源氏物語 ・ おもしろ読み

ドストエフスキーの全著作に匹敵する(?)日本の古典一巻を 現代語訳で読み,かつ解く,自称・労大作ブログ 一日一話。

第十章 光る源氏の物語(四)

第五段 源氏、紫の上に朧月夜と朝顔を語る

【現代語訳】

 二条院にいらっしゃる時なので、女君にも、今ではすっかり関係が切れてしまったこととて、お見せ申し上げなさる。
「とてもひどくやっつけられたものです。確かに、情けないことだ。いろいろと心細い世の中の様子をよく見て過して来たものです。普通の世間話でも、ちょっと何か言い交わしあい、四季折々に寄せて、情趣をも知り、風情を見逃さず、さっぱりとした付き合いのできる人は、斎院とこの君とが残っていたが、このように皆出家してしまって、斎院は斎院で、熱心にお勤めして、余念なく勤行に精進していらっしゃるということです。
 やはり、大勢の女性の様子を見たり聞いたりした中で、思慮深い人柄で、それでいて心やさしい点で、あの方に比べられる人さえいなかったことです。

女の子を育てることは、まことに難しいことだ。宿世などというものは目に見えないことなので、親の心のままにならない。成長して行く際の注意は、やはり力を入れねばならないようです。よくぞまあ、大勢の女の子に心配しなくてもよい運命でしたよ。まだそれほど年を取らなかったころは、もの足りないことだ、何人もいたらと嘆かわしく思ったことも度々あったことです。
 若宮を注意してお育て申し上げて下さい。女御は、物の分別を十分おわきまえになる年頃でなくて、このようにお暇のない宮仕えをなさっているので、何事につけても頼りないといったふうでいらっしゃるでしょう。内親王たちは、やはりどこまでも人に後ろ指をさされるようなことなくして、一生をのんびりとお過ごしなさるように、不安でない心づかいを、付けたいものです。身分柄、あれこれと夫をもつ普通の女性であれば、自然と夫に助けられるものですが」などと申し上げなさると、
「しっかりしたしたご後見はできませんでも、世に生き永らえています限りは、是非ともお世話してさし上げたいと思っておりますが、どうなることでしょう」と言って、やはり何か心細そうで、このように思いどおりに、仏のお勤めを差し障りなくなさっている方々を、羨ましくお思い申し上げていらっしゃった。
「尚侍の君に、尼になられた衣装など、まだ裁縫に馴れないうちはお世話すべきであるが、袈裟などはどのように縫うものですか。それを作って下さい。一領は、六条院の東の君に申し付けよう。正式の尼衣のようでは、見た目にも疎ましい感じがしよう。そうはいっても、法衣らしいのが分かるのを」などと申し上げなさる。
 青鈍の一領をこちらではお作らせになる。宮中の作物所の人を呼んで、内々に、尼のお道具類でしかるべき物をはじめとしてご下命なさる。御褥、上蓆、屏風、几帳などのことも、たいそう目立たないようにして、特別念を入れてご準備なさったのであった。

 

《男は女性にあまり他の女性の評価を話したりしない方がいいと思うのですが、源氏は、六条御息所のことを紫の上に話したことで、その死霊にひどい目にあったばかりであるにもかかわらず、またしても、紫の上に、朧月夜の手紙を見せながら彼女の話をし、ついでに、というわけでもないでしょうが、朝顔斎院について語ります。

 『評釈』は「彼らについて自由に語りあえる仲に、今、源氏と紫の上は達している」と言いますが、紫の上は女三の宮の降嫁によって傷ついたのが、この不調の始まりなのですから、源氏の女性関係に、それが誰であれ、言葉どおりに平静でいられるとは思われません。そもそも、彼女は今、源氏が許さないから出家しないでいる、といったほどに、心の底で(ということは、彼女自身も気がつかない所で、ということになりますが)源氏を慕っているはずなのです。

 源氏の言葉の初めの「確かに」は、朧月夜の歌を受けて、確かにもっと早く出家すべきだったという意味なのでしょう。以下、「いろいろと心細い世の中の様子」の一つとして朝顔斎院とのことを思い出した、「よく」は「よくもまあ」といった趣でしょうか。

