源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第二章 落葉宮の物語(一)

第五段 御息所の嘆き

【現代語訳】

 苦しいご気分ながら、並々ならずかしこまって丁重にご応対申し上げなさる。いつものご作法と違わず、起き上がりなさって、
「とても見苦しい有様でおりますので、お越し頂くのもお気の毒に存じられて…。ここ二、三日ほどお会いしませんでした期間が、年月がたったような気がするのも、一方ではあさはかな未練というもので…。後の世で、必ずしもお会いできるとも限らないもののようです。再びこの世に生まれて参っても、何のかいもありません。
 考えてみればただ一時の間に別れ別れにならねばならない世の中を、懸命に親しんでまいりましたのも悔しい気がします」などとお泣きになる。
 宮も、あれもこれも物悲しい気持にばかりなられて、申し上げる言葉もなくてただ拝見なさっている。ひどく内気なご性格で、はきはきと弁明をなさるような方ではないから、ひとえに恥ずかしいとお思いなので、とてもお気の毒になって、どのような事であったのですかなどと、お尋ね申し上げなさらない。
 明かりを急いで灯させなどして、お膳などをこちらで差し上げなさる。何も召し上がらないとお聞きになって、あれこれと自分自身で食事を整え直しなさるが、箸もおつけにならない。ただご気分がよろしくお見えなので、少しほっとなさっている。

 あちらからまたお手紙がある。事情を知らない女房が受け取って、
「大将殿から少将の君にと言って、お使者があります」と言うのが、また辛いことであるよ。少将の君は、お手紙は受け取った。母御息所が、
「どのようなお手紙ですか」と、やはりお尋ねになる。人知れず弱気な考えも起こって、内心はお待ち申し上げていらしたのに、いらっしゃらないようだとお思いになると、胸が騷いで、
「さあ、そのお手紙には、やはりお返事をなさい。失礼ですよ。一度立った噂を良いほうに言い直してくれる人はいないものです。あなただけ潔白だとお思いになっても、そのまま信用してくれる人は少ないものです。素直にお手紙のやりとりをなさって、やはり今まで同様なのがよいことでしょう。いいかげんな馴れ過ぎた態度というものでしょう」とおっしゃって、取り寄せなさる。辛いけれども差し上げた。

《母が娘に「並々ならずかしこまって丁重にご応対申し上げなさる(原文・なのめならずかしこまりかしづききこえたまふ)」とあるのが、帝の妻と帝の娘ではこれほどの差があるのだと思われて、驚きです。帝の血筋を引く者とそうでない者の差ということでしょう。『評釈』が「身分社会の非人間的な例の一つである」と言います。

そういう娘が幸薄い結婚をして、しかも今その夫を失い落魄しようとしているのを、せめて自分だけは最後まで「品高くお扱い申そうとお思いになっていた」(第三段)のに、今やまたその娘がさらに大きな人の謗りを受けるようなことになってきたのだと思うと、もう御息所は生きる甲斐も何もないような気がします。二人で肩を寄せ合って仲良くしてきたことも、かえってこの世の絆しとなると思うと「悔しい気がします」と、ただ涙です。

御息所の悲しみが、実際にどうであったかということではなくて、噂の種になるほどに夕霧を近づけてしまったことにあって、それは否定しようのないことであり、宮自身もそのことにひどく傷ついているのですから、いうべき言葉もなく、ただひたすら恥じ入って小さくなっているばかりで、出された心づくしの食事も喉を通りません。ただ救いは、大きな心配をかけたけれども、母が「ご気分がよろしくお見えなので」、辛い中にも、かろうじてほっとしています。

