源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 夕霧の物語(一)

第四段 夕霧、山荘に一晩逗留を決意~その2

【現代語訳】2

「どうしてよいか分からない気持ちです。家路は見えないし、霧の立ち籠めたこの『籬』には、立ち止まることもできないようにせき立てなさる。物馴れない男はこうした目に遭うのですね」などとぐずぐずして、これ以上堪えられない思いをほのめかして申し上げなさると、これまで長い間も全然お察しでなかったわけではないが知らぬ顔でばかり通しておられたのに、このように言葉に出されてお恨み申し上げなさるので面倒に思って、ますますお返事もないのでたいそうがっかりしながら、心の中で、再びこのような機会があるだろうかと、思案をめぐらしなさる。
「思い遣りなく軽薄な者と思われ申そうともしかたがない。せめて思い続けて来たことだけでもお打ち明け申そう」と思って、供人をお呼びになると、近衛府の将監から五位になった腹心の家来が参った。人目に立たないように呼び寄せなさって、
「この律師に是非とも話したいことがあるのだが。護身などに忙しいようで、ちょうど今は休んでいるだろう。今夜はこの近辺に泊まって、初夜の時刻が終わるころにあの控えている所に参ろう。誰それを控えさせておけ。随身などの男たちは、栗栖野の荘園が近いから、秣などを馬に食わせて、ここでは大勢の声を立てるではない。このような旅寝は、軽率なように人が取り沙汰しようから」とお命じになる。何かきっと子細があるのだろうと理解して、仰せを承って立った。

 

《私には引き止める歌のようにも思えた宮の歌の意図は、さすがに夕霧には「せき立て」る歌としてきちんと伝わったようです。

といって、彼には帰る気はなく、少し強引でもここに泊まることにしようと、宮に恨み言を言い掛けました。

宮は、これまではそういうことも素振りや気配だけだったので、知らぬ振りで過ごしてきたのでしたが、今は言葉に出されてしまって、困ったことになったと黙り込みます。

夕霧は、それと察しながら、またとない機会だと思うと、今日こそはという気になって、いよいよ思いを告げようと腹を決めて、まずは供人を呼び寄せて、そちらの措置ですが、彼らには、雲居の雁に言ったのと同じように、律師に話があるということになっているようです。

一つひとつ大変行き届いた指示です、と言えば聞こえは好いのですが、少なくとも源氏が大井の山荘に行った時は、もっと手放しの楽しみようで、今から思えば、こういう細かなことは、従者たちみながそれぞれで心得て動いていたのかなという気がします。

それはもちろん、源氏と夕霧という二人の器の相違によるものなのでしょうが、一方で、例えば古代中国、聖帝の時代、尭帝の民は「鼓腹撃壌」だったものが、時代が下って禹帝は「家を出てから十三年間、一度も家に戻ることなく、自宅の門前を通りかかっても入って休息する事すらしなかった」(サイト『幻想之中国』)という勤勉ぶりが必要とされるようになってきたというような、いつの時代にもある避けられない社会の変化が、ここにもあるのかも知れません。

社会は時とともに小振りになって行くという尚古思想は、案外真実を突いているのか、と思ったりします。

もっとも、作者がそういうことを意識して書いているとは思えませんから、やはり夕霧という人は、こういう実務的な人なのだと思って読む方がいいでしょう。

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第四段 夕霧、山荘に一晩逗留を決意~その1

【現代語訳】1

 日も入り方になるにつれて、空の様子もしんみりと霧が立ち籠めて、山の蔭は薄暗い感じがするところに蜩がしきりに鳴いて、垣根に生えている撫子が風になびいている色も美しく見える。
 庭先の前栽の花々が思い思いに咲き乱れているところに、水の音がとても涼しそうに聞こえ、山下ろしの風は冷え冷えとして、松の響きが奥に響き渡って聞こえたりなどして、不断経の交替の時刻になって鐘を打ち鳴らすと、立つ僧の声も替わって座る僧の声も一緒になって、まことに尊く聞こえる。
 場所柄ゆえ、何もかもが心細く思われるのも、しみじみと感慨が湧き起こる。お帰りなる気持ちも起こらない。律師も、加持する声がして、陀羅尼を大変に尊く読んでいる様子である。
 たいそう苦しそうでいらっしゃるということで、女房たちもそちらの方に集まって、もともとこのような仮住まいに大勢はお供しなかったので、ますます人少なの中で、宮は物思いに耽っていらっしゃった。ひっそりしていて、