 「さっぱりとした付き合いのできる人は、斎院とこの君とが残っていた」など、紫の上は聞きたくもない話でしょうが、当時は普通の会話だったのでしょうか。

が、いずれにしても、しかし源氏の意識は口にされない女三の宮にあると見るべきで、彼女のようではない、あるべき女性としてこの二人を挙げて話しているのでしょう。

「女の子を育てることは、まことに難しいことだ」というのが、この段の主旨で、彼はさし当たって「若宮」(「紫の上が養育している女一の宮」・『集成』・明石の女御の娘)が、当面の女三の宮のようなことにならないように、とくと紫の上に頼みます。

「内親王たちは、やはりどこまでも人に後ろ指をさされるようなことなくして、一生をのんびりとお過ごしなさるように、不安でない心づかいを、付けたいものです。」

そう言わなければならないほど、女三の宮のことが彼の心を覆っています。

一方、紫の上は、本当は、もう早く出家をしたいので、この二人を「羨ましくお思い申し上げていらっしゃった」のですが、その彼女に、朧月夜のために袈裟を作って下さいとは、驚いた注文です。

『評釈』は、朧月夜の気に入るような法衣は、「紫の上と花散里でなくては、この注文にかなう創作はできない」と誇らしげに言いますが、言われた紫の上の気持たるや、察するに余りあるという気がするのですが、どんなものでしょうか。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第四段 朧月夜、出家す

【現代語訳】

 二条の尚侍の君をやはりいつもお思い出し申し上げておられるが、このように気がかりな方面の事を厭わしくお思いになって、あの方のお心弱さも、少し見下す思いにおなりになるのだった。
 とうとうご出家の本懐を遂げられたとお聞きになってからは、まことにしみじみと残念に、お心が騒いで、さっそくお見舞いを申し上げなさる。せめて今出家するとだけでも知らせて下さらなかった冷たさを、心からお恨み申し上げなさる。
「 あまの世をよそに聞かめや須磨の裏に藻塩垂れしも誰ならなくに

(出家されたことを他人事して聞き流していられましょうか、私が須磨の浦で涙に沈

んでいたのは誰ならぬあなたのせいなのですから)
 いろいろな人生の無常さを心の内に思いながら、今まで出家せずに先を越されて残念ですが、お見捨てになったとしても、お勤めのご回向の中には、まず第一に私を入れて下さるであろうと、しみじみした思いでいます」などと、たくさんお書き申し上げなさった。
 早くからご決意なさった事であるが、この方のご反対に引っ張られて、誰にもそのようにはお表しなさらなかった事だが、心中ではしみじみと昔からの恨めしいご縁を、何と言っても浅くはお思いになれない事など、あれやこれやとお思い出しなる。
 お返事は、今となってはもうこのようなお手紙のやりとりをしてはならない最後とお思いになると、感慨無量となって、念入りにお書きになる、その墨の具合などは、実に趣がある。
「無常の世とはわが身一つだけと思っておりましたが、先を越されてしまったとの仰せを思いますと、おっしゃるとおり、
  あま船にいかがは思ひおくれけむ明石の浦にいさりせし君

(尼になった私にどうして遅れをおとりになったのでしょう、明石の浦に海人のよう

なお暮らしをなさっていたあなたが)
 回向は、一切衆生の為のものですから、どうして含まれないことがありましょうか」とある。濃い青鈍色の紙で、樒に挟んでいらっしゃるのは、通例のことであるが、ひどく洒落た筆跡は、今も変わらず見事である。

 

《それかあらぬか、突然、朧月夜の尚侍の話になりました。

もっとも、『評釈』が「尚侍は定員二名であるから、呼び分ける必要がある。朧月夜と玉鬘である」と言いますから、その繋がりとも思われます。

朧月夜の登場は、朱雀院の出家に伴い二条宮に下がった折に源氏が訪ねていった時(若菜上の巻第七章)以来で、七年ぶりです。

初めの「気がかりな」は原文「うしろめたき」で『辞典』によれば「自分の認識や力の及ばない所で事態がどうなって行くか分からないという不安を表す」とあって、ここでは「夫を裏切るような女の過失」(『集成』)を指すことになりますが、彼女について、それを「厭わしくお思いにな」るとは、自分から手出しておきながら、どうも驚いたずうずうしさです。