そこに、間の悪いことに、問題の夕霧から手紙が届きました。少将に、と言うのですが、ことの成り行きから、宮へのものであることは、御息所にも分かります。

彼女はすぐに、返事を書きなさいと言うのでした。腹をくくったという感じで、さすがに、中では低い立場だったとは言え、御息所という地位を務めた人です。

『評釈』は彼女の考えを、およそ次のように言います、すでに噂になってしまった以上、それは消せない、それなら夕霧の世話になるのがよい、ここで返事をしなければ見限られるかも知れない、宮ともあろう者が、二夫にまみえるだけでも恥ずかしいのに、二度目の夫に一夜で去られたとあっては、「その恥に増さるものはない」、次善を我慢しなくてはならない、その上は、返事を渋って妙に男の気をそそるような品のないことをしないで、事態の推移に従うのが「素直(原文・心うつくしき)」というものなのだ…。

そう言って彼女は、娘がとろうとしない手紙を自分が取って開くのでした。

初めの御息所の言葉の中で「一方ではあさはかな未練というもので…」(原文・かつはいとはかなくなむ)は『集成』の訳で、「永別の時が迫っているのに、という気持」と解説しています。他は「心細くて」と訳していますが、それでは文意が伝わらないと思います。》

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第四段 落葉宮、母御息所のもとに参る

【現代語訳】

 お越しになろうとして、額髪が濡れて固まっているのを直し、単重のお召し物が綻びているのを着替えなどなさっても、すぐにはお動きになれない。
 この女房たちもどのように思っているだろう。まだご存知なくて、後に少しでもお聞きになることがあったとき、素知らぬ顔をしていたよとお思い当たられるのも、ひどく恥ずかしいので、再び臥せっておしまいになった。
「気分がひどく悩ましいこと。このまま治らなくなったら、とても好都合だろう。脚の気が上がった気がする」と、按摩をおさせになる。心配事をとてもつらくあれこれ気にしていらっしゃる時には、気が上がるのであった。
 小少将の君は、
「母上にあの御事をそれとなく申し上げた人があったのです。どういう事であったのかとお尋ねになったので、ありのままに申し上げて、御襖障子の掛金の点だけを、少し付け加えて、きちんと申し上げました。もし、そのように何かお尋ねなさいましたら、同じように申し上げなさいませ」と申し上げる。お嘆きでいらっしゃる様子は申し上げない。

「やはりそうであったか」ととても悲しくて、何もおっしゃらない御枕もとから涙の雫がこぼれる。
「このことだけでない、わが身が思いがけないことになり始めた時から、ひどくご心配をお掛け申していることよ」と、生きている甲斐もなくお思い続けなさって、

「あの方は、このまま引き下がることはなく、何かと言い寄ってくることも、厄介で聞き苦しいだろう」と、いろいろとお悩みになる。

「まして、ふがいなく相手の言葉に従ったらどんなに評判を落とすことになるだろう」などと、多少はお気持ちの慰められる面もあるが、

「内親王ほどにもなった高貴な人が、こんなにまでもうかうかと男と会ってよいものであろうか」と、わが身の不運を悲しんで、夕方に、
「やはり、おいで下さい」とあるので、中の塗籠の戸を両方を開けて、お越しになった。

 

《宮は、夕霧からの手紙に不機嫌になって臥せっているところに、御息所からのお呼びで、行こうとするのですが、気がつくと涙で髪はくずれ、「単重のお召し物が綻びているの」に気がついて、急いで髪を直し、お召し替えです。

着物の綻びは、諸注、「昨夜大将に裾をつかまれた時のものであろう」(『評釈』)としますが、律師が御息所に話したのは「昼日中のご加持が終わって」(第一段1節)からでしたから、昨夜のことからはもう半日以上経っているのに、あの時ままの衣裳というのは意外ですが、そういうものなのでしょうか、あるいは着替えなどする気にもなれなかったと考える方がいいのかもしれません。

さて、母君の所に行こうとするのですが、そういうことですぐには行けません。その身繕いをしながら、彼女はいろいろ考えます。

このまわりの女房たちもいろいろ思っているだろうと思うと、また気が滅入るし、行けば昨夜のことを話さなければならないだろうけれども、自分から話せば、それが大きな事件だと自分が認めていることになるので、自分からは話せない気がする、といって、何も話さないで帰って、その後そのことを耳にされたら、隠していたと思われる、などなどと思うと、またしても起き上がる気が失せてしまうのでした。

