがあり、情趣の道で心慰む人としては、この中宮だけがいらっしゃったのだと、少しは悲しみも紛れるようにお思い続けなさるにつけても涙がこぼれるのを、袖の乾く間もなく、お返事をなかなかお書きになることができない。
「 のぼりにし雲居ながらもかへり見よわれあきはてぬ常ならぬ世に

(九重の奥深く中宮のお位にいらっしゃっても私のことを思い出して下さい、私はこ

の無常の世にすっかり飽きてしまいました)」
 お包みになっても、しばらくは物思いに耽っていらっしゃる。
 しっかりとしたお心もなく、自分ながらことのほかに正体もないさまにお思い知られることが多いので、紛らわすために女房の部屋にいらっしゃる。
 仏の御前に女房をあまり多くなくお召しになって、心静かにお勤めになる。千年も一緒にとお思いになったが、限りのある別れがたいへんに残念なことであった。今は極楽往生の願いが他のことに紛れないように、来世をと、一途にお思い立ちになられる気持ちが揺ぎもない。けれども、外聞を憚っていらっしゃるのは、つまらないことであった。
 御法要の事もはっきりとお取り決めなさることもなかったので、大将の君が引き受けてお営みなさるのであった。今日が最期かとばかり、ご自身でもお覚悟される時が多いのであったが、いつのまにか月日が積もってしまったのも、夢のような気ばかりがする。明石の中宮なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕っていらっしゃる。


《秋好中宮は紫の上の一つ年下、かつて長く互いの好む春秋の趣味を競ったライバルで、多く言葉を交わしたことはありませんが、お互いの人格・素養を認め合った二人であり、六条院の夫人方の双璧でした。

 ここの中宮の歌は、一読、何気ない歌のように思われますが、二人の過去を思い返して読み返すと彼女自身のライバルへの敬意とその死を惜しむ気持が窺われ、同時にそれが源氏への哀悼の気持となっていて、源氏が「下にも置きがたく御覧に」なったのも、なるほどという気がします。

 源氏の歌の上の句のここの解釈は『評釈』のもので、『集成』などは「荼毘の煙となって立ち昇ってしまった空の上からも」と紫の上のことを言うとしていますが、それでは「秋好むに対する返しではなくなる」と言い、また中宮に対して「死者のことを『雲居』というべきでない」と言います。

 その歌の後の、「お包みになっても、そのまま茫然と物思いに耽って」いる、というのが、気持のよく現れた、何とも言えず絵になる光景です。

もう彼には何も語ることはありませんし、語る相手もいません。しかしただ一人でいるのは、あまりに寂しい、…。思い直して立ち上がり、彼は女房たちのところに出かけます。しめやかな空気のような数人の女性が、ただいるだけのところで、彼は静かに勤行に努めます、じっと出家できる日を思いながら…。

遠くの部屋で、夕霧が着々と法要の準備をしています。

そうして源氏の前を、夢のように月日が流れていきます。次の一巻はその一年を綴っていきます。》

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第二段 帝、致仕大臣の弔問

【現代語訳】

 あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り、型通りの儀礼だけでなく、たいそう数多くお見舞申し上げなさる。ご決意なさっているお気持ちとしては、まったく何事も目にも耳にも止まらず、気に掛けられることないはずであるが、

「人から惚けた様子に見られまい。今さらわが晩年に、愚かしく心弱い惑いから出家をした」と、後世まで語り伝えられる名をお隠しになっているので、思う用に振る舞えない嘆きまでがお加わりなっていらっしゃるのであった。
 致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方なので、このように世に類なくいらっしゃった方がはかなくお亡くなりになったことを、残念で悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い申し上げなさる。
「昔、大将の御母君がお亡くなりになったのも、ちょうどこの頃のことであった」とお思い出しになると、とても悲しくて、
「あの時のあの方を惜しみ申された方も、多くお亡くなりになったことだ。後れ先立つといって大差のない人生であることだ」などと、ひっそりとした夕暮に物思いに耽っていらっしゃる。空の様子も哀れを催し顔なので、ご子息の蔵人少将を使いとして差し上げなさる。しみじみとした思いを心をこめてお書き申されて、その端に、
「 いにしへの秋さへ今のここちして濡れにし袖に露ぞおきそふ

