源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 落葉宮の物語(一)

第一段 夕霧の後朝の文~その2

【現代語訳】2

女房たちは、
「何の、少しばかりお聞きになって、子細ありそうにあれこれと御心配なさったりするのは、まだ何事もないのに、お気の毒です」などと言い合わせて、この御仲がどうなるのだろうと思っている女房たちは、このお手紙が気に掛かるが、まったく開かせようともなさらないので、じれったくて、
「やはり全くお返事をなさらないのも変だし、子供っぽいようでございましょう」などと申し上げて、広げたので、
「みっともなくうっかりして、男の人に、あの程度であったにせよお会いした至らなさを、わが身の過ちと思ってみますが、遠慮のなかったあまりの態度も、情けなく思われて。拝見できませんと言いなさい」と、もってのほかだと横におなりあそばした。
 とは言え、悪い感じではなく、とても心をこめてお書きになって、
「 たましひをつれなき袖にとめおきてわが心からまどはるるかな

(魂をつれないあなたの所に置いてきて、自分ながらどうしてよいか分かりません)
 『ほかなるものは(思うようにならないのは心というものだ)』とか、昔も同じような人があったのだと思ってみましても、まったくどうしてよいものか分かりません」などと、とても多く書いてあるようだが、女房はよく見ることができない。普通の後朝の手紙ではないようだが、やはりすっきりとしない。

女房たちは、ご様子もお気の毒なので、心を痛めて拝見しながら、
「どういうことになっているのでしょう。何ごとにつけてもまとないお心遣いは長年続いているけれども、ご結婚相手としてお頼み申しては、がっかりなさるのではないか、と思うのも不安で」などと、親しく伺候している者だけは、皆それぞれ心配している。御息所もまったく御存知でない。

 

《前段で、宮は、自分から御息所に話をするのは、いかにも何かがあったようで話しにくいので、女房たちが上手に御息所に様子を話してくれれば、御息所の方から何かを言われるだろうから、それに返事する形でなら話ができるのにと思っていました。

一方、しかし女房の方は、中途半端な話をお聞かせして御息所のお心を乱すだけのことになっては心苦しいと、どうも話すことに賛成ではないようです。

彼女たちにとっては、それよりも、夕霧から来た手紙の方がずっと関心があるのです。話の種としての興味もありますが、実際上、宮が夕霧と結ばれるということになれば、彼女たちの境遇もまた、大きな幸運が舞い込んだことになります。

ぜひ返事を、と勧めるのですが、宮はとんでもないことと見向きもしません。「大将が嫌いということではなくて、宮としてのプライドをふみにじられたことが、この強い態度となった」(『評釈』)のです。

それでも、女房はそれを強いて広げて宮に見せようとしたので、宮はとうとう怒って「もってのほかだ」と、横になってしまいました。手にした女房が手紙を盗み見すると、その一部が読めた、という設定です。その手紙は、この場合の夕霧の気持からいえば、すっきりした、いい手紙のように思われますが、どうでしょうか。

ところで、次からの女房の思いが、ちょっと分かりにくく思われます。

「普通の後朝の手紙ではないようだが」について、『集成』が「昨夜果して何があったのか、いぶかる気持」と言います。

ということは、この女房たちは昨夜二人の結婚が成り立ったのだと思っているということになりそうで(ちなみに『評釈』は女房たちは「あれぐらいのことであっても、共に夜を過ごされた事実は紛らしようもない」と思っている、としています)、そうだとすると、その後朝の手紙に「つれなき袖に」とあるのは、彼女たちにとっては確かに不審で「すっきりとしない(原文・思ひはるけず)」ということになり、仲間同士、どういうことになっているのだろうと、思案するばかり、ということになります。

しかし一方、そうするとこの段の初めで「まだ何事もないのに(原文・まだきに)」と思っているのは、どういうことなのでしょうか。

昨夜実際には何ごともなかったのだから御息所に話すところまでは行かないけれども、状況としては結婚したのと同じ事態になっている、という理解で、後朝の手紙はやはりちゃんとしたものであってほしい、ということなのでしょうか。

