【現代語訳】
例によって、親王たちなどもとても大勢参上なさった。御夫人方から我も我もとご用意なさった御供物の様子は格別立派で、所狭しと見える。七僧の法服など、総じて一通りのことは、皆紫の上がご準備させなさった。綾織物で袈裟の縫目まで、分かる人は世間にはめったにない立派な物だと誉めたとか。うるさく細かい話であることよ。
講師が大変に尊く法要の趣旨を申して、現世でのご立派である盛りの御身を厭いお離れになって、未来永劫にわたって絶えることのない夫婦の契りを法華経にお結びになる尊く深いお心を表わして、当代の才学も優れ豊かな弁舌をますます心をこめて縷々語るのが、とても尊いので、参会者はみな、涙をお流しになる。
この持仏開眼供養は、ごく内輪で御念誦堂の開き初めとお考えになったことだが、帝におかせられても、また山の帝もお耳にあそばして、いずれもお使者があった。御誦経のお布施など、大変置ききれないほど、急に大げさになったのであった。
六条院でご準備あそばしたことも、簡略にとはお思いになったが、それでも並々ではなかったのだが、それ以上に華やかなお布施が加わったので、夕方のお寺に置き場もなさそうなほど沢山になって僧たちは帰って行ったのであった。
今となってみると、おいたわしく思われる気持ちが加わって、この上もなく大切にお世話申し上げなさる。院の帝は、御相続なさった宮に離れてお住みになることも、いずれそうなることなのだから、世間体もよかろうと申し上げなさるが、
「離れ離れでいては気掛かりでしょう。毎日お世話申し上げて、こちらからお話ししたりお聞きしたりすることができないようでは、本意に外れることでしょう。なるほど、いつまでも生きていられない世であるが、やはり生きている限りはお世話したい気持ちだけはなくしたくありません」と繰り返し申し上げて、あちらの宮も大変念入りに立派にご改築させなさって、御封の収入、国々の荘園、牧場などからの献上物で、これはと思われる物は、全てあちらの三条宮の御倉に納めさせなさる。さらに又、増築させて、いろいろな御宝物類、院の御遺産相続の時に無数にお譲り受けなさった物など、宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して、念を入れて厳重に保管させなさる。
日常のお世話、大勢の女房の事ども、上下の人々の面倒は、全てご自分の経費のまかないでなどと、急いでお手入れをして差し上げる。
《たくさんの参列者があり、たくさんのお供え物が揃います。ここでもまた、紫の上が「七僧の法服など、総じて一通りのこと」を準備させるなど、大きな手伝いをします。
『評釈』は、「名実ともに紫の上は六条の院の女主人に返り咲いた事になる」と言うのですが、脇から見ればそう見えたとしても、ひとたび自分の立場を根底から掠われた者にとって、そういう立場の意味など復帰しようはずはないのではないでしょうか。
作者は、その理想的な夫人としての振る舞いから、彼女の心の広さやその力を改めて言おうという気持で書き添えたのではないかと思われますが、紫の上ファンから見れば、今更そういうことを褒めて貰っても何のかいもない、という気がします。
『評釈』は「われらの紫の上が、源氏の夫人として押しも押されもせぬ位置を占めるにいたった」と言いますが、もしそうなら、後々の悲しいできごとは起こらないのでなないでしょうか。
彼女は、もちろん表向き、見事に仕切ったに違いありませんが、その内心は、虚ろだったのではないでしょうか。その気持は推して知るべしですが、源氏はそれをどう思ってみるのでしょうか、何も語られません。
源氏は宮が出家して以来、今は、事件のことはすっかり忘れて、「おいたわしく思われる気持ちが加わって」ひたすら女三の宮のことにだけ、心が向いているようなのです。
女三の宮が朱雀院から「御相続なさった宮」は三条の宮ですが、もともと院は出家させた姫宮をそこに住まわせるつもりでした(柏木の巻第二章第三段)。しかし源氏は宮を手放しません。
そちらはそちらで十分な手入れをさせて、「宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して」しまっておきながら、宮自身はそのまま六条院に置いて、あくまでも自分の手でお世話しようとします。
それは、いかにも源氏の手厚い配慮という書き方ですが、しかし考えてみると、宮に経済的負担はかからないという利点はあるものの、言葉は悪いのですが、その分余計にいよいよ囲い者にしているといった感じで、源氏の傍では生きられないと思うからこそ出家までしたのに、一切がその源氏のお仕着せの中にいることになる宮としては、決して嬉しいことではないのではないでしょうか。
もし本当に宮が『評釈』の言うように「大人らしくなった」のなら(前段)、そのことに何等かの意見があってもよさそうですが、ここでも彼女は何も語りません。》