源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 夕霧の物語(一)

第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る~その2

【現代語訳】2

「 荻原や軒ばの露にそほちつつ八重立つ霧をわけぞゆくべき

(荻原の軒端の荻の露に濡れながら幾重にも立ち籠めた霧の中を帰って行かねばなり

ませんよ)
 濡れ衣はやはりお免れになることはできますまい。このように無理にせき立てなさるあなたのせいですよ」と申し上げなさる。なるほど、ご自分の評判が聞きにくく伝わるに違いないが、

「せめて自分の心に問われた時だけは、潔白だと答えよう」とお思いになるので、ひどくよそよそしいお返事をなさる。
「 わけゆかむ草葉の露をかことにてなほ濡衣をかけむとや思ふ

(帰って行かれる草葉の露に濡れるのにかこつけて、私にまで濡れ衣を着せようとお

思いなのですか)
 心外なことですわ」と、お咎めになるご様子は、とても風情があり気品がある。

長年、人とは違った人情家になって、いろいろと思いやりのあるところをお見せ申していたのに、それとうって変わって、油断させて好色がましいのが、おいたわしく気恥ずかしいので、よくよく思い返して、

「このように無理をしてお従い申したとしても、後になって馬鹿らしく思われないか」と、あれこれと思い乱れながらお帰りになる。帰り道の露けさもまことにあふれるほどである。

 

《「心も上の空」に帰る挨拶の歌です。

 夕霧は、歌で、あなたのせいで濡れながら帰らなくてはならないことですと「宮の同情を求める」(『集成』)一方で、こんな時刻に帰れば人に姿を見られてあなたに浮き名が立つことでしょうが、それもあなたご自身のせいですよと、脅迫的恨み節です。

 宮は、もう、そういうこともあるかも知れないけれど、ただ、自分自身の気持の中だけでも潔白さだけは守ろう、と腹を決めて、つれない歌を返しました。

 夕霧は、この二年あまり手を尽くして世話をしてきたのに、今日のことで宮に嫌な思いをさせたのではないかと思って「おいたわしく」、また一方で、自分がずるい「好色がましい」嫌な人間なのではないかという気がして「気恥ずかしい」思いを抱き、さらにまた、結局は現在女の言いなりになっている自分は、あの人たちから馬鹿にされることになるのではないかなどと、「あれこれと思い乱れながらお帰りになる」のでした。思いやりといい、自分の見栄といい、さらには反省といい、まったくいろいろな方面によく気遣いの行く律儀な人です。

 源氏の若い頃は、こうではありませんでした。

言い寄った女性に拒否されたような時、彼は決して自分をふり返ったりすることなく、相手をこういう形で思い遣ったりすることもなく、ともかくあの手この手で近づいて、最後はいつも強引に思いを遂げ、結局その後女性の方は源氏の魅力に引かれて心を許す、ということになってきた(空蝉も軒端の荻も朧月夜も)のですが、残念ながら夕霧にはそういうマジックは成り立たないようです。それは役者の違いでもありますが、また、世界の違いでもあるでしょう。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る~その1

[第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る]
【現代語訳】1

 月は翳りなく澄みわたって、霧にも遮られずに光が差し込んでいる。浅い造りの廂の軒は、奥行きもない感じがするので、月の顔と向かい合っているようで妙にきまり悪くて、顔を隠していらっしゃる振る舞いなど、言いようもなく優美でいらっしゃる。
 亡き君のお話も少し申し上げて、当たり障りのない穏やかな話を申し上げなさる。それでもやはり、あの故人ほどに思って下さらないのを、恨めしそうにお恨み申し上げなさる。お心の中でも、
「かの亡き君は位などもまだ十分ではなかったのに、誰も彼もがご賛成だったので、自然と成り行きに従って結婚したのだが、それでさえ冷淡になって行ったお心の有様、ましてこのようなとんでもないことに、まったくの他人というわけでさえなくて、大殿などがお聞きになってどうお思いになることか。世間一般の非難は言うまでもなく、父の院におかれてもどのようにお聞きあそばしお思いになることだろうか」などと、ご縁者のあちらこちらの方々のお心をお考えなさると、とても残念で、自分ひとりがこのように気強く思っても、世間の人の噂はどうだろうか、母御息所がご存知でないのも罪深い気がするし、このようにお聞きになって、考えのないことだとお思いになりおっしゃろうことが辛いので、
「せめて夜を明かさずにお帰り下さい」と、せき立て申し上げなさるより他ない。
「驚いたことですね。意味ありげに踏み分けて帰る朝露が変に思うでしょうよ。やはり、それならばお分かり下さい。愚かな姿をお見せ申して、うまく言いくるめて帰したとお見限りなさるようなら、その時はこの心も収めることができず、今までにした事もない、不埒な料簡を起こすことになりそうに存じられます」と言って、とても後々が気がかりで中途半端な逢瀬であったが、いきなり色めいた態度に出ることはほんとうに馴れていないお人柄なので、