ということは、少将は、ここまでは御息所の「お越しになるよう申し上げなさい」という言葉だけを伝えて、例のことを知っておられるとは話さなかったようで、ここでやっと、向こうでのいきさつをかいつまんで話し、自分の話と口裏をお合わせになるとよいと勧めます。

やはり母君は知っておられたのだと分かると、宮は、それなら、と出かけていくことになるつもりだったのですが、そうなればなったで、また改めてわが身の不運を思って涙がこぼれます。「昨夜のでき事が母に知られるのもつらいが、それよりも、その事によって母にまた心配をかける事の方が、もっとつらいのである。大将の方があれですんでしまったのならまだしも、むしろこれから」(『評釈』)なのです。

夕方、また、御息所から、少し厳しいお呼びがありました。

宮は「中の塗籠の戸を両方を開けて」、つまり「調度類などを収めておく部屋」(『集成』)を通って、行きました。「外部のものには宮のお渡りを気づかせないように努めた」(『評釈』)のであるようです。》

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第三段 御息所、小少将君に問い質す

【現代語訳】

 律師が立ち去った後に、小少将の君を呼んで、
「こういう話を聞きました。どうした事ですか。どうして私には、しかじかこれこれの事があったとお聞かせ下さらなかったのですか。そんな事はあるはずがないと思いますが」とおっしゃると、お気の毒であるが、最初からのいきさつを詳しく申し上げる。今朝のお手紙の様子や、宮もちらりと仰せになった事などを申し上げ、
「長年秘めていらっしゃったお胸の中を、お耳に入れようということだったのでしょうか。めったにないお心づかいで、夜も明けきらないうちにお帰りになりましたが、人はどのようなふうに申し上げたのでございましょうか」
 律師とは思いもよらず、こっそりと女房が申し上げたものと思っている。

何もおっしゃらず、とても残念だとお思いになると、涙がぽろぽろとこぼれなさった。拝見するのもまことにお気の毒で、

「どうして、ありのままを申し上げてしまったのだろう。苦しいご気分を、ますますお胸を痛めていらっしゃるだろう」と後悔していた。
「襖は懸金が懸けてありました」と、いろいろと適当に言いつくろって申し上げるが、
「どうあったにせよ、そのように近々と何の用心もなく、軽々しく人とお会いになったことが、とんでもないのです。内心のお気持ちが潔白でいらっしゃっても、こうまで言った法師たちや、口さがない童などは、まさに全部を言いふらさずには置くまい。世間の人には、どのように抗弁をし、何もなかった事だと言うことができましょうか。皆、思慮の足りない者ばかりがここにお仕えしていて」と、最後までおっしゃれない。

とても苦しそうなご容態の上に、思いもしないことなので、まことにお気の毒な様子である。品高くお扱い申そうとお思いになっていたのに、色恋事の軽々しい浮名がお立ちになるに違いないのを、並々ならずお嘆きにならずにはいられない。
「このように少しはっきりしている間に、お越しになるよう申し上げなさい。あちらへお伺いすべきですが、動けそうにありません。お会いしないで、長くなってしまった気がしますよ」と、涙を浮かべておっしゃる。参上して、
「しかじかと申していらっしゃいます」とだけ申し上げる。

 

《「小少将」は、夕霧が最初に宮を訪ねた時(柏木の巻第五章第五段)から出ていた人で、この巻の第一章第三段で見れば、宮付きの女房ということになります。

御息所から事情を問い詰められた少将は、詳しくお話しをします。ポイントは「宮もかすかに仰せになった事」で、これは宮が夕霧の手紙を見ることはできないと言った(第一段)ことを指すと考えるのがよさそうで、そうすると、少将は、そんな大変なことはなかったのだと伝えたいようです。

しかし御息所は、成り行きがどうであれ、宮のところから男が朝帰りしたことが事実なら、そして律師にそれを見られたのなら、もはやこの後は、律師の口から、普通世間で想像するような話が広まるに違いなく、宮は、宮でありながら二夫にまみえたというスキャンダルの種とならざるを得ない、と考えます。

