源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第一章 女三の宮の物語

第三段 持仏開眼供養執り行われる

【現代語訳】

 例によって、親王たちなどもとても大勢参上なさった。御夫人方から我も我もとご用意なさった御供物の様子は格別立派で、所狭しと見える。七僧の法服など、総じて一通りのことは、皆紫の上がご準備させなさった。綾織物で袈裟の縫目まで、分かる人は世間にはめったにない立派な物だと誉めたとか。うるさく細かい話であることよ。
 講師が大変に尊く法要の趣旨を申して、現世でのご立派である盛りの御身を厭いお離れになって、未来永劫にわたって絶えることのない夫婦の契りを法華経にお結びになる尊く深いお心を表わして、当代の才学も優れ豊かな弁舌をますます心をこめて縷々語るのが、とても尊いので、参会者はみな、涙をお流しになる。
 この持仏開眼供養は、ごく内輪で御念誦堂の開き初めとお考えになったことだが、帝におかせられても、また山の帝もお耳にあそばして、いずれもお使者があった。御誦経のお布施など、大変置ききれないほど、急に大げさになったのであった。
 六条院でご準備あそばしたことも、簡略にとはお思いになったが、それでも並々ではなかったのだが、それ以上に華やかなお布施が加わったので、夕方のお寺に置き場もなさそうなほど沢山になって僧たちは帰って行ったのであった。

 今となってみると、おいたわしく思われる気持ちが加わって、この上もなく大切にお世話申し上げなさる。院の帝は、御相続なさった宮に離れてお住みになることも、いずれそうなることなのだから、世間体もよかろうと申し上げなさるが、
「離れ離れでいては気掛かりでしょう。毎日お世話申し上げて、こちらからお話ししたりお聞きしたりすることができないようでは、本意に外れることでしょう。なるほど、いつまでも生きていられない世であるが、やはり生きている限りはお世話したい気持ちだけはなくしたくありません」と繰り返し申し上げて、あちらの宮も大変念入りに立派にご改築させなさって、御封の収入、国々の荘園、牧場などからの献上物で、これはと思われる物は、全てあちらの三条宮の御倉に納めさせなさる。さらに又、増築させて、いろいろな御宝物類、院の御遺産相続の時に無数にお譲り受けなさった物など、宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して、念を入れて厳重に保管させなさる。
 日常のお世話、大勢の女房の事ども、上下の人々の面倒は、全てご自分の経費のまかないでなどと、急いでお手入れをして差し上げる。

 

《たくさんの参列者があり、たくさんのお供え物が揃います。ここでもまた、紫の上が「七僧の法服など、総じて一通りのこと」を準備させるなど、大きな手伝いをします。

『評釈』は、「名実ともに紫の上は六条の院の女主人に返り咲いた事になる」と言うのですが、脇から見ればそう見えたとしても、ひとたび自分の立場を根底から掠われた者にとって、そういう立場の意味など復帰しようはずはないのではないでしょうか。

作者は、その理想的な夫人としての振る舞いから、彼女の心の広さやその力を改めて言おうという気持で書き添えたのではないかと思われますが、紫の上ファンから見れば、今更そういうことを褒めて貰っても何のかいもない、という気がします。

『評釈』は「われらの紫の上が、源氏の夫人として押しも押されもせぬ位置を占めるにいたった」と言いますが、もしそうなら、後々の悲しいできごとは起こらないのでなないでしょうか。

彼女は、もちろん表向き、見事に仕切ったに違いありませんが、その内心は、虚ろだったのではないでしょうか。その気持は推して知るべしですが、源氏はそれをどう思ってみるのでしょうか、何も語られません。

源氏は宮が出家して以来、今は、事件のことはすっかり忘れて、「おいたわしく思われる気持ちが加わって」ひたすら女三の宮のことにだけ、心が向いているようなのです。

 女三の宮が朱雀院から「御相続なさった宮」は三条の宮ですが、もともと院は出家させた姫宮をそこに住まわせるつもりでした(柏木の巻第二章第三段)。しかし源氏は宮を手放しません。

 そちらはそちらで十分な手入れをさせて、「宮の関係の品物は、全てあちらの宮に運び移して」しまっておきながら、宮自身はそのまま六条院に置いて、あくまでも自分の手でお世話しようとします。

 それは、いかにも源氏の手厚い配慮という書き方ですが、しかし考えてみると、宮に経済的負担はかからないという利点はあるものの、言葉は悪いのですが、その分余計にいよいよ囲い者にしているといった感じで、源氏の傍では生きられないと思うからこそ出家までしたのに、一切がその源氏のお仕着せの中にいることになる宮としては、決して嬉しいことではないのではないでしょうか。

もし本当に宮が『評釈』の言うように「大人らしくなった」のなら(前段)、そのことに何等かの意見があってもよさそうですが、ここでも彼女は何も語りません。》

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第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす

【現代語訳】

 お堂を飾り終わり、講師が壇上して、行香の人々も参集なさったので、院もそちらに出ようとなさって宮のいらっしゃる西の廂の間にお立ち寄りになると、狭い感じのする仮の御座所に、窮屈そうに暑苦しいほどに仰々しく装束をした女房たちが五、六十人ほど集まっている。北の廂の間の簀子まで女童などはうろうろしている。香炉をたくさん使って、煙いほど扇ぎ散らすので、近づきなさって、
「空薫物はどこで焚いているのか分からないくらいなのがよいのだ。富士山の噴煙以上に煙がたちこめているのは、感心しないことだ。お経の御講義の時には、まわりの音は立てないようにして、静かにお説教の意味を理解しなければならないことだから、遠慮のない衣ずれの音、人のいる感じは、出さないのがよいのです」などと、いつものとおり思慮の足りない若い女房たちの心用意をお教えになる。宮は、人気に圧倒されなさって、とても小柄で美しい感じに臥せっていらっしゃった。
「若君は騒がしかろう。抱いてあちらへお連れ申せ」などとおっしゃる。
 北の御障子も取り放って、御簾を掛けてある。そちらに女房たちをお入れになる。静かにさせて、宮にも法会の内容がお分かりになるように予備知識をお教え申し上げなさる。とてもやさしく見える。御座所をお譲りになった仏のお飾り付けを御覧になるにつけても、あれこれと感慨無量で、
「このような仏事の御供養を、ご一緒にしようとは思いもしなかったことだ。まあ、しかたない。せめて来世では、あの蓮の花の中の宿で仲好く、と思って下さい」とおっしゃってお泣きになった。
「 はちす葉をおなじ台と契りおきて露のわかるるけふぞ悲しき

(来世は同じ蓮の花の中でと約束したが、その葉に置く露のように別々でいる今日が

悲しい)」
と、御硯に筆を濡らして、香染の御扇にお書き付けになった。宮は、
「 隔てなくはちすの宿を契りても君が心やすまじとすらむ

(蓮の花の宿を一緒に仲好くしようと約束なさっても、あなたの本心は私と一緒にと

は思っていらっしゃらないでしょう)」
とお書きになったので、
「せっかくの申し出をかいなくされるのですね」と、苦笑しながらも、やはりしみじみと感に堪えないご様子である。

 

《いよいよ舞台が整って、法要が始まろうとします。

ここの見出しは、二人の和歌に焦点を当てていますが、読んでみると、『評釈』が一つひとつ具体的に指摘しているように、女三の宮お付きの女房たちの至らなさが目に付くところです。

それに添ってここでも取り上げておきます。

まず、「空薫物」です。源氏の言うとおり、当然「どこで焚いているのか分からないくらいなのがよい」のだと、現代の私たちでさえ思うのですが、この部屋の女房たちは「富士山の噴煙以上」に焚いて、ほとんど煙っている、という感じのようです。

次は、「お経の御講義の時には、あたり一帯の音は立てないようにして」と、まるで子供に教えているようです。『評釈』がいうように、「主家の権威を笠に着て、説経師ふぜいは問題にせず見下げている連中が、何十人と集団でいれば、何をしでかすか分かったものではない」という心配があるような、「思慮の足りない若い女房たち」ばかりなのです。「衣ずれの音、人のいる感じは、出さないのがよい」とまで、細かく言わねば、安心ならないようです。

そういう女房たちの中にあって、女三の宮はといえば、「人気(ひとけ)に圧倒されなさって、とても小柄で美しい感じに臥せっていらっしゃ」るばかりで、自分では何もできません。

そして「若君」が法要の最中に騒がないように、別室に連れて行かせ(「これは乳母の用意のなさか」・『評釈』)、更に今度は宮に対して「法会の予備知識をお教え申しあげ」ます。

まったく到れり尽くせりの指導、気配りで、これが準太上天皇のすることかと思われますが、それは逆に、宮とその周囲がいかにしまりがないかということの証しでもあります。

こういった具合ですから、柏木とのことが起こってしまったのでもありますが、それでも源氏は「来世では、あの蓮の花の中の宿を一緒に仲好く」と言います。いや、これはこういう時の形、リップサービスなのかも知れません。

それに対して宮の歌は、『評釈』は「いわけなさを脱け出て、大人らしくなった落ち着きがある」と言うのですが、それではここだけ急に一人前になった感じで、そぐわないような気がします。

そもそも、父院に出家を懇願した時も、「とても弱々しくお泣きになって」のお願いだったのであって、意を決してというのではなく、彼女としては他に手立てが無くなった末のものだったのでした。それを例えば『源氏物語の女君たち』などは「実に潔い見事な決断」と讃えますが、それは評者自身の場合をそこに敢えて重ねようとしたのかとも思われる、思い入れからの偏った誤解ではないかと思われます。