「思っていることも話し出すによい機会かな」と思って座っていらっしゃると、霧がすぐこの軒の所まで立ち籠めたので、
「帰って行く方角も分からなくなって行くのは、どうしたらよいでしょうか」と言って、
「 山里のあはれを添ふる夕霧に立ち出でむそらもなきここちして

(山里の物寂しさを添える夕霧のために、帰って行く気持ちにもなれずおります)」
と申し上げなさると、
「 山賤の籬をこめて立つ霧も心そらなる人はとどめず

(山里の垣根に立ち籠めた霧も、気持ちのない人は引き止めません)」
 かすかに申し上げるご様子に慰めながら、ほんとうに帰るのを忘れてしまった。

 

《この山荘に来た時(第二段)もそうでしたが、ここでまた改めてここの美しい様子が語れます。『評釈』が「それらは実際の小野の山里の風景であると共に、和歌の世界で形成された芸術的な秋の風景でもある」と言いますが、まったく言葉を極めての風雅な世界で、それはほとんど六条院の一つの邸を語る調子と同じように感じられます。源氏が明石の御方の大井の山荘を訪ねた時も、これほどまでには語られませんでした。

そして、それは、当然作者の目を通して語られているのですが、実は夕霧の目にそのように見え、聞こえ、感じられるのだと言っているようです。

それは取りも直さず、そこに住むこの宮自身の風雅でもあるように彼には思われます。

自邸の雑然たる生活と何という違いかと、感じたのでしょうか、そのあまりの心地よさに「お帰りなる気持ちも起こらない」のでした。

にもかかわらず、「帰って行く方角も分からなくなって…」とは、これだけでは何とも味気ない口説き文句で、実直、生真面目な夕霧らしい言葉だという気がします。

もっとも、次の歌については、その下敷きとなる古歌「夕霧に衣は濡れて草枕旅寝するかも逢はぬ君ゆゑ」(『古今六帖』)があって、彼は「旅寝」を許されたいと求める気持ですから、このぎこちなく見える言葉も、その導入として作者が言わせたものなのでしょう。

それに対する宮の歌は、実は「相手の『立ち出でむそら』の語にすがって、強いて帰りを急ぐ人ととりなした」(『集成』)ものなのですが、一読、「真情があるなら引き止めよう」(『評釈』)と、本気で夕霧を引き留めるものとも思えるものになっていて、驚かされます。

ここの歌によって、この巻の名前とこの貴公子の呼び名があるのは、巻頭で触れた通りですが、『評釈』は先の歌「夕霧に…」という歌は、「『夕霧』の巻のモチーフであり、さらに言えば作者はこの歌によって『夕霧』の巻を構想したのだと思う」と言います(そう言っていたと思うのですが、今改めて確認すると、同書にその記述が見当たりません。しかし面白い見解なので、あえてそのまま残しておきます)。》

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第三段 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる

【現代語訳】

 宮は奥の方にとてもひっそりとしていらっしゃるが、おおげさでない仮住まいの部屋の仕切りで、端近な感じのご座所なので、宮のご様子も自然とはっきりわかる。とても物静かに身じろぎなさる時の衣ずれの音に、あのあたりなのだろうと聞いていらっしゃる。
 気もそぞろになって、あちらへのご挨拶を伝えている間、少し長く手間取っているうちに、例の少将の君など、お傍の女房たちにお話などなさって、
「このように参上して親しくお話を伺うことが、何年という程になりましたが、まったく他人行儀にお扱いなさる恨めしさといったら。このような御簾の前で、人伝てのご挨拶などを、ほのかにお伝え申し上げることですよ。まだ経験したことがありません。どんなに古くさい人間かと、あなた方は笑っていらっしゃるだろうと、きまりの悪い思いで。
 年齢も若く身分も低かったころに多少とも色めいたことに経験が豊かであったら、こんな不慣れな戸惑いもしなかったろうに。まったく、このように生真面目で、愚かしく年を過ごして来た人は、他にいないでしょう」とおっしゃる。なるほど、まことに軽々しくお扱いできないご様子でいらっしゃるので、それはそうだと、
「中途半端なお返事を申し上げるのは、気が引けまして」などと突つき合って、
「このようなご不満に対してご理解がないように思われます」と、宮に申し上げるので、
「ご自身で直接申し上げなさらないようなご無礼につき、代わってご返事致さねばならないところですが、大変に心配なご病状でいらっしゃったようなのを看病致しておりましたうちに、いつにもまして絶え入りそうなつらい気持になって、お返事申し上げることができません」とおっしゃるので、
「これは、宮のお返事ですか」と居ずまいを正して、