「お気の毒で、ご自身でも見下げたくならないか」などとお思いになって、どちらにとっても、人目につきにくい時分の霧に紛れてお帰りになるのだが、心も上の空である。

《夕霧の不器用さに比べて、宮はどこまでも「優美」です。それを理解しない夕霧ではありませんし、根が生真面目な人ですから、相手が拒否している以上、無体なことはしません。しばらく「当たり障りのない穏やかな話」をするのですが、しかしその話題が「亡き君」柏木であるのは、どうもあまり適当ではないのではないでしょうか。

宮は、その話から、みなが許したその柏木との結婚でさえうまくいかなかったのに、義理の妹(雲居の雁)の夫と結ばれるようなことになったら、「大殿」(柏木と雲居の雁の父)が一体どう思われることか、そして父院は、などと「ご縁者のあちらこちらの方々のお心をお考えなさる」ということになって、ますます辛い気持になってしまいました。

彼女は意を決して、夜が明けないうちにお帰りを、と頼みます。

夕霧は、「ほんとうに馴れていないお人柄なので」、自分の切ない望みを口にするとまるで脅迫まがいの恨み言になってしまいます。その一方、これ以上のことをすれば後々の宮への印象が悪くなるのではないかというような気もして心乱れ、すごすごと深い霧の中を帰っていくことになりますが、「心も上の空」です。

何度も言いますが、彼は生真面目な人なのです。生真面目な人の厄介さと滑稽さ…。

そう言えば、かつて私の職場の先輩に酒が入ると口が悪くなる熱血の人があって、宴会で議論が始まると、決まって出る警句がありました。曰く、「だらが本気になるとはたが迷惑する(愚か者が本気になって何かを始めると、周囲が迷惑することが起こる)」。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第七段 迫りながらも明け方近くなる

【現代語訳】

「やはり、このようにお分かりになって頂けないご様子は、かえって浅薄なお心底と思われます。このように世慣れずものを知らない安心なところなども、他に例がないだろうと思われますが、何事でも手軽にできる身分の人は、このような振る舞いを愚か者だと笑って、同情のない接し方をするそうです。あまりにひどくお蔑みなさるので、もう抑えてはいられないような気が致します。男女の仲というものを全くご存知ないわけではありますまいに」と、いろいろと言い迫られなさって、どのようにお答えしたらよいものかと、困り切って思案なさる。
 結婚した経験があるから気安いように、時々口にされるのも不愉快で、

「ほんとうに、またとない身の不運さよ」と思い続けていらっしゃると、死にそうなほどつらい思いがなさって、
「情けない我が身の過ちを知ったとしても、このようなひどいお仕打ちを、どのように考えたらよいものでしょうか」と、とてもかすかに言って悲しそうにお泣きになって、
「 われのみや憂き世を知れるためしにて濡れそふ袖の名をくたすべき

(私だけが不幸な結婚をした女の例としてさらに涙の袖を濡らして悪い評判を受けな

ければならないのでしょうか)」
とおっしゃるともないのに、自分なりに歌にして小声で口になさるにつけても、いたたまれない思いで、どうして歌など詠んだのだろうという気持でいらっしゃると、
「おっしゃるとおり、悪い事を申しましたね」などと、微笑んでいらっしゃるご様子で、
「 おほかたはわれ濡れ衣を着せずとも朽ちにし袖の名やは隠るる

(だいたい私があなたに悲しい思いをさせなくても、既に立ってしまった悪い評判は

もう隠れるものではありません)
 一途にお心向け下さい」と言って、月の明るい方にお誘い申し上げるのも、心外な、とお思いになる。気強く応対なさるが、たやすくお引き寄せ申して、
「これほど例のない厚い愛情をお分かり下さって、お気を楽になさって下さい。お許しがなくては、けっしてけっして」と、たいそうはっきりと申し上げなさっているうちに、明け方近くなってしまったのだった。

 