もちろんこういう場合、男性の申し出に対して皮肉を交えて返歌するというのは、よくある形ですが、この人の出家せざるを得なかったような心境から思えば、あれ以後とくに心境の変化をもたらすような出来事も語られていませんから、ここもその流れで、どうせ私など相手になさらないでしょうにというのが彼女としての本音と思われて、子供っぽくいじけた印象さえ感じられます。》

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第一段 持仏開眼供養の準備

巻三十八 鈴虫 光る源氏の准太上天皇時代五十歳夏から秋までの物語

第一章 女三の宮の物語 持仏開眼供養

第一段 持仏開眼供養の準備

第二段 源氏と女三の宮、和歌を詠み交わす

第三段 持仏開眼供養執り行われる

第二章 光る源氏の物語 六条院と冷泉院の中秋の宴

第一段 女三の宮の前栽に虫を放つ

第二段 八月十五夜、秋の虫の論

第三段 六条院の鈴虫の宴

第四段 冷泉院の月の宴

第三章 秋好中宮の物語 出家と母の罪を思う

第一段 秋好中宮、出家を思う

第二段 母御息所の罪を思う

第三段 秋好中宮の仏道生活



【現代語訳】

 夏頃、蓮の花の盛りに、入道の姫宮が御持仏の数々をお造りになったのを、開眼供養を催しなさる。
 今回は、大殿の君のお志で、御念誦堂の道具類もこまごまとご準備させていたのを、そっくりそのままお飾りになる。幡の様子など優しい感じで、特別な唐の錦を選んでお縫わせになった。紫の上がご準備させなさったのであった。

花机の覆いなどの美しい絞り染も優しい感じで、美しい色艶や、染め上げられている趣向など、またとない素晴らしさである。夜の御帳台の帷子を四面とも上げて、後方に法華の曼陀羅をお掛け申して、銀の花瓶に高々と見事な蓮の花を揃えてお供えになって、仏前の香には、唐の百歩の衣香を焚いていらっしゃる。
 阿弥陀仏と脇士の菩薩は、それぞれ白檀でお造り申してあるのが、繊細で美しい感じである。閼伽の道具は、例によって際立って小さくて、青色、白色、紫の蓮の色を揃えて、荷葉香を調合したお香は、蜜を控えてぼろぼろに崩して焚き匂わしているのが、一緒に匂って、とても優しい感じがする。
 経は六道の衆生のために六部お書きになって、ご自身の御持経は源氏の院がご自身でお書きになったのであった。せめてこれだけでも、この世の結縁として、互いに極楽浄土に導き合いなさるようにとの旨を願文にお作りあそばした。
 その他に、阿弥陀経は、唐の紙はもろいので、朝夕のご使用にはどんなものだろうと考えて、紙屋院の官人を召して特別にお命じになって、格別美しく漉かせなさった紙に、この春頃から、源氏の院がお心を込めて急いでお書きあそばしたかいがあって、その片端を御覧になった方々は、目も眩むほどに驚いていらっしゃる。
 罫に引いた金泥の線よりも、墨の跡の方がさらに輝くように立派な様子などが、まことに見事なものであった。軸、表紙、箱の様子など、言うまでもないことである。これは特に沈の花足の机の上に置いて、仏と同じ御帳台の上に飾らせなさった。


《巻の名前は、第二章第二段の催しと歌に依ります。

女三の宮の出家としての催しの様ですが、こういう場面はこれまで幾度ともなく読んできて、正直のところ、またかと思わざるを得ません。

なにしろ、すべてが源氏の差配ですから、そこに落ち度などあろうはずがありません。ともかくも盛大で手の込んだものだったと了解すればいいのでしょう。

しかし、このように書かれれば書かれるほど、いまさら源氏がどんなにやってみても、起こった出来事に何の変わりもあろうよしもないという気が、私などにはするのですが、どんなものでしょうか。

そんな中で、「幡の様子など優しい感じで、特別な唐の錦を選んでお縫わせなさった。紫の上が、ご準備させなさったのであった」とあると、彼女は、自分こそこの人のために出家したい思いに追いつめられたというのに、一体どんな思いでそのことをしたのだろうか、ということの方が先に思われ、また贈られた「入道の宮」の方もやりきれなかろうと思ったりします(さすがに幼い彼女も、これほどの経験をしてくれば、この時の先方に想いを致すくらいはできるようになっていてほしいものです)。

しかし、作者はとくとくとして源氏の入道の君への奉仕の素晴らしさを語るのです。趣味の良さ、気配りの行き届いていることはいつもながらのことで言うまでもなく、相手の女三の宮が素晴らしい人であれば、読む方の気分も違うでしょうが、気の毒ではあってもあまり魅力的な人ではないために源氏の振るまいが、大仰で空回りしているような感じさえします。関わった女性は、どういうことがあっても最後まで世話をする、という、当時の女性から見て最も心強い庇護者ぶりをここでも描いているということなのでしょう。》

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