「お気の毒なご病気を、わが身に代えてもとご心配申し上げておりましたのも、何のためでしょうか。恐れ多いことですが、物事のご判断がお出来になるご様子など、ご快復を御覧になられるまでは、何事もなくお過ごしになられるのが、どなたにとっても心強いことでございましょうと、ご推察申し上げるからのことで。

ただ母上様へのご心配ばかりとお考えになって、積もる思いをご理解下さらないのは、不本意でございます」と申し上げなさる。

「おっしゃる通り」と、女房たちも申し上げる。

 

《宮が仮住まいに移ったことは、夕霧に幸運でしたし、それによってよけいに思いと期待を募らせることになったようです。

御息所の返事を待つ間も、部屋数も少なく手狭なのでしょう、間近く仕切り越しに宮の気配を感じることができて、彼は、衣ずれの音に耳を澄ましています。現代の私たちと違って、動物的感覚と言いますか、衣ずれの音によって、敏感に衣服を区別でき、人を識別できたのでしょう(いえ、けっして冷やかしているのではありません。耳と鼻はおそらく古代人ほど鋭敏だっただろうと思います。そういう研究はないのでしょうか)。

夕霧は宮お付きの女房に話しかけます。もちろん、宮に聞こえることを承知し、期待しての上です。

そこに思いがけず、早くも宮からの言葉ありました。訴えたかいがあったわけです。彼は思わず居ずまいを改めて、返事をします。

が、彼の言葉は、『評釈』も言うように、ちょっと分かりにくく思われます。御息所の病気が治るまで宮に元気でいてほしい(A)というのか、逆に、宮が柏木を亡くした悲しみから復活するまで御息所に元気でいてほしい(B)のか、ということです。

『集成』も『谷崎』もAの解釈ですが、若い方の人に対して「ご快復を御覧になられるまでは」と元気でいてほしい期間を区切るというのはちょっと変です。

一方Bでは、現在は宮の様子が「物事のご判断がお出来になるご様子」でないということになり、それはやはり御息所の方ではないかと思われ、宮ではちょっと言い過ぎに思われるという難点がありますが、自分が御息所のお見舞いに来るのは、結局はあなたを思うからなのですということになって、夕霧の訪問の主旨に合いそうです。

『評釈』は「どちらとも決めかねる文なのではなかろうか」と言いますが、作者としてはそんなことはあり得ないので、私はBのつもりで書かれたのではないかと思うのですが…。》

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第二段 八月中旬の頃、夕霧、小野山荘を訪問

【現代語訳】

 八月中旬のころなので、野辺の様子も美しい時期で、山里の様子がとても気になるので、
「何某律師が珍しく下山しているそうで、是非に相談したいことがある。御息所が病気でいらっしゃるというのもお見舞いがてら、お伺いしよう」と、さりげない用件のように申し上げてお出かけになる。御前駆も大げさにせず、親しい者だけ五、六人ほどが狩衣姿でお供する。

特別山深い道ではないが、松が崎の小山の色なども、それほどの岩山ではないけれども秋らしい様子になって、都でまたとないほどにと善美を尽くした住居より、やはり情趣も風情も立ち勝って見えることだった。
 ちょっとした小柴垣も由緒ありげな様に作ってあって、仮のお住まいだが品よくお暮らしになっている。寝殿と思われる東の放出に、修法の壇を塗り上げて、御息所が北の廂の間にいらっしゃるので、西面の間に宮はいらっしゃる。
 御物の怪が厄介だからと言ってお止め申し上げなさったけれども、どうしてお側を離れ申そうかと慕ってお移りになったのを、物の怪が他の人に乗り移るのを恐れて、わずかばかりの隔てを置いて、そちらにはお入れ申し上げなさらない。
 客人のお座りになる所がないので、宮の御方の簾の前にお入れ申して、上臈らしい女房たちが、ご挨拶をお伝え申し上げる。
「まことにもったいなく、こんなにまで遠路はるばるお見舞いにお越し下さいましたのに、もしこのままはかなくなってしまいましたならば、このお礼をさえ申し上げないままになるのではないかと思いますと、もう暫く生きていたいという気持ちになりました」と、奥から申し上げなさった。
「お移りあそばした時のお供も致そうと存じておりましたが、六条院から仰せつけられていた事が中途になっていまして。このところも何かと忙しい雑事がございまして、案じておりました気持ちよりも、ずっと誠意がない者のように御覧になられますのが、辛うございます」などと、申し上げなさる。

 