その彼女はあの時朱雀院の出家を追おうとしたのでしたが、源氏に止められてそのままになっていたのですが、この頃の紫の上に付きっきりという源氏の噂を聞いて「自分と紫の差の大きさに気づき」(『評釈』)、とうとう出家に踏み切ったようです。

源氏は、「少し見下す思い」でいながら、その人が出家したと聞くと、「まことにしみじみと残念に、お心が騒」ぐというのですから、どうにも付いていけない気がします。

 例によって源氏は、先に出家して行かれて自分が見捨てて後に残されたという態度で恨みがましい(ふうをした)歌を送りますが、朧月夜からの返事は、「昔、明石の浦であなたは先に『海士(尼)』のような暮らしをなさったのに、変ですね、回向は一切衆生のものですから、あなたを特別ということはありませんが、入ってはいますよ」と、まるで揶揄のようななかなか手厳しいものでした。

 『評釈』は「恋と栄花の物語において、この恋ばかりは栄花に関係なく、恋の甘さだけの物語であった」と言いますが、「甘さ」はまた、当然ながら、ほろ苦さでもあったと言うべきでしょう。

もっともここでの朧月夜の登場は、次の段の、女三の宮を意識しながらの源氏の(つまり作者の)女性論を弾き出す意味の方が大きかったのではないか、とも思われます。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第三段 源氏、女三の宮の幼さを非難

【現代語訳】

 宮はまことに痛々しげにお苦しみ続けなさる様子がやはりとてもお気の毒で、このようにお見限りになるにつけては、あいにくなことに嫌な気持ちにも消せない恋しい気持ちが苦しく思われなさるので、お越しになってお目にかかりなさるにつけても、胸が痛くおいたわしい気持におなりになる。
 御祈祷などをいろいろとおさせになる。大方のことは以前と変わらず、かえって労り深く大事にお世話し申し上げる態度がこれまで以上におなりになる。お側でお話をなさる様子は、まことにすっかりお心が離れてしまって体裁が悪いので、人前だけは無難に取り繕って、ただお心で思い悩んでばかりおられるので、ご心中はかえって苦しいのであった。
 あの手紙を見たともはっきり申し上げなさらないのに、ご自分でとてもむやみに苦しみ悩んでいらっしゃるのも子供っぽいことである。
「まったくこんなお人柄のせいであることだ。高貴の常とは言っても、あまりにしっかりせず気が利かないのは、安心ならないことだ」とお思いになると、男女の仲の事がすべて心もとなく、
「女御があまりにやさしく穏やかでいらっしゃるのは、このように懸想するような人はこれ以上にきっと心が乱れることであろう。女はこのようにことの処理が自分でできないほどなよなよとしているのを、男も甘く見るのだろうか、あってはならぬが、ふと目にとまって、自制心のない過失を犯すことになるのだ」とお思いになる。

「右大臣の北の方が、特にご後見もなく、幼い時から頼りない生活を流浪するような有様でご成人なさったが、利発で才気があって、私も表向きは親のようにしていたものの、憎からず思う心がないでもなかったが、穏やかにさりげなく受け流して、あの大臣があのような心ない女房と心を合わせて入って来たときにも、はっきりと受け付けなかった態度を周囲の人にも見せて分からせ、改めて許された結婚の形にして、自分のほうに落度があったようにはしなかった事など、今から思うと何とも賢い身の処し方であった。
 宿縁の深い仲であったので、長くこうして連れ添ってゆくことは、その初めがどのような事情からであったにせよ同じような事であったろうが、自分の意志でしたのだと世間の人も思い出したら、少しは軽率な感じが加わろうが、本当に上手に身を処したことだ」とお思い出しになる。