《夕霧はもう少し口説いてみます。

彼は、自分がいかに物慣れないかということを自分でも承知しているようで、ここでも自らそう言って、むしろそれを自分の誠実さの形として訴えます。

『評釈』が「まめ人夕霧の口説きは『いとのどやかにさまよくもて静めて(とても静かに体裁よく落ち着いた態度で・第五段)』で、あだっぽく乱れてからむのではなく、真正面からゆえ、かえって扱いにくい」と言います。ただ、それは彼にとっては「真正面から」で、生真面目なのですが、いささか独りよがりで、前段でも言ったように、口説きらしく相手を思い遣ったものにはなっていません。「男女の仲というものを…」は宮の反応にも見られるように、かえって宮に拒否感を抱かせるものになってしまいます。実はこういうところこそが、彼の「世慣れずものを知らない」ところではないかと思われます。

同書はさらに「『しれ者(愚か者)』とは、事ここに至ってなお女の同意を得ておこうとする人間のことである。あとで、同意を得たという言質をとっておこうとする、いわば卑怯な男である」と言っていて、なるほど現代的にこの場面の男を考えるとありそうなキャラクターではありますが、彼はこの後も遂に「言質」を得ないままなのですから、夕霧には当てはまらない少々乱暴な見解のように思われます。

『人物論』所収「夕霧二題」も、「名門英才超エリートコースで女遊びの文化的経験もない夕霧」と言って、彼の野暮ったさ、意外な品の無さを取り上げています。

彼の歌などは確かにそうで、「朽ちにし袖の名やは隠るる」は、ずいぶんひどい言いようで、宮が「心外な」と思うのが当たり前です。

そんな宮の気持も理解しないままに、夕霧は宮を「月の明るい方に」引き寄せて、「けっして」無体なことはしないと、彼としては優しく口説いているつもりなのです。

作者は彼を、『評釈』の言うような「卑怯な」、小心な男として描こうとしているのではなくて(それでは源氏の御曹司としての役は果たせません、彼は当代、源氏に次ぐ貴公子でなければならないのです)、きわめて律義で真っ正直な、少々独りよがりの自信家で、ただ残念ながら女遊びが下手で、作者から折々密かに笑われている、そういう中年男性と考えるべきなのではないでしょうか。つまり、彼はいい人なのです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第六段 夕霧、落葉宮をかき口説く

【現代語訳】

「まことに情けなく、子供みたいなお振る舞いですね。人知れず胸に思い余った色めいた罪ぐらいはございましょうが、これ以上馴れ馴れし過ぎる態度は、まったくお許しがなければ致しません。どんなに千々に乱れて悲しみに堪え兼ねていますことか。
 いくらなんでも自然とご存知になる事もございましょうのに、無理に知らぬふりしてよそよそしくお扱いなさるようなので、申し上げるすべもないので、しかたがない、わきまえもなくけしからぬとお思いなさっても、このままでは朽ちはててしまいかねない訴えを、はっきりと申し上げて置きたいと思っただけです。言いようもないつれないおあしらいが辛く思われますが、まことに恐れ多いことですから」と言って、努めて思いやり深く、気をつかっていらっしゃった。
 襖を押さえていらっしゃるのは頼りにならない守りであるが、あえて引き開けず、
「この程度の隔てをと、無理にお思いになるのがお気の毒です」と、ついお笑いになって、それ以上思いのままの振る舞いはしない。

宮のご様子が優しく上品で優美でいらっしゃることは、何と言っても格別に思える。ずっと物思いに沈んでいらっしゃったせいか、痩せてか細い感じがして、普段着のままでいらっしゃるお袖の辺りもなよやかで、親しみやすく焚き込めた香の匂いなども、何もかもがかわいらしく、なよなよとした感じがしていらっしゃる。

 風がとても心細く吹いて、更けて行く夜の様子も、虫の音も鹿の声も滝の音も、一つに入り乱れて、風情をそそるころなので、まるで情趣など解さない軽薄な人でさえ、寝覚めするに違いない空の様子を、格子も上げたままの入方の月が山の端に近くなったころで、涙を堪え切れないほどものあわれである。

 

《裾を捉えた夕霧は、ここで初めて口説きます。「人知れず胸に思いあまった、色めいた(気持から、こんな振る舞いをした)罪」はお許し下さい、しかしそれも、あなたが私の気持ちをご存じのくせに、あまりに冷たくなさるから、「このままでは朽ちはててしまいかねない訴えを」一度はきちんと言いたいばかりにすることなのです、…。