(昔の秋までが今のような気がして、涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています)」
 お返事、
「 露けさはむかし今ともおもほへずおほかた秋の夜こそつらけれ

(涙に濡れていることは昔も今も同じです、だいたい秋の夜というのが堪らない思い

がするのです)」
 ただもう悲しくお思いの今のお気持ちのままの返歌では、待ち受けなさって、意気地無しとお見咎めになるにちがいない大臣のご気性なので、無難な体裁にと、
「度々の懇ろな御弔問を重ねて頂戴しましたこと」とお礼申し上げなさる。

「薄墨衣」とお詠みになった時よりも、もう少し濃い喪服をお召しになっている。

この世の幸い人で結構な方も、困ったことに一般の世間の人から妬まれ、身分が高いにつけてもこの上なくおごり高ぶって他人を困らせる人もあるのだが、不思議なまで無縁な人々からも人望があり、ちょっとなさることにも、何かにつけて世間から誉められ奥ゆかしく、その折々につけて行き届いており、めったにいらっしゃらないご性格の方であった。
 さほど縁のなさそうな世間の人でさえ、その当時は、風の音虫の声につけて、涙を落とさない人はいない。まして、ちょっとでも拝した人の悲しみの晴れる時がない。長年親しくお仕え馴れてきた人々は、寿命が少しでも生き残っている命が恨めしいことを嘆いて、尼になり、この世を離れた山寺に入ることなどを思い立つ者もいるのであった。

 

《源氏の悲しみは収まることはありません。そしてどうやら出家は「ご決意なさっているお気持ち」のようで、後は時を待つだけということになりました。

久々に致仕の大臣の登場です。源氏への見舞いですが、読者へのお別れの挨拶のように見えます。さすがに近江の君に振り回された時のようなあたふたとした趣はまったくなく、「時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方」と讃えられ、妹の葵の上の死を共に悲しんだ思い出もあって、源氏の気持ちを最もよく理解する人として描かれます。送られた歌は二十九年前の同じ八月に亡くなったその葵の上の死を思い出しながらのもので、至って素直な歌のように思われます。源氏の返事の方が、人の死が悲しいのではない、秋という季節が悲しいのですという、少し意表を突いたものになっています。

『評釈』が「大臣の弔問の仕方には、相手の心を覗きみようとするいやみが感じられる」と言いますが、それは源氏が「意気地無しとお見咎めになるにちがいない大臣のご気性」を考えた返事をした、とあることからの逆算ではないでしょうか。

しかしこういう場合、男はそれなりにいくらか気丈にものを言うのがむしろ普通ではないかと思われ、『評釈』のように「お互い相手を意識して張り合っている。結局二人は許し合い、いたわりあう仲ではない」と言ってしまっては、物語の美しさを損なうような気がします。「意気地無しとお見咎めになるにちがいない大臣のご気性」とあることからの評でしょうが、ちょっとスパイスを利かせたという程度に読みたいところです。「とても頻繁にお見舞い申し上げなさる」のが、そういう覗き見的な気持あろうとは思われません。

ただ、源氏がこの人に心をさらけ出して悲しみを分かつというような気持でないことは確かです。彼の悲しみはそれほど深いし、また例えば女三の宮のことでつらい思いをさせ、願っていた出家もさせないままに逝かせてしまったことなどに対しての拭いがたい悔恨も、語り得ない思いとしてあるでしょう。そうしたものが、彼を周囲の人から遠ざけます。彼は自分の中に目を向けるしかない気持なのではないでしょうか。

「この世の中の幸い人で」以下は紫の上の話。もう何度目の繰り返しでしょうか、その人柄の素晴らしさが飽くことなく語られてきましたが、ここが最後です。周囲の人の惜別の涙に送られて彼女も源氏の前から(読者の前からも)去っていきます。》