《源氏は、紫の上には一緒に六条院に帰るまでは女三の宮には会わないようなことを言っていましたが、やはり「嫌な気持ちにも消せない恋しい気持ちが苦しく思われなさるので」、一人でやって来ました。

「出来の悪い子供ほどいとおしい」と言いますが、彼はこの姫宮の至らなさにほとんど匙を投げるような気持であるにもかかわらず、なお恋しく、顔を見ると「胸が痛くおいたわしい気持」になります。

その一方で、「すっかりお心が離れてしまって」いるので、傍で優しく声をかける気にはなれず、人目を憚って形ばかりの相手をする、という何とも腰の据わらない態度です。

このあたり、彼の心も乱れているようで、明かすことのできない問題だけに、周囲から姫宮への態度が変わったと思われてはなりませんから、もちろん姫宮を粗略にすることはできず、不快さえ表すこともできず、その一方で苦しそうにしているのを見ればいとしくもあって、思いは悶々とただ胸の中に鬱積します。

姫宮の方は、源氏が何も言わない前から「ご自分でとてもむやみに苦しみ悩んで」います。当然のことと思われるのですが、作者はそれを「子供っぽいことである」と言い、『評釈』も一緒になって「源氏が言わないのだから、知らないふりをしていればよいのだ」と気楽なことを言います。しかし、手紙を読まれてすべてを知られていることを知っていて、なお知らん振りはよほど厚顔でなければできそうにありません。

それでも作者はそれを子供っぽいと言っているわけです。貴族社会とは、それほどに強い意志で表裏の使い分けを守らねばならないところなのだと、思わされます。

源氏は、突然明石の女御は大丈夫だろうかと案じながら、玉鬘のことを思い出しました。

「改めて許された結婚の形にして」は「三日の夜のご挨拶を取り交わしなさった」(真木柱第一章第二段)ことなどを指すようで、ここでも形がいかに大切にされていたかを思わせます。自分の気に入らない結婚でも、そうなってしまったら見苦しくないように処理をするのが、女の知恵というものだ、「男は激情にかられる。女が理性で処理したのは立派だった。…ああ出来たのも自分の教育のせいではないか」と『評釈』は源氏の気持ちを解説します。

しかし、玉鬘の場合は自分が我慢して成り行きに任せると決断すればすんだことですが、この女三の宮の場合はそれではすまず、実際考えてみてもどう「処置」すればいいのか、なかなか難しく、ましてこの姫ではとても妙案が浮かばない気がします。

思えば、そういう姫宮だからこそ父院は源氏を頼みとしたわけで、本来ならここは源氏の度量と力の見せ所でもあるはずなのですが、彼はそういうふうには動きません。

昔の彼なら、朧月夜との一件が招いた窮地から明石の姫君を得て帰って来たように、この不愉快な窮地から、また何かを得ることができたかも知れないのですが、彼はすでに「ミダス王」ではないのです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

 

第二段 柏木と女三の宮、密通露見におののく

【現代語訳】

 姫宮は、このようにお越しにならない日が数日続くのも、相手の薄情とばかりお思いであったが、今では自分の過失も加わってこうなったのだとお思いになると、父院も御存知になって、どのようにお思いだろうかと、身の置き所のない心地である。
 かの人も、熱心に手引を頼み続けるけれども、小侍従も面倒に思い困って、

「このような事が、ありました」と知らせてしまったので、大変驚いて、
「いつの間にそのような事が起こったのだろうか。このような事は、時が経つと自然と気配でも漏れてしまうのではないか」と思っただけでも、まったく身も縮む思いで、空に目が付いているように思われたが、ましてあんなに間違いようもない手紙を御覧になったのでは、顔向けもできず、恐れ多くいたたまれない気がして、朝晩涼しくもないころであるが、身も凍りついたような心地がして、何とも言いようもない気がする。
「長年、公事でも遊び事でも、お呼び下さり親しくお伺いしていたものを。誰よりもこまごまとお心を懸けて下さったお気持ちが、しみじみと身にしみて思われるのに、あきれはてた不届き者と不快の念を抱かれ申しては、どうして目をお合わせ申し上げることもできようか。そうかと言って、ふっつりと参上しなくなるのも、人が変だと思うだろうし、あちらでもやはりそうであったかと、お思い合わせになろうことが堪らない」などと、気が気でない思いでいるうちに、気分もとても苦しくなって、内裏へも参内なさらない。