『評釈』が「思いつめた胸の中にある真実の言葉」と言いますが、なるほどなかなか純真で思いのこもった言葉です。

が、おもしろいのは次の、宮が「頼りにならない守り」の襖を、それでもじっと押さえている様子に、「ついお笑いになっ」たという点です。

余裕のある大人の態度と言いますか、賢木の巻の源氏には想像もできない、一見大変「思いやり」のある優雅な態度です。あの時の源氏は二十五歳、今夕霧は二十九歳になっています。いや、年齢の問題でないでしょう、玉鬘に関わった時の源氏は三十五歳でしたが、こういう視点はありませんでした。

やはり夕霧は父と違って、決して無理をしない、情に駆られてひどいことをしたりはしない、合理主義者の一面を持っているのでしょう。初恋の雲居の雁を、意地と一緒にとは言え、六年間待った人らしい視点です。ここでも時の来るのをじっと待っています。

そういう点で少し悪い言い方をすれば、自分の優位を承知して、いくらか宮の無力を見透かした態度とも言えそうです。

その一方で、ここでの身近に感じられる宮の様子に、改めて宮に心引かれている、というのもまた、彼であるのでした。

その思いをかき立てるように、外の風情も趣を加えます。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第五段 夕霧、落葉宮の部屋に忍び込む

【現代語訳】

そうしてから、
「帰り道が霧でまことにはっきりしないので、この辺りに宿をお借りします。同じことなら、この御簾の側をお許し頂きたく思います。阿闍梨が下がって来るまでは」などと、さりげなくおっしゃる。

いつもはこのように長居してくだけた態度もお見せなさらないのに、困ったことだと宮はお思いになるが、殊更めいてすぐにあちらにお移りになるのもみっともない気がして、ただ音を立てずにいらっしゃると、あれこれと言い寄り申し上げて、お言葉をお伝えに入って行く女房の後ろに付いて、御簾の中に入っておしまいになった。
 まだ夕暮の、霧に閉じ籠められて家の内は暗くなった時分である。驚いて振り返り、宮はとても気味悪くおなりになって、北の御障子の外にいざってお出になるが、たいそううまく探り寄って、お引き止め申したのだった。
 お身体はお入りになったが、お召し物の裾が残って、襖障子は向側から鍵を掛けるすべもなかったので、閉めきれないまま、びっしょりに汗を流して震えていらっしゃる。
 女房たちも驚いて、どうしたらよいかとも考えがつかない。こちら側からは懸金もあるが、困りきって、手荒くは引き離すことのできるご身分の方ではないので、
「何ともひどいことを。思いも寄りませんでしたお心ですこと」と、今にも泣き出しそうに申し上げるが、
「この程度にお側近くに控えているのが、誰にもまして疎ましく目障りな者とお考えになることでしょうか。人数にも入らないわが身ですが、お耳馴れになった年月も長くなったでしょう」とおっしゃって、とても静かに体裁よく落ち着いた態度で、心の中をお話し申し上げなさる。

 お聞き入れになるはずもなく、悔しく、こんな事にまでと、お思いになることばかりが心を去らないので、返事のお言葉はまったく思い浮かびなさらない。

 

《従者たちの措置を済ませて、柏木は、向き直って宮に、帰り道が暗くなったので、今日は『この辺り』で泊まって阿闍梨と話したい、彼が帰ってくるまで、ここで待たせて下さい、と話しかけます。

 そうして、その言葉を伝えに御簾の中に入る女房の後について、彼も入り込んでしまいました。これは、ここまでの彼の言動から考えると、間に「あれこれと言い寄り申し上げて」とあるものの、ずいぶん突然の、読者にとってもちょっと驚きの強引な振る舞いです。

ところで、例えば源氏が藤壺に近づいた時も同じように基本的に拒否されると思われる場面で、「どのように手引したのだろうか」(若紫の巻第二章第一段)とか、「どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった」(賢木の巻第三章第一段)と、その間の具体的ないきさつはまったく語られませんでした。

それによって、むしろ自然な接近が感じられたのですが、こうして写実的に語れると、不思議なことに夕霧の振る舞いがたいへんぎこちなく、事務的即物的で、美しくなく思われます。

賢木の巻の続きもここと同じような場面が続いて、そこでは源氏が藤壺の髪の裾を捉えるという、きわめて官能的で、おどろおどろしい情念の感じられる振る舞いでしたが、ここは着物の裾で、しかもまわりに襖障子が閉められなくておろおろしている侍女たちがいると描かれると、前にそういう圧倒的な迫力のある場面があっただけに、ここはひとまわりドラマ性が小さく感じられ、なにやら少々滑稽ささえまとわりついて、それを大まじめに演じている生真面目な若者が思い描かれ、それがそのまま源氏と夕霧の人間の大きさの違いのような印象を受けます。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