《夕霧は、雲居の雁を憚りながら、何とか口実を作って落葉宮の山里の邸に出かけていきました。

昔、源氏が明石の御方の上京して来た大井の山荘を初めて訪ねる時(松風の巻第二章第一、二段)によく似た場面ですが、あの時の源氏は、それと察して機嫌の悪い紫の上をなだめるのに半日をかけました。そこに話の抑揚、陰翳が生まれていたと思いますが、ここはそういうことがなかったようです。御息所の見舞いと言っていますから、落葉宮の所に行くことは雲居の雁にも分かったはずで、彼女が何とも思わないということはあり得ませんから、夕霧の方にこうした道での配慮が無かったということになりそうです。話の流れが薄っぺらに感じられます。

道中の風景も「仮のお住まい」の佇まいも、心弾む夕霧には、たくさんの子供たちで雑然騒然としているわが家から離れて来たこともあって、この上なく風雅に思われます。

御息所は、自分の物の怪がうつるといけないから、宮を一条の邸に置いて来ようとしたのですが、宮はあえてついてきたようで、手狭な住まいの中でわずかな隔てを置いて住まっています。夕霧は、御息所の所には居場所がなく、「宮の御方の簾の前」という彼にとっては願ってもない場を貰うことになりました。しかし「上臈らしい女房」は御息所の女房のようで、挨拶はそちらからです。あいかわらず、宮は顔も口も出しません。

しかしその御息所の挨拶は、さすがになかなか気の利いた、洒落たものに思われます。》

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第一段 一条御息所と落葉宮、小野山荘に移る

巻三十九 夕霧 光る源氏の准太上天皇時代五十歳秋から冬までの物語

第一章 夕霧の物語(一) 小野山荘訪問

第一段 一条御息所と落葉宮、小野山荘に移る

第二段 八月中旬の頃、夕霧、小野山荘を訪問

第三段 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる

第四段 夕霧、山荘に一晩逗留を決意

第五段 夕霧、落葉宮の部屋に忍び込む

第六段 夕霧、落葉宮をかき口説く

第七段 迫りながらも明け方近くなる

第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る

第二章 落葉宮の物語(一) 律師の告げ口

第一段 夕霧の後朝の文

第二段 律師、御息所に告げ口

第三段 御息所、小少将君に問い質す

第四段 落葉宮、母御息所のもとに参る

第五段 御息所の嘆き

第三章 一条御息所の物語 行き違いの不幸

第一段 御息所、夕霧に返書

第二段 雲居雁、手紙を奪う

第三段 手紙を見ぬまま朝になる

第四段 夕霧、手紙を見る

第五段 御息所の嘆き

第六段 御息所死去す

第七段 夕霧の弔問

第八段 御息所の葬儀

第四章 夕霧の物語(二) 落葉宮に心あくがれる夕霧

第一段 夕霧、返事を得られず

第二段 雲居雁の嘆きの歌

第三段 九月十日過ぎ、小野山荘を訪問

第四段 板ばさみの小少将君

第五段 夕霧、一条宮邸の側を通って帰宅

第六段 落葉宮の返歌が届く

第五章 落葉宮の物語(二) 夕霧執拗に迫る

第一段 源氏や紫の上らの心配

第二段 夕霧、源氏に対面

第三段 父朱雀院、出家希望を諌める

第四段 夕霧、宮の帰邸を差配

第五段 落葉宮、自邸へ向かう

第六段 夕霧、主人顔して待ち構える

第七段 落葉宮、塗籠に籠る

第六章 夕霧の物語(三) 雲居雁と落葉宮の間に苦慮

第一段 夕霧、花散里へ弁明

第二段 雲居雁、嫉妬に荒れ狂う

第三段 雲居雁、夕霧と和歌を詠み交す

第四段 塗籠の落葉宮を口説く

第五段 夕霧、塗籠に入って行く

第六段 夕霧と落葉宮、遂に契りを結ぶ

第七章 雲居雁の物語 夕霧の妻たちの物語

第一段 雲居雁、実家へ帰る

第二段 夕霧、雲居雁の実家へ行く

第三段 蔵人少将、落葉宮邸へ使者

第四段 藤典侍、雲居雁を慰める

 