彼女たちからすると、二人は大変分かりにくい間柄ということになっているようです。それに、今は夕霧の君はよくして下さるけれども、実際に結婚されればまた違ったことになるかも知れない、ということまで心配になって、彼女たちも落ちつかない気持ちです。

せめて相談しようにも、御息所も、まだ何もご存じではありません(「も」というのは変で、「は」とする本もあるようですが、誰にも分からない、といった気持なのだろうと、『評釈』が言います)。》

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第一段 夕霧の後朝の文~その1

【現代語訳】1

 このような出歩きは馴れていらっしゃらないお気持ちのままに、興をそそられもするがまた気を遣うことだという気もしながら、三条殿にお帰りになると女君がこのような露に濡れているのを変だとお疑いになるに違いないので、六条院の東の御殿に参上なさった。まだ朝霧も晴れず、それ以上にあちらではどうであろうか、とお思いやりになる。
「いつにないお忍び歩きだったのですわ」と、女房たちはささやき合う。暫くお休みになって、お召し物をお着替えになる。いつでも夏服冬服と大変きれいに用意していらっしゃるので、香を入れた御唐櫃から取り出して差し上げなさる。お粥など召し上がって、院の御前に参上なさる。
 あちらにお手紙を差し上げなさったが、御覧になろうともなさらない。突然心外であった有様を腹だたしくも恥ずかしくもお思いになると、不愉快で、母御息所がお耳になさるであろうこともまことに気の引けることで、また、こんなことがあろうとは全然御存知でないままに普段と変わった点にお気づきになり、人の噂もすぐに広まる世の中だから自然と聞き合わせて、隠していたとお思いになるのがとても辛いので、
「女房たちがありのままに申し上げて欲しいものだ。困ったことだとお思いになってもしかたがない」とお思いになる。
 母子の御仲と申す中でも、少しも互いに隠し事なくお気持ちを交わしていらっしゃる。他人は漏れ聞いていても親には隠しているという例は、昔の物語にもあるようだが、そのようにはお思いにならない。

 

《ともかくもそれらしい一場面を終えての、「興をそそられもするが、また気を遣うことだ」という夕霧の感想が、いかにも物慣れないことをして我ながら戸惑っているという様子で大変愉快です。髭黒や若い頃の源氏のようなひたむきな思いではなく、心の一部に醒めたところのある感じがよく分かります。

とは言え、まだ深い朝霧には、まっ先に「あちらではどうであろうか、とお思いやりになる」のですから、決していい加減な浅い思いではないというところが、この人の独特なところなのです。

それにしても、続けて、着替えをしたとか「お粥など召し上がって」とか、源氏に挨拶をしたとかいうのは、なんともドメステイックです。『評釈』が、源氏が末摘花と逢った朝、帰って頭中将とお粥や強飯を食べたという場面(末摘花の巻第一章第六段1節)を挙げて並べながら、「この後朝からは纏綿とした朝の情緒は漂って来ない」と言いますが、源氏の場合は男友達と一緒なので、それなりにさりげなく装うことも必要だったと言えるにしても、ここの場合はまったく、と同感されます。

そんな中で夕霧は、後朝の型どおり、ということなのでしょうか、文を送ります。

しかし、すっかり機嫌を損ねた宮は、開いてみようともしません。『評釈』が、「(宮にとっては)後朝ではないのだ。大将の手紙を手にとる必要はないのだ。手にとれば、後朝になってしまう。実事があったことになってしまう」と言います。

そんな手紙よりも、こういうことを母御息所が知ったらどう思うだろうかと、そればかりが気になっています。と言って、彼女としては、ただ話をしただけで何もなかったのですから、それを自分からことさら話題にするのは、かえって逆に何かあってその弁解をしているような形になりかねないような気がします。いっそ、女房の誰かがこっそりとありにままを話してくれればいいのに、という気さえします。それで母の方から話題にされれば、そこできちんと話ができるのに…。》

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