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第一段 源氏の悲嘆と弔問客

【現代語訳】

 大将の君も御忌みにお籠もりになって、ほんのちょっともお帰りにならず、朝夕お側近くに伺候して、痛々しくうちひしがれたご様子をもっともなことだと悲しく拝し申し上げなさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
 野分めいて吹く夕暮時に、昔のことをお思い出しになって、

「かすかに拝見したことがあったことよ」と、恋しく思われなさると、また

「最期の時が夢のような気がした」など心の中で思い続けなさると、我慢できなく悲しいので、他人にはそのようには見られまいと隠して、「阿弥陀仏、阿弥陀仏」とお繰りになる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。
「 いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えし明けぐれの夢

(昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても、御臨終の薄暗がりの中で夢のよう

に見たお顔)」

が、その名残の面影までつらいのであった。尊い僧たちを伺候させなさって、定められた念仏はいうまでもなく、法華経など読経させなさる。あれこれとまことに悲しい。
 寝ても起きても涙の乾く時もなく、涙に塞がって毎日をお送りになる。昔からのご自身のことをお思い続けなさると、
「鏡に映る姿をはじめとして普通の人とは異なったわが身ながら、幼い時から悲しく無常なわが人生を悟るべく仏などがお勧めになったわが身なのに、強情に過ごしてきて、とうとう過去にも未来にも類があるまいと思われる悲しみに遭ったことだ。もうこの世に気がかりなこともなくなった。ひたすら仏道に赴くに支障もないのだが、まことにこのように静めようもない心の乱れでは、願っている仏の道に入れないのでは」と気が咎めるので、
「この悲しみを少し和らげて、忘れさせて下さい」と阿弥陀仏をお念じ申し上げなさる。

 

《源氏は、外聞を憚って出家できないままに、物忌みに籠もって、現世でひたすら悲歎に暮れています。この物忌みは「死穢のため、三十日間」だそうで(『集成』)(『評釈』は四十九日と言いますが)、その間夕霧は三条の家に帰ることなく、父の傍にぴったりと寄り添って、何かと世話をしている、というたいへんいい図です。

そうしながら、彼は紫の上を垣間見た時のこと(野分の巻第一章第二段)を思い出し、また先頃の死に顔を思い出すのですが、「恋しく思われなさる」と言い、「我慢できなく悲し」く、「涙の玉を隠していらっしゃる」と言われると、そこまでの思いだったのかと、ただの憧れのように思っていた私は、ちょっと驚いてしまいます。

「寝ても起きても」からは源氏のことで、どうしても出家することにならないわが身を嘆きます。

この年になってもまだ「鏡に映る姿をはじめとして普通の人とは異なったわが身」とは、言いも言ったりで笑うしかありませんが、そういう自分が悲しみに追いつめられて出家するというのでは、あまりに無様で外聞が悪い、誇りが許さない、と思うのでしょう。そういえば昔、「大変にひどく世間を気にし、まじめになさっていた」と評されていた(帚木の巻頭)ことが思い出されます。あれは好色の話でしたが、気持は同じことでしょう。

『評釈』が言うように「真の無常観というものは、無常を観ずれば、一時たりとも安閑とできないはず」のもので、西行の出家の時の話や『発心集』の「讃州源大夫、俄に発心・往生のこと」などが名高いものですが、やはり作者はまだ源氏に出家して貰っては困ると考えているわけです。》

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第五段 紫の上の葬儀

【現代語訳】

 親しくお仕えしていた女房たちで、気の確かな者もいないので、院自身が、何事もお分かりにならないようなお気持ちを無理にお静めになって、ご葬送のことをお指図なさる。昔も悲しいとお思いになることを多くご経験なさったお身の上であるが、まことにこのようにご自身でお指図なさることは経験なさらなかったことなので、すべて前にも後にもたぐいないことのような気がなさる。
 そのままその当日に、あれこれしてご葬儀を営み申し上げる。所定の作法があることなので、亡骸を見ながらお過しになるということもできないのが情けない人の世なのであった。広々とした広い野原にいっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳かな葬儀であるが、まことにはかない煙となって、はかなく上っていっておしまいになったのも、常のことであるがあっけなく何とも悲しい。
 地に足が付かない感じで人に支えられてお出ましになったのを、拝し上げる人も