「涙がぽろぽろとこぼれなさった」という御息所を見て、少将は、正直に言い過ぎたのかと後悔して、いえ、鍵は掛かっていましたからと安心して貰うための嘘を言い添えるのですが、御息所にとっては、もうそういう細かなことは全くの枝葉に過ぎません。

病気の芳しくない上に、ショックを受けてうちひしがれた御息所は、すぐに宮を呼ぶように、少将に言いつけます。

御息所にしてみれば、隠し立てをしない母子の間柄だった(第一段1節)のにこんな大事な話が娘から伝わって来ず、他人である律師から聞くことになったのも残念だったかも知れません。

宮は「女房たちがありのままに申し上げて欲しいものだ」と思ったこともあった(第一段)のですが、それが最悪の形で実現してしまったのです。もし彼女の方から早く直接に母に話していれば、母の受け止め方はずいぶん違っていたでしょうが、しかし後の祭りです。》

第二段 律師、御息所に告げ口~その2

【現代語訳】2

「いや、おかしい。拙僧にお隠しになることでもありません。今朝、後夜の勤めに参上した時に、あの西の妻戸から、たいそう立派な男の方がお出になったのを、霧が深くて拙僧にはお見分け申すことができませんでしたが、私の弟子どもが、『大将殿がお帰りなさるのだ』と、『昨夜もお車を帰してお泊りになったのだ』と、口々に申していました。
 なるほど、まことに香ばしい薫りが満ちていて、頭が痛くなるほどであったので、なるほどそうであったのだと、合点がいったのでございます。いつもまことに香ばしくいらっしゃる君です。このことは、大変望ましいことというわけではありますまい。

相手はまことに立派な方でいらっしゃる。拙僧らも、子供でいらっしゃったころから、あの君の御為の事には、修法を、亡くなられた大宮が仰せつけになったので、もっぱらしかるべき事は、今でも承っているところですが、まことに無益です。

本妻は歴とした方でいらっしゃる。ああした、今を時めく一族の方で、まことに重々しい。若君たちは七、八人におなりになった。皇女の君とて太刀打ちおできになりますまい。また、女人という罪障深い身を受け、無明長夜の闇に迷うのは、ただこのような罪によって、そのようなひどい報いを受けるものです。本妻のお怒りが生じたら、長く成仏の障りとなろう。全く賛成できぬ」と、頭を振って、ずけずけと思い通りに言うので、
「何とも妙な話です。まったくそのようにはお見えにならない方です。私がいろいろと気分が悪かったので、一休みしてお目にかかろうとおっしゃって、暫くの間お待ちでいらっしゃると、ここの女房たちが言っていたが、そのように言ってお泊まりになったのでしょうか。だいたいが誠実で、実直でいらっしゃる方ですが」と不審がりなさりながら、心の中では、
「そのような事があったのかもしれない。普通でないご様子は時々見えたが、お人柄がたいそうしっかりしていて、努めて人の非難を受けるようなことは避けて、真面目に振る舞っていらっしゃったので、たやすく納得できないことはなさるまいと安心していたのだ。人少なでいらっしゃる様子を見て、忍び込みなさったのであろうか」とお思いになる。

 

《御息所の否定にもかかわらず、この僧はあくまでも率直で、引き下がりません。

 そしてその言い方は、「荒修行に裏打ちされた自信」家らしく、たいへん断定的で、御息所の気持を推し量ることをしません。

 昨夜見たのは夕霧殿に間違いない、自分は殿をよく知っているが(夕霧が雲居の雁に律師に相談があると言っていましたが、相談はともかく、知り合いであったことは事実のようです)、この宮とのご縁は「まことに無益です」と言い切ります。