【現代語訳】

 堅物との評判を取ってしたり顔でいらっしゃる大将は、この一条宮のご様子を、やはり理想的だと心に留めて、世間の目には昔の友情を忘れていない心遣いに見せながら、とても懇切にお見舞い申し上げなさる。内心では、このままではすみそうになく、月日を経るに従って思いが募って行かれるのであった。
 母の御息所も、「大変にもったいないご親切であることよ」と、今ではますます寂しく所在ないお暮らしを絶えず訪れなさるので、お慰みになることがいろいろと多い。
 初めから色めいたことを申し上げたりなさらなかったのだが、
「打って変わって色めかしく艶めいた振る舞いをするのも気恥ずかしい。ただ深い愛情をお見せ申せば、心をお許しになる時がなくはないだろう」と思いながら、何かの用事にかこつけても、宮のご様子や態度をご注意なさっている。ご自身がお応え申し上げなさることはまったくない。
「どのような機会に、思っていることをまっすぐに申し上げて、相手のご様子を見ようか」と、お考えになっていたところ、御息所が物の怪にひどくお患いになって、小野という辺りに山里を持っていらっしゃった所にお移りになった。以前から御祈祷の師として、物の怪などを追い払っていた律師が、山籠もりして里には出まいと誓願を立てていたのを、麓近くなので、下山して頂くためなのであった。
 お車をはじめとして、御前駆など、大将殿から差し向けなさったのであるが、かえって故人の親しい弟君たちは仕事が忙しく自分の事にかまけて、お思い出し申し上げることができない。弁の君は、彼は彼で気がないわけでもなくて、素振りを匂わせたのだが、思ってもみない程のおあしらいだったので、無理に参上してお世話なさることもできなくなっていた。

この君は、とても上手に、何とはない様子で自然と馴れ親しみなさったようである。修法などをおさせになると聞いて、僧の布施、浄衣などのようなこまごまとした物まで差し上げなさる。

病気でいらっしゃる方は、御礼状をお書きになることができない。
「通り一遍の代筆は、けしからぬとお思いでしょう、重々しい身分のお方です」と、女房たちが申し上げるので、宮がお返事をさし上げなさる。
 とても美しくただ一くだりほど、おっとりとした筆づかいに言葉も優しい感じを書き添えていらっしゃるので、ますます会いたいと目がとまって、頻繁に手紙を差し上げなさる。
「やはり、いつかは事の起こるに違いないご関係のようだ」と北の方が様子を察しておられたので、めんどうに思って、訪問したいとはお思いになるが、すぐにはお出かけになることができない。


《巻の名前は、第一章第四段の歌によります。またこの巻の主人公・「大将」が後世、その名で呼ばれていることは、すでに書いたとおりです(少女の巻第二章第一段)。

女三の宮と柏木の、源氏にとっては内輪の反乱のような大きな事件が、悲劇的な中にも表向きは薫が生まれるなどむしろめでたいような妙な形で収まって、取りあえずは平穏な時がしばらく過ぎていました。

そうして柏木が亡くなってから二年が過ぎ、その秋になろうとしています。

その間、夕霧は柏木から頼まれた、遺された夫人・一条宮(落葉宮・この呼び名の由来は若菜下の巻第七章九段)のお世話をしてきたのですが、その年月の間に、子だくさんの自邸の世帯じみた味気なさに比べて、宮邸のいかにもしめやかなゆかしげな雰囲気から、次第に宮に心引かれてきているようです(横笛の巻第二章第五段)。

訪ねて行くと、相手をするのはやはり母・御息所で、こちらはその訪れで「お慰めになることがいろいろと多い」のでした。

『評釈』がそれについて、「(出自が)下﨟ゆえ、皇女を持った誇らしさも大き」かったのだが、今は、夕霧だけが振り向いてくれる人、「その訪問は、この御息所の傷ついた誇りにとって、最も効き目がある」から、この人は大歓迎なのだと、大切な読みくわえをしています。

しかし、肝心の宮の方は「ご自身がお応え申し上げなさることはまったくない」といった、素っ気ない(いや、しっかりした、と言うべきでしょうか)態度なのでした。

それでも夕霧は、いつかは誠意を分かって貰えるだろうと、彼らしく真面目な態度で通い続けています。

そんな折、御息所が「物の怪にひどくお患いになって」、祈祷に便利な所を求めて、小野の里(「叡山の西麓、…ここは恐らく修学院のあたりであろう」・『集成』)の小さな山荘に引っ越すことになりました。その世話も夕霧が、柏木の弟たちよりも懇ろに上手に果たしました。

その御礼の手紙が夕霧邸に届いて、「北の方」(雲居の雁)は、かねてお側の女房から二人の間が怪しいと耳打ちされていた(横笛の巻第二章第五段)こともあって、「様子を察して」ますます疑いを深くしていきました。

密通事件の余波が、思いがけないところで、くすぶり始めたのです。》

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