それほど重い罪に当たるはずではないが、身も破滅してしまいそうな気がするので、

「やっぱり懸念していたとおりだ」と、一方では自分ながら、まことに辛く思われる。
「考えて見れば、落ち着いた嗜み深いご様子がお見えでない方であった。第一にあの御簾の隙間の事も、あっていいことだろうか。軽率だと、大将が思っていらっしゃる様子が見えた事だった」などと、今になって気がつくのである。無理してこの思いを冷まそうとするあまり、むやみに悪くお思い申し上げたいのであろうか。

「よいことだからと言ってあまり一途におっとりし過ぎている高貴な人は、世間の事もご存知なく、一方では伺候している女房に用心なさることもなくて、このようにおいたわしいご自身にとっても、また相手にとっても、大変な事になるのだ」と、あのお方をお気の毒だと思う気持ちもお捨てになることができない。

《姫宮は、源氏に覚えのない懐妊をしてしまい、一方で手紙を拾われるという、取り返しようのない失態をしてしまって、あれこれ思ってみると「身の置き所のない心地」です。

一方柏木は、思いあまった小侍従から自分の恋文が源氏の手に渡ってしまったことを知って、そうでなくても露見することが心配だったところに、逃れようのない証拠を押さえられてしまって、大変な驚きです。

あんなに目をかけていただいていたのに、自分はいったい何ということをしたのだろう。と言って、御前に出ないわけにもいかない、「六条の院に行かない限りは、宮中にも出仕しない」(『評釈』)ことになります。

彼は、若い頃の源氏と違って、「あきれはてた不届き者(原文・あさましくおほけなきもの)」と、すぐに自分の非を思います。それも、「身も破滅してしまいそうな気がする」ほどに。

無理もないことだと思って読むのですが、しかし、そこで、柏木のしたことは「それほど重い罪に当たるはずではない」と添えられます。作者は、そういう柏木の呵責の思いは、少々度が過ぎていると考えているようです。彼は大胆なことをしたのですが、実は小心な一面を持っている、と言いたいようなのです。

そういう反省の中で、彼は、姫宮が「考えて見れば、落ち着いた嗜み深いご様子がお見えでない方であった」と思い返し、早く夕霧がそういう所を見抜いていたようだったことを思います。こういうことになったのも、「世間の事もご存知なく、一方では、伺候している女房に用心なさることもなくて」のことなのだと、今度はまるで自分のことを棚に上げての批判で、さっきの反省は、ただの怖れに過ぎなかったような様子です。

もっとも、『評釈』は、「これは、読者への注意。読者は、…『ひたむきにおほどかにあてなる人(あまり一途におっとりし過ぎている高貴な人)』でありうるのだ。物語というものが教育を担当するのである」と言っています。

もちろんこういう場合、どちらにより大きく非があるのかというような読み方は適切ではないのであって、起こった出来事から、どういう人間性が見えるかと考えるべきですが、それで言うと、柏木の口から姫宮批判が語られるのは、彼の人間性を小さく姑息に見せてしまうことになっているように思われます。

その上で、作者は、そういう姫宮への思いにもかかわらず、やはり「お気の毒だと思う気持ちもお捨てになることができない」と彼の誠実さ、優しさを語ります。しかしそれは小心の裏返しでもあるのです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

第一段 紫の上、女三の宮を気づかう

【現代語訳】

「帝とは申し上げてもただ単にお仕えするというだけで後宮の暮らしも面白くもないので、思いの深い私的な訴えかけに引かれてお互いに愛情を傾け尽くし、放って置けない折節の返事をするようになり、自然と心が通い合うようになった間柄は、同様に好くない事柄であってもまだ許せるだろうが、自分の事ながら、あの程度の男に宮が心をお分けにならねばならないとは思われないのだが」と、まことに不愉快ではあるが、また