「あれほど威厳のあるお方が」と、ものの分からない下衆まで泣かない者はいないのだった。お送りする女房はそれ以上に夢路に迷ったような気がして、車から転び落ちてしまいそうになるのに手を焼くのであった。
 昔、大将の君の御母君がお亡くなりになった時の暁のことを思い出しても、あの時は、やはりまだ物事の分別ができたのであろうか、月の顔が明るく見えたが、今宵はただもう真暗闇で何も分からないお気持ちでいらっしゃった。
 十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。日はたいそう明るくさし昇って野辺の露も隠れたところなく照らし出して、人の世をいろいろお思いになると、ますます厭わしく悲しいので、後に残ったとしても、どれほど生きられようか。このような悲しみに紛れて、昔からのご本意の出家を遂げたくお思いになるが、女々しいとの後の評判をお考えになると、この時期を過ごしてからとお思いになるにつけ、胸に込み上げてくるものが我慢できないのであった。

 

《紫の上の葬儀を源氏自身が取りしきります。さっきまで夕霧が傍近くにいて「お取りしきりに」なっていたはずです(第三段)から、もう少し出番があってもよさそうなものですが、どうしたのでしょうか。

ともあれ、源氏は最愛の紫の上を送るとあって、これまで多くの人を送ってきたものの、自分でそれを差配するのは初めてでもあり、その思いはひとしおと思われます。

「広々とした広い野原にいっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳かな葬儀」でした。しかしその中で「まことにはかない煙となって、はかなく上っていっておしまいになった」というのは、いつの世にも変わらぬ感慨です。

源氏はもう立っていられないほどの悲しみで、「地に足が付かない」ほどで、秋の満月を眺めても「ますます厭わしく悲しい」といった有様だと言います。

しかし、考えてみると彼はすでに五十一歳、年の祝が四十歳から騒ぎになる時代ですから、それを今の還暦の祝いとすると、すでに七十歳を過ぎたあたりに当たるわけで、この嘆き方は、夕顔に死なれた十七歳の時の悲しみとあまり違わない(さすがにあの時ほどの動顛はありませんが)ように思われて、少々気になります。

勝手な気持を言えば、七十歳(五十一歳)らしい、もっとしめやかでもっと痛切な、いわば「あれほど威厳のあるお方が(原文・さばかりいつかしき御身を)」と言われないような悲しみ(例えば小津安二郎の映画に見られるような悲しみ~あれは庶民版ですがその源氏版)の姿を期待したいのですが、『集成』本第一巻の「解説」によれば、作者がこれを書いたのは三十代半ばということのようで、さすがにそういう老年の悲しみは想像しにくかったということなのでしょうか(いや、今あるものの中にすでにそういうものを読み取るのが本当なのかも知れません)。

ともあれひときりついて、源氏は念願の出家を考えます。しかし「女々しいとの後の評判をお考えになる」と、それもならないと言います。『評釈』が「女人の死のすぐ後をおうのは、女々しいと、当時においても思われたのである」と言います。

現代なら、むしろ美談になりそうです。勘ぐれば作者が源氏の出家姿を描きたくなかったのではないか、という気もしますが、紫の上がそうであったように、このレベルの人の出家は、世をはかなんでするのは恥ずべきことで、むしろ現実の充足を更に昇華するかたちでありたいというような思いがあったということもあるのか、と思います。

ところで、「その当日に、あれこれしてご葬儀を営み申し上げる」というのは驚きですが、それが「所定の作法」だったと言います。葵の上の場合は「なおも諦め切れずにおられたが、その(祈祷の)効もなく何日にもなったので」葬儀に踏み切った(葵の巻第二章第六段)とありました。

また、落葉宮の御息所の葬儀も「普段からそうして欲しいとおっしゃっていたことなので、今日直ちに葬儀を執り行い申しあげる」(夕霧の巻第三章第七段)とありました。すると、やはり「当日」というのは珍しいことのように思われますが、どうなのでしょうか。

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第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る

