【現代語訳】
大将の君が参上なさった機会があって、どう思っておられるのか様子も知りたいので、
「御息所の忌中は明けたのだろうね。昨日今日と思っているうちに、三十年以上の昔になる世の中なのだ。悲しく情けないものだ。夕方の露がかかっている間を貪っているとは。何とかこの髪を剃って、何もかも捨て去ろうと思うが、なんとものんびりと過ごしていることか。まことによくないことだ」とおっしゃる。
「ほんとうに何も惜しいもののなさそうな人でさえ、それぞれに離れがたく思っている世の中であるようです」などと申し上げて、
「御息所の四十九日の法事など、大和守某朝臣が、独りでお世話致していますが、とてもお気の毒なことです。しっかりした縁者がいない方は、生きている間はともかく、このような死後は悲しいものでございます」と、お申し上げになる。
「朱雀院からも御弔問があるだろう。あの内親王はどんなにお嘆きでいらっしゃるだろう。以前聞いていた時よりは、この最近何かにつけ聞いたり見たりするに、この更衣はしっかりした無難な人の中に数えられる人だった。世間一般のこととしても、惜しいことをしたものだ。生きていてもよいと思う方が、このように亡くなってゆくことよ。
朱雀院もひどく驚きお悲しみになっていたという。あの内親王は、ここにいらっしゃる入道の宮の次には、かわいがっていらっしゃった。人柄も好くていらっしゃるのだろう」とおっしゃる。
「お気立てはどのようでいらっしゃいましょう。御息所は、申し分のない人柄や気立てでいらっしゃいました。親しく気をお許してお付き合い下さったわけではありませんでしたが、ちょっとした事の機会に、自然と人の心配りというものがよく分かるものでございます」と申し上げなさって、宮の御事は口になさらず、素知らぬふりをしている。
「これほどの一本気の性格の者が思い染めたことは、忠告してもむだだろう。聞き入れもしないだろうことに、分別くさく口を出してもしようがない」とお思いになっておやめになった。
《夕霧が六条院にやって来ることがあったので、源氏はかねて噂に聞いていた女二の宮との関係はどういうことなのかと、探りを入れます。
もちろんいきなりそれを聞くことは不自然ですから、まずは御息所の話からです。しかし夕霧はそれと気づいてか、御息所の話もろくにしないで、さりげなく大和守が四十九日の法要の準備をしていることを話して、しっかりした縁者のいない寂しい法要への感慨を語ってかわしました。
ここで『評釈』は「とてもお気の毒なことです(原文・いとあはれなるわざなりや)」を、「まことに奇特なことでございます」と訳して、夕霧が彼を源氏に売り込んだのだと解釈して「これで大和守の将来は開けるであろう」と言います。確かに今後彼は女二の宮にとって唯一の相談相手ともなりそうで、夕霧にしてみれば彼を源氏に恩を売っておくのは意味のあることではあるしょう。ただそれを「大将と大和の守の間にしかるべき取り引き話が成立していたのかも知れない」とまで言うと、それは別の物語になってしまうように思われます。
さて、源氏はさらに、「朱雀院からも…」と巧みに話を宮の方に誘導して探りを入れますが、夕霧は「素知らぬふり」です。
もし話す気があるなら、ここまで話を持ちかければ話に乗ってくるだろうが、そうしないのは、もともとそういう噂のようなことがないのか、あるいは夕霧に話す気がない訳です。それなら、これ以上何を言っても仕方がないだろうと源氏は考えます。
女二の宮にとっては堪えがたく恥ずかしいことと思われる再婚という問題も、男の論理からすれば、この程度で過ごされるのだと作者は感じているようです。さらに言えば、その「恥ずかしい」という感じ方も男社会が創り出したものでしょうから、女性はさまざまな男の身勝手さにまったく翻弄されるしかない立場にあるということを、図らずも描き出すことになっていると言えるでしょう。》