「顔色に出すべきことではない」などと、ご煩悶なさるにつけても、
「故院も、このように御心中には御存知でいらっしゃって、知らぬ顔をしていらっしゃったのだろうか、思えば、あの当時のことは、本当に恐ろしく、あってはならない過失であったのだ」と、身近な例をお思いになると、『恋の山路』は、非難できないというお気持ちもなさるのであった。

 平静を装っていらっしゃるが、何か思い悩んでおられる様子がはっきりと見えるので、女君は、

「生き返ったのをいとおしく思ってこちらにお帰りになって、ご自身どうにもならず、宮をお気の毒に思っていらっしゃるのだろうか」とお思いになって、
「気分はよろしくなっておりますのに、あちらの宮がお悪くいらっしゃいましょうから、早くお帰りになったのは、お気の毒です」とお申し上げなさるので、
「そうですね。普通ではないお体のようにお見えになりましたが、別段のご病気というわけでもいらっしゃらないので、それなら安心に思いましてね。宮中からは、何度もお使いがありました。今日もお手紙があったとか。院が、特別大切になさるようにとお頼み申し上げていらっしゃるので、主上もそのようにお考えなのでしょう。少しでも宮を疎かになどしているようであれば、お二方がどうお思いになるかが、心苦しいことです」と言って、嘆息なさると、
「帝がお耳にあそばすことよりも、宮ご自身が恨めしいとお思い申し上げなさることの方が、お気の毒でしょう。ご自分ではお気になさらなくても、良からぬように蔭口を申し上げる女房たちが、きっといるでしょうと思うと、とてもつろう存じます」などとおっしゃるので、
「なるほど、ひたすら愛しく思っているあなたには厄介な縁者はいないが、何かにつけて思慮を廻らすことといったら、あれやこれやと、おおよそ人の思惑まで考えを廻らされますが、私はただ、国王が御機嫌を損ねないかという事だけを気にしているのは、考えの浅いことだな」と、苦笑して言い紛らわしなさる。姫宮の所に行くことについては、
「一緒に帰って、それから。しばらくはゆっくりと過すことにしよう」と申し上げなさるばかりなのを、
「私はもう暫くゆっくりしていましょう。先にお帰りになって、宮のご機嫌もよくなったころに」と、話し合っていらっしゃるうちに、数日が過ぎた。

 

《前段の源氏の思いの続きで、職場恋愛なら仕方がない、という話、ちょっと重複しています。ただ源氏は、そこから藤壺女御とのことを思い出し、ひょっとして父・桐壺帝も自分たちのことを知っておられたのではないかという不安を抱きました。そして、「思えば、あの当時のことは、本当に恐ろしく、あってはならない過失であったのだ」と、ほとんど生まれて初めての反省の気持を抱くのでした。

そういう源氏の不審と不愉快と不安(怖れ)の入り交じった気持は、紫の上の前では隠しようがなかったと見えて、源氏の平静を装った態度の中にその心の乱れを鋭く感じとります。しかしさすがにそんな一大事とは思いもせず、ただ女三の宮を案じているのだと思い、どうぞあちらへ言ってさし上げて、と、言葉だけ見ると、ちょっとできすぎた女房ぶりです。

それは確かに一面では今の彼女の素直な気持ちなのですが、少なくとも心の半分くらい奧のところまでは、昔のような生活は帰ってくるべくもないと諦めていて、その部分からの言葉なのです。その奧には、変わらず源氏を慕う気持があって、その満たされない悲しみが渦巻いています。そう思って聞くと、ひとしお切なくいとおしい言葉に感じられます。

それに対して源氏は、今、到底女三の宮の顔を見ようという気持にはなれません。何やかや言いながら、あなたが六条院に帰れるようになったら、一緒に行って、それから考えようと、紫の上から見れば戯れごとにしか思えない話に紛らしてしまいます。

そうは言っても、もちろん上にとってもその言葉は優しく嬉しく聞こえます。「先にお帰りになって」と言いながら、それ以上はあえて言わないで、束の間となるだろう二人だけの日々を過ごします》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

プロフィール

ikaru_uta

カテゴリー
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