【現代語訳】

 長年、何やかやと分不相応な考えは持たなかったが、

「いつの世にか、あの時同様に拝見したいものだ。お声をかすかに聞くことさえないことよ」などと、忘れることなく慕い続けていたが、

「声はとうとうお聞かせ下さらないことになったようだが、御亡骸なりとも、もう一度拝見したい望みが叶えられる折は、今この時以外にどうしてあろう」と思うと、抑えることもできず泣けて、側に伺候する女房たち皆が泣き騷ぎおろおろしているのを、
「静かに。暫く」と静めるふりをして、御几帳の帷子を何かおっしゃるのに紛らして、引き上げて御覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も弱々しいので大殿油を近くにかかげて見守り申していらっしゃるのだが、どこまでもかわいらしげに立派で美しく見えるお顔の名残惜しさに、この君がこのように覗き込んでいらっしゃるのを目にしながらも、しいて隠そうとのお気持ちも起こらないようである。
「このとおりに何事もまだそのままの感じだが、最期だいう様子ははっきりしているのだよ」と言って、お袖を顔におし当てていらっしゃる時、大将の君も涙にくれて目もお見えにならないのを、無理に涙を絞って目をあけて拝見すると、かえって悲しみが増してたとえようもなくて本当に心もかき乱れてしまいそうである。

御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様は、ふさふさと美しくて一筋も乱れた様子はなく、つやつやと愛らしい様子はこの上ない。灯がたいそう明るいので、お顔の色はとても白くかがやくようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった生前のお姿よりも、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのもことさらめいているほどである。並一通りの美しさでさえなく、類のない美しさを拝見すると、

「死に入りそうな魂がそのままこの御亡骸に宿ってほしい」と思われるのも、無理というものであるよ。


《紫の上の死の美しさが語られますが、こういう、私にはすでに語り尽くされているように思える名高い名場面は諸家の解説を聞くしかないように思われますので、あしからず。

通常は源氏しかこの人の顔を見ることはできないのですが、悲しみによる不用意から、のぞき込む夕霧を遮ろうとはしませんから、この最期の時は夕霧の目を通して、そのほとんどこの世ならぬ美しさが語られます。と言うよりも、「このとおりに(原文・かく)」という言葉から見れば、この時の源氏は、むしろ息子に愛妻の死に顔を自分から指さして、見せようとさえしているように思われます。

その夕霧の視点からの美しさの描写を、『光る』が「丸谷・純粋客観でやったら、そんなばかなことがあるものかと言われる。登場人物の目をかりて美を賛美するとか、人格を賛美するとかいうのは現代小説の手法です。そうすることによっていくらでも言い逃れがきく、あるいはその主観的な価値、その主観が実在したことを有無を言わせず保証してしまう」と言います。

そこに描かれる美しさとはどういうものか、『評釈』が興味深い解説をしています。「品高く生まれた人は、そのなまの姿をそのまま外に出すのははしたないことであった。しかし、藤壺、紫の上を女人の美しさの最高の地位においたのは、彼女らがそのそとみの姿を通して、何よりも大切とした『なまのもの』が、におうからである。…実は作者は何よりも、心の用意の下にかくされた、この新鮮でなまなましい美を愛し、いとおしんでいたと思われるのだ。」

独断的に言い換えれば、たしなみの深さや慎ましさに包まれた、純粋で汚れのないもの、ということでしょうか。その包みを解いて「純粋で汚れのないもの」だけを見せても素晴らしいと描いて見せたのが、夕顔もそうですが、近江の君や焼きもちを焼く雲居の雁で、彼女らがかわいらしく魅力的であるのは、そういう価値観から描かれているらしいところから感じられるものと言えましょう。

しかし考えてみると、そういう魅力的なキャラクターは女性ばかりで、男性は子供以外にはないように思われます。男性登場人物には、作者がその都度絶賛するにもかかわらず魅力的な人物がいないように思われるのは、作者が、男性に純粋で汚れがないという姿を思い描くことができなかったということがあるのかも知れません。

ともあれ、われらがスーパーヒロイン・紫の上は、その美しさを残照のように語られて、源氏と夕霧に看取られながら、物語の舞台から退場します。》

 

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