【現代語訳】2
「どうしてよいか分からない気持ちです。家路は見えないし、霧の立ち籠めたこの『籬』には、立ち止まることもできないようにせき立てなさる。物馴れない男はこうした目に遭うのですね」などとぐずぐずして、これ以上堪えられない思いをほのめかして申し上げなさると、これまで長い間も全然お察しでなかったわけではないが知らぬ顔でばかり通しておられたのに、このように言葉に出されてお恨み申し上げなさるので面倒に思って、ますますお返事もないのでたいそうがっかりしながら、心の中で、再びこのような機会があるだろうかと、思案をめぐらしなさる。
「思い遣りなく軽薄な者と思われ申そうともしかたがない。せめて思い続けて来たことだけでもお打ち明け申そう」と思って、供人をお呼びになると、近衛府の将監から五位になった腹心の家来が参った。人目に立たないように呼び寄せなさって、
「この律師に是非とも話したいことがあるのだが。護身などに忙しいようで、ちょうど今は休んでいるだろう。今夜はこの近辺に泊まって、初夜の時刻が終わるころにあの控えている所に参ろう。誰それを控えさせておけ。随身などの男たちは、栗栖野の荘園が近いから、秣などを馬に食わせて、ここでは大勢の声を立てるではない。このような旅寝は、軽率なように人が取り沙汰しようから」とお命じになる。何かきっと子細があるのだろうと理解して、仰せを承って立った。
《私には引き止める歌のようにも思えた宮の歌の意図は、さすがに夕霧には「せき立て」る歌としてきちんと伝わったようです。
といって、彼には帰る気はなく、少し強引でもここに泊まることにしようと、宮に恨み言を言い掛けました。
宮は、これまではそういうことも素振りや気配だけだったので、知らぬ振りで過ごしてきたのでしたが、今は言葉に出されてしまって、困ったことになったと黙り込みます。
夕霧は、それと察しながら、またとない機会だと思うと、今日こそはという気になって、いよいよ思いを告げようと腹を決めて、まずは供人を呼び寄せて、そちらの措置ですが、彼らには、雲居の雁に言ったのと同じように、律師に話があるということになっているようです。
一つひとつ大変行き届いた指示です、と言えば聞こえは好いのですが、少なくとも源氏が大井の山荘に行った時は、もっと手放しの楽しみようで、今から思えば、こういう細かなことは、従者たちみながそれぞれで心得て動いていたのかなという気がします。
それはもちろん、源氏と夕霧という二人の器の相違によるものなのでしょうが、一方で、例えば古代中国、聖帝の時代、尭帝の民は「鼓腹撃壌」だったものが、時代が下って禹帝は「家を出てから十三年間、一度も家に戻ることなく、自宅の門前を通りかかっても入って休息する事すらしなかった」(サイト『幻想之中国』)という勤勉ぶりが必要とされるようになってきたというような、いつの時代にもある避けられない社会の変化が、ここにもあるのかも知れません。
社会は時とともに小振りになって行くという尚古思想は、案外真実を突いているのか、と思ったりします。
もっとも、作者がそういうことを意識して書いているとは思えませんから、やはり夕霧という人は、こういう実務的な人なのだと思って読む方がいいでしょう。》