 さらに、正室がおられて、子宝にも恵まれておられる以上(子だくさんとは言われていましたが、「若君たちは七、八人におなりになった」というのは、驚きです。ちなみに二人が結婚してここまでで十一年目です。もっともこの巻末では惟光の娘との子を含めて全部で十二人と紹介されます)、例え宮様の肩書きがあっても「太刀打ちおできになりますまい」、妻の座を争うというような罪で報いを受けられるにちがいない、と「頭を振って、ずけずけと思い通りに言う」のでした。

 しかし、考えてみれば、本当にそれが大切なことなら、律師は御息所に言うのではなくて、夕霧に言うべきだと思われます。もともと女性は弱い立場にあって、男女の問題で最終的な決定を自分で選択できるはずはない時代です。もちろん、高位の夕霧に向かってこういうことを言うのは実際上なかなか難しいことでしょう。しかしそういうことを自覚していれば、また御息所に対しても言いようがあったでしょう。

 結局この律師は宮のことを思って言っているのではなくて、自分の主義主張を語っているに過ぎません。独善的な善人によくあるパターンかと思われます。

 言われた御息所は、律師には、昨夜の夕霧は私が気分が収まるまで待っていたはずだから、そのことなのだろうと言って「努めて平静を装い」ます。そして、夕霧という人の人物を思いそんなことはないはずだと思いながら、それでも、と不安になっていきます。》

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第二段 律師、御息所に告げ口~その1

【現代語訳】1

 物の怪にお悩みになっていらっしゃる方は、重いように見えるが、爽やかな気分になられる合間もあって、正気にお戻りになる。昼日中のご加持が終わって、阿闍梨一人が残って、なおも陀羅尼を読んでいらっしゃる。好くおなりであるのを、喜んで、
「大日如来が嘘を仰せでないなら、どうしてこのような拙僧が心をこめて奉仕するご修法に験のないことがありましょうか。悪霊は執念深いようですが、業障につきまとわれた弱いものです」と、声はしわがれて荒々しくいらっしゃる。たいそう俗世離れした一本気な律師なので、だしぬけに、
「そうそう。あの大将は、いつからここにお通い申すようになられましたか」とお尋ねになる。御息所は、
「そのようなことはございません。亡くなった大納言と大変仲が好くて、お約束なさったことを裏切るまいと、ここ数年来、何かの機会につけて、不思議なほど親しくお出入りなさっているのですが、このようにわざわざ患っていますのをお見舞いにと言って、立ち寄って下さったので、もったいないことと聞いておりました」と申し上げなさる。

 

《前段を「御息所もまったく御存知でない」と結んでおいて、ここで改めてその御息所の側の話になった格好になりましたが、ここでは便宜上、段を分けて区切った形にしているだけで、原文ではもちろんそのまま繋がっていますから、改めて、ではなくて、それをきっかけに場面を転換しているわけです。

僧と二人きりになるということは、よくあることのようで、その折り、事件が起こるのは、冷泉帝が出生の秘密を聞かされたときも、同じです(薄雲の巻第四章第二段)。

さて、この僧については、『評釈』が「たいそう俗世離れした(原文・聖だち)」とあることに注目して、「どうも修験者めいたところがある人で、貴族出身の僧ではないらしい。…荒修行に裏打ちされた自信が見えている。だから思ったことをそのまま口に出す」と言います。『集成』も「聖」について、「官許を得ず山野に修行する私度僧」と注しています。そういえば、冷泉帝の時の宵居の僧の慇懃さとはまったく違う様子です。

確かに「陀羅尼を読んでいらっしゃる」中で、「だしぬけに、『そうそう。あの大将は、いつからここにお通い申すようになられましたか』とお尋ねになる」というのは、その言葉の直接的であることも含めて、その「一本気」がどういうものか、をよく示しています。

こう強烈な個性を持った僧侶は、当時、珍しくなかったのでしょうか、この物語の中では、末摘花の兄の(蓬生の巻第二章第二段)も、異なるタイプではありますが、奇人と言っていい人でしょう。

それに比べて御息所の返事は、たいへん普通でおだやかなものですが、対照が際だつ感じで、この人のきちんとした人柄が感じられ、読み進めていて何かほっとします。》

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